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<<前回のあらすじ>>
 気分転換に出かけたコンビニで、ハルヒは佐々木と連れ立って歩くキョンと出くわしてしまいます。
 ハルヒは、キョンがバイトを休んでまで佐々木と一緒にいたことに反感を覚えました。キョンが自分に、バイトを休むということを黙っていたからです。でもすぐに、あることに気づきます。
 いい年した男が女性とふたりで歩いている。そんなどこにでもある光景に憤りを感じるのは、自分がキョンを、SOS団メンバーたちを、無理につなぎとめていたからではないのか。
 当たらずとも遠からずと言えなくもありませんが、ハルヒは冷静さを欠いた頭でそれを勘違いします。自分がみんなを力ずくで悪い方向に導いてしまったのではないかと思い込んだのです。
 そして、ついにハルヒの奇怪不可解摩訶不思議パワーが炸裂したようです。

 

 

~~~~~

 

 

 どすっという音が聞こえてきそうなほどの衝撃が、俺の腹部を襲った。マグニチュード7.5の激震が走ったかのように揺れ動いた俺の身体は、見事にベッドの上から転げ落ちた。
 ぐふぅ…と息を漏らしながら眠い目をこすり、顔を上げる。
「キョンくん、朝だよ!」
 窓から差し込む陽の光と、それに負けないくらい明るく爽やかに微笑む妹の笑顔を見て、今が早朝であることをぼやけた脳が理解する。いつものこととはいえ、妹のこのモーニング・ボディプレスには不覚をとってばかりだ。
 いつかきっと仕返しのモーニング・トペコンヒーロを極めてやろうと画策しているのだが、いかんせんどう足掻いても妹の起床時間にはかなわないわけだから、結局のところ俺は負けっぱなしというわけだ。
 のそのそと緩慢な動作で布団の中に戻ろうと試みるも、いつものごとく妹にぐいぐいと引っ張られて部屋から連れ出されてしまうのだった。相手が小5の女の子とはいえ、全体重をかけて腕を引かれると逆らえないものなのだ。
 しかし、ふと。少しづつ頭の中が冴え、思考が鮮明になってきたところで、俺はあることに気づく。
 あれ? 妹が、小学生? え? 俺……俺も……高校生?
 一気に目が覚め、頭が覚醒する。不思議な違和感を覚えた俺は両手で自分の顔から身体を撫で回し、きょろきょろと部屋の中を見回した。
 間違いない。ここは俺の部屋。それも、高校生の頃の自分の部屋の内装だ。学校に持って行っていた鞄や教科書の類も机の上に載っている。よく見るとさっきまで俺が頭を乗せていた枕は、去年破れて捨てた物じゃないか。
「どうしたの、キョンくん? まだ目が覚めないの? 顔を洗ったらすっきりするよ」
 しきりに俺の手を引く妹の声も、天真爛漫で甲高い小学生の頃のものだ。慎みと落ち着きの出てきた二十歳前の女性の声じゃない。
「うん? 変なキョンくん」
 俺の奇行を見て、俺が寝ぼけていると思っているのだろう。妹はけらけらと楽しげに笑った。

 

 夢……だったのだろうか? 俺は階段を下りつつ、霧のかかったような記憶をたどりながら考えていた。
 確か俺は高卒の無学な無職で、就職活動もろくにせずダラダラと過ごしていた24の若造で、先日友人の紹介でバイトを始めたばかりで、それで、それで……。
 薄ぼんやりとした記憶が、次第に遠のいていく。考えれば考えるほど、高校卒業後の俺の記憶が現実感を失っていく。
 そして階段を下りきり、居間に着く頃には、俺の頭の中に明確な答えが弾き出されていた。
 あれは、悪い夢だったんだ。

 

 


 登校途中の例の上り坂で、大あくびをしていた谷口と国木田に出くわした。
 いつも通り谷口は学生服を着て、薄い鞄を持って今日の「1時限目、自習にならねえかな?」と典型的なダメ生徒発言を口にしていた。
 どこからどう見てもこのお調子者が一流企業に就職できるわけないし、スーツ姿だって似合いやしない。やはり、あれは俺のタチの悪いふざけた夢だったのだ。
 家を出る時からずっと思っていたことだが、今こそ確信が持てた。俺たちSOS団がそろって無職だったなんてバカげた未来があるわけない。あれは夢だった。そうなんだ。
 前日の晩に親が俺の成績に嘆息しながら将来がどうこうという話をしてたから、あんな下らない夢を見てしまったんだ。現実であろうはずがない。
 だから、それが妙に嬉しくて、俺は上機嫌で谷口の肩をたたいてやった。

 


 うちで飼っているシャミセンは大人しい部類の猫なのだが、猫にもいろんな性格のやつがいる。シャミセンとは正反対にやたらうるさい猫や、飼い主の言うことを聞かない猫、従順な猫、様々だ。
 たとえば食事時になるとギャーギャーと鳴きだすうるさい猫が、ある日突然うんともすんとも言わなくなったとする。すると飼い主は、どこか具合でも悪いんじゃないだろうか?悪いものでも食べたんだじゃないだろうか?と心配するらしい。
 逆に普段おとなしい猫が突然けたたましく騒ぎ出すと、これまた何か異変があっておかしくなってるんじゃないかと心配するだろう。
 飼い猫に限らず犬でも猿でも人間でも、何に対しても言えることだが、普段と様子が違うと何か悪いことでもあったんじゃないだろうかと勘ぐってしまうものだ。

 

 

 その日ハルヒは、朝からやたらと大人しかった。いつも後ろの席から感じさせられる溢れんばかりのエネルギッシュオーラが一切放出されていないのだ。
 ハルヒだって一応人間なんだから気持ちの上がり下がりがある。こいつが教室で物静かになることは珍しいことじゃない。
 それでもいつものハルヒなら廃工場から漏れ出すメタンガスのように、「退屈な時間がつまらない!」 「さっさと休み時間にならないかしら」 などと不平不満オーラをバリバリと漂わせているはずだ。
 なのに今日はそれが一切ないのだ。何かに苛立ってカリカリしているというふうもないし、ネガティブになって落ち込んでいるというワケでもなさそうだ。
 以前ENOZのメンバーたちに感謝された時のように、慣れないことに照れて消化不良を起こしているという様子でもない。
 とにかくボーっとしていて、俺が何を話しかけても気のない返事を口にするばかり。心ここにあらずといった感じで、ずっと物思いにふけっているのだ。
 まるで別人のようだ。存在感だけは誰にも負けない、それが俺の知っている涼宮ハルヒという人物だったのに。まるで周囲の大気に溶け込んだかのように気配を感じられない。
「なあハルヒ、お前どうかしたのか? 元気ないじゃないか」
「別に……」
「悪いもんでも食ったんじゃないだろうな? 腹が減ってる時にビスケットが落ちてても、拾って食べたら腹こわすぜ」
「別に……」
 いかん。本格的に重症だ。いつものハルヒなら、拳の2,3発が飛んできてたっておかしくないのに。こうも様子がおかしいと何か不幸な出来事があったのではないかと心配になってしまうし、俺自身も調子が狂ってしまう。
 しかし考えてみれば、ハルヒだって年がら年中その場その場の思いつきや気分だけで行動する年でもない。そろそろこうして深く沈思黙考することがあってもいいじゃないか。これは、こいつも落ち着きが出てきた瑞兆として受け止めてやるべきなんだ。

 

 ハルヒは昼になってもボーっとした表情で、ひとりで弁当を食べていた。妙に居心地の悪さを感じてしまった俺は、谷口と国木田との会食後、早々に席を立って教室を出た。いつもと違うハルヒの姿を見るのがいたたまれない気がしたからだ。
 教室を出たはいいが特に行くあてもなかったので、とりあえず文芸部室にやってきた。長門がいるかな、と思ったら大ハズレ。そこにいたのは古泉だった。
「確かに、あなたの仰る通り悪いことではないですね。深い思索は人の思考を豊かにします。ですが、あなたの言い方だと、まるで涼宮さんが常日頃、考えなしに生活しているように聞こえますね。彼女も人並みに考えて日々を送っているのですよ」
 文芸部室のパイプ椅子に腰をかけ、いつも通りのニヤケ顔で古泉がそう言った。あいつが人並みに考えて生活してるとは思えないんだがねえ。俺よりずっと頭がよくて成績も良いことは認めざるを得ないが。
「勉学の問題ではありませんよ。涼宮さんは自分の中の行動理念に基づいて、物事を考え、判断し、その上で決断をされています。非常に価値観が前衛的であるがために、我々凡人の目にそう映らないだけの話です」
 そういうもんかね。バカと天才は紙一重というが、あれは紙一重の方だと思うぜ。
「ははは。そんなことはさしたる問題ではありませんよ。それより、僕にとって興味深いのは……あなたが先ほど話された、今朝見たあなたの夢の方ですね」
 俺の夢? 俺たちが20代中盤に差しかかる年になっても、働きもせずにご近所様から白い目で見られつつSOS団を存続させている、という最悪な夢の話か? やめてくれよ。どうせお前のことだから、深層心理で分析すると……なんて言いだすんだろ?
「夢は人の心理を表層化したものだと言いますし、夢のデータから推理を深めて行くというのも大変好奇心をくすぐられることではありますが。それは別の機会に譲りましょう」
 じゃあなんだよ。夢に出てやったんだから出演料をよこせ、なんて言うんじゃないだろうな。
「ここからは、冗談やからかいの類は一切無しでいきましょう」
 いつものニヤケ顔が、ふっとなりを潜める。真剣な眼差しをした古泉が、目の前のオセロ盤を脇に押しのけてテーブルに身を乗り出してきた。賭けオセロで負けそうになったから勝負をウヤムヤにした、というワケではなさそうだ。
「実はですね。先ほどあなたが語った夢。そっくりそのまま同じ内容のものを、僕も見たのですよ」
 昨夜のことです。そう言って古泉は腕を組んだ。

 

 俺の頭から血の気が引いていく音が聞こえた気がした。
 俺の見た夢と……同じ内容を……古泉も……? それって……つまり……
「あなたの話を聞いていて、まるで昨夜自分の見たテレビ番組の内容を逐一教えられているような気分でしたよ」
 古泉は苦笑まじりに肩をひそめたが、俺は苦笑する気にもならなかった。五感が急に冴え渡るような錯覚に、耳に遠鳴りが響いた。
「僕も夕べ見たその夢があまりにもリアリティを持っていたもので、もしやと思い、朝比奈さんと長門さんにも携帯で連絡してみたのですよ」
 あなたは携帯電話の電源をオフにされていましたから今、初めてお話ししているわけですが。そんな古泉のセリフも、まるで壁の向こう側から聞こえてくる音のように、身近には感じられなかった。
「そうすると、どうだったと思いますか?」
 俺は心の中で 「やめろ!」 と呟く。
 想像はついている。予想できることだ。朝比奈さんが、長門が、古泉の問いになんと答えたか。
 だが、その答えを聞いてしまうと、俺の中の不安が一気に肯定されてしまい、嫌な、とても苦しい思いをしてしまうに違いない。
 もう分かっていることだ。もうすでに分かっていることだが、それでも俺は、まだそれを認めたくなかった。
 だから 「やめろ!」 と呟いた。本当は口に出して 「やめろ!」 と宣言するつもりだった。だが、あまりにもそれは弱々しくて……
「もうあなたも想像がついていると思いますが。朝比奈さんも長門さんも。見たそうですよ。僕らと同じ 『夢』 を」
 俺は頭を抱えた。自分の中にありながら目を反らし続けていた嫌悪の対象にスポットライトをあてられたような気がして、思わず目を閉じてしまった。
 一瞬にして夢だと思い込んでいた 「高校卒業後の記憶」 が俺の頭にガスのごとく充満していく。そしてみっしりと充満したガスは、耳から、鼻から、毛穴から、しゅうしゅうと音をたてて漏れていく。
 このガスは呪いのガスだ。浦島太郎が開いてしまった玉手箱から出てきた煙のように、次第にそれは俺の身体を余すところ無く包み込む。やがて、俺は徐々に、いや、むしろ一気に、老化する。
 今この高校生男子の肉体の中に在るのは、さっきまでの 『俺』 ではない。昨日までの 『俺』 だった。

 


 その日、結局ハルヒは放課後まで放心状態のままだった。まるで他人事のように俺に 「今日はSOS団休むわ」 と一言告げ、荷物をまとめてさっさと帰ってしまった。
 不条理な理由で掃除当番を押し付けられたことに対して何の感慨もわかないほど、ハルヒの様子は痛々しいものだった。

 

 それはそれとして、結果的にハルヒがSOS団を欠席してくれたのは都合がよかった。ハルヒ以外のメンバーだけで裏サミット的緊急会議が開けたわけだからな。
 もっと楽しくて心躍るような議題ならみんなハッピーだったろうに。生憎今日の会議の討論の題は最悪に近い物だった。いや、最悪だと言い切っていいだろう。
 なんせ悪夢だと思ってさっさと忘れ去りたかった、喜劇のような暗い未来が現実でした、さあどうする? という内容なんだからな。朝比奈さんじゃなくたって泣き崩れたい心境だぜ。
「これは、あれですね。夏休みの時のように、涼宮さんが何らかの思いを以って、時間を巻き戻してしまったと考えて間違いない事態でしょう」
 古泉に同意を求められ、それに合意する長門。長門がそう言うんじゃ、もう否定できないな。悪夢だと思っていた方が現実で、現実だと思っていた居心地の良い今が夢だったわけだ。泣けてくるね。

 

「僕らに取ることのできる方策は二つあります。一つは何とか力を尽くし、涼宮さんの能力で再び元の時代に戻ること」
 つまり、あの夢を完全に現実として受け入れるということだな。
「そうです。そしてもう一つは、このままあの 『夢』 を夢として忘れ、僕たち自身が進んでこの時間軸に溶け込み、人生をやり直すという方法です」
 それは、あまりにも甘美な提案だった。

 

 人は誰しも後悔をしながら生きている。「あの時ああしておけば」 「あの場面でこう行動していれば、きっと今の俺の人生は」 そんな思いを一生持たない人間が、果たして存在するだろうか?
 今の記憶を持ったまま子供の頃に帰れたなら。その願いこそが人間の持つタイムスリップ願望の原点であり、基本であり、全てであるに違いない。
 朝比奈さんたち未来人は厳しい規則の下、未来世界に悪影響が出ないよう活動している。
 自分の過去を変え、今の自分を少しでも理想とするものに改善しようという個人の勝手な行動を管理するとなれば、きっと俺なんかの想像以上に厳しい戒律が存在しているのだろう。
 だから、こういった時間関係の話なら、エキスパートである朝比奈さんに意見を伺うのが良いのではないだろうか。
「えと、えと、すいません。上の方からは何も指示がないもので……。私も、あの、あの、どうして良いか……その、その」
 ああ、そうか。時間関係の専門家は厳密には朝比奈さんじゃなくて、朝比奈さん(大)の方だったな。朝比奈さん(大)がまだ指令を出してくれないということは、朝比奈さんにはどうしようもないか。
 となれば、次に頼りになるのは長門だ。あまり長門に頼りすぎるのは良くないと常々思っているが、この緊急事態では仕方ない。
「時間を元の時間軸に修正することが望ましいと思われる」
 いつも通りの口調で長門はそう言った。

 

 あの夢が現実であったことは既に受け入れた。本当は受け入れたくないことだが、受け入れないわけにはいかないからな。だから俺はそれを享受した上で、古泉の前者の案を望んでいた。
 理由は先に述べたとおりだ。今の記憶を持って過去の世界へタイムスリップし、もう一度人生をやり直せるなら、これほどおいしい話はない。俺の長年の苦悩と後悔の日々を丸々リセットし、更正の機会を得られるわけだからな。
 だが、やはり人生はそう甘くないということを、長門は淡々と説明してくれた。

 

「涼宮ハルヒが何らかの願望を抱き、時間を過去に巻き戻したことは疑いようのない事実。しかしこの大規模な時間修正は涼宮ハルヒの無意識レベルでの事。彼女が意識して行ったものではない」
 そりゃそうだろうな。こんな大それた事をあいつが自分の考えひとつで起こせるようになったら、世界はメチャクチャになっちまう。
「つまりこの時間軸は非常に不安定であるということ。涼宮ハルヒは元の時間軸に失意を抱いていたわけではない。いつ元の時間軸に戻るか分からない。それは涼宮ハルヒの希望のみによるものであるため、変数的であり情報統合思念体にも予測不能」
 確かにハルヒは元の時間 (今から見て未来) に、必ずしも悲観していたわけじゃないと思う。
 あんな状況 (無職) であったにも関わらず、あいつはいつも前向きだった。過去に戻って人生をやり直したいなんて後ろ向きな発言をしたことはないし、そんなことは考えてもいなかっただろう。
 じゃあ、何故。なんでいきなりあいつは、過去に帰りたいだなんて願ったんだろう。あいつの能力が発動するとなれば、生半可な気持ちで願ったわけじゃないはずだ。
 俺があいつと最後に会ったのは佐々木と一緒にコンビニの前を通りかかった時だったが、ちょっと様子がおかしいかな?とは思ったが、特に思いつめていたというふうでもなかったはずだ。
「我々がこの時間軸に馴染んだ時に突然元の時間軸へ戻る可能性もある。そうなれば時間修正間の僅かなズレが歪となり、世界規模の異常事象を引き起こすことも予想される。この時間軸が定着しないうちに、元の時間軸に戻るべき」
 俺には話の半分以上が理解できなかったが、要するに俺たちに元の20代の大人に戻れと言ってることは分かった。とても残酷で反発したい結論だが、それが原因で取り返しのつかない事態に発展する危惧があるからこそ長門はそう主張しているのだろう。
 俺は自分の人生をやり直したいという気持ちを押し殺し、長門の進言に従おうと思った。それはとても苦しい決断であった。だが、俺はそう決めたんだ。
 けれど、それに従わない主張をする者がいた。古泉だ。

 

「長門さんの仰ることも分かります。万が一の場合、世界規模の混乱が生じる可能性があるということですよね」
「そう」
「しかしそれは涼宮さんが、再び未来の、僕らが元いた時間軸に戻りたいと願い、未来へ向けた時間移動を行った場合のみの話ですよね?」
「そう。数年規模の長期間の時間修正は不安定。涼宮ハルヒが時間修正を行った原因が分からないことも要因のひとつ。何が引き金となってどのような事態が起こるか分からない」
「しかし、それでも涼宮さんは過去へ帰りたいと強く願った。強く願ったからこそ、過去へ戻った。一度願いをかなえた彼女が、再び受難の未来へ戻りたいと願うとは思えませんが?」
 長門はじっと古泉の目を見つめたまま、押し黙った。古泉が何を言わんとしているのかを理解したのだろう。
「元の時間軸へ戻らなければ、世界規模の混乱が起こることもない」

「長門さん。涼宮さんが元の時間軸へ帰還したいと願う可能性はいかほどか、分かりますか?」
「既に言った通り。時間修正の原因が判明しない限り、それを割り出すことはできない。しかし理由の如何に関わらず、涼宮ハルヒが元の時間軸への帰還を望む可能性は低いと思われる」
「ならば、涼宮さんの時間修正の原因を探り、それを成就させてあげれば、元の時間軸へ戻り不測の事態が起きる可能性はなくなるわけですね」
「それは不明。全ては可能性の話。憶測の段階で危険を看過した判断を下すわけにはいかない」
 その後も古泉と長門は差し向かって議論を交し合っていたが、淡々とした中でも白熱するふたりの姿を眺めながら、置いてけぼりにされた俺と朝比奈さんは暗澹とした気分のままお茶を飲んでいた。
 長門は現状を是とせず、元の時間に戻ろうと主張している。古泉は逆に、無理にハルヒの意向に逆らわず、この時代で新たな人生を送って生きたいと主張しているようだ。

 

 非常に重要な話をしていることは分かるのだが、残念ながら俺にはついていけない次元の会話だ。
 だが、それでも、議論に加わることはできなくても。ひとつだけ俺の頭の中に浮かんでいる、主張したいことがあった。
 この議論の采配が長門に挙がろうと古泉に挙がろうと、そんなことは関係ない。もっと大事なことが、他にあるだろうという思いだ。最初は気づかないくらい小さな火種だったが、長門たちの議論が熱を帯びるごとに大きくなってきたのだ。
「ふ、ふたりとも、いい加減にしてください!」
 俺が声を上げて二人の話を止めようとした瞬間、長門と古泉の討議を制止したのは、俺の目の前で真摯な顔つきでうつむいていた朝比奈さんだった。
「元の時間軸に戻るかどうかも確かに大事なことですよ。私たちだけじゃなくて、世界中に関わってくることでもありますから。でも、今はもっと優先するべきことがあるんじゃないですか?」
 朝比奈さんの目にうっすらと浮かぶ涙は、彼女が不安だからじゃない。悲しいから流しているんだ。長門も古泉もそれに気づかず、目先のことばかりを話し合っている。それに気づいてもらえないのが悲しいから、涙を浮かべているんだ。
 朝比奈さんも俺と同じことを考えていてくれたんだと気づいたから、俺は安心することができた。
「そんな話はいつでもできるじゃないですか。そんなことで仲間割れしている暇があったら、みんなで力をあわせて仲間のことを考えてあげるべきなんじゃないですか?」
「いえ、僕らは決して仲間割れしてるわけではないのですよ」
「してるじゃないですか! 古泉くんは後々の身の振り方ばかり気にして、長門さんは可能性の話ばかり。どうして? どうして涼宮さんがこの時代に帰りたいと願ったのかを親身になって考えてあげようとしないんですか!?」
 朝比奈さんの必死な姿に、古泉も長門も声を発することもなく、ただうなだれているように見えた。

 

 そう。今もっとも論議しなければならないことは、今後の俺たちの進むべき方向じゃない。世界への悪影響の可能性でもない。そればかりを意識して、足元のもっと大事なことに目を向けないなんてバカバカしいにもほどがある。
 それらも大事なことだろうよ。俺たち自身の人生に関わる問題だもんな。世界規模の問題だもんな。だが、俺は朝比奈さんと共に敢えて言おう。「それがどうした!?」 と。
 俺の脳裏に、今日のハルヒの姿が浮かび上がる。ボーっとしていて、覇気がなく、空気のようなあいつ。その姿はまるで屍のようで、いつもの活発なあいつを知る俺には正視に堪えないと言っても過言ではなかった。

 

 ハルヒは仲間だ。俺たちの自称上司で、馬鹿なことばかりして、問題を起こして、思いつきで俺たちを奴隷のごとくこき遣う。
 それでも、ハルヒは俺たちの仲間だ。抜け殻みたいなハルヒを見て、それを放置しておくなんてできっこない。
 俺は椅子から立ち上がり、朝比奈さんの隣に立った。

 

 

  つづく

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