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もしかして、キョンは忘れているのかしら? ……どうして気付いてくれないの?
かと言って、自分から要求して厚手がましい女に見られたら嫌だし……もう、あのバカ鈍感男!
◆◆◆◆◆
どうもハルヒの様子がおかしい。
そう思った時にはもうすでに遅すぎたらしいが、俺はそのことに気付きもできなかった。ある男の記念日、3月16日のことである。
昨日の朝、ハルヒと会うとなぜかあいつはそっぽを向き、ろくに会話もできずにいたのだが、また何か気に入らないことがあったのだろうと思い俺は大して気にしなかった。
するとどうだ、今日のハルヒは昨日の表情は一切見せようとせず、ただ机に突っ伏して落ち込み顔をつくっている。
「どうしたんだ」とでも訊こうと思ったが、俺の経験上こういう場合はそっとしておくのが一番だということをいつの間にか知っていたため、今朝も会話は皆無であった。
その旨を古泉に相談しようかと、今日も俺は文芸部室の扉を開ける。
「涼宮さんの様子がおかしい? 一体どういうことですか?」
「言ったまんまの意味だ。とにかく、なんか不機嫌なんだよ」
「それこそおかしいですね。ここ最近、閉鎖空間は生まれていないはずですが……」
「そうなのか?」
だとするとあのへの字眉毛はなんなんだ。
「ええと、一応訊いておきますが。いや、あなたのことなら今回もまた、きっと……」
なんだよ。そんなにもじもじして、お前は職員室に入るのをためらっている内気な眼鏡少女か?
「内気な眼鏡少女枠は長門さんで埋まってますよ。ああいえ、実際のところ彼女はすごく明るい一面も持っていたりして……」
そんな自分の娘のことをとことん良い様に言いふらしてる親バカみたいな口調の自慢話はいい。まあそっちの話に興味がないわけではないが話が脱線しているだろ。
「そうでした。あなたは最近、涼宮さんになにか贈り物をしましたか?」
「……贈り物? いや、別になにも。それがどうかしたのか?」
すると古泉は――両手をあげて肩をすくめるという――見慣れたポーズをして感嘆口調で言った。
「やれやれ……もう、こんな感嘆句しかでてきませんよ。もしかしてわざとやっているんじゃあないでしょうね?」
「なんのことだ」
「僕からひとつ、あなたに課題をだしましょう。それは、明日までに涼宮さんの不機嫌の原因をつきとめて解決することです。いいですね?」
いきなりそんなことを言われても困る。課題なら、数学で出された五十問の数式解きだけで手一杯だ。
「これくらいはクリアしてもらわないとあなたたち2人の先が心配です」
別に心配される義理はないがな。
「そちらになくても、こちらにはあるのです。……おや」
古泉は唐突に目を細めて部室の窓を直視し、
「今日も夕日が赤いですね……」
なんてキザなことを言ってやがり、俺はただやるせない思いを抱えたまま時計を見て、もう下校時間だということを長門が本を閉じる音と共に知ることになった。
「……あら、もうこんな時間ね。今日は解散」
次々と部員が文芸部室を出て行く中、俺は唐突にハルヒに呼び止められた。
「どうした? ハルヒ」
「……え、えっと」
俺は頭上にハテナマークを浮かべて首を傾げる。
「…………ごめん、やっぱなんでもないわ」
そう言って俺の横を通り過ぎるハルヒを、俺はそのままにしておくことができなかった。すぐにハルヒの後を追う。
「な、なんでついてくるのよっ!」
「いいだろ、帰り道がこっちなんだよ」
「だからって、走ってついてくることないじゃないの!」
「ほうっておけないだろ」
「来るなーっ!」
「あ、おい待てっ!」
まるで追われるネズミと追うネコのような構図のまま、俺は下校道を突っ走ることになってそれは結構な時間続いた。とうとうハルヒも息が切れたようで、急に立ち止まる。
「はあ、はあ、はあ……」
「なあ、ハルヒ……怒ってる、のか……?」
「べっ、べつに……そんなことない、けど……うっ……」
「……ハルヒ!?」
その場に崩れ去るハルヒの頭部と堅いアスファルトの接触を、俺が抱きかかえることによってなんとか阻止できた。
「う、ううん……」
「どうした、おい、ハルヒ!」
「なんか……気持ち……わるぅ……」
そのままハルヒはすやすやとあまり危機感を感じさせない寝息をたてて眠ってしまった。
と、とりあえずハルヒの家に運ばなきゃな……ってなんてこった、俺はハルヒの家を知らねえ!
少し揺さぶっても声をかけてもハルヒは起きる姿を一向に見せようとせず、ここで放置するのはあんまりだと考えた俺は悩みの末自分の家に連れて行くことにした。話したいこともあったからな。
◇◇◇◇◇
「う~ん…………あら?」
ここ、どこ? あ、そうだ、あたしは確か下校中に倒れこんで……それに、どこか見覚えがある部屋ね。あたしは誰のベッドで寝てるの?
部屋の扉がガチャリという音をたてて誰かが入ってくることを知らせてくれた。その音をきいたあたしは、すぐに目を閉じてまだ寝ているということを入ってきた『それ』にアピールする。
「ハルヒ、起きたか?」
薄目を開けて、あたしに語りかける声の主を確認する。やっぱりキョンね。キョンがここまで運んでくれたんだとしたら……これはキョンのベッド? あいつ、あたしに変なことしてないでしょうね。
「……まだ起きないか。さて、着替えるかな」
そう言うとキョンは制服を脱いで、そのままYシャツを……ちょ、ちょっと、女の子の前で何脱いでるのよ! あ、あたしは寝てることになってるんだっけ。
「寝てる、よな……」
キョンのやつ、けっこういい背中してるじゃない。ああえっとそうじゃなかった! キョンが制服のズボンに手をかけたところで我慢できなくなったあたしはキョンの着替えを制止させる。
「ま、待ってよっ」
「ん? うお、起きてたのか?」
「今起きたのよ」
「そうか」
「と、とりあえず服着てよ」
キョンはそそくさと洋服を着てから、
「さっきはどうしたんだ? 見たところ熱はないようだったが」
「ちょっと体調を崩しちゃったのよ。でも一眠りしたら治ったわ」
「それならいいんだが……でさ、ハルヒ」
なによ、深刻な顔しちゃって。
「今日と昨日、お前の様子がおかしかった様に俺は見えたんだが、気のせいか?」
「えっ?」
……そうだ、あたしは昨日まで怒ってた。でも今朝になったら一気に悲しくなって……そう、全てはキョンが、キョンがホワイトデーのお返しを忘れてるからよ。でも、そんなことあたしの口からなんて言えない。
でも、なぜだか今は清清しい気分ね。そんなこと、どうでもよくなっちゃった。……イイモノも見れたし。
「もう、いいんだけどね」
あたしは上体を起こして続ける。
「あんたがその、お返しをくれないからちょっとイライラしてたってわけ」
「お返し? ……何のだ?」
「3月14日。……ホワイトデー」
キョンはまるで名案が浮かんだ開発者のように頭上に豆電球を出して手をポンと叩いた。
「贈り物ってのはそれのことだったのか……!」
なんのことだが知らないけど、でももういいのよ。別に期待なんかしてなかったし……
「そういうわけにはいかないさ。お前が望むものをプレゼントさせてもらうぜ」
「い、いいんだってば、本当に」
「遠慮なんてお前らしくないぞ?」
……なんだかキョンのやつ、生意気ね。でも、悪い気はしない。
「そ、それじゃあ」
あたしは自分でも顔が赤くなっていくのを気付きながら、言った。
「ちゅー、してよ」
◆◆◆◆◆
とんでもないことをハルヒは言いのけた。なんだって? こいつ、頭のギアが何個か欠けているんじゃないだろうな。あのハルヒがちゅーをしろだと? ……ははーん、これは何かの策略か。きっと何か裏があるに違いない、違いないのだが……真っ直ぐに見つめられるとそう思うわけにもいかないか。
「……気は、確かか?」
「だ、だめならいいわよっ、そのかわりお返しは100倍にしてもらうからね!」
それはきついな。しかたがない、葛藤してる余地はあまりなさそうだ。
「いくぞ、ハルヒ」
「えっ」
俺はハルヒの体を引き寄せ、やや強引に唇を交わした。
…………
しばしの沈黙が訪れる。それを打ち破ったのは今にも噴火しそうなほど顔を真っ赤に染めたハルヒのほうだった。
「あっ、そういえば!」
どうした?
「なんか忘れてると思ってたんだけど、今それを思い出したのよ! 今日、鈴木さんの誕生日だった!」
「鈴木さん?」
「ほら、あの映画に出演してくれた、八百屋さんの鈴木雄輔さん!」
名前まで覚えてはいなかったが、その説明でならなんとか理解できた。あの人ね……で、まさかとは思うが。
「祝いに行くに決まってるでしょ! ほら、さっさと支度しなさい!」
行くと言ったらきかない団長さんに手を取られ、俺は商店街にある鈴木八百屋に連れて行かれた。
「おっじさーん! こんにちはっ!」
「おう、ハルヒちゃんかい? また大きくなってえ」
ハルヒと鈴木さんとの間にはそれなりの所縁があったのか? しかしあの頃会った時とは別に身長もさほど変わらないと思うが。精神的には大きな成長を遂げたけどな。
「実はね、今日はハッピーバースデイを言いに来たの」
「それはそれはあ……ありがたいこったねえ」
本当にありがたそうな顔で俺とハルヒを一瞥した鈴木さんは、野菜が並んでいる棚から何個かを取り出した。
「ほらっ、こいつはお礼だ! 母さんにプレゼントしたらきっと喜ぶぞっ?」
「さすがおじさん! 太っ腹ねっ!」
この2人、いいコンビかもしれない。なんというか性別は違えど種類が同じって感じがするな。根本的なことは違っているのは確かだが。
大きいキャベツを1個ずつもらった――もう少しコンパクトなのが良かったのだが――俺たちは別れの挨拶もいいとこに、それぞれの帰路に戻ることにした。
「お揃いねっ、キョン!」
野菜にお揃いもなにもあるものなのか?
「あるわよ、同じキャベツじゃないの」
まあそれはそうなんだが……
「じゃああたしこっちだから。また明日ね、キョン!」
そう言い放ったハルヒはキャベツを両腕に抱えながら颯爽と走り去って行った。
やれやれ。なんとか課題はクリアだな、古泉。やる気も出てきたし、早めに数学のほうも片付けるとするか。
俺はいつになく軽い足取りで、家までの道のりを歩むことにした。……ハルヒとお揃いのキャベツを抱きながら。
ホワイトキス end
……これは、望月健一さんの誕生日に掲載させていただいたSSです。
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