『涼宮ハルヒのあの日』

 

 

朝からなんとなくいつものハルヒのパワーが感じられない。触らぬ神に祟りなし、急がば回れ、こんな日はとりあえずそっとしておくに限る。そんなわけで、掃除当番のハルヒには一声だけかけて、俺は先に部室に向かった。

ぽかぽかと暖かい小春日和、俺は朝比奈さんのお茶をありがたく頂きながら、いつもの場所でいつものように読書にふける長門の姿をなんとはなく見つめていた。やわらかい日差しの縁側で、息子の嫁が淹れてくれたお茶をすすりながら、読書中の孫娘の姿を、思わず目を細めて見つめる爺さんにでもなった気分だ。

 

そんな、のほほんとした気分に水を差すのは我らの団長様だ。

「うぃーす……」

と、ドアを開けて部室にやって来たが、やはり声に張りが無い。

よっこらせ、という感じで団長席についたハルヒに気づいた朝比奈さんが声をかけた。

「あれ、どうしたんですか、涼宮さん?」

「うーん、みくるちゃん、とりあえずお茶ちょうだい」

「はいはい」

お茶の用意を始めた朝比奈さんに向かって、ハルヒは続けた。

「朝からお腹が痛いのよ、きついわぁ……生理痛」

「ほえっ!?」

朝比奈さんはびっくりして目を白黒させて振り返るし、俺は思わず飲みかけたお茶を吹き出すところだった。あの長門でさえ本から顔を上げて瞳をくりくりさせているようだ。

「なんか、今度はひどいのよ、痛くて、痛くて」

と、ハルヒは右手でお腹をさすりながら、

「もうね、子宮取り出して、ごしごし手洗いして天日で干してね、で、元に戻せたら、どんだけ気持ちいいだろうなーってね……」

力なく微笑むハルヒ。

「干すなら天日でなく陰干しの方がいい」

そうだな、長門、確かに天日だと縮みそうだ、って、なんなんだ、その妙に生々しい会話は。

そんな話は女同士の時だけにしてくれよ。同級生の男子の前でするもんじゃない。朝比奈さんだって困っていらっしゃるじゃないか。

「ハルヒ、お前俺がここにいること気にしてないだろ」

「何言ってんのよ、こっちは、それどころじゃないのよ、お腹痛くて」

長門は、既にわれ関せず、とばかりに元の読書体勢に戻っていた。

「みくるちゃんは、生理痛ひどいことはないの?」

「あ、あ、いや、あの、私は……」

朝比奈さんは真っ赤になって俯いている。そりゃそうだ、これが普通の乙女の反応だ。

「キョン、あんた何とかしなさい」

「俺に何とかできるわけないだろ」

「もう、肝心な時に役に立たないんだから」

「……何とかする方法はある」

長門は本に目を落としたまま淡々と言葉を続けた。

「痛みの元となる生理をなくすには妊娠すればよい」

瞬間、部屋中の空気が固まった。長門、いま何と?

 

一呼吸おいて、ハルヒが空気を動かし始めた。

「ははは、それはいい考えだわ、さすがね有希!」

ハルヒは視線を長門から俺に向けると、ズバッと言い放った。

「キョン、あんた私を妊娠させなさい!」

うわっと、手にしていた湯飲みを落としてしまったではないか。

「ハ、ハルヒ、お前、な、何をいいだす……」

「なに、あたふたしてんのよ、ほら、みくるちゃん、ふきんふきん!」

ええい、机の上がお茶だらけではないか。きゃぁ大変! と声を上げながら朝比奈さんが、ふきんを持って俺の隣に飛び込んできた。

「じょーだんよ、冗談。まぁ、確かに妊娠したら生理はこないけど、あたしは、まだ、あんたの子供を身ごもるつもりはないわよ」

黄色のカチューシャを揺らしながら、ハルヒは、俺と朝比奈さんが机の上のお茶をふき取っている姿を満足げに眺めている。お前も手伝え。

「有希のジョークで馬鹿話したら、ちょっと痛みもまぎれたわ、ありがとね、有希」

長門が言うと冗談には聞こえないのだがな。でも、ひょっとすると長門流ジョークだったのか、もしかして? そんな長門は本から顔を上げようともしなかった。

「どうも、遅くなりました……おや、室内の空気の流れが変ですね。何かありましたか?」

古泉、タイミング悪いぞ。

 

 

その後は、いつものSOS団の活動だった。朝比奈さんが淹れてくれたお茶をいただきながら、ハルヒはネットサーフィン、長門は読書、俺と古泉は原点に帰ってオセロに興じている。

俺が3連勝したところで、ハルヒと朝比奈さんは湯飲みやらポットやらの洗い物をするために部室を出て行った。4戦目も終盤にさしかかっているが、やはり俺が優勢だ。

 

「そういえば、僕が来る前にどのような会話があったのですか?」

白のコマを置いた古泉が2つばかり俺の黒のコマをひっくり返しながら語りかけてきた。俺は、ダイジェストであの会話の内容を説明してやった。

「……ということさ」

「はは、さすがは涼宮さんですね」

いつものスマイルを振りまく古泉を横目に、俺は黒を隅に置いて白を4つばかりひっくり返しながら、

「ハルヒは、まだ子供は作らんそうだ」

と、説明を締めくくった。

「正確には、『あたしは、まだ、あんたの子供を身ごもるつもりはないわよ』と言った」

唐突に長門の声が届いて、俺と古泉は思わず声のした方向に振り返った。長門は、うつむいて本の方に集中したままのようだ。

「ほう、涼宮さんは『まだ、あなたの子供を……』とおっしゃいましたか」

古泉は自分の最後のコマを置いて黒をひとつ裏返した。

「なんだ、何が言いたい?」

「いえ、『まだ』というのは『いずれそのうちに』ということの現れですね」

「ふん、単なる言葉のアヤだろ」

最後の俺のコマを置く。2つを黒にして4連勝。

「そうかも知れませんし、潜在的な願望が吐露されてしまったのかも知れません。涼宮さんの力をもってすれば、知らないうちにあなたが父親になっている可能性も否定できませんよ」

そんな恐ろしいことは言うな、古泉。

「あははは、冗談ですよ。以前にもお話したように、涼宮さんは至って常識人です。いくらなんでもそんな無茶なマネはしないはずです」

「そうあって欲しいね、まったく」

 

俺は勝敗表に新たな勝星を書き加えながら、長門に声をかけた。

「なぁ、長門、あんまりハルヒに変なことを吹き込んでくれるなよ」

少し顔を上げて首肯する長門。

「……ひょっとしてハルヒの言うようにお前流のジョークだったのか?」

長門は、ほんのわずかに首を傾げて相変わらずの無表情で俺を見つめている。しかし、俺の脳裏には、いたずらっぽく微笑んでチロッと舌を出す長門の姿が浮んで消えていった。

 

Fin.


|