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「没ね」
 団長机からひらりと紙がなびき、段ボール箱へと落下する。
「ふええ……」
 それを見て、貴重な制服姿の朝比奈さんが嘆きの声を漏らす。
 学校で制服を着ているのが珍しく思えるなんて我ながらオカシイと思うが、普通じゃないのはこの空間であって、俺の精神はいたって正常だ。
「みくるちゃん。これじゃダメなの。まるで小学校の卒業文集じゃない。未来の話がテーマなんだから、世界の様相くらいは描写しなきゃね」
 ハルヒの言葉に朝比奈さんが思わずびくりと反射するが、ハルヒは構わず、
「流線形のエレクトリックスカイカーが上空をヒュンヒュン飛び交ってるとか、鉄分たっぷりの街並みに未来人とグレイとタコとイカが入り混じってるとか。そーいうのがどんな感じで成り立っているのかをドラマチックに想像するの。将来の夢なんかどうでもいいのよ。それにドジを直したいだなんてあたしが許可しないわ。よってそれも却下」
 グレイは未来の人間だって説もあるんだから、下手するとその未来は単に魚介類が陸上歩行生物に進化しただけの世界になるかも知れんぞ。まあ、どうでもいっか。
 ハルヒは朝比奈さんに対し一通りダメ出しを終えると、ふてぶてしく頬杖をついてピッと朝比奈さんの指定席であるパイプ椅子を指さし、そこに戻ってもう一度やり直しという指令を無言で示した。
「うう」
 朝比奈さんがカクンとうなじを垂れる。
 それはハルヒの電波な未来観にへこまされているわけじゃあなく、いや実はそれもあるかも知れないが、今はもっと別の理由が考えられる。それはリテイクの厳しさを三倍程度にしちまう理由だ。
 指示を受けてずるずると定位置へと引き返す朝比奈さんの後姿を見送りながら、ハルヒは団長机をパシンと叩き鳴らし、
「ちょっとみんな! 今回はノルマも少ないし、ページ数だってやたらになくてもじゅうぶんなの! 気張りなさい!」
 俺はやや不機嫌なトーンを呈したハルヒの叱咤を半身に受けながら、パソコンを挟んで対面している古泉へと鋭利にこしらえた視線をありったけ突き刺し、それを受けた古泉は苦笑しながら、予想外でしたという陳謝を俺にアイコンタクトにて返信する。




 しかし、これまた困ったことになっちまった。
 ハルヒの腕章に黒マジックでしたためられた文字が今は何を表しているのかもう分かっている頃だと思うが、現在の涼宮ハルヒの役職は編集長である。
 それはまさに肩に書かれているだけで、自称以外の何者でもないのは既に周知の事実であろう。
 とゆうか、打ち上げ花火のような事件のときに作ったその布切れをよっくぞまあ今まで保管しといたもんだ。俺としてはそれが再び陽の目をみることなく、そのまま日に焼けない様に永久保存されといて欲しかったね。今からでも遅くないぞ。ついでにSOS団の皆が抱えてるトラウマも一緒に凍結しといてくれ。
「……それも良いかもね」
 カチリ、何か良からぬものを踏んじまった音がした。
 幻聴であって欲しいと俺の耳は切に願ったが、
「そうだわっ! SOS団の偉業を未来人に知らしめるために、あたしたちの功績を遺産として残すのよ! 今回の詩集だってもちろん入れなきゃね!」
 俺の目は、今にも花びらが炸裂しそうなハルヒスマイルを映していた。
「何にだよ」
 わかっちゃいるがな。一応。
「タイムカプセルに決まってるじゃない!」
 ハルヒは色めきたって、やけに懐かしいワードを口に出した。
 まあ正直なところ、俺もその計画自体に物言いをつけようとは思わん。が、それにはこれから書かされるであろう詩集は入れないぜ。
「なんでよ?」
「なんでだろうな」
 そんなもん決まってる。他動詞的に作られたポエムがまともな形を成すとは思えんからだ。
 それに前回の機関誌ならハルヒの論文が未来人にも有用だそうだからまだいいものの、今度の詩集ばっかりは後世の人間が見たところで「こいつぁクレイジーなヤロウだ!」とかいった驚嘆句しか出てこないだろう。未来に欧米かぶれがいるかは知ったこっちゃないが、無駄な驚きで寿命を無為に減らすのは気の毒である。なので、出来上がった詩集は俺が墓場まで持っていこうと思う。
「…………」

 ――何だか長門の無言が聞こえた気がした。気のせいか?

「ってゆーか、そんなことを話してる場合じゃないでしょうが!」
 ハルヒが不機嫌を取り戻す。それもやるけど、と続けて、
「みくるちゃんは受験生だし、あたしたちもボヤボヤしてらんないでしょ。学校があわただしくなる前に今年分の会誌は急いで仕上げないと困るの! これにつまずいてる様じゃ、これから先の団の活動に支障がでちゃうじゃないっ!」
 一見まともなことを言っているようだが、よくよく考えればSOS団本位でしかない主張を団長もとい編集長はがなりたてている。




 ――と、ここで一度、現在の俺たちの状況を整理しておこう。
 場所はもちろんSOS団本部兼文芸部室である。
 時の頃をおおまかに言うと、朝比奈さんが受験生なので俺たちは高校二年生ということになり、もう少しばかり掘り下げると一学期の初頭で、その時期に俺たちは二回目の機関誌の製作に取り掛かっているってわけだ。
 我らが北校の学校方針から考えるにそれだけでも十分全員が忙しい身の上であることは想像するに難くなければ、朝比奈さんにとっては未来に帰りでもしない限り、この世界で生きていく上で至極当然にリテイクを重ねられている暇などない。
 更に悩みの種となっているのが、今回の機関誌の企画である。
 詩集だって? 冗談じゃないぜ。
 そんなら前回の小説の方が幾分マシだったねと言えるもんだ。
 それに古泉、こないだまで俺たちゃあ結構奔走してただろうが。イベントのスパンが短か過ぎる。
 俺の視線に込められたそんな訴えを古泉は受信し、窮したように顔を苦ませる。なにか含む所がありそうだ。
 ついでに俺たちがどんな奔走をしていたかと言えば、俺の旧友である佐々木との再会、そしてSOS団とは別種の異能、異性質な輩たちとのいざこざや、長門の病気だ。
 長門が学校を病欠したとき、一時は天蓋領域とやらの侵攻を受けたのかと心配したのだが、本人いわく只の風邪だったらしい。そうは言っても、長門がウイルスですらも無い下等な雑菌に敗北を喫すること自体異常事態であるのに違いないのだが。
 しかし何も知らないハルヒからしてみればそれは正常な状態異常でしかなく、俺たちにも懸念を抱く以上のは出来そうになかったので、長門には一般的な病人に対する普通レベルの介抱を行うことにした。
 皆の心配を一身に受ける長門は、
「何か食べたいもんでもあるか?」
「お寿司」
 などといった要求はしなかったが、心なしか、守られる側に立った状況を存分に味わっているようだった。
 そしてハルヒは泊まり込みで看病するとガヤいだのだが(俺もそれには賛成だったが)長門の強い希望により、俺たちは日付が変わる前には渋々と部屋を出ることとなった。
 そして何故か帰宅の途につけという要求は朝比奈さんに対して特に強かったようで、
「特に朝比奈みくる。あなたは早く帰って」
 という言葉も賜った。
 ……流石にショックだったせいか、次の日の朝比奈さんの挙動はかなり変だった気がする。
 しかしまあ、既に出揃っている特殊な奴らは倍になったというのに、一向に異世界人は姿を見せんもんだ。
 とは、俺が異種SOS団との諍い時に漏らしてしまった、会いたいという願望とは違った意味の言葉だ。
 そのときの俺の言葉に対し、古泉は「もしかしたら、既に異世界人は僕たちと邂逅を果たしているのかも知れません」ときた。どういうことかと尋ねれば、
「異世界人は、異世界に存在することによってその定義を満たします。しかし、例えば未来人は時間を操作することよって、宇宙人は未知の知識によって、そして僕などは超能力の行使によって己の存在をより明確なものにしますが、異世界人はただ異世界から訪れたというだけで、僕たちにとって普通の人間以上の存在には成り得ない可能性があります」
 もっとも、それが一般的な人類ならばの話ですがね。と続けて、
「なので、むしろ既にこちらの世界には別の世界へと渡る能力を持った者が存在し、そしてその者は、僕らの関知し得ない世界でSOS団に尽力しているのかも知れません。今の僕たちが存在するのも、その人物が異世界で頑張ってくれているからなのかも知れないのです」
 つまり異世界人は異世界で頑張っているということなんだそうな。
 どっちにしろ推察の域を出ない話だし、仮に現実だとしてもそれは認識の外だ。
 まあ、もしそれが本当なら、一度は会ってみても良いかも知れん。
 何だかんだいって、俺はハルヒが作ったSOS団とこの生活を気に入ってるんだからな。
 そして異世界人が俺たちと同様同等の苦労をしているであろうことは身を持って分かることなんだし、俺が感謝の意を唱えてその苦労をねぎらっても悪くはあるまいて。




 っと、話が脱線気味になっちまった。その軌道修正も兼ねて、少し時間を遡って今回の事の起こりから辿っていってみることにするか。
 それでは回想列車、レッツゴー。



 ………
 ……
 …



 放課後の文芸部室。佐々木たちとハルヒ以下俺たちとの一件も多少の落ち着きを見せ、俺たちSOS団全員が比較的普段通りの活動に従事していたときだった。
 コンコン。
「失礼する」
 扉をノックする音が聞こえたと思いきや、返答を待たずにすらりと長身な眼鏡の男とそれに伴う女性、つまり腹づもりの黒い生徒会長と喜緑さんが部室へと進入してきた。
「なにしに来たのよ。なんか文句でもあんの? 勝負事なら喜んで受け取るけどね」
 生徒会からSOS団に対する文句などは重々にあるだろうし、勝負を受諾されても困る。
「ふん」
 会長は入り口に立ったまま、
「君に対する苦言なら山のように持ち合わせているが、生憎そのようなものを言い渡しにこんな辺境までやって来る程私は暇ではないのだ。今日こちらへ足を運んだのは他でもない。一つ気になることがあるものでな」
「なによ。言ってみなさい」
 ハルヒの方が偉そうなのは毎度のことだ。
「どうやら文芸部には新入部員が居ないようだが、その分で今年度の文芸活動は一体どうするつもりなのかね?」
「は?」
 とは、俺の口をついて出た言葉だ。
 ……以前にも、生徒会から文芸部的な活動を求められたことはあった。
 それは文芸部およびSOS団潰しのある意味で真っ当な思惑によるものだったのだが、しかしてその実態は裏で古泉が根回しをしていたことによって発生したイベントで、しかも既に事の収まりを見ているはずだ。
 それに文芸部部長の長門だって、新年度のクラブ紹介で分かる人が聞けば見事なのであろう論文を発表しているんだし、文芸活動はそれでオールクリアーにしときゃあ通るだろう。いいじゃん、それで。
 しかもこれから進路の話やらで忙しくなるっちゅうのに、また機関誌でも発行しろとの一言が発せられるものであれば、ものの見事に層の薄いSOS団はペシャンコになっちまうぜ。本当に俺たちを潰す気か? 会長は。
 そう思って俺は古泉に目配せしたが、何故だか古泉もハンサム顔に微小な驚きの色を浮かばせていた。
 これは成り行きを見守っていくしかないなと思い、俺はそれ以上言葉を作らなかった。
「もちろん会誌を製作するわよ」
 ハルヒは元から俺たちを潰す予定だったらしい。
「いや、それはもう良い。今回文芸部には、来年度用の我が学校のパンフを製作して貰おうかと思っている。潤沢に割り当てられた部費が、不明な団体の意味不明な活動で消費され尽くしてしまってはかなわんからな。それにこの時期は私も色々と忙しい。それもあって、例年は生徒会執行部が製作している学校案内書を君らに一任してみようとなったわけだ」
 なるほど。来年用のパンフなら時間だって十分あるし、写真を切り貼りして文章をとってつければいいようなもんだから、苦になるほどじゃないだろうな。それで部費の分配に対する大義名分が得られるのなら、こっちの精神衛生面的にも好都合だ。まともに頑張っている他の部活動員に対し、多少は後ろめたさを感じることがなくなって良い。
「そんなのあんたたちでやってなさいよ。あたしたちもヒマじゃないの。もう会誌の内容も決めてあるんだから」
 どうしてもハルヒは俺たちを潰したいらしい。
「まあ……キミたちが自主的に活動を行うと言うのなら、こちらはそれでも構わん。しかしそれが口からでまかせであった場合、私にも存在しないはずの団を抹消するための手間が生じてしまうのを覚えておくといい。そうだな、一度企画書を作成して明示して貰おうか。今から生徒会室まで来たまえ」
「ヒマじゃないって言ってんの! 無駄な心配してる余裕があるんだったら、あんたがここに書類持ってきなさいよ!」
 どう考えても生徒会長の方が多忙を極めているはずであろうが、俺は別に会長の擁護をするわけもなく。
「何を言っているんだ君は。私は文芸部部長を呼んでいるのだ。部外者は口を挟まないでくれたまえ」
 と……珍しく喜緑さんが長門に合図し、長門は生徒会長についていく。
「ちょっと、待ちなさいってばっ!」
 二つのハリケーンが合流を果たしたかのような勢力で、会長の後姿をハルヒが追う。
 おかげで残された俺たちと部室はいやに静かだ。
 しかしまあ会長。企画書なんぞ出さなくたって、あの団長殿が言い切ったことが実行に移されるのは確実なんだがな。悲しいくらい否が応にも。
「おや、どうしたのですか? 何か他に用事でも?」
 ん? 何故かまだ部室には喜緑さんが残っている。
 前回の佐々木団との一悶着の際、病床に伏していた長門の代わりに我らSOS団の宇宙人ポストに入って奮闘してくれたので多少の親睦はあるが、
「すみません。実は、お話しておきたいことがあるんです」
 身の上話でもするのだろうか? 喜緑さんが部室に取り残された朝比奈さん、古泉、俺に対して言い放つ。
「まずは長門さんの能力が弱体化している件についてなんですが、それは彼女と思念体との接続が弱まってきているためだと考えられます」
 ――長門が自分でも制限をかけちゃいるが。
「ほう。しかし何故、長門さんと思念体との接続状況が芳しくないのですか?」
 こういう説明を受けている時なんかの古泉の返答は助かるな。
 喜緑さんは続けて、
「はい。実は、わたしたちのようなインターフェイスには上の方から一つ禁令が下されているのですが、その禁令に長門さんが少しずつ触れてきているがゆえに、思念体から敬遠されているみたいなんです」
 どんな禁令を……ん? そういえば以前に長門から聞いた記憶がある。
「確か、死にたくなっちゃいけないってやつでしたっけ」
 そのまま俺は疑問も口に出す。
「長門がですか? 俺にはそんな風には……むしろ、生き生きしてきたように感じますが」
 そうだ。長門の鉱石の様だった瞳にも、だんだんと血が巡り出してきたかのような、柔らかさと温かみが度々見受けられるようになってきていた。春休みの映画撮影(予告編のみ)の最中なんか、長門的には最高にハッチャケていたような様だったぜ。死にたいなんて、そりゃ相反してる。
「死にたい、ですか。それはまたどういうお話なのでしょうか?」
 確か、アポだかネクロだか、自殺因子って単語もあったかな。
「ふむ……PCD、のように聞き受けられますね」
「古泉。いったい何だ? それは」
「例えば生物の進化の過程において、あらかじめ死が決定された細胞のことです。オタマジャクシの尻尾が、カエルへと変態する際に失われるといったような。その例のようにPCDはむしろポジティブな細胞の消失ですし、これが行われなければ僕たちにも手指などのパーツが形作られません。これをアポトーシスと言います。このように細胞の自殺が計画的に行われる、それがプログラム細胞死なのです。他にもネクローシスという、」
 よし解らん。次へ行ってくれたまえ。
 喜緑さんが古泉の言葉を受けてコクリと頷き、
「わたしたちインターフェイスは人類と同じ物質で構成されています。我々が死ぬような事態は殆どないのですが、有機的な活動を行う過程によって死の概念が組み上げられてしまうといったことなどが憂慮されます。思念体は元より死の概念を持ち合わせていないので、わたしたちによって情報構成に自殺因子が紛れ込む可能性をひどく嫌っているんです。恐らく、良い変化は期待されませんので」
 ニコリと笑って、
「ゆえに、わたしたちは死を思うことを禁じられています」
 うん。長門の話もたしかそんな感じだった。
「なるほど。情報統合思念体は群体のような性質を持っていると思うのですが、多細胞生物に見られるPCDにも一応の懸念を発起させている訳ですね」
「そんなところです」
 喜緑さんは続けて、
「あと、先日の長門さんの不調は病気などではありません。おそらく、上の方と何かトラブルがあったのだと思います」
 まあ、原因が周防九曜じゃないならそんなところだろう。俺は得心したように頷いて、
「して、そう思う理由は?」
 と質問した。喜緑さんは微笑を消し、
「……あの日以降、長門さんと思念体との接続が異常なほど軽薄なものとなっているからです。なので、今の長門さんには殆ど力の行使が認められていません。皆さん、どうか長門さんをよろしくお願いします」
 無論だね。むしろ注文を受ける前から走り出してる程に気をつけてるさ。
「ありがとうございました、喜緑さん」
 俺の言葉を最後に、喜緑さんはぺこりと退室の礼を尽くし部屋を退出した。
 そして閉められた扉は程なくしてドバン!と破裂音を上げ、
「おっまたせー! 勢いで計画進めてたら、こんななっちゃった! まぁ、善は急げ!美味しいものははやく食え! ってことでいいわよね! 明日の団活からさっそく原稿の執筆に取りかかるから、みんな楽しみにしてなさい!」
 そう声高々と宣言するハルヒの後には長門の姿があり、ハルヒが右手で俺たちへと提示する紙には、


『企画内容:詩集。上稿予定:今週中』


 というデススペルだけが書きなぐられていた。
 俺には、最早それが死神との契約書にしか見えていなかった。




 そんなこんなでやっと次の日になったかと思やぁハルヒは、休み時間が来るたびに何やらハサミで紙をショッキリショッキリいわせていた。
 一体お前は何やってんだと聞けば、
「ひみつ! 放課後まで待ってなさいっ!」
 と、ニカリとした笑みを作りながら溌剌と意気の良い返事をするばかりだった。
 恐らくハルヒは俺の妹のようにハサミを装備することで破壊衝動を満たす化身へと変貌しているわけでなく、なんらかの創作活動に勤しんでいるのだろうから、折角だし作品の完成まで楽しみにしておくか、と俺は自分の席にいるときも心して後のハルヒへ目をやらずにいた。
 そうなると俺はこれといってやることもないので、隣の窓越しに広がる過剰に陽気の良い春模様の空を見やり、その余った陽射しを我が身に受けて体内に貯蓄し、無駄に消えゆくエネルギーを減らそうといった仕事に献身していた。
 ああ、春ってのはなんでこんなにも素晴らしいのだろうね。爛漫。




 そして放課後、文芸部室にて。
 朝比奈さんは俺たちにお茶を配膳する業務を終え、既に部室の風景と化していた。長門は最初から風景だった。
 部室なら長門に何事もなかろうと、俺はいまだ姿を見せぬハルヒを待つ事もなしに古泉とヘブンオアヘルという創作トランプゲームに興じていた。
 どんなゲームかと言えば、最初から片方がジョーカーとエースを手に持ち、相手をかどわかしながら選ばせるといったもので、つまり二人で行うババ抜きの最終決戦だけを抽出しただけである。これは経験によって無駄を省かれた。
 しかし、単純なゲームをいかに楽しく行うかというテーマに沿って繰り広げられる熾烈な心理戦も、単純作業の繰り返しには飽きが来るという人間の心理の前には立つこと敵わず、また古泉も俺に敵わず(逆にやり込められている感がないとも言いがたいが)いつの間にか俺たちのやっていることはカードを弄びながらの雑談へと変わっていた。
「しっかしハルヒの奴、何でまた詩なんかに興味を惹かれたんだろうな。俺たちが詩なんか嗜んだ所で、痛い目と身悶えするような駄文を見るだけだろうに」
 古泉はカードを四隅の一点だけで倒立させようと試みながら、
「そうでしょうか。感性多感な時分の僕たちの心模様を紙へと投影してみることは、未来の自分がそれを見た際に、その時代の感傷を想起さし得る貴重な宝物になるのではないかと」
「どうだか。次の朝にでも目が覚めたら、貴重な資源をゴミに変えてしまったってのに気がつくだろうぜ。その後に色んな意味で後悔するだけさ」
 実体験ですか?という古泉からの質問に対し、俺は見聞きした深夜のラブレター作成理論の応用だと答えておいた。
「それはさておき、今回涼宮さんが機関誌の内容に詩集という形を取ったのも、受験生の朝比奈さんや僕たちへのちょっとした配慮なのかも知れませんね。詩なら、文量が少なくて済みますから」
「それこそ問題だ。少ない文字で成り立たせにゃならんから、構想に余計時間がかかる。それにどんな詩を書くのかも考えにゃならんから、よほど手間だ」
 ズバン!
「待たせたわねっ! みんなは一秒が千秋に感じる程に待ちわびていたことだと思うわ! 今回も時間がないから、みんなの詩のテーマはコレで決めちゃいましょうっ!」
 心臓を打ち抜くような音を鳴らしてハルヒが扉を押し開いてきた。
 驚きの眼を配る朝比奈さんとハルヒの途方もない思い違いに呆気に取られている俺に、ハルヒは何やら励んでいた創作活動の賜物と思われる物体を、左手で作ったOKサインのOを示す指に挟んで見せびらかしていた。
「サイコロ、ですか?」
 多分古泉の質問はその通りの答えだろう。
 俺にも、それは三角形の紙を八枚セロハンテープで繋ぎ合わせて作られたフローライトナチュラル八面体に見える。
「そっ。特にキョンなんか書き始めるまでにも時間かかりそうだから、今回も内容はアトランダムに決めるわっ! キョン。雑用でしかないあんたのために労を負った団長様に感謝しなさいよね!」
 先程の俺の言葉を見れば感謝すべきであろうが、アトランダムの偶然性に対し不満があったので「すまんな」という謝辞にて言葉を終了した。
 ハルヒはフッフンと得意げに天井へと高々にサイコロを掲げ、
「それぞれの面にお題が書いてあるから、これをホイコロリンッって投げて出たヤツを詩の内容にすること! 異議があるなら言いながら投げるといいわよ。そして忘れちゃいなさいっ!」
 俺には言い捨てる言葉もないが、
「しかしまた何でサイコロなんだ? わざわざ紙を切ってゴミを増やさずとも(そして作らずとも)、前みたいにくじ引きかアミダで決めりゃ良かったじゃないか」
 という小さな疑問を投げかけた。
 それを聞いたハルヒはチッチッっと右手の人差し指をメトロノームにしながら、
「それじゃバラエティに貧するってものよ! SOS団たるもの、些事の決め方にも広く手をのばしていかなきゃ! そして、ゆくゆくは世界の森羅万象を掴み取るのよっ!」
 グッと決めポーズ。ハルヒは今日も絶好調なようである。ま、絶不調でなくて何よりだろうね。世界の平和的に。
 だが、恐らくこのネタは外部から、というかテレビから受信して閃いただけだろう。
 と、俺は手元に落とされた八面体ダイスを見ながらそう推察してみた。
 何故かと言えば、サイコロのやっつの面に書かれているワードはそれぞれ


『私の詩』『未来予想図』『恋の詩』『本音の詩』
『元気が出る詩』『褒められた詩』『失敗した詩』


 とあり、後半のテーマが若干日本語として妙なのはハルヒに国語力がないからではなく、お昼の某テレビ番組で転がされているサイコロに書かれた『~話』をそのまま詩という言葉に変換したせいだと思われるからだ。
「じゃっ、順番は団への貢献度が多い人からね! 序列は大事よ! 大きな組織の中では特にねっ!」
 じゃ俺からでいいだろ。
「なんでよ? はいっ! 最初は副団長からっ」
 SOS団は小規模だから、と説く前に、ハルヒはひょいと俺の手からサイコロをつまみ取り、流れるような動きでそれを古泉副団長へと手渡した。
 古泉は卵をのせるような手の平の中でそれを弄び、
「さて、なにがでるかな?」
 合唱しようと思ったが、古泉が出す目は大体の予想が立つし、多分予想通りである。
 スマイル仮面の古泉のテーマは多くて二択であり、およそ『私』か『本音』だと、
「……おやっ?」
 俺と古泉が思わず言葉を漏らす。
「褒められた詩、ですか。僕が以前に書いたポエムの傑作を載せるということでしょうか?」
 書いてる姿も含めてそれも見てみたい。が……何だ? 確率論が復活したのか?
 本来ならおかしくはないはずなのに俺が妙に思っていると、
「ちがうちがうっ。褒められたときの気持ちやらをポエムにするのよ」
 俺にとって古泉のそれは不愉快なポエムになるなと思っていたら、ハルヒは続けざまに、
「でも、振り直しっ。それは国木田が書くから」
 国木田?
「そうよ。名誉顧問と準団員には既に振ってもらって、『元気』『褒め』『失敗』は決まってるから」
 ハルヒはくるリとメンバーを見回し、
「みんなもカブっちゃったらもう一回! 同じことやっても良いものは生まれないし、SOS団はバラエティに富んでないといけないって言ったでしょ!」
 それよりも近い過去に序列がどうのと言ってた気がするが、それは覚えていないらしい。
「って、じゃあ俺はサイコロの振りようもないだろうが。全員が振った後じゃ、必然的に残りの一つに決まっちまうだろ?」
「いいじゃん。特に変わらないわ」
 実際問題どうでもよかったし、例え同じサイコロを八つ同時に八人が投げたところで結果は変わらないであろうから、俺はそこで閉口した。
 そして古泉は『本音』を出し、次いで長門が『私』、朝比奈さんが『未来予想図』、ここで俺は再度口を開いて抗議の旨を団長、いや編集長へと必死に訴えたが、ハルヒはガイウス・ユリウス・カエサルがルビゴン川を渡った際に言い放ったのと同じ言葉で俺の訴状をねじ伏せた。




 ――そしてまた次の日の放課後。現在に至る。
 目の前のハルヒが何故こんなにも不機嫌なのかと言えば、
「ちょっとみんな! あの三人はすぐ詩を完成させて持って来たってのに、何でみんなはちーっとも筆が進んでないのよ!」
 ハルヒが代わりに言ってくれた。その理由を申せと仰るのであれば、説明するまでもなく「そりゃそうだ」の一言に尽きる。
 鶴屋さんは『元気』、国木田は『褒められた』、谷口は『失敗』の詩を書いており、言葉そのままでも違和感のない程にそれぞれピッタリはまった題目だ。
 一夜で詩が書けた理由としては、各自それのネタなんていくらでもあるだろうし、万能である鶴屋さんの才の一つに詩的才能が含まれている予測は疑いようもなく、国木田と谷口なんかは適当に済ませたのだろう。
 重ねて俺たちときたら、古泉と朝比奈さんのテーマはまるで名探偵にズバリズバリとトリックを言い当てられて言葉を失った犯人のようにアワワとしか言いようがなくなってしまうようなものであるし、『私』の長門なんか前回の小説で自分のことであろう作品を書いているので、俺と共に前回とお題がモロかぶりである。
 言うまでもないとは思うが、俺は『恋』のネタである。
 もう、そんなもん俺の在庫には最初っからないんだし、長らく入荷待ちの札が掛かってるだけだっつーのに。
 それらの理由により、俺はもう一度ハルヒに儚い希望を提訴してみた。
「ハルヒ。じゃあ皆のテーマを変えてくれないか? 俺だって恋なんてもんは幼い頃、従姉妹に一方的に苦い思いをしただけだし、それ以来そういった甘そうなのは味わったためしがないんだ。だから俺の中にあるそんなネタは、前回の小説が最後っ屁でもうグウの音も出ん。終了だ」
 却下。という二文字の一言が虚しく飛んでくると思っていたが、
「そうなのですか? むしろ味を感じないのは、あなたにとってそれが空気みたいな物だからなのでは?」
 予想に反し、助け舟を渡してやった筈なのにそれを撃沈させるかのような言葉が古泉から飛んできた。
「うん? どういう意味だそれは」
 特売アイドルみたいなスタイルのお前と違って、俺にはそんなに身の回りに溢れているもんじゃないんだよ。それにそんなことを言われるとな古泉。俺だって……泣くんだぞ。
「いえいえ、そうではないですよ」
 若干苦味を持たせたスマイルで、
「あなたにとって必要不可欠であるにも関わらず、身近に存在しすぎてあなたが気付いていないだけ。ということです」
 ほう。そいつは嬉しいじゃないか。つまり、俺に想いを寄せているがそれを伝えられずにいるうら若き乙女の視線が、恋の矢の如く俺の後頭部に突き刺さっているのが古泉には見えるってわけだな。
 何だか涙が別の理由で出てきそうだと思っていると、
「古泉くん。それどういうこと? 団長に報告もなしに男女交際をしている輩がいるっていう告発?」
 そう古泉に話しかけながらも、ハルヒの視線はまるっきり俺の方へと向いている。
 そんな目をされても俺はなにも知らん。
「そうではありません」
 今日が、古泉にとって初めてハルヒにノーと言えた記念日となった。
「僕はただ、恋とは意識して感じ取れるものではなく、無意識の内に自分が恋に落ちていたという事実を自らが認識した際に知り得るものだ、という考えを述べたまでですので、他意はありません。ご安心を」
「ああ、なるほどね。それはあたしと似たような捉え方だから良くわかるわ」
 うん? お前、恋愛は精神疾患だとか言ってなかったか?
「もちろん。風邪と同じでかかりたいと思ったときにはかからないし、忘れてる頃にはいつの間にやら患っているものってことよ。まさに病気じゃない。あたしは抗体持ってるから絶対かかんないけどね」
 蝶がヒラヒラと舞い寄ってくるような古泉の思想が、ハルヒの例えによって一気に消毒液臭くなった。
 俺は飛び去った蝶の採集を試みるように、
「じゃあハルヒ。抗体持ってるってんなら、以前に恋患いの経験があるんだな?」
「あるわよ」
「へっ?」
 っと、俺がハルヒから思わぬクロスカウンターを喰らって目を丸くしていると、
「はしかやオタフク風邪と一緒よ。ちっちゃい頃に感染しとくべきなの。それは」
 ……やれやれ。まったく、現実的なものにはどこまでも夢のない奴だな。非現実に見せる積極性をピコグラム単位でも振り分けてみたらどうかと提案するね。それだけでも、お前には男共がわんさと群がってくることだろうぜ。黙ってりゃあもっと良い。
「ド馬鹿キョン! つまんない奴らがいくら集まっても、あたしの欲求は埋めらんないのっ!」
 壊れたミニカーのようにキーキー言っていたハルヒは、俺に近づいてきて急に止まったかと思えば、俺の心臓あたりをスイッチを押すようにしつつ不敵な笑みを浮かべ、
「だからね! あたしが集めて作ったSOS団は、みーんな粒ぞろいの精鋭なのっ! 全員一緒なら意図せずとも世界は盛り上がっちゃうって寸法よ! わかるわねっ!」
「……ああ、よく分かってるさ。もちろんだ」
 ――そうだとも。佐々木の閉鎖空間をめちゃくちゃにしたあいつらなんかとは、SOS団は全く存在を異にする。
 俺たちだってそれぞれ形は違っちゃいるが、いつの間にかそれはパズルのようにガッチリ組みあがって、今では全員で一つのものになっていたんだ。前回の事件で、俺たちはそれを身にしみて感じる事が出来たのさ。


 ――そして、その中心にいるのは……ハルヒ。いつだってお前なんだ。


「なにアホヅラかましてんの! そんな暇あったらとっとと書きなさい! ちなみにテーマ変えはなしっ!」
 それは変えて欲しかったが、俺はもうハルヒに抗弁をたれるまでには至らなかった。
 ハルヒは憤怒しているように見えたが……その表情はまさに、楽しくて堪らないともの語っていたからな。




 しかしいつまで経っても団員の誰一人としてポエムを完成させることはなく、修練の結果は翌日に現れるといったハルヒ理論により、詩の作成は宿題という形で団員に背負わされ、俺たちは普段よりも重い足取りながら、いつもの並びで帰路についていた。

 


「もしかしたら涼宮さんは、己の能力と僕たちの正体に気付いているかも知れません」
 何の脈絡もなしに世界が終焉を迎えそうなことを言い放っているのは、もちろん古泉である。
「そりゃまた、えらく段階を踏まない話だな。なぜそう思う?」
 ハルヒと朝比奈さんが先頭、次いでハードカバーを読みふけりながら歩く長門、そして最後尾の俺と古泉。
 古泉は部室からずっと手に持っていた物を俺に見せるように掲げ、
「……これですよ」
「って、ハルヒが作った只のサイコロじゃないか」
 テーマ決めの際に使用された八面体の紙製サイコロだった。
 ちなみに、このサイコロ君は生まれて間もなく存在意義を失ってしまった可哀相な奴である。
 というより、また使われるようなことがあっては堪らんので、俺としてはいち早く鉄のゆりかごの中で眠って頂き未来人に起こされる日を待って頂きたい次第である。……そういえば、タイムカプセルって自分たちで掘り起こすもんだったよな?
「その話はまた別の機会にしましょう」
 古泉の提案を拒む理由は皆目なかったので、俺は話を聞く態勢に入った。
「何故、今回のテーマを涼宮さんがこのような物で抽選したと思います?」
「そりゃあおそらく、学食でテレビでも見ててネタを頂戴したんだろ」
 ふむ、っと古泉は視線のみを数瞬だけ横に流して、
「たとえば、涼宮さん自身がクジの偶然性に疑問を持っていたとします。そして無意識の内に、確率を確認するのにはこの上なく最適であるサイコロという手段を取ったのであれば……涼宮さんは表層の意識に限りなく近い所で、己の能力の存在について勘付いているという可能性が示唆されます」
 それを聞いた俺は「へえ、」と一呼吸おいて、
「考えすぎじゃないか? あと、お前たちの正体に気が付いてるという予測は何処から立つんだ?」
 ほのかに微笑んだ古泉は手に持っていたサイコロを俺に渡し、俺がそれをつぶさに眺めていると、
「これに書かれているテーマですよ。偶然にしては……余りに、僕らが有する要素に対して的を射すぎている。なので涼宮さんは僕たちの正体を心の何処かで知っていて、これによって確証を得たいのかも知れません。これも多分、無意識の内の行動でしょうがね」
 はん。年がら年中どこまでも特殊な存在と一緒に過ごしてたら、だれだって少しはそう思うだろうぜ。
「それも深読みし過ぎだろう。サイコロのネタだって、提供元はシャミセンの親類が経営する洗剤会社に違いない」
 この言葉に古泉はいつものスマイルを取り戻し、
「そうですね。それに僕たちが一発で各自のテーマを当てなかった理由は、むしろ涼宮さんは自分にそんな能力があるということを否定したいからなのでしょうし、ひょっとしたら、単純に涼宮さんの力が弱まっているだけなのかもしれませんしね」
 ん? ちょっと待て。一つだけ合点がいかない。
「……俺のテーマが『恋』になった理由は何だ?」
「それは本当は朝比奈さんが未来人であるように、あなたも本当は恋を」
「なあ古泉。だいたい生徒会長は何でまたこんな時期に文芸活動を要求してきたんだ? まあ当初の要求は文芸部的なんてのじゃてんでなかったが。機関が関係してるのか?」
「それなんですが」
 と古泉はスマイルのレベルを最小にまで下げ、
「これは僕らの手回しによるものではありません。会長なりに考えてみた結果なのかも知れませんが、若干、あの人に生徒会長の仮面が定着し過ぎている感が否めませんね。いえ、もしかしたら、喜緑さんの手によるものだったというのも考えられます」
「ほう。まあそれなら重要だったよな。長門に何かがあったのは分かってたのに、俺たちはその何かまでは知らなかったわけだし」
 古泉はフフフと不気味に笑い、
「それなんですが、僕にはおおよその見当が付いています」
 一体それはなん、まで俺が言葉を出したときだった。


 ゴスンッ!


 ――今の音は長門の頭から出たのか電柱から出たのか、一体どっちだ!?
 ……なんて、不毛な論議に変換している場合じゃない。
「ちょっと有希っ! あたま大丈夫!?」
 ハルヒは長門がアッパラパーになっていないか心配しているのではなく、本を読みながら電信柱に頭部を強打した長門を案じながら、怪我の有無を確認している。
 そして古泉と俺は長門が電柱にケンカを吹っかけた光景を目撃して目を丸くし、朝比奈さんはわたわたと長門に気遣いの言葉を途切れとぎれでかけていた。
「心配しなくていい、平気」
 いやゴッツンコした所が小高い山を作って、まだ春だってのに紅葉を迎えてるぞ?
「大丈夫か?」
 駆け寄る俺に、
「ありがとう。……みんなも」
 たんこぶを抑えるのをガマンしている様に見える長門が答えた。
「でも、珍しいわね。有希が物にぶつかるだなんて。そういえば……見た覚えがないわ。いつも本読みながら歩いてるってのに」
「別のことでも考えてて、そっちに気がいってたんじゃないか? 詩とかポエムとか……ポエムを」
「そ、そうなのかな……」
 俺のギャグにハルヒは悩ましい顔を作ってしまったので、
「すまん冗談だ。多分、まだ調子が戻ってなくてフラついたんだろ。長門も読書は中断してハルヒたちと歩くといい」
「…………」
 沈黙する長門をハルヒと朝比奈さんに任せ、俺は古泉の話の続きを聞くために後列へと戻った。
「長門さんに怪我はありませんでしたか?」
「ん、おでこがプックリだが心配なさそうだ」
「そうでしたか」
 そう話す古泉は、どこか嬉しそうな面持ちである。
「なにか良いことあったか」
 ムッとした俺が硬質な感触のする言葉を作ると、
「……むしろ現在、機関はある懸念を抱えて悶然としています。ですが、確かに最近の長門さんの変化については喜ばしいことのように思いますね」
「弱っている長門が良いってのか?」
 それでは語弊がありますね、と古泉は微笑をたたえ、
「近頃、というか先程の長門さんもそうなのですが……とても人間味を感じませんか? TFEI端末として弱体化してきているというのは、ちょっとずつ長門さんが人間に近づいていきるという側面があると思うのです。それはあなたにとって嬉しいことでしょう? もちろん、僕にとってもね」
 俺を目で落としてどうするんだと言わんばかりの温和な視線で、古泉はふわりと柔和な笑顔を作った。
「……そうかもな。俺にとって、そりゃもちろん嬉しいことだ。それに俺たちだけじゃない。ハルヒに、朝比奈さんに、そして何より……長門自身にとってな」
 そう。長門にむける心配は、そろそろ見方を変えなけりゃならんのかもしれん。
 力を失っていく宇宙人に対するそれから、細腕で柔弱な少女への気配りへと。
「ところで、お前が抱えてる懸念ってのは一体なんなんだ? 俺以外に話せる奴なんていないだろうし、話してみるだけでも多少違うんじゃないか?」
 俺の言葉に古泉はどんな表情を出して良いのか解らないといった顔つきになり、
「……そうですね。話しておいた方が良いかも知れません。あなたには」
「なんだ?」
 俺の目を見て、
「程ない以前、閉鎖空間と《神人》が久しぶりに乱発された時期がありましたよね?」
「ああ、佐々木とハルヒが出会った日以降だったっけ。お前でも疲労の色が隠せてなかったよな」
「それなんですが、閉鎖空間の発生は二週間ほど前……特定すれば土曜日にまるっきり沈静化しました」
 土曜日? ――ああ、俺が佐々木たちと会合した前日か。だが、
「良かったじゃないか。この言葉以外に何がある?」
 古泉は全然良くないことを話すような顔で、
「それが、不可解な点がいくつかあるのですよ」
「一体どこにあると言うんだ?」
「まず、何故に突然閉鎖空間の発生が沈黙したのか。機関の諜報部をもってしても原因が判明しません。そして他に……これは閉鎖空間内で《神人》の討伐を担う役割の僕や仲間たちしか感じないのですが……」
 古泉は前方で談笑しているハルヒを一瞥し、
「閉鎖空間は世界中の何処にも発生していないにも関わらず、僕たちにはそれが存在しているという確信が、沈静化した直後から心の隅の方で、こうしている今でもくすぶり続けているのです。……それによって一つの推測が立つのですが、これは多分、あなたは聞きたくもない話です」
「聞きたくないかは俺が判断する。さわりだけ言ってくれ」
 古泉は眼に真剣をやつし、神妙な雰囲気でこう言った。
「――涼宮さんが、まさに神と呼ぶに相応しくなったのではないか? という内容です」
「そうか。そりゃ全くもって聞くだけ無意味な話だな」
 ハルヒが神だって? あいつはいつだって奇想天外な行動を起こしちゃいるが、根っこの方は特に変わりのない普通の女の子じゃないか。お前だって良く知ってるはずだろ。そんなの、考えるだけバカらしいってもんだ。
「ええ、全くです。仮にこの推論が当たっていたとしても、何が起こるのか皆目見当が付かない故に対処の方法も思い浮かびません。なので案じたところでどうにもなりませんし、ただの杞憂であればなお良いだけです。すみません、あなたはこの話を忘れて下さい。それに僕も――」
 古泉は、長門の後ろ姿を温もりさえ感じる視線で見つめながら、
「……いかなる憂いすら、今の彼女を見ていると消し飛んでしまいますよ」
 そうだな。俺たちが憂うべきものは、今のところ帰ってからどうやったらポエムを書かないで済むか考えることだけだろうぜ。
「……まあ、そうですね」
 古泉はまた思案顔を作り、悩ましげに顎を支えていた。これはこいつの癖になっちまったのかね?
「無駄な心配はしないに限るぞ。時間と神経を無為に減らすだけだ」
 いつもより元気はないが、それでも十分爽やかなスマイルで、
「……そうすることにしましょう。まあ、詩は頑張って執筆してみますがね」
「ああ。やっぱり俺もお前にならって机の前で頑張ってみるかね。思えば、書かないで済むかなんて思案することだって無駄なんだしな」
「ふふ。お互い頑張りましょう」
 そうやって、その日俺たちはそれぞれ自分の家へと足を辿り着かせた。
 ……さて、無から有を創造するある意味で神的な作業に入るとするか。




 ――俺はこのとき、この平穏は当分の間続くものだと信じていた。
 SOS団は今までにない程まとまっていたし、ハルヒと長門が落ち着いてきているのは良い変化だと疑わなかったからだ。
 だが、それは違った。それらの吉兆は、裏を返せば……最悪な事態が引き起こされる前兆でもあったんだ――。 



第一章

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