<<前回のあらすじ>>
 キョンは己の弱さに打ち勝ち、ついに実家へ帰る決意をかためました。これも長門と妹のおかげです。
 家にこもって悶々と悩んでいても見出せなかったある種の答えが、キョンには見えたような気がしました。気のせいかもしれませんが。
 キョンが家に帰ってからしばらくの間は、いつもと何の変化もない平和な時が続くのでした。

 

 

~~~~~

 

 

「わっ!」
 俺は思わず声をあげ、一口で頬張ったギョウザを吐き出した。
「わっ! わっ! わっ!」
 ばたばたと洗面所の前まで走って行き、汗ばんだ手で蛇口をひねるとコップを使うのももどかしく、蛇口に口をつけてガブガブと水を口にふくんだ。
 口端から唾液をもらいながらうがいをし、ベッと口をゆすいだ水を吐き出す。冷たい水道水と一緒に、細かくちぎれたギョウザの具が洗面所の底へ消えていく。
「どうしよう! どうしよう!」
 うがいをしても口の中からは、まだギョウザの苦味が消えない。この苦味は異常だ。抹茶を10倍くらいに濃縮した到底まともとは思えない刺激的な味がまだ口の中の内壁にこびりついているような気がして、俺はしーしーと空気を吸い込む。
「きっと毒だ! テレビとかでよく言っている、メタミドホスとかいう毒だ!」
 ちくしょう!ちくしょう!とわめきながら、俺はバタバタと忙しなく居間に戻った。まだ調理台の上に置いてあったギョウザの袋を怒りの形相で取り上げる。
「ちくしょう! ちくしょう! どこの食品会社だ! 俺に毒入りギョウザなんて食べさせたのは、どこの会社だ!」
 これだけ市販ギョウザが危ないと騒がれているご時勢に、何の危機感もなくギョウザを食べてしまった自分のうかつさが泣けてくる。
 俺はきっと、もうダメだろう。メタミドホスは口にしてから約1日で身体にあらゆる諸症状を発症させ、哀れな被害者を死にいたらしめると聞いたことがある。
 真っ白になった頭を抱え、俺は手にしたギョウザの包装袋をテーブルに何度もたたきつけながら号泣する。感情がたかぶって涙がとめどなく流れ出す。

 

 しばらく床に泣き崩れていた俺は、泣き疲れてきた頃にようやく冷静さを取り戻す。俺に残された命のタイムリミットは、後24時間を切っているのだ。
 時間なんて無限にあふれてくる湧き水のようなものだと思っていた。だがその湧き水が限りある、残り少ない資源だと知った俺には、1分1秒さえも無益に使うことは許されない。時間の一瞬間こそが宝石よりも大切で、光り輝く財産なのだ。
 ギョウザの食品会社である(株)古泉食品に抗議の電話をいれようかと思ったが、すんでのところで思いとどまった。そんなことをしたところでどうにもならない。無駄な時間を食うだけだ。
 たとえ訴訟に持ち込んで損害賠償がもらえたとしても、それを受け取るのは故人となる俺ではなく、未亡人となるハルヒなのだ。
 それにこれだけ毒ギョウザがバッシングされている世の中だ。よもや大手食品会社が品質点検もせずに毒入りギョウザを市場に出すわけがない。つまり、この毒食品会社ではなく、何者かが俺に一服もろうと企み、意図的に行った毒殺事件に違いない。
「なんという驚愕の事実! なんという恐ろしい陰謀!」
 俺は現実感の薄れる身体を引きずるように家を出た。玄関に掛けてあった鏡に自分の姿が映っているのを横目に一瞥する。まるで幽鬼のように生気がない。どうやら早くもメタミドホスの効果が現れかけているようだ。

 

「ちくしょう! ちくしょう!」
 まるで魂が身体から抜け出し、頭上を漂っているような浮遊感が全身を包み込む。これが死への恐怖というやつか。
 信じたくないことだが、信じなくてはならない。恐ろしい事実を、俺はしっかりと受け入れなければならない。
 あれは2,3日前のことだ。妻のハルヒが、俺にやたらと熱心に生命保険に入るよう勧めていたっけ。
「くそっ! くそっ! すでに計画はあの時から始まっていたんだ! 計画的に俺を亡き者にし、遺産と保険金を一挙両得しようという妻の策謀だったのだ!」
 今さらながらに自分の浅はかさが悔やまれた。思えば、あのギョウザは妻が昨日、安売りだったという理由で買ってきたんじゃないか。
 妻は俺がこのまま中毒死してしまっても、安売りのギョウザを食べたから毒が入っていたと、イケシャーシャーと嘯くに違いない。そして多額の保険金を手に入れて、新しい男と甘い蜜月を送るに違いない。
 俺は捨て駒にされたのだ! 家人の野望のための足がかりにされたのだ! 悔しい! ヤツの陰謀を察することのできなかった自分が恨めしい!

 

 俺は焦点の定まらない思考のまま、ベタベタとサンダルを引きずり、妻の働くスーパーマーケットへ向かった。
 このままでは死んでも死に切れない。あいつは俺が何も知らずに毒死して、あれよあれよと言う間に億万長者となる予定だったに相違ない。だが、させるものか。俺がヤツの、鬼畜にも劣る悪魔の策略に気づいたのだから。
 一人じゃ死なない。妻にもしかるべき報いを受けさせねば。俺の気が済まない。俺は残された命をかけて復讐を成し遂げると心に誓ったのだった。
 時間は有限なのだ。誰のためでもない、自分自身のために、俺はその時間を有効に使ってやる。

 

 

「キョン、どうしたの? 私、仕事中なんだけど?」
 玉ねぎの詰まったダンボールを抱え、棚に陳列された商品に目を通していたハルヒが俺の姿に気づいたようだった。
 仕事中なんだけど?とツッケンドンなセリフとは裏腹に、その表情にはどこか嬉しそうな色が見てとれる。
 ちくしょう! 俺の様子を見て、メタミドホス作戦が成功したと悟り内心小躍りしていやがるな。この女悪魔め!
「ねえ、本当にどうしたの? すごい顔してるわよ? 具合でも悪いの?」
 具合でも悪いの?だと? こいつ。俺に毒を食わせた張本人でありながら、シラを切るとは。なんて悪妻だ。
「うるさい!」
 俺は勢いに任せ、ハルヒの持つダンボール箱を蹴り上げた。放物線を描きながら、ひしゃげたダンボール箱は辺りに玉ねぎを振りまきながら床に着地した。
「うるさい!」
 足元に置いてあったコンテナを足蹴にする。破片を四散させ、コンテナはフロア上を滑って鮮魚コーナーにぶつかって止まった。
 目を白黒させながら、あっけにとられたハルヒが俺に問い詰める。
「何するのよ!? どうしたのよ、キョン!?」
 狼狽するハルヒからは、いつもの傲慢さはかけらも感じられない。
「こいつめ!」
 俺は手元の棚からコンニャクをつかみとり、ハルヒに投げつけた。
「いたい! 何するのよ、キョン!?」
 ハルヒは少し涙目になりながら、それでも頑張って威厳を保とうとするように俺を睨みつける。

 

 こいつめ。何を被害者ぶっていやがるんだ。俺に毒の作戦を看破されたからって、今さら被害者ぶって同情をさそおうなんて、ムシが良すぎるんだよ!
 くそっ! くそっ! 知らぬ存ぜぬって感じでとぼけやがって! 保険金目当てに俺の命を狙っているくせに!
「こいつめ! こいつめ!」
 俺は次々とコンニャクを投げ続ける。警備員やフロア担当者が掛けてきて俺を取り押さえても、俺の手は機械的にコンニャクの袋を手にして、あさっての方角に投げ続けるのだった。
 その動きはもう、キョンという俺自身の意識を離れ、怒りという動物的な感覚にのみ支配された受動的とさえ言える行動となっていた。
 ハルヒは同僚たちに囲まれて、床に泣き崩れていた。そうやって第三者を味方につけようって魂胆か。そうやって24時間をやり過ごす腹積もりか。
 させるものか! そんな悪行は、この俺は絶対に許すものか!
「ちくしょう、離せ! 離せ!」
 両側を係員に取り押さえられ、俺はズルズルと引きづられて行った。懸命に抵抗は試みたが、やはり多勢に無勢。毒にやられた俺の体力では、とても数人の警備員の腕をふりほどくことは叶わなかった。
「ちくしょう! ちくしょう!」
 取り押さえられた俺は、やがて食料品売り場の地下にある鉄格子の牢屋に投獄されてしまった。
 ちくしょう、ちくしょう、と嘆きながら、俺はただ、床に敷かれた古ぼけた筵を殴り続けていた。
 俺は絶対に諦めないぞ。復讐を果すまで、必ず生きて、もがくようにあがいて、思いを遂げてやる。
 決意を新たに固め、俺は敢然と立ち上がった。この食料品売り場に巣食う悪の組織を暴くまで、死ぬものか。

 

 

 

 

 じっとりと疲れきった口調で唸り声を漏らし、俺は手にしていた原稿用紙をハルヒに手渡した。
「………で?」
 俺の疲労の原因は明らかだ。明らかなのも当然だ。原因の根源は、目の前に腕を組んで鎮座してるんだもんな。
 どこから湧いてくるのかも分からない自信にあふれた様子で、ハルヒは傲然と湯のみの茶を飲み干した。
「私ね。小説家になろうと思うのよ!」
 ハルヒは俺から受け取った原稿用紙をバックの中に放り込みながら、自分の辞書には不可能の文字はない!とでも言い出さんばかりに胸を張って笑っている。
 どこまでが本気なのかも分からない口調で自作小説の構想を延々延べ続けるハルヒの前で、俺は深々とため息をついた。昔から思っていたことだが、本当にこいつの頭は大丈夫なのか?

 

 俺はこいつのことを馬鹿だと思っている。こいつが小説家になる!なんて突拍子もない現実味の薄いことを言い出したからではない。そんなの、高校時代から変わらないことだからとっくに慣れている。
 問題なのは、こんな内容の自称小説で、本気で文壇の一席に加われると思っている点だ。

 

 小説のあらすじは、ある日キョンという男が昨日妻の買っていたギョウザを食べ、味に異常を感じて吐き出す。男はそれを噂の毒入りギョウザだと思い込む。真偽のほどは別にしてな。
 男はそれが妻のせいだと断定し、妻の働く食品店へ急襲をかける。そこで一悶着あった後、取り押さえられて地下牢へ放り込まれてしまう。しかし男は諦めず、なお強い信念を持って復讐を心に誓う。
 そういう内容の小説らしい。
 果たしてこれを小説として受け入れられるだけの寛大な心をもった人が、世の中に何人いることやら。

 

 支離滅裂である。文章の稚拙さがどうこうと言う以前の問題だ。ワケが分からない。
 ハルヒは相変わらず熱の入った演説を続けていたが、組織に裏切られた妻が暴漢の銃に撃たれた時に男はようやく自分の誤解に気づく……あたりまで話したところ(たぶん)で突如俺に話をふった。
「ねえ、キョン! 感想はどうだった!?」
 買ってもらったばかりの玩具を自慢する子供のように満面の笑みを浮かべたハルヒが、ぐっと身を寄せてくる。
 いや、感想と言われてもな……。感想を述べる以前に、頭の中で整理がついていないよ。何て言うか、中身が強烈すぎて。
「まあ無理もないわね。まださわりの部分しか書いてないんだし。ここだけ読んだって、まだ全体像が見えてこないもんね」
 全体像は十分見えたよ。たぶん、こんなノリで話が進んでいくんだろうな。ていうか、これが起承転結の起なのか?
「すぐに続きも書くから、待ってなさい! 今にミリオンセラーとなる次世代風刺小説の最初の読者となれることを感謝するのね!」
 風刺ってお前。ひょっとしてそれ、何かテーマ的なものがあるのか?
 そこまで言って、俺は気づいた。こいつひょっとして、これを売りに出す気なのか? まさか、自費出版とか?
「馬鹿ね。自費出版なんて、一般人の金のかかる自己満足に過ぎないわ。そんな普通のことには興味ないの」
 ないのは興味だけじゃなくて、資金もないんだろ。自費出版は版元にかかる額がすごいらしいからな。当然のことだろうが。
「持ち込みよ! 完成し次第、即行で出版社に持ち込んで、その場で出版の約束を取り付けるのよ!」
 京極夏彦に張り合ってどうするんだよ。勝ち目があるわけないだろう。
「さて。どこの出版社に持ち込んでやろうかしら。まあどこだろうと即契約には変わりないだろうけど、規模が大きくてしっかりした会社じゃないとこの超大作をデビューさせるにはふさわしくないものね!」
 腕を組んで不敵な笑みを浮かべるハルヒに背を向け、俺は席を立った。今さらすぎるが、付き合いきれん。
 ま、いいさ。どうせそのうち飽きるんだ。大特免許取得の勉強の憂さ晴らしに書いている程度の落書きで刊行なんてあるわけないだろうしな。

 

 

 なんだかんだで、ハルヒは自動車学校のノルマを順調に消化している。本人の当初の宣言通り、乗り越しゼロでテストもパスしたらしいしな。そのへんは、さすがハルヒといったところだろう。
 意外だったのは、朝比奈さんも同じく乗り越し無しでノルマをこなしているということだ。これは本当に意外だった。
 朝比奈さんのことだから実技の授業で挫けて挫折するとばかり思っていたが、あの細やかで臆病な性格が功を奏したようだ。石橋を叩きまくって安全を100%確認しなければ鉄橋も渡れない用心深さが、無事に車の運転に向いているようだ。パワーステアリングのおかげということもあるだろう。
 しかし大型トラックを手足のように操りながら作業にいそしむ朝比奈さんの姿というのも想像できないな。きっと免許をとって自動車学校を卒業してもペーパードライバーで、一生トラックになんて乗らないに違いない。

 

「そんじゃ、すぐに気になる続きを書いてきてあげるから、期待して待ってなさい!」
 それだけ言うと、好奇心が抑えきれないという雰囲気のハルヒは、バックをひっつかんで部屋を飛び出していった。
 大きな音を立てて閉まるドアを眺めながら、俺は小さく嘆息をついた。
 ま、映画撮影なんかと違って今回は誰かに迷惑がかかるわけでもないんだ。せいぜい持ち込みした出版社と揉め事を起こすくらいだろう。
 それくらいなら別に問題ないか。そう思い、俺は疲れをほぐすように大きく背伸びをして寝転んだ。

 

 まったく。何を考えてるのかね、あいつは。本気で小説家になろうとか思ってるんじゃないだろうな。
 ハルヒに対して冷静かつ現実的な観点からの意見を頭の中で述べる俺だったが、あいつのそんな桁外れの行動力が、とても羨ましく思えた。

 

 

  つづく

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最終更新:2020年08月14日 17:54