お妃様は、儚く泣きそうに歪めた瞳で、鏡に呼び掛けました。
「鏡よ鏡、わたくしの問いに答えておくれ」
はい、お妃様、と鏡は愛する妃に恭しく答えました。

鏡に明瞭に映し出された、白雪姫の姿を前にして、お妃様は問い掛けました。
「それでは鏡よ、お答えなさい。此の世で、……生き残るべきは、どちら?」


此の世で欲され、愛され、必要とされるのはどちらですか。
――わたしと白雪姫の、どちら。




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長門は、酷く懐かしい宇宙の深淵を思わす黒瞳を細めた。
SOS団の集う部室で、長門が古泉に投げ掛ける無機質で硬く透明な眼差しが、其処にあった。古泉の問いには答えずに、少女は瞬く。整った睫毛を揺らす。
「いつ」
気付いた、と端的な問い返し。
古泉は俯いた。常なら片時も離さずにいる苦々しさを隠す仮面を、被ることはしない。 

「……引っ掛かりはあったんです。こんな世界を構築出来るのは、本命で敵対勢力に位置する広域の宇宙生命体ぐらいでしょう。涼宮さんの力説は端から除外していました。彼女があなたを抹殺しようとする理由がありませんから。
――あなたが『妃』ではないかと思った決定打は、あなたが残して下さったヒントですよ」


終わり無き『白雪姫』の物語。
けれど、古泉の心当たりにはまだ、あった。……いつかに終わりを迎えた、白雪姫をなぞった物語。

かつて――古泉が北高に転入し、SOS団にあれよあれよという間に引き入れられて然程時を経ていない内の話だ。これが世の終焉かという想いも諦め半ばに抱いた、最大規模の閉鎖空間の発生。恐慌状態にあった機関の上層部の混迷は、「彼」と、涼宮ハルヒの帰還によって救われた。
神は、世界を見捨てなかった。古泉を含め人々は生き残った。生存を赦された。
閉鎖空間内で二人の間に何があったのかを、古泉は正確に見知っている訳ではなかったのだが――帰って来た彼等の様子から凡そを推量し、彼に鎌をかけた上で確認もしていた。sleeping beatyという分かり易いメッセージを長門が送信する様も、古泉は眼にしていたから。

「姫は王子に与えられた接吻けで、自己の世界を肯定し、回帰する。……よく似た事例が、ありましたね」
「……」
「初めに気付いて然るべきだったのです。余りに真っ当で正当な白雪姫のエンディングは、既に現実にて、『彼』と涼宮さんが此方の世界に無事戻ってきた日に描かれ切っていた。最早余計な茶々を入れる差間もないくらいにね。――『白雪姫』 を創造主が具体化したのは、そういうことだったのではないかと思ったのですよ。
これは、白雪姫になりたかった者の、白雪姫になれなかった者の、最期の抵抗の物語なのではないか、と」


――そう、だから、この世界を編み出したのは『妃』役ではない。
古泉は、横たえられた少女の前髪を撫でつけた。毒林檎に口をつけて眠りに就いた娘。伏せられた瞼を指でそっと辿る。残る涙の痕跡だろう、目尻は濡れていた。 

   
「どういう理由が発端かは、僕には判りかねます。けれど、この空間を創出したのは『白雪姫』役を振られたこの、封鎖空間内で僕と文芸部室に居た長門さん、なんですね」
「……そう」
古泉の想察を、少女は、平淡に首肯した。 




「――あなたに、説明の遅れたことを謝罪する」
この事態を引き起こす契機となったのだろう瑕疵の在り処すら感じさせない、少女の解説口調。聴き慣れた声の響きに少なからず、古泉が安堵を抱いてしまったことは否めなかった。それは確かに古泉と、SOS団の破天荒な振る舞いに流され、一年の季節の中信頼を培ってきた長門であった。 

「わたし自身、空間上に設けられた規則事項によって行動を相当のレベルで制限されていた。わたしが行えた介入は『白雪姫』たる『わたし』の消去行動と、あなたの記憶改竄に修正を加え、覚醒を促すこと。プログラムが機能するまでに時間を
要したこと、情報伝達の手段がなく、混乱を招いたのはわたしに非がある」
「七日目、に急に既知感が強く発現したのは、長門さんの力でしたか」 

通りで、と古泉は思い返す。初期から違和感は付き纏っていたが、それが確定的に芽生えたのは七日目に突入してからだ。
長門の仕込んだものが再生に漕ぎつくまでに時間がかかった、ということだろう。

「わたしは以前からエラーの蓄積を感じていた。それは既に昨年の十二月十七日にわたしが起こした世界改変に匹敵するレベルに達し、何時暴走行為が発露するかも不明という状況。放置すればわたしは再び改変を起こす公算が大きく、またその行為において『保護対象』たる彼らを傷つけてしまう事も有り得た。……わたしは昨年に、二度目はないことを課していた」
「だからそのエラー部分の、消去を敢行したんですね?」
「……そう。自身から制御しきれない部位を乖離させ、その範囲のみを除去しようと試みた。だが、予想外の抵抗があった」
言わずもがな、消去を否定した『白雪姫』長門の抵抗。エラー部分の離反。
「その『わたし』は、わたしが満足に力を振るえない封鎖空間を展開し、わたしに『妃』の制約を設け、『彼』を呼び込もうとした。それが叶わないと見ると、次にあなたを召喚した」 


――つまり、事の始まりと顛末は、こういうことだった。
長門有希は、昨年と同じく、回避不可能なエラーに見舞われた。エラーを自身から抜き取ろうとした長門は、けれど、エラー部位の長門の反抗に遭った。エラー部位の長門は「白雪姫の世界」を構成し其処に逃げ込むことで、長門の消去行動から逃れようとした。『白雪姫』を望んだのは『彼』に対した制御し切れない好意も、根本にはあったのだろう。
エラー長門は『白雪姫』となり、『王子』に彼を呼び込もうとしたが、長門がそれを食い止めたことによって叶わなかった。
エラー長門は、古泉を小人役に、朝倉を鏡役に呼び込み世界の均衡を保った。
長門は、エラー長門を消去し此の空間を解除する為に、『妃』役としての制限の中で、エラー長門を葬る為に手を尽くした。初めに胸紐、次に毒の櫛を用いることで、古泉に気付かせる意図をも含めて。

物語が途切れさせられ、王子役の『彼』が召喚されていないのは、恐らくは『妃』長門の妨害によるものだ。
彼がいたならば。『白雪姫』長門は彼に口付けを受けて、復活することが出来る。それそのものがきっと『白雪姫』長門の、「この世界」を構築した目的の一つだったのだろう。
彼への、留まらない好意故の。
けれどそれは『妃』長門の強制介入によって阻まれた。 


「……疑問があります。お聞きしても、よろしいですか?」
「いい」
「『あなたに選択権を委ねる』、と栞にはありました。――僕に委ねられた選択とは何ですか」 

推測のみでは行き着けなかった回答のひとつ。長門は、視線を古泉が手を遣っている『白雪姫』に落とした。
「――その『わたし』は、完全な消去に移行しているわけではない。今なら、ある手段を用いればバックアップが作用し回復する」
「……」
「この『白雪姫』の物語に、王子役はまだ登場していない。あなたが担えばいい。そうすればその『わたし』は覚醒し、封鎖空間も消滅する。その代わり、『わたし』は致命的なエラーを抱えたまま復帰し、将来、異常を来たす可能性が高い。最悪、涼宮ハルヒ及び――彼、朝比奈みくる、……そしてあなたにも、災いとなる」

冬の雪山に現れた奇怪な館での情報闘争、春以降からは別の宇宙生命体との諍いがあり、数え切れない試練を突破してきた。
何処かで、気付かぬ内に涼宮ハルヒの力でループした局面もあったかもしれない。長門個人に対する、負担の度合は測り知れなかった。そのなかで再度降り積もったエラーの度数が跳ね上がり、そうして起きたのが今回の事件ということだ。

「……もし僕が、この『白雪姫』を選んだら。『妃』のあなたは、どうなるんですか」
「――どうにもならない。その『わたし』が仕込んでいたプログラムが起動し、再構成が起こる。これまでわたしを構成していた要素は変異に巻き込まれて崩壊するかもしれない。そうなれば残るのは、エラーの『わたし』」 

浮かんだ瞳の光は、悲愴ではなく、覚悟を決めた者の灯火だ。 

「本来なら、わたしはエラー処理のみに徹すべき。それがリスクを回避する最善の方法。……それでも、わたしはわたしの判断に確証が持てない。『わたし』があなたをこの封鎖空間に巻き込んだ事を認知した時、自動的に選択権はあなたに譲渡された。この世界でのわたしと『わたし』は選択権を持たない。そういうルールに基づいて作られている。――だから」

長門の囁きは、疾うに、古泉の出す答えを知っているかのようだった。
「……あなたが、選んで」 





――妃を選べば、白雪姫が死ぬ。
――白雪姫を選べば、妃が死ぬ。

残酷な二者択一。小人が最後まで、残された理由。


「僕にあなたを生かすか、それとも此方の『白雪姫』を生かすか、選べということですか」
古泉は、余りにあからさまな誘導に、『妃』長門を前にして初めて失笑した。
……長門は、古泉が選ぶしかないことを認識して、訊いている。それを古泉はどうしようもなく分かってしまい、だからこそ遣り切れなさに――酷く、腹を立てていた。

「そう、ですか。――分かりました」
「……いいの」
「多少なりとも、僕を信用して下さった故のことなのでしょう。僕が小人役だったのも、あなたが僕が小人役になるのを阻まなかったのも、総てこの結末のため。違いますか?」

長門は沈黙し、古泉は濁流と化した心の河を沈める気にもならない。

涼宮ハルヒと「鍵」の保全を第一任務に据える機関員としてある限り、古泉はエラー長門を除去する選択しか取りようがない。涼宮ハルヒに危機が及ぶ可能性の排除が、古泉の存在意義なのだから。そのことを分かり切って、長門は訊いているのだ。「どちらがいい?」と。 

長門にだってきっと分かっている。この『白雪姫』長門を抹消するということは、エラーの排除というだけではない、長門自身の堆積した感情の礫を一つ残らず一掃するということ。何もなかった素体に宿すことの出来た恋心を捨て、これまで育ててきたSOS団員との仲間意識が消去され、無感情な宇宙人端末に逆戻ろうとも。暴走により団員達に危害が及ぶことを恐れて、長門有希はそれを実行しようとしている。

何が選択権だ。選ばせようとする意図など、最初からない。古泉一樹個人の意思など介在する余地を残していない。
古泉は、周囲に当り散らしても足りないような心底から湧く悔しさが、何に起因するものかをはっきりと自覚した。

自分でなければならなかった必要性など、きっと、なかった。

(だけど本当に悔しいのは、そんなことじゃない…!)

古泉は、唇を震わせ、苦いものが競り上がる喉を滅多切りにしてやりたいと思った。それほど遣り切れず、腹立たしい。それは長門の言葉や態度に対してではない、自分の無力さに対してでもない。
此の世界の創造主たる『白雪姫』長門は、古泉一樹を召喚した。『妃』長門への対抗として、自分を護る小人役が必要だったから。
……無意識下ではあったのだろうが、それほど己の身を護るために周到に立ち回っておきながら。
小人が傷けられればそれを懊悩し、慙愧の念に耐えかねて。自ら毒を煽る結末を選び取った狡く優しく脆い少女を、古泉一樹はどうしても憎めなかった。
虚偽の記憶と言われればそれまでだろう。けれど、古泉の中にはまだ、奥手な少女の偶に見せる気遣いや、ほんのりと心が色づく様な微笑の記憶がある。そういったものの総てを、紛い物と割り切ることは出来なかった。
何故ならそれは、長門本人が持ち合わせていたのだろう性質だから。エラーの集合体、この『白雪姫』長門の存在は、そんなものではないだろう。昨年、彼女の改変劇に立ち会った彼も、こんな想いで居たのかもしれない。

人が人として生きる以上には不可欠で、時にブラックホールに追い遣ってしまいたいと願ってしまうくらいに持て余し、それでも棄て去るなんてどう足掻いたって出来はしない。
この白雪姫の長門は、泣き喚き、叫び、恨み嫉み憎んで、それでも愛してしまう性だ。
長門有希が獲得した、どうしようもない、――感情の姿だ。 

そんな長門を見殺すことは、古泉にはできなかった。例え自分達に、消去しなかった分のツケが廻ってくるとしても。
機関員ではなく、古泉一樹として。一度だけ、機関を裏切って味方すると約束したことを、今更に回想した。

眠る『白雪姫』に、そっと顔を近付ける。優し過ぎて死んだ、宇宙人端末の個から離反した少女。今なら、ある手段を用いればバックアップが作用し回復する、という長門の言を思い起こしながら、古泉はやっと、静かに笑って見せた。

(選びますよ)

あなたにとっては予想外の道でしょうが。古泉が微笑んだその意味を掴み損ねたらしい『妃』長門が、珍しい、驚愕を露にするように瞬いた。彼女の推測では十中八九古泉は、涼宮ハルヒの保護のために『妃』を選ぶ筈であったろうから、無理も
ない。そんな長門の様を何処か満足気に想った自分に気付いて、古泉は苦笑した。
徐々に白雪姫の少女と距離を詰めていく古泉を、しかし長門は制止しない。彼女らに選択権がない、というのは確かのようだった。自分が消される番としても、長門はまるで他人事のように立ち尽くしている。

身を屈め、唇を、『白雪姫』の少女自身に触れさせた。
古泉は生涯初めてに、柔らかで、程よい弾力をその唇で、味わった。





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時としてはほんの数秒であったろうが、体感時間は分からないものだ。古泉は心の隅で離したくないと想う自分に気付いていたし、それを実行する事も不可能ではなかったが、しかし、そうはしなかった。

「……それでは、『白雪姫』は目覚めない」

何処か愕然としたような『妃』長門の声に、古泉は微かな温もりを伝った白雪姫の「頬」への接吻けから身を離した。それから非礼を詫びるように、冗談めかして小さく笑うことは忘れずに、立ち上がって一礼する。

「残念ながら、僕は『王子』ではありませんから。白雪姫の唇にキスをするのは、僕の役回りではありません。けれどその上で、選びます。『妃』でも『白雪姫』でもない選択肢をね」

白雪姫を選んだら妃が死ぬ。
妃を選んだら白雪姫が死ぬ。

古泉は、そんなこの世界の条項を踏まえた上で、言い放った。

「――知ったこっちゃないんですよ」

紳士然とした古泉らしからぬ、乱暴な口利きに、長門も困惑している様子が伝わる。古泉は溜め込んでいた怒りを吐き出しつくすように、喉を絞った。燻らせていた感情を上乗せる。 

「真相を知って僕がどんな応対を見せると推測されていたのか分かりませんが、妃が死んで終わりの物語も、白雪姫が死んで終わりの物語も、僕には一切合切興味がありません。自己犠牲が織り成す悲劇の終焉なんて在り来たりなテーマを持ち出しても、涼宮さんは陳腐だと一笑なさるでしょう。彼も同感でしょうし、朝比奈さんに至っては言う必要もありません、自明のことですからね。
長門さん、あなたは最も考慮すべき点を無碍にしています。それは」
「……」
「あなたの、心です」

『妃』長門は、波紋を生じさせた黒瞳を、古泉に対峙させる。

「エラー部位は、総て『わたし』に移行している。わたしは、」
「エラーを分離させて、発生したバグを隔離して、それで。完全分割が出来るものですか?……あなたにも、ある筈です。
仮に分割が成功していたとしても、分かたれて別個となったあなたにも、次第にそのエラーは重なるでしょう。無縁でいられるものではない。幾ら切り離して消去を繰り返してもね」

エラーが募る限り何度でも。それを受容する器を、未だに有機端末は持ち合わせられていない、それだけだろう。なら、そのエラーを育てていくことで進化させられる形態もあるだろう。情報統合思念体からの支援さえ受けられればあるいは。
結局のところ、これは整理の問題だ。古泉や他の面子が長門を護り、長門自身が総ての「もしも」を受け入れられるかどうかの、覚悟を決めるための。

「長門さん、あなたも言っていた。あの白雪姫の物語は、完結していないんです。それなら、如何様にも物語は書き足せるということにはなりませんか?必ず白雪姫が、妃が死ぬ幕切りにしなくてもいいんです。何故なら、」

息を吸い、古泉は声に力を篭める。届いてくれ、と古泉は欲する。今届かないなら、この声帯も舌も不要物でしかない。

「僕には―――僕達には。どちらのあなたも、この上なく必要で、かけがえのない、愛しい存在だからですよ」
「………」
「彼だけではないんです。涼宮さんも朝比奈さんも――そして僕も。
信じてください。僕達があなたの、そのいずれも損失するということが……どれだけ辛いか。あなたの考慮にも値しない程、僕等は『どうでもいい』存在ですか。僕や、涼宮さんや、朝比奈さんのことは信頼しては頂けませんか。
バグがエラーが何だっていい、あなたが好きなようにやればいい。あなたは昨年から、あなたの意思でSOS団に居続けていた。
そうでしょう?ならばあなたの想いのままに、答えてください。あなたの尊い長門有希一個人としての感情を、消し去ってしまってもいいのですか…!」

胸に詰まる。古泉は、長門の答えを、聞く以前より知った上で問い掛けた。
そうでなければ朝倉涼子が、あれほどに己の力量不足と自身を卑下していたことが繋がらない。救って欲しいと言っていた。
除去される寸前まで、あれほどまでに彼女は長門の幸福を祈っていたのに。

『妃』長門は――長門有希は、無表情を崩しはしない。
けれど、その中に、極小であれ見出せたものがある。長門有希が獲得したものは、決して、一過性の幻影ではないと、古泉一樹は識っている。

「……忘れたくない」

少女は吐露した。
感情的ではなかったけれども、明確な心の在り処を古泉に示した声。無感動とは非なるもの。――愛したいと言っていた。
愛されたいと望んでいた。

「忘れたく、ない」
「長門さん」
「――わたしは……」

古泉は、長門の頭に手を置いた。身長差もあって、上目遣いになる少女の瞳を瞬きに閉じ込めるように覗き込んで。古泉は、愛慕を胸に微笑んだ。
良かった。 
きっと、それが正解。


「その言葉が、聞きたかった」



 
――古泉の刻んだ暖かな笑みを、長門の告白を待っていたかのように。
光が弾けた。
銀世界が裂ける。閉鎖空間が現実を取り戻す瞬間によく似た、空間の裂傷。光の洪水となって、ばらばらに砕けた光のひとつひとつが収束していく。
天上が罅割れ、白い閃光に視界が塗り潰される寸前―――


『白雪姫』が、眼を覚ます。二人が一つになっていく。


……古泉は、長門の控えめな「ありがとう」を、聞いた。
鼓膜にいつまでも残るような、それは、軽やかな響きだった。









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お妃様は、儚く泣きそうに歪めた瞳で、鏡に呼び掛けました。
「鏡よ鏡、わたくしの問いに答えておくれ」
はい、お妃様、と鏡は愛する妃に恭しく答えました。

鏡に明瞭に映し出された白雪姫の姿を前にして、お妃様は問い掛けました。
「それでは鏡よ、お答えなさい。此の世で、……生き残るべきは、どちら?」 


此の世で欲され、愛され、必要とされるのはどちらですか。
――わたしと白雪姫の、どちら。 





鏡は「分かりません」、と、哀しげに応えます。
けれども、回答を委ねるように、鏡は一際の輝きを見せ、お妃様を惹きつけました。

鏡に映し出されたものは、お妃様と瓜二つの――白雪姫。 
お妃様は、息を呑みました。
お妃様も白雪姫も、同じものであったと、気付いたのです。 



『お妃様』

不意に、声がしました。
何事かとお妃様が眼を瞠る中、小人がその鏡に割り入りました。白雪姫の隣に立つ小さな人は、お妃様が鏡を通して自分達を見ていることを知って、挨拶に現れたのでした。
小人は恭しく礼を取って、鏡越にお妃様に微笑みかけてきます。 

「そのようなところから眺めておられるのですか、我々のみすぼらしい住処を。それならばどうぞ、折を見ていらしてください。粗末なもので、大したおもてなしは出来ませぬが……」 

小人の微笑は、
優しく労わるような、笑顔でした。

「―――そこでお一人でおられるよりは、きっと、楽しい一日になるでしょう。歓迎の準備をして、お待ちしております。白雪姫と一緒にね」

ああ、とお妃様は思いました。――なんてこと。
なんて、馬鹿らしい事で、思い詰めていたのでしょうか。
お妃様は、肩の荷が降りたような気がしました。張り詰めさせていた神経が、ゆるりと、解けていくようでした。

「……ありがとう。是非、お邪魔すると致しましょう」 

お妃様は、己の不徳を恥じ入り、眼を伏せました。
小人の隣で、白雪姫は、幸せそうに笑っていました。






きっとそれは。
何にも変え難い、晩餐となることでしょう。
白雪姫とお妃様が、小人と共に、テーブルを囲う一夜。


白雪姫を殺さずに済んだお妃様が、微笑む夜になるのでしょう。





(→last episode)


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