小人が駆けつけたとき、
――総ては、終わったあとでした。
 
 
 
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人気のない校舎の片隅、保健室前の廊下通りで、古泉は朝倉と対峙する。

「……それは、どういう意味ですか」

古泉は、退路のない袋小路に行き詰ったように、苦渋の声を返した。想像し得る最悪の結末が、目の前にちらついて離れなかった。払い除ける余裕も、取り繕い毅然と笑ってみせる駆け引きも浮かばずに。
古泉の行く手を阻むように朝倉は扉前に立ち塞がり、桜色の唇をゆるく持ち上げて、淡く微笑んでいる。美しいと幾らでも形容されるだろう面を、けれども憂鬱に翳らせながら。
それは総てを理解し、また、諦めた者の眼差しだった。意思を投擲し、手ぶらになった両腕に、抱きすくめるものを失くしてしまった母親のような哀しい瞳。

「言葉通りの意味よ。……分かってるんでしょう、あなただって」
「――っ、どいてください!」
長門の様子が気懸かりで急く古泉の必死さを哀れむように、朝倉は手をひらりと振って古泉を遮った。
試すように言葉の鏃を突きつけ、笑う。
「私が此処をどいたら、あなたは今から長門さんを護れるの?――もう、真相に辿り着いたんでしょう?世界が壊れ始めているんだから、そういうことよね」 

口調は雰囲気には不似合いに明るいまま、もしかするとそれは、朝倉涼子のTFEIとしての機能の限界であったのかもしれない。表情と出力する声の一致しない少女が行おうとする対話の意図を、古泉は察しかねた。
何れにせよ、朝倉涼子は長門と同じTFEIであった。その能力は人間の力の幅など軽々と凌駕する。朝倉が場を明け渡す気がない以上、無謀な喧嘩を吹っ掛けても勝てる見込みは、恐らくゼロに近いのだろう。
冷静に、冷静に。――冷静になれ。
ポーカーフェースと冷徹なまでに、氷の如く揺るがずにあれ。土台に基く精神と、いつ如何なる災厄を前にしてもたじろがない信条こそが、古泉一樹が古泉一樹であり続けるためのパーソナルだ。心のうちにそう唱え、包帯の下の握り拳に行き場のない衝動を封じ込めて、浅く息を漏らす。
朝倉は、そんな古泉の様を言葉の上では賞賛してみせた。
「ここは流石ね、って言うべきなのかな。この状況下でそこまで落ち着けるなんてね。優先順位を履き違えないのはあなたの長所みたい」
「朝倉さん、あなたと問答をしている暇はないんです。其処を、……一体、何をすれば通して頂けるんですか」
「あなた相手だと話が早いわね」
朝倉は人差し指を自身の頬に押し当て、――古泉に挑むように唇の端を吊り上げた。
「条件は揃ったみたいだし、クイズを出すわ」
「……クイズ」
「私が一体、『何』役か。答えられたら此処を通してあげる」

古泉は、眼を眇めた。
古泉の知り得る「名有り」は、長門有希と朝倉涼子しかいなかった。それ以外に用意された群集は名も顔も見知らぬ「名無し」でしかなかった。長門に向けて刃仕込みの櫛入り手紙を託してきた女生徒でさえ、SOS団に縁もない無名のキャラクターが用いられていたのだ。あれは『妃役』が遣わせた作り物の使者というところだろうが、それでは、「名有り」として此の世界に残ることを赦されていた朝倉涼子にも、何らかの役が振られているはず。それは、憶測ではあったが、古泉の仮定に予め取り入れられていたことだった。
天に名を馳す武将達、猛者が集う歴史小説ではない、元は子供向けを意図して描かれた童話なのだから、登場人物は、片手で数えて足りる程度だ。キャストオフは為されている。大部分は、自動的に絞られる。
小人は古泉、白雪姫が長門、王子を『彼』とするならば。


余りに明快な消去法だ。



「――あなたは、『鏡』役でしょう」
朝倉は微笑みを絶やさぬまま、刹那に儚い色を残してみせた。
「ご名答。やっぱり、古泉くんなら答えると思ってたわ」
無感動に手を叩こうとする朝倉の挙動を、古泉は細い手首を鷲掴みにすることで制止した。虚像とはぐれたようなその少女の心象は、見るに耐えなかった。朝倉涼子は目に見えて、そう、初めから投げやりだったのだ。
道を遮る気すら、本当はなかったのかもしれない。ただ古泉に総てを再確認させるためだけに。
「……あなたが『鏡』なら、以前、僕に忠告をしてみせたのは何故ですか」
妃役の手下という役回りの『鏡』の、それは『妃』役に対する裏切りに値するのではないのか。古泉に掴まれた手をじっと見つめ、朝倉は息を吐き出す。まるで人のような仕草で。
「私はね、本来ならこんな役目まではなかったの――まあ、言うなればアフターフォローよ。私は『お妃様』の役に立てなかった、無様な『鏡』役だもの」

PC内にあった、「白雪姫の鎮魂」というエンディングを描かれない、途切れたきりの物語。鏡は、確かに登場していた。お妃からの問い掛けにも、答える事の出来ない虚しい端役として。
役を与えられながらその役を全うできない存在の心は、忸怩たるものであったのかもしれない。……それはきっと、朝倉涼子の責任ではなく、世界が物語に従った故のことなのだが。 


「もう全部が分かってるみたいね、古泉くん。私が『お妃様』から一体何を訊ねられたか……あなたには、想像がつく?」
「……ええ」
「ふふ、よく見ているのね。そう、だから私は『お妃様』を救ってあげたいの。
……あなたに、後を任せてもいいかしら?」
「――お約束します」
「そう。良かった」

最期まで、少女の声は明瞭に、不揃いに、明るく優しかった。指の先から粒子になり、古泉が握っていた手首も徐々に侵食を受け、光を取りこぼしながら消滅してゆく。古泉は動揺しなかった。世界が壊れ始めていて、総ての人が消え失せていく
のは分かっていたことで、恐らく時を待たずに古泉自身もそうなるのだろう。
朝倉涼子は――不完全な『鏡』であろうとも、『お妃』を本当に慕っていたのだろうと。終焉を眼の前に彼女は、そんな微笑み方をした。

「……あなたは、やはり、まるで人だ」

古泉がぽつりと吐いた呟きを、眠りに就く『鏡』役は聞いただろうか。
消え失せた朝倉の残像に眼を凝らし、それから眼を伏せ黙祷する。――腹は、据わっていた。
古泉は何もかもを見届ける覚悟を床敷きにして踏み越え、保健室の扉に手を掛けた。 





――扉そのものも、取っ手位置がチョコレートのように柔らかく液状になり、姿を保てずに融解していく。
露になった内装は、既に溶解したようになって原型を留めていない。古泉が脚を踏み入れた保健室は既に、先程までの保健室の様相を呈していなかった。いつかに体験した、ある種の情報制御空間のようだと古泉は思った。

そしてどろりとした飴が伸ばされたような地平の見えぬ空間、――仰向けに、寝かされた細く折れそうな身体を見つける。
だらりと四肢を垂らした少女。スカーフは整えられているのに、纏った制服のスカートはよれて皺になっていた。
けれども臨む、少女の上蓋を落とした表情は不思議と穏やかだ。
眠っているかのような彼女の掌に握られていたのは、まるく赤く瑞々しそうな、齧り痕の残る一個の林檎。
古泉は無言で、眠っているかのような少女の下まで歩み寄り、――膝を折った。震える左腕を伸ばし、少女の頬に手を触れさせる。まだ生きているように暖かいが……それも、じきに温度をなくしていくだろう。

「…………『間に合わなかった』。この物語の小人役も、どうやらそういう役回りらしいですね」

古泉は、視線を上向かせた。
死神のように立つ、以前の絞殺未遂事件に目撃をした黒フードの立ち姿が、そんな倒れ伏した長門を観察するように見下ろしている。背景が銀色と黄土色をマーブルにしたような歪みに彩られる中で、ふわりともせず静止する黒布は、不気味に浮かび上がって見えた。
この世界における『妃役』、この空間で長門を付け狙い、手に掛けた人物であることは瞭然だった。だが、古泉は罵声を浴びせかけることも糾弾をけしかけることもない。
眼鏡越しの少女の瞼は動かず、その結末を何処かしらで予感していた古泉の、噛み締めた唇から血が滲む。 
 
 
  
―――小人が呪に苦しむのを気に病んだ心優しい白雪姫は。
―――そこに、毒が塗られているだろうことを承知の上で。
終わらせるために。誰もこれ以上傷つけないために、妃から林檎を受け取り、自ら、口にする。
 
  
     
『長門有希』はか弱く、脆く、優し過ぎた。
そしてそんな白雪姫の悲壮な死すら、計算づくで妃が書き上げたシナリオだというなら。視点を黒フードを羽織った『妃』役に向けて、古泉は遣り切れない総てをぶつけるように、問うた。
 
 
「どうして、ですか」
「…………」
「これは『あなた』だ。――あなたを、あなたが殺すのは、何故ですか…!!」
 
 
どうして、此の場に立ち会うのが、僕だったのですか。
 
古泉の臓を絞り切るような声に応じて黒布がはらりと落ち、蒸発するように端から消滅した。
露になったのは――古泉が縋るように抱いた少女とは違い、フレームのない素顔に、超然とした宇宙人端末としての匂いを損なっていない少女。白く薄い無表情の表層を保持し、古泉一樹の好意に、決して答えてはくれないだろう女性。
 
――長門有希、だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
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小人が駆けつけたとき、
――総ては、終わったあとでした。


毒の林檎に齧りついて、白雪姫は死んでしまいました。


けれど例えば白雪姫が生き残ったらば、
火で炙られた鉄の靴を履いて、お妃様は死んでしまうことでしょう。 

白雪姫を殺したのはお妃様。
――お妃様を、殺すのは、だあれ? 
 
 
 

 
(→8)


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