<<前回のあらすじ>>
 キョンと妹が気まずくなっている頃、古泉は力いっぱい長机を長門のマンションまで運んでいた。
 ジュースを買いに行く途中、キョンはハルヒに怒られてしまったが、嫌な気分ではなかった。変な意味じゃなくて。
 図らずとも自分を抜きにした緊急家族会議を盗み聞いてしまったキョンは、失意のうちに家を飛び出した。
 気づくとそこは、長門のマンションの前だった。

 

 

~~~~~

 

 

 長門は突然の来訪者である俺を、いつものように淡々と「入って」と言って出迎えてくれた。
 長机が設置されたままの部屋の中には、もうSOS団のメンバーの姿はなかった。当然か。今日の活動は終了して解散したばかりなんだ。
 長門しかいない部屋の中で長机だけがぽつんと立っている。楽しかった時間が終わりを迎えてしまった事実をつきつけられたような気がして、その光景が妙に物悲しかった。
 俺を招き入れた長門はテーブルの前に座ると、正面を指してどうぞ、と言った。夜分に押しかけた身で腰が低くなっていた俺は、長門に会釈して言われるがままそこへ腰を下ろした。
 勢いでここまで来てしまったものだから、長門に何と言って話を切り出したものか判からない。さて何を話したものか。俺がここに来るに到った理由を最初から順を追って説明していくと言うのも、何か違う気がするし。
「決まった?」
 俺の目の前に湯呑みを置き、長門はいつもの無表情でそう言った。
「何から話すべきか、整理はついた?」
 湯呑みからくゆる湯気で、少し視界が曇った。長門は、どこまで知っているのだろう。
 あるいは、何も知らないけれど俺があんまりみすぼらしい格好をしているものだから、大筋を察して気を遣ってくれているのだろうか。
 とりあえず長門が再び急須に湯を注ぎ、自分の湯呑みにお茶を注いでいるのを眺めながら、俺は無言で何をしゃべろうかと考えていた。

 

 

第一案『家族がかくかくしかじかな話をしてたのを偶然聞いちまったから、家から飛び出てきたんだ。今夜泊めて。』
 う~ん、箇条書きふうに説明すると分かりやすくて親切なのだろうが、そこまで我が家の事情を事細かに言う必要もないよな。

 

第二案『家族が俺の存在を持て余してるようなんだ。居づらいから今夜泊めて。』
 ここまで略すと、俺が追い出されたようで長門にあらぬ心配をかけてしまいそうだ。ボツ。

 

第三案『無職であることが家族に申し訳なくて、とうとう家出してきたんだ。今夜泊めて。』
 逆に俺がこんなこと言われた立場なら、「とっとと帰れ!」と怒鳴りつけるな。俺の心情的にはこれが最適なんだが、俺の心情を吐露しすぎていて長門に心配かけそうだ。

 

第四案『家が全焼して、焼け出されてしまったんだ。親子四散して行くあてもないから、今夜泊めて。』
 なぜ嘘をつくんだ、俺……。
 確かに何を言っても長門に心配かけてしまうだろうし、説教されても仕方の無い状況ではあるが……。いや、しかし……。だが嘘はいかんよ、嘘は……。

 


 どれくらいそうしていただろう。長時間、湯呑みを見つめながら眉間にシワを寄せてうなっていると、「今夜はもう遅い。泊まって行って」と囁くように告げ、静かに長門が立ち上がった。
 遅いって、まだ午後の7時前だぜ。あやうく口をついて、そんなことを口走りそうになった。自分のマヌケぶりを露呈してしまいかねないそのセリフを、俺はすんでのところで飲み込んだ。
「……悪い。ありがとう」
 結局、長門は知っていたのだろうか。俺がここへ来た理由。そして、知っていながら、俺が自分の口からそれを切り出すのを今まで待っていてくれて……でも、とうとう待ちくたびれて……

 


 もうずっと昔のことのようにも思えるが、俺たちがまだ高校生だった頃のこと。SOS団が発足した時から、徐々に俺は自分の意思で行動を決めることが少なくなっていった。
 それもそのはず。常人離れした行動力の持ち主、涼宮ハルヒ。宇宙人の長門有希に未来人の朝比奈みくる、超能力者の古泉一樹がしょっちゅう退屈する暇もない騒ぎに巻き込んでくれたんだ。
 周囲に引っ張り回されているうち、次第に俺自身の行動力は、そんな連中に吸い取られるように枯渇していった。
 SOS団にいつも引っ張り回されているということは、別の言い方をすれば、SOS団に行動を依存しているということ。他者に自分のすべきことを任せきり、それに頼ってしまうということ。
 いつしか俺はSOS団に面倒な行動の決定権を押し付け、誰かが腕を引っ張ってくれるのに身を任せるようになっていた。
 それは非常に楽なことだった。この世の中で何が面倒かって、自分で新たな目標を創造し、その実現のために行動して行くことほど疲れることはない。
 だから、いつも俺はぶつくさと文句を言いながらもSOS団にもたれかかっていた。自分のすべきことを次から次へと提示してくれる彼らの便利さに慣れ、それに馴染んでいた。
 なんという自堕落。一度車に乗り始めた者が自転車に乗らなくなるように、俺は心も身体も安楽な方向へと慣れ親しみ、それに癒着し、他力本願になっていた。

 

 俺は、膝の上でぐっと握りこぶしを結び、歯を食いしばった。
 働かなくとも、いつかなんとかなる。妹に嫌な思いをさせてしまっても、そのうちなんとかなる。SOS団と一緒にいれば、いつか仲間たちが俺の手を引いて何とかしてくれる。
 のんびりそれを待とう。待っていれば、解決の日はやがて訪れる。

 

 何とかなるわけないだろう!

 

 俺は自意識の中で何度もかぶりを振った。
 自分から動かなきゃ、何とかなんてなるわけがない。そんなことは分かっている。分かっているが、分からないふりをしようとしている。不自然なまでに自己正当化をしようと無理をするから、そこから苦しみが生じる。
 だが『日常』に慣れすぎた俺の頭と身体は、たとえ苦しみを感じても、面倒くさいという理由でいつもそこから目を反らす!

 

 ────自分でしゃべらなくても、賢い長門なら俺の言わんとしていることを察してくれるさ。言いたくないことを無理して言う必要なんてないだろ?
 ────長門に頼っておけよ。

 

 俺のそんな矮小な心根に気づいたから、長門は気を遣って今日は泊まっていけと提案してくれたんだ!

 

 ────家出しちゃったから、無難な長門のマンションに泊めてもらいたいな。長門なら断らないよな?

 

 長く太い舌をベロリと垂らす醜いバケモノのように醜悪な俺の自我がそう言っていた! 俺はそれに気づいていながら、その甘い言葉に自分から飛び込んだ!
 そんなことだから……そんなことだから! 俺はいつまで経っても……!

 

 

 俺は意を決して立ち上がった。のろのろと緩慢な動作だったが、俺にとってはそれが、渾身の力をふりしぼった動きだった。
「長門!」
 振り向いた長門の瞳に、薄らみっともなく、だらしない自分の姿が映っているような気がした。だが、だからこそ。俺は言わねばならない。自分が他人に頼らず、他ならぬ自分自身の口で言わねばならないことを。

 

「俺さ、家でいろいろあって……その、家出、してきたんだ。お前のところを頼るのも悪いと思ったが……他に、行くあてもなくてさ」
 肩越しにこちらを見ていた長門が、ゆっくり俺に向き直った。正面を向いた。俺も、正面から長門に向き合わねばならない。
「本当に悪いんだが、今晩、ここに泊めてくれないか?」
 言った……言い切った。
 わずかに。少しだけ。ほんのり、長門が微笑んだような気がした。
 再び俺に背を向けて台所へ歩いて行く長門の後を追い、俺も台所へ入って行った。心の中にはあふれんばかりの、達成感が満ちていた。
「夕食作るの、手伝うよ!」

 

 


「あんた、ゆうべ有希のマンションに泊まったの!?」
 これ以上ないくらいに目を丸く見開いたハルヒは、公園のブランコに急制動をかけながらそう言った。
「ん? ああ。ちょっと、やむにやまれぬ事情があってだな」
「事情って、家が全焼して焼け出されて、親子四散して行くあてもないから有希のマンションに行ったとか?」
「いや、そういう理由じゃないが……」
「じゃあどうせ、家で親に無職であることを心配されるのに耐えかねて~、とか言う理由でしょ?」
 ま、まあな……。よく分かったな。
「あったり前じゃない! あんたが家出する理由なんてそれ以外考えつかないわよ! 馬っっっ鹿じゃないの!? そんなことで有希の家に押しかけるなんて!」
 俺も自分のことながらバカな真似したな、とは思っているが。お前がそこまで激昂することじゃないだろう。
「有希のマンションは私たちSOS団にとって、のんびり羽を伸ばしたり将来のことを心置きなく内々に話し合ったりできる憩いの場なのよ!? そのオアシスを独占するなんて、身の程知らずにもほどがあるわ!」
 ちなみにハルヒは、長門の両親は高級マンションを購入した直後にオーストラリアに出張が決まり、長期の海外赴任のため渡豪していると思い込んでいる。
 長門本人がそうハルヒに説明したのだからハルヒとしても信じるしかないのだろうが、なんとも胡散臭い話だ。なんせ、長門はかれこれ5年以上あの部屋に独り暮らししてるんだもんな。


「で?」
 朝比奈さんのお茶を一気に飲み干したハルヒは、やたらと不機嫌そうな目つきで俺の胸倉をとっつかんだ。
「ゆうべは有希に、変な真似してないでしょうね?」
 なんだよ、変な真似って。
「有希に指一本ふれていないでしょうね、ってことよ。エロいあんたのことだから、おとなしい有希の性格につけこんで、あれやこれやそれやどれまで……」
 おいコラ。なに勝手な妄想を膨らましてるんだ。んなわけあるか。宿を提供してくれた恩人に、不義理な所業をするわけないじゃないか。俺はそこまで外道じゃないつもりだが。
「本当になにもなかったんでしょうね。何か不届きな行いに及んでみなさい。あんたのそのお粗末な物を、ガスバーナーで焼き切ってやるからね!」
 鉄工所の職員かよ、お前は。
「ふんっ!」
 最高にご機嫌斜めのハルヒは、そのままプリプリ怒って鶴屋さんの元へ歩いて行った。
 俺が長門のマンションに泊めてもらったことが、そんなにも腹立たしいのかね。何年つきあっても、あいつのバイオメーターだけは予測できないな。

 

 

 結局俺はその日も家に帰らないことになった。いや、『~ことになった』なんて他人任せな言い方はやめよう。自分自身でそう誓ったのだから。
 俺はその日も家に帰らないことを決めた。心苦しくはあったが、長門にそう進言すると、案の定と言うか何と言うか「今日も泊まって構わない」と応えてくれた。
 SOS団のメンバーが解散となった後、俺は長門と連れ立って夕食の買い物に出かけた。今日は、俺が一人で夕食を作るつもりでいた。一宿一飯どころか二宿二飯の世話になるんだ。いくら誠意を尽してもやりすぎるということはない。

 

「なあ、長門。お前は無職であることに悩んだりしないのか?」
 街灯の明かりの下を歩きながら、隣の小柄な宇宙人にそう問いかけた。宇宙人に就職問題を投げかける自分が、少しおかしかった。
「別に」
 予想通りの回答だ。まったくもって羨ましいよ。
「職業に就いていないことに懊悩を感じるのは、あなたがそこにコンプレックスを抱いているから」
 否定しないよ。この年になれば手に職を持って働いているのが当たり前だ、みたいな考えが主流のこの国じゃ、無職であることに引け目を感じて当然だ。
「無職であること自体は悪いことではない」
 無表情なまま、長門が何を言おうとしているのか。ちょっと興味があった。
「『子供』と『大人』の問題」
 長門はまた、ささやくようにそう言った。

 

「『子供』は被保護者、つまり保護されるべき者。『大人』は保護者、つまり被保護者を保護する義務を持つ者」
 俺の手にぶら下がるビニール袋が、がさりと音をたてた。
「極端な言い方をすれば、子供は働く必要のない者。大人は働かなくてはならない者。社会的な意味合いでそう例えた場合──」
 長門は、不意に俺の顔を見上げた。街灯程度の光源じゃ、その瞳に何が映っているのかを判別することはできなかった。
「『子供』は『大人』に成った時、初めて就労に服さねばならない」
 長門は足を止めた。靴ひもでも解けたのだろうかと俺も立ち止まり振り向くが、長門はただ、その場に立ち尽くしているだけだった。
「まず、『子供』であることを脱しなければいけない」
 小首をかしげて長門の意図するところを汲み取ろうと努力してみたが、俺にはそれ以上長門の言葉の意味が理解できなかった。
 長門が何を言っているのか皆目わからない俺は、結局その話題を切り上げて今夜の夕食のメニューへと議題を移すのだった。
 ただ、長門の言った『子供』という言葉が、頭の片隅にずっと残っていた。

 

 


「ふむ。それはひょっとすると長門さんなりの、あなたへの叱咤激励だったのかもしれませんよ」
 相変わらずブランコを独占するハルヒに背を向け、俺はベンチで古泉と昨夜の長門の話について論議していた。
「文化人類学の中に通過儀礼、イニシエーションという研究対象があります。これは、古来から人間が成長していく過程で経なければならない、文化ごとに定められた伝統儀式等の総称なのですが」
 学問とか専門用語はやめてくれ。俺には難しすぎてよく分からん。
 なにが嬉しいのか知らないが、古泉はいたく喜ばしい表情で、ふふっと笑ってみせた。こいつ、俺を無学だとバカにしたいのか?
「たとえば、縄文時代の古代人たちは、子供が大人へと成長する一つの転機として、歯を抜く風習があったと学校の歴史の時間に習った覚えはありませんか?」
 ああ、そういえば日本史の授業で抜歯、とかいう単語があったようななかったような……。
「昔から、そして今でも、世界各地の民族の間では抜歯や刺青、バンジージャンプなど危険や苦痛を伴う行為が、子供から大人へ成長すための重要な儀式であるとして脈々と受け継がれています」
 そういやテレビ番組で観た覚えがあるな。ジャングルの奥地みたいな場所に住んでいる民族は、子供が大人になる年齢に達すると密室に閉じこもって数日間断食する風習がある、とか。
「それが通過儀礼、イニシエーションと呼ばれるものです。通過儀礼は主に痛みを伴うことが多いのですが、日本においては元服や七五三など、祭典のみに留まるものが主流ですね」
 ずいぶん野蛮な風習だな。歯を抜いたり、肌に針をさして刺青しないと大人として認めてもらえないなんて。
「野蛮、原始的と言い切ってしまうと、確かにその通りですが、苦痛を伴う通過儀礼とは非常に効率的なものでもあるのですよ」
 こういう話をしていても、古泉の笑顔は崩れない。話題が話題だけに、ある種のサディスティック野郎かと思われるぞ。
「まず痛みを伴うことにより本人にダイレクトに、自分は大人であると認識させることができます。苦痛というファクターが、『式典』と『成人』という二つのイメージを直結させるのです」

 

「あなたは中学校の卒業式で、自分が義務教育から解き放たれ大人の仲間入りを果たしたと感じましたか? 成人式に出席して、自分が成人と呼ばれる人間になったのだと自覚しましたか?」
 そう言われると……してないな。式典の意味は理解していたからそれなりの感慨はあったが、何かを感得したり自覚したかと言われると……していない。
「それが普通ですよ。僕もそうです。現代の日本の式というものは、たいてい形骸化した退屈なだけの物が非常に多い」

 

「だから我々は主観的に、自分の人生の節目を理解できない。成長の境目を感じることが難しい。いつまでも自分が子供だと、心のどこかで思ってしまう」
 俺はわずかに身をふるわせた。考えてみれば「俺はまだ若いから、子供だから」と、自分のどこかにそういう思いがあり、それが就職や大人らしい振る舞いへの障害になっていたように感じられる。
「三十代や四十代のいい年した大人に幼稚な人がいたりするのは、そこら辺にも原因があると思いますよ。自分の成長の過程が客観的に理解できないから、いつまでも自分を『子供』であると思い続けてしまう」
 俺は何気なく、後ろを振り返ってみた。そこでは、ご機嫌真っ盛りなハルヒがぶんぶんとすごい勢いでブランコをこいでいるところだった。
 おそろしい……。あれが二十代の女というのだから……。小学生にしか見えないぞ。俺が言えた義理じゃないが……。

 

 

「通過儀礼を話の引き合いに出したのは、長門さんの語った話を元に僕が考えた、僕なりの意見です。あまり気にしないでくださいね」
 今日は少々、予定がありますのでこれで失礼します。そう言って、古泉は公園を後にした。
 俺の頭には古泉の話した通過儀礼の内容が、流水のようにぐるぐると回っていた。

 

 苦痛を伴うような特別な経験をしなければ、人は『大人』にはなれない? 特別な経験を体験できない人は、いつまで経っても『子供』のまま?
 古泉はそこまで極端な話はしていなかったが、詰まるところ、俺にはそう思えてならなかった。
「ねえ、キョン!」
 特別な体験というものに一切心当たりがない俺は、果たして『大人』になれるのだろうか。などと考えていると、突然後ろからハルヒが呼びかけてきた。
 肩越しに振り返ると、やたらと嬉しそうに手を腰にあて、さん然と笑みを浮かべる団長さまがそこに立っていた。
「私も今夜、有希の家に泊まることにしたわ!」

 

 徐々に自分の眉間にシワが寄っていくのが、手に取るようにわかった。

 

 

  つづく

 


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