とある高層ビル。
 鶴屋家当主は、夫の姿を認めると、手を振って、叫んだ。
「やあやあ、愛しのマイダーリンっ!」
 彼女がいうとまるで色気がないが、彼女の笑顔はみんなを幸福な気分にしてくれるものであり、夫ももちろんその例外ではなかった。
 彼の口元から自然に笑みがこぼれる。
「海外出張の成果はどうだったかなっ?」
「順調だよ」
「そいつは結構だねっ」
「留守中に何かなかったかい?」
「うちは極めて平穏無事さっ。子供たちも元気に走り回ってるしねっ」
「元気すぎるのもどうかと思うけどね」
「子供は元気が一番なのさっ」
 鶴屋夫妻は、仲のよい夫婦ぶりを見せつけながら、会議室へと入っていった。
 これから、鶴屋ホールディングスの経営会議があるのであった。
 
 会議の議題はいくつかあったが、たいがいの議題はパッパッと片付いていく。
「次は、国際宇宙開発機構からの出資要請についてです。機構の事業内容は、お手元の資料のとおりです」
「なかなか面白そうだね。10億円ぐらい、ちょろ~んと出してやっていいんじゃないかなっ」
「資金的には問題はないのですが、株主に説明できる理由が必要です」
「この機構は『機関』がらみっしょ?」
 鶴屋家当主は、市場調査部長を見た。
 市場調査部とは称しているが、調査内容は非常に広く、国家の諜報部門なんかよりもはるかに優秀である。
「はい。理事に森園生を初めとする『機関』の幹部クラスが入りこんでますし、構成員の3割が『機関』関係者です。『機関』の宇宙開発部門のダミーと見てよいでしょう」
「なら、『機関』への貸しってことにしておけばいいさっ。『機関』がらみの利権はうま味があるしね。元はとれるっしょ。なんなら、あたしが森さんとサシで交渉するよっ」
「確かにそのとおりではありますが、それは表には出せないことですから」
「表向きは理由は、事実上の広告費ってことにしておけばいいさっ。宇宙開発に資金援助ってのは、うちにとってもいい宣伝にょろ」
「そうですね。広告効果については、詳細に計算してみます」
「頼んだよっ」
 
 会議が終わり、会議室を出た鶴屋夫妻は熱いキスをかわしてから別れた。お互い忙しい身であり、昼間はともに過ごせる時間がほとんどない。
 
 鶴屋家当主は、窓際にたたずんでいる一人の女性のもとにゆっくりと歩いていった。
 周囲には誰もいない。
「眺めはどうだい? みくるん」
 朝比奈みくるが、振り返る。
「とてもすばらしいですね」
 高層ビルの窓から眺める景色は絶景だった。
「気に入ってもらえて光栄さっ」
「会議の方は?」
「つつがなし、ってとこさね」
「そうですか。一安心ですね」
「それにしても、機構が打ち上げる宇宙ステーションに、ハルにゃんが行くってのは本当かい?」
「ええ。このまま順調に行けば」
「それはあたしに任せときな。金でも何でもどーんと出してやるにょろ」
「ありがとうございます」
「しかし、みくるがわざわざ暗躍しているのはなんでだい? ハルにゃんの宇宙旅行をかなえるためだけじゃないよね?」
「涼宮さんが宇宙ステーションで行なう実験の中には、私たちの時代の重要技術の端緒となるものがありますので」
「なるほどね。『機関』はみくるたちに体よく利用されてるってわけだ。森さんも古泉くんもかわいそうにょろ」
「鶴屋さんがいっても説得力ないですよ」
 体よく利用しているのは、鶴屋家も同等かそれ以上だ。
 系列会社が次々と進める企業買収に独占規制当局の横やりが入らないのは、「機関」を通じた政治工作によるところが大きい。
 
「結局そうやって『機関』そのものが寄生されていくってわけさね、みくるたちの『機関』時空工作部に」
 
 朝比奈みくるの表情が固まった。
 彼女は、この時代で自分の組織の正式名称を口に出したことは一度もない。この時代の「機関」に知られたらまずいことになるからだ。
 それなのに、鶴屋家はどこでそれを知ったのか?
 
「悪いけど調べさせてもらったよ。みくるたちは、この時代の『機関』に対するガードは固いけど、側面の防御は案外抜けてるね」
「肝に銘じておきましょう。しかし、その情報をどうなさるおつもりですか?」
「『機関』がこのことを知ったらどうするかなんて、簡単に予測できるよ。みくるたちの未来を壊すなんて簡単なことさ」
 未来の「機関」の中に、朝比奈みくるたちの組織が形成されることを知ったならば、この時代の「機関」がその歴史をぶち壊すことはあまりにも簡単すぎる。
 反未来人の急先鋒である森園生なんかは、ためらいもせずそうするだろう。
 いったんそういう流れが始まったら、朝比奈みくるたちがどれほど介入しようとも、阻止することは著しく困難だ。
「……」
 朝比奈みくるは、じっと鶴屋家当主を見つめた。
「そんな怖い顔しないでほしいにょろ。別に今すぐどうこうするつもりはないよ。あたしだって好き好んでみくるたちの未来を壊したくなんかない。みくるはあたしの親友だし、これからもそうさ。でも、」
 彼女は、ここでいったん言葉を切った。
「鶴屋家としては未来人と対等にわたりあうための有効な手札を握っておきたい。そういうことさね」
 朝比奈みくるは、溜息をついた。
「……たいしたものですね。あなたなら、情報統合思念体ですら手玉にとれるのでは?」
「ハハハッ。さすがにそれは無理にょろよ。有希っこ一人でも手ごわいさっ」
「とにかく、上層部には伝えておきます。おそらく静観という結論にはなるでしょうけど」
「それでいいよ。じゃあ、真面目な話はこれぐらいにして、お茶でもどうだい? 中国から珍しい茶葉が手に入ったにょろ」
「ご相伴に預かります」
 
 その後、朝比奈みくるは、応接間でお茶と茶菓子をご馳走になってから帰っていった。
 それを見送ったあと、鶴屋家当主は、盗聴防止特別回線につながっている電話を手に取った。
 
「有希っこ、久しぶりだねっ。鶴にゃんだよっ」
「久しぶり……」
「ところで、そっちに、みくるんが来なかったかい?」
「来てない」
「そっかい。てっきり、あたしたちの記憶を消すように頼みに行くかと思ってたんだけどね」
「今そのような要請があったとしても、私が応ずることはない」
「なぜかなっ?」
「私の任務は涼宮ハルヒ及びその関連事項の保全と観測にある。そこから導かれる基本的な方針は、不干渉。涼宮ハルヒ及びその関連事項の保全と観測に支障を及ぼす具代的な事象が発生しない限り、私が干渉行為をとることはありえない」
「なるほどね」
 
 それから少しばかり世間話をして、電話を切った。
 未来人に対する切り札は切った瞬間に宇宙人によって無効化されてしまうだろうことは確認できた。しかし、抜かずの宝刀といえども、使い方によっては有効だ。
 彼女は、一人でうなずくと、また別の電話番号をプッシュした。
 
「やあ、森さん。元気かい? ……それは何よりさね。例の国際宇宙開発機構だけどね。……うん、10億ぐらいはすぐに出すさ。……いやいや、礼には及ばないよっ。世の中、ギブアンドテイクっていうじゃないか。その辺のことでちょろ~んと話をしたいんだよね。
……じゃあ、そこで落ち合うってことで、よろしくっ」
 彼女は電話を切ると、すぐさま総務部に電話をかけて、車の手配をした。
 
 鶴屋家当主の多忙な一日は、まだまだ続く。
 
終わり
 

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最終更新:2020年07月24日 15:50