家を出た俺たちはひとまずいつもSOS団で待ち合わせをしている駅前へと向かうことにする。
町を探索すると言うのならやはり始まりはそこに行くべきであるとなぜか思ってしまったのだ。悲しいかな、これも慣れてしまったと言うことなのだろうか。
駅前はやはり駅前なだけあっていくら暑いとは言えども、毎度のことながら多くの人通りがあった。全くこんな暑い日に何やってるんだか。ま、俺たちも人のことは言えないんだけどな。
いつもならここで喫茶店に入って一息つくところなのだが、さっき朝ごはんを食べたばかりだし、喫茶店でのんびりなどしちまったら最後までだらけてしまうような気がするので今日はパスをさせてもらうことにする。これでこの喫茶店は今週の収入が減ったに違いない。そして俺の財布の重さの下り坂にブレーキが多少かかったのも事実である。
「これからどうする?お前らどこか行きたい所でもあるか?」
このままここに立っていてもしょうがないからな。暑いし。
「わたしはふしぎがありそうなところならどこでもいいよっ!」
「あなたにまかせる」
・・・やっぱりな。そうくると思ったぜ。だが今回の俺は前回の俺とは一味違うぜ。なんてったってこうなることを見越して最初のルートは考えてあるからな。
・・・最初だけだがな。悪いか?
どうせ後は行き当たりばったりでどうにかなるだろう。きっとなるさ。
「だったら俺の行きたいところでもかまわんか?」
「うんっ」
「かまわない」
そういうことで俺たちは今近くを流れている河川敷を北上しながら歩いている。
四月にはきれいな花を咲かせていた桜並木は今ではぎっしりとその枝を青々とした葉で覆っており、涼しい木陰を作り出している。いわば自然のアーケードだ。
その下を長門が俺の横ぴったりと横に並び、涼子は少し前を小走りで進んでいる。時折ひょいと振り返るしぐさが父性本能を刺激してくる。ああ、可愛いぞ。我が娘よ。
最初に朝比奈さんと歩いた時にも思ったことだが、やっぱりこの川沿いは本当に散策にうってつけだ。川のせせらぎは耳に心地良いし、日差しを遮る木陰は涼しいし、時折吹いてくる風は火照った身体に気持ちいい。それに、きゃあ!と叫んで毛虫毛虫としがみついてくる涼子は可愛いし、何かの拍子で長門と肩が触れ合ったりして妙にどきどきするし・・・。
正直、たまりません。色々な意味で。
最後の二つは除くとしても、やっぱりこの川沿いはいい場所なのでところどころで家族連れやカップルとすれ違うのだが、俺たちはどう見えているのだろうか?
兄弟?家族?カップル+α?いや、もしかすると・・・
と考えていると、
「ねぇ。どうしておとーさんはこのかわにきたの?」
という涼子の質問で我に返る。
「ん?どうして父ちゃんがこの川に来たかったかだって?」
「うん」
どうしたものか。話してしまってもいいものなのだろうか、という意味を込めて長門に視線をやると、コク、と頷き返してきた。たぶんOKという意味だろう。
「それはだな。この川は父ちゃんが初めて未来人と二人で歩いた場所なんだよ」
「みらいじんって・・・あのみらいじん!?」
「そうだ。その未来人だ」
あの未来人ってどの未来人のことを指しているのか分からんがひとまず答えておく。
途中からなんか隣からギロリというような視線を感じるんだがこれは気のせいかね。
「それでそのみらいじんさんとはなにをおはなししたの?」
ギロリ
浮気がバレた亭主が喰らう妻の視線クラスの視線が俺に突き刺さる。あ・・・あの、長門さん?痛いです。
とりあえず俺は話題を変えるために、それよりもアレ見てみろよ、と言って周りの景色を見渡す。何か、何か涼子の気を引けるものはないか!?それさえありゃこの場はなんとかなるぞ!と言うよりむしろなんとかしないと俺の身に危険が!
「ん?」
大急ぎであたりを見ていた俺の視界に、一つの尖塔が目に入った。てっぺんに十字架が付いていることから考えるに、どうやらその建物は教会らしい。
「ほ、ほら涼子。あんなところに教会があるぞ。もしかすると教会で何かやってるかもな」
「え、ほんと!?じゃあはやくいこっ!ね、いいでしょ、おとーさん」
「もちろんだ。よし、それじゃあ教会まで父ちゃんと競争だ!」
と言って走り出す。
「あ!おとーさんずるいよー!わたしだってまけないんだからっ!」
涼子も追いかけてきた。俺は少し進んでから足を止めて振り返りざまに長門に、
「ほら、お前も行くぞ、有希」
と下の名前で声をかける。これで少しは機嫌を直してくれるといいんだが・・・
という考えはどうやら杞憂だったようで、長門はというと、顔を少し綻ばせてからこっちをチラリと見てからトテトテと歩いてきた。
「ほら、おかーさんもいっしょにいこっ!」
気付けば涼子が俺の隣にいて、長門に手を伸ばしている。
・・・いい子だなぁ、お前は。
それを見て俺は涼子のもう片方の手を取ってから空いている方の手でこっちこっちと長門を呼ぶ。
やがてこっちに来た長門は涼子の手を取った。
「それじゃあはやくいこうよ!ねっ?」
三人手をつないで俺たちは教会へと向かった。
ガラーン、ゴローン、ガラーン、ゴローン、ガラーン、ゴローン・・・・・
それは、二人の新たな旅立ちの合図。幸せな未来への道しるべ。
教会へ到着した俺たちを待っていたのは、壮大な鐘の音だった。
「結婚式、か」
ちょっと敷地内の覗くと、ちょうど教会の中から新郎新婦が出てくるところだった。
「うわぁ!およめさん、きれー!おかーさん!みてみて!」
「・・・本当にきれい」
花嫁は純白のドレスとティアラを纏い、同じく純白のタキシードを着た花婿にエスコートされている。その手にはまだブーケが握られていた。
きっと二人の心には幸せが満ち溢れているんに違いない、遠くから見てもそう思わせるくらい素敵な笑顔を添えて。
そんな二人を静かに、そして少し寂しそうに眺めているのはきっと花嫁のご両親だろう。
自分の人生の半分に近い時間を共に過ごし、見守り、育ててきた愛娘が今、自分達の元を離れていこうとしているのだ。きっと複雑な思いなんだろう。
「わたしもあんなふうにきれいなおよめさんになりたいなぁ・・・」
涼子は人差し指を尖らせた口に当てて羨ましそうに花嫁を見ている。
おいおい、お前にはまだ早いだろうが。
と思いつつも、目の前の花嫁とこいつを重ねる。
「今まで育ててくれてありがとうね、お父さん、お母さん」
真珠のようなドレスとレースに映える長い黒髪。
薄くルージュを塗った艶やかな唇。
星のようにキラキラ輝く瞳。
左手の薬指に光る指輪。
自分達の娘としての最後の笑顔。
高校生の朝倉涼子がもう一回り二回り大きくなって、大人びた姿を想像する。
一瞬、時間が止まったような気がした。それと同時に世界が回転しているような錯覚を覚える。
どうして現実はこんなにも残酷なのだろうか。
そして、どうして俺はこのことを忘れていたのだろうか。
女の子なら誰もが夢を見る花嫁。
その夢を叶える事ができないということを。
叶うであろう未来がないということを。
そう。もうこいつには時間がないのだ。
なぜだ!?どうして!?
大声で叫びだしたくなる心の奔流をなんとか理性で抑えつける。
「・・・おとーさん、どうしたの?」
俺の胸の中から声が聞こえる。その声で我に返ると、俺はしゃがみこんで涼子に抱きついていた。
どうやら俺の心の奔流は完全には押さえ切れなかったらしい。
「いや、ちょっとな。お前が嫁に行っちまうところを想像してな」
嘘は言っていない。本当にその姿を想像していたんだからな。
「もう、おとーさんたらそんなにさみしがんないでよ。ね?」
耳元でささやかれる。
「だってわたしはねっ、おおきくなったらおとーさんとけっこんするんだっ!」
にっこりと満面の笑みで俺にそう言った。
視界が真っ白になる。周りの雑音も一切消えてなくなった。耳に入ってくるのは涼子の言葉の残響。
それは、父親なら誰もが誓い、誰もが破られる約束。
俺は完全に不意をつかれた。
おおきくなったらおとーさんとけっこんするんだ。
その言葉がどれだけの重さを持っているというのか。
叶うことのない夢。
辿り着くことのできない未来。
それらを知らないが故に交わされる約束。
それは伝えることのできない俺の罪であり枷である。
そして俺はその重さを背負わなければならない。
俺がこいつと暮らすことを願ったから。共にいることを願ったから。
だったら俺は最初からこいつを拒絶していればよかったのか?
拒絶していればこの重さを捨てることができたのか?
そう遠くはない過去を目を閉じて振り返る。長門に選択を迫られたあの日のことを。
・・・いや、そんなことなど考えられない。
確かに拒絶を選択していたならば昨日から感じているこの苦しみはなかっただろう。
俺自身が元々欲していた平穏な日々を過ごせていただろう。
今、俺の閉じた瞼の裏には、この数日間で見せた涼子と長門の表情が鮮明に焼きついている。
笑顔だけではない。困った顔や怒った顔。色々な表情を見てきた。
それらのなんと眩しいことか。美しいことか。
それらはきっと、いや、決して忘れるもののできないものだろう。
その大切なものを無かったことにする。
それは裏切りだ。自分に対して、涼子に対して、長門に対しての裏切りだ。
だったら俺は何をすべきなのだろうか。
いや、そんなのはもう決まっている。
そう、すべては。
すべては今在る涼子の笑顔のために。
「・・・おとーさん、ないてるの?」
「え?」
急いで顔に手をやると自分の頬に一筋の涙の後があった。
くそ、こいつの前では絶対に涙を見せないと昨日誓ったばかりなんだがな。
「・・・・・ああ、そうだ。父ちゃん嬉しくてな。お前が大きくなるの、楽しみに待ってるぞ」
「うんっ!」
心にチクリと小さな痛みが走るが、それを隠すようにしてギュウと涼子を強く抱きしめる。
今ここに在ることを確かめるように強く強く抱きしめる。
その背後では、花嫁がブーケを放っていた。
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