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「ひどいじゃないですかぁ!!」
「うをわっ!!」

 草木も眠る丑三つ時……って、少し表現が古風過ぎることもあるかもしれないが、気にしないでくれたまえ。
 つまり、辺りは真っ暗、深夜の出来ごとである。
 本日……いや、もう昨日か……の練習でクタクタになった俺は、ペンションに戻ってゆったりと休み、温泉で体をほぐし、疲労回復効果とスタミナが満点の夕食を食べ、皆との楽しいゲームもそこそこに切り上げ、就寝についたのだ。
 慣れない運動は不必要な筋肉を過度に行使するため、筋肉痛による痛みと倦怠感が毛細血管の末端まで行き届いていた俺は、ものの数秒で意識が墜ちた。
 心地よい睡眠が俺を包み込み、そのまま次の日の朝を迎える――はずだったのだが、橘の悲壮なまでの叫び声がそれを妨げた。
 橘は全身雪だらけで、顔は霜焼けになったみたいに赤く腫れ、ガタガタ震えていた。
 自慢のツインテールはバサバサになったまま凍り付き、まるで竹ぼうきのようであった。
「あたし……ちゃんと……ズズズッ……十時から……うううっ……待って……ズルズル……たのに……ひどぃ……」
 橘は寒さのためだろうか、鼻を啜りながら断続的に言葉を口にしていた。
「途中から……ズズッ……雪が降って来るし、風も強くなって……ぐしゅ……来るし……キョンくんこないし……くちゅん!!」
 おいおい、鼻水が垂れてきてるぞ。取りあえず鼻をかんでから喋ろ。
「うっ……これはあたしとしたことが……えーと、ティッシュどこだっけ……」
「ほら、これ使え」
「あ、どもありがとうございます」
 俺のベッドに据え付けてあったティッシュを数枚渡し……

 ヂーン!ブフゥーン!

 なかなか豪快な音を響かせて鼻をかむ橘。とても年頃の女の子が人前で、しかも異性の前でする仕草には思えん。
 まさか道端で痰なんか吐いてないだろうな。『カ~ッ、ペッ!』なんて言ったりして。
「ふう、すっきりしたのです。ありがとうございます。キョンくん」
「ああ、よかったな。今度からティッシュは忘れるなよ。あとハンカチもな」
「はーい、気をつけます」
「じゃあ、帰っていいぞ」
「はい、それじゃさよなら」
 橘は笑顔で手を振り、ドアノブに手をかけ……
「……って、違います!あたしはキョンくんにティッシュをもらいに来たんじゃありません!」
 ちっ、騙されなかったか。
「当たり前です!あたしを誰だと思ってるんですか!」
 知ってる。とーっても傍迷惑な、爆裂滑走女ってことを否定する余地は、ミカヅキモの触手の先っ端よりもない。
 加えて、ティッシュをもらうだけのために深夜に人を起こす奴など俺は見たことがない。もしかしたらお前が初めての人間かと思ったが……やっぱ違うのか。
「当たり前です!わ、わかってるならからかわないでください!あたしもあやうく本来の目的を本気で忘れかけてました!」
 本気でって……頭大丈夫か? こんな俺でも、一応は演技でボケた振りをしてるんだぞ?
「そこんところはまた次回の合宿までの課題と言うことで……そ、それよりなんでこなかったんですか!」
 どこにだ?
「どこって……待ち合わせ場所にです!」
 何か待ち合わせしてたか……?
「……キョンくん、本気で言ってるのですか? さっき約束したじゃないですか!それともお得意のボケってやつですか!? いい加減あたし怒りますよ!」
 プンプンと怒る橘を余所に、俺は訝しげな表情をみせた。
 もちろん演技である。約束は覚えているし、場所も時間も鮮明に記憶している。では何故こんなやりとりをしているかと言うと……
「ああ、あれか……あれって、漫才の練習じゃなかったのか?」
「へ?」
「お前と藤原、絶妙なタイミングで駆け引きをやってるからとっても印象深かったぞ。あれなら上京してもやっていけるだろう」
「あの、何の話をしてるんでしょうか……?」
「だから、お前と藤原の漫才の評点だろ?」
「…………」
 橘?
「う、うわわぁーん!ひどいです!」

 おもむろに声を上げ出す橘。
「もういいです! キョンくんにはほとほと愛想がつきました! こうなったらキョンくんにも天誅を与えてやるのです!」
 橘は少々切れ気味の声を上げて俺の鼓膜を刺激させた。
「明日あなたには恐怖の大魔王やらアルマゲドンやらが降り懸かって来るのです! 今更後悔しても遅いのです! あたしを怒らせた罰なのです、思い知るがいいわ! オーッホッホッホッホ!!!」

「…………」
「…………」
「…………」

「……あの、何か言ってもらわないとあたしも反応が取りづらいんですが……」
 どんなリアクションを期待してたんだあんたは。
「そうですね……談合疑惑をタレコミするぞって脅された、省庁の係長クラスの人間みたいなリアクションを希望します」
 係長ってまた微妙な……そして普通談合で困るのは入札する企業側だと思うんだが、そんなツッコミはあえてしない。
 しょうがないな……俺はやれやれと内心呟きながら、橘のリクエストに答えてやった。
「な、なんだとっ!!」
「ふふふふふっ、呪うならば自分自身を呪うことね。自分の場を弁えない行動が、自らの首を締めることになるんですから。それではさよなら。オーッホッホッホッホゴッ!」
 橘はそう言い残し、部屋から出て行った。言葉の終わりに変な悲鳴が混じっていたが、あれは後ろ向きに歩いていた橘がドアにぶつかった音だ。
 ったく……相変わらずドジ具合が橘京子だな……



 日が明けた。本日もピーカンの天気であった。俺はカーテンと窓を明ける。凍付くような空気が部屋の生暖かい空間に喝を入れ、俺の五感を刺激する。
 俺は一息つき、そして一言。


「ねみぃ……」


 ああ悪かったな。橘のせいで、中途半端に起こされて眠くなかったんだよ。ようやく眠くなったと思ったら日が明けて……
 まあ、眠れないことを理由にこういった宿お楽しみの有料放送を楽しんでたのも一因ではあるが、それは些細な出来事にすぎない。俺が寝不足である大多数は橘京子のせいだといって他ならない。ならないと言ったらならないのだ。
 しかし、俺が所持あるごとに書き募った、ライトノベル一冊分に渡る陳述書を提出しても、あの愉快痛快サイキック少女はそれを破竹の勢いでスルーしそうだ。だからあえて何もつっこむ事はしない。
 俺は眠い目を擦りつつ、眠気覚ましのシャワーを浴びることにした。
 橘が何を企んでいるか知らないが、どうせ大したことじゃないだろ。藤原も一枚噛んでいるかもしれないが、ピンチになったら朝比奈さん(大)をが来てくれるだろう。
 だからあんまり気にしないで本日最終日を楽しむことにしよう。その方がいいに違いない。
 だがしかしこの数時間後、俺のこの時の判断が激しく間違っていたものと自覚することになった。



 次の日。橘京子は至って普通だった。
 朝食時も、その後の後片付けも、取り立てて奇妙奇天烈な行動をすることはなかった。
 ハルヒや佐々木の気に触れるようなことをするでもなく、機関の目の敵にされることを実行するでもなく、平穏に時間だけが過ぎていった。
 人生において、何事も起きなく事が過ぎていくというのはとてもつまらない物である。だがしかし、俺はハルヒが常時考えているような尋常ではない世の中に没頭する気はないし、起きて欲しいとは思わない。
 前にも行ったかも知れないが、俺は不思議現象に巻き込まれる当事者ではいたくないのだ。脇役で『こんな経験に会いました』っていうキャラの方が断然似合っているのだ。
 だから、今までの経験は途方もなく貴重な体験と自覚する一方、俺には身分不相応なものばかりだった。面白可笑しい経験はハルヒの前で起こすのが妥当であるのであって、俺が巻き込まれても何のメリットもないだろう?
 逆に俺以外の人間が、自分の望む出来事に巻き込まれるのであればそれこそ歓迎すべきなんだ。
 そう考えていた。今までは。
 しかし、いつも妙な事件に巻き込まれている昨今の俺は、むしろ何も起きないことが普通ではないと思い始めていた。
 俺が何を言いたくなってきたか分からなくなってきた人もいるかも知れないので、ここらで俺の意見を率直に申し上げよう。つまり、橘京子が何も事を起こさないでいると言うことは、つまりそれ自身が恐怖の対象なのだ。所謂嵐の前の静けさって言う奴だ。
 そして、俺は本日初めてこの言葉の意味を真に理解することになる。



 本日もボードを滑ることになった。最初は練習がてら数本滑り、その後皆で競争し、この合宿の締めとすることになった。
 皆で競争する、っているのがハルヒの一番望んでいたことのため、今日は独自行動は許されず、橘や藤原も俺たちの団体に組み込まれて滑っていた。
 当初はこの二人が何かしら干渉をしてくるものばかりだと思い、警戒を行っていたのだが、どうやらそれっぽい仕草を見せることはなかった。
 俺の取り越し苦労なのだろうか。それともまだ仕掛けるタイミングではないのだろうか。何れにせよ、注意をしてしすぎることはない。暫く監視の目は緩めないようにしておいた方が良さそうだ。
 しかし、これが完全に徒となった。情報操作は既に始まっていたのだ。あれだけ雲一つ無い真っ青だった空が、いつの間にか曇りだした時点でおかしいと気づくべきだった。


 それからおよそ数分後、視界ゼロの吹雪が突如やってきた。


「何よこの吹雪! 全く見えないじゃないの!」
「涼宮さん、あまり離れない方がいい。こういうときは固まって団体行動をとるべきだよ」
「み、みなさ~ん、待ってくださーい、先に行かないでください!」
「落ち着いてください、朝比奈さん。あなたが一番先頭を歩いています。皆の声を良く把握してください」
「大丈夫か? 僕が前を行くからその後をゆっくりついてきてくれ。離れないように僕のウェアでも掴んだほうがいい。ほら、遠慮しなくてもいい」
「んん……服が汚いので嫌ですぅ」


 俺の周りでは、メンバー数人の不安と怒りの声がこだましていた。この分ではみんな無事のようである。長門と九曜の声は聞こえないが、二人の冷たい目線を感じることは出来ていた。恐らく近くにいるだろう。
 このタイミングでの吹雪……去年の冬合宿を思い出す。長門が高熱で倒れ、俺たちを隔離しようとした天蓋領域に引っかき回され、ハルヒに集団催眠だったという嘘で乗り切ったあの一件。
 もしかして、今回も同じ事が起きているというのか? だが、去年の吹雪発生源である天蓋領域の末端は今現在ここにいるし、長門も(姿は見えないが)健康体そのものである。となれば宇宙人の仕業とは考えにくい。
 では、本当の悪天候なのか?
 肌に感じるデンドライト状の白い結晶は確かに冷たく、自分の感覚が狂っていないのは確かである。その結晶はやがて解け、水となるのもまた普遍の理と言って差し支えない。
 だが。俺はどうしてもこれが自然の現象とは思えなかった。外因的手法を用いて強制的にこの現象を発生しさせているとしか思えななかった。
 宇宙人では無いとすると、一体誰が? 未来人? いや、未来人は天候を左右するだけの能力は無いはずだ。限定空間でしか活動できない超能力者は言うに及ばず。
 まさか、あいつらが望んだからか……?

「……ョンくん! どこですかぁ! キョンくん!!」
 俺がまた一人で考え事をしていると、後ろから俺を呼ぶ声が聞こえてきた。その声……橘か?
「ああ! キョンくんはいたのですね!よかったぁ!! 他の人は応答がなかったから、はぐれちゃったかと思いましたぁ」
 なに? とう言うことは、ここには俺以外はいないと言うことか?
「えーと、そんな感じになりそうですね……」
 どうするんだ! 早くみんなと合流しないと余計はぐれてしまうぞ!
「でも、今あたし達がおかれている状況は五里霧中……いえ、五里雪中と言っても過言ではないのです。辺りを闇雲に歩いたところで皆さんと簡単に合流できる可能性はありません……」
 確かにその通りだが……だが引っかかる。
 皆の声が聞こえなくなってきたのはほんの少し前だ。この猛吹雪の中、塵芥が吹き飛ぶ程度の時間で、声が聞こえなくなるほど遠くに行ってしまうことなど鯉の滝登り状態、到底不可能だ。
 加えてこの状況。俺と橘のみこの状況に陥ってしまった背景。即ちそれは、人知を超えた圧力がかかっているとしか思えない。
 ――まさか佐々木、まさかお前がこの状況を作り出したというのか? 昨日の続きをまたしろとでもいうのか?
 ――橘、今の佐々木の心理状況を教えてくれ!
 俺はそう叫ぼうとした。いや、実際は叫んだつもりだった。
 しかし、その声は橘には届かなかった。
 橘ともはぐれてしまったから――いいや、恐らく違う。姿が見えないので正確なことは分からないが、俺の推論が正しければ、橘とはぐれることはあり得ないから。
 では、なぜ橘に俺の声が届かなかったのか。その理由は簡単。俺の声がかき消されたからだ。
 一体何によってかき消されたか。それは……


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
 地面が、大地が、地球全体が鳴り響くような音。この振動が、俺の声をかき消したのだった。


 ――ちょっと、何の音、これ!?――
 ――え? え? 少し揺れてないですか??――
 ――まさか……自身か?――
 ――いや、自身ならこんな小刻みな揺れではなく、もっと周期の大きい揺れを観測するはずだ――
 ――これは……――


「皆さん!伏せてください!!」
 聞こえるはずのない、皆の声。そして古泉の悲痛に近い叫び声が聞こえた。そんな気がした。
 瞬間。

 ドドドドドドドドド……


 俺は、雪崩に巻き込まれたのだった――


「ぷはっ!」
 最初、何が起きたのか分からなかった。それもそのはず、辺り一面真っ白な視界で覆われていたのだから。
 しばし頭を巡らせる。……そうだ、たしか雪崩に巻き込まれて、流されて……。
 自分のみに起きたことを把握し、そしてまた辺りを見渡す。
 先程と変わらず、視界は殆ど無い。だがそれは吹雪によるものではなく、雪の壁によるものであった。現在の俺の視界は約数cm。恐らく、雪の中に埋もれてしまったのだろう。
 とっさに身を丸めたのは正解だった。顔の周りの少し隙間が出来たため、窒息や直接的な凍傷を未然に防いでくれていた。
 それに、体は雪に覆われているものの、特にどこかが痛いといったことはない。よかった。とりあえずは生きているようだ。
「そうだ、他の奴を探さないと……」
 身の安全を確保したところで、俺は体を起こそうとし……起き上がらなかった。まるで重い布団に包まっているのと同じような、そんな感触である。
「くそ、雪の重みか……」
 雪っていうのは軽そうに見えて結構重い。嘘だと思うなら計算してみるといい。雪は水の結晶であり、水は1立方センチメートルあたり1グラムだ。俺の体に乗っかっている雪の量を50cmほど積もっていると仮定し、体の表面積は……そうだな、適当に1平方メートルとしようか。計算すると、0.5立方メートルの雪がのしかかっていることになる。これは水の重さで500kgにもなってしまう。
 実際は空気が入っていたり、氷の密度は水よりも小さいことから、この数分の一の重さだと思われるが、それでも100kg近くの重りが乗っかかっていることになる。
「うお……どりゃ!」
 俺は何とかして腕をふりほどこうと努力した。体を少しずつ動かし、隙間を作って抜け出す作戦も試みた。しかし、寒さのためか、体が言うことをきかない。動いてはくれない。
「くは……はあ……」
 息が上がってきたのは、単なる息切れか、それとも酸素の量が減ってきたためか。
 これは……マジでやばいぞ……どうする、俺……?
 こんなところで人生が終わってしまうのか?俺がいなくなったら、誰が……誰が、ハルヒや佐々木の暴走を止めるんだ?
 誰が……橘の……暴走を……変態行動を……食い止めるんだ……?
 ――人を変態色女みたいに言わないで下さい!――


 意識が途絶えていくなか、橘のツッコミが聞こえたような気がした――



 ――目がさめると、またも白一色の世界が眼下に飛び込んできた。
 ただし、違う点がある。先ほどはもっと目の前に雪の壁が迫っていたのだが、今回のそれはかなり大きい空間であることが伺えた。半径で言うと、数十cmくらいだろうか?
 俺は周りを見渡した後、自分の体を覗き込んだ。体には雪が覆い被さっていない。体が動くようだ。よし、これならば起き上がって状況確認ができるはずだ。
「ん……と」
「あ、キョンくん、目が覚めましたか? 良かったですぅ」
 突如、俺の後方……頭の後方部分から声が聞こえた。キンキンとした声は雪の壁に反響し、そこそこうるさく感じられた。
 この声は間違いない。あいつだ。
「お前……橘、もしかして生きていたのか?」
「せっかく助けてあげたのに、そんな扱いは酷いです! 全く、キョンくんたら、寝ても覚めても口が悪いんだから。さっきだって気を失っているのにあたしの悪口ばかり……」
 そう、ツインテール印の超能力少女は、幾分意地悪な笑みを浮かべて俺に反論したのだった。
「ここはどこだ? お前が助けてくれたのか? 他の奴はどうした? なんでお前はここにいる?」
 俺は先程からずっとぶつぶつ文句をたれている橘に問いかけた。
「そんなにいっぺんに質問されても分かりませんよ。一つ一つお願いします」
「ああ、悪かったな……じゃあ順番に、お前が俺を助けたってことでいいのか?」
「はい、そうです。あたしもあの雪崩に巻き込まれましたが、幸運にも雪の壁からはい出すことが出来ました。そして暫くしたら、近くで声が聞こえたんです。そちらに行ってみるとキョンくんが呻いているのが見えて。それで助け出したんです」
「そうだったのか……いや、それは申し訳なかった。助かったよ、橘」
「いえいえ、これくらいお茶の子さいさいなのです。また遭難したら呼んでください。助けに行きますから」
 それはゴメン被りたいな。こんな経験を2度も3度もしてみたいって言う奇特人間はそうそういないはずだ。
「それよりここは一体どこなんだ? まるでかまくらの中にいるみたいなんだが……」
「ええ、そうですね。雪を掘り出してちょっとした空間を作ってみました。確かにかまくらみたいなものですね。」
 橘は少し自慢げに話し始めた。
「場所はキョンくんを見つけた場所からそんなに離れていません。ちょうどこの場所が、かまくらを作るのに最適だったので。吹雪と寒さを防ぐ2つの目的で、早急に作成したのです。急ぎだったから、ちょっとせまいかもしれませんが、許してくださいね?」
 いや、許すも何も、俺が気を失っている間にそこまでやってくれているとは。こちらが感謝したいくらいである。
「ふふふ、ありがとうございます」
 橘の笑顔に、俺はふとそっぽを向いた。少し気まずい。俺は場の雰囲気を変えるため別の質問をした。
「橘。他の奴の安否はわからないのか?」
「残念ながら、他の方の命の保証は……あたしも雪崩に巻き込まれた身なので、他の方を探す余裕はありませんでした。キョンくんは、たまたま声が聞こえたので救うことが出来ましたが……」
 そうか……ならばこうしておちおち寝ているわけにはいかないな。直ぐ探しに行こう。二人で探せば直ぐに見つかるはずだ。
「あ、ちょ、ちょっと待ってください!」
 俺が起き上がろうとすると、橘が制止に入った。
「まだ寝てなきゃだめです! キョンくんはあれだけの雪に覆い被さっていたわけですから、凍傷やら圧迫による内出血があるはずなのです!」
「そうなのか? 別に痛いところもないし、凍傷みたいにヒリヒリするところもないんだけどな……」
「え? 本当ですか?」
 ああ、本当だ?
「手とか足とか、動かなくはないですか?」
 ほら、この通り動くぞ。
「腕なんか上がらないはずです!」
 いや、普通に動くんだが。それより、何で俺の腕が上がらないなんて断言できるんだ?
「……はっ! いや、その……医学的見地から、先程の雪の重みによるプレッシャーから、腕の神経系圧迫による可能性を計算した結果、そうなったわけでして……」
 お前、そんなに医学詳しかったか?
「あの、あの……そ、そうです! さっき森さんに習ったんです!」
 そうだったのか……だが心配はしなくてもいい。俺が無事なことが分かっただろう?だから探しに行こうぜ。
「えーと……そ、そうですね……うーん……」
 なんだか、俺を出歩かせたくないような挙動をとっているように思えるんだが、気のせいか?
「そ、そんなことは首の皮一枚ほどありません! あ、あたしは……そう! まだ吹雪も止んでいないですし、ここであたし達が助けに行っても二次被害、二次遭難するだけなのです!」
 確かにそのとおりだが、それでも見捨てるわけには行かないだろ?
「そ、その気持ちは十分わかりますが……あ! それに皆さん、普通のステータスを持つ人間では無いのですから、おいそれと生き埋めになることなんてありませんよ!」
「あ……」と声を上げる俺。確かにそのとおりかも知れん。
 俺は橘の意見に納得していた。もしこれが自然現象で発生した吹雪であったとしても、長門や九曜がいれば、情報を改竄して自分たちの身には何事もなくすることは可能であろう。生き埋めになったとしてもきっと救助してくれるはずだ。
「佐々木さんはまだ生きています。そして無事な状態でいらっしゃるということがあたしの能力で分かってしまうのです。涼宮さんに関しても、彼女の能力が発揮されているのであれば、死人が出ることなど無いはずです」
 そうだった。ハルヒと佐々木という超絶能力を持つ人間もいたんだ。あの二人が死人が出ることを望むとは思えない。ハルヒの場合、去年の夏合宿でもそれは実証済みだし、佐々木にしても同じだろう。
「だから、キョンくんは安心してここにいてください」
 わかったよ……だがお前はどうするんだ?
「あたし、ですか? そうですね……キョンくんの調子が良くなるまで、ここにいることにしますよ。というか出歩けないですし」
 そうか……だが、この分だと、いつ救助が来るかも分からないな……
「うん……でも、外に出てしまったら余計に危ないです。とりあえずは吹雪がやむまでじっとしていましょう」
 それしか方法はないのか……



 どのくらい時間が経ったのだろう? 辺り一面が真っ白のためなのか、時間感覚は既に分からなくなっていた。
 既に数時間が経過し、夜までふけているような感覚もあるし、実はまだ一時間も経っていないような気分になるときもある。
 俺の体の体内時計などいい加減なものだと今更ながら悟った。どうりで朝起きるのが苦手なはずだ。
 正確な時間を知るためには携帯電話や腕時計に頼る他ないが、そのどちらももペンションに置いてきた。特に必要な物でもなかったし、ボードを滑っていて、こけた際にそれらが体に当たったら痛いからな。
 だが、こんな事態になるのであれば持ってくるべきだったな……
「キョンくん、おなかすかないですか?」
 暗い顔をしている俺を盛り上げようとしているのか、橘は俺に話題を振ってきた。しかしその橘も、俺の目にはいつもの空元気っぷりは感じられないように思えた。
 ああ、少しすいてきたな。だが食べ物は何も持ってきてはない。スキー場で遭難するなんて思っても見なかったからな。
「あはははは、やっぱりそうですよね」
 やや絶望気味の俺の表情とは異なり、橘は努めて明るい顔でそう答えた。
「実はですね……あたし、少し食料を持ってきているんです」
 え? それは本当か?
「はい! ロビーにおいてあったお菓子を少し頂戴してきたんです。でもまさかこんなところで役に立つなんて……はい、キョンくん、どうぞ」
 あ、ああ。悪いな。それじゃあいただくよ。
 橘はグローブを脱ぎ、ウェアのポケットをまさぐり、取り出して俺に手渡した。
 白い手と共に差し出されたのは、ヨーグルト味のキャンディ3つであった。
 これは……? あの時の……
 俺はふと昔の記憶が蘇ってきた。遥か昔、まだ自転車も乗れなかったくらい小さかった時の頃の思い出だ。
 俺はその日、両親に怒られた。何をして、どんな理由で怒られたかは既に忘れた。だが、お仕置きと称して庭にあったぼろい物置小屋に入れられたことは今でも鮮明に覚えている。
 閉ざされた暗い物置小屋の中、俺は子供心ながら負の感情に押しつぶされ、今にも泣き出しそうになっていた。
 ただし、暗闇の恐怖や閉所に対してではない。恥ずかしい話ではあるが、しょっちゅうお仕置きを受けていた俺にとってはこの程度のお仕置きは慣れっこであり、暫くじっとしていれば許してくれると卑しい考えを持っていた。
 だがこの日は違った。それは本日、親戚の人が遊びに来ており、俺はお駄賃やらおいしいお菓子をもらえると期待していたのだ。
 それなのになんで今日に限ってこんなお仕置きを……って気持ちで暗澹とした気分に陥っていたのだ。
 丁度その時だったと思う。物置小屋の入り口側から反対、もたれていた壁がトントン、と音を立てた。
 後ろを振り向くと、壁と壁の間、腐食だか傷だかでぽっかりと空いた小さな隙間。そこから白い手が見えたのだ。
 その白い手に握られていたのは、ヨーグルト味のキャンディだった。
 キャンディを持ってきた張本人は、『これで我慢してね』と、少し申し訳なさそうな、しかし努めて明るい口調を振舞っていた。
 俺がキャンディを取ると、その白い手の持ち主は、『さっきおばさん達が言ってたけど、あと一時間くらいで出してくれると思うの。それまでの辛抱よ。頑張ってね』と、俺を励まして、そしてその場から去っていった。
 包装紙を一つ破いて口の中に入れる。そのキャンディは、俺が今まで食べてきた、どのお菓子よりも甘くて、そして印象的だった。

 ……その頃からだろうか。俺がその人――従姉妹の姉ちゃんに恋心を抱くようになったのは。



「キョンくん、どうしたんですか? 食べないんですか?」
「あ? ああ、すまない、ちょっとボーっとしててな。それじゃあ頂くよ」
 橘の手からキャンディを頂戴する。差し出されたその手は雪のように、そして従姉妹の姉ちゃんと同じ白さだった。俺が昔話を思い出したのはこの手のせいかもしれない。
 一つのキャンディの包装紙を解き、口の中に入れる。
 久方ぶりの食料は、甘みとともに口の中へと拡散し、そしてじんわりと溶けて、俺の体に染みわたる。
 飴玉一つがこんなに美味しいと感じたのは久方ぶりだ。目から鱗とは、こういう事を言うのだろう。
 あの時と同じだ。白い手、キャンディ、元気付けようとする明るい声援……まるで従姉妹の姉ちゃんと同じだ。
 この時、俺の脳裏にある推論が駆け巡った。
 橘京子の性格、特性、習性。それに対する自分の想いが。
 人に散々迷惑をかける空気の読めなさは類を見ないし、変なところで博識だったり運動能力に秀でていたりするその能力にはある意味呆れ返っていた。
 正直、うざったい。もう関わりを絶ちたいと何度も思った。
 そう思いながらも何故か卑下に扱う事ができなかった。原因は、今まで分からなかった。
 しかし、その理由が今、ようやく分かった。

 ――普段はちゃらんぽらんで、空気が読めない。どちらかと言うと人様に迷惑をかける。
 ――しかし肝心なところでは俺の強い見方になってくれる。
 そんな従姉妹の姉ちゃんにそっくりだったのだ。


「……ンくん、キョンくん?」
 へ……?
「どうしたんですか? さっきから様子がおかしいですよ?」
「いや、そんなことは……」俺は内心の動揺を余所に、話を切り返して応対した。「それよりどうした? お前は食べないのか?」
「え? ええ。思ったよりもおなかがすかなくて……」
 そうか。でも無理にでも食べた方がいいぞ。いつ吹雪がやむか分からないのだからな。
「あ、はい。そうですよね……」
 橘京子は、俯いたままそう呟いたのだった。
「それよりもキョンくん、体調、おかしくないですか?」
 いや、まだ大丈夫だ。下山するまでは何とか今の状態を保つよう心がけるさ。
「あー、そう言う意味じゃなくて、ほら、何だか体がボーッとなってくるとか、気持ちよくなってくるとか、そんな感じはありませんか?」
 おい。お前さっきも似たようなことを言ってたけど、やっぱり何か企んでないだろうな?
「そ、そんなことはないのです! ただ……ほら、空腹時に甘いものを食べると、お腹に血液が流れて脳に行かなくなって眠くなるって言うじゃないですか。今寝ると危ないですよーって言いたかったんです。あたし」
 うむ、確かにそれは一理あるかもしれない。お互い眠らないように声を掛け合ったほうが良いな。
「はい……」
 俺の言葉に返答した橘の態度は、どこか納得がいかないような、怪訝そうなものであった。



あたりの白い壁が暗くなりかけてきた気がする。日暮れが近いのかもしれない。
 だが俺の視界を遮る白い壁は体内時計をも狂わせている。正確な時間は相変わらず分からない。
 吹雪はいっこうに収まる気配はない。もしかしたら一日ここで夜を明かさなければいけないかもな、橘。
「…………」
 橘?
「…………」
 おい! 起きろ!!
「ふぇ……? あ、キョンくん。どうしたんですか?」
 お前今寝ていただろ。 こんな寒い中寝てたら死ぬぞ? お前がさっき自分でそういったんじゃないか。
「は、はい。ごめんなさい。森さんの手伝いやら何やらであたし疲れちゃってて……」
 お前が疲れているのはよく分かった。だが寝るんならもう少し暖かいところで寝るんだ。
「暖かいところろって言いましても、どこでしょうか? 雪の中の断熱効果で多少は暖かくしてますし、空気穴も必要最低限にとどめていますし、なにより暖房となるがありません……」
 暖房というか、熱源ならあるだろう。
「へ? どこにですか……きゃっ!!」


 俺は有無を言わさず橘を抱き寄せた。


「キョ! キョンくん……」
 大きな声を出すな。少しでもカロリーは温存しろ。
「は、はい……」
 橘京子は真っ赤な顔で俺から目線を逸らし、そして俺に抱きかかえられ、こたつの中のシャミセンの如く静かに丸まっていた。
「どうだ。こうやっていれば少しは暖かいだろ?」
「は、はい……暖かい、です」
「いきなり抱きつかれてビックリしたか?」
「あ、あたりまえです。そんなことをされたら誰だってビックリするのです……」
 口では何だかんだと文句を言っているが、橘は俺のいきなりの行動にもそれほど取り乱さず、抱擁を受け入れてくれた。
 これならば凍死する可能性もかなり減少したんじゃないか? お互いに。
「いや、あの、それはそうですけど……」
 しどろもどろで返答する橘に、更なる追い討ちをかけた。
「ひっ……!」
 俺は橘の腰に手を回した。より密着したが熱を逃がさないはずだし、お互いの熱を有効活用できる。当の橘も、最初は少しビクッとなったものの、俺の真意を汲み取ってくれたせいかそれ以上の抵抗はしなかった。
 橘は俺が思ったよりも小柄且つ華奢で、当たり前であるが女の子の体つきをしていた。腰周りなんか片手で抱えられるんじゃない買って言うくらい細い。スノーボードのウェアからでも、その感触は十分に伝わってくる。
 そして、体から放出される熱量もまた感じ取っていた。
 当然であろう。橘は熟したイチゴのように顔を真っ赤に染めているのだ。異性に抱きつかれるの経験が無いのか、それとも俺が強く締めすぎているのが原因なのか。そこまでは分からないが。
 しかし、そんな橘を見ていると、ついつい意地悪したくなってきた。
「お前、顔中真っ赤だぞ? もしかして暑いのか? なんなら服脱ぐか? 服を脱いでくれた方が、俺はもっと暖まって都合がいいんだが」
「な、何変なことを言ってるんですか! そんなことするわけないじゃないですか! それに顔が赤いというのならば、キョンくんだって相当真っ赤っかです! 人のことはいえないのです!」
 おや、そうなのか? 俺は自分のほっぺを触ってみる。
 冷え切った手から、ジンジンと感じる疼痛を感じた。頬が熱い。かなりの熱を持っているようだった。橘の暖房効果は抜群だ。
「そりゃ、俺だって健全な一少年だ。女の子に抱きついて平穏でいられるほど人間経験は出来てないさ」
「そうなんですか? さっきの発言といい、扱いなれてそうな印象があるんですけどね。キョンくんは」
「俺は女の子ととっかえひっかえするだけの器量はない」
「それもそうですよね。キョンくんって、あまり女の子慣れしてなさそうですもんね」
「悪かったな」
 ほう、そんなことを仰いますか貴女は。ならばもう少し苛めてやろうではないか。
「確かに女の子慣れしてないかもしれない。このままではハルヒや佐々木に押しつぶされてしまうかも知れん。ならば少しでも女の子と言うものに慣れておこうか。橘、手伝え」
「へ? 何をですか?」
「お前、服を脱げ」
「ええええええええっ!!!!!」
「ほら、早く」
「ででででででっででっで、でも!! こ、こここんなとこでっ!!」
「大丈夫だから」
「な、何が大丈夫なんですか!」
「大丈夫ったら大丈夫なんだ。やらないんだったら俺がやる。ちょっとじっとしてろ」
「あ、ああっ!! ダメっ! もっと優しく……」
 俺は耳元でがなりたてる橘の悲鳴を無視し、ウェアのファスナーを下げる。場所が狭いせいもあって、暴れることすらできないようである。
「っ、いやっ! 見な……いで……」
 早々に抵抗を諦めた少女は、顔を手で隠したまま蹲ってしまった。こいつ簡単に抵抗するのを止めたな……まあいいや、その方がこっちもやりやすいし。
 そして俺は自分のウェアのファスナーを外し、その行為に没頭した。



「よし、もう良いぞ」
「へ……何をしたんです……ああっ!!」
 ずっと顔を伏せていた橘は、俺の声に顔を上げ、そして驚愕の表情を浮かび上がらせた。
「どうだ。これなら今まで以上に暖かいだろう。二人の密着効果に加えて断熱効果もある」
 橘は絶句して何も喋らなくなっていた。それもそうだろう。普通、こんな事する奴などザラにいるとは思えない。
 そろそろ種明かしをしよう。俺がなにをしたのか。
 俺は橘のウェアのファスナーを下げた後、俺のウェアのファスナーも下げた。そして橘のスライダーで俺のエレメントを締め上げ、同様に俺のスライダーで橘のエレメントを締め上げた。
 つまり、二着のウェアで首袖一つ袖口四つの、ケッタイな上着を即興で作り上げたのだ。阿修羅や両面宿儺も真っ青な衣服である。

「ば、馬鹿です……キョンくんは馬鹿です……」
 俺のナイスアイデアに、橘は顔を赤らめたまま批難の声を上げていた。
「いきなり何をしだすかと思えば、服を変な風にして……」
「何なら脱ぐか?」
「い、いえ……この方が暖かいのは事実ですので、暫くはこのままで……」
 俺はやれやれと溜息をついた。この格好は温かいのだが、いかんせん欠点がある。
 それは傍から見るととってもかっこ悪いこと。二人羽織を向かい合っているようなこの格好は、他にギャラリーがいたら俺だってやりたくはない。
 だが今は緊急事態だし、仕方ないだろう。橘も少しは嫌がると思っていたが、どうやら納得してくれたようで助かった。
 だが、橘への意地悪はまだ終わっていない。
「こうやって接していれば、少しは女の子ってモノが俺にも理解できるかもしれないな。そう言えばお前、俺が服を脱がせようとしているとき、なんか勘違いしていたような行動を取っていたような気だするんだが、お前は何をされると思ったんだ?」
「え? あれは……その……えーと、何と言いましょうか……」
「まさか、エッチな想像でもしてたんじゃないんだろうな?」
「にゃ! にゃにをいってるんですかキョンくん! ちゃ、ちゃいまっす!!」
「もの凄い動揺だな。どうやら図星か」
「そそ、そそそそんなこと……」
「遠慮しなくて良いぞ。体をもてあますことがあったら相手になってやろうか?」
「け、結構です!! ほ、本気でそんな事言ってるんですか!?」
「冗談に決まってるだろ」
「うわわーん! 酷いですぅ!!」

 ――俺達の他愛もない会話はその後暫く続いた。まるで雪の中に閉じ込められていることなど、宇宙の彼方に放り捨てたかのように。



「……もう、ちゃんと下山できたら今回の件、佐々木さんと涼宮さんに報告しますからね。キョンくんがいやらしい目であたしを見てたって」
 はははは、それは勘弁して欲しいものだ。だけど暖を取るには仕方なかったんだよ。あいつらも許してくれるさ。
「いいえ、きちんと裁いてもらいます。裁判員制度も近いことですし、一石二鳥です」
 高校生が裁判員になれるのか……? いや、そんなツッコミはいい。それよりもちょっとはしゃぎすぎたか。お腹すいたな。飴を貰っといて言うべき立場じゃないかもしれないが。
「実はあたしも少し……あ、そうだ!」
 どうした?
「そう言えば、あたしもう1つ食料を持っていたのを思い出しました」
 橘はまたしてもカサコソとポケットを漁り、再び白い手を俺の前に差し出した。
 掌にあったのは、カラフルな包装紙に包まれたレースつきのリボン付きの小さな小箱。
 まるで誰かにプレゼントするかのような、そんな可愛らしい箱であった。
「はい、どうぞ」
 橘の屈託のない笑みに、俺は申し訳なさそうにその小箱を頂いた。
 すまない、橘。だが吹雪はまだやみそうにないし、予断は許されないだろう。この中のモノはもう少し後になってから頂こうか。
「いえ、今食べてください」
 いや、だからな……
「お願いします! 今日食べてくれないと……」
 あ、ああ。わかったよ。橘に気圧されしながら、俺はリボンを解き、そして包装紙を丁寧に取り除いていった。
 現れたのは周りと同じように白い、無垢の箱。その蓋を取り除き……
「あ……」
 俺は、絶句した。
「ふふふ、どうですか? 実は昨日から作っていたのです。昨日仕込んで、今日雪の中から取り出したんですよ。面白い形でしょ?」
 なんてこった。俺は二年続けてこの行事を忘れていやがった。
 1年目はハルヒの上の空加減と、未来出身・鶴屋家在住の座敷童のせいでそんな事を考える暇など無かった。
 今年は今年で、橘の意味不明な行動を警戒して、やはりそんな事を考える余裕が無かった。
 箱の中に入っていたのは、ハート型のチョコレート。
 白い文字で「Happy Valentine, Kyon!」、そう書かれてあった。

 今日は二月十四日である。
 つまり、バレンタインデー。

 チョコレートを少し割り、口の中に入れる。
 コクのある甘味が、微かに残る苦みが、口の中に広がる。
「チョコレートって、カロリーも糖分も高いですから食べ過ぎるのはよくないですけど、こんなときはうってつけの食料ですよね。タイミングよかったです。ん? 悪いのかな……?」
 いや、タイミングよかったぜ。お前が今まで俺にしでかしたことの中で、一番良かった。最高のプレゼントだ。
「えへへへ、そうですか? ちょっと照れますね……あ、言っときますけど、ギリですからね、ギリ。義理チョコってことにしておかないと、涼宮さんや佐々木さんが何をしでかすか分かりませんからね」
 そうか、義理なのか……それは残念だ。
「え? それはどういう意味ですか?」
 そのままの意味だよ。
「え……? え……?」
 俺は、お前の言動にはほとほと愛想が尽きていた。今後何か頼み事があっても、微妙な距離をとってスルーしようと黙策していたのは一回や二回では無いはずだ。。
 だけど、結局はお前への助力を惜しみなく行っていた。その理由が何故だが分からなかったんだが、お前と会って最早一年。今ようやくわかったよ。
「……?」
 俺は……お前に、俺の従姉妹の姉ちゃんを重ね合わせていたんだ。どこか頼りなくて、抜けていて、おちょこちょで。でも、いざと言うときはとっても頼もしい、そして俺の憧れの従姉妹だったんだ。
「…………」
 姿形はともかく、その言動はそっくり。だから俺はお前の事が気になって仕方なかったんだ。
 見ていてこっちがハラハラする。よく考えたら従姉妹にもよく突っ込んでいたよ。年上なのにもかかわらず、何やってんだ危ないもっと頭使えってな。お前に言うのと同じ言葉だよ。
 だが、今思うとそれは男の子がよくやる、気になる女の子に対していじめるという奴と同じなんだと思う。あれくらいの年頃の男の子って言うのは、素直じゃないから、天邪鬼な方法で意中の女の子の気を引こうとするんだ。
 だから、お前にも同じ行動をしようとしているのかも知れないな……
「あ、あの……それって、どういう意味……?」
 人のことをフラクラとか鈍感とか言うくせに、お前も相当なもんだな……。それとも……わざとか……?
「そ、そんなことないです! た、ただ、そういうことは女の子に言わせないでください! 恥ずかしいじゃないですか!」
 橘は、赤い顔を更に強調させて、首と手をぶんぶん振っていた。俺だって……結構恥ずかしいんだがな……
「で、でも、そう言うセリフって、男の子が言うのがルールなんです! 女の子は聞くものなんです!」
 誰が決めたんだ……そんなこと……ふう、まあいい。しょうがないから俺の口から言ってやる。
 俺は眠い目を擦りながら、真剣な目つきで橘のほうを見た。
 ――紅い顔に瞳を潤ませた橘の顔がそこにあった。
 俺はな……案外……お前のことが……
「あ、あたしのことが……?」
 橘……京子の…………事が…………


 俺はこの後、激しい睡魔に襲われ、そして意識を失った――



「くそ……この作戦に荷担するのは僕個人としては甚だしく遺憾ではあるが、これも勅命、規定事項だ。暫くは様子を見るしかあるまい。だが、降雪はあと23分の後に降り止む。それも規定事項だからな。そうすれば……」
「ほう、あなたは雪男か、あるいはイエティの末裔だったのでしょうか?」
「な……その声は古泉一樹! 何故ここに!」
「先ほどからずっとここに。あなたの行動をずっと監視しておりましたよ」
「なん……だと……?」
「気象庁すら予想外だった突然の猛吹雪、これには外因的要因が絡んでいると認めざるを得ません。では誰が一体この吹雪を発生させているのか。長門さんや周防さんが一番疑わしいのですが、今回はノータッチ。全く動いていません。そう考えれば答えは自動的に一つに集約されます。即ち、あなたが発生させているに他ならない」
「…………」
「この吹雪、そして雪崩。実は二週間ほど前にも起きたそうじゃないですか。ペンションのオーナーが仰っていました。全く同じ時間、同じ場所で。あなたが昨日使用した、局所的に時間移動させるNGタイプのTPDDを使用すれば容易いことでしょう?」
「ふっ、そこまでお見通しと言う訳か。……なるほど。対した推察力だ。確かにこのスキー場における全ての事象は、二週間前にセットされている。人間を除いてな。だが今更分かったところでもう遅い。彼女の、橘京子の最終計画は既に達成している頃だ」
「やっぱり彼女が企てていたわけですね。あなたもその計画に一枚噛んでいるということは、橘京子が何を企んでいるかご存知のはず。
さあ、仰ってもらいましょうか。そうでないと、少々面白くないことになりますよ?」
「ふっ、暴力か? 情操教育の発展していない時代の人間が考え付くことなどとうにお見通しだ」
「あの、こんなことはあなたの未来にも良い影響は与えないと思います。今からでも遅くはありません。速攻中止していただけないでしょうか? そうでなければ、わたしが……わたしがあなたを止めなければいけません」
「好きにするがいい。だが僕を捕まえようとしても無駄だ。この場から逃げ出すことなど容易いからな」
「この場から簡単に逃げ出せる? くくくっ、あなたも大概奇異なことを仰る。本当にできるとお思いですか? でしたら即座に実行なさればよろしいかと」
「ふん、今度は脅しか? その手にも乗らないぞ。それに朝比奈みくるならばともかく、あんた達現地人にTPDDの発動場面を見せるわけにはいかない。禁則に関わることだ」
「吹雪で姿など見えませんよ。それにご希望でしたら発動中、目を瞑って伏せておきましょうか?」
「その言葉、後悔することになるぞ。ここで捕まえられなかったことが、後の時間平面に影響を及ぼすことをな……では、さらばだ!」

 〇∀д㊥ё●юй……

「……あれ? 使い方間違えたかな!? もう一回……!? 何故だ、何故TPDDが発動しない!?」
「無駄ですよ。あなたのタイムマシンは封じさせてもらいました」
「何だと!? 馬鹿な、この時代の人間がその様なことができるわけない! まさか朝比奈みくる、あんたの仕業か!?」
「いえ、わたしにはそのような力は備わっていません。ですが……」
「そう。朝比奈さんの仰るとおり。僕のような、この時代に生を受けた人間に高次のデバイスやインターフェイスが備わっていも然りです。ですが、彼女達にとっては容易いようですよ?」
「…………」
「――――」

「ぐ……やつら、既にここに待機していたのか!」
「さて、教えてもらいましょうか、あなたの……いえ、橘京子の企みを――」



 あ、あたしのことを……なんでしょうか……?
「…………」
 キョ、キョンくん?
「…………」
 どうしたんですか、キョンくん?
「……ぐー、ぐー」
 …………。
 ひ、酷いです! あんなに持ち上げるだけ持ち上げといて、いざ肝心なときにランナウェイなんて、フラグクラッシャーにも程があります!
 何を告白したかったんですか! 仰ってください! 気になって眠れないじゃないですか!!
「ZZZZ……」
 …………。
 ……諦めましょう。キョンくんに期待するあたしがいけなかったんです。っていうか、よくよく考えたら眠らせたのはあたしですしね。

 そうなんです。あたしがキョンくんを眠らせたんです。組織謹製、強力睡眠薬入りキャンデーを使用して。
 賞味期限が切れかかってたから効果が遅かったみたいですけど、結果としは成功でしたので、おっけーなのです。
 でもあたしの作戦、こんなに上手くいくとは驚きです。自分でもちょっと無理があるかなー、なんて思ったりもしましたけど、思ったよりも簡単に騙され……ゲフンゲフン、素直に信じてくださってくれて助かりました!
 おかげであたしへの信頼度はウナギのぼり状態です! あたしの計画の8割が達成しました!

 ……え? どんな作戦だったかって?
 ならば教えてあげましょう!
 ――その名も『キョンくんが雪山で遭難!? あたしが助け出すんです! そうなんです大作戦!』です!


 ……。
 ああっ! なんか視線が白い上に寒い空気が漂ってます! あたりは雪の壁しかないから当然なんですが、そんなこと気にしちゃ駄目!
 エェー、コホンッ、説明を続けます。
 大まかなストーリーはこうです。キョンくんが雪崩に巻き込まれて遭難するんです。そしてそこをあたしがあの手この手で助け出して、麓に戻っていく。そんな感じです。
 雪崩と吹雪を発生させたのは何とびっくり、藤原パンジーくんです。本当は九曜さんにお願いしたかったのですが、何故か駄目だって言われたんで……
 そうそう、彼ったら意外にもあたしの言うことを聞いてくれるからとっても便利です。さっきも森さんに言われてやらされていた皿洗い(お湯の使用は不可)を、やって頂戴って言ったらしょうがないなとかいいながらもやってくれたんです。
 昨日や一昨日は、今日以上にいっぱい仕事をしてくれました。ベッドメイキングとか、屋根の雪下ろしとか、部屋や廊下の雑巾がけとか……。
 ウィンタースポーツをするための合宿だって言うのに、彼はそちらには目もくれず、雑用に没頭してくれたのです。
 そこであたしはピンと来ました。彼は雑用係に憧れているんです。でなければあたしが森さんに押し付けられた仕事を、好き好んでやるとは思えません!
 それに、よくよく考えると、キョンくんを目の仇にしているような雰囲気がありましたしね。キョンくんも涼宮さんの下で雑用係として働いていますし、恐らく嫉妬しているのでしょう。
 それに使い勝手もいいんです。何でもホイホイやってくれますし。つい多用しちゃいました。言わば、あたし専用の便利屋さんですね。佐々木さんに教えると横取りされちゃいそうなので、もう少しあたしが使いまわすことにしましょう。
 もちろん今回の計画も彼に頼むことにしました。計画を話し、時間移動を使って何とかできないかってお願いしました。
 最初は流石に無理だ、他の方法を考えろって拒否されたんですが、少し涙を見せたら慌てて繕って、手伝うことを約束してくれました。
 いやあ、このまま頑張れば彼は有能な召使いに成長しそうです。行く先が楽しみなのです。
 っと、そんなことはどうでも良いですね。ともかく彼は吹雪と雪崩を発生させることができるらしいですから、上手くタイミングを合わせてキョンくんを雪崩に巻き込ませて、そしてあたしが危険を冒してまでキョンくんを助け出し、ペンションまで連れ戻す。
 そういった感じのストーリーなのです。キャンデーやバレンタインチョコは本当に遭難してるんだぞっていう、信頼性を上げるためのアイテムです。見事に引っかかってくれました。
 もう少ししたらこの吹雪も止むはずです。そうしたら寝ているキョンくんを運び出して、ペンションまで連れて行きます。
 ここだけの話ですが、実はペンションは目と鼻の先にあったりするんです。吹雪で視界が悪くて見えなかったかもしれないですけど、そう言うことなんです。
 雪崩に巻き込まれ、行方不明になっているキョンくんを助け出したことで、あたしはキョンくんだけでなく、佐々木さんや涼宮さんからも感謝されまくるはずです。お二人はあたしのことを見直すはずです。
 そして何より、キョンくんからの信頼が厚くなったことで、あたしが少々場に合わないことして佐々木さんや涼宮さんの恨みを買っても、キョンくんがそれを諌めてくれます。『あいつは命の恩人だから、大目に見よう』って。
 キョンくんの言うことにはお二人とも逆らえませんから、納得せざるを得ないはずです。後はさらに少しずつキョンくんの信頼度を上げ、あたしとお二人の立場を逆転させるのです!
 それが今回、あたしが練りに練った計画です! どうですか、すごいでしょ。見直したでしょ。
 え? 復讐はどうしたって? ふふふ、甘い甘い。あたしが復讐って言う言葉を使用したのは、彼の懐疑心を煽動するためものです。わざとなのです。
 よくよく考えてみてください。自分に疑心暗鬼を持つ人がいる。普段から怪しいと思っている人がいる。普通の人ならば、そんな人にあまり関わりたくないと思うでしょう。
 でも、その人のおかげで九死に一生を得たとしたらどう思いますか?
 あたしなら泣いて自分を後悔します。こんなに素晴らしい人を疑っていたなんて、自分で自分を責めてしまいます。
 そしてその人に一生頭が上がらなくなり、この人のために自分も何かしなければ、そう考えるに違いありません。
 つまり、あたしの計画をより効果的にするための芝居だったのです。ふっふっふ。あたしってばあったまいい!!
 しかも好都合なことに、キョンくんはあたしにホの字になりかけています! 今のうちに畳み掛けて、お二人のあの我侭な性格を叩き潰してやるのです!
 これで古泉さんや森さんの機関もおいそれとあたしに手を出せなくなります!
 はーっはっはっはっはっは。どうですか! 恐れ入りましたか! あたしの計略はいつだって完璧なのです!



 おや、タイミングよく雪も止みかけたみたいです。ちょっと早いような気もしますが……細かいことはいいのです。それではそろそろ行きましょうか。

「………………」
「――……」

 ん?近くで声が聞こえたような……? 誰か近くを通り過ぎたのでしょうか? ちょっと見てみましょう。
 あたしは空気取り入れ口から頭を出し、声が聞こえたほうを見て――



「うわっ!!」
 バサッ!!



 ――速攻隠れました。



「……それが、彼女の企みだ」
「なるほど……よく分かりました。まさかそんな稚拙な考えで涼宮さん達を出し抜こうとは。ですが、その企みも砂上の楼閣。直にボロが見え始め、すぐさま崩れ落ちることとなるでしょう。その言葉どおりに」
「だが、その前に彼女の計画が達成される。僕を捕まえても無駄なこと。所詮は無駄骨。ご苦労なことだ」
「いえいえ、十分すぎるほどの資料が僕の懐に収まったのですから、大満足です。しかしだからと言ってあなたや橘さんの思い通りに事が運ぶのを見て見ぬふりは出来ません。そこで彼女達にあなた達の企みを打破してもらおうと思います」
「彼女達……だと?」
「おかしいとは思わなかったのですか? 彼や橘京子以外に、この場にいない方達が一体何をしているのか。どんな行動にでているのか」
「何が言いたい?」
「長門さん、周防さん、説明してもらえますか?」
「この空間内における微小時間累積シフトによる擬視的時間移動はたった今解除した」
「……!」
「もうすぐ――元の時間と――位相が揃う――」
「元の時間に回帰できれば、彼女達が邂逅を果たすのは容易い」
「な、何故だ! 何故あんた達が僕の邪魔をする!」
「彼女は……わたしを裏切った。わたしがせっかく手にいてたプロポーションは、誰にも譲れない」
「それは単なる我侭だ! それであんたはどうなんだ!」
「彼女――からかうと――面白い――から――」
「そんな理由でか!」
「さて、これで分かりましたか? 彼女に待ち構えているのは、明るい未来ではありません。いらずらっ子にはおしおきが必要です」
「馬鹿な……このままでは……彼女は……」
「ええ、下手をしたら、生きて帰ってこれないかもしれませんね」
「橘さん……短い間でしたけど、楽しかったわ。さようなら。あっちの世界でお幸せに――」



「今……声が聞こえなかった? 涼宮さん?」
「ええ、女の人の叫び声みたいなのが聞こえて……」

 ななな、なんでお二人がここにいるんですか! パンジーくんの力で、佐々木さんと涼宮さんは別の場所に移動させたはずです!
 あたしがキョンくんを救出させた後、彼女達を救出させる算段だったのに、何でもう雪の中から這い上がっているんですか! 絶対おかしいです!
 今お二人に見つかると非常にやばいです! キョンくんと二人っきりと言うところを見られたらあらぬ疑いを掛けられちゃいます!
 え? 別に遭難してたからしょうがないんじゃないかって? ダウンしているところを助けたって言えば問題ないじゃないかって?
 チッチッチッ、大事なことを忘れてますね。あたしとキョンくんが今、どんな格好でここにいるかってことを。

 あたしは今、さっきキョンくんがしでかした、強制的抱き合わせ状態を絶賛継続中なんですよ!

 もしこんなところをお二人に見られたらどうなるんですか! 下手をしたら明日の太陽を拝めませんよあたし!
 ファスナーを外そうにもこの空間が狭い上に、あたしの腕の長さじゃファスナーまで手が届きませんし、それに……くしゅっ! それに先程からちょっと寒くなってきたんです。
 あ、あと、キョンくんってば暖かくて気持ち良いから外したくないってのも理由のひとつに上げられますけど。
 それにこのウェアを外すためには外に出る以外方法がありません。ですが今現在、外には熊よりも狼よりも、そして雪女よりも怖い存在がいるんですよ。しかも二匹。目と鼻の先に!
 あたしが取れる行動はただ一つ。黙ってこの場をやり過ごすことです。
 幸いお二人はこことは見当違いの場所を探し始めています。このまま過ぎ去って、頃合を見て外に出ることにしましょう。それがいいそれがいい。あたしったら、なんて臨機応変能力の高いのかしら!
 くちゅん! ……うーん、少し騒ぎすぎたかしら。寒さを忘れかけていましたわ。盛大なくしゃみは気付かれる恐れがありますから気をつけ……くちょん! あー、寒い。
 そう言えばさっきからやたらと寒くなったような気がしますね……特に頭が寒く……


「あ! あの帽子! 橘さんのじゃなかったかしら?」
「あのボンボン……赤い帽子。間違いない。橘さんのものだ」
「ってことはあの辺に埋まってるかもしれないわ!」
「そうだね。ではあの辺を重点的に探すことにしましょう」

 ――声は、思ったよりも近くから聞こえてきました。
 え? へ? あたしの帽子……?
 あたしはふと自分の頭を触り……

 あー!!! 帽子がない!!!

 なんか寒いと思ったら、帽子が外れて外に出てしまったようです! 恐らく先ほど状況判断しようと顔を外に出した際に脱げてしまったのでしょう!
 橘京子、最大の不覚です!!!
 やばいです!! やばすぎです!!
 このままではお二人に見つかる可能性が一段と高くなってしまいます!!!

「橘さん! いたら返事をするんだ!」
「キョン! 返事しなさい! 雪崩に巻き込まれるなんて美味しい出来事を独り占めするなんて許さないわよ!」

 佐々木さんと涼宮さん。二人の声が徐々に大きくなってきました。それに伴い、あたしの心臓の音も高鳴ってきます。
 逸る心の叫びをありったけの精神力で静め、物音一つ立てず、座禅中の禅僧の如くその場に鎮座していました。
 カンの鋭すぎるお二人のことです。例え物音がしなくても、心に迷いがあったら見つかってしまいます。キョンくんのことになればなおさらです。
 あたしは菩提樹の元、悟りを開くゴーダマ・シッダールタのように、明鏡止水の心を身に付けるべく静かに眼を閉じました……



「……いないわねえ、もしかして他の場所に流されたのかしら?」
「これだけ探しても見つからないとなると……」

 その甲斐あってか、涼宮さんと佐々木さんはこの場を探索するのを諦め、他の場所に移ろうとしていました。
 ふう、あたしの人生において、最大最悪のピンチは何とか乗り切れそうです。
 でも、はっきり言って自分でも驚きです。こんなことができるんですね。
 人間、死ぬ気になれば何でもできるってことでしょうか? いい勉強になりました。
 お二人の足音も遠ざかり、声も殆ど聞こえなくなってきました。どうやら他の場所に移りつつあるようです。
 ですが油断は禁物です。もう暫くこのままの体勢でおとなしくして、完全に声が消え去ってから行動することにしましょう。
 そしてあたしは再び悟りの体制に入りま――

「むう……くぅ……たち……ばな……」
 ――あたしは失念していました。自然と一体化するために、邪念を消すために。
 この人の――キョンくんの存在をすっかり忘れていました。

 ちょ……キョンくん、何をしてるんですか!
「ZZZ……すう……」
 へへへへ変なところ触らないでください!!
「……ふーっ……」
 ――ああん! そんなところに息を吹きかけないで!!
「……むぐぅ…………」
 ――そ、そこはダメです! 触っちゃダメ!!
「にゅー…………」
 ――ほ、本当に寝てるんですか! わざと触って……やぁん!!
「…………はぐ」
 ――あひゃ! はぁん!! いや……ぁぁん!!!

 さて、お分かりになりますでしょうか? キョンくんは、いきなりあたしの体の一部を摩り始めたんです。
 しかもよりによって、あたしの一番弱い部分を。
 どこだそれは、って言われても答えられません。言いたくありません。禁則事項です。女の子にそんなこと言わせないでください。
 狭い空間ですから自由に体を動かすことはできません。その上キョンくんの腕力は寝ているにもかかわらず力強いもので、あたしの力じゃ彼の行為を妨げることはできませんでした。
 大声を出して彼を起こすことは可能でしょうが、それでは佐々木さんと涼宮さんに発見されることとなります。そうなってしまうのは本末転倒です。薮蛇にも程があります。
 つまり、あたしは彼のされるがまま。抗うことは許されなかったのです。



 ――はあ、はあ、はあ……
 あれからどのくらいたったのでしょうか? あたしはひたすらキョンくんの攻撃に耐えていました。その甲斐あってか、彼はそのうちあたしへの愛撫を止め、再び普通に眠り始めました。
 ふう……た、助かったぁ……
 あたしは安堵の声を上げました。正直頑張ったほうだと思います。普段のあたしだったら気を失ってもおかしくありません。
 っていうか、本当に寝ていたんでしょうか、彼は?
「…………」
 すやすやと寝ている彼を尻目に、あたしはこの後の行動を進行しようと試みました。また彼が寝ぼけて変なことをする前に、外に出ちゃいましょう。あたしの精神力は限界間近。これ以上攻め続けられたらおかしくなっちゃいます。
 あたしは意を決して外に出ようとし――あたしの体に委ねている、彼の手が邪魔であることに気付きました。
 んんっ……もう! あたしを散々弄んで! ちょっとお仕置きをしてあげます! 覚悟なさい!!

 ――ギュゥゥゥ――

 あたしは怒り半分、冗談半分で彼の手の甲をつまみました。ふっふっふ。どうですか。許可無く変なところを触るキョンくんがいけないのです。ざまあみなさい!
 ――その時はそう思いました。ですが、この行動が完全に裏目に出たのです。

「…………いてぇ……さん……わかって……おは……」
 へ? 今なんて……? うひゃあ!!

 ――抓ったことに腹を立てた夢の住人キョンくんは、お返しとばかりさらにあたしの弱い部分を刺激し始めたのです。


「…………」
 い! いやぁ!!!
「…………」
 ごめ、ゆるし……あふん!!!
「…………」
 ふぁああ!! い……いい…………ちが……やめ……て……!!!

 ――キョンくんのその行動は、先ほどまでとは比べ物にならないくらい激しかったことは覚えています。自我を保つのでせいいっぱいでしたから。
 あたしは再び耐え忍ぶことを決意しました。先ほどと同様に、耐えれば何とかなると思っていました。
 ですが、時既に遅かったのです。先ほどまでのダメージと、先ほどを上回る刺激が、あたしの全身を苛んでいたんです。
 そして――
 ――キョ、キョンくん……そんな……んんっ!! ……す、すごい……で、でも……今……みつ、かる……ぁん!! だ、だめ……がまん……できな……い……もう…………もう……


「ら、らめぇぇぇぇ!!!!!」



「涼宮さん! 今の声!!」
「間違いないわ!! 橘さんよ!!」
「行ってみましょう! もしかしたらキョンもそこにいるかもしれないわ!!」



「あは、はあ……んふぅ……」
 あたしは恍惚となって、その場で果てていました。所謂、境地に達したって言う奴でしょうか? こんな経験は初めてですので、よく分かりません。
 もう、何もしたくない。動きたくない。
 涼宮さん達に見つかっても構いません。できればこのまま眠りにつきたいです……


「橘さん! あなた大丈夫……って、キョンも!! しかも何なのその格好!!」
「キョン! まさか橘さんに手を出したんじゃ……! しかも橘さん涙目!! 一体何をしてたの! あなた達!!」


 あーぁ、見つかっちゃった。ゲームオーバーです。リセットも効かないでしょうね。
 あたし、怒られるかなぁ。涼宮さんに、佐々木さんに。古泉さんや森さんも許してくれないかもしれませんね。
 でも、どうでもいいや……


 あたしはキャンキャンと吼える涼宮さんと佐々木さんの鬼のような形相にむしろ安堵し、そのまま眠りにつきました――



 ――ン……キョン。しっかりして!
 ――しっかりするんだ。僕達の声が聞えるかい? キョン?


 ……ん、なんだ? やけに騒々しいな……


「……キョン? キョン! 目がさめたのね!」


 ギュゥゥゥゥ


 ――起き上がり様、俺は有無を言わさず自信の行動を奪われた。ハルヒの抱擁によって。
「こ……こら、ハルヒ! 止めろ! 離さないか!」
「よかった……あたし、あんたが……キョンが、もう見つからないかと思って……」
 俺の制止も何のその。我が団長様は、俺の無事な帰還に嗚咽に近い叫び声をあげていた。
「本当によかったよ、キョン。あそこで僕達が発見しなかったら、次に見つかるのは春先だったかもしれないしね」
 ハルヒの抱擁に苛立ったのか、軽く毒を吐く佐々木。しかしながらその目の中に潜む本心は、俺の生還を心から安堵してくれているようであった。
 そこには既に全員が勢ぞろいしていた。ある者は俺の無事な姿に泣き崩れ、ある者はニヒルな笑いを浮かべ、またある者はいつもと変わらないポーカーフェイスをした。
 各々の反応は津々浦々、十人十色であった。
 俺は皆に再会できたことに心から安堵した。そして、あいつの――ん?
 俺は目を見張った。あいつがこの部屋にいない。あいつはどこに……?
 
 俺はもう少し眠らせてくれと言って人払いをし、そして古泉を呼び止めた。
「古泉。橘はどうした?」
 俺の言葉に、古泉が沈黙した。
「橘さん……ですか。彼女は今、、森さんのところにいらっしゃると思います」
 まさか、また『教育』とやらが施されているのか?
「ええ、今回の一件は意図的に仕組まれたものでした。そして、その元凶は橘京子であることも確認されました」
 元凶……雪崩の一件か?
「ええ。彼……藤原と名乗る未来人が語ってくれました。できれば彼も捕まえて、森さんの趣み……もとい、説教に加えてあげたかったのですが、あと一歩のところで逃げられてしまいました。っと、そうですね。彼女の計画についてお話し致しましょう」
 いや、それはいい。あいつの考えなどだいたいお見通しだ。どうせ俺を傀儡化することでハルヒや佐々木からの身の安全を確保しようと企てたんじゃないのか?
「ご存じだったのですか……ですが、それならば何故彼女の計画を公表しなかったのですか? そうすれば未然に防げたはずです」
 古泉。今回の橘の目的は何だったと思う? 俺たちに合宿計画を持ちかけて、そして意味不明な復讐を始めた、その理由が何だったか分かるか?
「いくつか推論は出来ますが、ここはあなたの意見を素直にお聞きしたいですね」
「簡単なことだ。あいつは俺たちと仲良くなって、一緒に遊びたかったんだよ」
 俺の言葉に、古泉が眉を顰めた。「それならば素直にそう言えば良かったのではないでしょうか?」
「いや、それは無理だろ。俺たちの中で、あいつに対するキャラクターは既に固定されているからな。ちょっと天然で凄く空気の読めない、スチャラカオトボケドジっ子だ。イジられキャラではあるが、仲良くお友達付き合いしたいと思う奴は殆ど皆無だろ」
「くくっ、確かに言えてますね」
「考えてみれば、あいつの復讐と言われる行動は些細な物が、あるいは自分に注目を浴びせようとするものばっかりだった。長門の件も、朝比奈さんの件にしてもそうだ」
「では、涼宮さんや佐々木さんの件に関しては? 彼女の地位を逆転するような企みは、些細なこととは思えませんが」
「いや、やっぱり些細なことだ。あいつは単にイジられキャラから脱皮したかっただけだから、それ以上のことは考えてないさ。逆にハルヒ達へ命令することは、あいつの体が拒否するさ。長年かかって染み渡った小者っぷりがな」
「くっくっくっく……そう言われてみてばそうですね。いはやは、僕たちの取り越し苦労。敵対勢力に対する用心が過ぎたようです。ならば森さんに申し上げて、橘京子を許してあげましょう」
 そうだな、それがいい。もう少し俺は寝かしてもらうから、後は頼んだぜ。
「承知いたしました」
 俺はそう言って、再び眠りについたのだ。



「なるほど、彼がそんなことを……。分かりました。ならば今回は大目に見てあげましょう。橘さん、反省致しましたか?」
 はい……ものすごく反省しました。
「ならばもういいでしょう。おいきなさい。ですがこれからは、変な事を企むのはおやめなさい。もしまた同じようなことをした場合、今度こそ命の保証はありませんよ。彼に感謝することね」
 わかりました。今後気をつけます……。

 ガチャ。
 あたしは、古泉さんと共に、森さんのお部屋から出てきました。
75.
「よかったですね、橘さん。かなり寛大な処置でしたよ。もし彼があなたの弁護をしてくれなかったら、あなたは今頃あの木馬に乗せられて鞭と蝋燭をを構えた森さんに……」
 ひぃえええっ!! 本当ですか!?
「あまり大声を出さないでください! 森さんに聞かれたら、僕まで同じ目に遭います!」
 す、すみません。やっぱり森さんは普通の人間じゃありません。ドSエスパーなのです。
「それよりも、彼にちゃんとお礼を言ってあげなさい。あなたは彼のおかげで一命を取り止めたのですから」
 はい、分かりました。では今からお礼を申し上げることにしますね。


 
 古泉さんと別れ、あたしは一人、キョンくんのお部屋にお邪魔することになりました。
 部屋の前まで来て深呼吸一つ。あたしは精神を統一しました。
 雪の中で言ったキョンくんのセリフが、さっきからずっと頭の中から離れないからです。
 あたしのことを……どう思ってるんだろう? もしかしたら、この機会に聞けるかも知れない。そう思うと、自然に心拍数が上がってきます。
 もし、あたしの想像通りの事を言ってくれるんなら、逆転満塁ホームランです。
 涼宮さんや佐々木さんより、完全に上の立場になっちゃいます。もうそれだけで大満足です。お二人への復讐なんかどうでもよくなってきます。
 ですが、キョンくんのフラクラ率は異常すぎるので、警戒するに越したことはないでしょう。あたしは平静を装う必要があります。
 だからこうやって精神統一をしているのです。

 ――よし、いくぞ! 頑張れ京子!!

 あたしは自分自身にハッパをかけ、そしてドアをノックしたのでした。



「キョンくん、よろしいですか?」
 ――――
「? キョンくん、入りますよ?」
 ガチャ。

 暖房の効いた、ベージュ調のシングルルーム。しかしキョンくんの姿は見あたりませんでした。思わず辺りをきょろきょろと見渡し――
 ……あ、寝てる……
 あたしは小声でそう喋っちゃいました。
 寝てるんだ。ならもう少し後で誤りに……

「……ち、ばな……」
 え?
「たち……ばな……」
 キョンくん、起きているんですか? それともまた寝言ですか?
 あたしはキョンくんのベッドに近づき、そしてキョンくんの顔をまじまじと睨み付けました。
 …………。どうやら、本当に寝ているようですね。嘘ではないようです。
 あたしはふうと溜息一つ付き、ベッドの端に座り込みました。

 ねえ、キョンくん。さっき言いたかったことって何?
 あたしのことをどう思っているの?
 嫌いなの? それとも……好き……なの?
 ねえ、ちゃんと答えてよ。
 答えないんだったら、あたしにも考えがあるんだから。待ったを掛けても無駄よ。
 あなたが、キョンくんが、あたしを本気にさせたんだから。
 だから、あたしは態度で示すことにするわ。

 あたしは、キョンくんの顔にゆっくり近づく。
 自慢のツインテールが、彼の耳元に絡みつく。
 規則正しい寝息が、あたしの頬にかかる。
 ちょっと甘い芳香が、あたしの鼻をくすぐる。

 ――初めてのキスは、チョコレート味になりそうね――

 そしてあたしは、自分の唇を彼の唇へと運び――
『何やってんのよこの泥棒猫!!!!』
「ぐへぇ!!!」


 何故かベッドの下にいた、涼宮さんと佐々木さんに蹴飛ばされました。


 な、何故お二人がここに……? 何でベッドの下から出てきたんですか?
「あ、あなたが変な行動をとらないか見張ることにしたのよ! 決してキョンが寝ている隙に下着を盗もうなんて思ってないわよ!」
「右に同じくだ! スノーボードによる大量の汗が染み込んだキョンの下着を盗もうと忍び込んだら、ノックの音が聞こえたから慌てて隠れてしまったなんてことは絶対にないから!」
 へ、変態ですね皆さん……
『あなたに言われる筋合いはない!!』
 ひえっ!!……っていつもなら言うんですが、ちょっと同じ穴の狢臭が漂ってきました。お二人とも、あたしのことを卑下している割には結構変な趣味を持っていますよね。
「そ、そんなことはない!」
「あるはずがない!」
 いやぁ、その手に持っている物をみれば誰だってそう思いますよ。
 あたしはお二人の手に収まっているものを指さしました。それは、キョンくんの下着。恐らくボクサーブリーフです。グレーを涼宮さん、ブラックを佐々木さんがそれぞれ後生大事に握りしめていました。
「こっ、こここ、これは……その……」
「あの……そう! ほら、キョンが寝ている間、クリーニングに出そうと思って!」
「もう直ぐ夕方ですよ。しかもキョンくんが起きたらこの宿を離れるんじゃなかったんですか?」
『うっ!』
「へっへっへ。これはいい弱みを見つけました。キョンくんに言おうかなー、どうしよっかなー」
「橘さん! お願い!キョンにだけは言わないで!!」
「な、何でもするから! 肩をもみます! 部屋のお掃除もします! お帰りなさいませお嬢様って言いますから!!」
「ふふふふー、そんなにおびえなくても大丈夫です。キョンくんには言いませんし、そんなことしなくてもいいのです」
『え?』
 お二人の、不思議そうな顔に対して、あたしは自信満々に声を上げました。
「あたしには既にアドバンテージがあるのですから。キョンくんは、あたしに惚れていますから」

『な、なんだってー!!』

 お二人は、MMRも顔負けの絶叫を上げました。
「そ、そんなはずはない! あれほど橘さんを小馬鹿にしていたキョンに限ってそんなことはない!」
「そうよ! この前なんか『距離を置くと面白いけど、一緒には居たくないよな』って言ってたわよ!!」
 うう、何か酷い言われようですが、しかしあの言葉は事実なんです。あたしは二人の言葉を鼻で笑って、そして嫌らしい流し目をしつつ、言葉を続けました。
「ふふふ、あなたたちが何を言っても無駄なのです。さっき、雪の中で確かめ合いましたから。本当です。なんなら、試してみましょうか?」
「……おい、何人の部屋で騒いでいるんだ。もう少し寝かしてくれ……」
 何というタイミングの良さでしょう。キョンくんがちょうど起き上がったのです。

「キョンくん、さっきのあのセリフ、続きを言ってください!」
「あのセリフ?なんだそりゃ?」
「思い出してください! あたしを抱きしめて、『お前のことが……』って仰ったじゃないですか!」
「ああ、あれのことか。そうか、そんなに聞きたいのか。なら教えてやるぜ。ハルヒも佐々木もいるのか。ちょうどいい。聞いてくれ」
「う、うん……」
「わかった……」
 あたしの意気揚々とした態度とは裏腹に、お二人は意気消沈していました。ふっふっふ。今日このときこそ、あたしが主役に躍り出る番なのです!

「コホン、では言うぞ。えーと、たしか……『俺は案外、お前のことが……』」

 ごくん。
 誰かの喉の音が鳴りました。

「『橘京子のことが……』」

――橘京子のことが、好きだ――
 やったぁ!! 逆転勝利なのです!!!



「って言うとどんな反応を示すのか試したかったんだよ」

 ……え?

『はぁ?』
 衝撃の告白に続き、さらにとんでもない告白をしたキョンくんに、目の前で行われている車上荒らしに対抗すべくもなく惚けているドライバーのように一同間抜けな声を上げました。
「あの時はお前が寝てしまいそうだったからな。少しでも体温を上げようと思ってやった行動の内の一つだ。おかげで眠くならなかったんだろう? よかったじゃないか」
「で、でも! キョンくんのあたしが従姉妹さんに似ていて、惚れていたって……」
「確かに昔はそうだったかも知れないけど、一回り近く離れているんだ。もう大きい子供もいて、今じゃそんな感情は持ち合わせていない。お前とよく似ているのはドジなところだけだ」
「あの綺麗に包装されたハート形のチョコレートを見て、義理チョコじゃなくて残念だって……」
「演技に決まってるだろ。だが人様の物を盗んじゃいけないな。メッセージカードを取るのを忘れているぜ。この字はハルヒと佐々木のものだ」
「まさか……あたし達がキョンのために一週間以上前から作製してたバレンタインデーチョコ、キッチンにおいてたはずなのに無いと思ったら、あなたが盗んでたのね!!」
「あのチョコはピ○ールマ○コリー○から特別に仕入れて、わたしたちの意匠を加えたチョコなのよ! もう手に入らない可能性が高いわ! どうしてくれるのよ!!」
「ああっ、しまったぁ!! 口が滑っちゃった!!」
「ふふふふ……橘さん。あなた自分が何をしたか分かってるわよね?」
「くくくく……橘さん。人様のものを持ち出して、自分のものにしてしまうとは。しかもよりによって、キョンへのプレゼントをね……覚悟はいいかい、橘さん?」
「はわわわわ……」
「まあ待て、佐々木。ここは橘の罰も兼ねて、皆へバレンタインデーのチョコでも作ってもらうことにしようではないか」
「だけどキョン、橘さんはあたし達のチョコを勝手に盗んで……」
「だから、橘に作らせて、それをお前らが受け取って、俺に渡せばいいんじゃないか」
「なるほど、それはいいアイデアだ。では、早速取りかかろうか」
「言っとくけど、変なもの入れるんじゃないわよ。睡眠薬とか、筋弛緩剤とか。ちゃんと監視させてもらうからね」
 ふぇぇ、そんなあ……


 こうして、あたしは二人にバレンタインデーチョコを作らされるハメになりました。
 ですが、このときある妙案が思い浮かんだんです。



「みんなぁー! 橘さんが作ったチョコレートケーキが出来たから食べるわよー!!」
 あれから数時間後、涼宮さんの号令の元、あたし作製のチョコレートケーキを食べることになりました。
 材料はタップリとあったため、キョンくん以外にも全員に出すことになりました。もちろんキョンくんへ贈呈用の、お二人の分も別に作りました。
「あの、大丈夫なんですか、これ。変な薬は入ってないでしょうか……」
「大丈夫よみくるちゃん。あたしと佐々木さんがじっくり監視していたから、変な事する余裕なんて無かったわよ、橘さんに」
「そうですか。ならば安心して食べられますね」
「わたしもご相伴に預かることにしましょう」
「…………」
「――――」

「皆さん、申し訳ありませんでした。あたしがさんざんご迷惑をおかけしました。そのお詫びと言っちゃ何ですが、本日はバレンタインです。皆さんにチョコレートケーキを作りました。どうぞ食べてください」
「ようやくまともな行動が出来るようになったわね。橘さんも」
「うん、これでわたしたちも余計な気苦労を背負い込むことも少なくなるはずだ」
 あたしは皆に切り分け、そして皆に配りました。
「おい、一個少ないぞ。お前は食べないのか?」
「皆さんのお詫びが主体ですから、あたしは結構です。どうぞ遠慮無く食べてください。チョコは、ベルギーから送られてきた100%カカオのチョコレートですから」
 あたしはそう言って、厨房の奥へと消えました。そろりそろり、足音を立てずに歩いていることを、皆気づいているのでしょうか?
「なるほどな……道理でチョコレートのいい臭いがプンプンすると思ったよ。さて、それじゃハルヒ。頼んだぞ」
「ええ。それじゃあ皆さん、声を合わせて……」

『いっただっきまーす!』


 パクッ


 …
 ……
 ………


『な、なんじゃこりゃああ!!!!』



 明かりの灯ったペンションから、とんでもない絶叫が聞こえてきました。ジーパンも驚きの叫び声です。

 ――何よこれ! 全然甘く無いじゃない!――
 ――ひ、酷い味だ! 惨憺たる思いだ!――
 ――ろ、ローソクをたべているみたいですぅ――
 ――橘! カカオ100%なんて嘘つきやがって! 何を食わせたんだ!――
 ――おのれ橘京子! 食物に対する冒涜をするとはメイドとして許してはおけん! 成敗してくれる!!――
 ――も、森さん落ち着いてください!!――

 ふふふふ。どうやら阿鼻叫喚の地獄絵図になっているようですね。そうでしょうそうでしょう。
 ですがキョンくん。あたしは嘘をついてはいないのです。ちゃんとカカオ100%のチョコレートを使用したんですよ。
 混じりっけなしのカカオマス、です。まあつまり、砂糖も入ってないって事ですけどね。あたしも組織の人に騙されて食べたときは泣きましたよ。食べたことのない方は一度食べてみてください。痛い目に遭いますから。
 っと、こんな事しているとみんなに見つかっちゃう! 早く逃げなきゃ!
「パンジーくん、居るんでしょ? 出てきなさい!」
「……なんだ、何の用だ?」
「ちょっと時間移動して、この場から消えるわよ、あたしと一緒に!」
「なっ……だが待て! この時代の人間にアレを見せるわけにはいかない!ダメだダメ!!」
「お・ね・が・い」
「ぐ……だ、ダメなものは……ダメだ……」
 ちっ、今日は堅いですね……そうだ!
「このチョコあげるから。はい、バレンタインデーのチョコよ。嬉しいでしょ?」
「この時代のイベントに感動した!」
「早くなさい!」
「分かった! それじゃあ行くぞ!!」



 そして、あたしはこの時間からほんの少し消え去り、無事にあたしの住む町へと戻ってきたのでした。
 あたしが数ヶ月かかって考えた陰謀は、様々なハプニングでうまくいきませんでしたが、とっさに考えた妙策で、皆に一泡吹かせてやることが出来ました。
 キョンくんに、あたしの弱点が露呈した可能性もありますが……多分寝ていた故の、単なる偶然でしょう。あの件は不問にします。うかつにも聞き返して、あたしの弱点を皆さんに披露するわけにも行きませんからね。
 パンジーくんという使いやすい手下も手に入れたことだし、これからはもう少し楽になりそうです。
 え? 何がだって? 佐々木さんの監視と、涼宮さんの能力移転ですよ。あったりまえじゃないですか。
 そんな風になんて微塵も見えない? き、気のせいです! アレは演技ですから!

 あたしの活躍はまだまだこれからなのです!
 泣いたりする日もあるけど、あたしは元気なのです。
 だから皆さん応援お願いします。

 それじゃあ、今回はこの辺で! さらばっ!!


  終わりたい
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