トンネルを抜けるとそこは雪国だった。
という有名な一説をご存知だろうか。これは川端康成が1937年に出版した「雪国」の冒頭部分である。
いや、今はそんなことを話している場合じゃなかった。
雪国やら川端康成やらはどうでもいいんだ。ひとまず俺が話さなきゃいけないのは今自分が置かれている身の上についてだ。
そう。
まぶたを開くとそこは閉鎖空間だった。
上半身をガバッと起こす。俺は地面にそのまま寝ていたらしく、身体の節々が痛い。
・・・・・・待て待て。この状況はなんだ?どうして俺はまたこんなところにいるんだ。ホワイ、なぜ?
「もしかして昨日俺なんかやっちまったか?」
だが必死に頭をフル回転させて考えてみたが、思い当たる節何もは無かった。
学校に行って、つまらん授業を受けて、文芸部室に行って、古泉とボードゲームに興じる。
夜には飯だの風呂だの明日の英語で当てられそうなところの予習だのを適当にすませ、眠くなったころに本能に従ってベッドに横になり、気がついたら眠っていた。
おお、ごくありきたりな一日ではないか。問題なんてどこにも無い。
「じゃあなんで俺はここにいるんだよ」
自分自身に問いかけてみても何の答えも出てこない。そりゃそうさ。寝て起きたと思ったらいきなり一面灰色だもんな。逆にこれで何もかも分かってた方がおかしいというもんだろうよ。
俺はゆっくりと立ち上がる。服はいつぞやの時と同じように、寝巻き代わりのスウェットではなく、ブレザーの制服をまとっていた。ただしコートはないので、二月の夜に外をうろつくにはまだ寒い格好である。
手をこすり合わせながらあたりを見渡しても光の巨人の姿はない。ついでに古泉の姿もなかった。まぁ前回みたいに途中からひょっこり現れるかもしれんから、絶対いないとは言い切れないだろう。
「さてと、ひとまずハルヒを探すか」
人間とはこういうとき、前にも一度同じような経験を積んでいると初めてのときと比べて速やかに行動できるようで、俺はひとまずこの空間を作った張本人を見つけ出すことにした。この場でぼけーっと突っ立ってても仕方が無いし、すぐにでも元の世界に帰りたいからな。というか寝たい。
俺はパンパンと尻や背中に付いた土を払ってから校舎に向かう。
ハルヒのいそうな場所と言えば・・・教室か部室あたりか?めんどくさいが一つずつ回ってみるとするかね。
俺は校舎に入ると一段一段階段を登って通いなれた自分の教室を目指した。やれやれ。どうして俺ばっかりこんな苦労をせにゃならんのだ。
そう愚痴りながらも、人気も絶え、明かり一つ無い廊下を一人歩く。不気味で仕方ない。まさか何か出てくるんじゃないだろうな。
ようやく辿り着いた二年五組の教室も真っ暗で人のいる気配が全くしなかった。
だが、まあなんだ。もしかしたら教室で寝てるかもしれないだろ?
という、あってないような希望をもって静かに引き戸を開けた。
・・・・・・いや、そりゃ俺だっていてくれたらいいなぁ、とは思ったさ。早くこの閉鎖空間から脱出して寝たいんだし。でもその考えはやっぱりただの希望だったわけであってだな。
正直に言おう。俺は戸を開けて部屋の中を見た時に口をあけたまま一瞬固まってしまった。拍子抜けってやつだ。
なぜかって?そりゃな、涼宮ハルヒが自分の席で本当に寝てたからさ。コートを掛け布団代わりにしてな。
「おい、起きろハルヒ」
机に顔を伏せて寝ているハルヒの肩をゆらす。
「うるさいわね・・・・・・ってキョン!?どうしてあんたがここに!?ていうかここ学校!?あたし、あそこで寝たはずじゃ・・・」
ハルヒは飛び起きて立ち上がった。その拍子にコートが床の上にはらりと落ちる。
「そうだ。学校だ。それいいからお前はひとまず落ち着け」
「う、うん」
ハルヒは目を閉じて二、三回深呼吸をした。
「よ・・・よし、落ち着いたわ。それじゃ聞くけど、どうしてあたしたちは教室なんかにいんの?それと、あんまり関係ないかもしれないけど、前にもこんなこと無かった?」
ハルヒは首を傾げ、そして俺は無難に
「さあな。そんなこと俺が知るわけないだろう。こりゃお前の見ている夢なんだからな」
と大いに誤魔化しておくことにした。
「あたしの・・・夢?これ、あたしの見てる夢なの?」
「そうだ。それで、お前は何がしたいんだ?」
「へ?」
意味が分からない、というような顔だ。きょとんとしている。
「お前は何かがしたくて俺をここに呼んだんじゃないのか?そうでもしなきゃ俺がここにいるはずないだろ」
「それもそう、ね。何かしら」
「・・・・・・あ」
と言うとハルヒは机の横に無造作に置かれていた自分の鞄の中身を確認して、顔を赤くしたと思ったら今度はうーんと唸りだした。
「ということは・・・でも・・・うーん・・・やっぱり・・・いや・・・でも・・・」
ぶつぶつと小声で何か言いながら猛烈な勢いで悩んでいる。なんでもいいが早く決めてくれ。
「・・・どうせこれは夢なんだし・・・それに明日は誰かにジャマされそうだし・・・それじゃやっぱり・・・」
どうやらハルヒは明日になにかしたかったようだ。推測が付かんが。
「そうよね。夢の中くらい好きにやったっていいわよね」
こいつは一体なにをするつもりだ?なんだか俺、怖くなってきたぞ。
「・・・・・・・・・よし!決まったわ!」
「おう。なんだ?」
そんな俺の思いとは裏腹に笑顔で話しかけてきたハルヒに返事を返す。
「キョン、あんたは今から五分後に屋上に来なさい!きっちり五分だからね。早くても遅くても死刑なんだから」
「はぁ。よく分からんが分かった」
俺の答えを聞いたハルヒは落ちているコートを拾って羽織ると、自分の鞄をもって逃げるようにして教室から出て行く。戸を閉めるときに、
「今から五分よ!ちゃんと計っときなさい!」
振り向きざまにそういった。
戸が完全に閉まりきると、タッタッタと廊下を走る音が聞こえ、次第にその音が遠のいていき、終いにはまた無音となった。
「俺、腕時計ないんだが・・・」
俺の呟きが寂しく教室に響いた。
「ちゃ、ちゃんと来たようね!すこ、少し遅刻だけど、きょ、今日のところは勘弁してあげるわ!」
教室の時計で大体五分後、屋上に行くとそこにはフェンスに寄りかかって校庭の方を眺めているハルヒの姿があった・・・・・・・・・がどこか様子がおかしい。
「どうしたハルヒ。噛みまくりじゃないか」
それに気のせいでなければ微妙にモジモジしているというかなんというか・・・
とにかくハルヒらしくない。
「うるさいっ!あんたは少し黙ってなさい!」
いや、そんなに怒ることないだろ。
「そ・・・それでね?本題なんだけど・・・」
薄暗い屋上でも分かるくらいにハルヒの顔が赤くなる。
「ほら、本当は明日なんだけど、明日になったら有希やみくるちゃんだっているじゃない?」
「話の内容はつかめんが、もしかしたらお前の言う明日ってのはもう今日になってるとおもうぞ?時間的にもな」
「だからあんたは少し黙ってなさいって言ったでしょうがっ!もう、話の腰を折らないでよね」
そりゃ悪かった。続けてくれ。
「・・・・・・・・・うん。話を戻すけど、抜け駆けなんてできないし、逆の立場ならしてほしくないの」
「でも、やっぱりあたしが一番最初に渡したいの。夢でもいい。本当のあんたが分かってなくってもいい。それでもいいからあたしが一番最初に伝えたいのよ」
ハルヒはそこまで一気に言うと顔をさらに真っ赤にして俺のすぐそばまで来て向き合う。その目はいつになく真剣そのものだ。その気迫に飲まれて身動きが取れない。
「だから言うわっ!あたしはキョンのことが好きっ!誰よりも、誰よりも好きっ!」
「ハル・・・ヒ・・・?」
余りの突然の出来事に俺は正常な思考がストップしていた。
あのハルヒが俺のことを・・・?
ちょっと待て。え?冗・・・談・・・だよな?まさかこいつに限ってそんなこと・・・
何かを言おうとして口を動かしてみるものの、情けないことに鯉のようにぱくぱくするだけで肝心の言葉が出てこない。ええい、何やってんだか、俺は。
「ううん。答えてくれなくてもいいの。あんたにこの場で決めてもらおうなんてこれっぽっちも思っちゃいないわ。無理強いするようなものじゃないしね」
だけど・・・といってハルヒは一旦口をつぐむ。
「だけど、ちゃんと受け取りなさいよね。あんたのために頑張って作ったんだから。それぐらいはいいでしょ?」
そういうと強引にきれいにラッピングされた小さな包みを押し付けて、俺にギュッと抱きついてきた。
「それにあんた今、なんて格好してんのよ。寒くないの?昼ならともかく夜にそんな格好してたら風邪ひくじゃない」
「だから、あたしが暖めてあげる」
そう言ってハルヒは爪先立ちで背伸びをする。そして目を瞑った顔が近づいてきて・・・・・・・・・・・・・・・
「キョン・・・・・・・・・大好き」
俺の唇を奪った。
その瞬間、俺の視界が光で真っ白に染まって、絶えられずに目を閉じると頭の中にガラスが砕け散るような音が響きわたり、いい加減もういいだろうというころに再び目を開く。
目に入ったのは見慣れた自分の部屋の天井。時計を見ると時刻は二時十四分を指している。どおりで寒かったわけだ。
「また・・・・・やっちまったのか?」
いや、やられたのか。
まだハルヒの唇の感触と温かさが残る自分の唇を人差し指で触る。
かぁと自分の頬が熱くなるのを感じた。
誰も見ていないと言うのにどこか気まずさを感じて視線をずらす。
目に入ったのは、枕元にちょこんと置かれた見覚えのある小さな包みと目覚まし時計に表示された日付。十四日。
そうか、今日は・・・
ふふっ、と笑みが自然にこぼれる。味なまねしてくれやがるぜ、全く。
ありがとな、ハルヒ。
~Happy Valentine~