「遅い。罰金よ、キョン!」
リテラート本星の南半球常緑樹林気候帯にある首都ハルヒポリスの郊外に構築された、軍事中枢区の目玉であるSOS帝国軍統合作戦本部ビルは、つい先日完成したばかりだった。
このビルの地下八十階に設置されたSOS団専用会議室に、息を切らして飛び込んできたキョンに向けて放たれた第一声は、一般的にみれば歓迎とは程遠い表現だったが、この言葉こそ発言者が歓迎している印だとキョンは信じていた。そして、キョンもまた自分の感情を素直に伝えなかった。
「ハルヒ、文句を言うならもっと官庁街に近くてアクセスの良い所に統合作戦本部を建ててくれ。国防省から地上車で一時間もかかる上に、今日は渋滞に巻き込まれたんだぞ。少しは労いの言葉をかけて欲しいもんだね」
「ユキは衛星軌道上の宇宙艦隊司令本部から来たのに、ちゃんと時間通りに会議室に着いてたわよ。遅れそうになったならコイズミくんみたいに空中艇を使えばよかったじゃない」
「あいにく軍務省ビル所属の空中艇は全部出払ってたんだ」
無論、キョンが軍務尚書としての権限を行使すれば空中艇など瞬時にダース単位で現れるわけだが、彼は自分に与えられた権限を子供がおもちゃで遊ぶように振りかざすことを生理的に嫌っていた。ましてや、SOS団の私的な会議に間に合うために使うのはなおさら気が引けた。
「はぁ~。情けないわねぇ。あんたは一応軍務省と統合作戦本部の主なのよ。昔みたいに時間にルーズだと部下に示しがつかないわよ。それより、早く席に着いてよ。会議を始められないじゃない」
「因縁をつけたのはそっちだろうが。まったく、昨日統合作戦本部長の辞令を受け取って、軍政と軍令のトップを兼ねることになった俺の身にもなってくれ」
やれやれ、と決まり文句を呟きながらキョンは一つだけ空いている席に腰を下ろした。廊下を全力疾走してきたおかげで悲鳴を上げている喉を潤すために、会議机の上に置かれていた湯気の立っている湯のみを手に取る。
「そのお茶、雁音っていう地球産の古代茶なんです。独立商船団に発注して取り寄せちゃった。うまく淹れることが出来たと思うけど」
「いえいえ、アサヒナさんの淹れたお茶なら…」
「キョン。それ以上しゃべったら超皇帝を侮辱した罪で死刑にするわよ」
ミクルと茶漫談を開始しようとしたキョンに、物理エネルギーに換算したら間違いなく人を殺せるであろうドスの効いた声が叩きつけられた。しぶしぶ黙ってお茶をすすったキョンに、くすくすと笑いつつもミクルが目配せをして謝る。
ちなみに他の四人が、有名デザイナーにハルヒがデザインさせた機能的でありながらも雄麗な雰囲気を兼ね備えたSOS帝国軍将官用軍服を着ているのに対して、ミクルは一人だけメイド服を着ていた。SOS団の私的な集まりの際はこの古風で非機能的な服を着るのが、士官学校時代から続く慣わしだった。
「これよりSOS団緊急ミーティングを始めるわ。みんな知ってのとおり、三日前、身の程知らずのコンピケン連合軍の戦艦がリテラート星系にやってきて、宣戦布告に等しい書簡をよこしてきたわ。書簡の内容は旧コンピケン連合領のウィンダーズ星系を速やかに返還すること、さらにコンピケン連合に星系の借用料9500億クレジットを支払うこと、SOS帝国側の回答に誠意が見られない場合は武力において我が目的を達成せんとするですって。笑う価値も見出せないふざけた話よね。三流コメディアンでももっとましなネタを考えるわ。戦争がしたいならストレートにそう書けばいいのに。さしあたって、時間を稼ぐために保留にしといたわ」
「で、俺達SOS団は書簡の返答を考えるためにこのクソ忙しい中集まったのか?」
キョンがぶっきらぼうに発言する。返答など考える必要が無いことを知っていても、あえて反論的な発言してしまうところが彼の悲しい性だ。対コンピケン連合戦用の資料を作成していて遅れそうになったのにも関わらず、である。
「返答?あんた本気で言ってるの?そんなの決まってるじゃない。SOS帝国暦一年十一月十五日午前十時八分をもってSOS帝国は、理不尽極まりないコンピケン連合の要求を断固として拒否することを、超皇帝スズミヤ・ハルヒの名において宣言するわ」
コイズミは普段と変わらぬ人畜無害な笑顔で、ミクルは可愛らしい眉毛を引き締めて、ナガトは無表情のまま、そしてキョンはわざとらしくため息をついて、それぞれの表現でハルヒの宣言を受け入れた。
「そんなわけで、みんな、戦争よ。いいこと?これはSOS帝国にとって最初の戦いなのよ。もし、しょうもないヘマをして初陣に泥を塗るようなことをしたら、ハルヒポリス環状道路十周の刑よ。しかも素っ裸で!気色悪い総大主教猊下が追いかけてくる~って叫びながら十周!!」
ハルヒは不敵な笑みをして、恐ろしい提案をさらりと言ってのけた。ちなみに、ハルヒポリス環状道路は一周二十四キロの距離を誇る首都の大動脈である。
「おいおい、いきなり罰ゲームから発表かよ。ただでさえ戦争は疲れるのに、余計やる気を無くすぜ」
「キョン、あんたまさか負けるつもりなの?そうだとしたら、今すぐ会議室からほっぽり出すわよ。SOS団に敗北主義者はいらないわ・・・って、ああもう、こんなアホな言い合いしてる場合じゃないわよ。早くしないと、御前会議の始まる時間になっちゃうわ。次行くわよ、次!ユキ、ちゃっちゃと済ませて」
ハルヒに指名されたナガトは小さくうなずいて、会議机に備え付けられている操作卓にふれた。丸い会議机の中央部にホログラムが現れ、五人に向けて文字とグラフの列を投射する。
「情報管理局が昨日までに入手した情報を総合すると、既にコンピケン連合軍は首都星トナッリ・ベアーに五個艦隊を集結させている。敵戦闘用艦艇の総数は70000隻から75000隻、これに相当数の後方任務用艦艇が付属する模様。さらに軍需物資の集積、民間輸送船の徴発、情報統制等、戦争に必要な準備を行っている。以上の情報を踏まえると、コンピケン連合はもともと我がSOS帝国に戦争を仕掛けるつもりでいた可能性が非常に高い。
軍需物資の集積率と艦艇数から推測すると、十日前後で全艦隊の出撃が可能になる」
日頃のナガトからは想像できないほどの饒舌ぶりだが、その言葉には飾り気が無く、伝えたいことがはっきりと伝わるものだった。
「変ね。のっけから戦争をするつもりだったら、なんで奇襲攻撃をしないでわざわざ宣戦布告の通知みたいなものまで送ってきたのかしら?」
ハルヒが超皇帝とマジックで書かれた三角錐を指でもてあそびながら、もっともな疑問を口にした。
「情報管理局敵性勢力情報分析課の報告によれば、コンピケン連合は自らの軍事的勝利を確信して、こちらを侮っている可能性が高い、とのこと」
「なによ。それってあたし達を馬鹿にしてるってことじゃない。めっちゃ腹立つわね!コンピケン連合のくせに調子に乗りすぎだわ!コイズミ君、他の勢力の動向は!?」
「はい。今のところ正規の外交ルートで目立った動きはありません。非正規では人民統合機関、天の川情報共同体、未来同盟が今回の事態を静観するとコンピケン連合に通達したことを確認しています。新人類連邦については、情報管理局の工作により発生した経済混乱の対応に追われているので、軍事行動に出る余裕は無いかと」
「各勢力とも艦隊を動かして無いことを情報管理局がつかんでいる。私はコイズミ・イツキの言に賛同する」
コイズミが発言し、間髪を容れずそれをナガトが補う。SOS団の活動を通して生まれた絶妙のコンビネーションが見事に発揮された。
「コンピケン連合をぶちのめすのを邪魔する不届き者はいないってわけね。ミクルちゃん、国内の方は大丈夫?」
「はっはい、経済は安定してますし、この半年間で今度の戦争に耐えるくらいの体力はついたと思います。それだけじゃなく、戦時特需による伸びも期待できます。スズミヤさんと現政権への支持率はほぼ100%ですから、国内に関してはコンピケン連合との開戦には何の問題も無いと思いましゅ」
相変わらずの舌足らずぶりでミクルが発言する。しかし、このろれつの回らない声が聞けることを、何よりの幸福と感じている部下も少数ながら存在するのは確かである。部下ではないが、キョンもまたその一員である。
「ふふふ、戦争をする下準備は万端ってところね。コンピケン連合の奴らが真っ青な顔を並べてあたしの前ではいつくばって許しを乞う姿が目に浮かぶわ。そういえば、コンピケンって考えてみればおかしな名前ね。何か由来があるの?」
「コンピケンはコンピケン連合国内で信仰されている宗教の名であり、その宗教で定義されている唯一神の名です。現在のコンピケン連合の指導者ブッチョー・コンピケン三世を含め、歴代の指導者は神の代理人を語って権力を握ってきました。国民はコンピケン教を信仰することを義務付けられ、強力な拘束力を持つ宗教法によって権利を制限されています。表立って反対する動きはありませんが、内心で反発している国民も多く、SOS帝国独立の際にウィンダーズが星系が参加に合意したことが良い証拠でしょう」
コイズミが慣れた手つきで操作卓を操作して、情報を引き出しながら答えた。戦乱の世では国内の結束力――それが国民の自発的なものでなかったとしても―― が国の興亡に直結していた。よって国内の結束力を高めるために、各勢力で様々な方法が取られ、常人が目を疑うような狂気的宗教による支配が行われることさえ珍しいことではなかった。SOS帝国の場合、スズミヤ・ハルヒに対する尋常ならざる人気がそれに当たる。
「うわぁ、典型的な宗教独裁国家って感じね。SOS帝国にはむかう悪の国家にぴったりな設定だわ。これは、ますます戦いがいがあるわねぇ」
ハルヒは意地の悪い笑顔を浮かべる。
「さて、次が一番重要な部分よ。キョン、栄えある我がSOS帝国宇宙軍はどうなってるの?」
「ああ、ハルヒに命令された通り、全戦闘用艦艇79276隻……昨日亡命してきた巡航艦四隻を含めりゃ79280隻か。この内の70000隻を15000隻づつに分けて四つの艦隊に、残る10000隻を6500隻の後方任務用艦艇と合流させて補給艦隊にそれぞれ編成して、リテラート星系に集結させておいたぞ。後の連中は2000隻に分けて五つの星系に配置して星系防衛に当たらせている。これだけでもかなり骨の折れる仕事だったんだぞ。今度、俺とナガトに何か奢ってくれ」
「あんたはいちいち文句を言い過ぎ!で、艦隊はいつ出撃できるの?」
「出撃自体は一週間以内に可能だ。だが、問題は補給だ。艦艇の通信システムの規格統一はなんとか終わらせたんだが、レーザー砲やミサイル類の規格統一はまだ半分くらいしか進んでないんだ。よって、大きく分けてもミサイルだけで五種類、レーザー砲はエネルギーは良いとしても修理用の予備部品を五種類用意しなきゃならん。こいつはちょっと手間がかかるぞ」
戦国時代突入当初は全ての勢力が天の川銀河統一政府軍標準装備を使用して殺し合いをしていたが、既に百余年が経過している現段階では各勢力が使用する兵器にはそれぞれの独自性が色濃く現れていた。対艦ミサイル一つをとっても、長距離戦を重視する天の川情報共同体のものは射程距離を延ばすために燃料を多く搭載して全長が長くなっている。逆に短距離戦好む傾向にある新人類連邦のものは弾頭を大型化し直径が大きくなっている。もちろん、これらの兵器は他勢力製の艦艇に搭載することが出来ないので、運用する艦艇の出身地が五カ国に及ぶSOS帝国軍にとって大きなデメリットとなっている。
「生活区画の方はほとんど手付かずだと言っていい。もう艦艇の改修工事をしている暇は無いから、緊急措置として前に所属していた国ごとに艦艇を分けて艦隊を編成して、補給が少しでも楽になるように工夫してみた。この問題に直接は関係ないが、元コンピケン連合所属の艦は優先的に補給艦隊と星系防衛に回しておいた。いくらSOS帝国の仲間になったと言っても、つい半年前までの同胞と戦うのはきついだろ。それでも、補給や修理作業に負担がかかるのは必須で、敵より不利になることは避けられん」
軍事行動において、補給は戦略や戦術と共に欠けることの出来ない重要な部門である。腹をすかせた軍隊の勝機が著しく低下するのは、古来から続く軍事的な伝統であり、それは宇宙暦に入ってもSOS帝国暦に入っても変わることがない。
「うーん、五カ国混成軍の弱みが出たわね。まあ、今更どうあがいても仕方ないか……この件はひとまず置いておくわ。五つの艦隊の司令官は未定よね?」
「今は五つとも宇宙艦隊司令長官のナガトが兼ねているが、お前の一声ですぐに人事が決定するようになっているぞ。早いとこ決めてくれたほうが助かる」
「じゃあ、発表するわ。艦隊の司令官は全員SOS団の団員が務めることに決定。第一艦隊は当然あたし。第二艦隊は副団長のコイズミくん。第三艦隊はユキ。第四艦隊はキョン。補給艦隊はミクルちゃんが率いてちょうだい。副司令官の人選は作戦会議で各司令官が個々に決定すること」
会議室の空気が驚愕で満たされた。コイズミは柔和な笑みを消し、ミクルは目を丸くして口に手をやり、ナガトも五ミリほど上下の唇が離れたままになっていた。SOS帝国軍内の人的物資事情を把握しているキョンですら驚きを隠せなかった。
「おい、俺やナガトはともかく、お前やコイズミ、アサヒナさんは十ヶ月近く軍を離れていたんだぞ。本当に俺達が艦隊司令官をやるのか?」
「やるのよ。というより、やらざるを得ないわよ。あたしも軍の将官名簿を見たけど、数が少ない上に10000隻以上の艦隊を指揮した経験のある人は皆無だったわ。その中で最高位の人民統合機関から亡命してくれたアラカワ中将でさえ、8000隻を指揮したのに留まっているわ。加えて、中将の専門は特殊工作活動よ。艦隊運用はあまり得意じゃないらしいし。腐れ縁で付いてきたタニグチなんか准将だけど600隻止まり。話にならないわ。もちろん、この中には優秀な人もいるだろうけど、現段階ではまだまだ未知数だわ。彼らに司令官を任せるのは危険すぎる。それに比べれば、あたし達は全員新人類連邦にいたとき10000隻以上の艦隊を指揮した経験もあるし、それなりの実績も挙げているわ。だからあたし達の他に適任者がいないのよ。分かる?」
実際、SOS帝国軍は兵士の数に対して将官の絶対数が不足していた。独立時に各星系に駐屯していた高級士官を別にすると、
亡命してきた佐官以上の位を持つ士官はわずかで、その内訳も経験の浅い若手士官が大部分だった。
もちろん、用兵、年齢ともに熟成された将官にも、ハルヒに賛同する者はいただろうが、地位が高くなるほど自軍のしがらみから逃げ出すことを困難にする。皮肉なことにハルヒの年齢もこの場合壁の一つであった。自分より若い指導者の下で仕える、この行為に反感を覚えてしまう人間は意外に多いものなのだ。
「確かに、ハルヒの言う通りだな。でも、もし新人類連邦軍にいたときお前が愛想を振りまいておけば、もう少し亡命してくる将官も増えたかもしれんがな」
ついつい出てしまったキョンの憎まれ口に、ハルヒは精一杯嫌な顔をして向かえた。
「連邦のクソ爺どもにおべっかを使う必要はどこにもなかったわ。あんなやつらに敬語を使ってたなんて、思い出しただけでも吐き気がする。でも、あたし達が司令官をやらなくちゃいけない理由はそれだけじゃないの。あたしはいいとして、政府や軍の中にはSOS団員の能力に懐疑的な人がけっこういるのよ。みんなもうすうす感付いてたでしょ。部下に、お前はスズミヤ・ハルヒの威を借っているだけだ、って思われることがあるのは。この半年間で随分と減ったけど、それでもまだ疑念が完全に消え去ったわけじゃない。だから、ここは一つあたし達SOS団だけでガツンと力を見せ付ける必要があるのよ。中にも、外にも」
キョンにもハルヒが言ったような事例の覚えがあった。あるとき、部下のとある中佐に資料の提出を頼んだ際、一瞬だけ胡散臭げな視線を向けられた。こうした出来事が起きたのは一回や二回ではなかった。あまり深く考えたことはなかったが、このまま放置しておくとSOS帝国軍内に深刻な亀裂を生じさせる原因になりかねなかった。
無言で聞き入る団員に畳み掛けるようにして、前にもまして強い口調でハルヒは話し続けた。
「繰り返して言うわ。これはSOS帝国にとって最初の戦いよ。負けることなんか許されない。もし負けるようなことがあったらSOS帝国は天の川銀河統一という壮大な野望を一%も達成しないまま、
あたしを信じて付いてきてくれている大勢の人達の運命と一緒に宇宙の闇へ消えてしまう。あたしはそんなこと絶対に望んでいないわ。だから、お願い」
四人を見つめるハルヒの瞳の中には、普段閉じ込めている元気一杯に光を放つ銀河の姿はなく、代わりに今にも融けてしまいそうな彗星が不安げに輝いていた。
「コイズミくん、ミクルちゃん、ユキ、キョン。あたしに力を貸して」
なるほど、ハルヒはこれが言いたくてミーティングを開いたのか。キョンは先ほどから胸の奥で絡まっていた糸が解けた思いだった。
これまでの内容は少々堅苦しくなるものの、御前会議や作戦会議で討論すれば済むことだった。決してSOS団員専用のミーティングまで開いて話し合う事柄ではない。だが、今の言葉は国民六十七億人の頂点に立つ超皇帝スズミヤ・ハルヒではなく、たかだか五人の仲間のリーダーでしかないSOS団団長スズミヤ・ハルヒでなければ、言うことのできない言葉だった。
「何言ってんだ、ハルヒ。俺達はお前の仲間だろ、そんなこと聞くまでもないことじゃないか。あと、恥ずかしい台詞は禁止だ」
「こんな僕でよろしければ、微力を尽くさせてもらいますよ」
「もっもちろんです!スズミヤさんのためなら身を粉にして……そんなことしたら痛いですけど、とにかく頑張りますっ」
「わたし個人としてはスズミヤ・ハルヒ、あなたの期待に全力で応えたいと思っている」
団員達のそれぞれの人格が浮き出た決意表明を聞いたハルヒは、しばらくの間形容しがたい表情をしていたが、
やがて、満足したように再び不敵な笑顔に戻る。いつの間にか、わがままな銀河が情緒不安定な彗星をどこかへ押しやっていた。
「ふふん。まあ、SOS団員なら当たり前よね。とりあえず、礼を言っておくわ。みんな、ありがとう」
ただの人間ならハルヒにしては実にありきたりで、面白みのない感謝だと思うだろう。けれどもSOS団員の四人は、これがどんな賛美にも勝る最高の感謝の言葉だと感じ取っていた。設立当初は積極的とは言いがたく、ともすれば利害関係の一致のみでつながっていた彼らの関係は、五年の間でここまで成長したのである。
「そろそろ、御前会議が始まる時間だわ。移動しましょ」
ハルヒの号令により、SOS団員は席を立って御前会議の開かれる第一会議室へと移動した。SOS帝国の重臣が一堂に会した御前会議では、コンピケン連合の要求を正式に拒否することが決定され、同時に全土に向けて非常事態宣言を発令して戦時体制へ移行することも決められた。続けて第二会議室で軍と政府の関係者を集めた大掛かりな作戦会議が開かれ、迎撃作戦についてより鮮明な話し合いが行われた。
なお、SOS団専用会議室から第一会議室へ移動する際、ミクルはメイド服から軍服に着替えるのを忘れて、御前会議に出席した男性陣の目を喜ばせることとなった。

 



旧リテラートポリス、現ハルヒポリスを廻る環状道路の内側には、1000メートル級の高層ビルが林立する都心が形成され、SOS帝国の首都機能を一身に担っていた。
そんな眠ることのない街の片隅にある『黒猫亭』は、うまい酒とジャズの生演奏を静かに堪能できる落ち着いた雰囲気のバーとして知られていた。値段も手ごろで、この道三十年の老マスターの酒を求めて毎晩客が集っていた。
しかしながら、この店には常連だけしか知らない秘密があった。秘密と縁ができたのは五年前のこと。飲酒の権利を手に入れたばかりの士官学校生の集団がリーダーの「本格的な店で飲むわよ!!」という一声で転がり込んできたのが始まりだった。その若者達はやがて歴史の奔流に身を投じ、軍艦に乗って銀河の大海を駆け巡るようになっても足しげくにこの店に通い続けていた。
“私服の英雄がやってくる店”、それが『黒猫亭』の持つもう一つの顔だった。
現在ではSOS帝国頂点に君臨している英雄は以前と変わらず、パウエル街の路地を奥に入ったところにある店舗に徒歩でやって来た。連れは一人だけだった。
「いらっしゃいませ……これはこれは、お久しぶりです」
カウンターでグラスを拭いていたマスターが顔をほころばせながらハルヒを迎えた。さすがに演奏中だったピアノ、ウッドベース、ドラムのジャズトリオはできなかったが、中にいた客は持っていたグラスをかかげるなど、それぞれの方法で半年振りに現れた英雄を歓迎した。幸い一見客はいないようで、皇帝の登場に驚いて慌てふためき店の雰囲気を乱したり、修飾語過多な挨拶をされることはなかった。
「なかなか来れなくてごめんなさい。独立してから仕事が増えてめっちゃ忙しくなっちゃって」
「いえいえ、ご活躍はかねがね耳に入っております。今宵はお二人様だけですか?」
「本当は五人で来たかったんだけど、他の三人が仕事があるとかで来なかったわ。多分あたし達に遠慮しちゃったみたい」
マスターと話をしながらカウンター席に座ったハルヒに続いてキョンもその隣に座る。
「とりあえずあたしにはミモザを。つまみはチーズとソーセージとクラッカーの盛り合わせをお願い。それと、こいつには……アルコールが入ってれば何でもいいわ。」
「ふざけんな。ええと、俺にはウィスキーを。銘柄は・・・」
「いつものでございますね。少々お待ちください」
マスターは老いてもいささかの衰えも見せない記憶の戸棚から、キョンの好んでいたウィスキーの銘柄の名を取り出すと、すぐさま準備にかかった。
キョンの前に置かれたグラスにウィスキーがなみなみと注がれている間に、帝国軍士官用制服を着た目つきの鋭い女性がバーに入ってきて、何も言わずに先に来た二人と同じくカウンター席に座った。周囲の客に対して殺気を放って警戒し始めたが、その様子は見慣れない場所に迷い込んで不安げになっている子猫のようにも見えた。
「今来た客、メイ・ユンファとか言った親衛隊員だっけ?お前の警護のつもりみたいだが、なんだか頼りないな」
「あの子仕事熱心なんだけど、軍隊生活にどっぷりつかっててどこか抜けてるっていうか、一般常識が無いのよねぇ。こういう所に来るのも初めてだと思う。まっ、ちょうどいい勉強になるでしょ」
二人はささやかな乾杯をした後、早速生真面目な親衛隊員を生贄にして会話の花を咲かせていた。当のメイは注文を尋ねられて散々目を泳がせ、思考を巡らせたあげく、ミルクはあるかと質問した。長年ありとあらゆるトラブルに対処してきたマスターは寛容にも未熟な若者に微笑を向けて言った。
「ここはしがないながらもれっきとした酒場です。できれば酒精の入った飲み物を頼んでいただきたいのですが、そうもいかないようですね」
とハルヒの方を見やってから炭酸水のボトルを持ってきた。赤面しながらグラスに注がれた炭酸水を一気に飲み干してむせ返るメイを見て、ハルヒは頭を押さえて、キョンは苦笑した。
「う~、あれじゃあ先が思いやられるわ。コンピケン連合との戦いが終わったら誰か良い男でも紹介してあげようかな。彼氏が出来ればちょっとはましになるかも。このまま味気ない青春を遅らせるのはあまりにも不憫だわ」
「さあ、どうだかな。恋人ができれば良いってもんじゃないぞ」
話の対象に聞こえないぎりぎりの音量で熱弁するハルヒに対して、キョンは苦笑の度合いをさらに強くした。
「それでも多かれ少なかれ生活に変化が訪れるわよ。今のままだと無彩色の人生を送ってるのと同じような・・・・・・あら、懐かしいわね。この曲」
店内に流れていた音楽がそれまでのシックなものから一転して、独特の高揚感を湧き上がらせる曲に変わった。ハルヒとキョンはその旋律に覚えがあった。
「これは確か……」
「God knows...よ。ジャズアレンジだけどね。そっか、あれからもう五年も経つんだ。早いなぁ……」
ハルヒは身体を回転させて、英雄に対してささやかな敬意をこめて演奏を始めたトリオの方を向いて、しばし室内で乱舞する不可視の妖精に聞き惚れていた。ただ、その視線は薄暗い店内で動くトリオを見ているのではなく、自分がこれまで歩んできた時の道を見つめているようだった。
「士官学校創立記念祭の時にお前が歌ったんだよな。あの時は正直驚いたぜ」
キョンが、こちらは相方の形の良い横顔を見つめながら呟いた。
当時新人類連邦で人気を博していたバンド、ENOZが軍人慰問活動の一環として士官学校創立記念祭でライブを行うことになったのだが、演奏直前、ヴォーカルとギターの担当が不慮の事故で負傷してしまい、偶然居合わせたハルヒとナガトがその代役を果たしたのだ。ライブは成功裏に終わり、英雄の多芸さを世に知らしめることとなった。
ENOZとハルヒの交流はその後も続き、SOS帝国が独立するとENOZの面々はすぐ帝国に亡命して政府お抱えのバンドとなり、プロパガンダ放送への協力、国歌の作成などに関わったりした。五日後に開かれるコンピケン連合軍迎撃部隊結成式にもゲストとして招かれており、そこでも演奏を行う予定である。
「当然よ。あの頃は銀河統一という超壮大な計画を成就させるために、何が何でも名前を売っておく必要があったから。でも、あれから五年もかかってようやくスタートラインに並んだだけなのよねぇ。先が思いやられるわ」
ハルヒは前を向いたままキョンの方を見ずに答えた。
「そうは言うがなハルヒ、お前は凡人が一生かかってもできないことをたったの五年でやり遂げたんだ。賞賛に値するどころか、お釣りがたんまり返ってくるぞ。もっと素直に喜ぶべきだろ」
「天の川銀河全体で有人星系だけでも500以上あるのよ。この調子でいくと銀河統一まで単純計算で100年もかかっちゃうわ。SOS団結成時の計画だともう銀河の半分は手に入れてるはずなのに……」
五年前のぶっ飛んだ妄想は置いておくとしても、キョンはため息をつかざるを得なかった。今の会話にしても、朝の会議にしても、どうも今日のハルヒの心には不安定な要素が紛れ込んでいるようであった。
「そりゃ、新人類連邦にいた頃は地位が低くて思うように動けなかったし、偉くなっても所詮は一介の軍人にすぎなかったからな。
だがな、今ではSOS帝国の皇・・・超皇帝、一国の指導者になったんだ。自由に動ける点に関しては桁違いだぞ。銀河の統一なんてあっという間さ」
五年間共に行動した経験からキョンが学んだところによると、スズミヤ・ハルヒという人間は見かけによらず情緒不安定で、
周期的に憂鬱の暗い湿地にどっぷり浸かってしまう傾向にあるようだった。このような状況になったとき、キョンとしてはできる限り速やかにハルヒを元の暴走気味な状態に戻さなくてはならなかった。憂鬱が長引いてはろくなことが起こらない。ましてや敵国との戦争が駆け足で迫っているのだ。指導者が陰鬱だと勝率に少なからぬ悪影響が出る。
「そう考えることもできるわね」
キョンの努力は聞こえるか聞こえないかの瀬戸際の呟きで跳ね返された。
「やれやれ、そんなに後ろ向きに考えなくてもいいだろ。
いつもの傍若無人なハルヒはどこに遊びに行ってるんだ?」
今度は答えさえ返ってこなかった。
こいつはかなり重症だな、と心の中でため息をついてグラスをかたむけたキョンを尻目に、God knows...の演奏が終了して、客の間から拍手が沸いた。ここでハルヒは再び身体を回転させてキョンではなくカウンターと向き合った。
「巡航艦の艦長だった親父が戦死したのが初等学校六年のとき。あたしは考えたわ。何で親父は戦場で死ななければならなかったのかって」
不意を付いてハルヒの独白が始まったのは、キョンからウィスキーボトルを奪い、空になった自分のグラスに注いで一気にあおってからだった。
「子供なりに考え抜いた末に、答えは葬式で母さんに『もし世界が平和だったら、お父さんは死ななかったのに』って泣きながら話しかけられたときに出たわ。戦争が絶えない世の中だから親父は死んだのよ。だからね、あたしは決めたの。あたしの手で平和な世界を作ってやるってね。平和な世界を作るにはどうすればいいか?ばらばらになってる天の川銀河を統一してやればいいのよ。どうやって銀河を統一するか?宇宙艦隊を率いて銀河を征服してやればいいのよ。それであたしは士官学校に入るためにひたすら勉強をしたわ。初等学校を卒業して中等学校、高等学校になっても独りぼっちで全力疾走してた。母さんはあたしのすることに反対しなかった。娘の意思を尊重してくれたのかもしれないし、もしかしたら、親父の敵を取ってくれることを期待してたのかもしれない。
最初の目標の士官学校に進んだ頃になるとあたしも知恵が付いてきて、宇宙艦隊を率いて銀河を征服するなんてアバウトな計画だと駄目だと感じるようになってた。もっと具体的な計画を立てる必要になってきたのよ。結論はすぐには出なかった。あまりにも考えることが多い上に複雑だったから。そんな時、勉強ばかりで気軽に話せる友人さえ作ってなかったあたしに唯一話かけてくれていたあんたが解決策を教えてくれた。『仲間を集めればいい』ってね」
キョンの脳裏で五年前の士官学校で交わされた会話が再生された。
『毎日不機嫌な顔をして悩んでいるようだが、いったい何を考えてるんだ?』
『別に。銀河を統一する計画を練ってるのよ』
『そいつはすごい計画だな。そうだ、だったら仲間を集めればいい。ほら、ゲームの主人公だってまずは仲間を集めてから冒険の旅に出るだろ』
『……』
キョンにしてみれば、ハルヒに話しかけたのは講義の前の暇つぶしのつもりだったし、銀河を統一する話も冗談だと解釈して自分も冗談で返したつもりだった。
翌日、キョンは首根っこをつかまれて校舎内を引きずり回されようやく、ハルヒが本気で銀河の統一を目論んでおり、前日の助言を真に受けて仲間を集める気を起こしたことを理解した。
「あんたのおかげでユキやミクルちゃん、コイズミくんに出会うことができたわ。テストの結果を見て優秀そうな生徒を選んだだけだったけど。それで、空き部屋の一つを占拠して天の川銀河統一計画についてみんなで考えるようになって……そうそう、あんたが『頭の体操だ』とか言って持ってきたボードゲーム。あれ、最高だったわ。あんなに楽しんだのは初等学校以来だった。それからよ、親父が死んでから封じ込めていた感情が出てくるようになったのは。いつの間にかみんなと一緒にいるだけで幸せだと感じるようになってた。それだけじゃない、あたしの考えも変化していた。
ただ統一するだけじゃ面白くない。統一したらみんなで仲良く遊んで、不思議な出来事を探せる国を作ろうって。古代の文献を図書館から引っ張り出してきて、あたし達と考古学者しか理解できない言語で団の名前を考えたのもその頃だったわ。“世界を大いに盛り上げるスズミヤ・ハルヒの団”、略してSOS団。とにかく、狂乱的なテンションで突撃を続けて今に至るわけなんだけど……」
ここでハルヒは演説を中断して、肺の中身を空にしそうな勢いで息を吐き出した。押し黙った二人の間をジャズのスタンダートな曲が吹き抜けていく。
「……で、何が不満なんだ?俺が聞いたところ、問題点がまだ提起されてないと思うが」
「不満なんて無いわ。ただ……」
「ただ?」
「ただね、あたしは怖いのよ」
グラスにうっすらと残っている口紅の跡を凝視し、ハルヒは心中を吐露し始めた。
「みんなで仲良く遊んで、不思議な出来事を探せる国を作る、こんな私的な感情で銀河を統一する大仕事をしてもいいのか。こんなことのために何十、何百億もの人々の命を危険にさらしてもいいのか。自分のやっていることは間違っているのではないのか。民衆はあたしのことを英雄と尊敬してくれる、超皇帝と認めて付いてきてくれる。でも、そんな肩書きは虚像に過ぎない。スズミヤ・ハルヒの実体は二十そこそこで人生経験も少ないただの若者。あたしは“英雄”や“皇帝 ”にもっとふさわしい人を押しのけて、今の地位にいるんじゃないのか……新人類連邦軍で戦ってたときは無我夢中だったし、名目上は誰かに命令されて動いてたから気づかなかったけど、国家の指導者としての重圧が両肩にかかるようになって、ようやく自分にまとわりつく不安の群れが見えるようになったわ。それだけじゃない。あたし達が進んできた道は一見華やかだけど、本当は血と涙で舗装された道。あたしが指揮した戦いの中で死んでいった兵士の屍で作られた道だってことにも気づいた。今までは仕事に没頭して押さえてきたけど、三日前コンピケンの戦艦が書簡を運んで来て……どんなに頑張っても戦争以外に道は無い。そのことは分かってる。でも、あたしの決定一つでSOS帝国だけでなくコンピケン連合の人々の血が流れるのよ。他の誰でもない。あたしの決定で、よ。そう考え出すともう止まらなくて……気を抜いたら不安に押し潰されそうなのよ。それが…それがどうしようもなく怖い」
ここでハルヒは身体の中から吐き出した言葉で傷つき、乾ききった喉を潤すためにカクテルを注文した。マスターは注文されたカクテルの名を聞いてほんの少しだけ眉をしかめたが、何も言わなかった。
ハルヒだって悩んでるんだな。そう思うとキョンは不謹慎だが嬉しかった。ハルヒが人命を数字でしか見れない軍人になっていないことを。超皇帝などと言うおごり高ぶった虚像に乗っ取られていないことを。
キョンは再び決まり文句を呟くと、脳内の資料庫からハルヒにかけるべき言葉を慎重に選んで、自分でも噛み締めるかのようにゆっくりと語りかけた。
「やれやれ……我らが超皇帝はそんなささいなことで悩み苦しんでいらっしゃったのか」
「ささいな?あたしは…」
「ささいなことだよ、ハルヒ。お前は難しく考えすぎなんだ。血生臭い戦乱の時代が始まって100年。誰もが次の退屈で平和な時代に登場を待ち望んでるんだよ。平和な時代の到来のために不可欠な銀河の統一を誰がやるなんて、ましてやどんな理由でやるなんて全然関係ない。重要なのはどれだけ早く統一するか、だろ。お前はそれを望む人々に選ばれちまったんだ。後先考えずにひたすら前に進めばいいんだよ。後悔したって死んだ奴らは生き返らない。後悔するのは生きてお前に付いてきてくれている人達に対して義務を果たしてからにしろ。お前が自信を持って行動するなら、それがどんな結果をもたらそうとも全部俺が許す。やっちまえよ、ハルヒ」
キョンの口調は優しく、聞く相手を包み込むようなものであったが、真剣な目は振り向いたハルヒのそれをしっかりと捉えていた。
瞳と瞳で交わされる会話。そこでは空気振動以上に深いやり取りが行われていた。
二人の言語によらない会話が終了すると、長年カウンターに立った経験で養った感覚でそれを察知したマスターがハルヒの前にカクテルを置いた。そのカクテルを見て首をかしげた。
「あれ?あたしの頼んだカクテルって……」
「はい。X.Y.Zでございました。しかし、X.Y.Zにはもう後がないという意味がありまして、出陣前の武人には不適格と思い、勝手ながら変更させていただきました。今お出ししたカクテルはアレキサンダー、古代の英雄と同じ名です。彼を飲み干して明日の勝利の糧にしてくだされば、それこそ私の本望です」
ハルヒは迷信やその類に興味はあれど、頭から信用する性質ではなかったが、このときばかりは年季の入った微笑をたたえたマスターの配慮に感謝した。
「全ての不安が消えたわけではないけど……キョンのおかげで少し楽になったわ。ありがとう。最後のは恥ずかしい台詞禁止とか言った人とは思えない臭いやつだったけど」
「そうかい」
ハルヒから発せられるオーラは通常の六割ほどの活力だったが、瞳には憂鬱時に見られる濁りは無く、銀河が所狭しと輝いていた。キョンは自分の戦果にまずまずの満足を覚えた。
「まあ、偉そうなことを言ったが、俺だって自信満々ってわけじゃない。だから……何だろうな。みんなで頑張ろうぜ。お前達となら妹が大人になるまでに戦争をなくす……は叶わなかったが、俺の子供が大人になるまでには平和な世界を作れそうだからな」
「ぶっ!!げほっげほっ」
「どっ、どうしたんだハルヒ!?」
バーで酒を吹き出した皇帝という不名誉な称号を付けられることをかろうじて防いだハルヒは、咳き込みながらなんとも形容しがたい表情でキョンをにらみつけた。
「あ、あんたねえ……あたしは超皇帝でありながらうら若き乙女でもあるのよ。
その・・・もうちょっと考えて発言しなさい!不意討ちは卑怯よ!」
キョンはほうけた顔でその方面に関しては手入れがされず雑草が伸び放題になっている脳を十秒ほどフル回転させ、
「ああ、そういうことか」
とようやく結論に至った。
「はぁ~あんたが士官学校生時代の冷凍野菜に匹敵する鈍さからは進化したことは認めるわ。認めないとあれだけモーションをかけたあたしが救われない。それでも、まだ観賞用植物並みの鈍さよ。改善の余地ありすぎ。もっともっともっと精進しなさい!これは団長命令よ!」
「なあ、ハルヒ。鈍感力はこの混沌とした時代においては立派なステータスだと思わないか?」
キョンの絶望的な反論も「ふん!」の一言でカウンターの塵となった。ハルヒは呆れて、キョンは苦笑して、それぞれの酒と思いを胃に流し込んだ。
キョンの直観力は軍事や対人関係に関してはまず一級の鋭さを誇っていたが、これが必ずしも恋愛方面に発揮されるわけではなかった。むしろ最悪の感度と言ってよいおかげでハルヒは作戦立案に費やす努力と同等の努力をキョンの教育に注がなければならなかった。
「ふう……キョン、そろそろ帰るわよ」
「ん?俺はもっと飲んでもいいぞ」
「あたしはあんたほど酒に強くないのよ。
これ以上飲んだら大事なことができなくなっちゃうわ」
キョンはすっかり安心して酔いに占領されるがままになっていた頭で考えた。彼には思い当たる節が無かった。
「大事なこと?これから会議でもあるのか?」
「何言ってんのよキョン」
ハルヒは小悪魔的と表現するには美しすぎる笑顔を向けた。そして、逆襲は見事に成功した。
「これからするんでしょ。子作りを」

 



ヒール・アジス・サウド中尉は耐えていた。士官学校の名物である鬼教官の罵声でも、戦場で味わう死の恐怖でもない。
彼は統合作戦本部ビル内の快適な室温に保たれた宇宙艦隊司令長官専用執務室で静寂を切り刻むキーボードを叩く音にひたすら耐えていた。
いや、キーボードを叩く音があるだけましだ、とサウドは思った。報告書を読む際の沈黙に比べれば胃にかかる負担はまだしも軽減されている。親しい、気の知れた者同士の間で起きる沈黙は居心地のよい時間を提供することが多い。逆に認識の無い、あるいは反目し合っている者同士の沈黙は、双方に苦痛を与えるだけである。執務室に広がる沈黙はまさに後者であった。もっとも、苦痛はナガトには寄り付かず、サウドと彼の胃にばかり集中攻撃をかけていたが。
サウド中尉は三人目の宇宙艦隊司令長官付き副官であった。前任者は一人が胃潰瘍で入院して更迭、もう一人が神経衰弱で精神病棟送りになって更迭されていた。SOS団員のナガトに特別な反感を抱いていないサウドはこの職に就けたことを誇りに思い、前任者の過ちを繰り返さないよう積極的に上官と友好な関係を築こうと心に誓った。
彼の誓いは一週間で粉々に砕け散った。勤務中の私語は厳禁だと知りながらも幾度となく話しかけてみたが「そう」で全ての会話が強制終了した。魔の一週間の後、サウドは胃の痛みに堪えながらなんとか副官の任務を全うしている。サウドの体調の悪化を心配した同僚が転属を願い出てはどうかと提案してみたが、「俺の代わりはいくらでもいるから……」と寂しく呟いただけだった。
せめて、何か仕事をくれたら気が紛れるんだけどな……いやいや、閣下のお傍にいることが副官の仕事じゃないか。サウドは副官用の席に座りながら悲しい自問自答を続ける。上官専用の雑用係になってこき使われることが副官本来の仕事なのだが、ナガトの有能さは副官のするべき仕事まで奪っていた。
サウドの精神と胃壁が危険域まで達しようとしていたとき、突如として彼の前に救いの手が差し伸べられた。来客を告げるブザーが鳴り、目の前のディスプレイにベレーをかぶった美しい天使が現れたのだ。
「ナガト司令に用事があるんだけど入っていいかしら?」
「入室を許可する」
サウドが返答する前にナガトが許可を出していた。急いで操作卓の中からドアを開く朱色のスイッチを選んで押す。
「こんばんは」
入室してきたアサクラ・リョウコ少将がナガトとサウドへ向けてにこやかに敬礼する。アサクラはナガトが新人類連邦軍に所属していた頃から、ナガトの右腕として活躍してきた艶かしい容貌を持つ女性である。SOS帝国が独立した際も、真っ先に旗下の部隊を率いてナガトの下へ向かい、その忠義心の厚さを示した。
ナガトにはアサクラの他に左腕と称されるキミドリ・エミリ少将がいる。
立ち上がって答礼したサウドの脳裏を、こんな上官の下で副官が出来たらどんなに素晴らしいだろう、という思いが横切り、慌てて己を叱咤した。彼の生真面目な性格がこうした考えを持つことを許さなかったのだ。
「早速だけど、人払いをお願いできるかしら」
ナガトの執務机の前まで来たアサクラが、サウドをちらりと見て言った。
「分かった。サウド中尉、今日はここまででよい。勤御苦労」
「はっ……では、先に失礼いたします」
サウドは反射的に答えてから、今日はもう帰ってよいと言われたことを理解して足早に立ち去った。廊下に出て、周囲に誰もいないことを確認して盛大にため息をつく。今のため息は閣下から逃れられたからついたのではない、至らぬ自分に呆れてついたのだ、そう考えて、あるいは思い込んで懐から痛み止めの錠剤が入った瓶を取り出し、五粒まとめて口に放り込んだ。
「用件は?」
サウドが去ったことを確認するとナガトは口を開いた。
「んーっとね。用件があるのはあたしじゃなくて…」
アサクラは春に咲き乱れる可憐な花を思わせる微笑みを崩さないまま、アイボリー・ホワイトの軍用スラックスのポケットから一枚のカードを取り出して執務机の上に置く。
「…こっちの人みたい。あたしは運び屋を頼まれただけなの。じゃあ、またね。ああ、艦隊編成の方は順調だから心配しないで」
「まって。あなたは…」
ナガトの質問に答えることなく、アサクラは手を振って執務室から出て行った。ナガトは視線を怪しい金属光沢を持つカードに落として、しばらく口を重く閉ざしていた。
壁にかかっているアンティークな時計の秒針が五周目の旅に差し掛かったとき、決心をつけたかのように操作卓を操作して執務室に一箇所しかないドアをロックし、誰もいない空間に語りかけた。もしこの声をキョンや他のSOS団のメンバーが聞いたなら、ナガトの感情の高ぶりを察知したはずである。
「用件は?わたしの意志は既に示したはず」
「久々に会うというのに、相変わらず冷たいねぇ君は」
人を馬鹿にしたような口調でカードから返答が飛び出してきた。機械による修正が故意に入っていて、声の主の性別や年齢はうかがい知れないが、人を怒らせる技量に長けていることは間違いないだろう。
「用件が無いなら通信端末を破壊する」
ナガトはそう宣言すると、机の引き出を開けて中にあった護身用の銃を取って安全装置を解除した。
「君のことだ、破壊すると言ったら室内で対艦中性子ビーム砲を発射しかねんな。この通信端末を運ぶために急進派の奴らにかなり貸しを作ったんだ、とっとと用件を言うことにするよ。まっ、君も予想していただろうが、我々のところへ戻ってくる気はないのかい?」
銃をかまえて目障りな物体に照準を合わせたところで、カードが答えた。そのままの姿勢でナガトは答えた。
「ない。わたしの心は天の川情報共同体ではなく、SOS団にある」
「ふん。SOS団ね。新しい飼い主はそんなに優しいのか?」
「発言の訂正を求める。スズミヤ・ハルヒはあなたのような下劣な人種ではない。わたしの大切な仲間」
ナガトの声が更に鋭く、温度が低くなる。会話の相手を心底軽蔑しているようだった。
「な・か・ま。その仲間の一人が敵国の工作員だと知ったら、彼らはどう思うだろう。なぁナガト」
カードは聞く者を不快にさせる粘度の高い口調で、ナガトを挑発する。表面的には挑発に動じることなく、しかし身体の中では感情のマグマを煮えたぎらせて、ゆっくりと声を出す。
「……わたしかあなたが情報を漏らさなければ彼らが知ることは無い」
「だったら思いっきり漏らしてやる!君が我が対外諜報部の電子記憶庫から盗んでいった情報が無ければの話だがね」
「共同体内がいくつかの派閥に分裂して権力闘争を繰り広げていること、各派閥の克明な情報、各勢力に植えつけられた工作員のリスト、艦隊の総数、錬度、整備状況、艦艇の稼働率、主力戦艦の欠陥、各星系のクーデターが発生する確率。あなた達がわたしの正体を明かさない限り、わたしもこの情報を開示しない。これは取引」
「実に忌々しい、低レベルな取引だな。私だったら躊躇無く蹴っているだろう。だがお偉方には分からんらしい。おめでたい連中だよ、まったく。君の要求を呑むことが会議で決定されたよ。良かったな、延命できて」
「上層部の判断は妥当」
「馬鹿な判断をした我らが主流派はともかく、急進派や穏健派は君の真後ろでナイフを持って控えている暗殺者に指令を出すことが出来るのに。何を考えているのかさっぱり分からんね」
「リョウコとエミリはわたしの仲間。あなた達の飼い犬ではない」
「本当にそう思うのか?それは君が思い込んでいるだけじゃないのかい?」
「わたしは、彼女達を信じる」
ナガトは左手で銃をかまえたまま、おもむろに右手で襟元を探り始めた。右手は捜し求めていたものにすぐたどり着くことが出来た。平生は軍服の内側に押し込まれている錆びついた古い銅の鍵を、執務室の無機質な空気に触れさせると、五本の指でまさぐり始めた。
「はっ、君も十分おめでたい奴だよ。お偉方とはおめでたい奴同士気が合ったようだな。ふん、そのおめでたい奴に出し抜かれた私は救いがたい低脳ということか。やれやれ、敵性勢力の士官学校にマインドコントロールを施した若い工作員を入学させる。そいつを昇進させて軍の中枢部に喰い込ませる。計画通り進めることが出来ていれば、共同体は近隣勢力に対して有利な立場に立つことができ、私は対外諜報部門のボスになれる。君は国家の英雄として祭り上げられる。みんなハッピーになるはずだったのに。君の裏切りのせいで全部パーだよ!クソったれめ!!」
「用件はこれでお終い?これ以上の会話は建設的な結果を生まないことは明らか。早急に通信を切るべき」
「これ以上の会話は建設的な結果を生まないことは明らか?言いたいことは星の数ほどあるんだ。少しは吐き出さないと私の身体が持たないんだよ!まあいい……お望み通り通信を切ってやるよ。君がとびっきりに不幸な人生を送りますように!!」
発狂して抑制の効かなくなった道化師のように散々悪態をついてから、ようやく不愉快極まりないカードは沈黙した。同時に金属の焼ける臭いがしてカードから煙が出る。証拠隠滅のために回路を自滅させたのだ。
「……心の寄港地が人にとってどれほど助けになるか、人を信用することができないあなたには理解できないだろう。かつてのわたしも……」
誰も聞く者がいない執務室にナガトの言葉がこだまして、はじけた。右の掌には銅の鍵が固く握り締められていた。
「こんばんは、ナガトさん」
「こんばんは」
一介の金属片と化したカードを丹念に切り刻んでゴミ箱へ捨て、部屋の空調機能をフル稼働させて執務室を出たナガトを、見る者の心に落ち着きをもたらす作用がある微笑をたたえたコイズミ・イツキが待ち構えていた。
「何の用?」
「ちょうど仕事が一段落しまして、遅めの夕食にナガトさんを誘おうと思ったんです。この様子だとまだ取っていないようですね」
コイズミが誘い文句を言い終わると間髪いれずに、ナガトの腹部から同意のサインが出た。ナガトの頬がほんの少し赤く染まったのは気のせいではないようだ。
「……消化器官が不平を申し立てている。これは非常に危険な状態。何か食べ物を摂取しないと生命維持に重大な影響を及ぼす」
「では決まりですね。どこにしますか?といっても統合作戦本部ビルは先日完成したばかりなので、営業してるレストランは少ないのですが……ああ、もちろん僕のおごりです」
「今日地下二階の民間企業用フロアに開店した『電気羊亭』なるレストランに行ってみたい。情報端末に届いた広告によると、新鮮な魚介類を贅沢に使ったシーフードカレーが絶品らしい」
「……また、カレーですか。たまには他の料理に挑戦してみてはいかがですか?」
「カレーは食の至宝。宇宙の真理。歴史上の重要事項。コイズミ・イツキ、早く行かないと置いていく」
エレベーターに向かってすたすたと歩き出したナガトを、コイズミが慌てて追いかける。目的地までの距離が二十メートルになってようやく肩を並べたコイズミが、ナガトの胸元で鈍い光沢を放っている物体に気づいた。
「おや、珍しいですね。その鍵を外側にぶら下げているなんて。何かあったんですか?」
指摘されたナガトは足の動きを止め、銀の鎖でつねがれているそれを見つめた。次に隣で立ち止まっている頭一つ分背の高いコイズミの顔を見上げるようにして瞳の中に収める。
「先ほどは、あなたがプレゼントしてくれたこの幸運の御守りのおかげで助かった。ありがとう」
「……良く分かりませんが、どういたしまして」
柔和な笑みをたたえたSOS団の副団長は深く探ろうとしなかった。その必要が無かったのだ。無口な読書家と捕らえ所の無い伊達男がSOS団という特殊な環境の中で出会ってから早五年。
二人の若者の間には言語に頼った意思疎通はもはや無用だった。伝えたいことは伝わる。キョンとハルヒの関係とはまた違った理想的信頼関係がここにも築かれていたのだ。
再び廊下を歩み始めた二人はエレベーターに乗り、シーフードカレーの待つ地下二階へと向かった。

 


SOS帝国暦一年、十一月二十一日。コンピケン連合軍迎撃部隊は首都星リテラートを進発した。迎撃部隊の陣容は兼任と昇進を乱発してなんとか体裁を整えることが出来た。
総司令官には超皇帝スズミヤ・ハルヒ自身が就任。副司令官兼総参謀長の座を占めるのはコイズミ・イツキ、その下に作戦主任参謀キョン、情報主任参謀ナガト・ユキ、後方主任参謀アサヒナ・ミクルが配置された。主任参謀の下にはそれぞれ五人の参謀が振り分けられている。
実戦部隊としては、宇宙艦隊の総兵力の約九割に相当する五個艦隊が動員された。
第一艦隊司令官スズミヤ・ハルヒ超元帥、副司令官フリッツ・J・ビッテンフェルト中将(少将から昇進)、グエン・カオ・キー中将(少将から昇進)。
第二艦隊司令官コイズミ・イツキ上級大将、副司令官アラカワ中将、モリ中将(少将から昇進)。
第三艦隊司令官ナガト・ユキ上級大将、副司令官アサクラ・リョウコ中将(少将から昇進)、キミドリ・エミリ少将(准将から昇進)
第四艦隊司令官キョン上級大将、副司令官クニキダ中将(少将から昇進)、タニグチ少将(准将から昇進)。
補給艦隊司令官アサヒナ・ミクル上級大将、ツルヤ少将、シャルロット・フィリス准将(大佐から昇進)。
留守政府はタマル・ケイイチ副宰相を筆頭にタマル・ユタカ国務尚書、ハリ・セルダン内務尚書、オカベ学芸尚書によってまとめられ、国内治安と回廊警備はサカナカ准将(大佐から昇進)があたった。
SOS帝国の存亡をかけて上演される、血に彩られた舞台の開演である。

 

 

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最終更新:2009年05月05日 22:32