「うえっ、そう来ますか……!」
 将棋の『歩』が『と金』になっただけでそんなに驚くな。俺とお前のこれまでの戦跡から考えても、これくらいは予想の範疇だろうに。
「ほれ、王手。」
 そうだ、いつものとおりこのまま勝っても面白くないから、KO予告宣言を出してやろう。ずばり、お前は後3手以内に負ける。
「言ってくれますね。やってもらおうじゃないですか。」
「ふん。」
 俺が余裕の表情を見せながら戦略を立てていると――つってもこれからは詰め将棋だが――古泉が生意気なことを言い出した。
「これで僕がもし3手耐えてみせたら、あなたは何をしてくれるんですか?」
「そんときゃ、缶コーヒーでも奢ってやるよ。」
「本当ですか? あとから言ってももう遅いですよ。」
「その代わり、俺が勝ったらお前も奢れよ、缶コーヒー。」
「いいでしょう。」
 よしよし、ちょっとやりがいが出てきたな。古泉の『玉』付近に『金』を指したところで俺は思考する。……あれ、これ本当に3手以内にいけるか?
 
 さて、状況説明がまだだったな。まだ空が銀色の雲で覆われ、山頂から吹いてくる風はまだまだ肌寒く、しかし春の訪れの兆しも見えなくもない今日は2月の12日であり、2日後に俺には無縁のはずの記念日があるらしいがなんだったっけな。まあいいや。
 そんで俺はこの日にも団活に参加してこうして将棋に興じているわけだが、少々危険な賭けをしてしまったようだ。古泉相手なら楽勝かと思っていたがこいつも日々勉強しているのかね。
「あれだ、古泉。やっぱさっきのは……」
「取り消しはなしですよ? ふふ、どうしたのですか?」
 ちくしょう鬼畜野郎め。せめて5手以内にすればなんとか……
 と、俺が力量を誤った後悔の溜息をしていると、”奴”の訪れを告げる扉が開く音が部室に響き、俺はまた呆れの溜息をすることになった。
「おっはよーっ!!」
 今は放課後だ。
「みんな喜びなさい、今日はあたしからプレゼントがあるわ!」
 プレゼントという言葉が耳に引っかかり、俺はさも期待してなさそうな目でハルヒを凝視した。そのプレゼントってのは新たな朝比奈さん用コスプレとかドイツから取り寄せたSマイン時限爆弾とか、そういうのじゃねえだろうな。前者ならまだ受容性があるけどさ。
 ハルヒは俺の言葉に見向きもせず、まず朝比奈さんの元へ近寄って、ピンク色の紙袋をガサゴソといわせて何かを取り出した。
「はいっ、これはみくるちゃんの分っ! で、こっちは有希の分!」
「ふぁふぇ、ありがとうございます。」
「……ありがとう。」
 朝比奈さんが両手でつくった皿の上にポンと”それ”を置き、長門の傍にも”それ”と同じ物を置いて、次はこっちに寄って来た。
「はい、古泉くんの!」
「有難く頂戴致します。……ところで、これは何ですか?」
 この時、古泉の視線が将棋盤に集中していないことを見逃さなかった俺は、即座に古泉の『玉』の位置を入れ替え、あと1手で詰み――すなわち俺の勝利――できるよう細工を施した。そこ、卑怯者って言うな。
「ふふん、よくぞ訊いてくれたわね! これはチョコレートよっ!」
「ハルヒ、言っておくが今日はバレンタインデーじゃないぞ?」
「知ってるわよ、そんなこと。知ってるからこそ今日あげたんじゃない!」
 すまん、意味が解からない。
「あたし気付いたのよ。バレインタインデーにチョコを渡す人なんか二番煎じにしか過ぎないってことをね! あたしくらいの猛者ならバレインタインデーを先取りしちゃうのよ!」
 自分のことを猛者っていうのもあんまりしとやかじゃないがな。っていうか、そこはバレインタインデーにあげるべきだろう。
「キョン、あたしはあんたとは違うのっ! 思考回路の回る速さからまず違うのよ。」
「まあそんなことはどうでもいい。ほら。」
 俺が右手を差し出すと、ハルヒは眉をへの字に曲げて、
「なによ、その手。」
「くれよ、チョコ。」
 俺にだって糖分摂取くらいさせてくれよ。
「…………あ、あんたの分なんか用意してるわけないでしょっ! その態度が気に入らないわっ!!」
 なんだ、ないのか? おいおい、それじゃあちょっと不公平だろ。丁度今甘い物が食べたい気分だったのに。
 しかしハルヒ、なぜお前はそんなに怒った顔をしてるんだ?
「怒ってるからよっ!」
 あ、さいですか。
 ハルヒはどしどしと足音を立てながら団長席に着き、眉がつりあがったままパソコンを起動した。
「おっと、勝負の続きだったな。これでどうだっ?」
「ふふ、どうあがいても……ん? あ、あれ?」
「どうした?」
「いえ、その……おかしいですね。」
「ほら、次はお前の番だぞ。」
「え、ええ……」
 
 
 結局俺は古泉に勝利し、まあちょっとしたイカサマをしたんだから当然と言えるが気付かない古泉も古泉だろう?
「コーヒーだな。」
「……負けは負けです。後ほど奢らせてもらいましょう。それより……」
 ん、なんだ?
「さっきの対応はなんなんですか? 少々度が過ぎていましたよ。」
「何のことだ。」
「とぼけるつもりですか? まさか涼宮さんが怒っている理由が解からないとでも?」
 なんだよ。そんなの解からないに決まっているだろ、あいつが勝手に怒ってるんだから。
「……やれやれ、ですね。」
 古泉はわざとらしく両手を広げて肩をすくめる。
「それより、バレンタインのチョコってのは女が男にあげるもんだろ? なんでハルヒは朝比奈さんや長門にもあげたんだ?」
「僕はよく知らないんですが、『友チョコ』というのが女子生徒の間で流行っているらしいですよ。想いを寄せる異性にあげるのではなく、その名の通り、友達にあげるチョコという意味らしいです。」
 俺が古泉のチョコを分けてもらおうかと考えていた所で、長門の平坦な声――今日2回目の発言――が鼓膜に届いた。
「今日は、親しい人にチョコをあげるべき日? それなら、わたしたちよりもっと祝うべき人が居る。」
 何を言い出すのかと思ったが、ハルヒは長門の発言に食いついた。
「有希、それどういうこと?」
「”朝比奈ミクルの冒険 Episode 00”に出演した『おばちゃんA』役の人間、パーソナルネームは……」
「あの主婦役の人ね? あの人がどうしたの?」
「今日は、彼女の誕生日。わたしたちにあげるなら、彼女のためにも祝ってあげるべき。」
 なぜそんなことまで気を配るのか解からなかったが、これは長門の大きな進歩である。「わたしの役目は観測だから」なんて言っていた頃が大昔だったように感じるぜ。
「有希、その人の住所解かるの?」
「解かる。この山を下ったすぐ先の住宅街に居る。」
「それじゃあ行きましょうっ! みくるちゃん、着替えなくてもいいわよ!」
「ふぇええっ!? でも……」
「時間がないのよ、さあ早く!」
 彼女が家に居る限り時間の猶予は大いにあるはずだが、そのことには誰もツッコんだりはしない。
 
 
 この後の流れを想像することは呼吸をすることと同じくらい容易だろうが、ここを割愛させていただくわけにはいかない。なぜなら、この部分が今回のメインであるからだ。
 長門の教えの通りのルートを通って彼女の家に着き、「ハッピーバースデイ!」と騒いだあとにハルヒがちっぽけなチョコを贈呈――この時は、家に居るのは彼女一人だけだった――、俺と長門と朝比奈さんから激励の言葉をプレゼントして彗星の如く立ち去った。
 彼女は「どこの暴漢が来たんだ」とでも言いたげな少し怯えた表情で出迎えたがハルヒがそんなことを気にするはずもなく、なすがままにされていた。
 
 かくして今日の団活が終わり、俺が帰路につこうとしていると、
「はい、どうぞ。例のブツです。」
 ニヤケ面の男が暖かい缶コーヒーを俺に差し出して、やはりニヤけている。
「おう、サンキュ。」
 俺はそれをポケットにしまいカイロ代わりにして、ふと気が付いた。
「いっけね、教室に体操袋を忘れてきた。俺、ちょっと戻る。」
「相変わらずドジなんだから。」
 ハルヒの腕組みしかめっ面を見届けてから、俺は再び北高ハイキングコースを走った。
 
 
 無人の2年5組の教室。荒い息をおさえながらも体操袋を掴んで、適当な場所の椅子に腰掛けて休息をとる。そして、まだまだ暖かさを保っている戦利品、缶コーヒーのふたを開けて一息ついた。
「ふう……静かだねえ。」
 何かを悟るように言葉を漏らした途端、不意に後ろから既に聞きなれた声が俺の耳を刺激した。
「キョン、あんた意外と、足速いのね……」
 女の中で俺をキョンと呼ぶ奴なんか一人しか存在しない。故に、なぜか俺を追いかけて来たのであろう俺の目の前の息切れしている女の名前はあえて言わないことにする。
「……ハルヒ、お前も忘れ物か?」
「ち、違うわよ。こ……これ。」
 ハルヒがつまむように持っていたのは、赤色のリボンで装飾された直方体の箱であった。
 これも古泉の言っていた『友チョコ』とかいう代物かと思っていたが、次のハルヒの言葉によって俺の発汗作用がはたらいて頬に一筋の汗が流れる。
「義理じゃ、ないからね……」
「……ああ、ありがと、な。」
 俺がそれを受け取ると、ハルヒは急に顔を真っ赤にさせて、「じゃねっ!」という短い挨拶を言い放ちながら逃げるように教室から出て行った。
 廊下を駆ける白コートを羽織ったハルヒの後ろ姿を眺めながら、俺はそこに立ち尽くした。……世界で何よりも甘い、ハルヒからの贈り物を握り締めて。
 
 
赤色リボン end

参考画像

 
 
 
 
……これは、斉藤貴美子さんの誕生日に掲載させていただいたSSです。
他の誕生日作品はこちらでどうぞ。
 
 


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