結局俺たちが起きたのは目覚ましをかけた時刻を過ぎた十時のことであった。

二人そろって寝ぼけ眼のままリビングを出る。

「………」

「お、おはよう…」「ふわぁ・・・おはよー」

「………」

そこには無表情の長門がちょこんと椅子に座っていた。その目はいつもより冷たい。

もしかして長門さん、怒ってます?

そう尋ねたところで長門は何も答えない。今日が最終日だというのにこんな遅くまで寝てたのがまずかったのか?いや、そうとしか考えられん。ひとまず謝っておこう。

「長門、すまん」

俺がそう言うとどこかで何かがチンと鳴った。まあ俺はそれどころではなかったので気にも留めなかったのだが、

「…それは後。今は朝食が先」

と本人にとってはそれが合図だったようで、とりあえず長門は俺たちが食卓につくことを許してくれた。

良かった・・・。とりあえず今は朝ごはんのことだけを考えることにしよう。後でどうなるか分からんからな。

コトンという音と共に俺と涼子の前にトーストの乗った皿が置かれる。

そうか。さっきのチンという音はトースターの音だったのか、なんて考えているとまたもやコトンという音がなってハムエッグののった皿が現れた。それじゃあ食うとしますか。

「いただきます」

「いっただっきま~す!」

俺たちはポンと両手を合わせてから食べ始めた。

昨日はのんびり食べられなかったからな。今日は楽しませてもらうとしよう。とはいっても今日は今日で時間があるわけではないのだが。

まぁいいか、と俺はフンフンと鼻歌を歌いながら焼きたてのトーストにバターを塗る。

が、視線を感じてその手を止めた。なんだ、涼子。

「うんとね、おとーさんさっきからぱんになにかぬってるけど、それなんなの?」

ああ、これか?これはバターってんだ。お前も塗るか?

「・・・それっておいしいの?」

おう。焼きたてのトーストに塗ると最高に旨いぞ。

「ほんとに!?ならわたしもぬるーっ!おとーさんぬってぬってー!」

おう、と言って涼子からトーストを受け取るとそれにジョリジョリとバターを塗っていく。

こんな事を言うと少しおかしいかもしれないが、俺はこのジョリジョリという感覚がたまらなく好きである。何故と聞かれても俺にも分からん。だがこの引っかかっているようで引っかかっていないような、何とも言えない感じが凄く良い。

軽快なリズムでジョリジョリ塗っていくうちにバターはどんどん溶けていく。

それが完全に溶けきってしまうと少し物足りないような感じになったが、はいよ、と涼子にバタートーストを渡す。その少し焦げ目のついたきつね色の表面からはいかにもおいしそうな匂いが立ち込めている。

涼子は目をキラキラさせながら俺からトーストを受け取るとそのままカプリとかぶりついた。

サクッ

「どうだ?うまいだろ?」

「うんっ!すっごくおいしいっ!」

サクサクサク

これこれ、口に物を入れたまま喋るんじゃありません。それにほら、ほっぺたにパンかす付いてるぞ。ティッシュで口の周りをぬぐってやると、涼子はえへへと笑ってまたトーストにかぶりつく。あーあ、これじゃ拭いても無駄だな。もう新しいのついてるし。

でも本当に旨そうに食うな、こいつ。

パクパクサクサクと食べていく様はこちらの食欲をそそってくる。

ぐ~

そろそろ俺の腹がお預けに耐えられない頃合のようだ。俺は涼子と同じように両手でトーストを持ってガブリと喰らい付いた。

サクッ。サクサクサク

うん。やっぱり旨い。このサクサク感とバターのまろやかさは反則級だ。

このところ朝ごはんをのんびりとることができなかった俺にとっては至福の時間のように思える。別に大袈裟に言っている訳ではない。学校があった時は平日は登校、休日は不思議探索でゆっくりする時間など無かったし、夏休みだって入ったその日から合宿で昨日は昨日で妹に叩き起こされる始末。もしこんなスケジュールで朝ごはんをゆっくり食える奴がいるんなら出て来い。そして俺にその方法を教えろ。ただし早起きする、というのは回答として認めんぞ。

しばらくトーストをかじっていたのだが、急に何の脈略も無しにふと思った。今の俺たちはトーストの上のバターみたいだと。

涼子と長門と暮らすたった三日間の奇跡。その奇跡が溶けるようにして無くなってしまう。想い出という香りを残して『トースト』という名の日常に消えていってしまう。

そしてもちろん『バター』を塗っているのは俺自身なのだ。

・・・・・ナニ朝からしょげ返っているんだ俺は。

トーストを食べる手を一旦休めてハムエッグに手をつける。

うん。こっちも旨い。ハムの適度なしょっぱさと香ばしさがカリカリしている白身と何とも言えないハーモニーをかもし出している。なんだかさっきの沈んだ気持ちを少しやわらげてくれたような気がした。

気を取り直してサクサクパクパクサクサクパクパクと一心不乱に貪るようにして食べる。

「ふぅ、食った食った」

俺が全てを食べきって一息ついていると、長門がそっと俺にコーヒーを持ってきてくれた。もちろんブラックである。

お、悪いな、長門。ちょうど何か飲みたいなぁと思っていたんだ。

真っ黒な水面から立ち昇る湯気と独特の香り。

その香りを一通り楽しんでからカップの取っ手に指をかける。

コーヒーを口に運ぶと、口内に心地良い苦味広がった。そしてその中に微妙に見え隠れするほのかな甘み。

もしかして、俺の腹に気を使ってくれたのか?

こんなゆったりとした時間はゆったりと過ぎ去っていき、

「ごちそうさま」

の一言で終わりを告げる。

「涼子、着替えてきなさい」

長門が言った。その言葉でふと涼子を見ると、パジャマ姿のままであった。良く見れば自分もパジャマのままである。

そういえば俺たちはリビングから直接飯を食いに行ったからな。まだ着替えてないんだっけ。

はーい、と言って涼子は出て行った。さて、俺も着替えに行くかな。

席から立ち、自分の部屋へ向かおうとする俺の腕に、やんわりとした力がかかる。

「どうした?長門」

「さっきの事」

・・・・・あ。そういえばさっきこいつ怒ってたんだっけ。朝ごはん食べててすっかり忘れてたぜ。

「すまん、寝坊のことだろ?で、でもあいつが寝たいって言ったんだぞ?本当だぞ?」

そ、それに俺はあいつの願いを叶えようとしたわけで・・・。

「わたしが言いたいのはそのことではない」

え?寝坊のことじゃないのか?少し焦って損した気分だぞ。

「ずるい」

何がさ?

「あなただけずるい」

だから何がだって?

「どうしてわたしを呼んでくれなかった?」

どうしてって言われても・・・まさかこいつ・・・。

「もしかして長門、お前も一緒に寝たかったのか?」

コク、と前髪が上下に揺れる。

「そうだったのか。すまん。本当に悪いことをした」

「………いい」

考えてみれば今朝みたいなことができるのも今日が最初で最後だったわけで、そのチャンスを目の前で逃した長門としては納得いかないのだろう。本当にスマン。

「今日は……」

ん?なんだいきなり。今日は、だけじゃ何が言いたいのかわからんぞ。

「今日はどこへ行く?」

そのことか。最初からそう言ってくれよな。

「長門は今日不思議探索が中止になったのは知ってるよな?」

「知っている」

「それでだな、ハルヒのメールにあったように探索でもしないか。俺らで」

「それは………良い考え」

良かった。どうやらこいつも納得してくれたようだ。だがもう一つ問題があるぞ。

「昼ごはんはどうする?さすがに二日連続で頼むのは悪いよな」

俺がそういうと長門は冷蔵庫をじぃーっと見つめる。

「まさかお前、もう作っちまったのか?」

「そう。あなたたちが眠っている間に作った」

ぐっ、ずいぶんと棘のある言い方してくれるじゃないの。やっぱり怒ってるのか?

「別に怒っているわけではない」

そう言っている割には視線が急に冷たくなった気がするのは気のせいかね?

「気のせい」

そうか。それならいいのだが。

じゃ、そろそろ俺も着替えてこないとまずいな、ということで自分の部屋へ向かおうとしたその時

「おかーさーん、きがえてきたよー!」

涼子が戻ってきた。そして俺を見るなりこう言った。

「おとーさんなにやってんの?はやくおきがえしなくちゃだめじゃない!」

いや、今行こうと思ってたんだが。

「悪い悪い、すぐ着替えるから、な?」

ちゃんとしてよね、もう、という娘の言葉から逃げるようにして俺は自分の部屋へと向かい、着替える。

それにしても涼子よ、なんだかお前おてんば娘になってないか?

元気なのはいいことだが、ハルヒみたいになっちゃだめだぞ。父ちゃんなんだか心配だ。

リビングに戻ると涼子はすでに臨戦態勢に入っており、位置についてヨーイドンとでもいえばものすごい勢いでどっかへ飛んでいきそうだ。

「おう、待たせちまったな」

「もうおとーさんたらおそいよー!」

「そうか?父ちゃんとしては結構急いだつもりなんだけどな」

「ならいいけど・・・。ねぇおとーさん、きょうはどこへおでかけするの?」

ん?まだこいつ聞いてないのか?

なあ長門。お前まだこいつに言ってないのか?

と聞くと、頭を横に振って返事を返してきた。

そうか。まだなのか。じゃあ俺が教えちまっていいんだな?

今度は前髪が縦に揺れた。

ちなみにこの会話は視線だけで無言で行われたものだ。

「今日はだな!」

「きょうはきょうは!?」

「今日は一日中街でお散歩します!」

「えー、おさんぽ~?だってあついよ~?」

やっぱりな。嫌がると思った。でもここで負けるわけにはいかない。頑張れ、俺!

「でもななあ涼子。お前知らないだろ?実はな、この街にはいろんな不思議があるんだ」

「ふしぎ?」

「そうだ。不思議だ。校庭にできた謎のでっかい落書きとか、未来人に会える謎のベンチとか、一面灰色の謎の空間とかいうな。実はな、一昨日行った図書館も本当は宇宙人に会える図書館だったんだ」

「わわっ!なんかすごーい!わたしもみつける!」

よし、何とか気を引くことができたぞ。後はもう一押しといったところか。

「いやいや、この不思議ってのは滅多に見つけられるもんじゃないからな。それに涼子はお散歩行きたくないんだろ?仕方ないから父ちゃんが一人で行って一人で不思議を見つけてこよっかな」

「ううう・・・いくいくいくいくいく!わたしもいってふしぎみつけるのっ!」

「あれ、でもさっき涼子はお散歩嫌がってなかったか?」

「わたしいやがってなんかないもん!」

「じゃあ一緒に行くか?」

「うんっ!」

作戦成功!一時はどうなることかと思ったぜ。長門のほうをチラリと見ると、コク、と頷いてきた。・・・少しは手伝ってくれても良かったんじゃないか?

コク。

いや、コクじゃなくてだな・・・。

「おとーさん、おかーさん!いくよー!」

遠くから声が聞こえる。見るとなんと涼子が玄関にいるではないか。ドア開けっ放しだし。

て言うかいつの間に。

「やれやれ、おてんば娘がお呼びだ。行くぞ、長門」

「分かった」

冷蔵庫からランチボックスを持ってくるのを忘れずにな。

「…あ」

忘れてたのかよ!

「ねぇ!まぁーだぁー?」

へいへい。今行くよ。行くから待ってろって。

俺は台所に向かった長門を少しばかり急かして玄関へ向かう。

「もう。ふたりともおそいじゃない!」

「スマンな。でもお前は弁当が無くても良かったのか?せっかく母さんが作ってくれたのに」

「やだ!おかーさんのおべんとーたべるっ!」

「なら、許してくれるな?」

「うんっ」

よしよし。父ちゃん、聞き分けのいい子は大好きだぞ。

「そんじゃ、出発するとしますかね」

「おー!」

時刻は午前十一時ちょっと前。

俺は、いや俺たちは、涼子の元気な掛け声と共に我が家にて三人で過ごす最後の時間に別れを告げた。

-探索・川辺にて-


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