「情報統合思念体が観測したところ、既にこの世界に、涼宮ハルヒの生体反応は存在しない。そして、以前涼宮ハルヒが世界を創造しようとした次元上にも、涼宮ハルヒは存在しなかった。涼宮ハルヒは現在、その二つの次元の合間に位置する、非常に希薄な空間に迷い込んでしまっている」
 
 ドアの前に立ち尽くす俺を避けるようにして部室に立ち入った長門は、右目で俺たち三人の顔を順番に見回した後、団長席の前まで歩いて行き、コンピュータの電源スイッチに触れた。
 
 「この数ヶ月の一件で精神にダメージを負った涼宮ハルヒは、この世界を捨て、新たな世界を作り出したいと願った。去年と同じ様に。しかし、人々の意識情報を処理し続けた涼宮ハルヒの精神に、既に新世界を創造するだけの力を使う余力は残されていなかった。涼宮ハルヒは望む次元に辿りつくことなく、我々にとっては捕捉し難い、いわば路地裏のような次元に迷い込んでしまった。更に、その次元にて世界を作り出すだけの力も無く……しかし、この世界へと帰ってくることも出来ない」
 「自ら生み出した世界に閉じ込められてしまった……そういうわけですか」
 「そう」
 
 起動したPCに向かう長門に、俺は駆け寄る。
 
 「ハルヒと連絡を取ることは出来ないのか? 前に、俺にメッセージを送ってくれたみたいに」
 「先ほどから幾度か試しているが、現時点では成功していない。このPCならば可能かとも思ったけれど……不可能だった」
 
 観たことも無い画面を映すモニタに向かって、長門は手早く何やらを打ち込み、暫く何かを試していたようだったが、やがて諦めたように手を離した。
 
 「……情報統合思念体の力では難しい。その世界を観測する事は出来ても、そこに存在する涼宮ハルヒに干渉することは」
 「観測は可能なのですか?」
 不意に古泉が口を挟む。
 「つまり……こちらからその世界へ、誰かが向かった場合、それが成功した事を確認する方法は、ある。そういうことですか?」
 「可能。しかし、現時点で、この世界とその世界を行き来する手立ては」
 「有るかもしれません」
 古泉が不敵に笑った。
 「神様が生んだ世界へ行くならば……神様の力を利用すればいいんですよ」
 
 
    ◆
 
 
 時刻は午後五時二十分。気の早い冬の空は、既に夜の色合いを見せている。非常に端的に表現して、寒い。
 俺は古泉の作戦を実行に移すべく、自宅から五十メートルほど離れた位置にある路地裏に身を潜めていた。谷口のやつめ、一体何を梃子摺っていると言うのだ。もう三十分もこの場に放置されている。いい加減全身が冷え切ってしまっている。
 
 「いいじゃないですか、あなたは。僕なんて生足ですよ?」
 
 うるさい、お前は黙ってろ。俺の真隣には、例によって顔の近い副団長様が、いつもの笑顔で俺と似たように凍えながら待機している。寒空の下で三十分間と言うだけできついのに、それに加えて隣にこの奇々怪々な生物が付きまとうというのだからこれはもう言語では説明しきれない不快さだ。
 
 「本当に上手く行くんだろうな?」
 「ええ、恐らく。いいですか、長門さんによって、こちらからそちらの世界を観測できる。これはかなり大事なことです」
 
 古泉は合わさらない歯の根を無理やりに押さえつけながら語った。
 
 「噂が現実化する。と言う事はつまり、現実化した事が誰にも知りようのない噂なら、実現しないと言うことです。我観測す、ゆえに宇宙あり。今回の場合、僕たちは長門さんを通して、貴方があちらの世界に到達した事を知る事が出来るのです。成功する条件は十分そろっていると思いますよ。っていうか、成功します、大丈夫です」
 「……都合のいい屁理屈にしか聞こえないんだがな」
 「お察しの通り、屁理屈です。そう呼んだほうが良いでしょう。ところで近頃、僕らの周りで、屁理屈でない出来事なんて起きました?」
 
 言葉を返す代わりに、腹の底からの溜息を返してやる。
 
 「長門さんが、涼宮さんのいる世界を観測してくれなければ、この作戦は不可能でした。本当に、感謝しても仕切れませんよ、彼女には」
 
 横目で見た古泉の顔は、寒さに青ざめながらも、まるでこの世の限りを手に入れたかのように幸せそうな微笑に染まっていた。その微笑を見て、俺は思わず呆れの溜息を漏らす。
 
 「まだ成功したわけじゃないんだぞ。暢気な顔しやがって」
 「ふふ、すみません」
 笑い方が気色悪い。
 「でも……僕は正直、もう何の心配もいらないと思っていますよ。何しろ、貴方が、涼宮さんの所に行ってくれるんですから。どんな事があったとしても、悪いことにはならないでしょう。信じていますから。お二人の事をね」
 
 うわ言のような古泉のセリフに、俺が文句を返そうとした瞬間。俺のポケットで、谷口が歌い出した。長門からだ。
 
 『現在、あなた達から直線距離で五十六.四二メートルの位置に、谷口・国木田の両名が接近している。作戦を決行するなら、今』
 「分かった」
 
 俺はそう返答した後、少し迷った後で口を開いた。
 
 「長門……ありがとうな。本当に、感謝してる。でも……長門、あのな。もし世界が元に戻ったら、お前のお母さんは、もしかしたら……」
 『分かっている』
 
 俺の言葉が最後まで言い終わらないうちに、長門ははっきりとした口調で返事を返してきた。
 
 『……お母さんの事も、お父さんの事も、分かっている。私の持っている、この記憶のことも』
 長門は静かに語った。
 『けれど、私はそれ以上に……私たちの本来の、あるべき姿に帰りたいと、そう願っている。あなたの……あなたの知る私に戻れるなら、そうしたいと、私は願っている。だから、大丈夫』
 「……そうか」
 『時間が無い』
 
 長門は言った。
 
 『やって』
 「おう」
 
 通りの端に国木田と谷口の姿が現れたのを確認すると、俺は古泉の手を取り(気色悪いがこの際仕方が無い)、その様を見せ付けるかのように歩き出した。
 
 
    ◆
 
 
  …―――♪カンジルセーカーイヲーミーセーテーアゲータラー
 
 from:谷口
 Sub :谷口君情報
 ------------------------
 キョンと涼宮に関する決定
 的瞬間を対に目撃。なんと
 撮影にも成功。これは下衆
 な冷やかしではないでゲス
 。速やかに知りあい全員に
 この画像を送信すべし。こ
 れは友人としてのお祝いの
 儀式である。繰り返す、こ
 の画像を流布せよ。涼宮の
 背が妙に高いのは幻である。
 -----------END----------
 File:200X02XX0902...jpg
 
    ◆
 
  …―――♪Ah デキルコトナラ ムカシカイテ トチュウデー
 
 from:国木田君
 Sub :今、涼宮さんが
 ------------------------
 キョンの家の前で、キョン
 と手を繋いで家に入ってく
 のが見えました。 森さん
 も、二人のこと知ってるん
 ですよね? 僕流石にびっ
 くりしちゃいましたよ。
 -----------END----------
 
 
    ◆
 
 
 部屋に入るなり、俺は古泉の腕を引っつかみ、そのまま階段を駆け上がった。途中、下で妹が何やらを言っていたような気がするが、妹の目にこんな汚物を見せるわけにも行かない。とは言え作戦が成功するまでは外にも出せないため、こうして大急ぎで部屋に隠すべく走っているわけだ。
 自室のドアを音を立てて閉め、古泉を部屋の中央に放り出す。その際に、セーラー服のスカートの裾からちらりと中身が覗く。
 うわ、死にたい。今俺、猛烈に死にたい。
 
 「乱暴ですね、気の早い男は嫌われますよ」セミロングのカツラを取り去りながら古泉が笑う。黙れ気色悪い。
 「本当にあれで騙せたんだろうな? 国木田は其処まで阿呆だとは思えないんだが」
 「大丈夫ですよ、遠目に見たらわかりません。この線の細さ、なかなかそれらしいでしょう?」
 
 ハルヒ仕様のセーラー服を見に纏った古泉は、調子に乗って俺の前でくるりと一回転などしてみせる。誰か助けてくれ。身長が違うじゃないか。と、そんな事を突っ込む気力も残っていなかった。俺は机の上に鞄を放り出すと、ベッドの上に仰向けに体を投げ出した。
 
 「このごろは疲れてばかりいるぜ」
 「これからもうひと仕事あるのですから、よろしくお願いしますよ」
 「ああ、そうだったな……おい、何をしてる?」
 「いえ、ですから、もうひと仕事ですよ」
 「……お前、昼からすこし気になってたんだが、まさか……」
 「おわかりですか? ですが、もう遅いですよ。僕を部屋に上げたのが運のつきですね」
 
 全身から血の気が音を立てて引いて行くのが分かる。咄嗟に飛び起きようとするが、既に古泉の手によって、俺の体はベッドに押さえつけられている。
 
 ……俺の脳裏に、いつぞや長門が口にした噂の話が蘇ってくる。
 
 「ま、まて古泉、早まるな! その、お前のそれは噂の所為でそうなっているだけでだな!?」
 「さて、それはどうでしょうか? この想いが一時のマヨイであるかどうか……試してみれば分かるかもしれませんよ?」
 「ちょ、やめ、意味が分からないし笑え……そっ、それをしまえ! ソレをしまえ!」
 「はい、それ無理。こちらはもう放課後気分なんですよ。観念して下さい。悪いようには致しませんとも! そーれ、もってけセーラーふんもーっふ!」
 「そりゃ一体なんてエロゲの放課後だ!? や、やめろ、それだけは! あ、あ、あなr」

 あのセリフなのか!? ついにあのセリフを吐いてしまうのか、俺は!?
 しかし。このどんでん返しのからくり芝居を遮るように、不意に俺の視界は、無数の光の粒のような物に覆われた。
 これは……一体?
 
 「チッ……もう始まったのですか。あのノンケども、仕事が速いですね」
 
 古泉は俺の体を組み伏せたまま舌を鳴らし、吐き捨てるようにそう言った。……古泉、お前は一体誰だ? 誰になってしまったと言うのだ? 俺の戸惑を他所に、古泉は俺を見下ろすと、百万ボルトの笑顔を作り、言った。
 
 「王子様? 今回も忘れないで下さい。Sleeping Beautyです。……何なら練習していきますか?」
 「うるさい黙れ顔が近いどけおm」
 
 ティウンティウンティウン。そんな音を最後に、俺の意識は途絶えた。……ギリギリ触れる前だったと思う。
 
 
    ◆
 
    ---♪ワータシーツーイテーユクーヨードーンナーツラーイー
 
 from:阪中さん
 Sub :Re/キョン君知らない?
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 >今日の日直なんだけど
 >見なかった?

 Tょωヵゝ涼宮±ωσ所レニ
 レヽゑらUレヽσЙё
 -----------END----------
 File:200X02XX0902...jpg
 
 
 
 
    ◆
 
 
 目を覚ましたすぐ目の前に、地べたに座り込んで泣きじゃくるハルヒの姿があった。昨日会ったばかりだと言うのに、随分と長い間会っていなかったような気がするのは何故だろうか。周囲には何も無い。色をつける事を途中で投げ出された海の底のような無機質な光景が、ただただ何処までも広がっている。気を抜くと、自分がどの向きの重力にひきつけられているのか忘れてしまいそうだ。
 
 「ハルヒ」
 
 俺は目の前で子どものように声を上げて泣くハルヒに向かって、小声で名前を呼ぶ。二人だけの空間なのだから、このくらいの声で十分なのだ。
 
 「全く、こんなところまで追いかけさせやがって……」
 
 ハルヒの前にどっしりと胡坐をかき、ハルヒの顔を覗き込む。ハルヒは依然、まるで俺など存在しないかのように、マイペースに泣き続けている。
 
 「なあハルヒ。何がいやな事があったんだよ? 今度は」
 
 何を話したものか。とりあえず、何も知らないふりを繕い、訪ねてみる。
 
 「長門の事か? あれは、まあさ。長門も色々あって……ちょっと気分が悪かったのかも知れないだろ? お前にだってあるじゃないか、何を言っても答えてくれないときとか。長門にだって、そういう時があるんだよ」
 「違う」
 
 俺の言葉に、ようやくハルヒが反応を見せる
 
 「あれは、そうじゃないの。有希は……有希は、ホントにあたしの事、嫌がってた」
 
 ……何を言い出すかと思えば。
 
 「長門がお前を嫌うわけないじゃないか。あいつは、あんなだけど、ちゃんとお前の事を心配してるし……」
 「こんな、あたし、こんなことになるなんて、おもってなかった」
 
 毎度の事ながら、俺の話なんか聞いちゃくれない。暴走列車のような感情だ。
 
 「あたし、いつもどおりがいやって……なにか、不思議なこととか、おかしなこととか……でも、あたし、みんなでいっしょにいたかったのに……おかしなこととか、みんなで一緒に、楽しみたかったのに」

 ああ、分かってるよ。ハルヒ。
 
 「だから、もっと沢山の不思議が集められるように、少し頑張ってみたんだよな」
 「……」
 「でも、ちょっとだけ……それが、早かった。ちょっとだけ上手くいかなかった。ただそれだけじゃないか。なあハルヒ。それで、お前は、みんなやり直しちまえって思ったのか?」
 「……あ、たし」
 
 しゃくり声が妙に耳に障る。ハルヒの声は少し掠れている。どれだけ泣き続けていたのやら。
 
 「あたし……こんな、何もできないあたしなんて、キョンだって相手にしてくれないって……だから、もう……だめだって、思って」
 
 何だそりゃ。俺がお前を相手にしないって?
 馬鹿言うなよハルヒ。俺はお前が神様だからって、お前と一緒にいるんじゃないんだぜ。
 少なくとも、俺はそんなつもりはない。
 
 つまるところ、こいつはとことん子どもなのだ。
 
 それが何だ、神様って。こんな神様いねえよ。
 なあ、そう思わないか? お前も。
 こんなか弱い女の子みたいな神様、居て溜まるかよ。
 
 「ハルヒ。そろそろ、帰ろうぜ」
 
 俺がそう言うと、ハルヒはようやく、俯いたままだった顔を上げ、俺の事を見た。
 
 「何もがんばらなくていい。ハルヒ。お前がお前でいたら、なんだって好きなようになるから。おかしなことも、みんな元に戻る。本当だぜ? 一瞬で元に戻るんだ、お前がそう願えば。不可能なんてないんだよ、お前には。だから、帰ろう。楽しいこと、もっとたくさんするんだろ?いいか、今以上なんてやろうとするな。今は今のままでいいじゃないか。余計なことが聞こえるなら、耳を塞げ。見えるなら、目を閉じろ。それでもダメだったら、大声で、好きなことだけ叫べばいい。他の事なんてどうでもいい、ほっとけ」
 「……」
 
 躊躇うように瞼を伏せ、唇を噛むハルヒ。
 ……ったく、しょうがねえな。
 
 「……ハルヒ! 冗談じゃない、このまま一人で逃げようなんて、俺は絶対に許さないからな!」
 「っ……キョン?」
 
 俺は叫ぶ。
 
 「ったく、この馬鹿! どうでもいいことで頑張って、空回りして……お前がうだうだ考えなければ、何もかもが上手く行くんだよ! いっつも何も考えて無いくせに、こんな時ばっかり余計なこと考えやがって!」
 
 目を丸くするハルヒの両肩に掴みかかり、呼びかける。
 
 「ほら、なんか言えよ! お前も……恥ずかしいぐらいの事、言っちまえ! そんで、元気出せ! 頼むよ、もうこんな世界、いいだろ! 前のトコならまだしも、こんなとこ、何も無いじゃないか!」
 「あ、あたし……」
 「何だ? 言いたい事があったら、もっとでっかい声で言えよ!」
 「あたし……でも、あたし、あんな、あんなおかしくなったところ、嫌なの!」
 「じゃあ、ここだったらいいか? こんな、何も無いところに、この先もずっと居たいかよ?」
 「嫌! そんなの、もっと嫌!」
 「だから、帰ろうぜって言ってるんじゃないか! 何度言わせんだ、向こうに帰ったら、何もかもが上手く行くんだよ! ハルヒ、お前には不可能はないんだ! 信じろよ、いつもの自信過剰はどうしたんだよ! 頑張れ、ハルヒ、怖くない! だからこっち、帰って来い! そしたら何もかも上手く行くんだ!」
 「本当? キョン、本当に何もかも元に戻るの?」
 「ああ、そうだ。戻れるんだよ、ハルヒ! お前なら戻れるんだ!」
 
 ハルヒの声が徐々に大きくなり、その目にも生気が戻ってくる。
 
 「キョン……あたし、帰る! あたし、もう一回、あそこに戻る!」
 「ああ、そうだ! 帰ろう、ハルヒ! ……ハルヒ?」 
 
 対にハルヒから望む言葉を聴けたのは良いんだが。
 戻る。と宣言した直後に、目を閉じたハルヒ。まるで何かを待つかのように、頬を赤らめ……
 ……帰るのって、またこれやらないと帰れないのか?
 
  ――涼宮さんがそう決められたのでしたら、そうなのでしょう。
 
 きっとあの男なら、そう言うんだろうな。
 
 ………
 ……よし。
 覚悟決めるか。
 
 1、2、の……
 …
 
 
 ―――――……
 
 
 


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