【仮説1】その2
 


 
 
 社長命令によりシンクロトロンを一ヶ月間連続稼動させるという憂き目にあった長門は、泊り込んで運転を監視することになった。大学の研究室のほうも忙しいだろうにご苦労だ。嫁入り前の女の子をひとりで宿直させるのもあれなので俺も付き合うことにした。
 
 俺は一度自宅に帰り、晩飯の弁当と毛布、シュラフを抱えて戻ってきた。まさか会社に泊まることになるとはな。
「長門、寝袋を調達してきたぞ。軍用の折りたたみベットでもありゃいいんだが。ハルヒに言ってソファを買わせよう」
「……」
 長門と二人きりで夜更かしするのははじめてかもしれない。コントロールルームにはテレビもなく、時間を潰すには監視用のパソコンで動画共有サービスを見るとかウェブサイトを回ってみるくらいしかすることがなかった。長門は椅子に座って静かに小説を読んでいた。
「コーヒー飲むか」
「……」
長門はコクリとうなずいた。
 
 二人は付き合っていながら異様に会話が少ないと思われがちだが、俺はこの無言のコミュニケーションを楽しんでいる。言葉にしなくても気持ちのどこかが通じているというか。なんというのか、一億と二千年の昔から付き合っているような、そんな感覚にとらわれる。長門の言う、言語では概念を表現できないなにかの繋がりが二人にはあるのかもしれない。
 
 俺は真新しいカーペットの上にごろりと横になって、隣の部屋から聞こえてくるシュンシュンという音を、そのへんに鉄瓶をかけた火鉢があるような妄想と入り乱れさせながらぼんやりと過ごしていた。
「なあ長門」
「……なに」
「いつか二人で旅行にでも行くか」
「……そう」
「どこか行きたいところはあるか」
長門は少しだけ考えて、
「……雪国」
「雪か。じゃあ東北だな。来月の連休に温泉にでも行くか」
「……」
コクリとうなずいた。車で行くか飛行機で行くか、あるいはまったりと列車で行くか、などと考えていると長門が口を開いた。
「……ひとつ、質問がある」
「なんだ?」
「……わたしたちのこと」
「俺たちの何だ?」
「……わたしたちは今、特別な関係にある」
「特別っていうと、付き合ってる関係のこと?」
「……そう」
「それがどうかしたか」
「……あなたは、なぜわたしの家に泊まらない」
かなりギクリとした。長門が正面からこういう質問をぶつけてくることは予想していなかった。
 確かに男と女が付き合ってれば互いの家に泊まったりもする。だが俺たちはふつうのカップルとは違う。俺は人間で、こいつはヒューマノイドインターフェイスだ。
「それはだな、ええと、」
納得のいく答えを探していると長門は遮った。
「……わたしが、人間ではないから」
「うーん……」
俺はどう説明すればいいのか分からず、言葉に詰まった。確かにそうなんだが、でも俺の思ってる意味は、長門が人じゃないから区別しているというのとはちょっと違う。
「いや、そうじゃないんだ」
「……では、なぜ」
 
 俺がなぜ二人の関係を進めることを躊躇しているのか、正直なところ、それは一度長門にキスをしたときの衝撃に要因があるのかもしれない。あのとき長門は体を痙攣させて硬直してしまうという、人だったら心臓発作で死んでたかもしれないアクシデントに見舞われた。急遽喜緑さんを呼んで助けてもらったのだが、愕然と目を見開いて動かない長門の表情が今も目に焼き付いている。長門にしたら、あのときの恍惚は気持ちよかったというのだが、いやはや。
 
「お前にこういう説明をするのも無粋かもしれんが。俺はこれでも健康な男子で、二人がいっしょにいたらどういう流れになるかは分かってるつもりだし、でもそうなってしまうのはまだ早いと思うんだ」
「……なぜ」
「ええとだな、これはたとえばの話だけど。俺がおふくろから形見に指輪をもらったとする。売ってしまえばただの安い石だが、好きな女に婚約指輪として贈れば最高の品だろ。簡単に金に替えてしまうより、ここぞというときにプレゼントすればかけがえのない価値を持つ」
「……」
「例えが飛躍しすぎてるかな」
「……いい。言っている意味は分かる」
「簡単にそういう付き合いになることもできるが、待っているだけの価値はあると思うんだ」
「……分かった」
これは昔なにかのエッセイで読んだ話なんだが、ここで役に立つとは思わなかった。繊細な部分のある長門を傷つけたくないという気持ちも、二人の関係を大事にしたいという気持ちも、半々はあったのだが。長門は納得したらしくうなずいた。
 
 長門は寝袋を俺の隣に広げ、そこにうつ伏せて読み止しの小説を開いた。長門の体温が俺の右半身に伝わってきた。こういう距離感は今までになかった気がするな。そのまま気持ちよくうとうととしていると、研究室のドアがバンと開いた。
「あんたたち、こんなところでなにイチャついてんのよ」
ハルヒがニヤニヤしながら俺たちを指差した。その後ろで古泉がコンビニの袋を下げている。朝比奈さんがいないところをみると未来の自宅に帰ったのか。
「夜勤するならひとこと言いなさいよ。あたしはこういうの好きなんだから」
お前が好きってのは部室とか職場に泊まりこんで夜更かしすることだろう。まあ分からんでもないが。
「お邪魔でしたか」
「いや、ちょうど退屈してたとこだ」
俺は差し入れのビールを袋から取り出した。
「さあなにがいい?トランプも花札もUNOもあるわ。なんなら麻雀でも」
 
 四人で酒を煽りながら、結局明け方まで騒いでいた。ハルヒも座布団の上の花札をめくりながらうとうとしつつ、ちょっと寝ると言ってそのまま倒れこんだ。古泉が心得た仕草で自分の上着をかけてやり、散らばった菓子袋を片付けてから自分も横になった。俺も寝袋に潜り込む。シンクロトロンを冷やすシュンシュンという音だけが静かに聞こえてくる。
 
 意識から眠りへの曖昧な領域に落ちようとしたとき、長門がごそごそと俺の寝袋に潜り込んできた。あのー、長門さんなにをしてらっしゃるのでしょうか。靴を脱いで寝袋に足を差し込んできた。俺は酒臭い息を長門に吹きかけないように、あごの下に長門の頭を入れてやり背中に腕を回した。俺は酔ってるんだ、酔ってるんだからな。
「あんたたち、いくら仲がいいからって職場でそんなことしちゃだめよ」
「うわっつつ、お前起きてたのかよ」
眠っていたはずのハルヒが腕枕をしたまま俺たちを眺めている。ニヤニヤ度満載である。長門は俺のシャツにしがみついて顔を真っ赤にしていた。
「独身女性の前なんだからね、有希も場所をわきまえなさい」
長門は今にも燃え出しそうなくらいに顔を紅く染めてコクリとうなずいた。うなずいたが離れようとしないので俺はそのまま抱いて眠った。
 昼頃目を覚ますと長門はそのままの形で眠っていたが、特に気もせずそのまままた眠りに落ちた。今日が土曜日でよかった。
 
 しかしまあ、これを毎日やるわけにもいかんので、全員が当番制で監視することにしよう。開発部の連中にも守秘義務を契らせて当直させるか。そうすると十日に一回で済むな。
 
 それから一ヶ月してワームホールは完成した。以前に作った五分のやつは消滅した。内部のエキゾチック物質とやらは限りある資源らしく、取り出して再利用したらしい。
 
 長門は夜勤明けで一度マンションに戻って夕方出社、今日はハカセくんもまだ来ていない。ハルヒはまた手紙を書いて送ろうとしていた。
「まだ過去には送れないからな。気をつけろよ」
「分かってるわよ。未来に送るのよ」
ハルヒはまた防護服を着て実験室に入っていった。
 ワームホールの波打つ鏡に封筒を差し込もうとしたそのとき、大量の紙くずが流れ出た。ハルヒは紙の濁流に流されて溺れ、俺はなにごとかとカメラ映像を見つめていた。こいつは一大事だ。俺は防護服も着ずに実験室に飛び込みハルヒの名前を呼んだ。
「おい!どこだ」
「ここよここ」
紙くずの海の中からハルヒの手が伸びてきた。俺はその手を引っ張り、海をかき分けかき分けコントロールルームに引いていった。紙くずと思っていたのはすべて手紙だった。
「なんなのよこれは!」
ハルヒはヘルメットをがばと脱ぎ捨て、モニタの映像を睨んだ。手紙の雪崩れはまだ続いている。
 
 俺は受話器を取り上げた。
「もしもし、長門か。寝てるところすまん、緊急事態だ」
「……なにがあった」
「ワームホールから手紙があふれてきた」
「……どっちの側から」
「未来からだ」
「……すぐ行く」
 俺は防護服を着なおし、手紙を一通手に取った。誰だか知らないが、ちゃんと宛名も住所も書いてある。これどうしろっていうんだろ。未来から来たってことはつまり、過去宛ての郵便転送サービスをはじめたのか。たった一ヶ月で?
 手紙の山がワームホールの反対側、過去の側へ流出しようとしていたので、俺は埋もれそうになりながらダンボール箱とガムテープで塞いだ。十分くらいして雪崩れがようやく終わり、実験室は手紙の山と化した。
「急いで片付けないとこれ、引火でもしたらたいへんだぞ」
「とにかく、ダンボール箱に全部詰め込んでちょうだい」
 
「うわ、なんですかこれ」
古泉が出社した。猫の手も借りたい緊急時に即現れるとは、上出来だ。
「未来から送られてきたんだ。ともかく片付けるの手伝ってくれ」
古泉は新しい防護服をロッカーから取り出し、しゅこしゅこ呼吸音をさせながら手紙を集めた。
 最後に一枚だけ、ワームホールからぽとりと手紙が落ちた。それを拾い上げてみると、見覚えのある字で宛名が書かれている。
「おーいハルヒ、お前宛だ」
「この忙しいときに。いったい誰よ」
「お前からだ」
「え?」
 
── 株式会社SOS団御中 十分な運用の稼動が見込まれたので時間郵便転送サービスを開始しました。
 
「何考えてんのよあたしったら!」
「まったくだ」
そのセリフを七年間言いたかった俺の気持ちを分かってほしいね。
「“顧客の手紙を送るので丁寧に扱ってね。切手代はそっちで負担してちょうだい”。勝手なこと言ってんじゃないわよ」
ハルヒは自分の手紙を投げ捨てた。それを書いたのはお前自身だぞ。
「涼宮さん、これは投資と考えましょう。この事業がうまくいけば億単位で利益になりますよ」
「そ、そうね。さすがあたしだわ、先見の明があるわ」
どうでもいいよ、その先見とやらは。しょうがない、郵便局に電話して引取りにきてもらおう。切手代は料金別納だか後納だかでまとめて出せば少しは安くなるだろう。
 
 ハルヒはなにを思い立ったか、A4コピー用紙に太マジックでなにごとか殴り書きして、クシャクシャに丸めてワームホールに投げ込んだ。
「未来にゴミ送ってどうするんだ」
「経費を請求するのよ。あたしがタダでやるとでも思ってんの?」
あ、これはなんだかまずい展開になりそうな予感がするぞ。
 
「まあ、いったいこれはなに?」
朝比奈さんが目を丸くしている。
「あ、おはようございます。未来のハルヒが送ってきたんです。全部郵便局に持っていかないといけません」
「誰に送るの?」
「さあ。時間郵便サービスをはじめたんらしいんです」
朝比奈さんは笑顔のまま青ざめていた。
「……紙の、海」
「おう、寝てるところ呼び出してすまんな。手伝ってくれ」
眠いはずの長門も出社して手紙を整理し始めた。明日は休ませよう。
 
「あれ、これなんだろ」
ショベルカーがあればと思えるような手紙の山を掘り返してようやく床が見えてきたところで、ワームホールの前に落ちている一枚の写真らしきものを拾った。俺とスタッフ全員が映っている。うわ、老けてるな。そこに映っている長門と朝比奈さん以外の全員が中年男女っぽい姿をしていた。俺たち、こんなになっちまうのか。プッ、古泉が髭生やしてるぞ。
「なになに、見せなさい」
俺がクスクス笑いをしているとハルヒが手を出した。
「おい待てよ、まだ見てんだろ」
写真を奪い取ったハルヒは自分の未来の姿を見てショックを受けたようだった。
「きゃーなにこれ。あたしってこんな小じわができてんの。今日から美顔しなくちゃ」
ハルヒは突然ほっぺたをマッサージしはじめた。老化ってのは生物共通の自然現象なんだから、そんなインスタントでやっても意味ないだろうに。
 
「は?なにこれ十年先じゃない」
写真の右下の日付が、確かに十年後になっている。
「あたしたちのワームホールの出口って一ヶ月先よね。なんで十年後の写真があるわけ?」
「未来のお前の冗談だろ」
そんな誰が笑うともしれない冗談をハルヒがやるとも思えないが、別に一年後も十年後もたいした違いはあるまい。俺は長門に尋ねる視線をやった。
「……?」
長門にも分からないようだ。たぶんハルヒに言われて俺がパソコンで合成して作った写真なんだろ。手の混んだジョークだ。
 
「そんなことよりさっさと郵便局に持っていこうぜ」
「うーん……」
ハルヒはなんだか腑に落ちないようで、写真を睨んで唸っていた。
「ひらめいたわ!」
こんな朝から疲れる日には聞きたくないハルヒの号砲である。
「なんなんだよ。もう金使う話はなしだぜ」
「ちがうわよ。あの写真の意味、あたしへのクイズだったのよ」
「なんだそのクイズって」
「一ヵ月先のワームホールしかないはずなのに、なぜ十年先の写真が送られてきたのか?その答えは」
俺は二十秒くらい考えて、時間論が苦手なのを思い出しただけでやめた。
「その答えは?」
「ワームホールをいくつも作って繋いだのよ!」
まじですか。長門さん、これってまじですか?
「……天才」
「俺にも分かるように説明し、」
「だから言ってるでしょ、時間差一ヶ月のワームホールを十二個作って一年のワームホールを作る、それを十セットで十年よ」
「いくら作っても時間差は同じだろう」
「そうじゃないのよ。別々の二つの穴のAとBを繋いだら、その時間差の分だけワームホールができるわ。時間差十年のワームホールを一度に作るより、一年のものを十年かけて十回作ったほうが間と間でやり取りができるでしょ。完成した部分から使えるわ」
なるほど、そういうことか。ハルヒにしちゃ分かりやすい説明だ。
「あんたの頭が三次元構造なだけよ」
悪かったな、二次元じゃないだけマシだ。
 
 社長の鶴の一声で、この時代のハルヒのひらめきなのか、未来のハルヒのひらめきなのか、出処がよく分からんこのアイデアが採用されることになった。ということは十年未来から送るのに、手紙を各年宛てに分類してるってことだな。まるで郵便局じゃないか。出しそこなって机の中で眠ってる年賀状とか、躊躇しているうちに数年経ってしまったラブレターとかも送れるぞ。
 
 長門の指導で、できるだけ実験室に入らないで済むようにと、ワームホールの前に小型のベルトコンベアを置いて直接箱に溜まるようにした。それからの俺たちは箱詰めの手紙を郵便局にせっせと運ぶはめになった。送料だけでもかなりの額になったが、運ぶのに軽四のワゴンを長期リースしてさらにバイトを雇ったりしたので人件費もかさんできた。やれやれ、時間移動技術は先行投資がハンパじゃないぜ。
 
 未来のハルヒが一通あたりどれくらいの手数料を回収しているかは知らないが、これでまあなんとか収益の見込みは立ったな。などと安堵の溜息を漏らしている俺だったが、ハルヒの考えていることはさらに奇矯だった。ハルヒがマジックで殴り書きしたA4用紙がなんだったのか、あのとき知っておくべきだった。
「ちょっとキョン、あんた株の取引やったことある?」
「ねえよ。そんな金あったら遊ぶさ」
株式がどういう仕組みなのかは知っている。うちも株式会社のはしくれだからな。とはいっても株式の譲渡に制限がある会社で、しかも株主は事実上鶴屋さんだけだ。市場に上場もしてない。
「古泉くんは?」
「市場の知識なら多少は心得がありますが」
「ちょっと教えてちょうだい。その、オンライントレードってやつ」
「かしこまりました」
古泉は俺に向かってウインクした。おおかた機関の財テクでも聞きかじったんだろ。あいつらの運営は相当に金がかかるだろうからな。
 
 俺は古泉を呼び出した。このビルに体育館の裏があったらそこでもいいが、ハルヒに気付かれない手近な場所といえば男子トイレくらいしかなかった。
「おい、あんまりハルヒをそそのかすな。今は時間郵送サービスで猫のしっぽも借りたい状態なんだから」
「僕はそそのかしてなどいません。涼宮さんが望んだことです」
「あいつが望めばなんでも叶えてやるのか」
「そうですがなにか」
「そ、そうか」
即答されてなんだかスイマセンと謝ってしまいそうな勢いだった。
「ご心配なく。株というのはそう簡単に儲かるものではありませんから。この道数十年というベテランでも、確実に利益を上げられるというわけではありません」
「株の売買って博打みたいなもんだろう」
「そうとも言い切れません。最近はいろんなタイプの投資がありますからね。ギャンブル性の高い投機から、利率のいい貯蓄としての投資も」
「大損したらどうするんだ」
「それはそれで、涼宮さんにとってはいい勉強になるはずです」
ハルヒを観察しつづけてきて十年、悟りの境地に至ったような古泉らしい意見だった。忌々しいことに正論に聞こえる。
 
「あなたは気がついていらっしゃらないかもしれませんが、高校の頃のがむしゃらな涼宮さんとは違って、今の彼女は抑えるところは抑えてますよ。むやみに暴走しているわけではないようです」
「それが本当ならいいんだがな」
「ひとつ、はっきりさせておきましょう」
「何だ」
「僕はあなたを同僚として、また涼宮さんにもっとも信頼されている人物として敬意を持っています。でも涼宮さんとあなたの意見が分かれるようなことがあれば、僕はどっちにつくでしょうか」
「そりゃあハルヒのほうだな」
「ご理解いただけて非常に嬉しいです」
つまり、なんだ。俺とハルヒが喧嘩したらハルヒの味方をするってことか。
「分かりやすくいうとそうです」
いつになく強気だな。こいつは誰が自分のボスか、自分の中で序列を作ろうとしてるな。まあいい、こっちには長門と朝比奈さんがいる。いざってときはあの二人が味方してくれる。きっとそうだよな、な、俺。
 
 次の日、ハルヒは新聞の束をあれこれ読み漁り、ああでもないこうでもないと唸っていた。
「朝からなにを悩んでるんだ」
「どの銘柄を買うか迷ってるのよ」
「素人がいきなり買うより、様子見たほうがいいんじゃないのか。ほら、シミュレーションだっけ」
ハルヒは俺に向かってグーを四回突き出した。
「実・戦・ある・のみ」
こりゃ数千万の損は覚悟しなきゃならんな。
「なに縁起でもないこといってんの。あたしには確実な情報があるんだから」
「なんだ、業界筋にコネでもあんのか」
「ちっちっち。業界筋ってのはガセネタだらけよ。これよこれ」
ハルヒは古新聞を投げてよこした。
「これがどうかしたか。リサイクルしてもちり紙くらいにしかならんぞ」
「だからあんたはいつまでも平の取締りなのよ。日付をよく見なさい」
平で悪かったな。え、これ、未来の新聞?まずいぞ、これはまずいぞ。
「どうやって手に入れたんだこんなもん」
「未来のあたしに新聞をよこせとメモを送ったのよ」
 
「おい古泉」
「なんでしょうか」
「これってインサイダーじゃないのか」
俺は古新聞を、じゃなくて未来の新聞を見せた。株価のページがあちこち蛍光ペンで色づけされている。
「あははは。これはいい情報源だ」
「笑ってる場合かよ」
「証券取引監視委員会がこれを見てなんと言うでしょうね。地検がこれを証拠として採用するとも思えませんが」
「インサイダーって職務上の立場を利用して得た情報をもとに売買することだよな」
「ええ。でもこの新聞はまだ発行されていませんから、実際は情報は存在しないことに、プッ」
「笑ってる場合じゃないって」
「す、すいません。誰もが考えそうで、誰もやったことがないことですからね。さすがは涼宮さんだ」
おべっか使いの古泉に向かってハルヒはうんうんとうなずいた。
「でしょでしょ。存在しないはずの新聞の、存在しないはずの情報で株を買っても問題ないわよね」
「ええ。現行法では取り締まることはできないはずです。なんなら弁護士に相談してみましょうか」
それはやめてくれ。ワームホールを見せてくれってことになりかねん。
 
「未来じゃ取り締まる法律があるんじゃないのか」
「それは規制する法案が国会を通ってから考えればいいんじゃないでしょうか。少なくとも、今のところは」
うーん。いちいち理屈はあってるんだが、なにか人として間違ってる気がするぞ。
「まあできるだけ目立たないようにしてくれ。その、証券なんとかの連中に目をつけられないように」
「分かりました。できるだけ分散させて、一社を買い占めないようにしましょう。適度に損も出して。損は決算のときに赤字として計上できますからね」
「さっすが古泉くん、さえてるわ」
「お褒めいただき光栄です」
なんだかマフィアのボスが悪知恵に長けた子分をほめてるような雰囲気だぜ。俺はハルヒがやる気なら儲かるだけ儲けさせてみようかという気分になっていた。余った分は役員報酬にでもしてくれるだろ。口止め料とも言うがな、キヒヒ。
 
 その日からハルヒはずっとパソコンのモニタをじっと睨みながら、一喜一憂していた。
「見て見て、上がったわ!」
と喜んでいたと思いきや、
「あらっ下がっちゃった。誰が売ったのかしらね、忌々しい」
どうでもいいけど、株式会社と市場経済の関係、分かってやってんのかなこいつ。そもそも会社が資金調達するための仕組みなんだが。
「まあいいじゃないですか。楽しんでるようですし」
古泉が微動だにしないスマイルで言った。
「負けた分はあいつの役員報酬からさっぴいとけよ、と言っても無理だろうな」
「ええ。無理です。今のところ負けていませんから」
「勝ってるのか」
「一千万くらい利益出てるみたいですよ」
まじか。新聞さまさまだな。
「昨日までの株価と未来の新聞を見比べて買ってるみたいです。人気があっても買われすぎているものには手を出さない、テレビなどで流れたネタの銘柄には手を出さない。チャートやシグナルも、抑えるところは抑えています」
なるほどな。数字に関しちゃあいつは特Aクラスだった気がする。こいつはもしかしたらボーナス増額か。
 
「あーぁ、疲れたぁ」
午後三時十五分を過ぎると、ハルヒは脱力した大きな溜息をついた。
「市況がこんな疲れるとは思わなかったわ」
「肩の力を入れすぎですよ。もっと楽に構えてください」
「えへへ。分かってるけど、気になるのよねぇ自分の買った銘柄がどうなるか」
「分かります。上がったり下がったりするのを見てるのが楽しいんですよね」
「そうそう。なんだか自分が植えた種が育っていくのが見えるみたいなの」
ただのグラフが本当にそう見えるんだったら、数字に詳しいやつがうらやましいぜ。
「古泉くん、悪いんだけど肩揉んでくれる?」
「おやすい御用です」
「あーそこそこ、効くわ。最近凝ってるのよねぇ」
古泉が肘の先でブルブルと按摩していた。な、なんだこのホノボノした雰囲気は。
 
 その日の五時過ぎ、溢れ返る手紙もバイトに任せて俺は仕事もないので早々に退社することにした。ハルヒはまだ経済紙と古新聞を見ている。明日の予習でもしてるんだろう。長門はこれから来るハカセくんを待つというので、俺は喫茶店で待っていることにした。
「キョンさん、ですね」
ドリームのテーブルでコーヒーを飲んでいると後ろから呼びかけられた。振り返ると黒いサングラスに黒のスーツを着た男が二人立っていた。おそろいの格好でおそろいの黒の帽子を被っている。白いシャツ以外は頭のてっぺんから靴の先まで黒い。
「そうですが」
「ちょっとそこまで付き合ってもらいたい」
葬式帰りじゃあるまいに、ネクタイまで黒い。見るからに地下組織か秘密組織か、あるいは表向き存在しないことになっている政府の諜報組織か。またヘンなのが現れたな。こういう輩には関わらないほうが身のためだ。
「悪いが俺は忙しいんで」
コーヒーを飲み終えないままテーブルを離れようとした。背中になにか固いものが突き当たった。全身黒尽くめ野郎が耳元でささやく。
「おとなしく聞いたほうが身のためだぞ」
俺はゆっくりと両手を上げた。それって銃ですか。映画でもテレビドラマでも、日本の日常でほいほいピストルが出現するのはどうかと思うんだが。
「そんなことはどうでもいい。口を閉じて歩け」
後ろからせかされて喫茶店を出た。コーヒー代はもうひとりのやつが払っていたようだった。おごってくれるとは気前がいい。
 
 裏通りに黒塗りの3ナンバーでも待っているのかと思ったが、乗せられたのは、律儀にもパーキングメーターに停めてある軽四だった。秘密組織が軽四ってどうなん、しかもナンバーが“わ”って。CIAがレンタカーって笑うぞ。
 
 両手を紐かなんかで縛られてシートに座ると、布袋を被せられ、密閉型のヘッドホンをさせられた。
「すまんが、道を知られたくないんでな」
ヘッドホンからガンガンとヘビィメタルかパンクらしき音楽が流れてきて、俺の鼓膜は今にも破れそうだった。こんなヘタクソな歌聞かされるんだったらスパイの拷問のほうがまだ楽だぜ。
 
 会社のやつらが俺がいないことに気がつくのにどれくらいかかるだろうか。誰かにメッセージを送らなくてはいけない。ポケットに入っている携帯を何とか取り出し、メールボタンを押した。目隠しされているので誰宛に送ったかは分からんが、ともかく指がボタンの配置を覚えている限りでSOSと入力した。受け取るのが誰であれ、救援要請だ、勘を働かせてくれ。
 六時までに俺が戻らなかったら長門が異変に気がつくだろう。あるいは機関の誰かが俺を見張ってて、すでに森さんあたりが動いてくれているかもしれない、などと自分に希望を持たせてみたりした。
 
 流れていた曲が最初に戻ったところで、車を降ろされた。あれがCDかMDのアルバムだったとして、四十分から五十分てところだろう。もしかしたらぐるぐる同じ道を回ってただけかもしれんが。
 袋を被せられたままエレベータらしきものに乗せられ、どうやらどこかの建物の地下らしき場所にいることは分かった。問題はどこの建物かなんだが。
 
 固い床の上を歩かされ、パイプ椅子に座らせられた。そこでやっと袋から開放されてご対面となった。部屋は狭く、天井から下がった傘のついた電球が揺れている。テーブルとパイプ椅子が二つあるだけだった。いよいよこいつらの目的が判明する瞬間だ。
「お前の会社が株の不正取引をしていることは知っている」
な、なんで漏れたんだ。ハルヒが喋ったのか。
「不正に得た情報で株を売買している。インサイダーは犯罪だ」
「さあて。なんのことやらさっぱりだな」
「我々の諜報能力を甘く見てるようだな。お前は昨日、道で拾った千円札をネコババした。拾得物横領だ」
ギク、見てたんすか。
「三日前に車で信号無視をしておばあちゃんを轢きそうになった」
「あ、あれは雨が降ってて視界が悪かったんだ」
「どうだかな。よそ見してたんじゃないのか。さらに一週間前、我慢できなくて駅の裏で立ちションをした。軽犯罪だな」
な、なんなんだこいつは。機関の連中か。隣の部屋で古泉がほくそえんでるんじゃないか。
「まだある。十日前、飼ってる猫に八つ当たりして蹴飛ばした。動物虐待だ」
あれを知っているのは確か、ええと……。俺は背の高いほうに向かって言った。
「おい、そこの」
「なんだ」
「お前は俺だろ」
「なんのことだ?」
「とぼけんな。いつの時代か知らんが未来から来た俺だろ。それからそっちの小さいほう、お前は長門だな」
「……」
二つのサングラスが互いに顔を見合わせ、俺を見た。
「……なぜ、分かった」
俺たち何年付き合ってると思ってるんだ。お前の雰囲気は目を閉じていても分かるぞ。
「……降参」
黒スーツの長門が両手を上げた。ちっこい方の正体はうすうす気がついていたと思うんだが、背の高い方の正体までは分からなかった。鏡に映った自分の姿は意外と思い出せないもんだ。
 
 サングラスの俺は見たところ、俺よりだいぶ年上のようだった。声も中年っぽい。ここは朝比奈さん方式で俺(大)と呼ぶべきか。俺(大)は長門に向かって言った。
「だから姿を見せないほうがいいって言ったんだ」
「……あなたがついて来るよう願った」
お前らこんなところで仲間割れすんな。どう見てもでこぼこコンビにしか見えん。
「バレちゃしょうがねえな。まあ、そんなところだ」
「いつの時代から来たんだ?」
「十年ほど未来だ」
「どうやって来たんだ?」
「そりゃ時間移動技術に決まってるだろ」
「それは分かってるが、じゃあワームホールは人が通れるようになったのか」
「ワームホールとは別の手段で来た」
「別の手段って、朝比奈さんか?」
「いや、朝比奈さんは来てない」
「じゃあ本当のタイムマシンが完成したのか」
「それは禁則事項だが、まあ曲がりなりにも完成したというべきか」
お前、禁則事項の意味が分かってないだろ。未来の俺はそのへんを突っ込まれると都合が悪いらしく、慌てて話題を変えた。
「さっきの話だが、ハルヒがインサイダーで稼ぎまくったのは本当だ」
「捕まったのか」
「ああ。地検の連中が書類やらパソコンやら全部持っていった」
「どうでもいいが縛っている手をなんとかしてくれ」
「あ、ああ。忘れてた」
俺(大)は手首に巻かれていた安っちいナイロンの紐らしきものを切り、ポケットから新聞を取り出した。近頃の俺はなにかと新聞に縁があるようだ。俺は暗い電球の明かりの下に持っていった。
 
── 「世界初、タイムマシン」今世紀最大の発明と称する技術が昨日発表された。時間移動技術の実用化のめどが立ったとして、株式会社SOS団(社長:涼宮ハルヒ。鶴屋涼宮グループ)が記者会見を開いた。SOS団は十年ほど前から時間移動技術の開発に着手しており、世界に先駆けての実用化は、長年の実験によって理論化された技術に裏打ちされたものであるという。今回の発表で世界各国の財界、政界、物理学会の注目を浴びているが、日本政府によるコメントは現在のところ出ていない。一方で、政府与党による研究部会、識者を集めた文部科学省の調査会「時間移動技術研究会」の発足も噂されている。また野党内では、この技術が軍事利用されるのではないかという懸念も囁かれている。
 
── 涼宮氏の学生時代に担任教師だったという岡部さん(57)によると「涼宮君は高校の頃から天才ぶりを発揮していて、私はきっといつかなにかでかいことを実現する器だと信じていました。当時、まわりには理解されていなかったようですが」という。
 
あのハンドボール野郎、今になって恩着せがましく恩師面すんじゃねえ。
 それから俺(大)は新聞をもう一部取り出した。一面には大きく「世界初、時間犯罪」と書かれている。この新聞、世界初が好きだな。
 
── 「世界初、時間犯罪」株式会社SOS団の代表取締役社長、涼宮ハルヒ(33)が株のインサイダー取引による金融商品取引法違反の容疑で逮捕された。同社は十年前から時間移動技術を開発していたが、実験当初から資金調達のために未来の株価情報を密かに持ち込んでいた疑い。タイムマシンが犯罪の道具として使われたのはこれがはじめて。さらに取締役会の古泉一樹(33)、長門有希(33)、キョン(仮名)(33)も共犯、幇助の疑いで逮捕。地検特捜部では出資していた鶴屋ホールディングスの関与を追及している。
 
「なんだ、俺って新聞でも本名で呼ばれねえのかよ」
などと感傷に浸っている場合ではない。逮捕だぞ逮捕、ヘタすりゃ登記取り消されて会社取り潰しだぞ。
「逮捕されたんだったらお前らなんでここに来れるんだ?」
「鶴屋さんが保釈金を積んでくれたんだ」
「また鶴屋さんか……。いい加減あの人のスネをかじるのはやめたらどうだ」
「お前に言われたかねーな」
「お前ってお前だろう」
「お前のほうが事の発端に近いんだから、お前のほうが責任が重い」
またそんなハルヒみたいなわけの分からん小理屈を。
 
「社長が捕まっちゃ会社がやっていけんだろう」
「だからハルヒを止めてもらいたんだよ」
うーん、困ったぞ。ハルヒがいないとワームホールが完成しないが、ワームホールのせいでハルヒが捕まっちまう。
「いや待て。ワームホールがあるからじゃなくて、ハルヒが未来から情報漏れ起こしたからまずいんだろう」
「まあそういうことだ」
「じゃあこうしよう。利益は電気代を払える程度に抑えて、残りは損にする」
「それでもインサイダーには変わらんだろう」
「適当に損を出せばいい。利益を出しすぎるから目をつけられる。それに損をした分は赤字として計上できるらしいしな」
「お前ができるっていうんならいいが。会社潰さないでくれよ」
 
それから俺は自ら頭が痛くなるような質問をした。
「ちょっと聞くが、俺がハルヒを止めるのに成功したんだとしたら、何でお前らがここにいる?」
「難しい質問だな」
「失敗したからここに来たんじゃないのか」
「……事象がループしている」
時間論が苦手な二人の俺は眉間に皺を寄せて、こめかみをグルグルと揉んでいた。今の俺の行動が歴史を変えて未来の俺が変わるのか、それともこいつらが帰ったときに未来が変わってるのか。
 前にも似たようなことがなかったか。なんだろうこの違和感は。既視感、いや違う。もっと別のなにか、未視感とでもいうんだろうか。
 
「とにかくだ、ハルヒの進む方向を変えてやらにゃならん。それがお前の仕事だ」
やれやれ、またハルヒの尻拭いか。
「まあ俺がなんとかするから、ここは任せて未来に帰れ」
「じゃあ、あとは頼むぞ。俺たちはこれから裁判の準備をしないといけないからな」
「未来はいろいろと大変なんだな」
ああ、この先十年もハルヒから解放されないのだと知った今、気が滅入る。やれやれだぜ。
 
 ドアが開いて長門が飛び込んできた。この時代の長門だ。俺の姿を見ると、目にもとまらない俊敏な動きで未来の長門の首を締め上げた。ややこしいので未来の長門を長門(大)としよう。
「……彼になにをした」
「……なにもしていない」
俺の長門は珍しく荒い息をしていた。とにかく落ち着かせないと、こいつらが喧嘩したらえらいことになる。
「おい長門、落ち着け。俺は大丈夫だ」
「……なにが、あった」
「まあその新聞を見ろ」
長門はテーブルの上に乗っている新聞を一瞥した。
「……」
「こいつらはそれを阻止しに来たんだとさ」
「……分かった。でもわたしに相談するべきだった」
「……歴史に与える影響を最小限にするべきだと判断した」
「まあいいじゃないか。俺がハルヒを止めれば済むことだし」
俺の長門は複雑な表情で俺(大)を見た。俺を拉致したのが俺本人だというのだから、長門も複雑な心境だろう。もし俺と俺(大)が喧嘩してたら長門はどっちの味方をするんだろうか。無言のまま、どっちが勝つかじっと眺めていそうな気がする。
 
「せっかく来たんだからメシでも食っていけよ。未来の話を聞かせてくれ」
「それはどうだろうな。いろいろと禁則事項があるしな」
「いいだろ、今までかなり禁則違反してるんだし」
「俺はいいが、どうする長門?」
俺(大)は長門(大)と相談していた。結局二人の俺と二人の長門という奇妙な組み合わせで晩飯を食うことになった。
 四人は一旦レンタカーを帰しに駅前まで乗り付け、ハルヒに見つからないようにタクシーで長門のマンションへ行った。
 
 二人の長門はキッチンで晩飯の用意をしていた。無言でサクサクと動く二人は、役割分担が厳密に決まっているようだ。もしかしたら特殊な方法で会話しているのかもしれないが。
「長門、なんか手伝おうか」
「……お客さん」
てめぇは客なんだから居間に座って茶でもすすってろ、という感じでステレオで言われた。俺はすごすごとリビングの座布団の上に戻った。
「異時間同位体と協調するって、どんな感じなんだろうか」
「人間でいうところの双子みたいなもんじゃないか」
前にも似たようなことがあったっけな。
「長門のやつ、ぜんぜん変わらないな」
「あれでも多少は体の分子の再構成をしたんだがな」
「そうなのか」
「ああ。でも俺の希望で二十五才仕様くらいで止めてもらってる」
確かに、俺も長門には今のままでいてほしいと思う。俺(大)の左手薬指を見ながら、思い切って聞いてみた。
「お前たち、結婚はしないのか?」
「それは禁則事項だな。お前が自分の思うところをやればいい」
誰かが似たようなセリフを言っていたことを思い出し、俺たちは顔を見合わせてニヤリと笑った。俺に兄貴がいたら、こういう感じだったのかもしれない。
 
「ところでお前ら、どうやって未来に帰るんだ?」
「実験室にあるワームホールを拡大して帰れるらしい」
「うちのあれはまだ不安定すぎて質量の大きいものは送れないらしいんだが、大丈夫か」
「……わたしが安定したエキゾチック物質を持っている」
まあ長門にかかればどんな方法でも帰れそうだが。
 
 時計を見ると十一時を回っていた。俺は二人を交互に見ながら言った。
「今日はもう遅いから泊まっていったらどうだ」
「そうだな。ここの長門が泊めてくれるっていうんなら」
「……いい」
いつ用意していたのか、長門がペアのパジャマを出してきた。それってもしかしてほんとは俺用?
「すまんな長門」
「……お礼ならいい。あなたのために用意していた」
俺の長門が頬をポッと赤らめたような気がしたが、なんだか俺(大)のほうが気に入ってるようだぞ。
 
 長門は和室に布団を二つ敷いた。こいつら同じ部屋に寝せて大丈夫か、まさかこいつらあらぬ関係じゃなかろうな。いやいや、いくら自分でもそこまで立ち入るのは邪推ってもんか。長門(大)がなにかを思いついたように俺の長門に言った。
「……この部屋、十年間貸して」
ええと長門(大)さん、どういうことでしょうか。
「……時間凍結で当該時間ポイントに戻る」
「……分かった」
俺の長門はコクリとうなずいた。
「よく分からんのだが、解凍するのに長門本人が必要なんじゃないか?」
「……わたしは、いる」長門(大)が長門を指差した。
「ええと、ややこしいが、十年経ったらお前ら二人を解凍して、それから俺と長門が過去に行くのか」
「……そう」
「もし歴史が変わったらどうなるんだ?」
「……その場合は何もなかったことになる。わたしたちは消える」
「消えるって消滅するのか」
「……時間移動がなかったことになるだけ。元の時空に存在している。つまり、あなたたち二人」
説明されると無駄にややこしいが、死ぬわけじゃないんだな。
 
 どうやら本気で十年間の眠りに就くつもりらしく、二人は布団に入った。
「じゃあな。元気でやれよ」
「ああ。お前らもな」
俺の長門が電気を消して襖を閉めようとした。長門(大)が布団の中から待ってと言った。
「どうしたんだ?」
「……」
長門(大)はモソモソと隣の布団に潜り込み、俺(大)の腕に寄り添った。
「お、おい長門、こいつらが見てるだろ」
「……このまま、凍結して」
「しょうがねえなぁ」
パジャマの俺(大)の顔は赤くなっていたが、まんざら嫌でもなさそうだった。そんな二人をニヤニヤしながら見ている自分に気がついて、いかん、無粋だったなと襖を閉めた。
 
 長門が詠唱し、襖が一瞬白く光っただけで時間凍結は終わった。次に会えるのは、はるか十年後か。十年も添い寝できりゃ幸せだろうぜ、まったく。前のときは、長門はひとりきりで俺と朝比奈さんの目覚めのときを待っていたんだよな。まあ今回はひとりじゃない。
「十年後にこいつらが目覚めるまで、俺も付き合うよ」
「……」
長門は何も言わず、うつむいたまま俺の首に腕を回して抱きついた。未来の二人に当てられたのか、長門はいつまでも離れようとしなかった。
「しょうがないなあ。これから一緒にドライブでもするか」
長門はコクリとうなずいた。こういうシーンを見ると長門はいつも甘えてくるんだ。そこがこいつの萌え要素だったりするのだが。
 
 未来の俺たちの使命に、任せろとは言ったものの、ノリに乗っているハルヒの株取引に水を注すようなマネをしたらイライラがつのってまた閉鎖空間が発生しかねん。神人の目に¥マークがメラメラと燃えて暴れている様子を想像して寒気がした。
 ハルヒに気付かれないようにやめさせる方法はないものか。一気に損を出すと神人が暴れかねんので、少しずつ損をさせて最終的に利益が出ないようにしちまえば、自分には投資の才能がないんだと諦めるかもしれない。
 
 俺ひとりじゃ無理だな。資金と人材がいる。こんなときだ、機関に頼もう。金のことなら多少は分かってるだろう。
「古泉、ちょっと来てくれ」
「なんでしょうか。僕はこれから先様と打ち合わせなんですが」
俺は黙って新聞を見せた。
「涼宮さんがインサイダーで逮捕ですか!?だってさっきそこで会いましたよ」
「日付を見ろ」俺は新聞の端をポンポンと叩いた。
「未来ですね」
「昨日俺が持ってきたんだ」
古泉には通じなかったらしく怪訝な顔をしていた。
 
「つまり未来の俺が持ってきたんだ。昨日会った」
「ということは、このままいくと不穏な未来が待っているということでしょうか」
「そうだ。だからハルヒの株売買を阻止しなければならん」
「分かりました。でもいきなりやめろと言うのは無理かと」
「そこでだな、頭のいい誰かがハルヒの売買してる銘柄の株価をやんわりと調整して利益を出さないようにしてくれる、と俺たちは幸せになれる」
「株価操作は犯罪ですよ」
「まあそうかもしれんが、それが誰なのか俺たちはたぶん知らない」
「つまり機関にそれをやれと?」
「どこの機関のことを言ってるのかよくわからない」
目をそらして言う俺は棒読みだった。
「なるほど、分かりました。それなりの資金もかかりそうなので幹部に話してみます」
「ああそれから、古泉」
「なんです?」
「この会話はなかった。お前はまっすぐ打ち合わせに行った」
「……分かりました。僕も記憶にありません」
人に頼みごとしておきながらなんて偉そうなんだと、古泉はちょっとムッとしたようだった。ふっ、そんな簡単に感情が顔に出るようじゃ、地下組織の一員としてまだまだだな。
 
 六時過ぎ、打ち合わせから帰ってきた古泉はやけにイライラしていた。たぶん機関に寄ってきたのだろう。古泉が素のキャラクタだったなら、またやっかいなことを頼みやがって、と呟いたに違いない。ハルヒが帰ったので機関の協力が得られそうかどうか聞いてみた。
「どうだ。やれそうか」
「ええ。ただし、涼宮さんのパソコンを監視させてもらいます」
「カメラか」
「小型のCCDを壁の画鋲に仕込んでおきました。それから、涼宮さんの机の引出しを漁ってもかまいませんか。例の新聞のコピーが欲しいので」
「ああ、構わんだろう。俺はよそ見してるから」
古泉は白い手袋をはめてハルヒの机の引出しを開けようとした。
「カギがかかってますね」
あいつ、こういうことはマメなのな。俺なんかロッカーのカギすらかけたことないぜ。
 
 古泉はポケットから、精密ドライバーのような歯医者の七つ道具のような金具を取り出した。それってピッキングですか。ああ、いや俺はなにも見てないからな。スプレー式潤滑油をひと振りして鍵穴にドライバーらしきものを突っ込み、ガチャガチャと動かしていたと思ったら引出しが開いた。古泉、もう別の稼業でも食っていけるぞ。
「人聞き悪いですよ。これも諜報活動の一環です」
引き出しの中はごちゃごちゃと、ゴミ入れなのかガラクタ入れなのか分からないありさまだった。人は見かけによるな。あいつの部屋もこんな具合かもしれん。まあ、ご禁制の品とか出てこなくてよかったが。古新聞の束、新聞の切抜き、銘柄リストなんかが出てきた。
「これくらいあればなんとかなるでしょう。あとはカメラで随時監視します」
「少しは利益を出させてやってくれ。神人が暴れるとお前が苦労する」
「あなたも無理な注文ばかり言いますね」
ニコッと笑った古泉の目の縁がピクと痙攣したのを俺は見逃さなかった。
 
 それから二、三日はハルヒの奇声が連発していた。
「きゃーっ、また上がった!ちょっとキョン見て見て、新聞のとおりよ。このままいくとビルが建つわよ」
「そうかい」
お前が喜んでるせいで俺は拉致されたり暗闇で尋問されたりしてたんだがな。
 
 俺の冷ややかな眼差しもどこ吹く風、ハルヒはケタ違いの利益を上げていた。濡れ手に泡だが。ところが、四日目にしてツキが変わったようである。ハルヒが朝からクビをかしげている。
「あれれ、この株上がるはずなのになんで下がってんのかしら」
俺がモニタの陰に隠れてくっくっくと笑っているのに気がついていない。ハルヒの後ろの壁には画鋲兼超小型カメラが三つほど刺さっていて、モニタをじっと睨んでいた。そんなハルヒを見ている古泉は、眉毛を寄せて笑顔を作るという複雑な表情をしていた。
「まったく、どうなってんのよこの新聞。ちょっと信憑性低いんじゃないの」
そんなこたぁないさ、同じ情報でお前が負けるように操作してるんだからな。
 
 ハルヒが突然机につっぷして叫んだ。
「だあーっ、みんなごめん。二百万負けちゃった」
「ええっ!!」
俺は大げさに驚いてみせた。
「に、二百万って、お、お前、俺の給料の何か月分だよ」
「ごめんね。ほんとにごめんね。次で必ず取り返すから」
パチンコに通うおっさんの言い草だった。俺たちに向かって両手を合わせるハルヒは元気がなかったが、これも仕方あるまい。
 
 日を追うごとにハルヒが謝る回数が増えてきた。皆に向かって腰四十五度で頭を下げたり、両手を合わせて拝んだりしていた。そんなことがあるたびに、俺は昼飯代にしたら何日分か、ガソリンにしたら何リッターか、恵まれない子供が何人養えるか、十円チョコがいったいいくつ買えるかまで大仰に説明した。ハルヒはついに自分の給料はいらないとまで言い出した。
「なあハルヒ、そろそろ潮時なんじゃないのか?」
俺は得意の流し目で、萎れたハルヒを見た。
「そうね……」
トータルではたぶん電気代が払えるくらいプラスになっていたはずだが、ハルヒは為替やら先物取引やらに手を広げていて、もういくら勝っていくら負けているのか分かっていないようだった。
 
 次の日、ハルヒはもう画面をぼんやり眺めているだけだった。やややつれている気もする。もう売買はしてないようだ。
「ハルヒ、株はやめたのか?」
「ごめん……また五百万損切りした」
口を開くのもだるいようで、腕をだらりと下げて机に顔を押し付けていた。俺は古泉に向かって親指を立てた。古泉は苦笑していたが、やがて電話を取りボソボソと誰かに指示を出していた。そろそろ監視もやめるつもりだろう。
「涼宮さん、元気出して。まじめに働けばそれくらいすぐ取り返せるわ」
朝比奈さんがお茶を運んできた。
「ありがと、みくるちゃん。お茶……おいしいわ」
ハルヒがお茶をありがたがるなんて、相当凹んでるようだ。こころなしか目が潤んでいるようにも見える。
「みんな、調子に乗ってごめんね。今日で株やめるから。これ以上損したら、あたし食欲なくなる」
どうやら一件落着か。なんだか悪いことしたみたいな気になって、俺はハルヒから目をそらした。
 
 エレベーターホールの自販機でお茶を買おうと席を立ったところで、古泉に呼び出された。また男子トイレか。
「どうやら成功したようだな。世話焼かせてすまん」
「それはいいんですが、実は涼宮さんの利益を調整するために売買していたところ、手違いで数億円の利益が出てしまいまして」
な、なんだって!?そんな手違いで簡単に数億円が手に入るほど世の中に幸運が転がっているのか。
「機関では浮いた金をどうしたものか思案しているんです」
「慈善団体にでも寄付したらどうだ」
「それも考えたんですが、あいにく機関は表向き存在しないことになっていますから。数億円の寄付は裏金の類じゃないかと怪しまれますよ」
いまどきそんな奇矯で奇特なやつはいないだろうな。
「じゃあハルヒからのご祝儀ってことでもらっとけばいい」
「ほんとにいいんですか」
「気にするこたないさ。今までいろいろと助けてもらったんだ、それくらいの報酬は受け取っていいだろ」
「じゃあ幹部にそう伝えます」
「下手に動かすと怪しまれるから、少しずつ経費にまぜろ」
なんだかマフィアに金の洗濯をレクチャーしたみたいな気分だ。森さんや新川さんや多丸兄弟のボーナスに少しでも心づけができりゃ、インサイダーに荷担した俺の良心の痛みも少しは癒されるってもんだ。
 
 その日の帰り、長門のマンションに行くとあいつらの靴がなかった。変だと思って襖に手をかけると簡単に開いた。中は空っぽだった。
「消えちまったな。本当に未来に帰ったのかな、あいつら」
「……そう。十年待たずに帰った」
十年後の再会に何かを期待していたのか、長門は少し残念そうだった。
 俺(大)が残していった新聞の内容が変わっていた。トップ記事はハカセくんと長門とハルヒが三人揃ってノーベル科学賞を受賞するなどという、とんでもない未来のニュースだった。長門ならその功労を評価されてしかるべきだが、なんでハルヒまでが。それはともかく、ミジンコ並みの生命力で生きていたらしい谷口がインタビューに答えていた。
 
── 学生時代の涼宮氏と親しかったという谷口さん(33)によると「高校の頃、SOS団を作るようにと進めたのは実は私です。メンバーには逸材ばかりが揃っていましたね。人を惹きつける涼宮君のカリスマ性、長門君の天才的な科学知識、この世のものとは思えない朝比奈さんの美貌、あとはどうでもいいですが。選りすぐりの集団と言うべきでしょうか」という。
 
あのWAWAWA野郎、そのうち締めたる。
 
「労働者諸君、おっはよう!いいこと思いついたわ!」
翌朝、ハルヒがまたドアの寿命を短くする勢いで入ってきた。もうハイテンションに盛り返したのか。
「何言ってるの、あたしはいつでもハイテンションでハイボルテージよ」
「今度は何なんだ」
「競馬よ競馬!大穴を当てるわ」
ハルヒの手には派手な赤と青のスポーツ紙が握り締められていた。
 
暗転。
 



【仮説2】その1へ


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