【仮説4】その1
 
 
「ゼロポイント時間理論」

Illustration:どこここ



 
「ええっと、時間移動技術、秘密連絡会議。その第一回、だよな」
「そんな打ち合わせだったんですか。思ったより楽しそうだ」
楽しいのはお前だけだ古泉。俺たちはこのハルヒによる歴史崩壊の危機をどうやって切り抜けるかを話し合うためにここにいるんだからな。
 
 就業時間終了後、俺は宇宙人未来人超能力者の各代表を招集した。ハルヒがいよいよタイムマシン開発に乗り出すというので、あらかじめ話し合っておきたいことがあった。ハルヒが世界平和のためにタイムマシンを開発するとはとても思えん。朝比奈さんによれば、俺たちの歴史は決まったイベントをいくつもこなし続けて今現在の俺たちがいる。ひとつでもイベントが狂えばそこからの歴史は壊れてしまう。朝比奈さんはその歴史上の出来事を丁寧に保全して正しい流れを維持している。ところがハルヒときたら、そんなけな気な努力もおかまいなしに鼻の一吹きでぶっこわしてくれそうな勢いなのである。
 
 考えてもみてくれ。ハルヒが本当にタイムマシンを作っちまったらどうなるかを。あいつのことだ、競馬の勝敗をあらかじめ調べてボロ儲けしたり、過去に行って土地を買い占め地価が上がったところで売り飛ばしたり、戦国の武将に会って二十一世紀の武器を贈呈したり、好きな球団を優勝させるためにエコヒイキして事前に球を教えてみるなんてことをやってのけるに違いない。まあ俺はハルヒと同じ球団のファンなので困らないんだが。
 
 だからといって簡単には阻止できない。面と向かって反対しようものならその日から神人が猛威をふるい、閉鎖空間と現実世界が裏返り世界崩壊の危機に直面する。タイムマシンをおもちゃとして与えといたほうがまだよかったんじゃないかと、そのときになって思ってももう遅いのだ。裏工作して作らせないという方法もなくはないが、ハルヒの願望はただものじゃない、やると決めたら必ずやってのけるのだ。誰を巻き込もうがどんなむちゃをしようが。
「それほど悲観したものでもないと思いますよ」
「ほう、やけに楽観的じゃないか古泉」
俺は集まった三人の顔を見ながら古泉の意見とやらを聞いた。
「涼宮さんはあのように振舞われていますが、他方では非常に理性的な思想の持ち主です。意味もなく世界を崩壊に巻き込むようなお方ではありません」
またそれか。お前が言うあいつのエキセントリックさと理性の両面ってやつを信用したばかりに、今までさんざ振り回されて後始末に追われてたんだぞ。
 
「まあ、おっしゃることは分かります。あなたの心配が尽きないのも無理はないでしょう。会社設立前にも話したと思いますが、大学を出てからというもの涼宮さんの思念エネルギーは衰退の一途をたどっていました」
「めでたいことじゃないか」
「ですが涼宮さんにとって願望を実現するエネルギーは、彼女の生きる力そのものなのです。それが消えつつあったので僕は心配していました。個人的な意味で」
「ふつうに人生相談にでも乗ってやればよかったんだ」
「ええ、今思えばそうかもしれません。涼宮さんがそれなりに楽しめる生き方で、できるだけ穏便に思念エネルギーを縮退していくなら、機関にとっては理想の展開といえるでしょう。まさにそうなりつつあったわけです」
「ソフトランディングってやつだな」
「そうです。ときに、バイオリズムというのをご存知でしょうか」
「体内のエネルギーが周期的な波を描いてるあれのことだろ。運勢とか」
「そうです。涼宮さんの思念エネルギーのバイオリズムはずっと下り坂にありました。エネルギーというのは下るときにも勢いというのがあり、勢いを貯めつつある一定の基底状態に達するとそこからはもう登るだけになるという」
「ま、まさかこれから暴れるのか」
「そろそろ上昇に転じるような気配がしています。僕達はおそらく、短期的にしか涼宮さんを見ていなかったのではないかというのが、最近の調査で出た結論です」
 
「最近の閉鎖空間はどうなんだ?」
「あなたが会社設立をそそのかしてから毎晩です」
そう言ってのける古泉はニコニコ顔だった。最近妙にやつれてきたのはそれでか。
「さっきお前は悲観したものでもないと言ったよな」
「ええ。毎晩のように発生する閉鎖空間ですが、最近妙なことに気がつきました。性質が変わりつつあります」
「どんな風にだ」
「神人が踊ってます」
「は?」
「最初はビルを蹴飛ばしたり頭突きをしたり、一風変わった破壊行為だったんですが。最近ではステップを踏んで車を潰したり、後方宙返り二回ひねりしながら高速道路に突っ込み、成功するとガッツポーズさえ見せるようになりました」
「神人までが奇矯なまねをしだしたのか」
「実に鋭い、ポイントはそこです」
「え?」
「涼宮さんの奇矯な振る舞いをするエネルギーが閉鎖空間に漏れ出している、これが新しい発見なわけです」
どうもよく分からんのだが、そうなるとどういうことになるんだろうか。
 
「神人が建物を破壊するのは、今までは涼宮さんが現実世界でできない憂さ晴らしをするためでした。ところが閉鎖空間において目を見張るような華麗なブレイクダンスを披露するようになってしまった。演出にまで技巧を凝らし、三体の神人をシンクロさせて躍らせることすらできるようになっています」
「しばらく見ないうちにずいぶんと賑やかになっちまったんだな」
「これらのことから推論できることはひとつ、」
「なんだ」
「涼宮さんは閉鎖空間の発生を楽しんでいる」
ガーン!!……それってえらく超矛盾してないか。
「ええ、だから閉鎖空間の質が変化してきたと」
ハルヒのイライラで発生するはずの閉鎖空間と神人のはずが、本人が楽しんでいる、と。
「そうです。それが証拠に、空間半径は拡大しません。閉鎖空間に入り込んだ同志たちがじっと見物していても問題ないまでに安定しています。我々は壮大な野外ステージを見物するように神人を見ていました。観客は僕たちだけ、まさにスペクタクルショーです」
スペクタクルって言葉はそういう使い方もするのか?
 
「つまり涼宮さんが楽しんでいる間は、世界は崩壊することはない。奇矯エネルギーが閉鎖空間に持ち込まれることによって、現実世界の涼宮さんの奇矯さも多少は変化するだろうというのが僕の説です」
なるほど。なんだか納得しそうで納得できない複雑な理屈だが。
「涼宮さんがタイムマシンを作りたいのであれば、多少は付き合ってもいいんじゃないかと思いますよ」
それが言いたかっただけかよ。
「ご清聴ありがとうございました。本題をどうぞ」
「ああ。そうだった。朝比奈さん、長門、今の古泉の話はマクラだと思って聞き流してください」
「……分かった」
まじめにうなずいている長門に、朝比奈さんと古泉は苦笑していた。
 
「今日集まってもらったのはほかでもない、ハルヒが開発しようとしている時間移動技術の行く末を検討してどう対処するかなんだが。この中では朝比奈さんが俺たちの未来に詳しいので、まずご意見をうかがいたいのですが」
「わたしの未来とキョンくんたちの未来の事項が一致するかどうかは分からないけれど。前にも言ったとおり、わたしの歴史では涼宮さんは時間移動技術開発を起こした人で、直接関わっているわけではないんです」
「というと、どういう位置にいる人なんですか」古泉が質問した。
「わたしの所属する時間移動管理組織の創始者の支援者、といったことろかしら」
「差し支えなければ、その創始者っていうのは誰かうかがってもいいでしょうか」
「まだ生まれていません。ハカセくんは組織の研究者のひとりです」
「いつだったか俺が花壇で藤原とかいうやつに会ってメモリチップを受け取りましたよね。あれはその後どうなりました?」
「ええっと、まだハカセくんの手元には届いていませんよね。人手を経てそのうち送られてくると思います」
なるほど。そういうことだったのか。
「ということはつまり、涼宮さんの今の行動は既定事項からかなり外れているわけですか」
「外れている部分もあるし踏襲している部分もあります。わたしは外れている部分についての調査をしに来たんです」
「では、このまま涼宮さんがタイムマシンを完成させてしまったらどういう未来が予測されますか」
「分かりません。まずわたしの使っている時間移動技術が消えてしまうか、上書きされるか。涼宮さんがなにを考えているのか分からないから、まったく予測できないんです」
「問題は、これがハルヒの願望を実現する能力によって動いているというところですかね」
「そうね。それが行使されればどんな歴史も簡単に変わってしまうわ」
 
 予測できない事態。これが問題なのだ。ハルヒが気まぐれやら思いつきで事を起こすがために俺たちは、ただひたすら後始末に追われるだけなのだ。これを先手にまわる方法はないものか。
 しばらく無言で考えていると、それまで黙っていた長門が口を開いた。
「……阻止するより、先導したほうが予測できる」
なるほど。そういう考え方もあるか。
「つまりハルヒの行動をコントロールするということか」
「……そう。生み出されてから十年、わたしが導き出した結論」
さすがは長門、ついに悟りを開いたな。
 
「そうすると、僕たちでタイムマシンを作ってしまうということになりますか。そんなことが可能でしょうか」
「朝比奈さんのSTCだかTPDDだかはどうやって作るんです?」
「それは禁則中の禁則、絶対に教えてはいけないの」
そうだよな。未来人にタイムマシンの作り方を教わるなんて、俺もどうかしてる。
「長門、時間移動にはいくつか方法があるって言ってたな。使えそうなものはあるのか、時間凍結以外で」
朝比奈さんは三年間の時間凍結のことを思い出したらしく、頬をポッと染めた。
「……現在の科学技術レベルでは、無理」
それは困った。安全な方法で俺たちが、つまり長門が作ってくれれば監視もコントロールもできそうなのだが。
 
「ロナルドマレット博士の方法ではどうなんでしょうか。実験中だと聞いていますが」古泉がマメ知識を持ち出した。
「……あれは質量のあるものを送ることができないし、タイムマシン完成より以前には遡れない」
「そうでしたね」
「質問を変えてみよう。タイムマシンを作るのになにが必要なんだ?」
「……プランク長さの粒子を制御する技術、膨大なエネルギー」
「エネルギーってどれくらい?」
「……温度でいうと、十兆度」
さくっと十兆と言われても分からん。
「……ビックバンから一秒後の温度、超新星爆発の中心温度」
俺にはいまいちピンとこない数字だが、太陽の表面がだいたい六千度くらいらしいからぜんぜん桁が違うということだけは分かった。
 
「そんなエネルギー、宇宙のどっかにはあるのかもしれんが地球上じゃとても無理だな」
「……」
「どう考えても無理ですね。やはり涼宮さんのごり押しに引きずられてしまうしかないのでしょう。我々は、後始末に徹するだけ」
全員が黙り込んだ。唯一方法を知っている朝比奈さんは禁則事項を破ってまでは教えてくれないだろう。長門は人類の科学技術の進歩には介入しない立場だし。ハルヒが念じれば、時空の穴くらいは開けてしまえるかもしれないが、そんなことになったら過去から未来から情報やら人やらがなだれ込んできて、既定事項どころではなくなってしまうかもしれない。そうなったらいよいよ俺たちの手に負えなくなる。
 
 運命を受け入れるあきらめにも似た空気が部屋を漂う中、俺はふと浮かんだ疑問を口にした。
「なあ古泉、ハルヒの作る閉鎖空間って時間がズレてたりしないのか」
全員が俺の顔を見た。え、俺、顔になんかついてるか。
「……名案」
「僕もまったく気がつきませんでした。閉鎖空間とは機関が便宜上つけた名称、あれは涼宮さんが作ったエネルギーの泡と表現するほうが正しいでしょう」
「……あのエネルギーを取り出して、独立した時間フィールドを作ることはできるかもしれない」
古泉と長門がキラキラと尊敬の眼差しを俺に向けてきた。なんだか大西洋をイカダで漂流してて新大陸を発見したような気分だ。
 
「エネルギーの泡ってなんだ?」
「この宇宙が生まれるとき、最初は量子ゆらぎによって生じた泡のようなものだったのではないかという説があります」
「よく分かるように説明してくれ」
「量子論の世界では、なにもない真空の状態でも、エネルギーだけはゼロ付近でゆらいでいます。簡単にいうとプラスとマイナスの値の間を揺れている振り子のような状態です。これを量子ゆらぎと言いますが、この状態から宇宙の種と呼ばれる次元の泡が生まれます」
古泉がこういうネタになると饒舌になるのはなんでだろうな。
 
「宇宙の種?」
「ええ。僕たちには見えない小さな領域で頻繁に現れては消えていっている、部分的にエネルギーの集まった状態のことです」
「宇宙がそのへんでウヨウヨ沸いているってことか」
「極論を言えばそういうことですね」古泉が笑った。
「水の温度を上げていくと水蒸気の泡が立ちますが、あれに似ています。水の分子どうしが熱によって動き回り、互いに衝突して気体の小さな泡が生まれ大きく成長します。この宇宙の種も内部に次元構造を持つと泡のように膨らんで、ある臨界点を超えると本物の宇宙に成長します」
ということは、エネルギーゼロ付近でゆらゆらしている何かが、宇宙の種になってある大きさを超えると宇宙になっちまうってことか。
「そう簡単には成長できません。だから僕たちのいる宇宙は実にユニークな存在なんです」
「……通常、時空の泡は数プランク秒で消滅する」
「そうですね。涼宮さんはその泡の存在を維持できる、あるいは拡大する力を持っていると考えられますね」
「……そう」
「ハルヒの持っている、なにもないところから作り出す能力、ってやつか」
「そうです。正確に表現するなら、僕たちが無だと考えている状態は必ずしもゼロというわけではなくて、多少なりのエネルギーがゆらいで存在する。涼宮さんはそのゆらぎから生まれる泡を使って世界を構築できる」
俺には分からん世界だが、長門は納得したようだった。最初に会った頃、長門がハルヒのことを謎の存在だといっていたが、どうやらそのへんを解明するヒントになりそうだな。ついでに自律進化の可能性とやらも分かるといい。
 四人は円陣を組んだ。ここはひとつ、作戦を練って俺たちでタイムマシン開発を掌握するとしよう。
 
 次の日、ハルヒからミーティングの召集がかかった。
「みんな、時間移動技術会議よ。キョン、記念すべき第一回なんだから居眠りなんかしてたら減俸だからね」
「分かったから、さっさとはじめちまってくれ」
俺には懸念すべき第一回なんだがな。
 長門の仕込みで、ハカセくんにはハルヒを納得させられるだけのトンデモ科学っぽい時間移動理論を予習させてある。すまん、前途有望な若き科学者よ。完成してしまえば理論はあとからでもついてくる。のか?
「改めて紹介するわ。我らがホープ、物理学者の卵、ハカセくんよ」
俺たちはやけにリキを入れて猿みたいに拍手をした。
「す、涼宮姉さん、気が早すぎますよ。まだ理論も確立してませんから」
「大丈夫よ。新しい発明をするには通常の三倍のスピードで科学の先を行かないとね」
カーブを曲がりきれずに崖から飛んでいってしまいそうだが。
 
「ええと、現在の物理学ではほとんどの時間移動理論が実用化の目処が立っていません。ここはひとつ、新しい理論を生み出してみるのもいいかもしれません」
俺は長門を見たが、計画どおりという表情でハカセくんを見守っている。ハカセくんは誰も突っ込まないのを見て先を続けた。
「アメリカのキップソーン博士が、未来の人類は時空の泡をコントロールすることができるかもしれない、と言ったことがあるんですが、これにヒントを得まして時空の泡を使って時間移動ができないかと考えました」
「時空の泡?」
ハルヒが質問した。俺は一度聞いてるはずなんだが、理解の悪さに加えて高速で消える記憶のせいでほとんど覚えていない。
「時空の泡というのは、この宇宙が生まれたときに生じた、次元構造をもったエネルギーという説明でいいでしょうか」
ハカセくんは教師である長門に向かって聞いた。長門は黙ってうなずいた。
「どうやってその泡を作るの?」
「そのへんに存在しています。見えていないだけで、プランク長さという極々小さな単位の世界でたくさん生まれては消えています」
「それってマルチバースのこと?」
「そうですね。十のマイナス三十五乗という小さな世界では、時空の泡は無数に生まれているので、もしかしたら僕たちのいる世界の兄弟にあたる宇宙がいくつも存在しているのかもしれません」
「なるほどぅ」
なるほどぅじゃないよ。ほんとに分かってんのか。
 
「それで、このエネルギーの泡の中は別の世界になっていまして、僕たちのいる時間とは独立した時間軸が存在していると考えられます。図をご覧ください」
ハカセくんは宇宙空間を背景に浮いている太陽のような絵をパネルに貼った。
「このまわりを巡っている映画のフィルムのようなものが僕たちの時間です。それに対して、中心にある太陽のようなものが時空の泡の独立した時間です。この泡の中に入ってしまうと、僕たちのいるどの時間にも関係なく存在できます。つまり、僕たちのどの時間にも戻ってこれるわけです」
「その泡というのはブラックホールのように時間が停止しているんですか」古泉が尋ねた。
「止っているというよりはこの周りにあるフィルムとは関係なく存在している、ということになるかと思います。泡には泡の時間があります」
「なるほど」古泉はうなずいた。
「たとえば、太陽と地球を思い浮かべてください。地球には三百六十五日という公転と、二十四時間という自転の時間があります。太陽から地球を見ると、公転も自転の時間もその場で観察することができます。地球上にいる人は四季が巡るのを一年かけて待っていますが、太陽から見れば夏も冬も同時に観察できるわけです」
ハカセくんは息を吸ってまとめた。
「太陽の位置は地球時間に対してゼロです。この理論をゼロポイント時間理論と呼ぼうと思います」
おぉーうとハルヒが拍手をした。俺は相変わらず分かったような分からないような、こういう話になると眠気のほうが頭を占領してしまってなかなか理解に至らない。
 
「その泡って目に見える状態なのか?」
「泡は僕たちの次元の外にある特殊な次元です。こちらから見れば、空間内部に空いた球状の穴のように見えるでしょうね」
なるほどね。俺は閉鎖空間の壁に触れたときのぷにょぷにょした感触を思い出した。
「今日のところは以上でよろしいでしょうか。まだまだ勉強しないと皆さんの前で発表するのは難しいです」
「おつかれさま」
俺たちはうなずきながら再び拍手をした。これでミーティングは終わりかという様子でハルヒは腰を上げかけたのだが、古泉がハルヒに言った。
「社長、ここでひとつ事業の展望をお聞かせいただけないでしょうか」
「え、あたしが?」
「はい。タイムマシンでどのような事業展開をお考えかか、ご高説を伺いたいと存じます」
いつもなら、なに変なこと焚きつけてんだと心の声で古泉を睨むところなのだが、これは俺たちの描いたシナリオだった。
「そうねえ……」
「ここで一発、士気を上げるための演説を」
あんまり社長社長と持ち上げると後が怖いんだが。
 
「分かったわ。えー、あたしのタイムマシン開発は、まず歴史的に曖昧な事象の検証。純粋に考古学の学術的利用ね」
え、まじでそんなこと考えてんの?四人はぽかんとした顔をハルヒに向けた。
「なによ、あたしだって私利私欲を捨てて学問のために尽くすことだって考えるわよ」
「すばらしい。拝聴しておりますから続けてください」
「まず日本人のルーツはどこなのか。大陸から渡ってきたってのが定説だけど、あたしの先祖を類人猿かイブまでたどってみせるわ。それから大和創世の史実を裏付けることね。当時の文献ってほとんどないっていうじゃない、日本史の根底の部分が曖昧だなんてゆるされないことだわ」
ハルヒはいつから日本人の考古精神に目覚めたんだろう。
 
「自らのルーツを知らずして己を語れず、これがタイムマシン開発にかけるあたしのモットーよ」
「さすがは涼宮さん、科学は人類の進歩のためにある。利益追求時代に一石を投じる言葉ですね」
「すごいわぁ」朝比奈さんが軽くパチパチと手を叩いた。
「えへっ。でしょでしょ」
「凡人の俺なんかにはとても持てない思想だよな。俺たち、一生ハルヒについてくぞ」
「……ユニーク」
これが長門の最大の賛辞らしい。
「なんなのよあんたたち、急にいい子になっちゃって。褒めちぎってもなんにも出ないわよ」
とはいってもハルヒはまんざらじゃないようで、口を餃子の形に開けてのけ反りながらわははと笑っている。おだてられるのは気分がいいらしい。この分だとひょっとしたら役員報酬に色が付くかもしれない。
 俺たちは歯が浮くようなセリフをたらたらと述べ続け、たいがい胃が痛くなるほどハルヒを祭り上げた。古泉を見るとうなずいて親指を立てていたので、そろそろおべっか作戦は終わることにした。
 
 帰りがけ、どうしてもみんなに晩飯をおごるというハルヒに付き合って、俺たちはぞろぞろと飯屋に入った。いつもランチを食ってる店だが。機嫌を良くしたハルヒがビールで乾杯しようとしたのだが、俺はこれから運転があるのでウーロン茶でごまかした。こんなときに飲んでいては作戦遂行に差し支える。
「どうです、涼宮さんに真正面から反抗するストッパー役より精神的にずっと楽でしょう」
ハルヒと別れてから古泉が言った。
「浮いた歯が抜けそうだぜ」
「僕が長年このキャラを続けられているのも、あなたのように涼宮さんとエネルギーをぶつけ合わないからですよ」
長いものには巻かれろ的なだけだろ。余裕を見せる古泉の言い草にちょっとイライラした。まあ言うのはもっともなのだが。
 
 俺たちは閉鎖空間の発生に備えて待機することにした。俺は一度車を取りに自宅に戻り、それから長門のマンションへ行った。夜九時、古泉と朝比奈さんがマンションにやってきた。
「ほんとに閉鎖空間を切って持ち帰れるのか」
「……成功するかは分からない。空間が少しだけあればいい」
「少しってどれくらい?」
「……数ミリグラム程度」
俺たちがやろうとしているのはつまり、閉鎖空間が生まれたら速攻で突入して空間の一部をスプーンかしゃもじですくって持ち帰ろうという魂胆だ。なんせ閉鎖空間の有効利用など今まで誰も考えたことがなかったので、やれるかどうか長門にも確信がないらしい。
 
「それで、いつごろ発生するんだ?」
「僕には予測はできないんですが、あれだけ涼宮さんをおだてたのにおかしいですね。今日に限って発生しません」
「お前の説とやらが間違ってたんじゃないのか」
「どうでしょうか。涼宮さんは人から誉められるということがなかなかありませんから、なんらかのアクションの材料にはなるはずなのですが」
もっとも、閉鎖空間の発生を探知できるのは俺以外の三人で、特別な能力のない俺はこいつらの様子を見ているしかない。十一時をまわってもなにも起る様子がないので、今日は泊まっていけばいいと二人をうながした。
「まあ長門がいいと言えばだが」
俺は長門に向かって首を傾げてみた。
「……いい」
待機状態なのでビールは飲めないが、古泉がコンビニで買ってきたつまみをぽつぽつ口に放り込んでいた。
 
 ぼんやりと取りとめもない世間話をしつつ、時計の針が深夜0時をまわろうとしていた頃、古泉がガバと飛び起きた。
「閉鎖空間です」
そんな、正義のヒーローが変身するみたいにして歯をキラリンと光らせながら言わなくても。ひさびさにかっこいいところを見せられるというのではりきってるのか。俺はとりあえず車のキーを取って上着を着た。
「さて、出動しようか」
「わたしは閉鎖空間ははじめてなのでドキドキしてます」
意外にも朝比奈さんは閉鎖空間初体験らしい。もしかして長門もはじめてか。
 
 古泉のスペクタクルショーとやらを見物する気分で、朝比奈さんはポットにお茶とお菓子を用意していた。神人と死闘しなければならない古泉は苦笑していた。俺もどちらかといえば映画か芝居を見に行く気分なんだが。ああそうだ、いつかの約束通りビデオカメラで古泉を撮ってやらないと。
 
 古泉によると、閉鎖空間が発生した場所は俺たちの住む町からずっと東のほうらしい。
「時間が押しています、高速に乗ってください」
しょうがない。大枚はたいて高速道路を飛ばしてやるか。何の因果か、高校の頃に古泉に連れられて閉鎖空間に行ったそのときのルートをたどっている。
「俺が行ったときと同じ場所か」
「いえ、もう少し南のようです」
都市高速三号から十五号に乗り継ぎ、終点の出口で降りた。
「そのへんで止めてください」
俺はコンビニの駐車場に入れて止めた。
「どうやらこのへんが境界線のようです」
 
車のドアを開けると、一台のワゴン車が乗り入れてきた。
「古泉、用意できてる?」
「いつでも準備OKです」
後部座席のスライドドアが開いて、なつかしい顔ぶれが現れた。
「あれれ、森さんに新川さん、前にいるのは多丸さんですか。お久しぶりです」
歓迎されるのかと思っていたのだが、俺たちがいるのを見た森さんの反応は冷めていた。
「古泉、これはどういうこと?」
「実は別件で彼らも中に入ることになりまして」
「関係者以外は入れてはいけない規則です」
「ええ。ですが涼宮さんの行動をコントロールするために必要なことなんです」
「そう。ではお前の責任以下で処理しなさい。中でなにが起ろうと機関は責任を負えません」
「分かりました」
森さんの態度があまりに冷たいので俺がやめたほうがいいだろうかと考えていると、古泉が耳打ちした。
「すいません。業務上の建前なので」
機関にもいろいろとしがらみがあるのな。
 
 森さんはニコっと営業スマイルを見せて言った。
「みなさんお久しぶりです。空間内部では紛争地域並みの破壊が行われています。くれぐれもケガをしないように、絶対に迷子にならないようにしてください」
俺たちは遠足に来た小学生のように元気よくハーイと返事をした。あらかじめ森さんにツアーガイドを頼んでおけばよかったな。
 俺たちは車を降りて古泉についていった。長門は四角い水槽のようなものを抱えていた。前にも見たような気がする。もしかして重力子フィールドの箱?
「では空間に侵入します。みなさん手を繋いでください」
三人は古泉に連れられてゾロゾロと歩いた。傍から見れば、大の大人が仲良くお手手つないでいる様子はさぞかし異様な光景だったことだろう。
 
 目を閉じる必要はなかった。ゼリー状の水の中に入り込むような感覚で世界が変わったことを悟った。
「みなさまようこそ。閉鎖空間です」
ひさしぶりに見る灰色の天である。夜のはずなのだが、ぼんやりと空の膜が見える。
「それから、あれが話題の神人たちです」
朝比奈さんがわあぁと喜びの声を上げてあわてて口を押さえた。灰色の空間に青白く光る巨人が四体並んでいる。
「……美しい」
長門が青い光を呆然と眺めながら呟いた。もしかしたら見た目ではなくて科学的な測定数値を見ているのかもしれない。
「みなさん、ここからでは見えづらいですからビルの上に登りましょう」
古泉は俺たちをひっぱって、近くの雑居ビルらしい屋上へと連れて行った。前のときのようなデパートは近くにはなかった。
「現在この空間は直径が約三十キロです。完全な球体になっています。位相がまったく異なるため、外部との連絡はできません」
「すごいわ」
ツアーコンダクターの説明に朝比奈さんは感動しているようだった。
「あの神人たちは生きてるの?」
「ええ。もうすぐ始まるはずです」
ああそうだ、映像撮っとかないと。俺はカメラの電源を入れた。
 
 神人がゆらりと動いた。腰を伸ばし、細長い腕をゆっくりと持ち上げる。四体いるうちの一対が人差し指を突き出した。誰かの仕草に似てねえかこれ。差し出している指が三本になり、次の瞬間、何の合図すらなかったにもかかわらず神人たちが両腕を広げ、前に突き出し、全員が右に向いた。腕を胸のところに引っ込めては出し、引っ込めては繰り出す。完全にシンクロしている。
「すごいわねぇ。音楽が鳴ってたら最高なのに」
「この神人のダンスがどのような意味を持つのか、機関では未だに謎です。各方面の専門家に映像を見てもらったのですが、一説には涼宮さんの宇宙へ向けてのメッセージが含まれているのでないかと」
いや、俺にはなぜか脳裏に流れている音楽があった。なにかで見たことがある、このダンスは。
「これ、どう見てもアニメのオープニングだよな」
「え、そうだったんですか」
「お前テレビ見てないのか」
「ぜんぜん知りません」
「帰ってアニメチャンネルでも見てみろ。ってことはあれか、ハルヒが見てるアニメが再現されてんのか」
「そういうこと、ですかね?」
古泉は首をかしげていた。
 
 ともかく、目の前で繰り広げられているダンスのスケールもさることながら、足元で崩れていくビル、家屋、ぺしゃんこに踏み潰される車、地面から根っこごと引き抜いて投げられる木々の、この神人の持つ壮大なエネルギーには妙に感動した。むかし見た特撮ものでもここまでのリアリティは出せないだろう。カメラのファインダ越しに長門を見るとポリポリと煎餅を食って和んでいる。朝比奈さんはポットからお茶を注いですすっていた。
 音声の聞こえないアニメを見ているような感覚で、三十分ほど神人のパントマイムの芝居が続いた。
「ショーはそろそろ終焉です」
古泉が指差した方向を見ると、いくつもの赤い球が神人に向かって飛んでいった。
「ご覧ください、僕の同志たちです。ほかのより大きめの球が新川、あの動きが素早いのが森です」
初耳だ、人によってサイズやら速度が違うのか。
 
 赤い球は神人を切り刻み、穴を開けていった。
「では、僕も参加しなければ」
古泉は俺たちから数メートル離れると、旋風を巻き起こした。ぼんやりと赤く光る球体がゆっくり浮かび上がった。
「では行ってまいります」
「おう、ケガすんなよ」
古泉が敬礼したような気がしたが、よくは見えなかった。赤い球は一直線に青い神人へと飛んでゆき、腕に絡み付いて切り落とした。俺たちが見ているからか、それともテクニックが上達したのか分からないが、以前に見たときよりスピードが増しているような気がする。
「かっこいいわ……」
「……」
朝比奈さんと長門がうるうるした瞳で古泉の球を追いかけている。まあめったにない古泉の晴れ舞台だ。今日のところは譲ってやろう。
 
 真夏のホタルより派手に飛び交う赤い球が最後の神人を消し、古泉が戻ってきた。
「いかがでしたか。特撮にも勝る実にリアルなショーだったでしょう」
「全部撮ってやったぞ」俺は液晶ファインダの中の古泉に向かって言った。
「ありがとうございます。後世に残すいい映像になったと思います」
古泉はカメラ目線でガッツポーズを見せた。
「そろそろ舞台は閉幕です。最後にちょっとしたすごいものが見られますよ」
俺は一度見たから知ってるんだが、まあ黙っておこう。
 灰色の空間の天井が割れ、赤い光が差し込んできた。轟音とともに空間が壊れ、欠片が飛び散り元の空間が現れた。車の音、人の話し声、排気ガスの混じった生ぬるい風のにおい。俺たちの世界の空気が戻ってきた。
 
 長門は抱えてきたガラスケースをじっと見つめていた。中で何かが動いている。
「長門、それ何だ?」
「……異空間を一部閉じ込めた。位相無変換フィールド」
なるほど。そのケースのなかでぷよぷよした球体の鏡のように動いてるのは閉鎖空間のカケラか。いつだったかの文庫本のようにゆっくり自転している。
「目的は達したようですね。そろそろ帰りましょう」
俺たちはビルの屋上から降りた。朝比奈さんは映画を見たあとの感動冷めやらぬ様子で紅潮しているようだった。
 
 俺はコンビニの駐車場で森さんたちに呼びかけた。
「どうも、おつかれさまです」
「大丈夫でしたか?」
「ええ。遠くから見物させてもらいました」
「あまり一般には公開できないものなのですが」
「ええ。俺たちも仕事上必要な調査でして」
森さんは長門が抱えている箱の中身を凝視した。
「それは、まさか……」
「ええ、あの空間のサンプルです。物理学的見地から調べたいことがありまして」
なんてかっこいいことを言っているが、まさかタイムマシンを作るエネルギーにするとは言えなかった。
「持ち出したりして大丈夫なのでしょうか」
「大丈夫だと思います。長門の管理下ですから」
森さんはちょっとだけ考えて言った。
「あの、よろしければ後日、その調査結果というのをいただけないでしょうか」
「え、ええっと。長門、どうしよう」
「……いい。言語化して報告書を送る」
「ありがとうございます。守秘義務は守りますから」
俺はうなずいた。お互いいろいろと秘密で縛られた仕事してますからね。
 
 機関のほかのメンツにも挨拶をして、俺たちはその場を後にした。長門と朝比奈さんがじっとケースの中を見つめていた。この閉鎖空間のカケラ、いろんな意味で注目の的らしい。
 
「……買い物を、申請する」
長門が出社するなりハルヒに言った。
「え。なに買うの?」
「……加速器一台。そのほか測定機器数台。用途、時間移動技術の実験機材として」
「どれくらいするの?」
「……数千万」
「いいわよ」
おいおい、えらく気前がよくないか。電子レンジみたいな家電を買うのとはわけが違うんだぞ。
「副社長決済よ、あんたみたいな平とは待遇が違うの」
平で悪かったね平で。これっていじめだよな。
「よろしければ手配しましょうか。卸値で入手できるかもしれません」
「助かるわ古泉くん」
「おい古泉、加速器って受注生産の重機器だろう。流通で卸値なんてあんのか」
「僕の知り合いに医療機器を扱っている業者がいましてね」
ま、またそれか。どうせ機関のコネで裏で手をまわすんだろう。
 
 似たような展開が何度もあったような気がするのはさておき、手配師古泉の手腕で翌日早々に機材が搬入されてきた。ビルの前に何台もの重量トラックが止まり、ちょっとした渋滞を巻き起こしていた。すいませんねえ、社長の道楽のせいでご近所さんの交通を邪魔しまして。上から見ていると、ハルヒが交通安全と書いた赤い腕章をつけピリピリ笛を吹いて交通整理をしていた。な、なにやってんだあいつは。
 
 あんなでかい機材どこに置くんだと心配していたのだが、これまた偶然にもビルの二階が全フロア空き部屋になっていて、そこを実験室として借りることになった。
「よく部屋が空いてたな」
「今朝ビルのオーナーから空き部屋が出たけど使わないかと連絡がありましてね」
いくらなんでも出来すぎだろ。機関が財力にモノを言わせて追い出したに違いない。まったくハルヒのこととなったら恥も外聞もないんだからな。見透かすような視線を横目で古泉に送ってみたが、こいつはいっこうに動じずにっこり笑うだけだった。
 いったいどれくらいの規模の機材なのかと、古泉と連れ立って実験室に入ると、ヘルメットをかぶった工事の業者に危ないので出て行けと言われ、とっとと事務所に戻った。
「キョン、工事のおじさんの邪魔しちゃだめよ。小学生じゃないんだから」
「分かってるさ」
ってお前がのぞきに行こうとして注意されたのを俺は知っているんだが。
 
 長門が分厚いマニュアルらしきものを読んでいた。造船やら重機やらを扱っている日本のメーカーのロゴが入ってた。これって国産だったのか。
「高エネルギー研究は日本のお家芸ですよ。政府支援でやってるくらいですから、各国から注目を浴びています」
「そうだったのか。日本もなかなかやるな」
業者が親切なことに通電テストまでやってくれ、検品にうやうやしくサインをしたところで納品書を受け取った。これで煮て食おうが焼いて食おうが俺たちのもんってことだな。
「それはそうと、加速器の運転には放射線取扱主任技術者と電気主任技術者の資格がいりますが、どなたかお持ちですか」
「そんなもん持ってないぞ。俺ずっと文系だし。まさか朝比奈さん持ってないですよね」
「え、わたしは時間移動主任技術者しか持ってないです」
「長門は?」
「……すでに、取得済み」
ほんとに?また情報操作とかじゃないのか、と俺と古泉が疑いのまなざしを向けていると、長門はイライラと机からA4サイズの紙を取り出し、壁にガンガンと素手で釘付けにした。タイトルには放射線取扱主任技術者免状と書かれてあり、文部科学大臣の直筆サインもあった。どうやら本物らしい。すまん長門、そう怒るな。
 
 長門の主導でハカセくんの時間移動技術の実験がはじまった。
「これから第一回目の実験をはじめようかと思います。準備よろしいでしょうか」
「あ、待って待って。みくるちゃん、ちょっとこっちに来なさい」
「え、ま、まさか涼宮さん」
「そのまさかよ。今日という今日は着てもらうわ」
「いやだっていったのに……」
「みくるちゃん、これは趣味じゃなくて仕事なのよ。無病息災を願ってお祓いをしてちょうだい。さもないとタイムマシンが爆発するわ」
朝比奈さんのコスプレが見られるのは嬉しいんだがなハルヒ、あんまりぶっそうなことを言うな。お前がそういうことを口にするとなにかと災いが降ってくるんだ。
 
「じゃ、じゃあコスプレ手当てをくださいっ」
朝比奈さんが意を決したように給料の増額を申請した。いやぁ、世の中金だ、地獄の沙汰も金次第よ。
「いいわ。いくらほしいの?」
「ええと、……」
朝比奈さんはハルヒの耳元でごにょごにょ言っていた。
「それはちょっと高いわ。じゃ、これくらいでゴニョゴニョ」
「いいです。交渉成立ね」
世の中どんなことも金次第だと納得したのか、巫女衣装を身にまとって現れた。この神々しいお姿を拝見するのはずいぶんと久しぶりな気がする。毎日見られるならお賽銭を投げてもいいくらいだ。ハカセくんははじめて見るらしく、目を細めてハァとため息をついていた。
「すごくよくお似合いですよ、ウサギのお姉さん」
「あ、ありがとうハカセくん」
高校生のころのように顔を赤くする朝比奈さんであった。長門のほうを見ると自分が着るつもりでスタンバイしてたようで、ブラウスのボタンをいじっていた。
「それから有希、あんたにもちゃんと用意してあるわ」
「……分かった」
心なしか喜んでいるようである。
 朝比奈さんと長門がおそろいの巫女衣装で、ここだけ初詣かという華やかな空気が部屋を充たした。長門が玉ぐしを慎ましやかにふって、朝比奈さんが祝詞を述べた。
「て、天にまします我らが父よ~願わくば~」
朝比奈さん、それってなんか微妙にちがくない?
 
 巫女衣装を着替えることもなく、長門は実験に取り掛かった。実験室は二つの部屋に仕切られていて、片側にでかいドーナツ型の加速器と測定機器、もう片方はパソコンがずらりと並んだ制御ルームになっていた。
「……冷却パイプ、電源投入」
「スイッチ入れます」
ハカセくんが赤いキャップのついたトグルスイッチを倒した。パソコンのモニタに表示されている折れ線グラフがどんどん下がっていく。これは温度のモニタか。
「温度安定しつつあります。マイナス二百六十度付近です」
「……このまま、二百七十三度まで待つ」
「了解」
それから十五分くらいじっと数値を見つめていた。長門が口を開いた。
「……磁性体コア、稼動」
「電源入れます」
ブーンという唸るような振動が部屋全体に響いた。絶対零度の冷却パイプのせいか、部屋が寒い。
「……重イオンをリングに入射」
「イオン源、稼動します」
落雷を直下で聞いたことがあるだろうか。アンテナなんかに落雷すると、ピカッと光るのと同時にドンという振動が伝わる。あれと同じ音が建物全体に響いた。パラパラと天井から粉が落ちてきた。こりゃオーナーに怒られるぞ。
 
 ドンドンと低音の振動が数秒響き、やがて静かになった。
「今どういう状態なんだ?」
「……原子核を分解してプラズマを作っている。それを時空の泡に注入する」
なにげにすごいことやってんだな。長門はポケットからビー玉を取り出した。
「それ、もしかして昨日のあれか」
「……そう」やたらコンパクトになっちまってる。
「昨日のあれってなによ」
「あ、ああ。ええとなんだっけ」
「……高エネルギー加速器研究機構でもらってきた、時空の泡」
「へええ、そうなんだ。筑波のアレでしょ?すごいじゃない」
そんなもんくれるのかあそこは。ハカセくんが驚いて目を丸くしてるじゃないか。
 長門がビー玉を持って実験室に入っていった。監視用の窓からのぞいてみると、リングから脇に伸びた棺おけみたいな箱にビー玉を仕込んでいる。
「……プラズマ開放。照射開始」
席に戻った長門がキーボードにコマンドを打ち込んでEnterを押した。数秒間はなにも起こらなかった。
 
 そのときである。俺が異変に気が付いたのは、蛍光灯しかないはずの部屋の中が妙に赤く照らし出されてからだった。俺は赤い光の元を探してふりむいた。それは古泉の体から発していた。
「おい古泉、なにやってんだ!」
「ま、まさかこんなことが。力が開放されていきます!」
長門がエマージェンシーモードと叫ぶのと、実験室から銀色の風船のようなものが膨らんでくるのとが同時だった。朝比奈さんが真っ青になって口を抑え、ハルヒはなにごとかと慌てふためいていた。
 
 部屋の中の映像が足元から砕けるように落下してゆき、ちょうど栓を抜いた風呂の水のようにグルグルと回転しながらはるか下方へと吸い込まれていった。俺は大声で長門の名前を呼んだが自分の声すら聞こえず、全員の姿がゆがんで宇宙の深遠へと消えていった。俺はただ闇の中を、猛烈なスピードで落ちていった。
 
「キョンくん、大丈夫?」
呼ばれて気がつくと、朝比奈さんがそばに座っていた。俺はむくと起き上がって訊いた。
「あれ。朝比奈さん。ここはどこです?」
「それが分からないの。わたしも今気がついたところ」
俺と朝比奈さんはまわりをキョロキョロと見回した。どこかの田舎の草原らしい。畑のようなものがところどこに見える。ほかの四人はどこいっちまったんだろ。
 
 俺は立ち上がって土を払った。時計を見るとまだ一時過ぎだった。
「それにしても、ここ、どこなんでしょう」
「キョンくんの携帯ってGPS付いてるわよね?」
「ええ。めったに使いませんが」
携帯を開いてみたが圏外だった。見渡したところ中継アンテナも立ってそうにないな。
「衛星の電波が入ってきませんね、なんででしょう。それに圏外だから地図が読み込めないんで使えそうにないです」
「そう……」
朝比奈さんがやけに元気がない。ないというより顔色が悪い。
「どうかしましたか、具合でも悪いですか」
「いいえ。キョンくん、驚かないで聞いて。実はTPDDが壊れてしまったみたいなの」
ええっ、とは言わなかった。驚いたことは驚いたんだが、それが壊れたら困るのはむしろ朝比奈さんだろう。未来に帰れなくなるよな。
「そんな。朝比奈さんの時代に帰れないじゃないですか。壊れるって前みたいに自分に盗まれたとか、そういう?」
「いいえ。ここにあるのは分かるの」
朝比奈さんは自分のこめかみを指した。
「あるんだけど機能しないの。さっきの実験で赤い光が見えた瞬間に壊れちゃったみたい」
「修理できないんですか」
「わたしには無理ね。一度未来に戻らないと」
タイムマシンを修理するにはタイムマシンが必要、でもそのタイムマシンが壊れているというこのジレンマ。だがまあ、長門ならなんとかなるかもしれない。
「とりあえずほかの四人を探しましょう。そのTPDDも長門ならなんとかできるでしょう」
「そうね。ここがどこなのか誰かに聞いてみましょう」
 
 目を凝らすと遠くに、というよりほとんど地平線のかなたに民家らしきものが見えた。そこに向けて人が歩いた細い道が走っている。俺と朝比奈さんはとぼとぼと無言でそっちに向かって歩いた。
 
 それにしても、見渡す限りの草原だった。こんな平野が日本のどこかにあったなんてちょっと想像に難い。空気も澄んでいて、車の音もしない。たまに遠くで鳥の鳴き声が聞こえるくらいだ。
「いい景色ね」
「そうですね」
「今度みんなでお弁当持って来たいわね」
それもいいですね、と言いかけたところで、民家の様子がふつうと違うことに気が付いた。テレビのアンテナがない。電柱がない。屋根瓦がない。どうも農家の小屋のように見えるが。
「よっぽどの過疎地なんでしょうね。家が一軒もないなんて」
「キョンくん、あれは家みたい。人がいるわ」
家の造りは草葺というか藁葺きというか、やけに古風だ。北陸とかにある合掌造りっぽいな。なんだろう、都会を流れる一級河川の河川敷に住んでるホームレスみたいなもんだろうか。
 
 即効で世界遺産か重要文化財に指定されそうな勢いの草葺屋根の家が数件連なっていた。集落のまわりに石が積んであって小さな垣根になっている。子供らしい人影がじっとこっちを見ていたが、やがて走り去っていった。
「なんでしょう。それにしても変な家並みですね。もしかして遺跡かなんかでしょうか」
「なんでしょう……?」
俺と朝比奈さんの頭にはハテナマークが飛んでいた。
 
 子供が走りこんだ小屋の中から、その子の親らしき顔がひょいと覗いた。またひょいと引っ込んで、今度は大柄なおっさんが……おっさん!?なんてかっこしてんだ!!Tシャツ一枚に腰ミノ一枚って。せめてズボンくらいは履いて……ドタドタとこっちに向かって走ってくる。
「あ、朝比奈さん、なんか変なのが走ってきますよ」
「ど、どうしましょう。襲われたりするでしょうか」
大男がすごい形相をして、長い棒のようなものをブンブン振り回してこっちに向かってきた。や、槍ですかそれ。こういうときは俺は男として朝比奈さんを守らなければ、
「に、逃げましょう朝比奈さん!!」
「はいっ!」
忘れていた。朝比奈さんは裾の長い巫女衣装だったんだ。俺が裾を踏んづけるのと二人が転ぶのが同時だった。起き上がって後ろを見ると、むんずと胸倉をつかまれた。というよりネクタイをつかまれた。
「く、くるしい放せ」
「なにやつ、どこから参ったのであるか」
な、なにその話し方。
「ええと、北口駅から参ったのである」
「北口駅とはどこぞ」
「北口は、北口である。南でも西でもない」
北口駅を知らないなんてかなり遠くに来ちまったな。困った。
 
 大男が朝比奈さんをじろりと見て、
「そっちのおなごは連れか」
「さよう、連れにございます。そのお方を放してたもれ」
どこで習ったのかしらんが朝比奈さんが歴史的方言で答えた。
「そうはいかん。エミシの間者やもしれぬでな」
エミシ?誰それ。大男は獲物を引いて帰る猟師のように俺のネクタイを引っ張った。
「きりきり歩けい」
朝比奈さんは小さくなって俺と大男の後を歩いてきた。垣の中に入ると人が集まってきた。えらくクラッシックなファッションだなと思っていると、皆おっさんと同じ格好をしている。おっさんが着ているTシャツだと思っていたのは、昔教科書で見た卑弥呼が出てくるような弥生時代か縄文時代だったか、あのイラストに描いてあったような一枚布の衣だった。腰ミノはステテコの短いやつみたいな。ヘアスタイルは耳のところで丸く結んでいるが、俺の稚拙な表現力で説明するなら、イメージにいちばん近いのはレイア姫だろう。
 
 見回したところ十軒くらいは小屋がありそうだ。茶碗を逆さまにして地面に伏せたような、って、これは縦穴式住居じゃないか。煙が立ってるところを見ると、どう考えても遺跡じゃない。
 俺と朝比奈さんは竹で作られた檻みたいな小屋に押し込まれた。なんか家畜の糞の匂いがするぞ。
「お前たち、しばしここにいろ。役人を呼んで参る」
あの、できれば逃がしてくれませんか。こっちには宇宙人未来人超能力者がいるんです。怒らせないほうが身のためですよぅ……とほほ、俺って役立たずだ。
「キョンくん、どうしましょう」
「まったく、どうすればいいんでしょうね……。あの、たぶん問題なのはここがどこかじゃなくて、いつかですよね」
「わたしもそれを考えていたんだけど、ここって縄文時代か弥生時代か、あのへんかしら」
俺もそのへんの歴史は曖昧にしか覚えてなくて、ええと、仏教伝来お寺にご参拝、より前は分かりません。
 竹の柵を握って外の様子をうかがっていると、ガヤガヤと人が集まってきた。村の住民らしい。俺と朝比奈さんは囚われの身にもかかわらず、にっこり笑って手をふってやった。子供が何人か手を振り返してきた。くそう、あいつら俺を見て笑いやがったな。動物園の猿の気持ちが分かる気がする。
 
 そのうちに人だかりが急に静かになり、さっきのおっさんが戻ってきた。何人か人を連れてきている。これまた、なんて格好だ。腰に下げてるのは剣?鉄の鎧ですかそれ、なにその半キャップみたいなヘルメット、プッ。笑っちゃ悪いよな、ここは弥生時代かそこらへんなんだ。
「おい、連れ出せ」
「は、はい」
役人らしいやつが命令した。見たところ小さい割にはおっさんより偉い人らしい。竹の柵を開けて俺のネクタイを引っ張った。この檻、その気になりゃ壊せたんだ。何やってんだ俺。
「名はなんと申す。どこから参った」
「ええと、」
キョンですと言おうとして俺が口篭もっていると、役人が朝比奈さんを見て目をまん丸に見開いた。
「こ、これはっナカツヒメ様!!」
そう叫んで朝比奈さんの足元に額をこすりつけた。
「お役人さま、どうなすったんで」
「バカモノ!!こちらにおわすお方は◆※△〓∈●!!」
役人がなにごとかわめき散らしておっさんをぶん殴った。あれ、なんかデジャヴを感じるんだが気のせいか。
「ナカツヒメ様。下々の者がご無礼を働きまして、平に平にご容赦を」
「あ、いえ、無礼とは思っておりませんが……」
「ともかくこちらへ。貴人を檻に閉じ込めるなどもってのほか」
二人が連れ出されると村の住民が全員ひれ伏していた。おっさんもガタガタ震えて頭を下げていた。
 
 お役人とやらが膝をついて言った。
「ただいまミコシを呼びます、しばしお待ちを」
「ええっと、かたじけのうございます」
朝比奈さんがちょっと考えて古語風に喋った。
「そちらのお方は従者でございますか」
役人が俺のほうを見て言った。
「これは、よ、余の息子である。無礼があってはならぬ」
「ええっ」朝比奈さん、俺っていつからあなたの養子になったんですか。
「これはミコ様でいらっしゃいましたか。存ぜぬこととはいえ、重ね重ねご無礼の段、おゆるしを」
「う、うむ。大儀である」
大儀がなんなのか知らんが、なんとなく偉そうにしておいた。え、俺もミコ様?
 
 朝比奈さんが耳元で囁いた。
「この人たち、どうして頭を下げているんでしょう」
「その巫女衣装のせいじゃないですか。巫女さんって神様に使える人だから、きっとこの時代じゃ王様並みに偉いんですよ」
「そ、そうかしら」
朝比奈さんはポッと頬を染めて、巫女コスプレの思いがけない威力に感動したようだった。役に立ったじゃないですか。俺も帰ったら平安貴族コスプレでもするかな。
 
 ミコシとやらが来たが、足が横に生えたコタツみたいなものが二つ俺たちの前に置かれた。
「これ、なんですか」
「御輿にございます。お乗りください」
なるほど、偉い人が乗るやつね。祭りのお神輿の語源はこれか。俺は靴を両手に持って御輿に座った。四人の従者が前と後ろで肩の上に抱え上げ、重そうにそろそろと歩いた。進むとかなり揺れたが、手で支えられるようにまわりに柵がついていた。まったり牛車とかのほうが楽そうだが、車輪とかはまだないのかもな。
「ナカツヒメ様、いずこへ向かわれますか」
「ええと」
朝比奈さんはどう言えばいいの、という感じで俺を見た。
「おい、ここは誰の土地か」
「はっ。この一帯はオキナガタラシヒメ様の地所にございます」
「じゃあその人のところにやってくれ」
「かしこまりましてございます」
ミタラシだかキナガシだか知らんが、とりあえずこの辺でいちばん偉いやつのところにでもやっかいになろう。なんせ朝比奈さんは巫女だからな。悪い待遇はしないだろう。
 役人を先頭に、長い行列ができた。朝比奈さんの乗った御輿、その後ろに俺の御輿が続いた。
 
 眠くなりそうな午後の日の下で行列はゆるゆると歩き続け、小一時間してお屋敷らしいものが見えてきた。草葺屋根はさっきの小屋と変わらなかったが、農村の地主風の大きな家という感じのものがいくつか並んでいた。そのまわりを低い塀で囲ってあり、さらに外側には三メートルくらいの堀があって水が流れている。船が浮いているところを見ると近くに川か海があるようだ。
 
 堀の上にかかった橋を渡って門の前に着くと、先頭を歩いていた役人が突然大声で叫び始めた。
「ナカツヒメノミコト様ご来朝。オキナガタラシヒメノミコト様にお目通り願いたい、願いたい」
江戸時代のドラマに出てくるようなでかいお屋敷ではなく、こじんまりした門だった。門番は分かっているというふうにくぐり戸を開けた。役人の口上があまりにかっこよかったので、登場を知らせるラッパでも鳴り響くのかと思ったが塀の中は静かだった。
 
 御輿から降りて靴を履いたが、屋敷の中には案内されなかった。縁側らしきところに数人いるが目を合わせようとせずじっと気をつけをしている。役人と似たような剣を腰から下げているが、衛兵なのかもしれない。そっちの剣ほうが豪華な飾りがついていて高そうだが、偉い人なのか。こいつらの着てる服は昔の中国のドラマかなんかで見た覚えがあるんだが、三国志だったか、なんとなくあれに似ている。
 役人がこそこそと俺のそばに近寄って耳打ちした。
「ミコ様、ミコ様……、御前ですぞ」
振り返ると従者が全員地面にひれ伏していた。俺たち客人なのに、ここにいる人はよっぽど偉い人なんだろうな。俺と朝比奈さんは砂利が敷かれた地面の、一段高くなったところにひざまずいた。
「あれれ~、ナカツヒメにオオサザキではないか。申してくれればよかったのに、来るなら迎えを出したさぁ」
どっかで聞いたような声だな、と俺はゆっくりと顔を上げた。その声の主を見て、こいつは驚いた。
「え、つ、鶴屋さ……」
朝比奈さんが目を丸くしていた。
「さんではないですよね……」
「なんと申した?ツルヤ?誰じゃなそれは」
ここで、「あれれキョンくん、お使いだったのかい」などと言われても不自然ではなかっただろう。鶴屋さんにしては歳を取りすぎているが、そのイントネーションと立ち振る舞い、それからちょっとだけ覗いているかわいい八重歯、どう見ても鶴屋さんなんですが。
「し、失礼しました、ええとオキナガ……様。ごきげん麗しう」朝比奈さんが再び頭を下げた。
「お主も息災でなによりである。オオサザキも元気そうじゃの」
「あ、はい。オキナガ様も変わらずおきれいで」
「あははっ。余はお主の祖母ではないか、お世辞は抜きでなっ」
ええっ、あなた俺のおばあちゃんなんですか。今日は朝比奈さんがおふくろになったり鶴屋さんがおばあちゃんになったり忙しい日だな。
 
「それにしてもナカツヒメはともかく、オオサザキはけったいな衣をまとっておるの。近頃は百済でそういうのが流行っておるのかの」
鶴屋さんに見えるこのおばあちゃんは俺の背広とネクタイを指して言った。いくらなんでもこれじゃ時代錯誤しすぎだな。
「えっと、実はインドから仕入れまして。オキナガ様にもお目にかけようかと」
「ほぅ。インドとはいづこかの」
この時代はインドって言わないのか。
「て、天竺です」
「ほーぅ。天竺?……天竺のう。それはどこかの」
困った、天竺とも言わないのか。
「ええと、百済のずっと南の西です」
「というと呉かの」
呉、呉ってえと中国だよな。
「さらにまだ南ですね」
「さようか。お主の舶来好きは聞いておる。そのうち余にも見せてたもれ」
「はい。是非に」
 
「して、何用かな。聞けば、二人して野っ原をさまようておったそうではないか。なにごとかの」
鶴屋さんは昔の中国の貴族が着るような衣装を着て、金細工の冠を被っていた。あきらかにそのへんのやつらとは身分が違う。巫女どころではなさそうだ。
 どう説明したものか、俺と朝比奈さんは顔を見合わせた。
「どうした、なにがあったのか。これ二人とも黙るでない」
朝比奈さんが口を開いた。
「じ、実はTP……、ふ、船が故障しまして、それで方々をさまようておったのであります」
嘘をつけない朝比奈さんがなんとか説明しようとしていたが、まあそれもあながち嘘ではない。時航機は時間を旅する船みたいなもんだからな。
「なんと。それで船は無事であったか」
「沈んでしまいました」
「従者はどうした」
「乗っていたのはわたしと息子の二人でした」
「そうかそうか。無事でなによりである。館でゆっくり休まれよ」
「おありがとうございます」
二人して頭を下げた。やれやれ、やっと一休みする場所にありついたな。
 
 鶴屋さんが裾の長い衣装を引きずって奥へ引っ込み、ここでやっと屋敷の中へ通された。中はかなり広かったが、ずっと板張りだった。畳はまだ使われていないらしい。廊下を歩きながら朝比奈さんとヒソヒソ話した。
「キョンくん、どうして鶴屋さんがこんなところにいるんでしょう?」
「あれは鶴屋さんじゃなさそうですが」
「ええ。でもすごく、似てますよね」
「それより、あの鶴屋さんはどうして俺たちのこと知ってたんでしょう」
「さあ……」
「朝比奈さんってこの時代に来たことあります?」
「いいえ。七夕より過去には遡れないはずなの」
そういえば前にもそういう話をしてたな。ハルヒが作った時空の歪みのせいで過去には行けないとか。TPDDが壊れてしまった今ではそれも確かめようがないな。え、ってことは俺も帰れないってことじゃないか!さっさと気づけよ俺。
「もしかしたらここ、平行世界じゃないですか」
「分かりません……。もしそうだとしてもTPDDは使えないわ」
「どこかに長門がいればいいんですが。あとの三人もどこかにいるかもしれませんし」
「そうね。とりあえず長門さんを探しましょうか」
「この鶴屋さんも本人と変わらず親切そうだし、とりあえず世話になりましょう」
他人の空似なのか、俺たちの知る鶴屋さんに由縁のある人なのかは分からなかったが。
 
 案内されたのは朝比奈さんとは別の部屋だった。偉い人でも男女は別とみえる。ひんやりと冷たい板張りに壁は土壁と木の板だった。ガラスはもちろん、障子もまだないようだ。四角い長コタツみたいなのは寝床?布は敷いてあるがこれまた板張りだった。とりあえず横になってみたが、こりゃ腰が痛くなりそうだ。
 
 夕方になって侍女か召使らしき女の人が呼びに来た。
「あの、ミコ様、宴の支度ができました」
「宴ですか。すいません、男用の服を借りれませんか」
鶴屋さんとはいえ、さすがにこの汚れたスーツじゃ失礼だろう。女の人は今すぐお持ちいたします、と言って引き下がった。それにしてもミコ様ミコ様って、まさか巫女衣装を持ってきたりせんだろな。俺にはコスプレの趣味はないんだが。
「ミコ様、お召し物でございます」
「あ、ああどうも」
持ってきてくれたのは巫女衣装ではなくて、やっぱり古代中華風の絹の服だった。カラゴロモとかいったっけこれ。聖徳太子が着てるようなのはないのか。着付けが分からないので手伝ってもらった。どうやら冠も被らなくてはならないらしい。重いけどこれは聖徳太子っぽいな。被るというより頭に乗せてるって感じだが。
「あの、いつ頃からこういう格好をしてるんですか」
「これはオキナガタラシヒメ様が百済よりお持ち帰りあそばせたものにございますが」
なるほど。大陸から伝わったコスプレか。
 
 晩飯の宴会に呼ばれる前に朝比奈さんの部屋を訪ねた。
「あら、すっごく似合うわキョンくん」
「そうですか、ありがとうございます」
「前から思ってたんだけど、キョンくんって貴族顔よね」
なんですかその貴族顔って。眉毛剃ったりお歯黒塗ったりはしませんけど俺。
「なんとなく都の人って感じがするの。烏帽子かぶって蹴鞠とかしてそうだし」
「してませんしてません」
二人で連れ立って広い部屋に案内された。いちおう俺は息子って設定らしいんで、朝比奈さんを先に歩かせた。
 晩飯にしてはやけに早いなと思ったが、そういえば電気のなかった時代、特に油とかロウソクが貴重だった時代は日が暮れる前に晩飯を食うのらしい。なにかで読んだ。
 
「いよぅ、ナカツっちにオオサザキ、よう来た。皆の衆、主賓が参ったぞい」
長い長いダイニングテーブルについている鶴屋さん、すでに出来上がってるようである。
「オキナガ様、皆様、どうもお招き賜りまして」
「固いことは申すな、さあ呑ま呑ま」
俺と朝比奈さんが深々と腰を曲げて挨拶をしようとすると鶴屋さんが手を振って座らせた。テーブルには家来らしい人たちが座っている。二人は鶴屋さんの両隣に座らせられた。いいのかこんな手厚い招待受けて。
「さあ、召せ、呑め」
目の前に素焼きのでかい皿が置かれ、それは皿じゃなくて杯だったのだが、白いにごり酒が並々と注がれた。
「こ、これを呑めと」
「なんとぅ、男が呑めなくてなんとする。それイッキに」
「は、はあ」
しょうがないので皿を抱えてチビチビと飲み始めた。溺れるカエルみたいに途中で息継ぎしながらコクコクと、飲み干すのに数分かかった。
「いよっ」
全員がチャッチャッチャと三回手拍子をした。そういう慣わしなんですか。
「うまい酒ですね」
「そうであろうそうであろう。余が特別に仕込んだ酒であるからの」
そうは言ったが、ただのお世辞だ。だいたい俺は酒に弱いし、味もいまいち分からん。米で作ったにごり酒らしくアルコール度が低く、やや甘くて飲みやすい気はする。
 
 イッキで思い出した。
「オキナガ様、お尋ねしたいことがございます」
「固いことは申すなと言うに。かような席ではおばあちゃんと呼べ」
「では、おばあさま」
「なんだいオオサザキ」
「実は人を探していまして」
「ほう、それでさまようておったのか。して、誰を探しておる」
「男が二人、女が二人。男のほうはたぶん俺と同じような格好をしていると思います。女のほうも異国の服を着てまして」
「最近は異国の衣が流行っておるのかの」
「いえ、そいつら異国から来たので、もしかして迷子になってるんじゃないかと」
「さようか。これ、左大臣」
大臣と呼ばれた爺さんがそばに寄った。
「オオサザキ、その御仁の名はなんと申すか」
「男は古泉、女は涼宮、長門と言います」ハカセくんの苗字は分からなかった。
「ということである。大臣、探してたもれ」
爺さんはかしこまりました、と頭を下げて出て行った。鶴屋さんの家臣もたいへんだな。
 
 箸はないのかと皿のまわりを探してみたが、驚いたことに全員手づかみで食っている。そうか、箸はまだないのか。俺も見よう見まねで二本の指と親指を重ねて、つまみを食うようにして飯を食った。まあ郷に入りては郷に従えというしな。
 宴に用意された料理は魚がメインだった。米の飯が盛られていたが、やけに色が濃い。もしかしたら玄米とか胚芽米に近いのかもしれん。煮た魚に焼いた魚、さすがに刺身はなさそうだが、ひと口食ってみると味付けが薄い……。
「オオサザキ、口にあわぬか」
「い、いえ。醤油があればなー、なんて」
「ショウユとはいかようなものか」
「え、醤油ないんですか。醤油というのはなんというか、」
朝比奈さんを見たがなんとも困った表情をしている。ここで醤油について語ると醤油の発生過程で既定事項に反するんだろうか。ややこしい。
「醤油というのは呉の調味料みたいなもんでして、魚にかけて食うとうまいんです」
「さようか。ヒシオならあるがどうじゃな」
ヒシオとやらを試してみたが、なるほど、ちょっと塩辛いがいい味だ。醤油の先祖っぽいな。
「オオサザキ、これを召してみよ」
「なんですかこれ」
茶色っぽい、プニプニした餅みたいな石膏のかたまりみたいな、ちょっと酸っぱそうな匂いがする。切ってみると中は黄色っぽい。少し塩味が効いていて、ビールに合いそうだ。
「変わった味ですね」
「余の編み出した、ヤギの乳を固めて煙で燻したものである。これがまたうまいっ」
鶴屋さんは茶色いかたまりを口に放り込んで、にごり酒をごくごくと煽った。これ、どう見てもスモークチーズだよな。
 
「ときに、オオサザキ」
「なんでございましょう」
「そちの腕輪、妙な形をしておるの。ちょいと見せてみよ」
うわ、まずった。腕時計したまんまだった。
「あの、これはそのう、妻の形見でして」
「お主、まだ妃は持っておらんだろう」
「え、あの、そうですが、これからもらう予定で」
ああっ、バンド外されて無理やり抜き取られてしまった。
「ふーん、自ら動いておるようだが。これはいったい何であるか」
鶴屋さんは腕時計に耳を当てたり眺めたりしていた。この時代に機械仕掛けで動くものってないだろう。
「そ、それは呉からの舶来でして」
「これに書かれておる文字は何ぞ」
「その文字はずっと西国の文字でして」
「何に使うのじゃ?」
「ええと、それは実は時を計るもの……です」
「な、なんと!これが時計であるか。余をからかうでない、時計とは箱に水を入れて計るものであろう。水時計ならうちにもある」
「西国ではこれを腕時計、と申します」
「ほほーぅ。異国の時計はかように小さきものなのか。鉄の精錬もさることながら、この氷のように透き通っておるのは何ぞ」
それはガラスといってですね、と言いかけたがまずい展開だ。未来のテクノロジーをここで披露してしまっては、たぶんあとで困ったことになる。朝比奈さんを見ると顔に縦線が入ったように青くなっていた。既定事項を破ってる気がする。
 
 鶴屋さんはほほーうを連発し、腕時計に見入っていた。くるりと裏返して声を上げた。
「オオサザキ、ここに日本製と書いておるぞ。そこで作られたという意味であろう」
うわあ、これはまずい。絶対にまずすぎる。これが日本で作られるのはもしかしたら二千年くらい先の話なのだが。
「して、ニホンとはいずこよ?」
え、ここって日本って言わないんですかね。
「ニホンというのはええと、その天竺より遠い西の国のことです」
「さようか。にしても、オオサザキは異国のことばかりで、少しは大和のまつりごとにも関心してもらいたいものよの」
鶴屋さんの愚痴っぽい喋りに、家臣がまったくだというように笑った。
「オオサザキ、ひとつワガママを申してよいか」
「なんでしょうおばあさま」
「この腕輪、余に贈ってたもれ」
え……。それは困った。これがもし後世に伝わるようなことがあったらえらいことになるぞ。二千年前の遺跡からオーパーツが出土、なぜか国産の腕時計。
「それは男用でして、女性がすると動かなくなるんでございます」
「またまた、かような嘘を。百済で鑑を欲したが、似たような話を聞かされて騙されるところであった。男用の鑑には女は映らぬとな」
誰だそんな嘘を教えたのは。
「では、余の土地と引き換えにではどうか」
時計と引き換えに不動産ですか。どう見ても価値に開きがありすぎる。
「おばあさま、差し上げますよ」
「よ、よいのか」
「ええ、この宴のお礼です」
「さようかさようか。これは嬉しい」
鶴屋さんは腕時計を愛でるようになでていた。
「これは自動巻きなんでときどき振ってやってください」
「ジドウマキ?振るのか、こうか、こうでよいか」
鶴屋さんは腕を肩のところからぶんぶんと振り回した。俺と朝比奈さんは苦笑しつつ、そうそうとうなずいた。男物の腕時計をはめて腕を振り回す鶴屋さんを見かけるようになるのは、それからのことである。
 



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