【仮説5】その2


「キングハルヒ」 

「クィーン長門」 

「ジャックキョン」 

「ジャック古泉」 
Illustration:どこここ 


 
 外を見ると、森を抜けて平地を走っていた。見渡す限りの大雪原だった。ゆるいカーブを描いて盛り上がった白い大地の上に、葉が落ちて裸になった木々が針のように伸びていた。うす曇りの天から舞い降りた雪がどんどん後ろに流れていく。
「なあ長門」
「……なに」
「古泉が言ってたことがあるんだが、この世界って誰かが見ている夢みたいなものかもしれんな」
「……」
 
 俺たちの乗った列車は、いくつかの丘を越え、いくつかの鉄橋を越え、それからいくつかのトンネルを抜けた。毛布一枚を分け合う俺たちは互いの体温をいとしいばかりに感じあい、うとうとと眠りについた。列車の心地よい揺れに合わせて、夢の中の俺も揺れた。俺たちいったいどこまで行くんだろう。ずっと二人でいられるんだろうか。それとも、たいていの男と女がするように心変わりするんだろうか。居眠りしながらこんなふうに未来を案じたことを、二人でしみじみと話す日が来るんだろうか。
 この列車がたどり着く先に、もしかしたら未来の俺たちがいるのかもしれない。長門は相変わらず本を読んでいて、その隣でうたたねしている俺がいるのかもしれない。ときどき聞こえてくる汽笛の音に目を覚まされつつ、ぼんやりと二人の行く末を考えていた。
 
「……起きて」
どれくらい眠っていたのだろう、長門の声で目が覚めた。列車の揺れもレールのきしみも止まっていた。
「着いたのか」
「……そう」
ここはいったいどこだろう。窓の外を見たが、あいかわらずの雪景色だった。俺は旅は道連れとなった亀を大事に抱え、毛布から元の姿に戻ったらしいダッフルコートを着た長門の後についていった。俺と長門の体温を残した青いシートをふりかえると、なぜか名残惜しく感じた。
 
 木のドアを開けると冷気が入り込んできて俺はぶるっと震えた。ホームに降りると、厚く積もった雪の上に足跡が深く刻まれた。革靴の外から雪に温度を吸い取られて、足が冷たかった。
 機関車はモクモクと黒い煙と蒸気を吐いていた。いったい誰が運転してるんだろうかと機関室を覗こうとしたが、汽笛が鳴った。そろそろ出発の時間らしい。
「行っちゃうけど、いいのか」
「……いい」
 
 ゆっくりと、雪に埋もれたレールを掻き分けながら機関車は動き始めた。蒸気を吐き吐き、自らの重い鉄の塊を前に押し進めていく。大きな駆動輪に繋がったシャフトが前に後ろに動き、雪のホームを離れていった。ゆっくりと滑り出て行くほかの客室にも人は乗っていなかった。列車はやがて音と共に小さくなり、地平線の向こうに消え、遠くで物悲しく汽笛が響いた。あとには静寂だけが残った。
「行ってしまったな」
一面が白い風景の中、亀入りケースを抱えた野郎と小柄な女の子がポツリとホームにたたずんでいる。そのホームも降り積もる雪に白く覆われている。
「ここ、なにもないけどどうするんだ?」
「……人を待っている」
こんななにもない場所で誰か迎えに来るのかな。
 
 雪の向こうから人の影がこっちに歩いてくる。小さな蒸気機関車のようにはっはっと白い息を切らしつつ、雪を掻き分けて進んでいる。
「キョンくん、長門さーん、やっと会えたんだぁ」
「あれれ、朝比奈さんですか?」
額に汗を濡らし、顔を真っ赤にしながら朝比奈さんがやってきた。かき分ける雪が深くてなかなか進まない。頭に毛糸の帽子を被り、赤い半纏を着ている。履いているのはモンペに雪靴ですか。そのコスプレは渋すぎますよ。
「会いたかったぁ」
朝比奈さんは俺と長門に抱きついた。さっき会ったばっかりなのにこの感動の再会は、っていったいいつの時代の朝比奈さんなんでしょうか。どっちかというと朝比奈さん(小)っぽい感じがするんですが。
 
「随分待ったのよ。あの機関車って三ヵ月に一本しか来ないんだから」
「あんまり便利そうじゃないタイムマシンですね」
「うふふ。時間移動列車はレトロ趣味と鉄道ヲタクの人向けなのよ」
どうりでやたら古くさい客車でしたよ、暖房ないし。
 朝比奈さんは思い出したように半纏の袖を振って見せた。
「どうかしらこのレトロ雪国スタイル」
レトロというか、俺たちの時代の北国ならふつーにいると思いますけど、似合ってます。
「寒いでしょう、気象コントロールのせいでこのところ雪が続いてね。とにかくうちに行きましょう」
「気象コントロールって、未来では人工的に雪を降らせてるんですか」
「そうよ。来月から地上で冬季オリンピックがあるの」
なーんだそういうことか、はっはっは。よく分からないまま俺と長門は朝比奈さんの後についていった。
 
 ホームのあった場所が見えなくなってからさらに三十分くらい歩いたところ、雪の中にぽつりとドアが立っていた。ドアというよりエレベータの箱っぽいんだが。朝比奈さんが手をかざすとそれは開いた。
「二人とも乗って」
なんか前にも似たようなシーンに出くわした覚えがないでもないですが。このエレベータはまったく揺れなかった。ボタンらしいものもなく、右上に赤いカウンタがついているだけだった。あれはもしかして深度表示か。三十秒ほどするとカウンタが二〇〇になり、まさか二百メートルの地下じゃなかろうなと思ったらやっぱりそうらしい。ドアが開き、そこにあったのは超巨大空間だった。天井に青空の映像が映っている。
「うおあああ」
思わず声を上げてしまった。町ひとつくらいは軽く入りそうな空間がそこにあった。
「未来では地下に住むのが流行ってるんですか」
「地上は少し前の時代まで汚染されてたの。自然を保全するためにわたしたちは地下に潜った。地上に建物を建てるのは禁止されてるの」
なるほど。それは賢い選択かもしれない。
 
「こっちよ、迷子にならないでね」
朝比奈さんは野菜を栽培してるっぽい畑を抜けて、水の流れる公園を抜け、さらにいくつもの建物を抜け、自宅らしき集合住宅に案内した。何で出来てるのだろうか、建物はセメントではなく、硬いけど滑らかな材質だった。ドアがいくつも並んでいて、こりゃワンルームのアパートくらいの部屋だろうなと思わせるくらいに密集していた。地下に住んでるとなりゃ、一人あたりの使える面積は当然狭くなるだろう。
 道々に地元住民らしい人々を見かけたが、特に未来人らしい格好はしてなかった。服装はシンプルにはなっているようだが、たいして変わらないらしい。てっきりスピードスケートの選手が着るような上下ぴったりのトレーニングウェアみたいなやつかと思っていた。
 
 朝比奈さんがドアに片手を触れると、すうっとドアが消えた。
「さあ、入って。わたしの部屋よ」
「おじゃましま……」
入ってみて、こりゃたまげた。部屋の広さと、ドアと隣のドアの隙間を見比べた。この広さは物理的におかしい。どう考えても隣のドアを抜けちまってる。何度もドアの外と内側を見比べていると、朝比奈さんがクスクス笑っていた。長門も口のはしで笑っている。
「……これは、空間を閉じ込める技術」
なるほど、外からの見た目より中のほうが広くできるんだな。これは土地の狭い日本ならではの技術かもしれん。
「ともかく入って、お腹すいたでしょう?」
俺は靴を脱いで入った。なんだか妙に懐かしい感じがする。
「もしかしてこれ、長門んちと同じ間取りですか」
「そうそう、長門さんのマンションと同じね。いつもは壁と間仕切りがないんだけど、二人が来るから今朝模様替えしたの」
なるほど、間取りを自在に変更できるんですね。実にうらやましい。俺はリビングに案内され、こたつに座って足を突っ込んだら床が凹んでいた。掘りごたつですかこれ。
「いまお茶を入れますからぁ、ゆっくりしてね」
朝比奈さんはスリッパの音をぱたぱたさせてキッチンへ消えた。二人で部屋を見回した。花が飾られ、絵が掛けられ、長門の部屋よりずっと女の子らしい装飾をしている。花柄のカーテン、窓には、たぶん立体映像だろうけど和風の庭園っぽい風景が見えていた。ちょろちょろと水の流れる音も聞こえる。
 
「いいところに住んでますね」
「そう?ありがと」
朝比奈さんは嬉しそうだった。
「あの掛け軸は朝比奈さんが書いたんですか?」
毛筆で書かれた、縦一メートルくらいの掛け軸が壁に飾ってあった。この人は元は書道部だったよな。
「え、あれって確かキョンくんが書いてくれたんじゃ」
年賀状を書くのすら筆を握ったことがない俺がですか?そうでしたっけ。
「いつ頃の話ですか?」
「ええっと……。ずいぶん前」
「ぜんぜん記憶にありません。長門は覚えてるか?」
それまで黙っていた長門が掛け軸を読み始めた。
 
 八田の一本菅は 子持たず 立ちか荒れなむ あたら菅原
 言をこそ 菅原と言はめ あたら清し女
 
「……これは、あなたが詠んだ和歌」
長門はなんだか、いつもは見せないような照れたようなはにかんだような表情で俺の袖を指先でちまっとつかんだ。
 
「……お土産」
長門が思い出したように亀の入ったケースを差し出した。
「え、亀さんくれるの?」
「……これと交換して」
「あ、そういうことかぁ。ちょっと待っててね」
朝比奈さんはバスルームから大きなバケツを抱えてきた。
「この亀さん、昨日いきなり部屋に現れたのよ。もうびっくりしちゃって」
「あれれ。これって、ハカセくんの亀じゃないですか。なんでこんなところに」
「やっぱりこれ、あの亀?」
「そうみたいです。今日、というか俺たちのいた時間で会社から消えてしまって」
「会社?キョンくんって今は会社員なの?」
まずい。禁則事項の予感がするぞ。
「朝比奈さんはいつの朝比奈さんなんです?つまり、俺が北高を卒業して大学に入ってハルヒが会社作って、」
「涼宮さん社長なんだ、すごいわぁ」
ということは今俺たちのところに出張して来ている朝比奈さんより以前の朝比奈さんってことか。
「ええと、白雪姫の話をしてくれました?」
「白雪姫?そんな話したかしら?」
あらら、それより若いんだ。どおりで朝比奈さん(小)っぽい名残が。
「七夕のとき、光陽園駅前公園で茂みの中に潜んでました?」
「えー、あのときはずっとベンチに座ってたはずじゃ」
これ以上喋るのはやめとこう。禁則事項だ。
 
「ということはええと、俺はこれからいろいろとお世話になるわけです。未来に飛んだり過去に飛んだり」
「そうなの?知らなかった。わたしが知らないところでいろいろと活躍してたのね」
「いえまあ、ほとんどは朝比奈さんに言われてやっただけなんで。どういう理由でやってたのかは今でも分かりません」
「わたしもずっと上司の言うことだけなにも知らずにやってたから。出来の悪い常駐員だったわ」
その上司はあなた自身なのですよ、と教えてやりたかったが、たぶんそのうち分かることだ。って待てよ、朝比奈さん(大)を指示している上司がいるってことだよな。誰なんだろう。やっぱり朝比奈さん(特大)みたいな人がいるんだろうか。
 
 朝比奈さんは小さなゼニガメの鼻先をつついていた。エサをやるとあのときと同じように丸飲みした。バケツに入ったほうにもエサをやった。
「長門、もしかしてこれのためにわざわざ時間旅行したのか」
「……そう。亀の時間移動能力は高い」
なるほど。長門らしい旅だ。
 
「名前付けないといけないわね。なにがいいかしら」
まわりの温度が上がったので元気になったのか、小亀は朝比奈さんの手の上でモゾモゾと足を伸ばしていた。
「この子を選んだのはどっち?」
「長門ですね」
「じゃあ長門さん、名付け親になって」
長門はなにかに名前を付けるということがたぶん生涯で初らしく、しばらく考え込んでいた。
「……時間平面による移動を習得した爬虫類カメ目イシガメ科ニホンイシガメの代理」
そりゃまわりくどいし、だいいち長すぎて覚えられん。
「それにしましょう。略して代ちゃんね」
「……この子は、雌」
「うーん、代ちゃんだと男の子になっちゃいますね。じゃあヨリちゃんでどう。代理に当て字でヨリ」
「……妥当」
「こんにちわヨリちゃん、タヨリにしてるわ」
「……身寄りが出来て、なにヨリ」
「会いたくなったらいつでもおヨリ」
この人たちの突飛な会話についていけてない俺ってどうかしてるんだろうか。
 
「あっ、忘れてたわ」
朝比奈さんは突然立ち上がって台所に走り去っていった。な、なんだろ。
「善哉作ってるの忘れてたわ。二人とも食べるでしょ?」
「え、まじですか。今日ちょうど善哉を食いたいなと思ってたところなんですよ」
「……小豆は、好物」
朝比奈さんがお盆に載せて運んできた漆塗りっぽい器に、善哉と、その上には餅が乗っていた。素晴らしい、こんな寒い日にはこれに限る。
 
 三人でいただきますを言って善哉を食った。餅がうまい。小豆もうまい。
「長門さん、おかわりたくさんあるからね」
「……うん」
心なしか長門の頬は緩みっぱなしなようである。長門はその後もおかわりを続けていたが、俺は二杯目でやめといた。胃の中で餅が膨れ上がりそうだ。
 
 それから三人で学生の頃の話に花が咲いた。赴任した当初はハルヒにいじられてつらかったけど、慣れたら快感になってしまって困ったと。きっと自分にはMっ気があるんだろうと。俺は朝比奈さん(大)はSのタイプだと思ってたんだがな。
 
 俺は腕時計を見た。見ても現地時間に合わせているわけではないので意味はないのだが、そろそろ帰る時間じゃないかと思ったのだ。
「そろそろおいとましたほうが」
「あら、せっかく来たんだから泊まっていって。ちゃんと寝巻きもあるわ」
「え……」
まさか朝比奈さんちに泊まるとは考えていなかった。
「いいでしょ、長門さん」
「……泊まる」
長門のひとことで決まった。まあ、たまにはこういうのもいいか。
「帰るときはどうしたらいいんですか。あの列車って三ヵ月に一本ですよね、まさか三ヶ月もお邪魔するわけには」
「明日、発車時刻に合わせて駅のホームに送って行くわ」
なるほど、未来でもタイムトラベルですね。え……?
 
「じゃあ、今日はおでんでもしましょうか」
俺はあんまり食えそうにないが、長門はまだまだ食えるだろう。朝比奈さんは大根をもらいに行ってくると言った。未来じゃ食料品店とかないんだろうか。
「ここでは経済の仕組みがお金じゃなくてね、必要なものはジェネレータで生成するの。でも野菜を作るのは無理だから栽培所にもらいにいくの」
「お金がなかったら、ずいぶん平和でしょうね」
「そうでもないの。昔の生活がよかったと思う人たちもいてね」
まあ、未来人には未来人の苦労がある、と。
 長門が台所で手伝おうとするのを、朝比奈さんは「だめだめ、お客様だから」といって追い払った。前にも似たようなシーンがあったな。
 
 カセットコンロや卓上IHクッキングヒーターらしきものはなく、それ自身で発熱するという世紀の発明品らしい鍋でおでんをつついた。おでんはたいてい朝から仕込みをするわけで、朝比奈さんが大根を輪切りにし始めてから三十分くらいしか経ってないはずだが、なぜかいい味に染みていた。これも時間テクノロジーの恩恵か。長門はモクモクと食べ、俺はねりからしに涙し、そんな様子を朝比奈さんは微笑んで見ていた。
 
 腹が膨れて丸まってる長門がすやすやと寝息を立てる横で、俺と朝比奈さんはビールをすすった。
「長門さん幸せそうね」
「ええ」
「付き合ってるのね」
「ええ。朝比奈さんが卒業してしばらくしてからですかね」
「うらやましいわ……」
俺はほんとはあなたが好きだったんですよ、なんて言ったらえらいことになるだろうから言わなかった。朝比奈さんのことは卒業式できっぱりと忘れたんだから。
 
「あの、あれからどれくらい時間が経ったんです?」
「今は西暦で数える年号はなくなったんだけど、だいたい三百年後ね」
そ、そんなに未来だったんですか。
「じゃあハルヒとか古泉は」
「ええ。三百年だもの、もう亡くなってるわ」
「長門はどうなったんです?」
「それが、記録がまったく残ってないの。キョンくんと長門さんはある日突然、消息不明に」
うーむ。俺と長門にどういう未来が待ってるんだろうか。
「ふふ。どこか遠くの世界で、二人で仲良く暮らしてるのかもね」
遠くってどこだろう。続きが気になる。
 
 ボソボソと、懐かしき高校時代の話をした。SOS団の中でも俺と朝比奈さんにはなにか特別な、腹を割って話せる親しさがあったと思う。長門に男と女の間に友情は成立するか疑問があると言ったことがあるが、もしかしたらこれがその友情なのかもしれない。枝豆を口に放り込みながら、その後遅くまで話し込み、あくびを四度したあと隣の部屋に敷かれた布団に潜り込んだ。眠り込んだ長門の両足をひっぱって朝比奈さんの部屋に引きずっていった。
 
 夢のような一日だった。翌朝、目を覚ましても場所は変わっていなかった。三人で朝食を食べ、それから部屋を出た。
「子亀をかわいがってやってください」
「ええ。大事にするわ」
「あの、よかったら毛布を貸してもらえませんか」
「いいわ」
「助かります。あの列車の中すごく寒くて」
借りるといっても次いつ来れるか分からないのだが。
 
 俺たちは来た道を逆にたどって出口を目指した。集合住宅の一角を出て公園を抜け、野菜畑の小道を見ながら歩き、エレベータまで来た。途中で住民がチラチラと俺を見て軽く会釈をしていたが、知り合いでもなく見覚えもない。
「俺たちのこと、過去からの客だって知ってるんでしょうか」エレベータの中で尋ねた。
「ええ。キョンくんは歴史上の……ええっと、禁則事項です」
朝比奈さんはウインクしてごまかした。俺ってこんな後世まで知られてたなんて、やっぱハルヒがらみだろうか。
 
 ドアが開くといきなり風と雪が舞い込んできた。外は吹雪だった。
「今日は吹雪がひどいから、三ヶ月先に飛びましょう」
朝比奈さんが襟元を抑えながら言った。二人は朝比奈さんと手を繋いで時間を超えた。
 
 三ヵ月先には雪がなかった。真っ青な晴れ渡る空に、見渡す限りの緑の草原だった。まだ肌寒いが、春にはこんな風景だったんだな。
 見回すと緑の丘の上にぽつんと白いホームがあった。体中についた雪をはらうと、草の上で溶けて雫になった。長門の髪についた雪をはらってやった。
 三人は草を踏み分けつつホームまで歩いた。昨日来たときよりさくさく歩き、十五分くらいでたどり着いた。
「もうすぐ来るわ」
朝比奈さんが腕時計らしいものを見た。例の電波時計だろうか。
 
 遠くで汽笛が聞こえた。地平の彼方から地響きと蒸気を吐く音のボリュームを少しずつ上げてSLが迫ってきた。白い蒸気をもくもくと吐き出しながら、ずっしりと重い鉄の巨体がホームに止まった。
 俺と長門はドアを開けて中に入った。窓を降ろしてホームにいる朝比奈さんと別れの言葉を交わした。
「時代と場所は分かったから、またいつでも遊びに来てね」
「ええ。ぜひ長門と一緒に来ますよ」
「……また、ごはん食べに来る」
朝比奈さんはにっこりと微笑んだ。まあこれからは朝比奈さんのほうが俺の時代にちょくちょく来ることになるのだが。学生の頃の俺をよろしくおねがいしますね。
 
 汽笛が鳴った。列車がゆっくりと動き出す。俺は一瞬だけ朝比奈さんの手を握って、放した。無人のホームにぽつんと小さく、いつまでも手を振っていた。見えなくなるまで振っていた。
 
 窓を閉め、俺と長門は毛布を被って寄り添った。外の景色を楽しむより、こうしていたかった。互いの体温を毛布で包み込んでそれを確かめるように眠った。
 
「……起きて」
「着いたのか。あれ……」
目を覚ますと、いつもの電車に乗っていた。え、夢オチ?出発のメロディが鳴り始めて俺たちは慌てて電車を降りた。北口駅だった。
「あれれ、夢だったのか」
なんだか気の抜けた気分だ。俺は頭をかきかき、どこまでが本当だったのか思い出そうとしていた。足元に亀の入ったバケツがあり、丸まった毛布が手にあった。顔を埋めてみると、朝比奈さんの部屋の匂いがする。
「……この世界は、誰かが見ている夢のようなもの」
長門が少しだけいたずらっぽく、少しだけ微笑して言った。
「あそうだ。思ったんだが、朝比奈さんに時間移動で送ってもらえばよかったんじゃないのか」
「……わたしは、あなたと旅がしたかった」
長門がかわいく口を尖らせた。スマンスマン、俺はいつまでも無粋なやつだ。
「今度世界旅行にでも連れてってやるからな」
長門はコクリとうなずいた。
 
 俺と長門は職場に戻った。
「この亀ちゃん、前のとそっくりな気がするんだけど」
「最近はバイオテクノロジーが進んでて、あれと同じ遺伝子を持つ亀らしい」
「へー、そうなんだ」
ハルヒが亀の鼻をつつくと、あいかわらずイヤイヤをして首と足を引っ込めた。出任せを言ってごまかした俺だったが、朝比奈さんがにっこりと微笑んでいる表情の意味が分かることが嬉しかった。
「亀は元気にしてますか」
「ええ。でもね、ときどきいなくなるの。どこか遠く、未来のわたしに会いに行ってるんだと思う」
この亀も、ほっとけばそのうち戻ってきたのかもしれんな。
 
 その日の夜、長門が寄せ鍋をすると言って俺たちを招待してくれた。このところ鍋物が続いてるような気がするが、意外と腹は正直に減っていたので付き合うことにした。
 俺と古泉とハカセくんは材料の買出しに行かされ、女三人はそのままマンションに直行していた。
「僕は車で来てますから、乗ってください」
「おい古泉、お前なんでBMWなんか乗ってるんだ」
俺は親のお下がりでカローラだってのに。
「これは機関の所有ですよ。通勤にもこれを使ってます」
「機関の社員ってそんなに待遇いいのか」
「おかげさまで昇進しまして、これでもチーフです」
「なんだ?その歳でもう昇進か」
「僕は中一のときから働いてるんですよ」
「それもそうか」
俺より勤労経験長いんだよなこいつは。うらやましい、俺も雇ってもらえないものかな。
「あなたには僕たちみたいに超能力を使うより、もっと重要な仕事がありますからね」
ハルヒのお守り役か。まあ、一銭にもならんがな。
 
 野郎三人でスーパーマーケットの食品売り場をうろうろするのもなかなかに勇気のいる所業だ。ハカセくんはカートをゴロゴロと引いて俺の後をついてまわっている。
「その野菜、見切り品のほうが安いですよ」
俺が商品を手に取るたびに、古泉があれこれ突っ込みを入れてくる。
「見切り品って傷んでたりしないか」
「野菜なら多少は大丈夫です。形が悪かったりして売れ残ってるだけですから」
そういうものなのか……。
「古泉は自炊してんのか」
「ええ。とはいってもたいしたものは作っていませんが」
いまだに実家で呑々と暮らしている俺からしたら、悟りを開いたラマ僧にも匹敵する徳の高さだ。
「一人暮らしの男が作る料理なんて、もう栄養ですよ。コンバットレーション以上のなにものでもありません」
 
 膨れ上がった買い物袋を下げて長門マンションまで行った。長門の部屋番号を押すとスピーカーからハルヒの笑い声が響いた。
「おかえり!遅かったわね。あははは」
お前ら、なんだか楽しそうだな。俺たちに買い物押し付けておいて女だけで盛り上がってるようでなによりです。それより自動ドアのロックを開けてほしいんだが。
 
 切ったり煮込んだり火をつけたりは女どもに任せておいて、俺はこたつで寝転んでいた。古泉がなにかと手伝いたがって台所をうろうろしているのだが、かえって邪魔しているのに気がついていない。台所は女に任せとけばいいんだよ、とか言うとフェミニストに怒られるんだろうか。
 
 コタツの上にカセットコンロがうやうやしく設置され、玉座の前の鼎のごとくに土鍋が置かれた。底に昆布を敷いて肉魚野菜を詰め込めるだけ詰め込んだ。ほどよく煮立ったところで鍋の蓋が開けられると、モクモクと立ち上った湯気が晴れると同時に、水鳥のくちばしのような十二本の箸がいっせいにエモノを襲った。牡蠣やら帆立貝やタラや白身すり身の海代表と、鶏肉豚肉牛肉の陸代表、その他大勢タワシやゾウリ以外ならなんでもありの寄せ鍋を食いに食った。
「長門、ご飯は最後だ。それ突っ込んだら大量の雑炊になっちまう。朝比奈さんももっと食べないと大きくなれませんよ、ほら牛肉牛肉。ハカセくんは頭を使うからもっとカニを食え。ハルヒ!それ俺のエビだぞ」
「なんか言ったかひら、アチチチ」
菜箸を握ったまま放さない俺って鍋奉行みたいじゃないか。おい、アクだけは、絶対にアクだけは取り忘れんなよ。
 
 鍋にうどんが放り込まれ、最後に長門願望のご飯が放り込まれて雑炊フィナーレとなった。やがて鍋の底が見えてきて空になり、誰がこれを片付けるんだろうかと考えてしまうくらいに散乱したコタツの上をじっと眺めているのは、やっぱり俺と古泉とハカセくんなようだ。
 
 さすがの長門も食いすぎたと見えて、冬ごもりの前にひたすらエサを食いつづけて春を待っている丸っこい小動物のように腹を抱えて床に伸びている。ハルヒがその横で、これまた小動物を飲み込んで消化が終わるのを待っているうわばみのようにうんうん唸っていた。食いながら酒を煽っていたのはこいつだけだからな。そんな様子を見て苦笑している朝比奈さんだけが縦になっていた。この人は昔から少食らしい。
 
「トランプでもしませんか」
適度に腹がこなれたところで古泉が言った。いつもは気が進まない俺だが、よーし今日は本気で相手をしてやろう。古泉はしゃかしゃかとカードを切っていた。妙に手つきが玄人じみている。フェローシャッフルかそれ、高度なの知ってんな。
「ポーカーでどうですか」
いきなりそれか、最初は小手調べに七並べとかにするもんだ。ノーレートならまあ付き合ってやるが。
「ドローか」
「あたし、スタッドレスポーカーなら知ってるわよ」
どんなポーカーだそれは、雪中でやるのか。古泉が笑いをこらえて固まったようなスマイルを見せている。
「スタッドはローカルルールがあるので、みんなが知ってるドローポーカーでいきましょう」
 
 ゲームは最初のうち勝ったり負けたり、誰かが札を間違えて勝負なしだったりしていた。俺が親になってカードを配ったとき、妙な違和感を覚えた。なんだろうこれは、と思って手札を開いてみると、いきなり5のカードが四枚気をつけをして並んでいた。五枚目はジョーカーだった。手が震えてきたのでなんでもないというふうを装って口笛なんか吹いてみたりしたのだが、かえって怪しまれたようだ。ポーカーフェイスは苦手なんだ俺。
 強気のハルヒがベットをどんどん釣り上げてゆき、俺は笑いを抑えきれなかった。鼻息が荒かったと思う。だってこんなチャンス、生涯に一度あるかどうかだからな。もしかしてこれで運を使い切ってしまうのか俺。
「な、キョンがファイブカードなんてありえないわ」
ショウダウンしたときのハルヒの顔ときたら。ふっ、お前が最初のチップの一枚をテーブルに置いた瞬間から、俺には未来が見えていたのさ。まあ、ビギナーズラックでこういうことはある。
 
 ところがである。俺が次に六人分のカードを配り終えて手札を開いてみたとき、目を丸くした。なんでさっきと同じなんだ。もしかしてこれは天のお告げなのか。地味な仕事をやめてギャンブラーとして自分を極めろと。
「あんた!ぜったいイカサマしてるでしょ」
「してねえよ。ちゃんとシャッフルするところも見てたろ」
「袖の下から札出さなかった?」
「そんなテク持ってたら手品師になってるって」
全員分のチップを巻き上げながらニヤニヤを抑えきれなかった。
「すごいこともあるんですね」
「キョンくん、もしかしてギャンブラーの素質に目覚めたんじゃないかしら」
「えへへ、俺もそう思い始めていたところです」
そのニヤニヤも、次の手札を配り終えたところでぴたりと止まった。これはおかしい。昔の人が二度あることは三度あるとは言ったが、仏の顔も三度、とも言った。
「すまん、配りなおしだ。カードが固まってる」
「えー、いい手だったのに」
「このカード、プラスチック製だから静電気でくっついてるのかもしれん」
カードをかき集めて丁寧にシャッフルしなおし、再び配りなおした。手札は、同じだった。
「俺、降りるわ」
さすがに四度同じ勝ち方をしたらハルヒどころか神人までもが黙っちゃいないだろう。古泉も朝比奈さんもそろそろ怪訝な顔をし始めている。
「なんで降りるのよ。ちゃんと賭けなさい」
「じゃあ一枚だけ払って降りる」
ハルヒが俺の顔をじっと見た。怪しまれている。
「ちょっと見せなさい」
「うわなにするやめ」
「アンタ!また同じ手じゃないの。イカサマにもほどがあるわ」
「だから降りると言ったんだ」
「だったら、あたしにディーラーやらせなさい」
「いいけど。みんないいか?」
トランプごときでなに熱くなってんのと言いたい感じで苦笑していた。確かに。
 
 ハルヒがしゃらしゃらと滑らかな手つきでシャッフルし、俺は手札を取った。5のファイブカード、五回目?ここでハルヒを怒らせたら古泉が閉鎖空間処理に駆り出されてしまうだろう。そうだ、降りなくてもカードを交換して並びを崩してしまえばいいんだった。俺は5のワンペアだけ残して捨てた。
 
 それからはハルヒの一人勝ちが続き、俺には二度と栄光の5が巡ってくることはなかった。
 5、ファイブカード、五回。それがずっと気になった。この数字の並びかたにはなにか見覚えがあるような気がする。過去か未来か、どこの世界かは分からないが、誰かが俺になにかを伝えようとしているんじゃないか。
 長門の魔法かとも思えたが、俺にいいカードが巡るように取り計らう理由がない。古泉にいたってはとてもそんなマジシャンみたいなテクニックを持ち合わせているとは思えないし、朝比奈さんの既定事項でもなさそうだ。ハルヒの願望ならあそこまで怒ることもないだろう。じゃあ考えられることはいったいなにか。
 
 長門の漆黒の双眸がじっと俺を見つめていた。なにか知られてはならない秘密をひた隠しにしているような、なぜだかそんな気がした。
 
 夜も更けて四人が帰ったあと、長門を問い詰めた。
「長門、お前は知ってるはずだよな。この世界は何かがおかしい」
「……」
長門はなにも言わなかった。それが返ってこいつの関与を疑わせた。二人はじっと黙ったままにらめっこのように見つめあった。俺も譲ろうとはせず、数分が過ぎてからやっと長門が口を開いた。
「……なぜ、分かった」
「なんとなくだな」
前から思っていたんだが、俺にはそういう能力があるらしい。いつもじゃないが、ここぞというとき俺の中の深層部分のなにかが反応するんだ。ハルヒが夏休みを無限ループさせたときもそうだった。
「時間のループか」
「……そう、わたしが操作した」
「なんでまたそんなことをしたんだ」
「時間移動技術による未来への影響を試算していた」
「タイムマシンが未来にどう影響するか?」
「……そう。開発はやむをえないこと。でも、選択する理論によっては時空の致命的損傷を招きかねない」
長門によれば、時間を壊してしまうと空間が壊れた場合より修復が難しいらしい。空間は分子を動かせば元に戻るが、時間はそうはいかない。ハルヒが壊してしまった十年前の七夕の日、あれは朝比奈さんにも情報統合思念体にも修復できない断層だった。しかも今、そのハルヒがタイムマシンを欲しがっている。ハルヒにそんなおもちゃを与えてしまえば危険度が指数関数的に跳ね上がるというものだ。
 
「……これは、未来を予測をするための実験だった」
「情報統合思念体は知ってるのか」
「……そう、承知している」
「実験はあとどれくらい必要なんだ?」
「……残り二十四パターン」
「そんなに繰り返されるのはちょっときついぞ」
「……時間移動理論の数だけ試している」
「そんなにあるのか。全部違う理屈で?」
「時間とは、一種のエネルギーのようなもの。それをどう捉えるかで理論が異なる」
俺にはちょっと分からん世界だが、まあここまで来たんだ。最後まで付き合ってやるか。
「……怒っている?」
「怒ってなんかいないさ。ただ俺には教えておいてもらってもよかったな」
「……教えると実証実験として成立しないと考えた」
まあ、それもそうか。答えが最初からわかっていると被験者にならないしな。
「……すまなかったと思っている」
「いいんだ。お前なりに考えてやったことだし」
それでも長門がじっと俺の表情を伺うように見つめるので、俺は軽く肩を抱きしめた。時間操作は物理世界の情報操作より危険を孕んでいる。俺みたいないいかげんなやつとは砂場の山とエベレストくらいの差があるであろう長門も、慎重に慎重を重ねたことだろう。
 
 長門の小さな耳のそばでささやいた。
「俺にも観察者としての立場をくれないか。黙って見てるから」
「……分かった」
長門の同意で、次の二十四回は俺の記憶が残ったまま事が運んだ。その間の長門との付き合いは、銀河が一巡りするくらいの時間を繰り返していたのだが、それが合計でどれくらいの長さだったのか、俺はもう覚えていない。
 
溶明。
 


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