「それって、例の、二年の人でしょ? 朝比奈さんだっけ?」


 何気ない日常の風景の中の一ページに流れる無害な人々のざわめき。右から左へと心地良くすり抜けてゆく心地よい雑音の中に、ふと一筋の福音を聴いた気がして、俺は背後から聞こえてくる女子生徒たちの談笑に神経を向けた。


 「そうそう、例のバニーのさ。文化祭の時、映画にも出てたじゃん」
 「ああ、あのヘンなやつでしょ」


 それはともかくとして、どうやら今、俺の背後の席で話題に上がっているのが朝比奈さんであることは間違いないらしい。ちなみに俺は今、珍しく学食などという場所にやってきている。昨日から母親がご近所の奥様方とこぞって温泉旅行などに出かけてしまっていて、弁当を確保する宛てが得られなかったのだ。


 それならばパンか何かで腹を満たせば良いと思っていたのだが、朝、何気なくハルヒにその旨を話したところ、ハルヒは今日の学食のデイリーメニューが大層気になって居たらしく、それならばちょうどよいと、半ば強制的に同行させられてしまったのだ。そんなこんなで、現在俺の目の前には、念願が叶った割りには微妙な表情で正体不明のフライを頬張る団長様の姿がある。どうやら、この学食を運営するどちら様かの思いついたサプライズメニュー・中身の分からないシークレットフライ定食には、ハルヒを満足させる程のサプライズは秘められていなかったらしい。


 「あの人、なんか薄幸そうだよね。いかにも恵まれてないっていうか」
 「あー、ありそう。なーんかこそこそしてるし。貧乏そうじゃない? いけないバイトでもしてんじゃない?」


 背後の会話の内容は、はどうと言う事は無い、ありきたりな下世話な話だった。あれだけ奇妙な目立ち方をすれば、多少の噂が発生しても可笑しくはないが……映画の中で、あの如何にも貧相な部屋に下宿をしていたのが効いているのだろう。
 まあ、薄幸なのはある種間違ってはいないがな。目前で健啖ライフを謳歌するハルヒを眺めながら、俺は背後で花咲く噂について害の無い思考をめぐらせ、白米を噛んだ。
 さて。単刀直入に言うと、今回の問題はまさにそれ。『噂』である。

 

     ◆

 

 翌朝。いつも通りの妹の奇襲。無機質なアラーム音。朝食のコーヒーの香り。そこまでは良かった。平和だった。問題はその次に待ち構えていた。日常に潜むサプライズ。


 「ねーキョン君、ずるいよ、なんで教えてくれなかったの? 古泉君のこと」


 不可解な言葉とともに妹が俺に差し出して来たのは、いわゆるローティーンを購買層とした月刊誌だった。表紙では端正な顔立ちの四人の少年達が、俺の思考回路の斜め上にあたるセンスの衣装を身に纏い、バラバラにポーズを決めながらこちらに流し目を送っている。なかなかに格好が良いではないか。


 「何だコレ、誰に借りたんだ?」
 「ミヨキチから借りたの」


 ミヨキチはこんな雑誌を読むのか。俺の見たところ、本来の購買層はもう少し上の、中学生の後半から高校生ぐらいにかけてであるように思える。近頃の小学生はなかなかマセているようだ。それより、こいつはさっき何ていった?


 「キョン君、なんで教えてくれなかったの? 古泉君がモデルさんだって」


 ぼんやりと表紙の上に泳がせていた視線が、ある一点に引き寄せられる。ハンサムな男衆の中で一際ナイスな表情を決め、白い歯を光らせている左端の少年。うっすらと肌に色をつけているためか、一見しただけではわからない。しかし良く見ると、その顔は俺の記憶の中のある人物の相貌と結びつく。
 ……マジか?

 

     ◆

 

 「古泉君、凄いじゃない! いつものバイトってコレの事だったのね!」
 「いや、お恥ずかしい限りです」


 俺が部室を訪れると、そこには既にハルヒの姿があり――俺はたしか、ハルヒがまだ帰り自宅をして居る内に教室を出た筈なんだが――ハルヒの向かいで、謙虚そうに頭を掻きながら輝かしい笑顔を浮かべる古泉の姿があった。ハルヒの手の中には、俺が今朝方見せられたのと同じ雑誌が握られている。


 「あっ、キョン。あんた、知ってる? 古泉君ね」
 「ああ、今朝知ったよ。モデルだったんだってな?」
 「参ったな、あなたまでご存知なんですか」


 古泉は俺をちらりと見ると、少し困ったように笑い――今のは何かの合図か?――いつも通りの定位置へと腰を下ろした。


 「以前から小さな仕事はさせていただいていたんですが、今回、少々大きな仕事を頂けまして……すぐに明らかになってしまうとは思っていましたが、まさかこんなに早くにばれてしまうとは。さすが、人気雑誌は違いますね」
 「そうね、凄いのね。なにしろキョンも読んでるくらいだもの」


 ハルヒが俺に視線を向けると、同時に古泉もこちらに視線を送ってくる。――今度こそ、目が合った瞬間に、一瞬表情が変わったのが分かる。やはり何か合図をして居るらしい。


 「これは利用しない手はないわね。いままでみくるちゃんの事ばっか撮影してたけど、今度は古泉君を起用して、新たな層を開拓するのよ! 古泉君の人気は文化祭でも証明済みなんだから! あたし、ちょっと道具を確保してくるわね! 待ってなさい!」


 テンションの値を最大限まで高めたハルヒは、雑誌を机の上に置くと、暴走機関車の如き勢いで部室を去っていってしまった。足音が聞こえなくなるほどに遠ざかったのを見計らって、俺は古泉のほうを見ないままに話をはじめる。


 「一体どういう事なんだ?」
 「……大多数が穏健派に分類されるであろう我々にとって、非常事態と言うほかありません」


 古泉の顔から笑顔が消えている。なるほど、確かにただ事じゃあないらしい。


 「お察しでしょうが……これは涼宮さんの力によって発生した事態です。しかし、この事態を涼宮さんが望んだ。と言う訳ではありません」
 「じゃあ、誰が望んだって言うんだ? お前の芸能界デビューを」
 「世間です」


 古泉は至極真面目な顔で言い放った。


 「……事の発端と言うべきは、僕の『バイト』でしょう。僕は機関の任務が入る度に、クラスメイトたちには『バイトが入った』という説明をしていました。その説明を受けた何人かが、僕のバイトが芸能活動、即ちモデルとしての活動であるのだと考えた。それが広まったことにより、噂が現実化したのです」
 「待て、要領を得ない。意味が分からない。順序立てて説明しろ」
 「すみません。僕も少し混乱しているんです」


 緊張を振り払うように、古泉は微笑を浮かべ、足を組み変えた。そしてほんの少し考えるような素振りを見せた後、再び話し始める。


 「涼宮さんの力が、成長の兆しを見せています」
 「……何だって?」


 一瞬で話が摩り替わってしまった。俺は思わず上ずった声で訊ね返してしまう。


 「これまで涼宮さんの能力は、一時的な爆発……所謂、火事場の馬鹿力のような事態はあれど、基本的な力の大きさに変動はありませんでした。それが此処に来て、涼宮さんの能力が威力を高めている可能性が見えてきたんですよ」
 「そりゃ、一体どういう事だ? 閉鎖空間が増えるとか、神人が強くなるとか、そういう事か?」
 「……考えたくは無いですが、そう言うことにもなるかもしれません。でも、今の段階では、もうすこしポジテヴな方向です。つまり、神としての力が強くなった。ということですよ」


 少し間を置き、小さく咳をする。


 「彼女がある程度の範囲で、この世界を自分が望むように改変できる事はご存知ですよね。簡単に言ってしまえば、ああいった改変の及ぶ範囲が広がったと言うことです。威力を高めたと言う言い方はふさわしく無いかもしれません。つまり、彼女の精神が自分に眠っている力を任意に引き出せる、その限界値が上昇したと言うことです。これまでは、一時的な感情の爆発でしか引き出せなかった領域を、無意識下でも操れるようになったと」


 「そりゃ、どうしたってまた?」


 「これまで何度か能力を発揮する機会を経て、経験値を積まれたと考えるのが妥当ではないでしょうか? しかし――それが少々、まだ不安定なようでして。涼宮さんの精神は新たな伸び代を発見し、以前よりも多くの力を使うようになりました。しかし……恐らく、今まで以上の力を使う事が出来ると分かったものの、その加減がいまいち把握できていないのでしょう。今までは余裕を残して少ない値を保っていたものが、今は余裕を残さず、むしろ常に、ほんの僅かだけ限界値をオーバーしてしまっているのです。ここまで、理解できていますか?」
 「……まあ、続けてくれ」

 

 待ってもらったって理解出来るかどうか分からないからな。
 古泉は続けた。


 「オーバーした涼宮さんの力は、涼宮さん個人の枠から零れ落ちて、その外側へとあふれ出してしまった。即ち、この世界ですよ。この世界が涼宮さんによって創られた世界である可能性については……以前お話しましたね」
 「されたような気がするな」
 「涼宮さんの精神の枠から溢れた願望を実現する力が、涼宮さんの精神と繋がっているこの世界……そのうちで、涼宮さんに最も近いこの学園に存在する人々の精神に影響するようになってしまっている、と。この世界が彼女によって作られたなら、そこに住む人々もまた、彼女に作られた、彼女の子どもたちのようなものです。……すみません、不十分な説明でしょうが、今はこれが精一杯なのです」
 「……つまり」


 しばらく頭の中で言葉を整理した後で、組みあがった不細工な筋書を口に出してみる。


 「ハルヒの能力の余った部分が、ハルヒの世界……この世界がハルヒの造った世界だったという前提で。ハルヒの世界に住む連中の願望を実現した。……それが、お前が芸能人をやってるっていう噂が現実になった理由だってのか?」
 「噂というのは願望の集合体みたいなものです。潜在意識でその事項に興味があり、それが現実である可能性に少なからず期待する……その僅かな期待が、何人分も集まれば、そこそこ大きな願望にもなるのではないでしょうか?」
 「じゃあ、今この学校で噂になったことは、何から何まで現実になっちまうって言うのか?」


 それはあまりにもまずいだろう。噂なんてのは人の気分一つで、どんなことにもなって仕舞うのだ。根も葉もない与太話が片端から現実になっていたら、世界はめちゃくちゃになってしまう。スペクタクルだ。ちょっとどころではない恐怖だ。


 「いえ……これはまだ推測の域ですが、恐らく、その心配は必要ないと思われます。例えば、涼宮さんの力と言うのは、今まで、一人の想像力の豊かな作家だったと考えてください。その涼宮さんの力が、今は、周りの人々の想像したこと一つ一つを感知できるようになったのです。しかし、それを現実にするには、作家が筆を振るわなくてはなりません。願望を現実に書き出すのは、あくまで涼宮さんなのです。その際に、涼宮さんが望まない類いの願望は、無意識下の内に弾かれ、文章にされる事はないのです。全ての噂を涼宮さんが無意識下で検閲しているようなものです」


 回らない頭が、ようやく事情を飲み込み始めている。


 「みんなが言うように、お前がモデルだったら、面白いかもしれない。よし、やっちまえ。……ハルヒの精神はそう考えたって言うのか」
 「そういう事です」話し終えて緊張が解けたのか、古泉は再び温和な笑顔に戻っている。
 「しかし、じゃあ……お前が今まで、バイトだっつって、閉鎖空間で戦ってた事実はどうなってるんだ?」
 「その辺りのつじつまは上手くつけられてるようでして」


 俺の言葉を聴き、一度は緩んだ表情が再び研ぎ澄まされる。


 「率直に申し上げますと……神人と戦った記憶というものを、僕は失っています」
 「……何だって?」
 「僕は確かに、機関に所属していて、閉鎖空間に侵入する力を所持しています。しかし僕は神人と戦う力は持っていませんし、実際に神人と戦ったこともありません。いわば僕は監視役です。しかし、つい数日前まで、神人と戦う為に奔走していたはずだ。という漠然とした記憶だけは残されています」


 俺は暫く考えた。神人と戦う立場にいたことは覚えて居るが、戦った事は覚えていないし、戦う能力も失っている。……つじつまが合わない。決定的な矛盾だ。異議あり。


 「そして、僕は不思議なことに、持っているんですよ。アルバイトと言って学校を抜け出し、モデルの業務を果たしている最中の記憶をね」


 恥ずかしそうに笑うな、やめてくれ。
 なるほど、ようやく理解できてきた。確かにこれはどう考えてもハルヒの仕業だ。そうでもなかったら、こんなデタラメがあるわけない。
 俺はほんの少し考えた後、思い浮かんだ疑問を口にした。


 「じゃあ今、お前は超能力者でもなんでもないと?」
 「完全に力を失ったわけでは無いですが、自慢できるほど超能力者じゃないですね」


 自慢してたのか。今まで。
 それならば。ハルヒが望んだ「超能力者」の枠はどうなっているんだ? そう訊ねようとした時、古泉の携帯電話が音を立てた。失礼。と、古泉が電話を取り出す。バイトの知らせだろうか。それと同時に、窓の外から聴き覚えのあるドラ声が聞こえてきて、俺は中庭を見下ろした。校門の方向へ駆けてゆく、携帯を片手にぶら下げた奇怪な人影。

 

               ―――Ah Ah Ah アルバイト~♪

 

 ……マジか? いや、まさか。それは流石にねーよ。ありえるはずが無い。世界を守っているヒーローが、まさかあんな……


 「失礼、マネージャーからでした……どうかなさったんですか?」
 「いや、問題ない。続けてくれ」


 古泉は俺のひきつった表情を見て、分からないと言った風に僅かに首を傾げた。そして言葉を捜すように目を泳がせたあと、再び話し始める。


 「現状は、大体今お話したような感じです。問題は……」


 それがいつまで続くのか?


 「今の段階ではまだなんとも言えないのです。涼宮さんの扱う力に余計な部分が発生している現状が、一体これからどう変化してゆくのか。涼宮さんは力を扱う加減を間も無く会得し、この奇妙な現象は収束するのかもしれません。或いはこの奇妙なバランスのまま、今以上に涼宮さんの力が増幅してゆけば……この学校やこの街に留まらず、世界中の噂が涼宮さんの力の影響を受けるような事態に発展してしまう可能性もあります。これはできるならば避けたい事態です。しかし今の段階で、そういった展開を防ぐ為に我々に出来る事が見つからないのです。様子を見ることしか出来ない……言ってみれば、これまでとなんら変わりません。閉鎖空間が発生すればそれを消滅させ、涼宮さんの機嫌を損ねないように振舞う……最も、前者の役目が僕の肩から降りた分、僕は前よりも少し楽になるかもしれませんが」


 その代わりに、輝かしく忙しない世界での活動に身を置くという義務が発生してしまったわけか。そして、古泉が降りた分を埋める為に、灰色空間を飛び回る新たなる戦士が一人……それが一体誰なのか、余り考えたくは無い。


 「俺はどうすれば良い?」
 「ですから、これまでどおりにお願いします。


 古泉は微笑み、小さく首を動かして頷く。


 「恐らく僕の件以外にも、これからあなたの周りで、噂によって変化してしまうものが発生してくると思います。それらを全て飄々と受け流せ、というのは難しいかもしれませんが……できるだけ受け入れて、これまでどおりにお願いします。恐らくですが、涼宮さんの中でつじつまの会わない事柄が現実化する事は無いはずです」
 「都合よくできてるな」
 「ええ、今のところは」
 「……やれやれ」


 俺は溜息を付き、背もたれに体を預けた。ここ最近、不思議な出来事が途切れた試しがない。非日常に振り回されるのが日常になりつつある。矛盾だ。


 「では、そういう事で……一先ずのところ、お願いしますよ」


 古泉はもう一度微笑み、俺に向けて小さく会釈をしながら立ち上がる。


 「さっきので、ちょっと呼ばれてしまいまして。今日はこれで失礼します。涼宮さんには申しわけないんですが、何か、上手く言っておいて下さい」


 手を合わせながらそう言い残すと、傍らの鞄を手に取り、古泉は部室を後にした。まあ、この展開で仕事が入ったから帰ったとなれば、ハルヒもそれについて文句を言いはしないだろう。


 「言い忘れていましたが」


 俺が強張った背筋をほぐすためにバンザイの体制をとっていると、今しがた出て行ったばかりの古泉がドアの隙間から顔を出した。


 「朝比奈さんは今日は来れないそうです。部室に来る途中に会いまして、その時うかがました。涼宮さんにはもう伝えてあります。それでは、そういう事で」


 律儀に二度目のお辞儀をし、今度こそ、本当に立ち去る。残されたのは俺一人だ。そう言えば、いつもなら据え置きの家具のように存在しているはずの長門の姿が、どういう理由か今日は見当たらない。ハルヒはどこで何をしているだろう。道具を借りてくると言っていたから、写真部か演劇部にでも迷惑を掛けに行ったのだろうか。リアルタイムで奇妙な出来事が起きているとは思えないほどに、一人きりの部室は静かで、平和だった。俺は自分でお茶を淹れ、とりあえず当面は続くであろう奇妙な改変劇を想像し、溜息をついた。
 そのまま十分ほどが経過したであろうか。怠惰空間と化した部室のドアを開き、長門が姿を現した。


 「よう、遅かったな。古泉はバイトで、朝比奈さんは今日は来れないってさ」
 「そう、分かった」


 当たり障りの無い話をした後、長門はいつもの席の背もたれにカーディガンを掛け、本棚から分厚いハードカバーの本を選んで取り出し、椅子に腰を下ろすと、昨日までと何ら変わらない、いつもどおりの体制で読書を始めた。そこまでを見た限りでは、長門は何か変わってしまっている様子は無い。ように思える。


 「なあ、長門」
 「何?」


 前言撤回。俺は即座に返された反応と、同時にこちらに向けられた無垢な視線を前に、目の前の長門が昨日までの長門とは違うということを確信した。長門はこんなふうに、俺の呼びかけにたいして、真っ直ぐな視線と迅速な反応を還してくれたりはしない。これではまるで、少し無口なだけの普通の女子じゃないか。長門というのは、もっと……言語では説明しにくい。情報の伝達に齟齬が発生するかもしれない。何と言うか、常に一枚壁越しに話して居るかのような、そういう微妙な距離感を感じさせてくれるはずなのだ。


 「えっと、お前はこの学校の異変、気づいて無いのか? 古泉の事とか……」


 俺が訊ねると、長門は記憶を探るように視線を泳がせ


 「……古泉一樹に関する噂は聞き及んでいるけれど、それが?」


 それが? て。


 「いや……その噂が、どうも現実だったらしいぜ。っていうか、現実になっちまった。って言うか」


 俺の言葉を聴き、長門が僅かに目を見開いたような気がした。何だこりゃ。こんな感情豊かな長門は見た事が無いぞ。長門は俺の言葉についてなにやら思うところがあるのか、しばらく本の上に視線を戻して何やらを考えた後


 「……あなたに痔の治療法を教えておくべき?」
 「何の噂を聞いたんだ、お前はっ!」


 っていうか、そんな噂が立ってるのか?
 だからこのごろ、国木田が俺を遠い目で見てくるのか?


 「ここ最近、小規模な世界の改変が連続して行われている事は知っていた。その原因についても……涼宮ハルヒの精神状態などから、なんとなく予想はしていた」


 なんとなく。普段の長門には、もしかしたら一番似合わないかもしれないセリフだ。どうやら長門は、古泉より早くにこの世界の異変が起こりえる事は察知していたらしい。


 「ただ、情報統合思念体からの指示は特に無かったし、その異変によってどういった事態が発生するか、明確な予測はできていなかった。だから、下手に先回りをして対策を取ろうとしても良い結果は生まれないと考えていた」
 「だから、何かしら大きな事態が起きるのを待っていたのか」


 今日の長門は良く喋る。


 「そう。でも、今朝になっていきなり、ダンマリだったはずの情報統合思念体から連絡があった。なんでも、私の置かれている環境について世界の改変が行われたとか……私にはそれがどういう事なのか、上手く理解できなかった。だから今日、あなたに事情を話して、私の何が改変されたのかを見てもらおうと思っていたところ」


 長門は此処までの会話の間、ずっと俺と目を合わせ続けている。その目が些細な感情の変化に合わせてくるくると色を変えるのが、とても新鮮で面白い。どうやら長門は、自分の身に起きている異変に全く気がついていないらしい。


 「私のどこかが変わった?」
 「ん……まあ、そうだな。変わったかもしれん」
 「あなたは今回の件について、詳しい事を知っているの?」
 「さっき、大まかな経緯は古泉に聞いた。そうだな、説明しておいたほうがいいか……」


 俺は時計を見た。ハルヒが出て行ってからおおよそ三十分。何処で悪事を働いているにせよ、もうそろそろ帰ってきてもおかしくは無いだろう。


 「今はまずいから……また、放課後に話すよ」
 「分かった。何処で?」
 「また、お前の家でいいんじゃないか?」


 俺の言葉に、長門が先ほどよりもはっきりと目を見開く。今回は心なしか、体全体がビクッと反応したような気もする。何だ? 俺は何か変なことを言ったのか?


 「……いきなりだから、許可が出るかどうか分からない」
 「は?」
 「待って。聞いてみる」


 長門はそう言うと、椅子に掛けたカーディガンのポケットから携帯電話を取り出した。何だ? 誰に聞くって言うんだ? 情報統合思念体にか? 途惑う俺を尻目に、長門は慣れた手つきで文字盤の上に指を這わせ、シルバーの機体を耳に押し当てた。しばし、静寂。ほんの数秒ほどが経った後、長門の耳もとの携帯電話から、誰かのくぐもった声が僅かに聞こえて来たような気がした。女性の声だ。


 「あ、お母さn」
 「たっだいまー!! ……あれ、古泉君は?」


 我等が団長様が、これ以上無いほどのタイミングでご降臨なされた。小脇には一体どこからかっぱらってきたのか、ノンスリーブのGジャンと、同じくデニム生地の半ズボン(とかそういう次元の問題じゃない。尻が半分出てしまうようなやつだ)。そして、リオのカーニバルのランクを限界まで落としたような羽飾りの付いたバンダナらしき布を抱ええている。一体古泉をどう料理するつもりなんだ、こいつは。
 え、それよりも長門、今、電話口でなんて言った?


 「許可は取れた」


 ハルヒに気を取られている内に、長門は電話を終えてしまったらしく、俺に向かって親指などを立てて見せていた。
 やっぱ変だわ、この長門。うん。

 


 つづく


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