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 高校一年の夏休み。
 お盆も明け、青春を感じることなど皆無だった祖父母邸から帰宅した俺は、そのままタンクローリーで押し潰されたアスファルトのごとくベッドと一体化を果たした。
 何故そんなに怠惰な行動を取っているのかと訊かれると、偏に妹のせいと言っても過言ではない。
 みんなもそうかとは思うが、俺は田舎という場所は避暑のために訪れるものだと信じている。中には違うと言い張るやつもいるかもしれんが、概ね似たようなもんだろう。
 しかし、田舎にてそんな俺を待ち受けていたのは、妹というある種のターミネーター的存在だった。
 このハルヒ顔負けのハイバワー野郎により俺の甘い考えは脆くも崩れ去り、逆にはしゃぎ回るあいつの相手をしていたおかげで、俺は疲労感のみを無駄に蓄積して帰ってきたわけだ。
 SOS団団長から与えられたささやかなお盆休みでさえ気の休まる暇はない。誰の陰謀なんだろうね、これは。イニシャルだけでもいいから教えてもらいたいこった。
 
 
 そんなこんなで俺がナメクジのようにベッドの上でグジグジと過ごしていると、急に部屋の扉が爆音をたてながら開かれた。
 おかしいな。こんな奇抜な自動ドアにした記憶は一切無いんだが。
「キョンくーん、お母さんが暇ならおつかいに行ってきなさーい! って言ってたよー」
 ああ、マイマザー。あなたは鬼ですか。私を奴隷とでも勘違いしてるんじゃないでしょうか。
 
 
 というわけで現在俺は、渋々及び泣く泣く家を追い出され、近所のデパート(デパートと呼ぶには小さいかもしれない)に向かっている。
 出掛ける際、妹にお菓子を買ってこいと叩きつけられたが、定石通りガン無視した。元はといえば、こんな倦怠感丸出しなのはあいつのせいだからな。買ってやる義理などない。
 ……それにしても最近妙に妹から嘗められている気がする。これもゆとり教育とやらの影響であるのだろうか。だとしたら学校に是非とも改定を直訴したいね。義務教育の間はゆとり教育を廃止しなさい、と。あくまでも言っておくが、義務教育の間だけな。
 
 
 教育の何たるかというややもって小難しいテーマについて考えながら歩くこと数分間。
 いざデパートに着いたわけだが、置いてある戸棚がまったく思い出せない。
 健忘症ではないぞ。最近は忙しくて来てなかったんだ。主にハルヒとかハルヒとかハルヒのせいで。
 ハルヒへの不平不満を並べながらチロチロと辺り見回す。店員と目が合うがスルー。
 こういう分からないという場合は、普通お店の人に商品が陳列してある場所を訊くのが一般的だろう。
 だがまあ俺も一応思春期、大人と子供の境目なアダルトチルドレン。つまりは難しい年頃であるので、羞恥心という心に聳え立つ高い壁が俺の行動に規制をかけるのだよ。で、よもやの断念。
 
 
 葛藤を繰り返し、どうしたもんかと途方に暮れていると、不意に肩をトントンと小気味のよいリズムで叩かれた。
 ん、誰だ?
 首だけを対象人物がいると思われる方向に傾けた。同時に、頬にふにっとした感覚が襲いかかる。
 何だ、と考えたのも数秒足らず、それの正体にはすぐ検討がついた。
 それは……あー、つまりあれだ、子供の頃よくやっていたやつ。振り向いた相手の頬に指をふにっと当てるあれ。うん、そのままだな。しかしそう言うしかないんだよ。あれの正式名称なんて知ったこっちゃない。名付けるとしたら何だ? 指ふに? 頬ふに?
 などと馬鹿な考えに想いを馳せていたせいか、俺は肝心の相手のことを確認する作業をすっかり失念してしまっていた。
 嫌に考えのベクトルを変更させる自らの性格を呪いつつ、改めて食い入るように視線を向けたその人物は…………OK、しばしの絶句を許してくれ。
 何故? WHY?
 視界に飛び込んできた人は、あまりにも予想の範疇からかけ離れていた、というか絶対想像など出来る訳ねえよ。
 俺に指ふに(もうこれで通す)をかましたそのお方は……機関発の美人メイド、森園生さんその人であった。
 
 
 絶句の後、俺は恐る恐る訊ねることにする。今更ながらよく話しかけられたもんだ、俺。
「森さん、ですよね……」
「はい」
 しどろもどろの質問に対し、森さんは最高に可憐な微笑みを返してくれた。
 凄まじいリターンエースである。ラケットにかすりもしない。もはや反則球だ。
「ど、どうしたんですか?」
 一度噛んだ。恥ずかしい。
「それは……どれに対しての質問ですか? あなたの頬をついたこと? わたしがここにいること? それとも……他に何かある?」
 いや、全部です。
 すべてを投げ出したかのような俺の切り返しに、森さんは口に手を当ててふふっと流麗に笑い、
「わたしの家はこの近くなんですよ。だからときどきこのお店にもお買い物に来るんです。今日も今来たばかりで。ああそれと、あなたにやったことですが……特に意味はありません」
 「何ででしょうね?」と小首を傾け問いかける。そんな素晴らしくストライクゾーンど真ん中の仕草に、俺は完全に打ち抜かれてしまった。朝比奈さんより、凄いかも。
 
 
 俺はまたしても絶句している。もう今日は喋ることが出来そうにない気すらしてきたね。
 と、森さんが、
「あなたは何をしていたんですか? ずっと見てたけど、ボーっとしてましたよね」
 そのセリフを聞いた瞬間だった。
 ……ん、あれ? 何か、違和感を感じるような……
「え、あー、買わなきゃいけないやつの場所が分からなくて」
 何か感じながらも、必死に言葉を繋ぐ。
「ああ、それならわたしに任せてください。大半のものなら何処にあるかは分かりますから」
 森さんはメリハリの利いた体の中でも特に秀逸とされる胸部を少しだけ張って、ちょっぴり誇らしげにそう答えた。
 さっき感じたのは……気のせい、なのかな?
 
 
 さて、それからは森さんの独壇場であった。俺が買うべきものを迷うことなくヒョイヒョイと籠に入れていく。
 無駄のない動きを眺めていると、大半とおっしゃっていたが、実際すべて把握しているのではないだろうかと思ってしまうね。いやはや天晴れだ。
 この頃にもなると、俺が森さんに感じていた違和感もすっかり雲散霧消、消失していて、俺たちの会話もかなりの弾みを見せていた。まあそれもこれも意外なことに、森さんが中々の饒舌家であることが大きいんだけどな。
 鶴屋さんとまでにはいかないが、興味深い話を色々としてくれて、退屈になるということをまったく知らなかった。
 しかし、楽しい時間は過ぎるのが早い。ふと時計を見ると、家を出て三時間は経過しているのに気付く。うお、軽くヤバいな。
「えっと、俺もう帰らなきゃ……じゃあ森さん、今日は本当にありがとうございました」
 最後に「また機会があれば」と格好良く決めてやろうかと思い振り返ると、森さんに流れるような手捌きで一枚のメモ用紙を渡され出鼻を挫かれた。
 無様ながらもとりあえず受け取り、中身を確認すると……わー電話番号とメールアドレスだ……って、何ですとー!
「え、こ、これは……」
「あら、いけませんでしたか?」
 ここでいけませんと言える男なんているのだろうか。いたとしたら、間違いなくそいつはホモだ。だが俺はホモではないんだよ。
「いえ、全然大丈夫です。むしろありがとうございます」
「そうですか、よかったです。では、わたしもこれで失礼しますね」
 
 
 森さんがいなくなった後も、俺は彼女が去っていった方向に視線を委ねていた。
 夢か現か。今一度確かめるため頬をつねる。……痛い、うむ、まごうことなき現の世界だ。
 自宅への帰り道、つねった頬を撫でながら、森さんの指の感触を思い返す。
 俺は今、何を考えているのだろうか?
 
 
 時は流れて就寝前。
 先刻、俺は簡単な挨拶文を打ち込んで森さんへメールを送った。一つ送信するだけでこんなにも緊張したのは初めての経験だな。
 ドキドキした心地のまま返信を待っていると、携帯はランプを点し、次いで近頃流行りのバンドの音楽を着信音としてスピーカーから部屋中に響きわたらせた。
 来た。電話はバイブに設定してあるからメールに違いない。
 慌ててベッドから飛び起き、期待に胸膨らませ新着メールを開く。
 だが直後、高揚していた気持ちは一転。ダウナーなものに早変わりし、俺は思わず頭を抱えてしまう。
 それは最近すっかりご無沙汰だった団長涼宮ハルヒ、そいつからのメールだった。しかしまあ、何てタイミングで送ってくるんだろうね、こいつは。
 
 
 以下、メールの内容である。『明日、九時に駅前集合』……以上だ。
 決して要約したりはしていない。そのまま引用してこれなのだ。
 こんな短絡的なメールと引き換えにあの気持ちを喪ったのかと考えると泣きたくなるね。
 力ない指で適当に返信文を打ち込み、返す。文末におやすみと入れたので戻ってくることはないだろう。
 ハルヒ、お前の相手なら明日死ぬほどしてやる。だからな、今日だけは勘弁してくれ。
 ハルヒからの返事は狙い通り来ることはなかった。しかし一旦気持ちが切れてしまったせいか、突然の眠気に襲われる。
 頭をガクンガクンとシーソーのごとく前へ後ろへ揺らす。これはいかん。返信が来る前に眠るなどシャレにならんぞ。
 状況打破として、眠気覚ましにコーヒーを飲もうと決め込み立ち上がる。ドアノブに手をかけようとした、そのとき、再びベッド上の小さな端末が着信音を吐き出した。
 
 
 翌日、俺は駅前に向かって自転車を走らせた。集合場所には既に他のメンツが揃っているようだ。
「キョン遅い! 罰金よ、罰金……ってあんた、やけにやつれた顔してるわねえ」
 ハルヒがマジマジと俺の顔を眺めてくる。
「いや、そんなことないんじゃないか。あはは……」
「ふーん。あっそ、変なやつ」
 お前にだけは言われたくない。ま、元気がないのは本当だけどな。
 
 
 あのとき俺を引き止めた着信音。それはハルヒから水着を持って来いとの追加メールを知らせるものだった。ああ、また沈みましたよ。そりゃもう、マリアナ海溝より深く深く。
 結局、森さんからメールが返ってくることはなく、俺は後ろ髪を牛車で引っ張られる思いに駆られながら床につく羽目になった。結果、寝不足。
 仕方ないよな? こんな気分になって当然だよな? よし、異論は一切受け付けん。シャットアウトだ。
 しかし、そんな電子のごとくマイナスいっぱいな俺にハルヒが気を使うなどあるはずもなく、挙げ句、市民プールまで曲芸じみた三人乗りをやらされ、俺のライフポイントは底と肉薄する程度しか残っていない状況まで追い詰められた。
 いや、まあ気を使うハルヒなんかいたら、気持ち悪いけど。
 一方、ハルヒ的には活動内容に大満足らしく、その日はプールのみで大手を振って解散と相成った。
 俺の思考は、家に帰って寝たいの一点集中迷いなし。団員への挨拶もそこそこに自転車に跨る。
 すっかり重くなった足でペダルを漕ぎ始め…………あら? 漕ぎ始め……れない。何じゃこりゃ。うんともすんとも言わないじゃねえか。
 何か詰まっているのかと考え、弱々しく振り返ると――
「…………何やってんだ、長門」
 長門に後輪のホイールカバーを読書のついでに掴まれていた。いろんな意味で危険だから止めなさい。
「そう」
 俺が諫めるとパッと手を離す。いい子に育ったな。
「で、何か用事か」
「気をつけて」
 昔も聞いたな、そのセリフ。
「何にだ。また朝倉みたいなやつが俺を襲うってのか」
「今のわたしに言えるのはここまで、後はあなた次第」
 その言葉を残し、長門は颯爽と去っていく。何なんだ、一体。
 
 
 ダラダラと家路につくと、いきなり妹に怒られた。訳が分からん。
「キョンくん、最低なんだよー。女の人を待たせるなんて。だいたいキョンくんは――」
 その他あれこれと咎められた。完全にアホな子になったのか、悲しいぞ妹よ。
「ぶー違うよ! だからお客さんだってばー」
 何がだからだ。先に言えアホ。で、誰だ。
「アホだから分かんないもん」
 いじけたようだ。
「悪かったよ。今度プリンでも買ってやるから」
「ホント! わーい、キョンくん大好きー」
 抱きついてきた。本当に単純なやつである。唯一愛すべきところだがな。
「あ、でね、お客さんはね、お泊まりに行った別荘のメイドさーん」
「………………マジで?」
「マジだよー」
 え、何で森さんが? 昨日のメールの件を謝りに? いや、有り得んだろそれは。
「森さんはどこにいる」
「キョンくんのへやー」
 
 
「――すいません、いきなり訪ねてしまって」
「あ、大丈夫ですよ。うちならいつでも大歓迎です」
 部屋に入ると、リアルに森さんがいた。そして上の会話が成されたのである。
「それで、どうしたんですか?」
 しごく真っ当な質問だろう。嬉しいっちゃ嬉しいんだがな。
「昨日のメールのことで謝りにきました」
 マジすか。
「すみません。昨日はすぐ寝ちゃったんです」
 許します、全力で。夜更かしは美容の敵ですからね。森さんほどの容姿を持っているお方なら特に。
「あら、お上手なんですね」
 事実を言ったまでですよ。
「じゃあ、そんなあなたに一つお願いがあるんですが」
 任せてください。俺にやれることならなんなりと。
「今度の日曜日に付き合って欲しいんです」
 日曜日って……
「つまり、明日です。大丈夫……ですか?」
 上目遣いで森さんが訊ねた。理性と本能が脳内で凄まじいファイトを繰り広げているのが手に取るように分かる。ショートを起こしたんじゃなかろうか。
 声を出すと裏返りそうなので、俺は黙って首を縦に振った。
「よかった。それじゃあ失礼しました」
 目だけを動かし見送る。そんな俺を見て森さんは部屋を出る寸前に立ち止まり、俺の元に戻ってきた。
「明日の前払い、ということで」
 俺は最初、何をされたかは分からなかった。やけに顔が近くにあって、同時に唇に柔らかなものが触れた。
 それがキスだと気付いたのは、離れた森さんの微笑んだ顔を見てからだ。
 思わず、唇を抑える。
「え、ええ!?」
「また明日、お会いしましょう」
 何事も無かったかのような表情の森さん。
 俺はまた、そんな彼女を目で見送ることしか出来なかった。明日、まともに顔を見ることが出来るだろうか。
 電話がかかってきたのか、携帯がジーンズのポケットで震えている。今の俺は、その振動をただ感じることしか出来なかった。
 
 
 無視しても無視しても数分単位で一定のリズムが刻まれる。得てして振動に微弱な怒りを感じるのは気のせいであろうか。
 俺は五回目の着信でようやくそいつを抜き出して、開けた扉に幻影を思い描きながら夢見心地で通話ボタンを押し、耳に思いっきり引っ付けた。
 そして、それがまずかった。
『――さ――――!!』
「んな!?」
 変な嬌声をあげつつ、あまりの轟音に思わず携帯を床に落とす。デフォルトでそれがピチピチ飛び跳ねているように見えるのは目の錯覚に相違ない。
『――じ――!! ――チ――ス――!!』
 聞いたこともないような暴言が、未来永劫聞きたくない声で通話口から幾度となくリピートされた。
 こいつの中で定番となったバカキョン、アホキョンなどかわいいもので、最高位となるとテレビにおいてピーッと明確な放送事故が発生するレベルにまで至るという酷さ。お詫びの映像をクッションとして挾まにゃならんのは規定事項であろうね。
『――――ョ――ホ――!!』
 またこの暴君は禁止コード乱用だけに留まらず、音量に関しても設定はあくまでノーマルシーなはずなのに、覚醒状態ならば片方の鼓膜を通り越し逆の鼓膜をも貫通しそうな大きさで俺の神経系を一閃した。
 耳が未だにジンジンする。ナパーム弾が耳朶で被弾したのかと勘違いしても文句はあるまい。
 これが神様のトンデモバワーだとしたらとんだ無駄遣いであるな、本当に。
『――ちょっとキョン!! ちゃんと話聞いてんの!?』
「ん、ああ……」
 まともに聞けるかアホ。
 既に電話は一メートル先に設置済みだ。しかし、スピーカーでもないのに会話が成立するのはどういう了見であろうね。
 会話と呼ぶには怪しいほどの一方通行なのもいかがなものかとは思うが。
『まったく、しっかりしなさいよ。だから明日は――』
 ちょい待ち。
 …………明日?
 明日は何かあったよな…………えと、底知れなく重要なことが……
 
 ――抜粋(音声の脳内変換多々あり)。
『付き合って欲しいんです』
 
「………………あー……」
『何よ、いきなり変な声出して』
 ハルヒの訝しがる声がよくわかる。だがな、言わせてくれ、お前のせいだよ。
 いやあ危ねえ、あのバカ声でここまで精神をすり減らされていたとはさすがに想定外だ。今の俺にとって三度の飯より大事なことを忘却するとは。
 だが、スッカラカンの頭ながら俺は見事に約束を再繕った。ナイス俺、自分にそう言ってやりたいね。
 そしてこのことから導き出される標はただ一つ。要するに、ハルヒから下された令呪のごとき強制力を誇る団命を断るのは自然の摂理というわけだ。……だよな、うん。
「……ハルヒすまん。明日は大事な用事があるんだ」
『はぁ? 何よそれ、団活より大事なことがあるって言うわけ?』
 それは多々あるだろうが今は突っ込まないでおこう。
「本当にすまん。今度埋め合わせするからさ」
『へぇー…………ほぉー…………』
 電話の向こうで堪忍袋の緒とやらが切れる音はしなかったが、ある程度怒っているらしいのが荒い鼻息からひしひし伝わってくる。
 悪のフォースに満ちたやけに低い声が、恐怖をさらに助長させた。
 口がガタガタ震える。何とか言葉を搾り出さなくては、
「息、荒いぞ」
 アウト! 間違い無くアウト!!
 やっちまったと思うが既に手遅れ。
 ころりと漏れた気遣いの欠片もない一言がトリガーとなったのか……なったんだな、スミマセン。
 遂にそれは携帯一つを隔て、まことに見事な花火を打ち上げた。たーまやーと現実逃避でもしないとやってられないほどに強烈なやつを。
『こんのアホンダラゲ!! もういい、あんた抜きで楽しんでやるんだから! 後で泣きついても知らないわよ!!』
 もはや騒音である。公害だと認識してほしい。
 だいたいの話、俺を感涙に導くイベントが存在するとは到底思えんがね。
『うっさい、黙れ、エロクソ野郎! あ゙ーこれ以上あんたと話していると携帯壊しちゃいそう!』
 ミシッと不気味な音が耳元に響く。
 フィンガークローで通話中の電話を握りつぶす気なのかこいつは。そういうときはリンゴで我慢しとけ、な?
 それに壊したくないのなら早く切ればいいだけの話である。というか頼むからそうしてクダサイ。
『半世紀は奢りだから!!』
 ハルヒはぶつくさ文句を垂れ流していた俺に鳥肌を予感させずにはいられない捨て台詞を吐き、どうしたらそんな音が出るのだろうと尋ねたい勢いで電話を叩き切った。
 ――金科玉条。
 どうやら俺の思った以上にSOS団は規律を重んじる集合体らしい。
 
 忌々しいもんだね、やれやれ。
 
 
 いつまでも頭を抱えていてはしょうがないので、俺はハルヒの考察論もそこそこに森さんへ送るメールを打ち込む作業に移行した。
 「明日はどうするんですか?」と、少々味気無い感じもするがまあこんなもんだろ。よし、送信。
 うむ、今回はあまり緊張しなかったな。さっき(二十分弱前のこと)のインパクトが強すぎたのが主な、と言うより全ての原因だろうけど。
 
『――前払いってことで』
 
 森さんの穏やかな声を反芻すると、青のリトマス試験紙を酸性溶液にぶち込んだ勢いで顔が赤に染まっていくのが理解できた。
 眼前で拝見した顔、そして唇を思い出しさらに熱を増していく。深々溜め息なんかもついちゃったりして、これじゃ恋する乙女だな。
 だあ――クソッ!
 
 
 顔を抑えのたうち回っていた俺は、耳に届くポップな音楽によって現実世界への強制連行を余儀なくされた。
 転がるように携帯を奪取し、ベッドに顎を埋めながら決定ボタンを連打。
 ホワイトカラーのディスプレイに表示されたメール画面は、正真正銘、昨日待ちに待ったお方からのものであった。
 
『わたしが迎えに行きますから待っててもらえますか。時間は四時くらい、場所は……ふふ、こちらは着いてからのお楽しみということで。あ、それとさっきのことは気にしないでくださいね』
 
 ……これが萌えというやつなのか? それも特Aクラスの。
 何にしろ、こんな俺からも一つだけ言えることがある。
 最後の文、それだけは不可能です。
 
 
 一段落の後、クリアブラックに浸食された液晶を弄びながら感慨深い気持ちになった。俺と森さんの関係は随分変わったな、と。
 そこだけ抜き出せば百人中百二十人が喜ぶべき事象だと声を大にして言うに違いない。俺もまたその一人だからな。
 …………でも、まだ違う。
 現在の俺たちの関係は犬と飼い主のようなもの。俺は尻尾を振って森さんに敬虔しているただの忠犬。出来ればもっと近付きたい。身体的な意味じゃなく、心と心を。
 それはいつ訪れるか分からない。だからそのときが来るまで離れないためにも、今はこの距離間であり続けよう。
 そんな決意を胸の内に秘め、俺は微睡みに意識を落とし
「キョンくーん。ごっはんだよー」
 ご飯を食うために、一階に降りた。
 …
 ……
 ………
 
 
 翌日、午後三時五十分。
 森さんが指定した時間まで余すとこ残り十分である。
 洗面台前にて身だしなみの最終チェックをちゃちゃっと仕上げ、彼女を待つため玄関先へと足を運んだ。
 めったに履くことのないお気に入りの靴につま先を入れ、地面との軽快な協同作業をこなす。若干テンションが高めなこともあり鼻唄混じりでガチャリとドアを開くと、ある一つの欲求が俺に容赦なく降り注いだ。
「――あふ、ふあぁ……」
 眠い。寝たい。
 つまり、寝不足だ。
 とかく理由は明らか、昨夜は緊張のあまりまともに眠ることなど到底出来ず、朝も朝で妹に無理やり叩き起こされたからである。マジでノックダウン五秒前。
 まあ寝不足なのは置いといて、あいつは日曜の早朝から何がしたいんだろうか。あの五歳児の風情すら感じさせる振る舞いを観察していると、近年の小学校高学年の実態が気になって仕様がない。
 ……む、また欠伸が出そう……だ……。
「ふあ」
「寝不足ですか?」
「ぁ………………な゙!?」
「こんにちは。あれ、こんばんは、かな?」
 ああ、辛うじてこんばんはじゃないでしょうか。…………って違う!
 玄関先で健康的な白い歯を零しながら軽めに挨拶をくれた彼女を見て、俺は開いていた口をさらにだだっ広く開げた。
 森さんのお出ましである。なんとも最悪なタイミングで。
 彼女の台詞を省みながら質問する。
「あの、いつから……」
「鼻唄お上手でしたね」
 ……最悪だ、死にてえ。舌を噛み切りたいとここまで考えたのは人生初だろう。
 けれども肝心の森さんは、自暴自棄を貫く俺に構うことなくマイペースに、
「どう、似合ってます?」
 なんてのたまいながらパリコレモデルのようにその場で一周。
 袖口から遠慮がちに出した手が、あらぬ方向に突き進んでいた俺の思考を叩き戻し激しく揺さぶりにかけた。心頭滅却煩悩退散。しかし、それは無理な話。
 なぜなら彼女は浴衣であり、なおかつ大和撫子ここに極まれりであったからだ。
 俺の知り得る美辞麗句を並びに並べたって到底及ばない。距離にしたらオゾン層から地核まで軽く至るだろう。まさにパーフェクトな解語之花。
 特にフェチというわけではないが、軽く結われた後ろ髪から覗くうなじや後ろ毛がたまりません。情熱持て余します。
 悶々とする我が面のマヌケっぷりから感想を悟ったらしく、森さんは艶やかな笑みを浮かべ、
「うふ、ありがとう」
 勿体ないくらい有り難いお言葉を頂くことになった。普通は俺がありがとうと言うべきじゃないんですかね。いや、言わせてください。
 本当にどうもありがとうございます。
「いいんですよ、わたしも嬉しかったから。さあ行きましょう」
 
 
 森さんの半歩後ろをひょこひょこついて行く。どうやら遠く倫教の地まで旅立つわけではないらしい。一安心。
 ……しかしうむ。やはり殺人的に素晴らしいな、この後ろ姿は。
 端から見たら俺らはどう写っているんだろうかね。こんな浴衣美人と見るからに平々凡々な一般人。無難に行くと姉弟、一歩間違うとストーカー……はいくらなんでもない、よな?
 頭を一振りし、危うい想像を脳裏から追い出す。どうも卑屈すぎるな、俺は。
 
 
 適当な四方山話を交わしつつしばらく道なりに沿って歩いていると、だんだん森さんと同じくした浴衣姿の女性が目に止まるようになってきた。
 推測。解ってはいたが、改めて頭に一つの言葉が浮かぶ。
「お祭り、か」
 考察しただけのつもりが、自然と口からだだ漏れしていた。
 さして大した不都合はないけど、俺はさもアホみたいな声を出したことだろう。そこだけ切り取れば自殺ものである。
 しかし、慈愛に満ち溢れる森さんに「正解です。行ってみたかったんですよね」と優しく言ってもらえたからオールオッケーだ。今の時代、内容よりも最終的な結果が大事なのだよ、ワトソンくん。
 と、ここで何やらモヤモヤした感覚が俺を襲った。
「む?」
 ……祭り……祭り、ねえ。えらく来てないはずなんだが……。
 何故だろう、最近も訪れたような気がするのは。
 結局、謎の既視感は衆人の蠢きによって音もなく消え去った。ま、そこまで気にする必要はなかろうけどな。
 
 
 また少し歩くと周囲には出店もちらほら登場し、辺りは次第に祭りらしい様相を呈し始めた。
 そして盆踊り会場とは名ばかりの戯れ場に到着した頃には人々の数は指数関数的に一気に上昇し、人口密度の増加を熱気と共に如実に感じ取れる程になっていた。
「え……?」
 森さんが唐突に可愛らしいお声をあげる。
 どうしたんですか、とはとても言えない。この声の起因たる出来事は、誰がどの角度で見ても俺のせいだから。
 
 俺は、何をしてるんだろうね。
 
 目の前に広がる人の山を一瞥して、俺は咄嗟に、そう脊髄反射的に目の前を歩いていた人の手を握った。
 つまり、森さんの手を。
 悪意は無い、と思う。自分でも本当に理解出来ない。どうしてこんな愚行に走っちまったのか。
 森さんは驚きの表情を少しも隠さずに目映いお顔に貼り付け、ふわりと俺を見上げた。
「あの、これは……」
 おっしゃりたいことはよく分かります。
「あ、う……」
 検索エンジンによるサーチを敢行する。
 結果はまだ出ない。
「えっとその……ほら、はぐれちゃったりしたら……うぐ」
 永遠にも感じられた検索が終了。弾き出された解答は一つのみ。
 開き直るほか、なかった。(最低)
「……いけませんか?」
 俺は真剣な目を携え問いかける。サバンナで猛獣と対峙したときを想像してくれ、当社比でそれの三倍は真剣だ。
 当の森さんは会場をぐるりと詮索するように見回し、これまでに見たことないような表情で控えめに笑いながら、
 
「……いいえ、喜んで」
 
 ほんの僅かだけ、何かが変わった気がした。
 
 
 俺たちは様々な露店を巡った。
 タコヤキ屋、焼きそば屋、綿アメ屋、焼きトウモロコシ屋、リンゴ飴屋。ほとんど食い物関連であるのは気のせいだ。射的や輪投げで森さんが超人的な凄腕を披露してもう来ないでくれと店主に泣きながら懇願されたことと何の関係もない。
 しかしまあ、お詫びにと双方の店主は揃いも揃って俺らに対の色彩をした手袋を授与してきたのは奇妙な偶然だな。季節違いも甚だしい一品ではあるが、これも思い出と一緒に大切にしまうことにしよう。
 あとその他に特筆すべきポイントと言えば、森さんが希少性の違いからかかき氷を食べたいと仰せられたとき、俺が森さんの分まで奢って差し上げると、彼女はその容姿に相応しく少女のような声で「ありがとう」と感謝の意を示されたことだな。
 ヒマワリ色の笑顔と一緒にバッチリ脳内フォルダに保管させていただきました。御馳走様です。
 
 
 充分に腹も満たされ何の気なしに二人でぶらぶらさまよっていると、隣からやけに落ち着かない雰囲気を感じ取った。
「どうかしました?」
「はぅ……いや、何でも……」 そうは言いながらも視線は地面に釘付け。絶対変だ。
「何でもないなんてことないでしょう。汗も凄いし」
 その言葉通り森さんの額には汗がびっしり浮かんでおり、歩くペースがどんどん遅くなっていく。そして遂には、片足を引きずるように歩き始めた。
 まさか……。
「わわ、きゃあ」
 繋いだ手に力を込めて、引きずっている足の方に力ずくで回り込む。
 森さんに肩を貸しながら、俺は割と急ぎ目に近所に設置されたベンチへと向かった。
 
 
 ベンチに座り草履を脱がすと、やっぱりというか意外というか、森さんの親指と人差し指の間は痛々しく赤色に腫れ上がっていた。
「とりあえず、これ以上歩くのは無理そうですね」
 しかし彼女は、
「平気です」
 と雄々しく宣言。いや、無理っすよこれは。
「平気なわけないでしょう」
「いえ、全然だいじょ……う……ぶ…………」
 いい加減切羽詰まったので、森さんが話している途中でハンカチを指の間に優しく挟んだ。
 余程しみるらしく、後半は完璧に尻すぼみだ。だから言ったのに。
「どう考えても無理ですって」
 森さんは親の敵でも見つけたような目で俺を睨んでくるが、涙目となると迫力も半減である。
 俺は若干の罪悪感に苛まれながら草履を手に持つと、森さんに向けて背中を差し出した。
「な何のつもりですか! わわわたしはそこまでしてもらわなくても平気だって」
「乗ってください。俺も恥ずかしいんですから」
 耳まで赤くなってやしないよな。どっちにせよ、お互い様だろうけど。
「…………その前にお手洗いに……」
 蚊の泣くような小さな声でそう呟き俺から草履をふんだくると、たどたどしく立ち上がってトイレの方向へとフラフラ歩き去った。
 一瞬付き添うかと迷いもしたが、俺はそこまでエチケットが皆無な人間ではないし、場所的にもここからそう遠くないから大丈夫だろうと思いベンチに腰を下ろして静観を決めた。
 ふと手持ち無沙汰になった自分の手をしばらく眺め、意味もなく二、三度にぎにぎと閉じたり開いたりを繰り返す。
 つーか俺、今更ながらだいぶ凄いことしてるよな。手を繋いだときといい先刻のことといい。
 温かみを帯びていた俺の手は、夏の暑さと反比例するように急速に冷めていった。
 森さん、早く戻って来ねえかなあ。
 頭の中は、彼女のことで一杯だった。
 
 
 ――一言で感想を言えば、遅い。
 女性のお手洗いの時間が男性のそれに比べ長いのは重々承知しているが、いくら何でも限度がある。
 森さんが俺の元を離れ小一時間。夏の空はペンキをひっくり返したように黒く塗りつぶされていた。
「何かあったのかな……」
 誰に言うでもなく独り言をポツリと漏らし、ベンチから重い腰を上げて森さんを探すためトイレに向かい歩いていく。
 そして、目的地に到達する前に彼女は発見される。
 木陰で、顔を抑えてうずくまっている彼女を俺は見つけた。
「森さん!!」
 叫んだよ、そりゃもう。全開シャウトだ。
 森さんの元に全速力で駆け寄る。神懸かり的なスピード。足にF1エンジンでも装着したのかね、俺は。
 だが動力はF1でもボディは紙っぺらみたいな運動不足の人間。それ故反動もすこぶる大きく、彼女の傍らに辿り着いたときには早くも肺がオーバーヒートを起こしていた。
 息も絶え絶え、喉が詰まる。
 当然喋れる状態ではないのだが、それがなかったとしてもきっと俺は言葉を絞り出すことが適わなかっただろう。
 
 森さんが泣いていた。
 
 ……まあ衝撃的だった。
 女の人の涙だったらそれこそ卒業式やら文化祭やらで結構な数を拝見してきたが、一個人の主観でここまで悲哀に満ちた涙を見るのは初めてだ。そこに加えて森さん、イメージ出来ないだろ?
 先ほどのふざけ合いの中で見せた涙なんかとはまったく別種。共有点は一つも存在しない。
 俺はそんな彼女を見て戸惑いを覚えながらも、内心に生まれたある欲求を抑えるのに躍起になっていた。
 生物学的本能によるものか、無性にそうしたくて、抑えようとしても抑えきることが出来なくて、
「……森さん」
 俺は、森さんの華奢な身体を自らの胸に引き寄せた。
 
 シャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。
 発生源であろう柔らかい髪に指をかけ、流れに沿って撫でていると、嗚咽が一層の激しさを増した。……あれ、なんかマズったか? そりゃあやらかしまくりだろうけどさ、最初からって言われるのは身も蓋もない話なわけで。
 仁瓶もなくウェットタイプに属性変更しているシャツに顔を押し付けたまま森さんは、何かを伝えたいのか途切れ途切れの不明瞭な言葉を口にした。そして、何かを求めているのか俺の服を力強くぎゅっと握りしめた。
 取り立てて宇宙的もしくは未来的あるいは超能力的な超人パワーが皆無な俺にとって、それらの言動から森さんの意図を汲み取るのはちっとばかりキツい。つい数秒前には人間的に否定されかねないことをやらかしてしまった感じみたいだし。
 だけど、まあそんな俺でも心の中で何かが核融合を起こしたことくらい理解出来た。これは、俺自身の問題だから。ここまで抑えきれない気持ちになったのは、生まれて初めてだから。
 荒れ気味の息を整えるため一度大きく深呼吸し、森さんの胸の深くに届くように耳元ではっきりと告げる。
 
「俺、森さんのこと好きですよ」
 
 会って……どのくらいだろうか?
 たぶんだいたい四度目、それで何が解るのかと咎められたらそこで終了。二度と二人きりで会う機会などないだろう。
 
「だから……えっと、あのですね……。…………少しは、俺に頼ってください」
 
 じゃあどうして、そんなリスクを背負ってまで告白しているのだろうか? 何故言葉が止まらないのか? やっぱり分かんねえ、俺自身が一番驚いている。
 それと、今更といった感じはするがこれだけは言っておく。これは単なる一時的な気持ちの高ぶりでもなければ、森さんが弱っているところにつけ込んでしまおうなんてわけでもない。
 そもそも俺は昨日誓ったように、どんな状況になろうとゆっくりとゆっくり、糸を紡ぐように関係を深めていくことを望んでいた。
 こんな急展開、予定というか予想すら困難だ。スケジュール帳は最低数ヶ月先まで真っ白で、これから彼女との約束で少しずつ埋めていくはずだった。
 それがこの前倒し。どちらにしてもこんな醜態さらすような人間じゃフられて当然だよな。会うだけで軽くテンパるような男だし、告白でビビっちゃってるし。激しく引かれないことのみを祈るとするか。
 最低フられちまったときは「冗談ですよー」とか笑って誤魔化そう。森さんなら「あはは、解ってますよー」と甲子園優勝バッテリーくらい的確かつ優しげなボールを返して許してくれるはずだ。
 ……もう一緒に、今日みたいなこと出来なくなるのはツラいけど。
 でも、後悔先に立たず? と訊ねられたら迷いなくこう答える。
 関係ないね、そんなこと。本当に想っていれば、後悔なんてするはずがないんだから、って。
 
 反省。ちっとばかしカッコつけすぎた。
 
 一瞬のエアポケット。
 夏の風が俺たちの隙間を埋めるように吹き抜ける。
 ある程度待ってはみるものの、森さんは俺の告白に何のリアクションも示さなかった。
「……森さん?」
 前言撤回。
 大した虚勢を張っていたがやはり恐い、滅茶苦茶不安だ。本音と建前ってやつ。責任は取れません。
 気が付けば森さんの泣き声が止んでいたので、不審がって顔を近づけると、唐辛子を傷口に塗られたかのような衝撃が耳を中心に全身へと走った。
「なあ!?」
 慌てて後ろに身を引く。すると、森さんは糸が切れたマリオネットの動きでくてんと俺に身体を預け、規則正しいリズムですうすう寝息を立て始めた。
「……寝ちゃった、のか?」
 うん、それは別にいいんだが……いやはや何というか……。胸の柔らかすぎる感触や、数センチの距離にある涙跡の刻まれた森さんの顔を見せつけられると、思わずじゃなく俺まで意識を持って行かれそうになるわけで……
 もしこのまま意識を呆気なく蹂躙されるとなれば、草むらで男女が絡み合って寝ているという谷口所持のエロゲのようなシチュエーションへと発展してしまう。公序良俗なんてあったもんじゃない。
 そういや、女の人って浴衣のときは下着つけないって聞いたことあるが本当なのかな? 本当だとしたら、余計に――うおいっ!
 なんちゅうこと想像してんだ俺は……
 ダメだ、考えるな。鼻血どころじゃすまんぞ。モズの早贄ばりにご臨終一直線になる。
 しかし、そんな健気な俺に対して神様はよほど悪戯を働きたいらしい。間違いなくS、宇宙一のサディスト。団長様じゃねえよな?
 家を出るときに降り懸かったあの死神が、ノートも拾っていないのに再び降臨しなさった。
「……ふあ」
 マズい。
 森さんの体温がちょうど眠気を誘ってしまうような気持ちいい温かさで、少しでも気を許したら一気に脳内感情は睡眠欲に占拠されそうだ。
 落ち着け。プラチナ並みの精神力でこの場を乗り切――
「むにゃむにゃ……ふぅー……」
「くう……」
 首筋にモロに息を吹きかけられ、体からがっくりと力が抜ける。
「ふぅーふぅー」
「いや……やん…………」
 もう、止めて……
 敗北という字をグルグル頭上で回しながら地面に背をつけ、森さんに覆い被されたまま、俺はゆっくり瞼を下ろした。
 というか、下ろさせられた。
 ………
 ……
 …

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