4-1

 

「ふう・・・」

図書館のドアを開けると、その隙間からふわぁと涼しい空気が流れてきて、火照った身体に心地よい清涼感を与えてくれる。

こんな真夏の一番暑い時間に図書館に人なんぞいるのだろうか、と思っていたのだが、意外も意外、結構人はいるようだ。

このヒマ人め、と以前の俺なら思ってしまいそうだが、悔しいかな、ここの快適さ・・・とはいっても俺の場合、本を読む、というよりは、その快適な温度の中での、敗北と決まっている心地よい睡魔との闘いの一時を指すのだが、それをここにくる度に味わっている身としてはそんなことは言えんのだ。むしろ、俺のほうがヒマ人みたいだしな。

俺がぼけーっとそんなことを考えているうちに、朝倉(小)は、あちこちきょろきょろしながらすたたたたっと走っていこうとする。

こらこら、図書館では走っちゃいけません。それにお前が読むような本はそっちじゃないぞ。

朝倉(小)を呼び止め、まずは児童書コーナーを探す。この図書館には何度もお世話になっているのだが、児童書コーナーなぞ初めてだ。受付で目的地の場所を聞き、言われたとおりの方向へ向かう。

「そういや長門。お前はいいのか?」

「…何が?」

長門は、言いたいことが分からない、とでも言いたそうにミリ単位で首を傾げた。

「いや、ほらさ、いつもはお前、ここに来るとすぐにフラフラとどこかへ行っちまうだろ?なのに今日はまだここにいるからさ。どうしたのかな、と思ったわけだ」

「今日はあの子の為に来た。だからわたしが好き勝手に行動するわけにはいかない。それに………」

と一旦言葉を切って、改めて視線を合わせてきた。

「それに、あなたたちと一緒にいたい」

一瞬ドキッとしてしまった。そんな言葉が返ってくるとは考えもしなかったからな。

それにその、なんだ。可愛い女の子にじっと見つめられて、そのまま目を合わせ続けるなんて芸当、俺にはできん。まあ古泉ならあのスマイル貼り付けていとも簡単にやっちまいそうだが。

「そうか、分かった。それじゃ、今日一日はあいつに付き合ってもらうぞ」

コク、と頷く長門。

「涼子が呼んでいる」

長門に言われて視線を前に移すと、そこには手でこっちこっちと手を振っている朝倉(小)の姿があった。どうやらちょっと立ち話が過ぎたようだ。

「そうみたいだな。俺たちも行くとするか」

小走りでそこへ向かうと、そこで娘に怒られてしまった。

「おとーさん、としょかんではしっちゃだめじゃない。ちゃんとしずかにしないといけないんだよ?」

「そう。この子の言うとおり。あなたはもう少し図書館でのマナーというものを身につけるべき」

と後ろから歩いてきた長門からも攻撃をくらう。おいおい、お前もかよ。

「確かに走るのはマズイと思うが・・・。小走りくらい別に構わないんじゃないか?」

「「だめっ!」」

・・・だってさ。二人とも申し合わせたかのように全く同じポーズで。腰に軽く両手を当てて。

なあ、俺はなんて言い返したらいいんだ?

そしてこの頬の緩んでしまいそうな感覚は何なんだ?

頼む、誰か教えてくれ。仕方ないからこの場は差しさわりの無い言葉で済ませるが、今後は要注意だな。娘と嫁の言いなりになる、もとい、尻に敷かれる父親。カッコ悪いったらありゃしない。

「はいはい、俺が悪かった。んで、なんか読みたい本はあったか?」

うん、これ!と俺に一冊の絵本を見せた。

「銀河鉄道の・・・夜?」

コク、と母親よろしく頷く。

「分かった。じゃ、これ、一緒に読むか」

と言って俺は朝倉(小)を連れて読み聞かせができるスペースに移動する。

「ほら、長門。お前も来いよ」

じっと俺たちを見ていた長門に声をかけてやると、すたすたとついてきた。

読み聞かせスペースと言うのは、児童書の一角にあり、絨毯のようなものが敷いてあって、そこに直に座るようなところだ。

俺は、窓際のクーラーの風が当たり過ぎず、日光が当たってポカポカと暖かい場所に陣を敷いた。

そこにあぐらをかき、ぽんぽんと自分の膝を叩く。

「さ、ここに座りな。父ちゃんが読んでやるからな」

顔をぱぁと綻ばせてちょこんと俺の足の間に鎮座する朝倉(小)。

長門もそんな俺の横にきれいな正座をして座る。

「よし、いいな?読むぞ」

やれやれ。子供に本を読み聞かせるなんて何年ぶりだっつーの。

考えてみると最後にこんな事やったのって、妹が小学校に入るか入らないか、といった頃だな。ええい、なせば成る。もうヤケクソだ。観念するとしよう。

俺は大きくひとつ深呼吸すると、「銀河鉄道の夜」を開いた。

「―――理科の授業のときでした。先生は黒板につるした大きな星座の図の、上から下へ白くけぶったおびのようなところをさして、いいました。

『みなさんは、このぼんやりと白いものが、ほんとうがなにか、知っていますか―ジョバンニさん。』」

一言一言自分自身で確認していくようにして、朝倉(小)にも聞きやすいように、ゆっくりと読み始める

余裕なんてあったもんじゃない。こういうのって、一旦どこかでつっかえちまうと、それ以降次々とつっかえるようになるからな。何故か、と俺に聞かれてもよく分からん。古泉にでも聞けば、長ったらしい解説で答えてくれそうだが。ただ、俺が思うに、一度ミスると、次のミスが怖くなって、余計焦っちまうからなんじゃないだろうか。

そんな訳で、とにかく必死に読み進める。

「―――そのころ、カンパネルラはほかのこどもたちといっしょに、舟にのって川の中にいました。

――――『カンパネルラ、ぼくたちは天の川の中にいるみたいだね。』

いっしょにのっているマルソがいいました。

『うん、でもほんとうの天の川だって、ほら、あそこに見えるよ』

白くけぶった銀河の流れは、空に大きくかかって、そのはては、遠くの川の流れとつづいているように見えました。

『ジョバンニ、おそいなあ。まだしごとがおわらないのかな。』

カンパネルラは、なんどもなんども川岸のほうをふりかえっていました。」

視線を下に移すと、朝倉(小)が夢中になって聞いている。横を見ると、長門もじっと聞き入っていた。うん、何かこういうのも悪くはないな。

ジョバンニの目の前に汽車が現れて、それに乗り込んだあたりで、朝倉(小)の興奮が増したようだ。視線を絵本から移さない。おいおい、そんなに見つめると本に穴が開いちまうぞ。

「―――ジョバンニが思わず声をかけようとしたとき、その子が頭をひっこめて、こっちを見ました。それはカンパネルラだったのです。

『みんなはね、ずいぶん走ったけれど、追いつかなかった。ザネリ帰ったよ。お父さんがむかえにきたんだ。』

カンパネルラは、なぜかそういいいながら、すこし顔色が青ざめて、どこか苦しいというふうでした。

『この汽車、どこを走っているんだろう。』

『この汽車はね、銀河鉄道を走っているんだよ。』

『銀河鉄道・・・・・。』

『銀河鉄道はね、天の川の左の岸にそって、ずうっと南のほうへつづいているんだ。』」

ん?何か変だぞ。読み始めてからしばらくすると、なんだか多くの視線を感じるようになった。おかしいな。今は朝倉(小)と長門しかいないはずなんだが。

その違和感を確かめるべくふと顔を上げてみると、なんと近くに知らないちびっ子が数人座って俺の話を聞いているではないか。しかもその近くにはその母親と思われる人々が。

その中の一人と目が合い、会釈をされる。

はぁ。さいですか。

こうなったら一人も数人も変わらん。さっさと読むとしよう。

「―――『ジョバンニ、お母さんは、ぼくのことをゆるしてくださるだろうか。』

いきなり、カンパネルラが、思いきったというふうにいいました。

『なぜそんなことをいうの。』

『ぼくはお母さんが幸せになるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、お母さんのいちばんの幸せなんだろう。』

『きみのお母さんは、きみがいるっていうことだけで幸せだよ。お母さんって、そういうものだと思うよ。』

『ぼくわからない。けれどもだれだってほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだね。だからお母さんは、ぼくをきっとゆるしてくださると思う。』

『だいじょうぶだよ、カンパネルラ、きっとゆるしてくださるよ。』

『そうだね、ジョバンニ、ありがとう……。ぼく、これで安心した……。』

カンパネルラは、なにかほんとうに決心しているように見えました。」

ふう、と一息いれる。やっと半分くらいか。それにしても、何故朝倉(小)はこの本をえらんだのだろうか。もっと他の本もあるだろう。クレヨンなんたら、とか。それとも何か考えがあってのことか?なんてな。こんなちびっ子に何か考えがあるなんて思えん。

だってこの本に身を乗り出すようにしてるんだぞ。それは他のちびっ子共にも言えるが。

・・・おっと。足の間のお嬢が俺の顔を見ているではないか。しかも少し眉を寄せている。

早く読めってか。はいはい。

「―――『えらいなあ。ぼくも心をうつくしくもって、みんなの幸せになれるような生きかたをしたい。みんなのためになるなら、死んだってかまわない……。』

ジョバンニは、目が熱くなるのを感じました。

『そうだね、みんなもそう思っているんだね。人をたすけるために死ぬのなら幸せだって……。ああ、ぼく、安心した……。』

カンパネルラの顔は、なぜか明るく、かがやいているように見えました。」

ガーッというクーラーの音と俺の声だけがこの空間に響く。まるで他の音など消えてしまったかのように。

「『―――さそりはいっしょうけんめいにげているうちに、とうとう井戸に落ちてしまったの。さそりははじめて気がついたの。こんなことになるんだったら、はじめからいたちに自分を食べさせてやればよかったって。そして神さまにおいのりしたの。神さまこんど生まれ変わるときは、どうぞほんとうの幸せのために、わたしのからだをおつかいくださいって。そしたらさそりは、いつのまにか自分のからだが、まっかな美しい火になって、暗い夜の空をてらしているのを見たんですって。』

――――『でも、ほんとうの幸せって、なんだろう。』

『ぼく、まだわからないよ。』

『ぼくだってまだわからない。でも二人でいっしょに、ほんとうの幸せをさがそう。ね、カンパネルラ、ぼくたち、どこまでもどこまでもいこうね。』

『うん、きっといくよ、ジョバンニ。ごらん、あそこはなんてきれいなんだろう。みんながあつまっているよ。あそこがきっとほんとうの天上なんだ。』

カンパネルラは、窓の外にひらけた、きれいな空の野原をさして、さけびました。

ジョバンニもそっちを見ましたが、そこは白くけむっているばかりで、なにも見えませんでした。

ジョバンニがふりかえって見ると、そこにはもうカンパネルラの姿はなく、ただ、座席の青いビロードばかりひかっていました。

『カンパネルラ……。カンパネルラ……。』」

俺が読むのを区切ると、しーんとした、少し重たい静寂が場を支配した。

「………ょ……こ…」

長門のよく聞き取れない呟きを聞いて俺はその方向を向く。

・・・え?

その時俺は自分の目を疑った。

信じられないのも無理は無い。だって。だってだぞ。

―――――――――あの長門有希の頬に一筋の雫が伝っていたのだから。

あっちの世界の長門ではなく、この世界の長門が涙を流している。

瞳には悲しみと後悔を映して。

その事実は、俺の思考を停止させるのに十分な威力をもっていた。

いかん。ひとまずジョバンニと共に俺たちも夢の中から帰らなくては。

俺が思考停止状態に陥ってた時間がちょうどいい余韻となっていたようだ。

そのおかげか、俺はスムーズに話に戻ることができた。

「―――『カンパネルラは、あの女の子やさそりと同じように、人の幸せのために死んでいったんだ。……カンパネルラ、ぼくはきみと二人で乗った銀河鉄道をわすれないよ。そしてコールサックの中で、きみとちかいあったことも、いつまでだってわすれない。ぼくもカンパネルラのように、みんなのために、きっとほんとうの幸せをさがしていくよ。』

ジョバンニは、空をあおぎました。心の中に泉のようにきらめきながらわきあがってくるものがあるのを、ジョバンニは、はっきりと知りました。

ちょうどそのとき、東の空はばらいろにそまり、太陽は、しずかにのぼりはじめたのでした。」

――――――――――――――――――。

俺が本を読み終えると、そこには心地よい沈黙が訪れた誰も何も言おうとしない。

あれ?もしかして俺、なんかやっちまったのか?ページ飛ばしたとか?

おい!誰か!もしそうならさっさと教えてくれ!これじゃ蛇の生殺しだ!

ぱちぱちぱち・・・。

そんな俺の考えを消すかのように突然に響く拍手。

その音の主は我が娘だった。その小さな手で精一杯ぱちぱちやっている。

おう、ありがとな。といって頭を撫でてやる。

朝倉(小)の拍手がスイッチとなったのか、気がつくとその小さな拍手は大きな拍手へと変化していた。

うお、なんか凄いぞ!何の拍手だ・・・・ってまさか俺の朗読!?

改めて顔をあげて見回すと、結構な数の親子が笑顔で俺を囲んでいる。

よく見ると、近くのソファーではおじいさんまでもが拍手をしているではないか。

俺は照れながら、いやぁ、最後まで聞いてくださってありがとうございます、などと言っておく。

そうしたらなんだ、またやってくださいね、とか、おにーちゃんじょうずだったよ、とか、次はいつやるんですか、とかそういう返事がたくさんきやがった。

うれしいやらはずかしいやら。どうしたもんかね、これ。

そんな感じで『THE・俺の朗読会』は体制今日の中で幕を閉じた。

そしてその帰り道。

あ、そういえば、と俺はふと思い出した。

「長門。お前さっき俺が本読んでいる最中に泣いてなかったか?」

「見られていた。うかつ…………でも禁則事項」

と俺の唇に人差し指をくっつけて言ってきた。

「今はまだ教えることはできない。時が来たら教える」

だってさ。長門がそういうんなら時とやらを待ってやろうじゃないか。

というよりその時が来ない限りは俺は涙の理由とやらを知ることはできないのだから、待つより他はないわけだ。

あー、それにしても何か今日は長門にドキッとさせられすぎだ。長門ってこんなキャラだったっけ?俺個人としては嬉しいのだが、いつ狂い死にするかわからんので、少々控えて欲しい。少々だぞ、少々。全く辞めてはならんぞ。

んで、娘は娘で大はしゃぎしている。

「おとーさんものすごくじょうずだったよっ!すごいすごい!でねでね、わからないことがあったんだけど・・・きいてもいい?」

ん?なんだ?

「ほんとうのしあわせってなんなの?」

・・・うーん、いきなり難しい質問だな。本当の幸せ、ねぇ。

「よく分からん。だがな、父ちゃんはいつも通りの日常をいつも通りに過ごすことが一番の幸せだと思うぞ?」

「いつも通り・・・?」

「そうだ。SOS団の仲間がいて、友達がいて、家族がいて、朝起きて学校行って、夜は家に帰ってから飯食って寝る。そんないつもと同じ生活ができることが、何一つ欠けずに生活できることが、父ちゃんの一番の幸せかな。ま、今は夏休みで学校はないが、それもまた幸せの一つなわけだ」

「ふーん・・・じゃあわたしもしあわせかな?」

「お前が楽しいんなら、そりゃ絶対幸せだ」

うんっ、と今日一番の100万ワット超の笑顔。

よしよし、いい笑顔だ。その顔を見ると、俺までつられて笑っちまう。

それくらいこいつの笑顔には魅かれるものがある。

心のそこからの笑顔には、誰も逆らうことなどできんのだから。

「それにしても、カンパネルラねぇ」

なぜだろう。絵本の中の人物のはずなのに、なぜか俺の知っている人間のような気がする。

そのことが俺の心になにかもやもやとしたものを残した。

そう。その時まだ俺は何も分かっていなかった。いや、分かってやれなかったんだ。

そのもやもやがなんなのか、を。

四章後半へ


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