「そんな……、じゃあ、あの時……キョンくんは……」
「落ち着け、みくる。お前が悪いわけじゃない。あいつが自らの意思で決めたことなんだ。だから、お前が気にすることはない」
「でも、わたし……いままでキョンくんのことを……」
「それは仕方のないことだ。全部忘れるんだ。お前は何も悪くはない」
「……そのことは……前から……知ってたの?」
「……ああ、知っていた。黙っていたのは悪かったと思ってる。しかし……」
「ううん、いいの。わたしのために……隠してくれていたのよね……」
「みくる……」
 
 
 
翌日
俺は、最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴るのと同時に、教室を飛び出して文芸部室へと向かった。文芸部室の扉を開けると、そこには長門と古泉の姿があった。
長門はともかく古泉はどうやって俺より先に文芸部室に来ることができたのだろう。機関の力か、それともまだ俺の知らないコイツの超能力の一種なのだろうか。
「ふふふ、それは禁則事項ですよ」
古泉はいつものニヤケ顔で唇に人差し指を当てて、まるで朝比奈さんの真似をするかのように、そう言った。
「気色悪いことはやめろ。朝比奈さんを侮辱する真似は許さん」
「おっと、これは失礼。それよりも重要な話とはいったいなんですか。察するに、個々に相談するのではなくふたり同時に集めて相談するとは、相当切羽詰った話のように思うのですが……」
普段はとぼけた笑顔で俺に接しているが、流石に勘の鋭さはハルヒ並だ。ハルヒや長門は言うにおよばず、コイツといい佐々木といい、鶴屋さんも含めて、どうして俺の周囲にはこういった超人が揃っているのだろうか。
「ちょっと長い話になるぜ」
俺は、ふたりがうなずくのを確認すると、朝起きて枕元に手紙があった日の朝から、橘京子の忠告、そして現在に至るまでの状況を説明した。
「まさか……そんなことが……」
俺の話を聞き終わり、長門はいつものように無表情であったが、珍しく古泉は驚いた表情をしていた。
「正直、ハルヒが死ぬ運命にあるかどうかまではわからん。しかし、いままでの状況から橘京子の言っていることには信憑性があるように思えるんだ。
だが、俺は、例えそれが運命であったとしても、このまま指をくわえてハルヒが死ぬのを黙って見ている気はない。だからふたりに協力して欲しいんだ」
「もちろん協力を惜しむつもりはありません。僕達にとっても涼宮さんの身の安全が第一ですから。ただ……」
「なんだ」
「できればもっと早く僕達に相談してもらいたかったですね。橘京子の讒言を信じ、僕達を信用してもらえなかったことが残念です」
そう言った古泉の表情は、普段の温厚さが影を潜め、俺を非難しているようにさえ思えた。
俺が、少し後ろめたい気持ちで、古泉の次の言葉を待っていると、突然、俺と古泉のやりとりを横で眺めていた長門がスタスタと俺の正面に歩み寄り、声をかける間もなく平手で俺の頬を叩いた。
あまりに唐突な出来事に、俺も古泉もどう反応してよいかわからず言葉を失った。長門はそんな俺をじっと見つめて、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「あなたはSOS団の一員であるにも関わらず、わたし達を信用していなかった。橘京子の話を聞いたとき、あなたはわたし達が涼宮ハルヒを守るために朝比奈みくるを犠牲にすると考えた。
しかし、朝比奈みくるもSOS団の一員であり、わたし達の大切な仲間。例え涼宮ハルヒを守るためであっても、簡単に切り捨てたりはしない」
「長門……」
「この二年間、わたし達は様々な困難に直面したが、一度として仲間を犠牲にして助かろうとしたことはなかったはず。なのに、わたしはあなたに信じてもらえなかった。そのことが悔しい」
長門は、いつものように無表情ではあったが、俺をじっと見据えるその瞳からは深い悲しみが伝わってきた。それと同時に、なぜあの時ふたりに相談しなかったのか、といった後悔の念がこみ上げてくる。
「スマン、長門、古泉も」
言葉こそぶっきらぼうであったが、俺は心の底からふたりに謝った。そんな俺の心情を理解したのか、長門はじっと俺の目を見据えていた視線を外し、文芸部室の扉の方へと向かう。
「仲間が失敗したとき、それをフォローするのも仲間の役目。わたしは『今日あなたがそのことを伝えてくれた』という事実を決して無駄にはしない。必ず涼宮ハルヒを守ってみせる。あなたのためにも」
俺のほうを見ずにそう告げた長門は、そのまま俺達と目を合わすことなく部室から出て行った。おそらく掃除当番のハルヒの警護に向かったのだろう。
俺と長門のやりとりを見ていた古泉は、長門が部屋から出て行くのを見て、小さく溜息をついた。
「長門さんの言うとおりですよ。もっと僕達のことを信用してください。この二年間、僕達があなたや涼宮さんを裏切ったことはなかったはずです。ただ……」
「なんだ?」
古泉は、俺が振り向くのを確認してから、さらに自分の考えを語り始める。
「僕と長門さんの意見は若干違いますね。僕は『あなたは朝比奈さんにすべてを告げるべきだった』と考えますが……」
「そんなことをすれば、朝比奈さんはこの時代に残ると言い出すに決まってるだろう」
俺が少し声を荒げて反論すると、古泉は、いつもの笑顔ではなく、少し鋭い目つきで俺の目を見た。
「確かに、朝比奈さんはか弱い少女のような容姿をしているため、あなたが守ってあげたくなる気持ちもわからなくはありません。
しかし、朝比奈さんは、この世界で犠牲になるということも覚悟のうえで、未来から派遣されて来たはずです。涼宮さんを監視するという目的の為にね。
今回、あなたが朝比奈さんに対してとった行為は、そんな彼女の覚悟を踏み躙ることになりませんか。
僕達は、仮に朝比奈さんがこの時代に残ることを選択すれば、最大限の努力をして彼女を守るつもりでした。決して朝比奈さんを見殺しにするような真似をするつもりはなかった。
それでも、朝比奈さんが不幸にも命を落とすようなことになったとしても、それは彼女自身の決めたこと。彼女も納得されたはずです。
でも、あなたは朝比奈さんに選択肢すら与えなかった。このことは、朝比奈さんを一人前と見なしていないということになりませんか」
「何が言いたい」
俺も負けずに古泉を睨み返して答える。
「優しさは、時に人を傷つけることにもなるということです」
古泉は、俺から視線をそらし、団長席に目を向ける。
「まあ、そんなあなたの優しさに、涼宮さんは惚れたのかも知れませんがね」
しみじみとそうつぶやいた古泉の表情からは諦めのような感情が読み取れた。コイツがこんな風に感情を表に出すことは珍しく、俺は驚きを隠せなかった。
俺と古泉の間に奇妙な沈黙が訪れる。
突然、古泉は何事かを叫びながら、俺を突き飛ばした。咄嗟の出来事に反応できず、俺は尻餅をつき背後の壁に頭を打ち付けた。
「何しやがる!」
「下がって!」
顔を上げると、いままでふたりきりであったはずの部室に、もうひとりの見覚えのない人物が、光線銃のようなものをこちらに向けて、団長机の上に立っている姿が見えた。
チラッと背後を確認すると、光線銃とおぼしきものから発射された何かが当たったと思われる壁の一部が黒く焼け焦げている。それを見て、初めて生命の危機であったことを認識した。
俺が尻餅をついたまま団長席のほうに視線を移すと、古泉がどこに持っていたかわからない特殊警棒を構えて不法侵入者を威嚇している光景が目に飛び込んできた。
「そこでじっとしていてください! 決して動かないで!!」
古泉は俺のほうを見ず、特殊警棒で侵入者を威嚇しながらそう叫んだ。平凡人の俺にはどうしてよいかわからず、ただただ古泉の言葉に従うしかなかった。
そうこうしているうちに、部屋の外の廊下から騒々しい声と聞きなれた足音が聞こえてきた。どうやらハルヒが長門を伴って部室へと馳せ参じたようだ。このときほどハルヒの(正確には長門の)到着を待ちわびたことはない。
だが、相手もハルヒと長門が文芸部室に近づいてくるのを察知したようで、瞬時に俺達の目の前から姿を消し去った。文字通り俺達の目の前から姿が掻き消えてしまったのだ。
どこにも逃げ道はなく驚愕に値する出来事だったが、この程度のことで驚かない自分がいることに気づく。侵入者が姿を消すのとほぼ同時に、ハルヒが元気よくドカンと扉を開けて部屋の中へと入ってきた。
「お待たせ! ってあれ、どうしたの、キョン」
ハルヒは尻餅をついたままの俺の姿を見て、怪訝そうな表情で俺に尋ねてきた。幸いなことに、侵入者や古泉の特殊警棒はハルヒには気づかれなかったようだ。
「い、いや、なんでもない」
「ふ~ん、あ、そう」
パンパンとズボンを手で叩きながら立ち上がる俺の姿を一瞥して、ハルヒは団長席にドカっと座った。
「あんた古泉くんと喧嘩でもしたの?」
予想だにしなかった質問がハルヒから俺に投げかけられ、古泉は少し引きつったような笑顔でハルヒを見る。
「い、い、いや、そんなことはないぞ。な、なんでそう思うんだ」
予想外のハルヒの質問に、適切ないいわけが見つからず、俺は少しうわずった声でハルヒの質問にこう答えるしかなかった。
ハルヒはすべてを見透かすような表情で俺と古泉を交互に眺めた後、自分の中で結論を出したようにうんうんとうなずいて、団長席のディスプレイに視線を移す。
「部屋に入ってきたとき、乱闘があったような印象を受けたのよね。言いたくないなら言わなくてもいいわ。でも、暴れるんなら部屋の外でやってよね」
ハルヒは、もうそのことには感心を失ったようで、いつものようにネットサーフィンを始めた。あらためてハルヒの勘のよさに感心する。浮気などはとてもじゃないができそうにない。
ただ、つきあいだして間もない恋人同士というのに、みんなの前での俺への態度は相変わらずだ。ハルヒらしいと言えばそうなのだが、もう少し優しい言葉をかけてもらいたいというかなんというか……
古泉が両手を広げるいつものポーズで俺に視線を送る姿が視界の端に映った。その表情はいつもの胡散臭い笑顔に戻っていたため、なんとなくほっとした気分で、俺は溜息をついた。
その後、いつもと同じように古泉とボードゲームをすることになったが、俺の頭の中ではこの数日間に起きた様々な出来事がぐるぐると巡っていたため、ゲームに集中できず古泉に大敗することになった。
こんな状況にもかかわらず平常心を保っているとは、長門はともかく古泉も普通ではない変態的な精神の持ち主なのだということをあらためて認識させられた。
 
 
 
翌日
昨日の出来事もありなかなか寝付けなかったせいか、目覚ましがなったことにも気づかず、通例の二度寝をすることなく妹の布団はぎによって強制的に起こされることになった。
「キョンくん、どうしたの、今日はいつもより眠たそうだけど大丈夫」
そう思うのならもう少しゆっくり寝かしておいて欲しいと思いつつも、俺は目を覚ますために洗面台に向かった。
いつものように朝食を食べ、身支度を整えて、忘れ物がないことを確認した後、いざ玄関の戸を開けると、そこには見飽きたニヤケ面の男が立っていた。
「おはようございます」
いつものポーカーフェイスで挨拶してくる古泉からは昨日のような感情は読み取れなかった。仕方なく、俺は古泉に朝の出迎えの意図を尋ねることにする。
「いったいどういうことだ」
「あなたが昨日我々に話してくれた事実を機関に報告した結果、あなたの警護するという結論に達したのです。それで、機関の命を受けて、僕がこのように馳せ参じたのですが、なにか不都合でも」
「当たり前だろ、こんなことをされては家族が不審に思うだろ。なにより命の危機にさらされているのは俺ではなくハルヒだ」
「同じ北高の友人が、いっしょに登校しようと出迎えに来ることが不審に思われるとは思いませんが……
それに昨日、あなたが文芸部室で正体不明の人物に襲撃を受けたのをお忘れですか?」
古泉の言葉を聞いて、昨日の文芸部室での光景が脳裏に蘇る。団長机の上に立っていた襲撃者になんとなく見覚えがあるような気がするのだが……
「あ~、古泉くんだ~、隣のお姉さんは古泉くんの彼女?」
玄関から出てきた妹が、俺と古泉の話の間に割って入ってくる。これ以上話がややこしくなるのはまっぴらごめんとばかりに、俺は妹を静止した。
「こ、こら、早く学校に行きなさい、って隣のお姉さん?」
俺が古泉の隣に目を向けると、そこには喜緑さんが、まるで古泉の彼女のように、笑顔で立っていた。確かに知らない人が見たら美男美女のカップルに見えなくもない。
「昨日、情報統合思念体と機関の間で合議が行われ、24時間体制であなたと涼宮さんをお守りすることに決定いたしましたわ。涼宮さんのほうは長門さんと森園生さんが警護に当たってるはずですよ」
俺が質問を投げかける前に、喜緑さんは俺の疑問に答えた。
「長門さんではなく、わたしでは頼りになりませんか」
「いえ、そんな」
「では、彼も納得されたようなので参りましょうか」
おい古泉、勝手に仕切るな。そう言いたかったが、別に文句をつける理由も見当たらなかったので、俺は渋々ふたりと連れ立って北高へと向かうことにした。
人知を超えた超生命体と得体の知れない秘密結社による警護とは、いくらなんでも大げさすぎないか。この国の総理大臣でもこんな厳重な警護はついていないだろう……
そうは思ったものの、一晩中不安に苛まれていた俺の心の中に急に安心感がこみ上げてきた。これで、万一ハルヒに危機が訪れることがあっても大丈夫だろう、と。
途中、喜緑さんは姿を消してしまったため、古泉といっしょに北高へと続く坂道を登っていると、後ろから聞きなれた無駄に元気の良い声が聞こえてきた。
「おはよう、キョン! ほら、しゃきっとしなさい!」
いつものように俺の背中を叩くハルヒの傍らには長門の姿があった。俺が長門のほうを眺めていると、ハルヒが俺が尋ねもしないのに答える。
「ああ、なぜか知らないけど今日は有希があたしを迎えにきてくれたのよ。あんた有希に何か用事でもあるの?」
「い、いや、別に」
「ふ~ん」
ハルヒは、俺の顔を覗き込みながら、少し悪戯っぽい笑顔をつくる。ただし、その表情にも関わらず、目は笑ってはいなかった。
「まあ、あんたにそんな甲斐性があるとは思えないけど……、浮気したら許さないからね!」
ハルヒとのつきあいが長いからわかるが、コイツがこういう風に冗談ぽい表情をつくりながら、鋭い目つきをして何かを言うときは、たいてい本気で言っているときだ。
つまり何か、いまの一瞬で俺が長門と浮気をしているのではないかという懸念を抱いたというわけか、コイツは。いくらなんでも嫉妬深過ぎやしないか。
「くっくっく」
俺とハルヒのやりとりを横で見ていた古泉が、まるで佐々木のように、声を殺して笑い出す。
「何がおかしいんだ」
「いえ、いかにいままで涼宮さんがあなたに振り回され続けてきたかが、よくわかるひとコマだと思いまして」
「おいおい、それは逆だろう」
「確かに、あなたにとってはそうかもしれませんね」
古泉は俺の反論にまともに答える気がないのか、そう一言感想を言っただけだった。そのことを俺は少し不満に思ったが、なんとなく墓穴を掘りそうな気がしたので、それ以上反論はしなかった。
そうこうしているうちに俺達四人は北高の校門までたどり着き、古泉、長門と別れてハルヒとふたりで教室に向かう。
正直、監視役がいなくなったようで少し気分が晴れたような気がした。まあ、ふたりが俺達の目の前からいなくなっただけで、いまこのときも、機関のエージェントや情報統合思念体の端末が俺達を見張っているのだろうが……
授業は滞りなく終わり、いつものようにSOS団本拠地の文芸部室へと向かう。すでに部室に来ていた長門と古泉に一言挨拶をした後、団長殿が来るのを待ってから、古泉とボードゲームに興じる。
終業のチャイムが鳴り、帰り支度をしている最中に、古泉が俺の耳元でそっと囁いた。
「できれば、涼宮さんを自宅まで送ってあげて欲しいのですが……」
「そんなことお前に言われる筋合いはない」
俺が不機嫌そうにそう答えると、古泉は相変わらずのポーカーフェイスのままさらに懇願するように俺に告げた。
「お願いします。そのほうが我々としても警護し易いのですよ。あなたも涼宮さんが無事であることを願っているはずです。それに仲を深めるいい機会ではないですか?」
俺は無言で古泉の顔を見つめるが、古泉はいつもの笑顔のまま俺の返答を待っていた。
「仲を深めるためじゃないぞ。ハルヒの身を案じてするんだからな。勘違いするな」
「ふふふ、もう恋人同士なんですから、そんな風に照れなくてもいいと思いますが。あなたが思っている以上に、涼宮さんはあなたに恋人として振舞って欲しいと思っていると思いますよ」
言いたいことだけ言って、古泉は俺の傍から離れていった。しかしどうやってハルヒを誘おうか、いざとなったら照れるなあ。
「な、なあ、ハルヒ、ど、どうだ、よかったら送っていこうか」
緊張しながらそう言った俺の顔を見て、一瞬驚いたような表情をつくったハルヒではあったが、その表情がにんまりと笑顔に変わり、ハルヒは俺の顔を覗き込む。
「な~に、あんた、あたしといっしょに帰りたいの。だったら正直にそういえばいいのに」
勝ち誇ったような笑顔でそう答えるハルヒの顔を見て、正直どう返答しようか迷ったが、ここで否定するわけにもいかず、俺は首肯するしかなかった。
俺が首肯するのを確認すると、ハルヒは満面の笑顔になり、
「じゃあ、あたし校門で待ってるからすぐ来るのよ」
と言い残し、気分上々といった様子で鼻歌を歌いながら部屋から出て行った。
ハルヒの頭の中には戸締りを手伝おうといった考えはさらさらなかったようで、俺はハルヒの後姿が消えるのを待って大きく溜息をついた。
確かに俺とハルヒは恋人同士だが、こんなことが続くようなら俺とハルヒの間のパワーバランスが崩れてしまう。現状でさえハルヒのほうにアドバンテージがあるというのに……
「ふふふ、あなたは客観的にご自分を見ることが苦手なようですね。あなたと涼宮さんではあなたのほうが少し分があると思いますよ。それにあなたのその考え方は少々子供っぽい気もしますが……
もっと大きな心で涼宮さんを受けとめてあげてもいいのではないですか」
「お前の言っている意味がわからん。ハルヒに対するアドバンテージを俺が持っているか? まあ、確かに子供っぽい考え方というところは否定できないがな」
「あなたは自覚していないかもしれませんが、涼宮さんはいつも不安に思っているのですよ。あなたがいまでも自分を好きでいてくれるかどうかということにね。
なにせ、涼宮さんは幾多のライバルを押しのけてあなたの愛を勝ち取ったのですからね。そう思われるのも当然かと」
「ライバル?」
聞き返すと、古泉は、しまった、と言いたげな顔になった。
「失礼、いまのは失言です。忘れてください」
古泉の言っていることは話半分も理解できなかったが、あたふたする古泉、という珍しいものを見ることができたのでよしとしよう。
コホンとひとつ咳払いをした後、古泉は強引に話をまとめに入った。
「と、とにかく、涼宮さんとおつきあいをすると決めたのであれば、彼女の尻に敷かれることぐらいは最初から覚悟していたのではないですか」
この古泉のセリフに、俺は妙に納得してしまった。
戸締りを終えて、ハルヒの待つ校門に向かうと、校門にもたれかかって待ちぼうけしているハルヒの姿が目に入った。
「遅い!! 戸締り程度に何分かかってるのよ!」
ハルヒは俺の姿を見るや否や大声でそう叫んだ。その様子はつきあい始める前のハルヒとなんら変わりはしない。
これが俺に嫌われないかと不安に思っている奴の姿か。古泉の詭弁にも呆れ果てる。時々コイツは妙なことを言って俺を困惑させるな。機関の陰謀か。
「では、僕はこれで」
気を利かせたつもりなのか、古泉はハルヒに用事がある旨を一言告げてから、おそらく機関が用意したであろうワンボックスカーに乗り込み、俺達の前から姿を消した。
仕方なく、俺はハルヒとふたりで帰路につくことになった。ハルヒは上機嫌のまま俺にあれやこれやと話しかけてくるが、その内容はいつもの他愛ない話とさほど変わりはない。
そんなハルヒの姿を見ながら「ああこれが俺の好きなハルヒだ。俺はコイツのこういうところに惚れたんだな」と感傷的な感情を抱いてしまった。
目の前にハルヒの家が見えてきた頃、ハルヒの話が急に止まり、少しだけハルヒの表情が変わったのがわかった。
「どうしたんだ、ハルヒ」
ハルヒは俺の目をじっと見つめ、おずおずと口を開く。
「ねえ、キョン。あんた、あたしに何か隠してる」
ハルヒの突然の問いかけに、俺はドキッとした。ハルヒは俺の返答を聞くことなく、自分の考えていることを話し出す。
「ご、誤解しないでね。あたしは別にあんたが浮気してるとか、そんなことを疑ってるわけじゃないんだから。
あたしが聞いてるのは、あたし達に心配かけないように、あんたが自分ひとりで何かを抱え込んでるんじゃないかってこと。
だって、あんた最近様子がちょっとおかしかったもん。なんか、ひとりで悩んでるような感じがして。言えない事なら言わなくていいわ。無理には聞かないから。
でも、もしあたしにできることがあるなら遠慮なく言ってよね。あたしは団長だし、あんたの……彼女でもあるんだから」
勘の鋭さは相変わらずだ。感心を通り越して飽きれてしまうほどだ。だが、ハルヒが真剣な優しさが伝わってきたような感じがして、目頭が熱くなった。
「ありがとうハルヒ、もしそのときはよろしく頼むわ」
「絶対だからね! 遠慮せずに話しなさいよ!」
そう叫んだ後、ハルヒは顔を真っ赤にして、俺のほうを振り返りもせずに自宅の中へと駆け込んでいった。
ハルヒの意外な優しい一面に触れた嬉しさと、ハルヒと別れて独りぼっちで帰らなければならない寂しさが混ざり合ったような感情を抱いて、俺はハルヒの家を後にした。
ハルヒの家から少し離れた場所に見覚えのあるワンボックスカーが停まっていた。ドアが開き、中から見覚えのあるニヤケ顔が出てくる。
「ご苦労様でした。自宅までお送りします」
「何度も言わすな。お前達のためにやっていることではない。それにいまは一人で帰りたい気分なんだ」
古泉が少し困った顔をした後、ワンボックスカーの中から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「夜道の一人歩きは危険ですわ。あなたのお気持ちもわかりますが、できれば御一緒していただけませんか」
中から出てきたのは喜緑さんだった。
「もし、あなたが帰宅途中に宇宙的なものに襲われるようなことになれば、わたし達は今日のことを永遠に後悔することになります。ですからわたし達のためにも……」
気乗りはしなかったが、仕方なく俺はワンボックスカーに乗り込んだ。古泉と喜緑さんも乗り込み、ワンボックスカーは音もなく走り出す。
「見てたのか」
「申し訳ないと思いましたが……」
古泉にこんなことを言っても仕方がないことはわかっていた。だからそれ以上、俺は古泉に何も話しかけなかった。俺達の乗ったワンボックスカーは一度も信号で停止することなく俺の家へと到着した。
「では、失礼します」
俺が降りると、それは音もなく走り去って行った。
ワンボックスカーが走り去って行った後を、俺はしばらく眺めてた。なんともいえない、言葉では言い表せない感情が胸に込み上げてくる。
とりあえず一週間、我慢すればまた日常が戻ってくる。何もなく怠惰に過ごしていた日常を懐かしく思いながら、俺は自分の家へと戻った。
 
 
 
それから数日が経ち、橘京子の言った一週間の最後の日、俺達四人はいつもの喫茶店に集合していた。もう学校は春休みに入り、ハルヒが恒例の市内探索をするために全員に集合をかけたのだ。
最初に市内探索の話を聞いたとき、古泉が遠まわしに中止を求めたのだが、一度言い出したハルヒがそのような忠告を受け付けるわけはなく、そこで探索は全員一組になることを俺が提言し、何とかハルヒに認めさせた。
もし仮に何かがあっても、傍に長門と古泉がいればなんとかなるだろう。ハルヒは俺と二人組で市内を回るつもりだったらしく、ぶつぶつと不満を口にしていた。
「じゃあ、今日は四人で市内の隅から隅まで探索するわよ! いいキョン、真剣に探すのよ! 今日こそ宇宙人が地球に来ているという痕跡を見つけるわ!」
その痕跡ならお前の隣に座っているだろ、と言いたかったが、これもいつものことだ。いまさら愚痴を言っても仕方がない。俺はテーブルの上にあるアイスコーヒーを飲み干して立ち上がった。
「はい、伝票」
ハルヒがさも当然のように俺の前に伝票を差し出す。俺は文句を言う気力もなく、ハルヒから伝票を受け取ってレジへと向かった。何かハルヒに飼いならされているようだ。将来、絶対尻に敷かれるな、俺は。
俺がハルヒとの夫婦生活に思いを馳せていると、ニヤケ面が俺に近づいてきて耳打ちをする。
「今日が最終日です。お疲れと思いますが気を抜かないでください。機関の内部に不穏な動きが見られると報告があったので、念のため……」
「おいおい、そんな話は聞いてないぞ。大問題じゃないのか」
「大丈夫です。橘京子の言葉を信じるなら、今日を乗り切れば何とかなるはずです。それよりもひとつお伺いしたいのですが、あなたが件のお三方とここでお会いしたとき、九曜さんは何も言っていませんでしたか?」
古泉の言葉を聞いて、喫茶店で佐々木団の取り巻き連中に会ったときの光景が脳裏に蘇る。
「言ったとおりだ。九曜は橘京子の讒言を指摘しただけだ。なぜ、いまになってそんなことを聞く?」
「いえ、仮にこの陰謀を画策したのが三人の誰かだと仮定した場合、誰が絵を描いたのかが気になりまして……」
「つまりお前達に敵対する三勢力の誰かがハルヒの命を狙っているということか」
「その可能性も否定できません。彼らがそこまで強引に事を進めるとは思えませんが、もしそれが天蓋領域であれば、いまの警備体制でも万全とは言い難いですね」
「キョン! 古泉くん! 何してるよ!」
喫茶店の外からハルヒの催促の声が聞こえてきたので、俺達は慌てて支払いを済まし、喫茶店のレジを後にした。
「遅いじゃない、何してたのよ」
「スマン、ちょっと古泉と高校卒業後の進路のことについて話し合っていたんだ」
拗ねたペリカンのような表情で不満をぶつけてくるハルヒを、俺はごまかしながらなんとかなだめる。
「そんなことはいま話さなくてもいいじゃない!」
「確かに、まあ、そうなんだが、つい古泉と熱く語ってしまったんだ」
「でも、確かにそれは重要ね。今度SOS団でも一度真剣に話し合う必要があるわね」
話の振り方を間違えて、ひとつ厄介ごとを抱え込んだような気がしたが、まあいい、後は野となれ山となれだ。とにかくいまは今日一日を乗り切ることが最重要課題だ。
「ところで、今日はどこに行くつもりなんだ?」
俺がそう尋ねると、ハルヒは待ってましたといわんばかりの顔で、ずっと悩みつづけていた問題の解答が解った学者のように話し出した。
「あのね、あたし隣町で古本屋を見つけたの。中には得体の知れない本がたくさん並んでて、これはあたしの勘なんだけど、きっとあの中に不思議な書物が紛れているに違いないわ。
悪魔を呼び出す魔術書とか、超能力者になるマニュアルとか、タイムマシンの設計図とか、そういうのがある気がするのよ。だからいまから行って、あたし達でそれを見つけるの」
得意気にそう俺に話しかけるハルヒの満面の笑顔を見て、さらにひとつ厄介事が自分の下に舞い込んで来た事を知った。
長門や古泉といっしょに、妖しげな悪魔召喚の儀式をしたり、山奥で忍術の訓練まがいのことをしたり、ガラクタを組み合わせて得体の知れない乗り物を作っている光景が容易に想像できる。
それだけならまだしも、本当に悪魔が出てきたり、超能力者になったり、過去や未来にタイムとラベルしてしまったらどうしよう。
そんな俺の不安を尻目に、ハルヒはいつもの猪突猛進モードに入る。こうなってはもう誰も止めることができない。俺達の話を横で聞いていた古泉のひきつった笑顔がチラッと見えた。
「じゃあ、そういうことで、隣町へ出発!」
ハルヒが、俺達を先導するように、駅へ向かって走り出した直後、
「危ない!」
長門が叫ぶのと同時に、ハルヒの頭上に鉄骨が落下する。
「ハルヒ!!」
鉄骨は、長門の情報操作によって、ハルヒの身体を避けるように轟音を立てて地面に衝突した。ハルヒの無事を確認して、俺は鉄骨の落ちてきた工事中のビルの屋上を見上げる。
全身に衝撃が走った。心の奥底に封印していた死への恐怖がこみ上げてくる。屋上にいたのは、紛れもなく、ニ度俺の命を奪いかけ、長門により消滅させられたはずの朝倉涼子だった。
朝倉涼子の姿を見て固まってしまった俺のもとに、すばやく古泉が駆け寄り耳打ちをする。
「機関の救急車を呼びます。朝倉涼子は長門さんに任せましょう。あなたは涼宮さんを落ち着かせて下さい。早く!」
古泉の咄嗟の機転で正気に戻った俺は、長門が驚異的な跳躍でビルの屋上まで飛び上がるのを視界の端に捕らえながら、ハルヒのもとへと駆け寄る。
「ハルヒ!! 大丈夫か!」
恐怖で真っ青になったハルヒは、言葉を失い、視点の定まらない虚ろな表情で、その場にへたり込んだ。俺が手を差し伸べると、ハルヒは震えながらその手を掴んでゆっくりと立ち上がる。
「ハルヒ、大丈夫か、怪我はないか」
「う、うん、だ、大丈夫みたい」
「一応、古泉が救急車を呼んだから、念のため病院に行こう」
俺の言葉を聞いて、ハルヒはおどろいたような表情で俺を見つめる。
「え!? じゃあ、今日の不思議探索はどうなるの?」
「今日はもう中止だ。病院に行って診てもらえ。古本屋だったらいつでも行けるだろ」
ハルヒは俺の手を放して、少しだけ俺と距離をとると、その場で飛んだり跳ねたりしながら無事であることをアピールし始めた。
「ほ、ほら、大丈夫よ、あたしは平気、どこも怪我なんかしてないんだから。だから病院に行く必要なんかないわ」
表面上は平静を取り繕っているものの、明らかに強がっていることは誰の目にも明らかだった。
「ハルヒ……」
「な、なによ」
「頼む、今日は中止にして病院に行ってくれ。何かあったらどうするんだ。市内の探索ならいつでもできるじゃないか」
俺が必死で頼み込むと、ハルヒは、強がっていたつくり笑いをその表情から消し、泣きそうな顔になって、じっと俺を顔を見つめる。
「どうしてよ!! どうしてそんなこと言うのよ! あたしはあんたといっしょにいたいの! あんたと一秒でも長くいっしょにいたいのよ!!
なのにどうしてあんたは、あたしとふたりっきりになるのを避けようとするのよ!! 今日だって本当はあんたとふたりで行きたかったのに!
あたしの気も知らずに、みくるちゃんとデートしたり、有希や古泉くんとばかり話して。これじゃあ、つきあい始める前と何も変わらないじゃない!
あたしはキョンと……あんたといっしょにいたいだけ!! なのに、なのに……どうして……」
目を涙で滲ませ下唇を噛むハルヒの姿は、全身で俺への想いを訴えているようでさえあった。あの気丈なハルヒがこんな風に自分の感情を爆発させて、人前で泣き出すとは……
思いもよらないハルヒの悲痛な叫びを聞いて、俺は驚愕するとともに、心に罪悪感が込み上げてきた。ハルヒが俺に対してそんな感情を抱いていたなんて、想像すらしてなかったからだ。
俺は、心のどこかでは、ハルヒといままでと同じようにつきあっていければよいと思っていた。そしてハルヒもそのことを望んでいるものだとばかり思っていた。
しかし、ハルヒは俺との仲の進展を望んでいたのだ。そしてハルヒは俺との仲を深めるために多大な努力をしていたのだ。いま、振り返ってみれば思い当たる節がたくさんある。
なのに俺は、そんなハルヒの心情を汲み取ってやることもできず、ハルヒにずっと辛い思いをさせてしまった。自分の不甲斐なさをあらためて腹立たしく思う。
「スマン、ハルヒ。俺はお前のことをもっと……」
俺がハルヒに近寄ろうとしたとき、背後で悲鳴のような叫び声が聞こえた。俺がそちらのほうに振り向くのと同時に、真っ黒な暴走車が俺のすぐ横をかすめるように通り過ぎる。
背後で鈍い衝突音が聞こえた。周囲の時間が、映画のスローモーションのように、非常にゆっくりと流れていくような錯覚に陥る。
あまりにも一度にいろいろなことが起こりすぎて、頭では理解が追いつかなかったが、直感で最悪の事態が起こったということがわかった。理性がそれを否定しようとするが、目の前の現実がそれを許さない。
自分が直感が間違いであって欲しい。そんな一縷の望みにすがりながら、俺がハルヒのほうを振り向くと、暴走車に跳ねられてハルヒが宙に舞う光景が目に飛び込んできた。
「ハルヒ!!」
ハルヒを跳ねた暴走車はそのまま停まることなく、俺の視界から消え去った。
 
 


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