普段は斜に構えて、メガネ越しに世界をシニカルに眺めているのが定番となっている俺だが、それでも目を丸くし、口をぽかんと開けた間抜け面をさらしてしまうような事も、時にはある。
 青く晴れ渡った寒天の下、そんな間抜け面をさらしている俺に、深々とした丁寧なお辞儀から顔を上げた喜緑江美里は、不思議そうに小首を傾げた。


「どうかなさいましたか、会長?」
「ああ、いや、すまん。挨拶が遅れたな。
 明けましておめでとう、喜緑くん。今年もよろしく」
「はい、こちらこそ」


 どうにか体裁を保とうとするが、やはり微妙に声が上ずってしまう。それほどに、思わず息を飲むほどに秀麗だったのだ。待ち合わせ場所の神社の前に現れた、喜緑くんの振り袖姿は。


 何と言うか、これは予想外だったな。いや彼女の容姿の端整さは、それなりに理解しているつもりだったんだが。
 しかし白地の清楚な和服に鮮やかな緑の帯を締め、セミロングの髪を後ろでアップにまとめて木の葉型のかんざしで飾った喜緑くんの破壊力に、俺の平常心はいともたやすく叩き崩されてしまったのだ。
 今も、初詣に来たカップルの男の方がついつい喜緑くんに見とれてしまい、女の方に頬をつねられながら俺たちの横を通り抜けて行ったが、それも無理からぬ事だろう。俺だって、喜緑くんの耳元から襟首にかけてなだらかなカーブを描く、この白い首筋を気の済むまで眺めていたいものだと――。


「どうしたんです、会長? 急に口元を抑えてうつむいたりして」
「べ、別に大した事じゃない。軽い立ちくらみだ」


 いかん、思わず悪代官な俺が喜緑くんの帯を「あーれー」とクルクル回している図を想像してしまい、鼻血を噴きそうになってしまった。新年早々、何をとち狂っているんだ俺は!
 と、しかし不自然に視線を逸らしている俺の態度をどう捉えたのか、喜緑くんは少し不安そうに眉をひそめてみせた。


「本当に変ですよ、今日の会長は。
 それとも…おかしいのはわたしの方ですか?」
「なに?」
「わたしはこれまで、新年を祝うという概念に、あまり有意義性を感じていなかったものですから。晴れ着という物を身に着けてみたのも、今日が初めてなんです。
 高価な物なのでレンタルですけれど、一応、美容院でプロの方に着付けて貰ったのですが…。やはりどこかしら板に付いていないのでしょうか」


 そう言って、どこか寂しげな微笑を見せる。そんな喜緑くんに、俺は思わず声を張り上げていた。


「いや、おかしい事など何も無い! 非常によく似合っているぞ!」
「ふふっ、そんなに慌てて褒めてくださらなくても。でも、お世辞でも嬉しいです」
「何がお世辞なものか。キミの穏やかな物腰と、きりっとした芯の強さとが、振り袖を介して見事に調和している。
 うむ、実にお似合いだ。出来ればセーラー服などより、毎日ずっとその着物で登校して貰いたいくらいだな」


 いささか空回り気味に思われなくもない俺の賛辞は、それでもどうにか喜緑くんの不安を和らげられたらしく、彼女はくすっと笑みをこぼした。


「それは遠慮しておきます。
 見た目は華やかかもしれませんが、着物ってギュッと帯を引き締めているので、やっぱり身動きが取りづらいんですよ。お陰で背筋はしゃんと伸びますけど」
「む、そうなのか?」
「浴衣ならもっと楽なんですけれどね。さすがに振り袖となると、着るのも脱ぐのも一苦労です。セーラー服とは雲泥の差ですね」
「まあ、それは確かにそうだろうな。着脱が容易だからこそ、史実の上でも日本人の服装は、和服から洋服へと移り変わっていったのだろうし。実際、俺も毎日和服を着ろと言われたら、面倒くさいと顔をしかめる所だ」


 ひとつ頷いて、それでも俺は晴れ着姿の喜緑くんに改めて向き直った。


「だが惜しい、本当に惜しい。
 こんなにも良く似合っているというのに、喜緑くんの和服姿は期間限定か。はあ、もったいない事だ」


 あからさまに嘆息する。すると喜緑くんは上目遣いの瞳にほんのわずか、どこか挑戦的な色を浮かべてみせた。


「なんですか、まるで駄々っ子みたいに。
 でも、そうですね。会長がどうしてもわたしの着物姿をお望みだと仰るのでしたら――」
「っ!?」


 スッと俺の耳元に口を寄せ、小さくささやかれた一言に、度肝を抜かれた俺は思わず絶句してしまう。けれども喜緑くんは俺の動揺などそ知らぬ顔で、するりと身を翻した。


「――冗談です。
 あら、あちらでは甘酒が配られているんですね。参拝を終えたらわたしたちも行ってみましょうか、会長」
「あ、ああ」


 少女のように屈託のない笑顔で先導する喜緑くんの後を、ぼんやりと狐につままれたような面持ちで附いていく。そんな俺の頭の中では、先程の喜緑くんの『冗談』がいつまでも反響していた。


(『いつか、わたしに白無垢を着させてくださいね?』、か…)


 その『冗談』に気を取られていたせいで、俺がこの後、熱々の甘酒で思いっきり口の中をヤケドしてしまったのは、言うまでもない。

 



初詣で初冗談   おわり


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