Close Ties(クロース・タイズ) 第二話

 

 

 午前の授業時間はあっと言う間に過ぎた。
 私の中にはエラーが蓄積していた。明日のこの時間には、私は人間になってしまっているのだ。有機生命体であれば、このエラーを不安と表現するだろう。有機生命…いや、人間になればエラーに悩まされる事も無いのだろうか。
 無くなるとすれば、それは素晴らしい事だ。
 置換プロセスが開始されてから、私の表現の中に形容詞や抽象的な言葉が増えてきた。確かに、私は変化している。
「ゆーきーちゃんっ!」
 昼休みを告げるチャイムとほぼ同時に教室へと入ってきたのは、朝比奈さんと鶴屋氏だった。
 どうやら朝比奈さん自身も私の呼称を再設定したらしい。
 昼休みはいつも部室で本を読むのだが、朝比奈さんと鶴屋さん(朝比奈さんに合わせて自主的に再設定した)は私を屋上へと連行し、本にありつく事が出来なかった。
 真冬にも関わらず、屋上は日差しもあって暖かかった。
「有希っこのために一限目ぶっちして必死に作ったんさぁ~!」
 そう言って鶴屋さんが広げた重箱の中身は一時限分の時間があったところで作りきれる量とは思えなかった。
「さっすがいい食いっぷりだねぇ!」
 失礼に当たるかもしれないが、私は彼女のお弁当を早々に平らげ、エラーの蓄積を平定するための時間として読書をしたかった。
 しかし、私の喉と舌は趣向を凝らした鶴屋さんの弁当を容易に飲み下す事を許さなかった。
 人間への置換プロセスが完了すれば、より一層味というものを楽しめるのだろうか。
 それは、素晴らしい事かもしれない。
「でさでさ有希っこ!放課後は一緒に美味しいもの食べまくりツアーやるから期待しとくがいいさっ!」
 それは是非参加したいが、私は部室へ行かなくてはならない事を鶴屋さんに伝えた。
「ああーその事なんだけどさ、今日はハルにゃんが瞑想に使うとか言って開いてないらしいさ。でも五時半からアタシも含めて会議するらしいんだ」
「つ、鶴屋さん瞑想って…!」
 小声で朝比奈さんが鶴屋さんに注意しているのが丸聞こえだ。なんにせよ、部室に近付くなと、そういう事だ。聞かなかった事にしよう。
「分かった…分かりました」
 敬語に切り替えるのはなかなかに難儀だ。
「んないちいち敬語使わんでいいってば!有希っこらしくないじゃん。みくるも一緒にするんでしょ?瞑想」
「え!?そ、そう、そうなんです!」
 辟易しながら朝比奈さんが話を合わせる。
「そういう事だから有希っこ、それまでおねーさんとデートしようぜ!」
「そのような事情なら仕方がない。放課後を楽しみにしている」
 恐らく空気を読むという表現は今の私の行動を指すのだろう。
 鶴屋さんとのデートは、なかなか興味深かった。
 敢えて駅周辺の繁華街へは行かず、民家を改装しただけのカフェや小さな屋台など、二時間程であらゆる甘味を網羅した気分にさせられた。
 一口毎に味覚が研ぎ澄まされていくのは、やはり私の体が本物の有機生命体へと少しずつ変換されているためだろう。
 学校へと戻る時には、既に日は落ちていて、寒さという感覚を初めて覚えるようになった。体が小さく震える。
「有希っこ薄着しすぎだから!」
 鶴屋さんはそう言うと、自分のコートのボタンを外し、私の体を後ろから抱きしめ、コートで私の体を包み込んだ。
 歩きにくかったが、その歩きにくさと暖かさに、私の顔は少し笑顔になっていたと思う。
 暗くて、外に負けないくらい冷え込んだ部室棟の廊下を鶴屋さんは私の手を引いて歩く、というよりも、私の手をとって歩みを遅くしようとしている。
「いやあ~有希っこ!今日は楽しかったねぇ!」
 突然鶴屋さんは大きな声を張り上げた。明らかに文芸部室に潜んでいる連中に聞こえる音量だ。
「…楽しかった」
「また行きたいって思ったっしょ!?」
 保険のためか、更に大きい声で鶴屋さんは話す。
 空気を読まねばなるまい。
「はい、是非。部室が近づいてきました」
 私も大きな声でわざわざ部室が近い事を告げた。
 ついに私は真っ暗な部室の前に立った。何かを探しているのか、鶴屋さんは私の背後で自分のコートのポケットをまさぐっている。円錐形の物が一瞬見えたが、ここは見なかった事にする。
 私は鶴屋さんが落ち着くまで待ってから、ドアを開けた。
「お誕生日おめでとう!」
 多数の人間の声と共に、クラッカーの音が数発響き渡り、私の頭に紙のテープがばさばさと降りかかる。部屋に明かりが灯され、長机の中央にはご丁寧にケーキまで鎮座していた。
 これは一体どういう事なのだろうか。皆真冬なのに汗だくで、息が上がっている。
「ほらほらほらほら!こっちに座る!」
 疑問を呈そうとする前に、涼宮ハルヒは私の両肩をつかんで普段は団長席であるはずの椅子に座わらされた。
「全く!今まで誕生日も教えてくれなかったなんて本当に水臭いっていうかなんていうかもう!誕生日ってすっごく大事なイベントなんだかんね!ほんっとに準備するの大変だったんだから!」
 涼み…ハルヒの止まらない言葉の数々に辟易しながらも、どうやらこれは私自身の誕生会である事を知った。
 朝比奈さんからのメールを受信した瞬間、涼み…ハルヒは殆どの計画を練り上げていたらしい。
 部室の飾り付けは体育倉庫にある学園祭の残りを使用して準備を始め、休み時間の毎に私が部室に来ないか見張りを一人ずつ私に付け、昼休みは朝比奈さんと鶴屋さんを差し向けて部室の準備完了、最寄りのケーキ屋に無理を言ってケーキの発注を済まし、鶴屋さんには私を部室はもちろんの事、プレゼントを買うために奔走する団員が目撃されないよう、繁華街を避けて名店巡りをして貰い、ぎりぎりのところでケーキを受け取って戻ってきたという手の込んだ作戦をわざわざ展開させていたのだ。
「キョン、古泉君、キャンドルよろしく!」
「おし、始めるか」
 ライターやマッチが無いらしく、一本一本のキャンドルをコンロで灯しては刺していくという難儀な作業を二人はこなしていく。年齢の数だけ立てるのが風習なのだとしたら、今日生まれる事になる私には、一本のキャンドルも必要ない事になるが、それではバースデーケーキが成立しなくなってしまう。
「消灯!それじゃあ、全員熱唱!」
 何を歌うのかと思えば誕生日の歌だった。私の名を呼ぶ所で『長門』『長門さん』『有希』『有希ちゃん』『有希っこ』と、全員私の事を違う呼び方で歌った事に皆笑った。私もきっと少しだけ笑っていた。
 ケーキは私に四分の一、その残りを皆が分け合うというハルヒらしいケーキの切り方だった。
 鶴屋さんとの甘味めぐりで多少舌が肥えていたはずだが、このどこにでもありそうなケーキも、皆が懸命に調達してきた事を思えば、どんな物よりも美味しかった。気持ちが籠もっているというのは、こういう事か。

 

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最終更新:2020年03月12日 00:52