なんの変哲もない、いつも通りの日だった。
ハルヒが瞬間的に頭に浮かんだ思いつきを実行しようとするのも、俺がそれを止めに入るのも、朝比奈さんが困った表情でおろおろするのも、長門が淡々とパイプ椅子に座り続けるのも、古泉が笑顔でそれを見守り続けるのも。全部が全部。
何の変化もない、まったくもっていつも通りの日常だった。
ただ一つ違っていたのは、その日俺がいつもよりも少しだけ勢いに任せて語気を荒げてしまったことと、ハルヒがいつもより少しだけ苛ついていたことだけだった。

 

それだけで十分だった。

 


事の起こりは、本当に珍しくも何ともない、ごくごく見慣れた光景だった。
いつものようにメイド衣装に着替えてお茶くみに精を出していた朝比奈さんの背中に突然抱きつくハルヒ。その手には、三角のオプションがついたカチューシャ、俗に言うネコミミというやつが握られていた。
「みくるちゃん、今日はこのネコミミとシッポをつけて、ネコミミメイドなんてどう!?」
あわてた様子で縮こまる朝比奈さんの肩にアゴを乗せ、ハルヒは上機嫌な表情でカチューシャを握っていた。

 

SOS団にはまったく関係のないことなのだが、今日は昼に谷口とちょっとした口論になってしまい、俺は少々ストレスを溜め込んでいた。それも、本当にどうでもいいことだったんだ。発端も覚えていないくらいの些細なことだが、昨夜のテレビの紅白物まね合戦の何回戦目の試合はどっちが勝っていたか、といった内容だったと思う。そこから次第に話がエスカレートし、互いのアイデンティティを賭けた口喧嘩にまで発展していったのだ。見かねた国木田が仲裁にはいらなければ、取っ組み合いのもめ事になっていたかもしれない。
それでも内容が内容なだけに、明日になればキレイサッパリ忘れて谷口とも確執なく笑い合えているに違いない。つまり誰にでもある、友人とのとるに足らないトラブルということだ。
しかし、その時の俺はそこまで自己分析ができるほど、心の整理がついていなかった。
我ながら不条理極まりないことだと思うが、気づくと心の中のイライラの矛先が、谷口からハルヒへと変わっていた。
「おい、やめろよ。朝比奈さんが嫌がっているだろ」
ハルヒの行動にいちいちツッコミを入れるのは、俺のSOS団における日常的な役回りであるから、誰も最初は俺の胸の内の鬱屈には気づいていなかった。それはハルヒも同じだ。
「いいじゃない。絶対に似合うって。ネコミミメイドよ、ネコミミメイド。ほらほら、みくるちゃんもそう思わない?」
「わわ私は……う~ん」
どう返答して良いか判じかねている朝比奈さんに、執拗にからみつくハルヒ。それももうすっかり見慣れた光景だったはずなのに。その時の俺は、嫌がる朝比奈さんに無理矢理カチューシャをつけようとするハルヒの行為が正視に堪えないものに思えていた。
後にして思えば、結局のところそれは谷口との諍いなんて関係なく、普段から俺がハルヒの言動に感じていたストレスが、一気に噴き出してしまったのかもしれない。

 

気づくと俺は、椅子を蹴って立ち上がり仏頂面のまま有無を言わさずハルヒの手からカチューシャを取り上げて、それを床にたたきつけていた。
「やめろって言ってるだろ!」
頭の芯がしびれるくらい冷静だった。
ひょっとしたらそれは冷静だったのではなく、ただ我を忘れていただけのことだったのかもしれない。

 

一瞬、部室の中に冷ややかな空気が流れていた。窓を閉め切った部屋の中に時間が止まってしまったのかと思うほどの静寂がよどんでいた。
目の前に立っている俺が誰なのかも分からないという様子で沈黙しているハルヒを見ていると、自分の主張が相手に伝わり納得してもらえたような錯覚を感じ、心の中にじわじわと満足感がしみ出してくる。
しかし朝比奈さんが床に落ちたカチューシャを拾い、かすれた声でハルヒの名を呼んだ時、俺の中の満足感がさっと音をたてて冷めていった。

 

ハルヒは、唇を真一文字に結びうつむいたまま、部室を飛び出して行った。
ハルヒは、そのまま荷物を置いて帰ってしまった。

 


~~~~~

 


胸の中の自責の念をずるずると地面にひきずりながら、俺は一人で帰路についていた。
ハルヒが出て行った後の部室には、薄ら寒い風が吹き抜けているように閑散としていた。
落ち着いたスタイルを崩さず俺にむかって何事かをしゃべり続ける古泉のセリフは頭に残っていないが、長門の気遣うような視線と、どうしてよいか分からないまま拾ったカチューシャを握りしめている朝比奈さんの姿が、やけに痛々しく感じられていた。
何がいけなかったのか。誰へともなく問いかける。答えは簡単だ。俺が悪かったのだ。
ハルヒが朝比奈さんに対して妙なオプションを装着するよう強要するのは今に始まったことじゃないし、俺ももうそれについては暗に認めているところでもある。朝比奈さんにしても、同じようなものだろう。
少なくとも、あの場面でカチューシャを奪い取って投げ捨てる権利があるのは、被害者である朝比奈さんだけだったはず。第三者である俺が強硬手段に出るようないわれは、まったくなかったはずだ。
なのに、俺はそうしてしまった。原因は明白だ。俺は自分の中でくすぶっていたイライラを、ハルヒに八つ当たりしたのだ。

 

俺はその場でしばらく、呆けたように立ちすくしていた。不愉快な虚無感が足下にまとわりついてくるような感触がして、どうにも居心地が悪い。
俺は救いを求めるような気持ちで、室内の仲間たちを見渡した。
俺はみんなに何を求めていたのだろうか。
そんな俺を見返す3人の目を見て、俺ははっと気づいた。
3人は、各々に思惑のある視線で俺を見つめていた。だが、そこから感じられるものは、どれも同じ感情に根ざす無言の言葉だった。
ある種の、憐れみ。

 

長門はいつも通り「そういうこともあるだろう」という慰めるような目を俺に向けていた。朝比奈さんは、自分が原因で大変なことになってしまって申し訳ない、という顔をしている。
いつもハルヒの肩を持つ古泉でさえ、ぐちぐちと俺の軽挙に説教たらしい文句を言いつつも、あの状況なら仕方がないという見方もあるだろう的な表情を浮かべている。
そんな仲間たちの言葉無き反応に、落胆というか、悲哀のようなものを感じ、俺は力なく謝罪の言葉を残して部室を後にした。

 

部室を出て、校門を抜けたところで、身震いするほど痛烈に後悔を感じた。
俺は部室で、誰かに自分の失敗を非難し、怒ってもらいたかった。
そうすることで、自分の後悔が中和され、消化されるような気がしたから。
だが結局、そうはならなかった。それがあの寒々しい落胆の正体だと気づいた時、俺の中の後悔は薄まることなく、それどころかますます自分が哀れに思えてきた。

 


高校二年の俺には小学生の妹がいる。少々年の離れた彼女はよく言えば天真爛漫で、自分の欲求に正直な子だ。だからやることなすことが全て危なっかしくて、しょっちゅうそのフォローをしている。
いつものことなので全く自覚はないのだが、世話を焼いてしまう妹がいるため、知らず知らずのうちに俺は年不相応なくらい大人びた考え方をするようになっていると誰かに言われたことがある。
自分がついつい余計な世話を焼いてしまう口うるさい性格であることは認めるが、それでも自分で自分の粗はよく分かる。俺は大人なんかじゃない。外面がいいだけで、まだまだ未熟な高校生だ。
だからよく自分の言動が元で想定外の厄介事に首をつっこんでしまうことがある。大人になれば後悔を感じることが少なくなるとは思わないが、それでも俺は自分の未熟な部分のためによく後悔を感じている。
やめておけばよかった。ああすればよかった。そう思い悩むことは人並みにあると思う。
だが俺は外面的に大人びているから、それが周りに伝わりにくい。だから、あまり友人たちに怒られることがない。
俺が悪いことをしても、なかなかそれが悪いことだと伝わりにくい。俺はいつも怒られる側ではなく、諫める側の人間だから。

 

今日はそれを改めて思い知らされ、夕暮れの下り阪を憂鬱な気分のまま歩いていた。

 


俺はガードレールの脇で立ち止まり、携帯を取り出した。電話帳を開く。
だが少し逡巡した後、結局俺は携帯を閉じてまた歩き出した。

 


~~~~~

 


次の日。ハルヒは朝から不貞腐れた顔つきで、無言のまま席に座っていた。少々気後れしたが、俺は軽く手をあげて挨拶した。低い調子でハルヒもそれに応える。
目は合わせてもらえなかった。ひょっとして、まだ昨日のことを気にしているのだろうか。
一晩たって後腐れもなくなっているだろうと期待していたのだが、これでは昨日のことが後をひいてるのか、新たな別の気に食わない出来事があって不機嫌なのか分からない。確実にいえることは、ハルヒはご機嫌斜めだということだ。
俺の席はハルヒのすぐ前。居心地は悪いが、自分の席に着かないわけにもいかない。そもそもこれは自業自得なのだ。ハルヒの不機嫌具合に難癖をつけるわけにはいかない。
「あのさ」
自分なりにタイミングを見計らったつもりで、俺はホームルームが始まる直前になんとかハルヒに声をかけた。ハルヒは仏頂面を改めることなく、愛想笑いを浮かべる俺を見返した。
「なに?」
少し口ごもる。一晩たって気持ちの整理はついているつもりだったが、やはり謝罪の前というのは少なからず緊張するものだ。
「ああ……。昨日のだな、部室でのこと。ちょっとムシャクシャしてて、ついあんなことをしちまったんだ。お前が悪いわけじゃないのに、あんな酷いことしちまってすまなかった」
自分なりに誠意をこめて謝ったつもりだ。多少聞き苦しいところもあったかもしれないが。
ハルヒは、何か言いたげに口をもごもごと動かしながら目線をそらした。
「わ、わた……しこそ……」
「わた?」
「んぅ……な、なんでもないわよ! そうよ、昨日のことはあんたが悪いのよ! せっかく私が買ってきたネコ耳のかわいらしいカチューシャだったのに」
今にもかみついてきそうな気迫でそうまくしたてるハルヒだったが、セリフが進むにつれ、次第に口調からトゲトゲしさが薄れていく。どうしたんだろう。いつものハルヒなら、最初から最後まで徹頭徹尾、容赦なく俺をこき下ろすところなのに。
まだ言いたいことを全て言い終えていないようなのに、ハルヒはまた口をもごもごとどもらせて、ふんと一言呟いて机の天板につっぷした。
怪訝に思った俺は一言二言声をかけたが、不貞腐れたハルヒはそれ以上反応を示すことなく授業に突入したのだった。

 


いつも通りの退屈で平穏な時間が進み、大きなあくびをかみ殺すのにもそろそろ疲れを感じ始めたとき、腹の鳴る音とともにようやく午前の部が終了したのだった。
カバンから弁当箱を取り出し、集まってきた谷口、国木田とともに昼食をとり始める。
今日も谷口はいつもと変わらないバカ面で、夕べのドラマの主演女優の立ち居振る舞いがどうだったこうだったと能書きを垂れている。どうやら昨日の口論のことなんて一切気にしていないらしい。神妙な顔をして前日のイザコザを気に懸けるネガティブな谷口というのも想像できないが、そこが谷口の良いところであり、そのおかげで俺も随分と救われる思いがしているのだ。こいつの気の置けなさ加減を見ていると、昨日の一件がどうでも良いことのように思えてきて、とても気が晴れる思いだった。
やはりこのマヌケ面野郎と一緒にいると、日々の生活に心配事など何もないような気がしてきて楽だ。

 

ふと肩越しに、後ろの席を覗き見る。
ハルヒは、弁当を持ってどこかへ消えていた。
まあいいか。食堂にでも行っているんだろう。と勝手に納得して前へ向き直る。
口の周りにケチャップをつけた谷口が手に持った箸で俺を指しながら、キョンお前寝癖がついたままだぞ、と笑いかけた。

 


~~~~~

 


最初に異変に気づいたのは古泉だった。いや、一番最初にそれに気づいたのは昼食時に俺に寝癖の話をふった谷口だったのだろうが、それを異常事態だと感じて俺に教えてくれたのは放課後の文芸部室で新しいボードゲームの説明書を読んでいた古泉だった。
「失礼。少々頭を見せてもらっても宜しいでしょうか?」
パイプイスに座り眉間にしわを寄せる俺の頭部に手をあて、草をかき分けるように俺の髪を左右へ分ける古泉。その緊迫した様子に、俺は違和感を感じていた。
「どうかしたのか?」
「どうかしたのか?と訊きたいのは僕の方ですよ。何があったのですか」
明確な答えを要求したにも関わらず、逆に妙な質問を返されたことにムッとして、俺はイスに座り直す古泉をにらみつけた。
「だから、何があったんだよ。俺はおかしなことなんて何もしていないぜ」
古泉に対するあてつけのようにそう言い放つと、俺はこいつが注視していたであろう自分の頭部へ手を当てた。
指が、なにかに触れた。机に肘をつけて真剣な顔をした古泉が、俺の手つきを無言で眺めている。
俺はさらに自分の頭に指を這わせる。頭の、ちょうど頭頂部だ。天骨の部分に、何かとがった硬いものが生えている。握ってみる。それは俺の頭骨から直接突き出ているので、やはり 「付着している」 というよりも 「生えている」 と形容する方が適当だろう。俺の脳内に浮かんだイメージは、自分の頭蓋骨の頂上部分が角のように尖って盛り上がり、にょきにょきと伸びだした映像だった。
そう。よく漫画や絵本なんかに登場する、鬼の頭に生えている角。あれを思わせる物体だ。そこまで考えて、自分の想像にぞっとする。
「……お、おい。古泉。見た、んだろ? 俺の頭……。これは、なな、何なんだよ……? 答えろよ」
滑稽なくらい、今の俺の顔からは血の気が引いていたことだろう。ざざっと頭から血が失せていくのが自分でもありありと分かる。
ぶるぶると震えそうになる身体をおさえつけ、しゃがれた声をなんとか引っ張り出し、俺は目の前の古泉に問いかけた。

 

古泉は俺の問いかけに、正直に答えてよいものかどうか悩んでいるようだった。言葉を濁しつつも苦笑いを浮かべていたので、誤魔化さずに教えてくれと伝えると、いたって真面目な表情で口を開いた。
「木です」
「はあ?」
古泉の顔は、いつものにやけた愛想顔に戻っていた。もしかすると、俺を安心させようと努めているのかもしれない。
「だから、木ですよ。あなたの頭に、木が生えているのです。一見したところで何の木なのかは分かりませんが、あなたの頭骨から直接、頭皮を抜けてにょきにょきと元気に雄々しく生えてきています」
絶句した。文字通り、俺は言葉を失った。
木だって? 俺の頭から、植物が生えている!?
「………それは、柑橘類の樹木。さらに言うなら、蜜柑の木」
不意に側面から低い声がした。振り向くと、膝の上の本から顔を上げた長門が俺たちを見ていた。
み、みかんの木だって? どういうことだ。ますます分からない。なんで俺の頭からみかんが生えるんだ。今年はまだみかんを食ったことすらないというのに。意味が全然わからない。
ただ一つはっきりしていることは、俺の頭骨から直接木が生えているということは、谷口や古泉あたりがおいそれとできるドッキリ企画というわけではないということだ。さらに言えば、長門たち情報統合思念体だって、こんな意味不明の馬鹿げた情報改変は行わないだろうことも容易に想像できる。
となれば。こんなことができる存在は、一人しかおるまい。
「涼宮さんがこう望んだから、としか言いようがないですね」
古泉は、お手上げですとでも言いたげに両手を開いてみせた。

 


 ~つづく~


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