◇◇◇◇
 
 それから一週間、俺たちはせこせこと文芸部の活動を行った。
 長門はひたすら本を読み、読み終えた時点であらすじと感想を書く。そして、俺は基盤となるHPを作成しつつ、
そのあらすじ・感想をパソコン上で打ち直し、さらに案の定長門の簡潔すぎるor意味不明文字の羅列になっている感想を
現代人類が読めるようにする要約作業を行った。時間がなかったため、昼休みに集合――もともと長門は昼休みには
文芸部室にいるようになっていたが――し作業を続け、俺にいたっては、もらったHP作成フリーウェアが
ある程度HTMLなる言語をかけないと思うように作れないことが発覚したため、とてもじゃないが学校内だけでは
作業が終わりそうになく、コンピ研から借りてきた電話帳50%増量みたいな分厚いHTML・CSS大全という参考書を片手に
自宅のパソコンでも延々と作成作業を続けていた。
 今日も俺は昼休みに弁当箱を片手に、文芸部室へ向かおうとしていたんだが、背後から声をかけられて立ち止まる。
見れば、朝倉がいつものクラス委員スマイルで俺を手招きしていた。
 俺は急ぐ足をそわそわさせながら、
「何だ? はっきり言っておくと、今めちゃくちゃ忙しいから世間話なら後にしてほしいんだが。
弁当ならさっき長門に渡しただろ?」
「そうじゃなくて一応確認しておきたくて。最近二人ともずっと旧館に閉じこもりっきりだけど、
何かやましいこととかしていないわよね?」
 何だ、やましいことって。仮に相手が朝比奈さんなら何かの拍子に俺がケダモノと化ける可能性は0%ではなく、
それを必死に理性で年末ジャンボの一等当選確率よりも低いレベルまで下げることになるだろうが、
相手はあの色気ゼロの長門だぞ。言われるまでそんな考えすらなかったよ。俺が長門にいかがわしいことを
する確率なんてインパール作戦が日本軍圧勝で大成功を収めるのより低い。
 俺はパタパタと誤解もはなはだしいと手を振りながら、
「そんなんじゃねえよ。ただ文芸部の活動が忙しいだけだ。ちょっとまずいことになっていて、
ひょっとしたら廃部になるかもしれなくてな。すべては一週間後の職員会議で決定されるが、
それまでの間に文芸部らしい活動を見える形でアピールしないとならないんでね」
「ふーん、それでずっと授業中もずっと難しい顔して考え込んでいたのね」
 朝倉はふうとため息をつく。何だ、こっそりこっちのことを監視でもしていたのか。それとも相変わらず背後で
爆睡を続けるハルヒの監視のついでに、そんな俺の姿が目に入ったのか。
 ふと、俺は長門もまた授業を放棄して文芸部の活動をしているのかと不安になり、
「まさか何か不都合でも起きているのか? 長門がまた授業中もずっと読書していたりとか」
「ううん、それは大丈夫。長門さんは生徒指導以来まじめに授業を受けているわ。休み時間はずっと読書しているみたいだけど」
 朝倉の回答に俺はほっと胸をなでおろした。またしても読書狂ぶりが授業放棄という行為を引き起こせば
それこそ文芸部の活動に大きくマイナスとなることだろう。岡部の言っていた不良の溜まり場と化している
活動と同じ扱いをされるかも知れん。
「長門さん、文芸部だけじゃなくてちょっとしたわたしとの約束もあるのよ。でも最近そっちのほうは
すっかりやる気をなくしちゃったみたいで、ぜんぜんダメ。はあ、どうしようかしら……」
 よくわからんことを言い始める朝倉。約束? インターフェース同士の取り決めでもあるのか?
それなら、長門が本来の役割を無視して、文芸部の活動に没頭していることになるが、あいつが数週間程度でそこまで
人間らしくなっているとは思えないな。もっとも、俺としては情報統合思念体の手先・長門有希なんかより
文芸部部長・長門有希の方がずっとしっくりくるんで、それはそれで喜ばしいことなんだが。
いつまでも親玉の操り人形のままっていうのもかわいそうだ。
 続けて朝倉は、
「あと涼宮さんのことなんだけど、さすがにそろそろまずいと思うのよ。あなたの方からも何か言ってくれない?
聞いた話だと生徒指導も完全に無視して取り付く島もないらしいわ」
 何とかしろといわれても困る。俺が言えることはひとつだけで、それがハルヒってやつだということぐらいだ。
放っておいても生活態度以外――特にテストについては全く問題ないだろうし。
 しかし、本当になにやっているんだあいつは。そういや今日は珍しく腹をすかしているようで学食に足を運んでいるが。
 そんな突き放した態度に、朝倉はほうっと疲れたようなため息をついて、
「わたしも何度か涼宮さんに言ってみたんだけど、なーんにも答えてくれないのよね。あの調子じゃ
クラスのなかで完全に浮いちゃっているし、周りの人たちへの悪影響も出るから何とかしたいと思っているんだけど……」
 うつむいたままの朝倉。ハルヒが朝倉を極端に警戒しているのは、情報統合思念体のインターフェースだからだろう。
うかつにしゃべってボロを出せば、冗談抜きでただでは済まない。そういうわけで朝倉がいくら言っても
ハルヒがまともに相手にすることは絶対にないと断言できる。
 ……そういやハルヒが朝倉を無視するのは俺の世界でも同じだったが、理由はなんだったんだろうな?
元々宇宙人~以外は話しかけるな、無駄だからとか言っていたからか?
 とにかくだ。
「俺が言ったって無駄だろうよ。あいつは超を何重に付けても足りないほどのマイペース主義者だ。
きっと今は学校以上に大切な何かがあるんだろうが、その内飽きてまた学校に来るようになるだろうよ」
 俺がやれやれと首を振りながら言うと、
「だといいんだけど……」
 困り顔のままの朝倉。おっとこれ以上議論している暇はないな。
 俺は後ずさりするように朝倉から離れつつ、
「悪い。朝倉の気持ちもわからんでもないが、俺は俺でいっぱいいっぱいなんだ。すまんができることはない」
「うん。わかったわ。相談に乗ってくれてありがとう」
 朝倉の返事を聞きつつ、俺は文芸部室へと走った。
 
「わりい、遅くなった」
 俺が文芸部室に駆け込むと、すでに弁当を食べ終えて読書モードに突入していた長門がいた。
相変わらずの凄いペースで本のページをめくりまくっている。
 この一週間で長門はすでに70冊目を読破していた。このペースならば、後一週間で100冊に到達できるだろう。
しかし、一日五冊以上のペースぐらいで読んでいて、なおかつ内容を全て把握しているんだから恐ろしい。
宇宙人印の記憶の書き込み性能・保持時間はとんでもないレベルだな。
 俺はすでに机の上に置かれていた長門のあらすじ・感想メモを片手に持ってきていた弁当を食べつつ、
その内容をチェックしていく。以前とは違い、長門も努力してくれているのか、かなり読みやすいものを
書いてくれるようになってきていた。おかげで俺はそれをパソコンのメモ帳に書き起こす程度の作業しか発生せず、
本筋のHP作成に時間が割けるようになった。
 俺は飲み込むように弁当を平らげ――すまんオフクロ――すぐにコンピ研寄贈のパソコンの前に座り、
テキストファイルに作業進捗状況を記した。そして、続いて長門のあらすじ・感想メモをだだだっと
ブラインドタッチで打ち込みまくる。やれやれ、すっかりキーボード見なくても文字が打てるようになってしまったな。
 ちょうど昨日自宅で作成した部分がそれなりに見栄えのあるものになってきたので、
「おい、ちょっと見てくれないか? 評価を聞いておきたいんだ」
 そう言って長門にできあがった部分を見せてみた。
 長門はディスプレイをのぞき込んでしばらくトップページとメインである本の紹介部分――ただし実際の感想は
まだ載せてなく空っぽの状態だが――を確認していく。
 やがて確認し終えたのか、ディスプレイから目を離し、
「問題なと思う。ただ微調整が必要な箇所が見受けられる――」
 そう言って長門は人間的視点の癖のような話を交えながら、俺の作成したHPの微調整指示を出してきた。
俺は長門のアドバイスになるほどと頷きつつ、その通りに修正していく。
 それを終えてできあがったものは、パーツは何も変わっていないのに、何倍にも見やすくわかりやすいものに
化けていた。何と言うことだ。あれだけの修正でここまで外観が変わるとは。トップページの文芸部という文字や
メインコンテンツである『長門有希の100冊』へのリンクも思わず押したくなるような感じがしてくる。
 とはいえ完成にはまだほど遠い状態だ。肝心の北高文芸部についての説明もないし、部員や活動内容の紹介もない。
これでは文芸部のHPじゃなくて、長門が立ち上げた個人のHP状態だ。
 アドバイスを終えた長門はまた自分の席に戻って読書の再開を――と思いきやこちらに顔を向け、
「問題が発生したことを思い出した」
「ん、なんだ?」
 長門が自分から問題発生というなんて珍しい。というかもの凄い問題じゃないかと身震いまでしてくる。
 すっと長門は本棚の方を指差し、
「ここに置いてある本で、HPに載せることに対し適切なものは全て読み終えてしまった。図書室も大体同じ状況。
このままでは目標である100冊に到達する前に、枯渇状態に陥ってしまうのは確実」
 そう淡々と言う。何と、ついにあるものを読み尽くしてしまったか。いや、実際にはまだまだ本はあるんだが、
変な専門書や参考書ばかりでこんなものの感想・あらすじを載せるのは何か違うだろう。
今までずっとフィクションで固めてきたしな。
 さてさて、なら新たな供給源を探さなければならないが……
 ――って他にないか。ちょうど明日は土曜日だしな。
 俺は長門の方に寄って、
「なら明日市内の図書館に行ってみないか? それなりに大きいところだから、部室や図書室とは比べものにならない量の本があるぞ」
 その提案に長門は珍しく即答するように大きく頷いた。そして、その目が期待にてかてか光っているように
見えたのは決して俺の錯覚ではないだろう。
 
◇◇◇◇
 
 翌日。土曜日の午前中に俺たちはいつもの――SOS団の集合場所になっている駅前にやって来ていた。
長門のマンションまで出迎えるかとも思ったが、こっちでの集合の方が効率が良いと長門に言われてここに集合となっている。
 俺が予定時刻の15分前に到着してみれば、すでに長門がいつものセーラ服姿で直立不動のまま立っていた。
「すまん、またせちまったか?」
「…………」
 俺の問いかけに長門は何も答えない。むしろ、早く図書館とやらに連れて行けというオーラをむんむんと発揮していた。
 そんなわけで挨拶や雑談はすっ飛ばしてとっとと目的地に向かうことにする。ここからなら、歩いてそう遠くはない。
十分程度でたどり着けるだろう。
 しかし、二人で黙ったまま歩くというのもなんつーか背中がむずむずしてくる気分になるので、
歩きつつ適当な話題を振ってみることにする。
「お前、私服持っていないのか?」
「持っているが、着てくる必要性を感じなかった」
「休みの日に出かけたりしないのか?」
「その必要はない。今日のように必要性が発生した場合以外は外を出歩く意味がないと判断している」
「今、楽しいか?」
「楽しいという意味がわからないが、自らが遂行すべき事項については自分の能力の大半を費やすものを持ち合わせている」
 意外と会話が成立してしまったことに驚いてしまった。そういや、俺の世界でもハルヒの不思議探索で
長門と一緒だったときに同じようなことを聞いた憶えがあったが全部無言だったっけな。
 そこでふと気がつく。HP作成に夢中で長門の内面的変化までいちいち考察している暇はなかったが、
改めて見てみると、文芸部に入って以降長門は急激に変化を見せているようだ。相変わらずの無口・無表情だが
俺の長門感情探知レーダはばっちりその自己主張や感情表現の激しい変化を捉えていた。
まさか完全に人形状態だったこいつが、この数週間でここまでの変化を遂げるとは。
俺の世界の冬バージョン長門と同じレベルにまで達しているんじゃないか? それはそれでいきなり世界を
改変されてしまいそうで怖いが。
 そんなやり取りをしている間に、俺たちは図書館へとたどり着く。この世界でも同じように
駅前再開発で立てられた新築の図書館だ。入ったのはSOS団の活動をさぼったときぐらいだが。
 俺たちはそのまま図書館に入っていく。休日ということもあるだろうが、結構多くの人でごった返していた。
机はほとんど埋まり、ソファーも大半が占拠されている状態だ。
 その様子を見回しながら、
「さて、じゃあ目的の本探しと行きますか。おもしろそうなやつを片っ端から探して来てくれ。
その間に俺が貸し出しカードを作って持って帰れるように――おい長門?」
 俺が今後の予定を説明しているのを全く無視している長門に気がつく。見れば、直立不動のまま
表情こそないがもの凄い今までに感じたことのないすさまじい恍惚としたオーラを噴出させていた。
こんな長門は俺の世界でも見たことないぞ。もしかして本の山に囲まれて酔ってしまったのか?
 とりあえず二、三度長門の顔の前で手を振ってみるが全く反応なし。ダメだこりゃ。
今、紙パックジュースに突き刺したストローを鼻に突っ込んでも、きっとそのまま飲み干すまでこの状態を続けるぞ。
「おい長門。楽しいのは十分にわかったから、とりあえず今は目的を果たそうぜ。このまま突っ立っていたって仕方がないだろ?」
 そう肩を揺さぶってみると、ようやく本世界からご帰還した様子で、辺りをきょろきょろと見回し、
「……内部エラーが多発していた。謝罪する」
 そう独り言のようなことを良いながら、ふらふらと本棚の方に向かって歩き出した。あんな状態で大丈夫なのか?
 とにかく本選びは長門に任せておくしかないから、俺は今の内に貸し出しカードの申請をすませることにする。
近くの受付所に行き、最近読書ブームでも起きているのか数人ならんでいたためその最後尾にならんでいたんだが……
「……ん?」
 思わず驚愕の声を上げた。フロアの少し離れたところをハルヒがづかづかと歩いていくのが目にとまったからだ。
こんなところで何やっているんだあいつ?
 受付の方は何やらトラブっているらしく俺の順番が回ってくるのにしばらく時間がかかりそうなため
一旦列から離脱しハルヒの姿を追いかけることにした。いい加減、ここ最近何をやっているのか確認したかったし、
文芸部員という肩書きがすっかりお似合いになってしまった長門だったので忘れかけていたが
仮にも情報統合思念体のインターフェースと一緒に図書館に来ているのだ。注意ぐらいはしておいた方がいい。
 俺はハルヒの歩いていった方に向かったが、残念ながらすぐに見失ってしまった。来館している人間も多いし、
こりゃ探すのには一苦労しそうだな。
 だが、意外にハルヒの再発見は早かった。本棚の隙間を縫うようにフロアの隅へと移動している。
 俺はすぐにその姿を追った。やがて辞典が大量にならび、まるでここだけ閉鎖空間といわんばかりに
人一人いない過疎地域へと入る。明かりもちょうど本棚の陰に隠れてしまい、不気味な雰囲気に包まれていた。
 しかし、ここに来てまたしてもハルヒの姿を見失ってしまう。
 俺は本棚の間を縫うように歩いて、ハルヒの姿を探したが、
「――ぶっ!」
 突然、口を抑えられ本棚の脇に引き込まれてしまった。一瞬、恐怖感で身が岩のように硬直してしまうが、
恐る恐る引き込んだ奴の姿を確認しようと振り返ってみれば、
「……静かにしてなさい」
 そこにはハルヒがいた。俺の口を抑え、さらに胸元を腕でがっしりつかんで俺の身体を固定している。
 口がふさがっているせいで文句も言えない状態だったが、とにかく黙っているようにと、かなり切羽詰った声を
あげてくるのを聞いて抵抗するのを止めた。どうやらハルヒが抱えているという問題が今発生している真っ最中のようだ。
 その状態が数分続いたが、やがてハルヒは俺の拘束状態は維持しつつ、本棚の陰から顔を出し周囲の様子を伺い始めた。
 すぐに問題なしが確認できたらしくふうっとため息をつくと、ハルヒは俺を解放し、
「全く読書なんてこれっぽっちも興味のなさそうなあんたが、こんなところで何やっているのよ。
こっちもいろいろ大変なんだから図書館にくるならそう言いなさい」
 無茶苦茶を言ってきやがった。大体、お前の最近の行動はさっぱり伝えられていないから、
いちいちそんなことを考えていられるか。
「で、いったい何事なんだ。いい加減そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか? 今みたいに
一歩間違えば――何があったのか知らんが、そういう事態を回避するためにも情報共有は必要だろ?」
 俺の指摘にハルヒはしばらく黙ったまま考え込んでいたが、
「ダメよ。言えないわ。言ったらあんただけじゃなくて学校まで巻き込んじゃう可能性があるから」
「……なんだそりゃ」
 ハルヒの言葉に、俺は驚く。うかつに口外すれば、また機関を作った世界のように学校が攻撃に
さらされる可能性でもあるというのか。一体、俺の知らないところで何が起こっているんだよ。
 おっとだったら今ここに長門をつれてきているのは余計にまずいことになるな。
万一、ハルヒが能力を使わなければならない事態に陥れば、真っ先に情報統合思念体に伝わる可能性がある。
「先に言っておくが、今日は長門――インターフェースといっしょにここにきているんだ。
だから、あまり派手なことは起こさないほうがいいぞ。すぐにばれるだろうからな」
「……あんた、休日にインターフェースと一緒にのこのこデート中ってわけ? 全くいいご身分ね」
 むかつく言い方だが、これがハルヒだ。そういやここ一ヶ月近くろくに話もしていなかったから、
ハルヒ節が懐かしく感じてしまうよ。
「でも確かにまずいわね……ここで連中と事を構えるわけには行かないってことか……。場所移動が必要ね」
 そうあごに手を当てて思案顔になるハルヒ。
 だが、すぐにぴんと指を立てると、
「とにかく! 今あんたとしゃべっていること事態が危ないのよ。とりあえず、あたしは自分の目的に集中したい。
あと、今あたしとここで会ったことは忘れなさい。絶対に誰にも言わないこと。いいわね!」
 そう一方的に告げると、ハルヒは図書館の出口へ小走りで向かっていった。何なんだ、一体。
 だが、学校が巻き込まれる可能性がある――この言葉だけで、あの機関による大量虐殺の現場が
脳内にフラッシュして思わず俺は目頭を抑えた。ハルヒの抱えている問題が他者――俺にでさえも漏れると
同様の事態が起きるというなら、俺は静観しておいたほうがいい。あんな地獄絵図はもう二度と見たくないからな。
「……どうかしたの?」
 突如かけられた声に、俺はうわあと叫びそうになるが、のど元で無理やりそいつを飲み込んだ。
見れば、どこから生えてきたのか、すぐそばに長門の姿がある。その手にはすでに数冊の本が載せられていた。
 俺は何とか平静さを保ちつつ、
「ちょっとカードを作るのに時間がかかるみたいなんでな。何か掘り出し物でもないかうろついていたんだよ。
そっちはどうなんだ? 大体選び終わったのか?」
「まだ探索を継続している」
 長門はそういうと本を抱えたまま、また本棚の森に入っていった。やれやれ、どうやらハルヒといっしょのところは
見られなかったみたいだな。特にやましいことがあるわけじゃないが、ハルヒが臨戦体制である以上、
その姿を見られないことに越したことはない。
 その後、長門は20冊ぐらい集め、俺が作った貸し出しカードでそれらを持ち帰った。
 
◇◇◇◇
 
 運命の職員会議まであと二日と迫った日の放課後。俺たちは最後の追い込み作業に没頭していた。
 長門はすでに95冊読破し、俺のHP作成もほとんど完成している。残っているのは、長門が書いたあらすじ・感想を
HPのコンテンツにアップしていくだけだ。まだネット上での公開まではしていないが。この調子なら明日には完成となるだろう。
予定よりもせっぱ詰まった状況になってしまい、世間へのアピールはほとんどできなかったが、
岡部経由でこれを教師たちへ示すことはできる。そうすれば、文芸部はきちんとした活動をしているという証明になり、
廃部の話もおじゃんになってくれるはずだ。たった二週間という短い期間だったが、それだけの価値のあるものを作れたと自負している。
 とはいえ、ここ最近いろいろありすぎた俺でももうへとへとの状態だ。頭の中は授業内容を格納する領域を
破棄してHTMLの知識で埋めたし、何よりキーボードを延々と打ちまくっているおかげで、腕も痛いし肩もこった。
早いところ終わらして、マッサージか温泉にでも行きたい気分だね。
 一方の長門は、全く疲労を感じさせていないどころか読めば読むほど生き生きとしてきているのがはっきりとわかる。
特に好みにあった小説に出会ったときと来たら、顔には出さないが恍惚のオーラを全身から大量放出しているのが
はっきりと認識できるほどだ。本当に鼻にストローでも突っ込んでやろうか。いや冗談だけど。
 そんなことをつらつらと考えつつ、ひたすらキーボードを打ち続ける。
 ふと、ここで意味のわからない表現にぶち当たり、
「おい長門。これはどういう意味なんだ?」
「これは……」
 そんな感じで細かい意識あわせをやっているときだった。
 ……突然、文芸部室の出入り口の扉がまるでサスペンスかホラー映画のように軋んだ音を立てながら開き始める。
 あまりに前触れもなく唐突だったので俺は一瞬ぎょっとしてしまうが、次に登場したものにほっと安堵――はできなかった。
 そこから部室内をのぞき込むように仏頂面+半目+ジト目+への文字口と器用な顔を作り上げたハルヒが出現したのだ。
背後から不気味な迫力を持ったオーラ――長門の感情表現とはまた別物――をこちらに流れ込ましてくる。なんなんだ一体。
 やがてハルヒはその表情を維持したまま、俺の方に手招きを始めた。どうやら話があるから来いということらしい。
今日も学校に来ていなかったはずだが、放課後になってわざわざセーラ服まで着込んで来たとなるとそれなりの用事だと推測できる。
やれやれ、文芸部存続大作戦の追い込み時期にやっかいごとを増やして欲しくはないんだが……
「すまんがちょっと行ってくる。今の話の続きは後にして、読書を続けておいてくれ」
「わかった」
 そう長門と言葉を交わすと、ハルヒの元へと向かった。
 
 連れて行かれたのは、すっかり秘密の話をする場所になってしまった非常階段の踊り場だ。ここには滅多に人も来ないから
ひそひそ話をするにはうってつけだしな。
「で、なんだ用って」
 俺の言葉に、ハルヒはむすーっとした表情で腕を組み、
「全く人が必死に戦っていたってのに、まさか文芸部なんていう地味な部活で延々と読書していたとは思わなかったわよ。
少しは人も気持ちも考えて欲しいわね」
「無茶苦茶を言うな。大体お前が何をやっているのかさっぱり教えてくれなかったじゃねえか。
これじゃあ気の使いようもねえよ」
 そう俺が抗議の声を上げる。
 と、ハルヒはふうっと一息つくと、
「ま、ようやくそんな状態も終わったから良いんだけどね」
 そう言って安堵の笑みを浮かべた。自己完結するのは結構だが、協力者である俺にも情報開示を求めたいね。
まあ、文芸部活動に没頭していた俺が言うのもなんだが。
 俺はハルヒに視線を向け、
「いい加減、そろそろ何をやっていたのか教えて欲しいんだが」
「あたしにちょっかいかけてきた連中を残らずぶっ潰していたのよ」
 その俺の問いかけに、ハルヒは一言だけ返してきた。それだと意味がわからんぞ。どういうことだ?
 ハルヒは理解できない俺に、憶えていないの?と言いたげな表情を見せつつ、
「前にも言ったけどさ、高校時代になるとどこからか――多分情報統合思念体のインターフェースとかからでしょうけど、
あたしの話を聞きつけた連中がちょっかい出してくるようになるのよ。そいつらを片っ端からたたきつぶしてきたってわけ」
 その言葉に、俺はああと思い出した。そういや前にそんな話を聞かされた憶えがある。だが、ここの前の二つの世界――
機関と未来人のいる世界ではそんなことはなかったが……って、ああそうだったな。
「気がついたわね。ひさびさだったからすっかり忘れていたけど、あんたに超能力者や未来人の存在にについて
教えてもらうまではいつもこんな感じだったのよ。小規模組織があっちこっちに乱立しまくって、あたしにちょっかいかけまくる。
全く鬱陶しくてたまらないわ。これだけでも、古泉くんやみくるちゃんたちの存在がありがたくなるわね」
 ハルヒは疲れたというポーズなのか、自分の肩をもみほぐし始める。
 俺の世界でも古泉がちらりと水面下では機関は他組織と血で血を洗う殲滅戦をやっていたとか言っていたし、
前回の未来人オンリーの世界では、朝比奈さんの属する未来人連中が自分たちに都合の悪い組織を片っ端から潰して廻っていたようだ。
そのことを考えると、超能力者・未来人の存在はこういった混乱を沈め、力の配分を行える存在と言うことになる。
やはりあの二つは、ハルヒという存在を支える上で絶対になくてはならないんだと再認識させられるな。
「俺に黙っていたのは、万一俺とお前のつながりを知られると、俺が巻き込まれたりするかも知れなかったからなのか?」
「そうよ。あんただけじゃなくて、北高生徒も巻き込まれる可能性があったからできるだけ、周囲との接触を断って
あくまでもあたし個人だけで敵と戦っていたのよ。おかげで、向こうもあたしを集中的に狙ってきたわ。
前々回の無差別襲撃の二の舞はごめんだったしね」
 図書館で俺が思っていたことと同じことを口にするハルヒ。やっぱり沢山の修羅場を乗り越えたハルヒでも
ああいうことは慣れていないようだ。まあ、慣れてしまったら人間終わりだと思うが。
 ん、そうなるともうハルヒをつけねらう連中は完全にいなくなったと考えて良いのか?
 その指摘にハルヒは小難しい顔つきで、
「目立って動く連中は残らず潰したし、当分の間は実力行使ができる組織はないと思って良い。でも、ああいう連中は
まるでハエか蚊のように湧いてくるから、その度に対処していかないとならないけどね」
 てことは、まだまだそう言った抗争は続くかも知れないって事かよ。たまらんな、そりゃ。
 と、ここで文芸部活動の佳境について思い出し、
「現状についてはわかったよ。で、すまんがそろそろ部室に戻って良いか? これでもまじめに文芸部活動を
やっていたから戻らないとまずいんだ。こっちも色々あって今が最大の修羅場だからな」
「本題はこれからよ」
 ハルヒはそう言って俺の足を止めた。まだ何か言うことがあるのか?
 続ける。
「文芸部にいた女の子、あれ情報統合思念体のインターフェースよね? あんたあの子を使って何かやった?」
「やったって何をだよ? 言っておくがやましいことなんて、これっぽっちもないからな」
 俺の反応に、ハルヒは心底軽蔑したまなざしを向けてきて、
「なんでいきなりそっちの話になるのよ、このスケベ」
 お前の説明不足な言い方だとそう言う意味にしかとれんぞ。もっと詳細かつわかりやすく言ってくれよ。
 ハルヒはあごに手を当ててしばし思案してから、
「順を追って話すわ。はっきり言っておくけど、あたしはこの一週間憶えているだけでも三回のミスをやらかしているのよ」
「そりゃいくらお前がいろんな意味でできる人間だからといって、ノーミスで何もかもできるほど万能じゃないのはわかっているぞ」
「そうじゃなくて、致命的なミスってことよ。それこそ情報統合思念体があたしの能力自覚に気が付いても良いようなレベルのね。
でも、見てのとおり情報統合思念体はなんの行動も起こしていない。おかしいと思わない?」
 その三回のミスって言うのがどの程度のものなのか具体的に教えてもらえないとわからんが、ハルヒが自分で認識できるほどの
ものなら確かに奴らがハルヒが力を自覚しているってことに勘づいてもおかしくなさそうだ。しかし、今俺たちのいる世界は
夕焼けに染まってきている透き通った空が広がっているのを見ればわかるように、通常運行を続けている。確かに妙な話だな。
 ハルヒはぐっと顔を俺に近づけてきて、
「でしょ? だから、あんたが一緒にいるインターフェースに何かやらかしてそれを阻止してくれたんじゃないかって思ったのよ。
あの子、どうやらあたしの監視役を負かされているみたいだし。でもその調子じゃ、本当にただ文芸活動をしていただけっぽいわね」
「悪かったな。俺は長門に何か特別なことをやった憶えはねえよ。一緒に本を読んで、文芸部のHP立ち上げに奔走していただけだ」
 その俺の返答にハルヒはうーんと首をかしげる。よくわからんが、情報統合思念体が別の何かに没頭して忘れていたんじゃないか?
連中だってずっとハルヒだけを見ている訳じゃないだろ。
「まあその可能性も十分にあるんだけどね……こんなことは今回が初めてだったから、何が違うんだろって考えているのよ。
ひょっとしたら、情報統合思念体を出し抜けるヒントが隠されているかも知れないから」
 ハルヒの言うとおりだ。連中の目をごまかせる手段があるなら、利用しない手はない。うまくいけば、この世界でも
ずっと平穏無事に生きていけるようになるかも知れないからな。古泉や朝比奈さんがいないのはかなりさびしいが。
 ここでもう一度文芸部活動が修羅場なのを思い出した俺は、
「とにかく俺は何もしていない。それは確かだ。で、そろそろ戻らないとならないんだが」
「全くすっかり気分は文芸部員ね。本来の目的を忘れていないでしょうね? まあいいわよ。特に有益な情報はなさそうだし」
 腕を組んで呆れるハルヒ。おい、それは前回書道部に没頭しているお前に散々言った言葉だぞ。
 そんなことを心の中で愚痴りながら、俺はそそくさと文芸部室へと戻った。
 
 ふと、部室に戻る途中で朝倉に出くわす。見れば旧館から出てきたようだが、こいつなんか部活に入っていたっけ?
 朝倉は夕日で赤く染まった顔にいつもの柔らかな笑みを浮かべて、
「あらまだいたんだ。そんなに文芸部って大変なの?」
「もうすぐ廃部かどうかの職員会議があるんでな。それまでに活動を形にして残しておく必要があるんだよ。
今はちょうどその作業の修羅場中って訳だ」
 俺の返答に朝倉はふーんとだけ返してくる。
「そういや朝倉は何か部活に入っていたんだっけ? お前こそこんなところで何やっているんだ?」
「ちょっと長門さんに話があったから寄っただけよ。もう帰るわ」
 そう言うと、朝倉は早足で昇降口へと向かって言った。長門に用? まさかハルヒが犯したミスってやつの件じゃないだろうな?
 一瞬、人類滅亡のスイッチが入ったのではと身震いしたが、そうならとっくに実行に移されているだろうと考え直す。
 俺は文芸部室まで戻ると、そこでは相変わらず読書に没頭している長門の姿があった。朝倉との話で何か変わった様子はない。
ただの世間話だったのかも知れないな。明日の弁当のメニュー確認とか。
 見れば、ハルヒと話している間に一冊の本を読み終えたらしく、新たなあらすじ・感想メモがパソコンの前に置かれていた。
俺は腕まくりをしつつ、HP作成作業を再開した。
 
 ……後で俺はこの時ハルヒの話に加えて朝倉がなんでわざわざ部室まで足を運んでいたのか、
もっと真剣に考えておけば良かったと散々後悔することになる。
 
◇◇◇◇
 
「ほーむぺーじ?」
「そうです。俺たち――文芸部が作ってインターネットで公開しているんです」
 俺はそういいながら、HPの一部を印刷した紙を岡部に渡す。職員室からインターネットが出来るかどうかわからなかったため、
家でHPを印刷してきたおいたのだ。
 文芸部の命運を決める職員会議が明日に迫る中、俺たちはようやくHPの完成にこぎつけていた。
無論、ついさっきインターネット上で公開したばかりなので、カウンターは限りなくゼロに近い状態だが。
 あとは岡部経由でこの資料を職員会議で提示し、文芸部の活動実態を示すだけだ。これを見せれば、
どれだけ活動実態があるか、どんなバカが見てもわかるだろう。それを確信できるほどのものを作ったつもりだ。
「なるほど、HPか。考えたな。確かにこれだけのものを公開しているなら文芸部の活動実態は認められるかもしれない」
 岡部は俺の渡した資料をぱらぱらとめくりながら言った。
「これだけのものがあれば十分でしょう? もう廃部なんて言わせませんよ」
 俺はそう念を押しておく。
 岡部はぱんとひざをたたくと、
「よし、お前たちの意欲はよく伝わった。あとは俺が責任を持って職員会議で伝える。ただ、この二週間の間で
先生方の間でもかなり意識が変わっている可能性もあるから、確実なことは言えない。だが、出来る限りの事はするつもりだ」
「よろしくお願いします」
 俺が岡部に頭を下げると、長門もそれを真似して小さく数ミリだけ頭を前に倒すしぐさを見せた。
 
「やれやれ、やっと終わったな。さすがにくたびれたよ」
「…………」
 すっかりこった状態が日常化した肩をもみつつ、俺たちは部室へ戻ろうと旧館の階段を歩いていた。
長門も無言・無表情のままだったが、その感情表現オーラは達成感に満ちていた。こいつも何だかんだで、
やり遂げたという実感があるのだろう。
 あとは明日の職員会議に賭けるだけだ。きっといい返事が岡部から返ってくる。それだけの苦労はしたつもりだし、
これで結局廃部なんていうオチになったら、教師全員を末代まで恨んでやる。
 そんなことを考えながら部室に戻った。机の上に山積みされている本、長門が書き記したメモの束、旧型ながら
この二週間フル稼働してくれたパソコン……終わった達成感に身が支配されているためか、それら一つ一つを
見渡していくと思わず目頭が熱くなってしまいそうだった。やれやれ、俺らしくもないな。
 
 その後、俺たちは部室内の片づけを始める。図書室で借りてきたものと、市内の図書館から借りてきたものを
仕分けして返却の準備をしたり、長門が書いたメモをホッチキスで閉じて保存できるようにしたりなどなど。
たまにネット上に上げられている文芸部のHP――特に『長門有希の100冊』のページを見て、ニヤニヤしていたりしたが。
 その作業が終わるころにはすっかり日も傾き、部室内は夕日の明かりで真っ赤に染まっていた。
さて、本はぼちぼち返していくとして今日はこれくらいでお開きだな。
「今日はそろそろ帰ろうぜ。すべては明日の朝に決まる。後は腹をくくって待つしかない」
「わかった」
 そう長門と言葉を交わすと、俺たちは帰り支度を始めた。
 俺は身支度を終えると一足先に部室から出ようとして――
「待って」
 唐突に長門が俺を呼び止めた。振り返れば、帰り支度万全の状態の長門がこちらをじっと見つめている。
 そして、こう言った。
 
「これからわたしの家に来てほしい。話したいことがある」
 
 それを聞いた俺は、いよいよかと覚悟を決めた。おそらく自分が宇宙人であることのカミングアウトだろう。
しかし、なぜこのタイミング? 明日の文芸部の命運が決まった後でもいいと思うが……
 
◇◇◇◇
 
 俺たちは薄暗くなりつつある道をゆっくりと歩いていた。お互いに特に話題を振ることもなく、ただ黙って足を動かしていく。
長門のマンションはすぐ目の前に迫りつつあった。
 長門が自らを宇宙人であるということ。
 遅かれ早かれ告白される日が来ると思っていた。長門と接触している以上、そう言う流れになるのが自然だからな。
朝比奈さん(大)的に言えば『既定事項です』ってことだ。
 だが、どうしてこのタイミングなのだろうか。俺の世界では、長門は俺がハルヒに尋常ならない影響を与えていることを
知らせることと同時に、命を狙われる可能性があるから話したように思える。だが、ここ一ヶ月近く、俺とハルヒは
ろくに会話すらしていない。その理由はこないだハルヒから聞いた話で把握済みだが、長門がそんなことを知っているわけもなく。
ただ、ハルヒが一昨日・昨日と普通に学校に来だしてからは、他愛のない会話とかはするようになっているが、
SOS団みたいな強烈極まりないものを作ることに荷担したりはしていない。
 とまあ歩きながら考えていたが、やがて思考の袋小路にはまって止めてしまった。どのみちもう少ししたら
長門自身から話されるんだろうから、俺はそれを素直に聞くだけさ。ただし、もちろん俺が長門のトンデモ話を軽々しく
受け入れてしまったら人類滅亡フラグが立ってしまう。古泉・朝倉との同時カミングアウトの時と同じように、
できるだけ一般人かつ初耳で自然な反応をしなければならん。全くクタクタだって言うのに勘弁して欲しいね。
 さて、そんなことを考えている間に長門のマンションにたどり着いた。マンション入り口のロックを解除し、
そのまま二人でエレベータに乗る。そうだ、唐突の誘いのはずなのに黙って付いてきているだけなんてであまりに素直すぎるな。
ここらでワンクッション入れておくべきだろう。
「なあ長門。いちいちお前の家まで話さないとならないことってなんだ? 別に部室なら他の誰にも話を聞かれることもないと思うが」
「……不確定要素の発生を避けるため。わたしの家ならば、それが発生する確率は限りなくゼロになる」
 長門は淡々と返してきた。ただきっちりと会話が成立していることが、俺の世界、またはこの世界でも初めて長門と
接触したときとは大きな違いだ。当時のあいつなら何も答えることはなかっただろう。
 程なくして、目的の階でエレベータが停止し、そこから廊下を伝って長門の部屋708号室にたどり着く。
この世界でも部屋の位置や外観なんかは変わっていないんだな。多分、部屋の中も俺の知っているあの殺風景な――
「うわっ」
 俺は玄関から長門の部屋に上がって、仰天の声を上げてしまった。てっきり何もなくてまるで広めの独房かなにかと間違えそうな
部屋だとすり込まれていたから無理もない。
 部屋の中には無造作に床に置かれた本が山々――山脈と言っていい状態になっていた。収納という概念を知らないのか
本棚は一つもなく全てながら読みするベッドの枕元に置かれた漫画の山状態と化している。
 これは予想外だった。俺の世界の長門も読書狂だったが、部屋の中にはSOS団結成一周年記念になっても
本がこんな状態で積み上げられてはいなかった。
 ふと思う。この長門は文芸部活動ですっかり変わってしまった。もちろん、朝やって来て『ヤッホーエブリバディ?』とか
言い出しているわけではなく、いつもの無表情のままだが感情オーラどころか言葉の出し方も随分変化している。
しかし、それは俺がよく知る長門とはまた別物の文芸少女の姿だった。この一ヶ月ぐらいで長門は、俺の世界の長門を飛び越え
俺の知らない別物になってしまっていたんだ。少々文芸活動に没頭させすぎてしまったか?
 だが、一方でそれは決して悪いことじゃないはずだ。あの情報統合思念体のインターフェースとしてただ命令通り動く
人形状態ではなくなったと言うことなんだから。ひょっとしたら、朝倉レベルに近づきつつあるのかも知れない。
 長門はしばらく俺が座るスペースを確保するべく、てきぱきと本山脈の大移動を行っていたが、やがて部屋の中心部に
平野部を作り出すとそこにちょこんと正座した。俺もそれに倣って、正面にあぐらをかいて座る。
「お茶を出そうと思ったが、この状況ではできなかった」
「ああ、それは別にかまわねえよ」
 長門の言葉に、そういや以前の時はひたすらお茶をすすって長門の話を待っていたっけ、と懐かしい気分になる。
 さてと。長門の急激な変化は興味深いが、今はこいつの話に集中することにしよう。
 おっとただ黙っているのは不自然だな。こっちから話を振るか。
「で、学校ではできない話って言うのはなんなんだ?」
 俺の言葉に、長門は色の薄い唇をゆっくりと開いた。
「涼宮ハルヒのこと。それと、わたしのこと。それをあなたに教えておく」
 長門のしゃべり方が俺の世界の時と違って滑りが良いのも、文芸部活動の影響だろう。あの時感じたこいつの話し方に対する
不満は今の俺の心に浮かんでこなかった。慣れたって言うのも当然あるだろうが。
 長門は続ける。言葉と同時にはき出される感情ははっきりと困ったような、または躊躇しているようなものだと受け取れた、
「うまく言語化出来ない。情報の伝達に齟齬が発生するかも知れない。でも聞いて」
 それ以降の話は以前に聞かされたのとほとんど同じだった。
 ――涼宮ハルヒと自分は、文字通り純粋な意味で他の大多数の普遍的人間とは異なる存在。
 ――この銀河を統括する情報統合思念体によって造られた対有機生命体。
 ――わたしは生み出されてからこの三年間ずっと涼宮ハルヒの監視を行い、入手した情報を情報統合思念体へ報告していた。
 ――だが、ここ最近になって無視できないイレギュラー因子が発生した。それがあなた。涼宮ハルヒに多大な影響を与える可能性がある。
 
 正直この話には違和感を憶えた。さっきも言ったが、俺とハルヒはこの一ヶ月ぐらいろくに口も聞いていない。
なのになんでそんな扱いを受けているんだ?
 だが、途中で話の腰を折るとボロを出しかねないと思った俺は、とりあえず長門のマシンガン説明トークに
耳を傾けて置くことにした。質問は終わってから話が終わってからした方がいい。
 
 情報統合思念体とは。
 俺の世界の時と機関を造った世界で朝倉から受けたものと全く変わらない説明が始まる。さすがに三度目となると、
聞き慣れて憶えやすくなっていた。
 
 続いて三年前のハルヒの情報爆発について。そして、ハルヒが情報統合思念体にとって自律進化の可能性を秘めていることについて。
 これも以前聞いたものと代わりがない。ただ当時との決定的な差はある。それはこの世界ではその話は
ハルヒが仕掛けたディスインフォメーションだったのを知っていることだ。それを話したら長門はどんな顔をするんだろうか。
見てみたい気もするが、そんな個人的願望で世界を滅亡させてしまうわけにも行かない。
 
 ほどなくして話が終わり、長門はビデオの静止ボタンを押したように身じろぎ一つしなくなった。
どうやらこっからは俺のターンのようだな。もちろん、最初に返すのは以前と同じ言葉だ。
「待ってくれ。正直に言おう。さっぱりわからない。SF小説を読みすぎて現実と仮想世界がごっちゃになっていないか?」
 せっかくだから+αしておくことにした。そんな回答をする俺に長門は、
「信じて」
 そうメガネのレンズを通して真摯なまなざしで言ってきた。その視線には何というか――どうしても
俺に理解させなければならないという意思がひしひしと感じられた。なんなんだろう。どうして俺にそこまで伝えようとする?
まあ、はっきり言えば、お前の正体はしっかりと脳内に焼き印のように刻み込まれているから、
わかった信じると答えたくはなるがそうもいかん。全く面倒だな、やれやれ。
「仮にその何とか超生命体……だっけか? それとお前さんがその使い魔みたいな存在であることを信じたとしよう。
何で俺に言うんだ? どうして正体を俺に明かす?」
「あなたは涼宮ハルヒによって選ばれた。無意識・意識的にかかわらず、彼女の情報は周辺環境への
絶対的な情報として環境に及ぼす。あなたが選ばれたのは必ず理由があるはず」
 長門の言葉に、俺はせっかくだから確認しておくかと思い、
「念のために――別にお前の話を信じた訳じゃないぞ? 念のためにだ。どうしてハルヒが俺を選んだと判断したんだ?
いっちゃなんだが、確かにハルヒとはちょこちょと話をしている。しかし、ここ最近はろくに口もきいていない状態だったんだ。
何しろ、あいつが学校に来ないんだからな。仲良くしようもないさ。その間にこっそり会っていたとかもない。
こっちは文芸部活動でいっぱいいっぱいだったんだし。それなのに、どうしてだ?」
 俺の質問に、長門は無色透明のガスでも詰まっているんじゃないかと思いたくなるほど透き通った瞳でこちらを見つめ、
「涼宮ハルヒが中学生の時、あなたとは何の接点もなかった。だが、高校入学後あなたと話しているときの涼宮ハルヒは
全く身体的緊張感、及び警戒感を持たずにいる。これは有機生命体のコミュニケーション発展過程に置いて
あり得ない事象と考えられる。ならば、涼宮ハルヒの情報操作・構築・創造能力において、あなたが涼宮ハルヒの影響下に
置かれたと考えるしかない」
 ……なるほどな。接点がなかったのに、突然あの気難しいハルヒがぺらぺらとしゃべっている相手、
付き合いがあったわけでもないのにそんなことになるのは不自然だ。だからハルヒが俺を選んで何らかの変態パワーで
俺をどうこうしたって考えているわけだな。接点がないのが逆に際だたせてしまうとは、その辺りをもうちょっと
ハルヒとどうするか詰めておくべきだったのかも知れない。
 実際には、この世界のハルヒとも結構長い付き合いになっているからだったりするだけなんだが。何だかんだで、
俺の世界のハルヒ以上に苦楽を共にしているような気がするし。苦ばっかりだけど。
 ってことは――やっぱり俺は命を狙われる可能性があるってことか? 相手はやっぱり朝倉か?
 長門はそんな複雑な心境を悟ることもなく、
「情報統合思念体の意識は統一されていない。インターフェースも各意識によって配置されている。中には、涼宮ハルヒへ
直接・間接的なショックを与えて情報変化を観測しようと考えているものもいる。その事実を考えれば、
涼宮ハルヒによって選ばれたあなたは、その手段として利用される恐れがある。仲間のインターフェースより
その予兆ともいえる情報因子をすでに取得している」
 やっぱりそうなるよな。文芸部活動だけで疲労困憊なのに、朝倉襲撃にも備えないならんのか。ん、ひょっとして
昨日朝倉が長門に会いにきていたのもそれを伝えるためだったのか?
 さて。こんな話をされたからと言ってホイホイと信じてしまうわけにもいかん。かといってさっさと帰るのも
長門に悪い気がする。ここはフィクション話として少し付き合ってみるか。
「わかった。信じるかどうかは後でゆっくり考えさせてくれないか? 今は文芸部存続で頭がいっぱいだからな。
それが終わってからでも遅くはないだろ?」
 俺の言葉に、長門はコクリを頷いた。これでよし。後は適当に信じていないふりをしつつ、情報を聞き出すか。
「でだ。せっかくだから話だけ聞くと結構おもしろいように感じるわけだ。せっかくだからいろいろ教えてもらいたいんだが」
「何でも聞いて」
 俺はオホンとわざとらしく咳払いをすると、
「とりあえずお前の役割って言うのはハルヒの監視なんだろ? でもハルヒは最近すっかり姿が見えない状態だったが、
どうやって情報把握をしていたんだ?」
「さっきも言ったとおりインターフェースはわたしだけではない。協力者もいるため、そこから情報がわたしに集められ、
精査後に情報統合思念体へと報告している」
 長門の回答に俺は違和感を憶えた。ハルヒがここ最近潰して廻っていた組織とやらは、ハルヒの正体を知っているはずだ。
そうなると、どこからかそれについての情報を得ていなければならないわけで、機関も未来人もいないこの世界だと
唯一の情報入手先は長門たちインターフェースということになる。これについてはハルヒも指摘していたな。
そして、今長門はそいつらを協力者と表現し、ハルヒの情報収集に使っていたと言った。一方でハルヒは
三度致命的なミスとやらかしたと言っていたが、何でその情報が長門に伝わっていないんだ? どこかで止まってでもいるんだろうか。
 俺はしばらく考えていたが、ふと部屋の中にもう一人の人間がいることに気が付く。ぎょっとして振り返れば、
あの朝倉涼子が俺たちのすぐ近くに、いつもの柔らかな笑みを浮かべて立っていた。何でこいつがここにいる?
いつの間に入ってきたんだ?
 朝倉はゆっくりと長門の周囲を歩き始めると、
「でも、その情報のまとめ役である長門さんが全く機能していないのよね。困っちゃう話だわ。あなたもそう思わない?」
 よくわからんことを言ってきた。
 だが、長門はそんな朝倉の言葉を完全に無視して、
「この状況を作り出した理由について説明を求める。今のあなたからは敵性反応が感じられる」
「あら、エラーに浸食されているのにそんなことはわかるんだ」
 そう言いつつ朝倉は長門の背後に立ち、床に正座したままの長門の肩に手をかけると、
「良く自分が涼宮ハルヒの監視者であるなんて言えるわね。この一ヶ月の間、涼宮ハルヒは2978回もの不審な情報操作を
行っているのに、あなたは実に2654回それを放置した。さらに、上の方に報告した分についても95.6%は
エラーとバグだらけで報告として全く成り立っていない状態。とてもじゃないけど正常動作しているとは言えないわ」
 朝倉の言葉に、俺は言いしれぬ嫌な予感が全身を駆けめぐる。何か――朝倉の笑顔は変わっていないが、明確な敵意を感じる。
それに長門のさっきの言葉だとこいつは何かをしでかしたみたいだが……
「回答になっていない。あなたはわたしのバックアップ。こちらの指示に従い、明確な回答を求める。
なぜこの部屋を情報統合思念体から遮断し、外部環境から隔離したのか」
 長門の声は少し緊張しているように感じた。ちなみに俺はその数百倍はびびっている。なぜかと言えば、
気が付けば俺のいる部屋の窓・扉が全て消え失せ、完全な密室状態になっているからだ。今の長門の言葉を聞く限り、
やったのは朝倉か?
 朝倉は長門から手を離し、少し離れた場所に移動した。そして、両手を広げ、
「その通り。わたしはあなたのバックアップ。でもその意味を知っている? 本体が役に立たなくなったときに
代替の役割を果たすものなのよ。だから――」
 朝倉の微笑みは変わっていない。なのに、なぜかその時の笑みだけは凶悪にゆがんでいるように見えた。
 ――とっさだった。俺は長門に飛びつくと、そのまま脇に抱えて部屋の隅に飛び込むように逃げ出す。
そして、その一瞬後に長門がいたところを無数の光の刃が通り過ぎた。一歩遅ければ、今頃長門の身体は
ずたずたにされていただろう。
「――だからわたしはバックアップとして、役立たずのあなたを排除する。そして、以降の涼宮ハルヒの監視の主導は
わたしが行うわ。情報統合思念体には長門さんが内部エラー多発で自己崩壊を起こしたと報告しておいてあげる」
 続けられた朝倉の言葉に、俺の額から冷や汗が流れ落ちた。おいおい、これはどういうことだ?
朝倉が俺を殺しにかかるならまだわかるが、今は長門を殺そうとしている。しかも、長門がインターフェースとしての
役割を全く果たしていないだと? そうか、だからハルヒの致命的なミスというものも長門の親玉まで情報が行かなかったんだな。
 そんな俺の疑問に朝倉が答えるはずもなく、
「わたしは長門さんと違ってただ見ているだけなんていうことはしない。積極的に動くつもりよ。
そうね、せっかくだからあなたにもこの場で死んでもらっちゃおうか? そうしたらきっと涼宮ハルヒは
とんでもない情報爆発を起こすはずだしね」
 ええい可愛らしい笑顔で物騒なことを言いまくるな。まさか、長門のカミングアウトと朝倉暴走のイベントが同時発生するとは
考えてもいなかったぜ。せめてハルヒにここに来ることぐらい伝えておけば良かった。
 だが、そんなことを後悔している場合ではない。朝倉は両腕から無数の光の刃のようなものを発生させ、
一斉にこちらめがけて投げつけてくる。俺は必死に長門を抱きかかえたまま、じたばたとそれから逃げ出し、
ぎりぎりのところで回避する。
 俺はじりじりと迫ってくる朝倉に慄きつつ、悲鳴のような声で、
「おい長門! 何とか朝倉に反撃できないのかよ! 俺が逃げ回るのも限界があるぞ!」
「できない」
「なんでだ!?」
「朝倉涼子はこの空間を情報統合思念体との相互通信を出来ないように封鎖している。これではわたしの情報操作能力は
全く使えない状態。さらにこの空間領域は完全に朝倉涼子が制御している。どうすることもできない」
 抑揚のかけらもない口調だったが、そのまなざしは謝罪に満ちあふれていた。ちっ、そんな顔で見られると
どうにか守ってやりたくなるじゃねえか。
 だがどうする!?
「いい加減諦めてよ。どうせ結果は同じなんだからさ」
 あの時と同じようなことを言いやがる朝倉。はっ、死ねといわれて死ぬやつがどこの世界にいる。
 俺は必死に飛び跳ね、しゃがみ、ある時はスライディングして朝倉の攻撃をかわし続けた。自分でも良くかわしていると
ほめてやりたい。だが、俺の世界で朝倉に殺されそうになったときと同じことをされたらもう終わり――
「最初からこうしておけば良かった」
 まさに噂をすれば影。朝倉はその一声で俺と長門の身体を完全に硬直させた。くっそ、指一つ動かせねえ、やっぱりこれは反則だろ。
 朝倉は固定されたマネキン状態の方にゆっくりと近づきながら、右手に何かを構築し始めた。光の粒が次第に収束していき、
やがてあのトラウマになりそうな凶悪コンバットナイフへと形作られていく。
「これで惨殺死体にしてあげる。無惨になったあなたの姿を見た涼宮ハルヒはどんな情報爆発を見せてくれるのかしらね。
今からでも期待で胸がいっぱいよ」
 人の死を喜ぶようになったらもう人間失格だな――って、こいつは人間じゃなかったか。ちくしょう、どうすればいい!?
 俺は必死に脳の回転限界速度で思考を巡らせて何とか出来ないか考えるが、そんなことを朝倉が待ってくれるわけもない。
高々とナイフを掲げると、
「じゃあ死んで」
 そう言って一気に俺に向かって飛びかかってきた――
 その時。無数のコンクリートの破片が俺に降りかかってくる。それがぶつかる痛みとナイフが俺の身体に突き立てられたものと
勘違いして思わず声を上げた。
「痛ってえな、この野郎! ――あれ?」
 叫びの途中で気が付いた。いつの間にやら俺の身体が動くようになっている。俺に抱きかかえられたままの長門も
身体の自由を取り戻しているみたいだった。
 そして、眼前に迫っていた朝倉のナイフは俺から数センチのところで停止させられていた。その刃先を誰かが握りしめて、
俺に突き刺さるのを止めてくれたのだ。その人物は――
「――ハルヒっ!?」
 思わず驚愕の声を上げる俺。見れば、朝倉のナイフをしっかりとした格好で見事に受け止めている。力はほとんど互角なのか、
ナイフをつかむ手は微かに震え、たまにこちらに近づこうとしてくるがすぐに押し返した。だが、刃を直につかんでいるため、
それをつかんでいるハルヒの右手からはだらだらと見ているだけで痛くなりそうなほどの出血が起きていた。
学校帰りに俺をつけてきて着替えていないのか、北高のセーラ服の袖が流れる血で赤く染まっていく。
「全く……インターフェースを二人連れ込んで何をやっているのかと見に来てみれば、まさかこんな事態になっているとはね。
でも、外部から入ってくるやつなんていないと考えていたみたいね。こんな隙だらけの封鎖壁なら突入するのは簡単だったわよ」
「ど、どういうこと……!?」
 状況が理解できない朝倉は、明らかに動揺していた。そりゃそうだ。情報統合思念体はハルヒは力を自覚していないと
考えているんだからな。それがばりばりの変態超パワーを使って登場したんだからびっくりもするさ。
 だが、ほどなくして朝倉は結論を導き出す。
「……そっか。そうだったんだ。あなた、自分の能力を自覚していたのね」
「その通りよ。あんたたちにばれるわけにはいかなかったからずっと隠してきたけどね」
 ハルヒはナイフをつかんだまま、朝倉を睨みつけていた。こいつのバカ力でも朝倉のパワーには対抗するのは
厳しいらしい。じりじりとこちらに向かってくるナイフをフェイントをかけるように少しだけ手を動かして、
再度押し戻すという行為を繰り返していた。
 ここでハルヒはぐっと朝倉のほうに顔を近づけガンをつけるようににらみを強めながら、
「で、どうする気? 情報封鎖を解いて、あたしが自覚していることをあんたたちのボスに連絡する?
できないわよね。そんなことをしたら独断専行で自分の本体を抹殺しようとしたことがばれるんだから」
 この指摘に対して、朝倉は余裕の笑みを浮かべたまま、
「大丈夫よ。あなたが力を自覚している以上、情報統合思念体の意思はすべて一つに統一される。すなわち、あなたの抹消。
これはずっと前からの確定事項よ。今更確認や許可を取る必要もないわ」
 やっぱりそうなるか。となると朝倉の目的は長門と俺の殺害から、ハルヒの抹殺に変更されことになる。
もちろんそれが完了した後、今度は地球ごと抹消するだろう。
 朝倉はここでクスリと笑うと、
「ずっと隠し通してきたのに、何で出てきちゃったのかな? やっぱり彼のことが心配だった?
わたしは有機生命体の死の概念はよくわからないけど、やっぱりこの男が大切なのね」
「そんなんじゃないわ」
 ハルヒはナイフの刃を握る手を強めると、きっぱり言い放った。
「あたしがここに来たのはあんたを始末する絶好のチャンスだと考えたからよ!」
 その言葉と同時に、ナイフの刃がまるでガラスのように木っ端微塵に砕け落ちた。それを見た朝倉は慌てて
後方数メートルの位置へ大ジャンプする。俺が始めて長門と朝倉が本当の人間ではないと認識させられたあの人間離れしたものだ。
 すぐにハルヒは俺のそばに立ち、
「いい? 邪魔になるだけだから余計なことはしないで。あいつの相手はあたしがするから」
「おい、大丈夫なのか? 今まで――勝てる見込みはあるのかよ!?」
 俺の問いかけ。ハルヒの顔はいつの間にか顔中に浮かび上がってきていた汗が、髪の毛を乱れさせている。
そして、こう言った。
「勝つなんて……今までだって逃げるだけで精一杯だった相手よ」
 それを言い終えるや否や、朝倉のほうへもうダッシュをかける。一気に間合いを詰めて、見事な曲線を描いた蹴りを
見舞おうとするが、朝倉はあっさりとまるで発泡スチロール製の棒を受け止めたように右手のひらでそれを受け止めた。
続いてまるで蚊をはたくようにその手のひらを動かすと、ありえない衝撃が起きてハルヒの身体はあさっての方向へ
吹っ飛ばされる。だが朝倉の攻撃はそれでは終わらない。同時にあいていた左腕をかざすと、あの光沢の鋭い槍のようなものを
発生させ、それをハルヒのほうへ投げつけた。
 投げつけられた衝撃そのままにハルヒは部屋の壁に激突し、しばらく痛みにこらえていたが、すぐに攻撃第二波に気がつくと、
大きく右腕を振りかざす。ハルヒの目前まで迫っていた光の槍はその一振りで粉砕されたようにさらさらと消え失せた。
 今度は自分の番だと考えたのか、再度ハルヒは朝倉に向かって突進を始める。そして、大きく振り上げた拳で
朝倉を殴りつけようとするが――
「無駄よ。有機生命体の物理接触はわたしには何の意味もないわ。異常な能力を有していても、所詮ベースは有機生命体。
それでわたしに勝てると思っている?」
 朝倉の声は全く違う方向から聞こえてきた。瞬間移動でもしたのか、朝倉の姿はさっきまでいた場所から消え失せ、
ハルヒの背後に立っていた。一度殴りかかる体制に入ってしまっていた以上、ハルヒの拳は途中停止することが出来ず
そのまま大きく空を切った。もちろん、それを背後からただ見ているだけの朝倉にとって、まさに隙だらけの瞬間だろう。
 すっと朝倉が右腕を振り上げると、まるで床から何かが吹き出たような爆発が起き、アッパーでも食らった姿勢で
ハルヒは吹っ飛ばされた。衝撃そのままに床に落下して、さらにダメージを増幅させる。
「あら今のにも耐えちゃうんだ? それならこれでどう?」
 朝倉の攻撃が続く――
 
 それ以降も、一方的な展開は続いた。朝倉の超宇宙的パワーの連続攻撃にハルヒはなすすべもなくさらされ続け、
すでにセーラ服がずたずたになり、身体中に出来た傷から出血を起こしている。さらに内臓レベルでもダメージが酷いのか、
時折かはっと口内を切っただけではあり得ないほどの量の血を口から吐きだしていた。
 一方的すぎる。戦っているのではなく、これでは一方的に虐待されているようなものだ。しかし、朝倉は
別にハルヒをいたぶって遊んでいるようではないらしく、
「やるじゃない。さっきから全て致命傷を負わせているはずなのに、ぎりぎりのところで全部回避しているなんて。
どこでそんな経験と技量を手に入れたのかしらね」
 そう言っていつもの柔らかな笑みを浮かべた。口の周りに付いた血を拭いつつ混濁した目になってきているハルヒとは対照的だ。
だが、それでもハルヒはまだ諦めるつもりはないと言いたげに朝倉を激しく睨みつけている。
それもそうか。朝倉にごめんなさいと言っても助けてくれるわけがないからな。まさに純粋な命をかけたやり取りが
目の前に繰り広げられている。
 朝倉は右腕を光る凶器に変形させると、横殴りでハルヒの脇腹をえぐる。踏ん張る力もなくなってきたのか、
それをなすがままに受け入れてしまったハルヒは強烈な勢いで壁に叩きつけられる。そして、がくりと床に
膝を付けてしまった。しかし、気力は落ちていないとアピールしているのか、すぐに顔だけは朝倉へにらみを飛ばしている。
「いい加減諦めたら? わたしにはわからないなぁ、どうしてそこまで抵抗するの?」
「黙って殺される奴なんていないわよ……!」
 朝倉ののほほんとした言葉に、殺気の篭もった声を返すハルヒ。だが、明らかにその声は普段に比べて、
しゃがれて弱々しくなってしまっている。
「でも、だんだんあなたの戦い方が解析できてきたわ。次で終わりよ」
 そう言って今度は両腕を光る凶器へと変貌させた朝倉は、ゆっくりとハルヒ近づいていく。
それに対して、ハルヒはふらつく足を何とか持ち上げるように立ち上がり、次の攻撃に身構える。
 その時だった。
「なーんちゃって♪ フェイントよ」
 唐突に朝倉は変貌させていた腕を元に戻した。これにハルヒははっと驚愕の表情を浮かべた。
 朝倉はさらに近づきながら、
「わたしの攻撃寸前に情報操作でそれを回避している。それがあなたのやり方。でも、ばれたらそこまでね。
あなたの情報操作をわたしので上書いてあげる」
 高速に読み取れない言葉が朝倉の口から流れた。
 ――その瞬間、目を開けていられないような閃光が俺の視界を覆った。俺は目が焼かれないぎりぎりのところで
目を強くつむり、まぶたの上からですら発光が感じられるそれが過ぎ去るのを待つ。
 ほどなくして、俺の視界が暗闇へ戻った。恐る恐る目を開けると、
「ハルヒっ!」
 思わず叫ぶ光景が広がっていた。長く伸びた朝倉の腕がハルヒをまるで絞首台のように首をつかんでつり上げている。
ほとんど息が出来ない状態に追い込まれているのか、ハルヒは朝倉の腕を放そうと手でそれを離そうとしている。
だが、朝倉の腕は石化したようにハルヒの喉に食い込んだまま離れる気配すらない。
「あら、身体を粉々に砕くつもりだったのに、またぎりぎりでわたしの情報操作をさらに書き換えたの? 凄いじゃない。
でもこれでも十分だわ。このままあなたをじっくりと絞め殺してあげる♪」
 朝倉は珍しく感嘆の声を上げた。一方のハルヒは徐々に酸欠が酷くなってきているのか、顔は赤く染まってきて、
苦しさを紛らわせるためなのか足を激しくばたつかせていた。
 このままではハルヒは確実に死んでしまう。俺は思わず長門を抱きかかえたまま立ち上がり、
「止めろ朝倉! 何でこんなことをするんだ!」
 俺の叫びに朝倉はやはり表情はやわらかいまま、
「なぜって? 危険だからに決まっているじゃない。それが情報統合思念体の共通意識よ」
「どうして危険なんだ! ハルヒはお前たちに危害を加える意思なんてないんだぞ! 大体今だって
お前の方が圧倒的に強いじゃないか! おかしいだろ!」
 無我夢中に俺は叫び続けるが、朝倉はあっけらかんと、
「確かに涼宮ハルヒはただの有機生命体にすぎない。わたしたちのように上手く情報操作なんてできないわ。
これだけ抵抗できること自体が驚きよ。でも、そんなことは関係ないの」
 ――もうハルヒの顔は赤を越えて、紫色になってきていた。これ以上は耐えられないぞ。
 朝倉は続ける。
「情報統合思念体は危険な情報創造能力を有する涼宮ハルヒ、およびそれの影響下にある人間は
決して見過ごすことは出来ない。でも、それを自覚しない限りは危険でもないし、逆に有意義な観測対象になるわ。
できれば、それは避けて欲しい事態だったんだけど、自覚しちゃっていたんだからしょうがないよね」
 そう言いながらさらに腕に力を込めて、
「じゃあ死んで」
 さらにハルヒの顔色が――直視できないほどゆがむ。
「やめてくれぇっ!」
 情けないほどの叫びをあげる俺。
 やめてくれ。ハルヒを殺さないでくれ。頼む……頼むから……!
 …………
「こういう光景を背後から見ているのって、結構恥ずかしくなるわね」
 唐突だった。見れば、朝倉の背後にハルヒが立っていた。もちろん、今にも絞め殺されそうになっているハルヒは
そのままの状態である。
 これに気が付いた朝倉の表情が驚きに満ちたものへと変貌した。全く予測していなかった――いやしてやられたと
思っているに違いない。ちなみに俺は何が起きたのかさっぱりだ。
 すぐに朝倉は肩の力を抜いて動こうとするが――
「遅いわよ! 情報連結解除開始!」
 朝倉に背後に立ったハルヒがぱちんと指を鳴らす。同時に首を絞められていたハルヒがつかんでいた朝倉の腕から
俺の世界で長門が朝倉を始末したときのように、さらさらと粉末状に分解されていった。
「そんな……!」
 驚愕と困惑。そんな感情が入り交じった表情で、朝倉は呆然とつぶやく。
 やがて、つり上げ状態だったハルヒは拘束状態を解かれそのまま床へと落下する。
 朝倉は消えていく自分の身体を見ながら、
「最初からこうするつもりだったのね。ダミーを仕込んでおいて、わたしがその相手をしている間に、
情報連結の解除の準備を進める。その後に、ダミーを介して実行か。やってくれるじゃない。
有機生命体にここまでしてやれるなんてショックだなぁ。あーあ、しょせんわたしはバックアップでしかなかったか」
 困ったような顔を浮かべている割には、声に深刻なものを感じなかった。死の概念について理解していないってのは
本当のことなのだろう。
 ふと、俺の方に朝倉は振り返ると、
「よかったね、延命できて。でももう遅いわ。涼宮ハルヒの力の自覚は、最優先報告事項。例えわたしを消せても、
そこにいる長門さんが情報封鎖を解除後に、情報統合思念体へ報告する。それであなたたちは終わりよ。
例え長門さんがエラーで報告できなくても、他の対有機生命体コンタクト用インターフェースが報告するだけ。
どうやってもそれから逃れる方法なんてないわ」
 あくまでもあのクラス委員スマイルを崩さなかった。そして、最後に一言だけ。
「涼宮さんと残り少ない時間をお幸せに。じゃあね」
 そう言い残すと、完全に消え去っていった。
 同時に、朝倉の背後に立っていた方のハルヒが消え失せ、さっきまで絞首刑状態だったハルヒの方が
激しく酸素を求めて咳き込み始める。
「おい大丈夫か!?」
 俺は一旦長門を降ろすと、かなりダメージの大きいハルヒの元へ駆け寄った。少しでも楽になればと、背中をさすってやる。
 どういうことなんだ? さっきの話だと首を絞められていたのは偽物だと思っていたが……
「途中までホンモノだったわよ……あ、あいつをごまかすためにはあたしなんかが作る偽物じゃ……
すぐにばれる……だけだったから……!」
 息切れしながら答えるハルヒに、俺は無理すんなとさらに背中をさすってやる。
 何はともあれ危機は脱出できたみたいだ。一時はどうなることかと思ったが、あの朝倉すら撃退してしまうとは
全くハルヒ様々を越えて、崇め讃えたくなるよ。
 ハルヒは自らの傷の手当てをすませたのか、ぼろぼろのセーラ服以外の傷を全て治し、すっと立ち上がると、
「まだよ……始末しないといけないのがもう1人いるわ」
 さすがに体力までは回復していないようでだるそうな声を上げるハルヒ――ってちょっと待て!
もう1人ってまさか!?
 ゆっくりと長門に近づいていくハルヒに、俺はあわててその前に手を広げて遮った。長門はいつの間にか
正座の姿勢になってこちらをじっと見つめている。
「待て待て! さっきの話も聞いただろ? お前の失敗が情報統合思念体にばれていないのは長門のおかげだぞ。
それにどうやら文芸部活動の影響でろくに機能できていない――つまり普通の人間と大して変わらない状態ってことで、
始末する必要なんてないはずだ!」
「状況と意味合いが違いすぎるわよ! 朝倉も言っていたじゃない、あたしの自覚についてさ。だから、報告される前に
何とかしないと手遅れになる。まだ朝倉の封鎖壁はそのままだから、ここでどうにかしても奴らには気づかれない。
やるなら今しかないのよ!」
 そう言いながらハルヒは俺をどけと振り払おうとするが、必死にそれに抵抗した。冗談じゃねえ。
朝倉抹消なら諸手を挙げて賛成するが、長門にまでそんなことをするなんて論外だ。もう俺の中じゃこいつは
インターフェースじゃない。文芸部の大切な一員なんだ。それをむざむざ消されてたまるか。
 だが、ハルヒは俺の呼びかけに全く耳を傾けようとしない。文芸少女・長門の姿を見ていない上に、
ついさっきまで同じインターフェースである朝倉に虐殺されそうになったんだから無理もないか。
 そうなると説得する先はハルヒではなくて、長門になるということだ。
 俺はハルヒの肩をつかみ、
「お前の不安はよくわかっているつもりだ。だが、少しだけ俺に時間をくれないか?」
「……どうするつもりよ?」
 ジト目でハルヒが返してきた。俺は長門を指差し、
「俺が長門にお前のことを報告しないよう説得してみる」
「できるわけ?」
「ああ……」
 そう言いつつ、正座姿勢へと戻っていた長門の前に俺は立つ。そして、しゃがみこみ話を始める。
「災難だったな。大丈夫か?」
「このインターフェースへの外傷は確認されていない。ただ……」
 ――長門は一瞬言葉に詰まりつつも、
「朝倉涼子が指摘したことは紛れもない事実。わたしは情報統合思念体との相互通信が正常に行えない状態に陥っている。
たとえこの情報封鎖状態が解かれても、今回の事実を的確に報告できる可能性は低い」
「そいつはかえって好都合だ」
 俺はぐっと長門の肩をつかむと、
「頼みがある。今回の一件でお前もハルヒが自分の力を自覚していることを理解したよな? それをお前の親玉には
報告しないでほしい。できるか?」
「…………」
 長門は無言のままだ。しかし、その無表情から俺はしっかりと迷いの感情を読み取っていた。俺はもう一押しだと思い、
長門の前でぐっと頭を下げ、
「すまん、頼む! でなけりゃ俺たちはお前をここでどうにかしなきゃらなくなるんだ。だが、俺は絶対にそんなことはしたくない。
まだあれだけ苦労してやり遂げた文芸部の存続の結果わかっていない状態でお前がいなくなるなんて耐えられねえ。
だからお願いだ。報告しないでくれ。そうすれば、朝倉がいなくなっただけで何もかも元通りなんだ!」
 話しているうちにテンションがあがってしまい、俺は長門の両肩をつかんでいた。
 長門はそんな俺をただじっと黙って見つめていた。簡単には答えは出せないのだろう。役割を放棄しろと
迫っているんだから無理もない。ある意味自分の存在を否定しろと言われているんだから。
 と、ハルヒが背後から近づいてきて、
「キョン、もうすぐ朝倉の封鎖壁が崩壊を始めるわ。これ以上は待てないわよ」
「……わかっているさ!」
 いらだちのこもった声で返してしまう俺。頼む長門、イエスと答えてくれ。頼む……
 たぶん長門が返事をするまで数十秒程度だっただろう。しかし、その時間は俺にとっては数時間にも感じられた。
よく聞く話だが、緊張で硬直した神経が時間間隔を加速させているんだろうな。
 そして、長門は答えた。少し――本当に少しだけ頭を下げるという行動で。
 俺は念のために確認を取る。
「それはハルヒのことは秘密にしておくってことでいいんだな。少なくとも俺はそう受け取るし、信じる」
「その認識でかまわない。あなたの言うとおり、朝倉涼子の暴走の件以外、情報統合思念体には報告しない」
 今度は言葉ではっきりと長門はイエスと答えた。思わず歓喜の声を上げてしまいそうになるが、一応平静さを保っておく。
 すぐにハルヒのほうへ振り返ると、
「どうだ? これで文句ないだろ。お前のことは連中には知られないし、人類滅亡もない」
「ずいぶんあっさりと信じるのね。そんな口先だけの言葉を信じろって言うわけ? それに――」
 ハルヒは視線を長門のほうへ向けると、
「いったいどう収拾をつけるつもりなのよ。大体、あたしの抹殺はあんたたちの共通認識なんでしょ?
それを簡単に破れるわけ?」
 その問いかけに長門はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと語り始める。
「なぜこのような判断を下すのは自分でも理解できない。わたしの内部エラー多発に関連していると推測している。
だがはっきりと言える。わたしは涼宮ハルヒの力の自覚について報告したくない。そして、その結果情報統合思念体が
とる行動についても容認できない。これはわたしという個体内のみでの思考。わからない。なぜこんなことができるのか。
こんなことができてしまうのか。以前のわたしなら絶対にありえないこと」
 その長門の目はすっきりと透き通ったものだった。これだけでも俺は確信できるね。長門は嘘なんて言っていない。
絶対に報告しないだろう。
 長門は続けて、
「今回の話をするのももっと後でするつもりだった。だが、明日の文芸部存続の正否によってわたしの内部エラーは
さらに増大するかも知れない。だから、今日しかタイミングがないと判断した」
 なるほどな。昨日までは文芸部活動に忙殺され、さらに明日にはその結果が出る。今日はそのちょうど隙間ってことか。
 ついでに言っておいてやる。お前がエラーと表現しているのはな、以前にも言ったが感情ってヤツなんだよ。
ほかの誰でもないお前自身が感じたことなんだ。それ自体、何ら恥じることもないし、むしろこの短期間で、
あのただボーっとしている状態からそこまで成長したことに俺は感激してしまうぐらいだ。
 ハルヒはさらに続けて、
「朝倉のことはどうするつもり?」
「朝倉涼子の暴走についてはわたしの責任。それの処理をするのは当然。情報統合思念体には内部エラーで暴走し
敵性と判定後情報連結解除を行ったと報告する。あなたの関与については何も言わない」
「…………」
 長門の回答にハルヒはしばらく目をつぶって考えていたが、やがて驚きの表情へと変化し、
「驚いたわ。こんなことを平然と言うインターフェースを見たのは初めてよ。あんた、いったいこの子に何をしたわけ?」
 そう今度は疑惑の視線を俺にぶつけてきた。
 俺は手を振りながら、
「だからこないだも言っただろう。ただ文芸部の活動をしていただけだって」
 だが、その活動こそが命令以外何も動くことのできなかった長門の束縛状態を解放し、自由意志を手に入れられるきっかけを
作ったことは間違いない。やっぱり読書だよな、長門は。ああ、あとパソコンについてもそのうち教えてやるか。
俺の世界でのコンピ研との一戦以来、そっち方面にもまんざらでなくなりつつあるみたいだし。
 ハルヒはやがて観念したようにため息を吐くと、
「わかったわよ。あんたたちの言うことを信じてあげる。でも言っておくけど嘘ついたりしたら本気で承知しないわよ。
どんな手段を使ってもあんたたちの親玉への報告は阻止するつもりだからね」
「その認識でかまわない。むしろ、わたしはそうしてくれることを願っている」
 長門の返事。と、ハルヒはすっと長門に手を差し出すと、
「一応これからは仲間も同然だから、改めて自己紹介しておくわ。あたしは涼宮ハルヒ。あんたの名前は?」
「長門有希」
「長門……有希ね。有希って呼ぶわ。これからよろしくね」
「わかった」
 長門はそう答えつつ、ハルヒの手をとった。
 ……たぶん、史上初めて情報統合思念体とかかわりを持つものとハルヒがこうして友好的に手を取り合ったんだろうな。
 俺はふとその光景にそんなことを考えていた。
 
◇◇◇◇
 
 やたらと長くなった長門のカミングアウト+朝倉暴走イベントが終わった後、俺とハルヒは長門のマンションを後にする。
封鎖壁を解除する瞬間、ハルヒはまだ信用し切れていないのかかなり緊張した面持ちだったが、その後長門と別れた後でも
特に世界に異常が発生した形跡はなかった。どうやら長門はしっかりと約束を守ってくれているらしい。
まあ、俺は最初から疑ってもいなかったけどな。
 俺たち二人は夜と深夜の境目になりつつある時間帯の道を歩いていた。心なしか、さすがに対朝倉戦のダメージが残っている
ハルヒの足取りがいつもより重く感じる。
 俺はそんなハルヒを横目で見つつ、
「とりあえず礼を言っておくぞ。長門の言うことを信じてくれてありがとな」
「……別に完全に信用したわけじゃないわよ」
 ハルヒは疲労感のこもった言葉を返してくる。何だまだ長門のことを疑っているのか?
 そんな不満を表情に出したのを読まれたのか、ハルヒは軽く首を振りつつ、
「そういうと語弊招くか。あの子――有希の言っていることは信用するわ。これでも人を見る目は鍛えてきたつもりよ。
あれは絶対に嘘やごまかしをしている目じゃなかった。あの子本心からの言葉なのは間違いないわ。でもね、
だからといって情報統合思念体に絶対に報告されないとは言い切れない。有希の意思を無視して、さっきの一件が
伝えられる可能性は否定できないわ」
「……それは……まあそうだが。でもよ、それを言い始めたらあの事態が起きた以上、長門に関係なく
起こるかもしれないって事だろ」
「そうよ。万一だけど、それに備えておく必要があるってあたしは言いたいの。しばらくはリセットをすぐ行える体制を
とっておくつもりだから。いざとなったらあんたの意見なんて聞かずにとっとと実行するからそのつもりで」
 ハルヒの言葉に、俺はなるほどと思った。確かに相手は宇宙規模の巨大勢力だ。どんな手段でハルヒの能力自覚を
察知するかわかったもんじゃない。しかも、それから派遣されたインターフェースの前で、はっきりとそれを証明してしまった。
何が起きても不思議じゃないってことか
 ふと、ハルヒは思いついたように、
「あ、そうだ。あとこれから有希の監視も含めてあたしもあんたと一緒に行動するわよ。今まではごたごた続きでできなかったけど、
しばらくはあたしにちょっかい出してくる連中もおとなしいだろうし――文芸部だっけ? あたしも入部することにするわ」
「それは一向に構わんが、下手をしたら明日廃部になるかも知れんぞ」
「それならそれで、別の部活なり同好会を立ち上げればいいじゃない。できるだけ有希のそばについていたいしね。
なんていうか――いい子だわ。朝倉みたいなインターフェースばかり見てきたから少し偏見が減ったかも」
 だんだん、俺の世界の団長様に近づいてきたな。元はほとんど同一人物みたいなものだし、同じ状況になれば、
抱く感情も似通ってくるのだろう。
 だが、ハルヒは今良い事を言った。廃部の場合は新たに同好会でも作れば良いということだ。なるほどな、確かに最悪の場合は
その手もあるか。あっという間にそこにたどり着けるとは、さすがのポジティブ思考ぶりである。
「ところで最近の文芸部ってなんかあんたたちやたらと熱中していたみたいだけど、何をしていたわけ?」
 ハルヒの質問に、俺は端的に入部した経緯・長門の読書狂ぶり・さらに廃部の危機にあることについて話してやる。
それなりに雄弁に語っていたつもりだったが、俺の話が進むに連れてハルヒは眉を次第にひそめてしかめっ面へとなるのは何でだ?
「……ずいぶん有希と仲が良いじゃない」
 そりゃ怒涛の文芸部活動に打ち込んでいたからな。それなりに連帯感つーか信頼関係ぐらいは築けて来るさ。
 だが、ハルヒはますます口をとんがらせそのまま黙ってしまった。何だよ一体。
 結局そのまま俺たちは別れ、別々の帰宅の途についた。
 
 
 ~涼宮ハルヒの軌跡 情報統合思念体からの独立(後編)へ

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最終更新:2020年03月07日 14:07