今から一年前の事。会社帰りの電車の中。
 隣に座った人の週刊誌をチラ見しながら、いつも通り携帯でネットをさまよっていると、ついに電池が切れてしまった。
 最近の携帯は、多機能にはなってきたが、やたらと電池の消耗が早い気がする。
 携帯が通じないのは昼間なら困り果てるところだが、会社の電話は拒否したいし、家からの電話がかかってきたとしても、もうすぐ帰り付くのだ。問題はないだろう。
 そんなことを思っていると、電車は静かにいつもの駅に滑り込んだ。


 駅のホームには北風が吹きすさみ寒さがやたらと身にしみる。そして、ホームから見える駅前の商店街からは赤や緑のきらびやかな光が見え、定番のあの歌が響いてくる。
 この季節のこの時間になると暖かい家や人がやたらと恋しくなるのは一体何故だろう?
 俺はそんなことを考えながら、何となく早足で歩き出すと、唐突に後ろから聞き慣れた声が響いた。
「よう!キョン!こんなところで合うとは奇遇だな」
 その声の主は、新婚ホヤホヤの谷口だった。あの『万年もてない王』もようやく相手に恵まれ、ついには先月の良き日に結婚式と披露宴を執り行った。新婚旅行から帰ってきたの待ちわびて、俺達夫妻と国木田夫妻で新居にお邪魔したのだが、その熱々新婚ぶりを俺たちに見せつけてくれたのはつい先週のこと。
 あの後、その熱々ぷりに張り合おうとするハルヒをなだめるのには苦労したぜ。
「あの涼宮ならやりかねんが、さっそく惚気返しかよったく」
「たまには逆に惚気させろ。付き合いが長いと新婚気分ていうのは案外短いもんだ。俺にとって新婚気分なんて半年程度だったな。気が付けば今では高校の頃にSOS団でこき使われていた俺とハルヒの関係とあまり変わらない気がするな」
「お前達は高校の頃から夫婦だったからな、ハッハッハ……」
 谷口はそう言うとゲラゲラと笑い始めた。
 昔から夫婦だったと言うヤツは多いが俺にはいまだに納得できないでいる。あのころの俺とハルヒは、そう言う関係じゃなかったと日々常々言っているだろう。
「そう言うなら今から呑みに行くか? 先週、嫁さん達の前では出来なかった昔話でもしようぜ。お前と涼宮が廻りから客観的にどう見えていたのかをたっぷりと語ってやる」
 甚だ残念だがお断りだな。どうせいつもの惚気話になるのは確実に見えている。こいつ甘々エピソードなど先週の分でいまだにお腹一杯だ。それに新婚さんが嫁を待たせてどうするんだ?
「それもそうだな。愛しのマイスイートハニーが俺の帰りを首を長くして待っているんだった。悪い、言い出したのは俺だが気が変わった。例のいつものメンバーの新年会の時にまた語ってやるよ」
 やれやれ。新年会もこいつの惚気ビームが延々放出されるのか。誘うんじゃなかったぜ。
 俺の毒舌ももろともせず、谷口はニヤニヤと古泉のように薄ら笑いを浮かべてやがる。確信的に惚気てやがるなこいつは。
「まあ、そんなことよりも、噂になっているだろうが、最近この辺で誘拐未遂事件が多発しているらしいぜ。お前のところの娘はまだ一人で歩き回ったりしないだろうが、成人女性も狙われているらしいからな。気を付けた方がいい」
 すっかり忘れていたが、そう言えばお前は警察官だったな。こんな奴が警察に入れるなんて日本の治安維持活動の低下を憂いてやまないぜ。
 そんな俺の心配をよそに、谷口は「じゃあまた今度」と言いながら別の方向へと駆けだした。
 さて、俺もハルヒと子供が待っている。早く家に帰ろう。俺は、谷口を見送ることなく、再び暖かい我が家へと足を向かわせたのだった。



 俺たち親子三人の家は犬が庭で洗えるほど大な庭付きの家ではなく、ごく普通の賃貸マンションだが、今の三人の家としては十分すぎるほど広い住まいだ。
 その玄関の鍵を開け、中に良く聞こえるように「ただいま」といいながらドアを開けるが、いつものようにハルヒが出迎えてくれない。
 いったんどうしたんだろう?
 廊下を抜けリビングに通じるドアを開けると、子供はベビーベッドで就寝中のようだし、ハルヒもリビングにいるのだが、やたらと真剣な顔で電話をしていた。
 何か大事な話なのだろうと勝手に理解して声を掛けず、荷物を置き、服を着替えようと寝室に行こうとするが、何となくハルヒの様子が変だ。
「はい……今帰ってきました……ありがとうございました……」
 なんて、滅多にない神妙な声でしかも礼など言ってやがる。
 相手は一体誰なんだ?
 真剣な面持ちのまま、ハルヒはゆっくりと電話を切ると、俺の方を何とも言えない惚けたような目で見てる。
 そして……
「バカバカバカキョン―――――!!!」
 そう大声で叫ぶとその場に突っ伏して泣き始めたのだった。
 初めて見る取り乱したハルヒ。そしてそれに混乱する俺。
 何がなんだかまったく解らない。 だが、ハルヒをそのままにしておく訳にもいかず、ハルヒに近づき慰めるように肩を抱くと、俺の胸の中に飛び込んで再び声をあげて泣き始めた。
 ハルヒはそのまましばらく泣き続けたが、俺は訳がわからないまま、優しく抱きしめ頭を撫でてやると次第に落ち着きを取り戻していった。
「一体何があったんだ?さっきの電話が原因なのか?」
 そう問うとハルヒは
「今思えば、グズッ……やっぱりただのいたずら電話だと思うんだけど、グズッ――――」
と、涙ながらにようやくゆっくりと語り始めたのだった。



 5時頃だったかしら?
 いつも通り夕ご飯の支度を終え、ぐずっていた子供を寝かしつけたところに、家の電話が鳴り響いた。
 やっと子供が寝たところなのに起こしてくれたらどうするのよ!そう思いながらも何気なくあたしは電話に出たわ。そしたら相手はあたしが喋る前に唐突に話し始めたの。
『奥さんですか?』
「はい?どちら様?」
あたしがそう答えると、相手はちょっと間をおいてゆっくりと言ったのよ。


『――実はお宅のご主人を誘拐致しました』


 はあ?何いってんの?これはイタズラ電話ね。
 そう思いながらも、あたしはつい相手にしてこう言ってしまった。
「何かの間違いでしょ?うちには身代金を払えるほど裕福な家じゃ無いんですけど。うちの旦那の給料は安月給なのよ!」
「間違いじゃありません。○○さんのお宅ですよね?」
 なんで?どうして、原作ですら語られていないうちの名字を知っているわけ?やっぱりイタズラじゃなくて
本当なの?あたしはコードレスの電話を持って黙ったまま、イタズラかどうか確かめるいちばん簡単な方法を思いついた。
 テーブルの上に置いてある携帯を取りキョンの携帯を呼び出してみる。
『お客様のおかけになった電話は現在電波の届かない場所におられるか電源が……』
 その後に、反対の耳から誘拐犯の声が聞こえる。
『旦那さんの電話がつながりませんでしたか?』
 ウソ……本当に誘拐犯?


『いいから、今すぐご用意できる金額を教えろ!!!」


 電話の向こうの男は、急に凄みのある声にかわりあたしの心を揺さぶり始めた。
「だから、本当にお金なんて……」
『指一本ぐらいなら死にやしないよなぁ』
 急に、足がガクガクとふるえ出す。そんなはずはない……でも最近、この近くで誘拐未遂事件が起きたって聞いた事がある。それと何か関係有るんじゃ……
「今すぐ用意できるお金は10万くらいよ……」
『あのなあ、そんなハシタ金で俺が満足すると思ってるのか?』
「で、でも、明日になれば銀行からもう少し用意できるわ……」
『今すぐじゃないとダメだな」
「じゃあどうすれば……」
『別に、お金が欲しい訳じゃない。お前が誠意を見せてくれれば、旦那を帰してやる』
「誠意ってなによ?」
『俺の言うことを聞けるか?』
「いやよ!何であんたみたいな誘拐犯の言うことを……」
『気が強い女だな。そんなに旦那が帰ってきて欲しくないのか?』
 あたしは言葉につまった。キョンが誘拐されるわけない。
 でももしこれが本当だったとしたら……ロープで縛られ、犯人に殴られるキョンの姿が目に浮かんだ。
「わかったわ。あんたの言う通りにする……」


『よし、じゃあ今から俺の質問に答えろ――――』



「――――って感じで犯人の言う通りにイロイロ質問に答えて話していたら、だんだん下着の色とか変なこと聞き始めて、最後にエッチな事をしろとか言い出して。絶対いやだっていったんだけど……その……覚悟を決めたところに、あんたが帰ってきた音がしたのよ。それに感ずいた犯人が『お前が思ったより誠実だったから、旦那を帰してやったぞ』なんて言うもんだから思わず、ありがとうございますなんて言って……」
 なるほど、そこで俺が帰ってきてあの会話だったわけだな。
 しかしなあ、どう聞いても下着の色を聞く時点でおかしいと思わないか?
「だから、あんたの電話が通じなかったから、頭の中がパニックになっちゃって……おかしいとは思ったんだけど、犯人の演技がすごく迫真に迫っていたから……あ――!!もぅ――!!何で、あたしはイタズラ電話の相手にありがとうございますなんて言っちゃったのよ――!!全部キョンが電話に出ないのが悪いんだからね!!!」
 ハルヒはそう言いながら、顔を真っ赤にしながら、いつも通りの――いや少し照れたような――顔でプンスカ怒り始めた。
 そんなハルヒに俺は構わずに苦笑いしながら、再び抱き寄せた。



 さてその後、いろいろとあったに後に、ようやく俺はハルヒに携帯の電池が切れていた事をようやく謝り、イタズラ電話の犯人が調子に乗ってこの家に来たとしても俺が絶対守ってやると約束し、谷口に電話し絶対に犯人を捕まえるように締め上げることを誓うと、明日の休日にイタ電防止機能付きの電話と俺の携帯の予備電池を買うことを提案したのだった。
 次の日には、親子三人で買い物に出かけ、その年のクリスマスプレゼントも一緒に買おうとすると、迷惑料としていつもの倍以上の品物をよこせと言われた。
 FAX付きの最新の電話に、携帯の予備の電池、ハルヒと娘へのプレゼント。お金では買えない価値が有るのかもしれないが、おかげで正月の俺の財布はスッカラカンだった。


 ちなみに1年たった今でも、残念ながら犯人はいまだに捕まっていない。イタズラ電話ごときで警察もいちいち動かないんだろうが、谷口曰く、電話帳を調べ、旦那が帰宅中の時間を狙いアパートやマンションの若夫婦を狙った不特定多数ねらいのイタズラ電話が結構発生しているらしく、手を焼いているのだそうだ。


 犯人に対して俺はいまだに憤り、甚だ許し難い事だとは思う。


 だがしかし、クリスマスのネオンをみるたびに取り乱したハルヒを思い出し、そしてアイツの意外な一面を思い出してちょっぴりうれしくなったりするのは絶対に内緒だ。


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