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行きたくないよ、懇願しても叶えてはもらえなかった。
仲間は同情的だった――両親にさえ信じてもらえなかった僕の、たったひとつのよすが。それでも「それ」が現れれば、退治しに行かないわけにはいかなかった。

怯え、喚き、色々なものを憎み、やがては疲れて何も考えなくなった。思考の停止は神経を侵す毒のようだ。うっすらと麻痺して、煩わしい世界を見なくても済むと、瞼を閉じる。僕は狩人で、ただ神人を狩っていればいい。それで全部おしまいだ、たとえ僕が死ぬまでこの果てのない業務が続いたとしても、感情の荒波に心を任せてしまうよりはずっとましだと、そう思っていた。

結果的には。
たぶん、それこそがとびきり、甘い考えだったのだ。
心のないからっぽの動きは、全部を諦めた者の飛翔は、簡単に捕捉されるということを、未熟な僕は知らなかった。再三の仲間の忠告にすら、耳を塞いでしまっていた。聞いてしまったら、迷い続けて、動けなくなるような気がしたから。
ツケの回りは早かった。
初出動から数回目。とある日に発生した、灰色の世界。
いつもより威容に大きな銀色の人。夜を更に呑み込む黒い陰。緋色の眼窩がうごめき、僕を睨む。竦んだところを巨大な青白い腕に吹き飛ばされて、集中力を欠いた。
進行方向が定まらない。望まない向きに煽られて飛ばされる。神人に抉られて平らになってしまった、廃墟ビルの底に落ちていく。激突を避けられない。


悲鳴をあげたけれど誰も助けに来てはくれなかった。自業自得、そうかもしれない。ああでも、でも、なんてあっけないのだろう。何かを感じることを止めた心に何もないまま、もうじき僕は死ぬのだと、落下していく中で沈んでいた想いが漏れ出て、少し泣いた。恐ろしかったのではない、寂しくて泣いたのだ。
奈落の底に叩きつけられる寸前に、手を伸ばして、誰かが掴んでくれるなんてそんな夢を見て。
誰かが僕を助けに来てくれるんじゃないかって、藁にも縋る思いで踏ん張ったけど、駄目だった。誰も救いになんて来てはくれないし、誰も僕を解放してはくれない。独りきりで完結した空間に、取り残される。骨は残るのか。皮が削ぎ落とされたら、干乾びて塵に変わり、砂のように昏い空を舞うのか。

ああ、でも、それもいいな。最期くらいは力なしに、この星のない空を飛ぶのも悪くはないのだ。すり減らしてきた精神も、毎夜借り出される肉体もすっかり疲れてしまっていて、諦めた腕の先は、空を掻くことさえせずにはたりと落ちて――― 




そのまま終わるのだと思ったのに。





『限定的情報空間介入を実行。――対象を保護』



連続するスロー。時が止まったように、時間感覚が狂い、地べたに頭身を埋める寸前に多量の未知の情報が脳内に流れ込んでくる。
灰色の空間にありながら、その記憶のようで記憶ではない網膜に焼き付けられた光景は、鮮やかに色を発していた。 

高校生くらいの年上の少女たちが何処かの小さな部屋で思い思いにしており、一人は御茶汲みを、一人はパソコンの前に陣取って画面と睨めっこ、一人は隅で淡々と読書。それから面倒くさそうに溜息を吐いている少年がテーブルにてチェスをすすめている。
場面は次々と移り変わり、花見、学園祭、孤島、雪山、数多のシーンが切り抜かれたように浮かび上がる。それは面白おかしく、日々を駆け抜けていく小さな集まりの、非日常の毎日。

――僕は。
僕は再生されてゆくそれを、心底いとおしいと、思ったのだった。見知らぬフォトグラフの住人たちが浮かべる、輝かしい笑顔を望ましいものに思ったのだ。
そこには黒髪の少女が、向日葵のような笑みを咲かせている。この人だけは知っている。きっと、知っていた。恨もうとしても恨めなかった、全ての契機となった少女。

走馬灯?フラッシュバック?けれど、それにしては、どうしてこんなに―― 



『皆からの伝言。――あなたの訪れを、待っている』 




僕は薄れる意識のなかに、ぼんやりと影を見つける。それから何処からともなく声。優しい声だ、と感じた。静かな響きが逆に、壊れかけた心臓に染みる。
ゆらゆらと、光っていた。なんて綺麗なんだろうと輪郭しか捉えられない姿に見惚れた。死ぬ前に神様がくれた慈悲かもしれないと思い、精一杯の微笑で告げる。

ありがとう、かみさま。 




『……――また、――で』 






返答に窮したような一時の間の後、声は、僕にそう遺して消滅した。 



+ + + 





灰色の世界が一変し、朝日のような光の眩しさに包まれた。――神人が、他の仲間によって倒されたのだ。

夢を見るように彷徨っていた心が、ようよう戻ってくる。はっきりと我に返って気づいた。僕は、浮いていた。制御を喪った力を取り戻し、赤い球体に包まれたまま、地に叩きつけられる直前で踏み止まっていたのだ。
何が起きたのかはわからない、一命を取り留めたのだということ以外は、なにもわからなかった。今の出来事自体が夢の様でもあったし、現実との境目も曖昧だ。もしかしたら、本当に、幻でも見たのかもしれない。


「……かみさま……?」


閉鎖空間が掻き消えて、能力を喪失した僕はふわりとコンクリートの道路脇に着地する。

茫然と宙を見つめていた僕はそこで、自分が新たに頬を濡らしていることに思い至った。
涙は、寂しさでも、悲しさから来るものでもなかった。
何故だろう、あれほど色んなことを諦めていたのに。生きている自分を酷く褒めてやりたい気分だったし、家族や機関の仲間やクラスメートにすぐにでも会いたい、という感情が自然に湧いた。胸に鳴る鼓動の音が優しくて、空と海、光と闇、世界のすべてがあるがまま美しく尊いものだと、今更のように思い、それがおかしかった。

果てにいた、誰かが愛しい。笑い合っていた、見知らぬ誰かが愛しい。
忘れてしまうかもしれないけれど、いつかまた、今日の夢を思い出す日のために。僕は涙を拭って、かみさま、小さく呼んだ。


力の存在を刻み付けられて、それでも戦う理由を、その愛しい世界を守ることに見出した日。
朝焼けの明星に、僕は、始まりの鐘の音を聞いたのだ。 

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