「どうぞ。ダージリンでございます」
「ほーいさんきゅー。って、あら? このお皿の焼き菓子、マカロンじゃない。
 意外ねー、新川ってこういう流行には疎いと思ってたわ」


 テーブルに向き直るなりそんな事を言う森に、わたくしは小首を傾げました。


「はて、何の事ですかな?」
「何って、だからマカロンは最近割と人気の…。
 あー、はいはい。そんな世間の流行りなんて全然知らずに作ってたのね」
「左様でございますな。この菓子の作り方を憶えたのは、フランスの外人部隊に居た頃の事でございますから」


 ふーんと気の無い返事をして、森はマカロンをぽいっと口の中に放り込み、湯気の立つティーカップをぐいーっと呷りました。ふむ、いつもながら非常に漢気あふれる召し上がり方ですな。
 これがメイド役を演じている時は粛々と、心底から慎ましやかな立ち振る舞いを見せるのですから、まことに女性というのは分からないものです。


「うん、おいし☆ さすがに本場の味ね。
 ところでこの本も、その頃から読んでたわけ?」


 そう言って森は、わたくしが声を掛けるまで読みふけっていた文庫本を片手でつまみ上げ、ぴらぴらと揺らしてみせます。開かれたその吉川英治『宮本武蔵』三巻のページには、赤茶けた錆色のシミなどが付いておりました。


「はあ、当時は携帯小説などございませんでしたからな。戦場にも持ち込め、わずかにでも祖国の匂いを求められる物は文庫本くらいでしたゆえ、文字通りページが擦り切れるほどに何度も読み返したものでございますが」
「でしょうねー、もうヨレヨレだもん。手アカもべったり」
「お見苦しくて恐縮です」
「別にいーわよ、本なんて読めさえすりゃいいんだから。図書館なんかじゃ、こー気兼ねない格好で読んだり出来ないし」


 言うなり森はマカロンをまたひとつ口にして、そのままゴロンとソファに横になります。クッションを胸の下に敷いたうつ伏せの姿勢で、パンツルックの両足をパタパタさせながら、森は屈託なくこう続けました。


「美味しい午後のお茶とおやつも出てきたりしないしさ。
 そーね、ついでに今日は晩ご飯もご馳走になってこーかしら。ねえ新川、前に作ってくれた、あのビーフストロガノフって出来る?」
「ご用意いたしましょう。…しかし、いささか感心できませんな」
「なーに、材料費くらいは出すわよ?」
「そちらは結構でございます。料理をお客様に振る舞うのは、わたくしの数少ない楽しみのひとつでありますゆえ」


 こほん、とひとつ咳払いを打って、わたくしは言葉を続けました。


「しかしながら、あなたも年頃の娘でしょうに。休日に同僚の家で時代小説を読み漁るのも悪くはございませんが、たまには意中の殿方に手料理のひとつでも作ってさしあげてはいかがですかな?
 老婆心ならぬ老爺心ながら申し上げますが、恋は花の枯れぬ内にしておくものですぞ?」

「はいはい、また今度ねー」


 それは心からの忠言のつもりでございましたが、しかし森はあっさり受け流し、マカロンをかじりながら小説を読みふけるばかりでした。
 まあ、それも致し方ない事でしょうか。読書中に掛けられる言葉など、当人にとっては不粋以外の何物でもございませんからな。困ったものだと首を振りつつ、わたくしはリビングを後にしようとします。
 と、そんなわたくしの背中へ。


「でも、そーね。次の非番の日にはいつもの礼代わりに、あたしがアンタに手料理をご馳走したげるわ。たまにはそーいうのも悪くないでしょ」


 相変わらず顔は本に向けたまま、森が素っ気なく呟いた一言に。わたくしはフッと微笑んでしまいました。


「楽しみにしておきましょう。ですが、いつかのようにオーブンが黒煙など噴きませんよう、くれぐれもお願いいたしますよ?」
「うう、うっさいわね! だいたい元はといえば、アンタが料理上手すぎるせいであたしが必要以上に緊張しちゃうんじゃないの!
 何が『恋は花の枯れぬ内にしておくもの』よ! この鈍感!」


 はて、鈍感とはどういう意味でしょう? よく分かりませんが、ともかくこの場に居続けては良くない事態になってしまいそうですな。
 背中に浴びせられる森の罵声に肩をすくめつつ、わたくしは本日の夕食の仕込みのため、そそくさとキッチンへ向かったのでした。




新川さんちで晩ご飯   おわり


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