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※この作品はそれぞれの愛のかたちの続編に当たる作品です。



北高を卒業してから二度目の夏を迎えたその日、あたしは集合場所の光陽園駅前の公園へと急いでいた。
今日は、あたし達が卒業してから、初めてのSOS団の再活動の日である。本当であれば大学一年の夏か冬に帰って来る予定だったのだが、あたしの思うところがあって、帰って来れなかった。
大学生活も一年と四ヶ月が過ぎ、大学生活にもなれてきたため、みんなの近況が知りたくなって今回のSOS団の再会を思いついたのだ。
副団長の古泉くんに連絡をとると「わかりました、みんなとの連絡や手はずのほうは僕のほうでやっておきます」との返答が帰ってきて、あたしが帰ってくるときには、準備はすべて整っているとの連絡があった。
さすがに古泉くんは頼りになるわね。副団長に選任したあたしの目にくるいは無かったわ。
あたしが集合場所に着いた時、有希とみくるちゃんと古泉くんの三人が既に来ていて、あたしやキョンが来るのを待っている状態だった。
「キョンは?」
周囲を見回しながら三人に尋ねると、
「キョンくんはまだ来てないようです」
みくるちゃんがあたしに教えてくれた。その言葉を聞いて、高校時代のSOS団の光景があたしの脳裏に浮かんでくるようだった。
あの当時も、キョンはあたし達より遅れて一番最後に集合場所に来ていたため、あたし達はいつもキョンを待つ羽目になった。
そしてキョンが来たら、あたし達を待たせたことについて不平不満をぶつけてから、罰ゲームと称して、喫茶店でみんなの分のお茶代をおごらせたものだ。
あのときと同じ光景があたしの目の前にある。その光景を目の当たりにして、あたしの胸に懐かしさのような淡い思いがこみ上げてきた。
それにしても、みんなはいったいどんな大学生活を送っているのかしら。
有希は見た目は高校の頃とほとんど変わっていないように見える。でも、さすがにいまは制服ではなく私服を着ているため、ちょっとだけ新鮮に見えるのはあたしだけだろうか。
みくるちゃんは豊かな胸がますます豊かになったようね。うらやましいわ。顔は高校の頃に比べて若干大人っぽくなって色気が出ているような感じがする。
薄化粧もしてるようだし、恋人でもできたのだろうか。後で聞いてみなくちゃ。
古泉くんは有希以上に高校の頃と変わらないわね。まあ、古泉くんはあの当時から大人びていたため、これ以上変わらないような気がする。ある意味、完成された大人って感じがするのよね。
三人を見ながらそんなことを考えていると、もう一人のSOS団員がいつもの見慣れた間抜け面をして、あたし達のほうへとやって来た。
「オッス古泉、久しぶりだな長門、今日は私服なのか、朝比奈さんもお元気そうで何よりです」
有希は無表情でキョンのほうをチラッと見て、古泉くんはいつもの笑顔でキョンに軽く会釈をした。みくるちゃんはキョンに微笑みかけて挨拶する。
「ふふふ、一年ぶりですね。キョンくんも…」
「遅い!」
あたしがふたりの会話に割り込み、いつもの文句をキョンに告げる。
「あんた団長であるあたしを待たすなんていったいどういう了見よ! ましてあたしに一言の挨拶も無く、先に有希やみくるちゃんや古泉くんに声をかけるなんて非常識も甚だしいわ!」
キョンはあたしの文句を聞いて、高校のときと同じように飽きれた顔をして両手を広げ首を左右に振った。そんなキョンの様子を見て、突然、あたしは違和感を覚えて言葉に詰まり、キョンの顔を凝視する。
「涼宮さん?」
不意に横からかけられた古泉くんの声を聞いて、あたしは我に戻った。
「とにかく! あんたが一番最後なんだから、今日もあんたのおごりよ! いいわね!」
「へいへい」
キョンの投げやりな返事を聞いて、あたし達はSOS団ご用達の喫茶店へと向かった。
さっきのキョンから感じた違和感はいったいなんだったんだろう。キョンの様子には高校時代と変わったことは何も無かったはずなのに……
そんな疑問があたしの脳裏をかすめたが、このときはそんなことは些細なことと思い、すぐに忘れてしまった。
あたし達は喫茶店のテーブルの一席を占拠し、少々高めのケーキセットやチョコレートパフェ等を注文した。高校のころはもう少し遠慮したものだが、大学生なんだからこれぐらいはおごってもらってもいいわよね。
あたし達が注文をし終わった後、キョンの顔が一瞬引きつったが、諦めたように大きく溜息をついただけで文句は言わなかった。
それからあたし達はそれぞれの近況をお互いに聞きはじめる。
「みくるちゃん、高校の時より大人びて見えるけど、恋人でもできたの?」
「え、そ、そんなことないですぅ~」
みくるちゃんは、困ったように顔を赤くして、俯いてしまった。こんなみくるちゃんの姿を見るのも久しぶりだ。高校時代の楽しかったひとコマを思い出す。
「え、ええっと、な、長門さんはいま何をしてるのですか?」
「わたしは歴史学を学び、この世界の遍歴を調査している。特に、人類がこの世界にどのような影響を与えてきたかを調査するのは、とても興味深い」
「古泉、お前はいま何をしてるんだ」
「僕はいま国際法や国際経済学等を学んでおります。将来は国内に留まらず、海外にも出て働きたいと考えていますので……もちろん語学も同時に二ヶ国語ほど学んでますよ」
そんな風にそれぞれが相手の近況を聞いている中で、あたしは思い切って聞こうと心に決めてきた質問をキョンにぶつけた。
「それでキョン、佐々木さんとはうまくいってるの?」
キョンはあたしの質問に表情を曇らせ、あたしから目を逸らすと、窓の外の遠くの空に視線を移してぶっきらぼうに答えた。
「まあまあだな」
キョンの返答にみんなの話題が途切れ、視線が集中する。そんなみんなの様子に気づいたのか、キョンは少し戸惑いながら
「ど、どうしたんだみんな」
と、あたし達を見回してから、注文したアイスティーに口をつけた。
「ええと、積もる話も色々あると思いますが、そろそろ恒例の不思議探索に出かけませんか」
重苦しい空気が流れる中、古泉くんがその場を仕切りなおすように、あたしに不思議探索に出るように持ちかけた。
「そうね」
あたしは爪楊枝を5本取ると、そのうちの二本に印をつけて右手に握り、みんなの前に差し出す。
有希、みくるちゃん、古泉くん、キョンの順番で爪楊枝を引き、有希、みくるちゃん、古泉くんの班とあたし、キョンの班に分かれた。
「じゃあ、あたし達は東のほうを回るから、古泉くん達は西のほうお願いね。何か面白いものを見つけたら連絡して、すぐに飛んでいくから」
「了解しました」
喫茶店の前でそんなやりとりを交わした後、あたしは古泉くん達と別れ、キョンといっしょに東のほうに歩き出す。しばらく歩いて、古泉くん達の姿が見えなくなった頃、珍しくキョンがあたしに行き先の提案をしてきた。
「ハルヒ、北高に行ってみないか」
「え!?」
「いや、だから、せっかく戻って来てるんだし、俺達の通っていた母校を見とくのはどうかっていうことだ。思い出も一杯あるだろうし……
ま、まあ、いやなら別にいいんだが……」
キョンはあたしから視線を逸らし、照れ隠しに頭をかいた。照れ隠しに頭をかく癖は高校時代のままだ。変わってないキョンの姿を見て、あたしは少し嬉しくなった。
「ふ~ん、あんたにしてはなかなか気の利いた提案じゃない。北高に何かあるかもしれないしね。いいわ、行きましょう」
そう言って、あたしは行き先を北高の方向へと変え、キョンを先導するように歩き出した。
北高へと続く坂道の風景は、あたしが通っていた頃とほとんど何も変わってはいなかった。こうして歩いていると、高校時代にタイムスリップしたような錯覚に陥る。
キョンが少し曇った表情をしながら、あたしの後をついて来ているのが気になったが、胸に込み上げてくる懐かしさが、そんなあたしの不安を吹き飛ばした。
思えば入学当初、この坂を初めて登ったときは、これから毎日この坂を登らなければならないことに不満を抱き、貧乏くじを引いたと北高を受験したことを後悔したものだ。
だが、いまでは北高を受験したことに微塵の後悔もない。北高に入学したことでキョンに出会い、みんなに出会うことができたのだから。
北高での三年間の思い出は、あたしの持っている最高の宝物のひとつだ。こんな貴重な経験は、これからのあたしの人生でも、お目にかかることは無いだろう。
キョンと交わした他愛ない会話や、文芸部室のSOS団での何気ない風景に思いを馳せながら、あたし達は北高校舎の校門前へたどり着いた。
「へえ~懐かしいわ、あたし達がいた頃と全然変わってないじゃない」
「当たり前だろ、そんな簡単に変わるわけが無い」
冷めた意見で反論してくるキョンを一瞥してから、あたしは高校時代と同じように北高の校門をくぐった。
「お、おい、勝手に入っていいのか!」
「何言ってるの、あたし達OBなんだから入っていいに決まってるじゃない。それともあんた、ここでひとりボケ―っと待ってるつもり?」
「やれやれ、お前は相変わらずだな」
キョンは飽きれた顔で溜息をついた後、あたしと同じように校門をくぐった。
学内には人影がほとんど無かった。おそらく部活動は午前中で切り上げたのだろう。まるで一年の頃に見た夢が実現したかのような感覚に襲われた。
あの夢の中でも、あたしはキョンとふたりでこうやって文芸部室へと向かっていた。もちろん今日の空は快晴で明るく、夢のように街が灰色に覆われているということもない。
しかしこの時、あたしの心の中に、この後何かが起こりそうな確信にも似た予感があった。
あたしとキョンは、通っていた頃と変わらない校舎を見て回りながら、あたし達がSOS団の本拠地として使っていた文芸部室の前までたどり着いた。
その扉には文芸部室のプレートだけが掲げられており、SOS団の文字はどこにも無かった。
「……」
「……」
キョンと無言で見つめあった後、ゆっくりと扉を開けると、そこにはもうSOS団の頃の面影は無く、全国の高校のどこにでもある文芸部室があるだけだった。
「……ここを見ると、あたし達がもう卒業しちゃったってことを実感するわね」
「……そうだな」
キョンは寂しそうな表情で相槌を打った後、文芸部室の中に入り、部屋の隅々を懐かしむように眺めていた。おそらく、あたしもキョンと同じように寂しい表情をしていたのだと思う。
「入らないのか?」
「あたしはいい。ここはあたしにとって思い出の一杯詰まった場所だから。だから言葉ではうまく言えないんだけど、そのままでいて欲しいような……まあ、もう面影は全然無いんだけどね」
「そっか」
キョンは、あたしの気持ちを察したかのように、部屋から出ると、静かに扉を閉めた。
「あ、いや、キョンは別にあたしにつきあってくれなくてもいいのよ」
「いや、俺も触れてはいけないというか……そんな気になったよ」
そうつぶやいた後、キョンはあたし達が来た方向へと歩き出した。あたしも何も言わずにキョンの後をついて行く。
無言のままあたし達は旧校舎からグラウンドへ出て、グラウンドの中央付近まで来たとき、突然キョンが立ち止まった。
「キョン、どうしたの?」
キョンは振り返ると、ゆっくりと顔を上げ、あたしの目を見ながら言った。
「ハルヒ」
「え!?」
「こんなことを突然言って、びっくりするかもしれないが、真剣に聞いてくれ」
そう前置きした後、あたしの目をじっと見つめたまま、怖いくらい真剣な表情で、あたしへの想いを告白し始めた。
「じつは俺、佐々木とうまくいってないんだ。いろいろすれ違いがあってな。いや、そうじゃない。勘のいい佐々木は、きっとわかってるんだ。
俺とアイツがすれ違いになってしまう理由は、俺がハルヒのことを好きだからだと。だから、お前が帰って来るって聞いた時、お前に告白しようって決めてたんだ」
「……」
「もちろん自分に都合のいいことを言ってるって事は十分理解している。でももし、お前が俺を受け入れてくれるのなら、佐々木との関係は清算してお前ひとりを愛すると誓うよ」
キョンの突然の告白に、あたしは戸惑いを隠せなかった。しかし、まったく予期していなかった出来事というわけではない。
集合場所でキョンから感じた違和感、喫茶店でのキョンのふるまい、突然北高に行こうと言い出したキョンの提案、それらすべてが暗黙のうちにキョンと佐々木さんの中がうまくいっていないことを、あたしに告げていた。
そして、あたしは心のどこかでこうなることを期待していたのかもしれない。
もしかしたら卒業式のあの日、キョンと別れたときも、キョンがあたしのことを諦めきれないで、いつか自分のもとに戻ってくることを見越していたのかもしれない。
そしていま、あたしの期待が現実のものとなって目の前に存在している。
あたしの頭の中は、キョンへの想いや佐々木さんへの裏切りにも似た後ろめたさ、SOS団での懐かしい思い出、あたしを慰めてくれた有希やみくるちゃんの顔が浮かんでは消え一種のパニック状態になった。
あたしが答えを出せないでいると、キョンはあたしにゆっくりと近づき、左手をあたしの後ろに回して、あたしの身体を引き寄せた。
右手を顎に下にやり、あたしの顔を上に向けると、ゆっくりと顔を近づけてくる。
あたしが高校生だった頃、どれほど望んでも手の届かなかったキョンの愛が、いまあたしのすぐ目の前にあるのだ。その誘惑にあたしは抗うことができなかった。
キョンが目をつむり、あたしにキスをしようとしたその瞬間、
パチン
乾いた音がして、あたしは正気に返った。
「ハルヒ……」
キョンは片手で頬を押さえて、唖然とした表情であたしのほうを見ている。
「キョン、あんたは臆病者だわ! いまのあんたは現実から目を背けて、昔の懐かしい思い出に逃げようとしているだけよ! あたしのSOS団にそんな臆病者は要らないわ!」
キョンは、唖然とした表情のまま、無言であたしのほうを見ていた。あたしはキョンを睨みつけて、さらに言葉を続ける。
「あんたは佐々木さんに嫌われてしまうのが怖いだけ。だから、SOS団の思い出に逃げようとしているのよ。あんたはあの卒業式の日に、あたしか佐々木さんのどちらかを選ばなければならなかった。なのにあんたは選ばなかった!! だからあんたは、あたしへの未練を引きづったまま、佐々木さんとつきあうことになってしまったんだわ! そのことを佐々木さんは見抜いているのよ!!このまま、あんたとあたしがつきあっても、問題は何も解決しない! むしろみんなを不幸にするだけよ! 問題はあんたの心の中にあるんだから!!」
この言葉は、キョンだけでなく、自分自身へのメッセージでもあった。あたしもキョンとの関係を心の片隅で引きずっていたからだ。キョンはあたしの言葉を無言のまま、神妙な顔つきで聞いていた。
あたし達の間に沈黙が訪れる。
しばらくして、キョンはあたしほうを向くと、寂しそうに微笑んだ。
「ハルヒ……そうか、そうだよな。スマン、お前に嫌な思いをさせてしまった。もう俺は迷わないよ」
「まったく、あんたは本当に出来の悪い団員だわ。団長であるあたしに迷惑ばかりかける。佐々木さんに感謝することね。あんたみたいな男を選んでくれたんだから」
あたしの言葉を聞いて、キョンの表情が緩み、いままで違和感のあったキョンの顔が、普段の表情に戻ったような気がした。
「ああ、そうだな。俺はいつもお前の尻拭いばっかりやってたような気がしてたが、じつはお前に迷惑かけっぱなしだったんだな」
「な、あんた何言ってんのよ! 今回のあんたの行動は極刑に値するわ! 罰としてそこの自販機で何かおごりなさい!」
「へいへい」
いつもの調子を取り戻したキョンが、あたしの指差した自動販売機へと走っていく。その様子を見て、キョンが二度と手の届かない遠くへ行ってしまったことを悟った。
あたしはキョンの走っていった後をゆっくりと歩いていく。心の中で「これでよかったんだ」と何度も何度もつぶやきながら……
「おーい、ハルヒ、何がいい?」
「缶コーヒー、ミルクたっぷりの甘いやつ」
あたしが自動販売機のところにたどり着くと、キョンはあたしに缶コーヒーを手渡してくれた。あたし達は近くの木陰に移動して、立ったまま缶コーヒーを飲む。
「苦いわ」
「え、そんなはずないだろ。それは一番甘……」
涙が後から後から溢れてきた。あたしの初恋がいま完全に潰えてしまった。失恋の悲しみがあたしの心に突き刺さる。
「ハルヒ……」
キョンがあたしを慰めようと手を差し出そうとしたが、途中で思いとどまり、手を引っ込めた。そんなキョンの気遣いが嬉しかった。
いま、キョンに触れられると、キョンのことを諦められなくなる。そのことを、キョンもあたしも十分に理解していたからだ。
あたしが涙を流しながら缶コーヒーを飲む姿を、キョンは、片手に缶コーヒーを握り締めたまま、悲しそうな表情で眺めていた。
しばらくして、落ち着きを取り戻した後、あたし達は慣れ親しんだ校舎を後にして、みんなとの待ち合わせ場所の喫茶店へと向かった。
あたし達が到着した時、みんなはもう喫茶店の中で注文を終え、あたし達を待っている状態だった。
みんなの報告を聞いてから、次は冬に戻ってくるので準備をしておくように古泉くんにお願いし、その日のSOS団の解散を告げた。もちろん喫茶店代はキョンのおごりだ。
そしてあたしは帰路に着いた。




数日後、あたしは下宿先へと帰るため、光陽園駅へと向かっていた。
SOS団のメンバーには見送りの必要はないと言っておいた。みんなの顔を見ると、みんなと別れるのが辛くて、大学に帰りたくないと思ってしまうのを恐れたからだ。
先ほどまで晴れていたにもかかわらず、どんよりとした雲が空一面に広がり、今にも雨が降ってきそうな天気だった。それはまるであたしの心を投影しているように思えた。
あたしは、雨が降り出す前に駅にたどり着こうと、足を速めたが、ふと、車道を挟んだ向こう側の歩道を見ると、キョンと佐々木さんの姿があった。
キョンの表情には、あたしと佐々木さんの間で揺れていた時のような心の迷いは見られず、佐々木さんも、いままで見たことがないくらい幸せそうな顔をしていた。
そんな二人の姿を見て、あたしはふたりが本当の恋人同士になったことを知り、その様子から、ふたりには幸せな結末が待っていることを予感せずにはいられなかった。
そんなふたりの姿を複雑な気持ちで眺めていると、一瞬だけ佐々木さんの姿がぼやけて、キョンの隣にいる佐々木さんが、あたしの姿のように見えた。
「え!?」
あたしは目をこすってから、瞬きを繰り返し、もう一度ふたりの姿をじっと見つめる。一瞬ではあったが、きっとその光景は、あたしの願望が生んだ幻だったのだろう。
もちろん、現実にはそんな事はなく、ふたりはあたしに気づかないまま人ごみの中へと消えていった。だが、その幻はあたしが心の奥に封印していた葛藤を、いとも簡単に解き放ってしまった。
もし、高校の卒業式の日にあたしがキョンに告白していたら……
もし、あのグラウンドでキョンの愛をあたしが受け入れていれば……
もし、あたしがもっと早く自分の気持ちに素直になることが出来ていれば……
ふたりの姿を見るまでは、自分の行動が正しかったと自分の言い聞かせることにより、あたしはキョンの傍に寄り添いたいという想いを断ち切ろうとしていた。
だが、ふたりの姿を見て、もしかしたらキョンの隣に自分がいたかもしれないのに、という思いに至ってしまったがために、あたしの信念が大きく揺さぶられている。
もちろん、安易な気持ちで佐々木さんにキョンを譲ると決断したわけではない。何日も何日も悩みぬいた末に、苦渋の思いで決断したことだ。その苦しみはあたし自身が一番よく知っている。
なのにいま、ふたりの姿を目の当たりにして、自分の下した決断に疑問を投げかける自分がいる。後悔している自分がいる。キョンの幸せを見守ることを選択した、あたしの決断は間違いではなかったのだろうかと。
みんなが幸せになる道を選択した自分は正しいと、理性はあたしに訴えるのだが、感情がそれを許さない。
胸の中にキョンへの愛しい思いが込み上げてきて、涙が溢れてきた。あたしの涙を隠すようにポツポツと顔に水滴が当たり、やがて本降りの雨へと変わった。
あたしがその場に茫然立ち尽くしていると、不意に横から傘が差し出され、あたしの身体に冷たく叩きつける雨粒を退けた。
「どうしましたか涼宮さん、そのままでは風邪をひきますよ」
我に返り、傘が差し出された方向を振り向くと、そこには古泉くんと有希の姿があった。
「古泉くん……」
「彼のことを考えていたのですか」
「え!? う」
古泉君の言葉に、あたしは咄嗟に答えることが出来ず、俯いてしまった。
そんなあたしの様子を見て、すべてを察したかのように、古泉くんはいつもの笑顔のまま、あたしに予想外のことを告げた。
「じつは、僕達は涼宮さんに謝らなければならないことがあります。不思議探索の日のことなのですが、僕達は涼宮さんの言いつけを破り、彼と涼宮さんの後をつけていたのです」
「え?」
予想外の古泉くんの告白に、あたしは少し驚いて顔を上げる。
「だからあの後、涼宮さんと彼がどのような行動をし、どのような会話をしたかをすべて知っています。そのうえで僕の意見を言わせていただくと、涼宮さんの行動には些かの誤りもなかったと思いますが」
普段のあたしだったら、みんなに後をつけられていたことに怒りを覚えただろう。しかしこのときは、そのことに怒りの感情を抱くことはなかった。むしろあたしは、それをどこかで期待していたのかもしれない。
誰も知っている人がいない、と思っていたあたしとキョンの関係を、知っている人物が目の前にいる。そのことを知ったとき、あたしは、心の中に芽生えた、自分の想いを聞いてもらいたいという衝動に、抗うことはできなかった。
「そんなことはわかっているわ! でも、でも苦しいのよ! キョンが、キョンが佐々木さんと歩いているのを見ると、心が締め付けられるような感じがするのよ!」
ずっと心の奥に閉じ込めていた想いを、ついに言葉にして古泉くんにぶつける。
「あたしが選んだことだし、仕方がないことはわかってるわ! でも、苦しいの! 理屈じゃなく苦しいのよ!!」
あたしは古泉くんと有希の前で思いっきり叫んだ。
古泉くんにこんなことを言っても仕方がないことはわかっていた。自分がどれほど理不尽で我侭なことを言っているかも十分理解していた。それでもあたしは誰かにこの想いを訴えたかったのだ。
古泉くんは、少し躊躇する様子を見せた後、さらに予想外のことを告げた。その内容はあたしの想像の範疇を遥かに越えたものだった。
「涼宮さんの気持ちは、僕にも痛いほどよくわかります。僕も涼宮さん、あなたのことが好きでしたから」
「え?」
一瞬、古泉くんが何を言ったのか理解できなかった。それはあたしの頭の中にあった様々な思いを瞬時に空白にしてしまうほどの衝撃的な告白だった。
古泉くんは、そんなあたしの戸惑いに構うことなく、告白を続ける。
「僕が涼宮さんへの想いに気がついたのは、卒業式の帰り道のことでした。あの三叉路で別れた後、僕はあなたの後を追いかけて告白しようかと真剣に迷いました。結局、告白することは出来ませんでしたが、僕はそのことをあの日から長い間後悔することになりました。どうしてあのとき、ほんの少しの勇気が持てなかったのだろうかとね」
突然の告白に返す言葉が見つからなかった。こんなときどういう風に古泉くんに声をかければいいのだろうか。おそらく驚愕の表情で古泉くんを見つめていたあたしに、古泉くんは優しく微笑んだ。
「そんな顔をしないでください。僕は涼宮さんに愛を告白するために、この話をしたのではありません。その後の話を聞いていただきたかったのです」
古泉くんはそう言ってくれたが、あたしはただ無言のまま、古泉くんの顔を見つめることしかできなかった。
「あの日からずっと、僕は涼宮さんへの想いに悩まされてきました。でもやがて、時間がそれを解決してくれました。だからこうして、涼宮さんに、あの時僕が抱いた想いを告白することが出来るのです。いまのあなたに、このようなことを申し上げるのはたいへん失礼かもしれませんが、きっと時間が解決してくれると思います。そしていつか昔のSOS団に戻ることが出来るはずです。だからそんなに思い詰めないでください。いまでも、僕はあなたの悲しい顔を見るのは辛いのです」
時間が解決してくれる。きっとそうだろう。古泉くんの言っていることが正しいことはよくわかる。でも、あたしの中の感情がそれでは納得しないのだ。
そんなあたしの様子を察してか、有希があたしの方に歩み寄り、あたしの顔をじっと見つめる。
「涼宮ハルヒ」
「は、はい」
思わず素っ頓狂な返事をしてしまった。
「わたしはあのグラウンドで、あなたと彼のやりとりを観察していた。あなたは彼に好意を抱いていたにも関わらず、彼のことを考えて、彼を受け入れることをしなかった。もし、わたしがあなたの立場だったら、わたしはいったいどうしていただろうか。わたしは、彼のことを考えて、彼を突き放すことができただろうか。きっと、わたしは彼を受け入れていたと思う。その先に破局が、そして不幸が待ち受けていることがわかっていても。わたしは彼を拒むことが出来なかったと思う」
「有希……」
有希の言葉を聞いて、あたしは少しだけ何かが心に引っかかったような感じがした。そんなあたしに構わず、有希は、あたしの目をじっと見つめたまま、言葉を続ける。
「わたしはあなたを尊敬する。あなたは彼のことを想い、彼への真実の愛を貫いたのだから。そして、団員の幸せを願うSOS団団長としての責務をまっとうしたのだから。だから、あなたは自分の行動に自信を持つべき。信念を貫いた自らの決断に誇りを持つべき。そしていつか心の傷が癒えたら、またこの街に戻って来て欲しい。わたしも、古泉一樹も、朝比奈みくるも、そして彼も、あなたがそうすることを望んでいる。みんなあなたのことが好きなのだから。あなたの創った、このSOS団が……」
有希は最後に「言語ではうまく情報を伝達することが出来ない」とつぶやいたが、無表情な有希の瞳に少しだけ涙が滲んでいた。その涙があたしに有希の思いをすべて伝えてくれた。
少し長い沈黙が流れた後で、あたしは少し驚いた表情で有希の顔を見ている古泉くんと、あたしをじっと見つめる有希を見ながら微笑んだ。
「とても……難しいことなのね……SOS団団長でありつづけることは」
あたしの言葉を受けて、古泉くんがあたしのほうを振り向き、いつもの笑顔に戻る。
「はい、信念を貫き通すということは、とても難しく辛いことなのです」
有希と古泉くんの言葉を聞いて、あたしは少しだけ気持ちが晴れたような気がした。自分の気持ちをふたりに訴えることが出来たし、なによりふたりが、あたしのことを心配してくれていることがひしひしと伝わってきたからだ。
「有希、古泉くん、ありがとう。また気持ちが整理できたら連絡するね。じゃあ、さよなら」
あたしが駅に向かおうとすると、古泉くんが差していた傘を持っていくようにと、あたしの前に差し出した。
「どうぞ」
「え、でも……」
「団長が濡れているのを黙って見ていたとなっては、副団長失格です。それに……」
古泉くんは有希のほうをチラリと見る。
「僕には長門さんの、いえ有希の傘がありますから」
あたしは古泉くんの言葉を聞いて、少しびっくりしたものの、ふたりの関係を即座に理解した。
「え、いつの間に?」
古泉くんはあたしの質問に答えず、ハニカミながら照れ隠しに、人差し指で鼻の頭をかいた。
「お幸せに、有希を悲しませちゃ駄目よ」
そう言って、あたしは古泉くんから傘を受け取り、その場を後にした。


光陽園駅に着くと、部活帰りの学生と思われる集団が、突然振り出した雨に立ち往生を余儀なくされていた。かといって、待ちぼうけを食らっている様子ではなく、仲間同士で楽しそうに他愛ない話をしている。
その様子を見て、高校時代の楽しかった思い出の一コマ一コマが脳裏に映し出され、懐かしさのような感情が胸に込み上げてきた。
過ぎ去った日々に思いを馳せつつ、あたしは切符売り場で切符を買い、改札口に行こうと振り向くと、そこにはみくるちゃんの姿があった。
「え、み、みくるちゃん?」
「見送りは必要ないって、涼宮さん言ってたけど、来ちゃいました」
みくるちゃんはペロっと舌を出して、あたしに笑顔を向けた。
「来る途中で、長門さんと古泉くんに会いましたよ。涼宮さんはもう知ってるんですよね、わたし達が涼宮さんとキョンくんの後をつけてたってことを。そのことをひとこと謝りたくって……」
「別にいいのに、そんなこと気にしなくても。それよりも、みくるちゃんが見送りに来てくれた事の方が嬉しいわ」
「本当は長門さんや古泉くんとも一緒に来たかったんだけど、ふたりともいま仲がいいから……だからひとりで来ちゃった」
そう言いながら、悪戯っぽく微笑むみくるちゃんを見て、あたしは少しだけみくるちゃんに親近感がわいた。
「そうね、キョンも、有希も、古泉くんも、みんな変わっていく。あたし達だけが取り残された感じだわ」
言った後で、あたしといっしょにしてしまったことを、みくるちゃんが怒るかもしれないなと思った。もう、みくるちゃんにも彼氏がいる可能性だってあるのだから。
だが、みくるちゃんはあたしから目を逸らし、遠くに視線を移して、あたしがまったく想像していなかったことをつぶやいた。
「でも、わたしは涼宮さんのことをちょっと羨ましいなって思ってたんです」
「え?」
「わたしもキョンくんのことが好きだったから。涼宮さんはキョンくんにふられてしまったけど、キョンくんに恋愛の対象として見られていた。でも、キョンくんにとってわたしは、憧れの対象ではあっても、恋愛の対象にはならなかった。だから、わたしはスタートラインに立つことすら出来なかったわ」
悲しげな表情で遠くのほうを見つめながら、心の内に秘めた想いを告白するみくるちゃんを見て、あたしは驚愕した。みくるちゃんがキョンのことを好きだなんて想像すらしていなかったからだ。
あたしの脳裏に卒業式の日の文芸部室での光景が蘇ってくる。
あの時、あたしはキョンに佐々木さんのところに行くように促した後、みくるちゃんの胸に抱きついて泣いていた。あの時のあたしは自分のことしか考える余裕がなかった。
だから、有希やみくるちゃんがあの時、どういう気持ちであたしのことを見ていたかということにまで、考えが至らなかった。
みくるちゃんは、自分が好きだった人を他の人に譲ったあたしを、どんな気持ちで慰めていたのだろうか。
もしかしたら、あたしは知らず知らずのうちに、みくるちゃんを傷つけていたのではないだろうか。みくるちゃんの告白を聞いて、自分のことしか考えていなかったあたし自身の未熟さを痛感した。
ふと、さっき会った有希の言葉が頭に思い浮かんでくる。
「きっと、わたしは彼を受け入れていたと思う。その先に破局が、そして不幸が待ち受けていることがわかっていても。わたしは彼を拒むことが出来なかったと思う」
もしかしたら有希もキョンのことを……
「涼宮さん?」
みくるちゃんの呼びかけに、あたしはハッと我に返った。
「大丈夫ですか? どこか具合でも悪いのですか?」
心配そうな表情で、みくるちゃんがあたしを見つめる。
「あたし……まだまだ子供だったのね。大学生になって、二十歳になる年を迎えて、もう大人の仲間入りだって思ってたけど、まだまだ未熟な子供だったのね」
突然、遠くのほうを見つめ、奇妙なことをつぶやきだしたあたしを、みくるちゃんは何が起こったのかわからないといった表情で見つめていた。
戸惑いながらあたしの方を見つめるみくるちゃんのほうを見て、あたしは自分の胸の内にあった思いを告白する。
「あたしね、今回、帰ってくるのやめようかって迷っていたの。本当は去年も帰って来れたんだけど、あのときのことを思い出すのが辛くて帰って来れなかった。でもいまは、帰ってきて本当によかったと思っている。この数日間で、みんなから色んなことを学ぶことができた。本当に感謝しているわ」
みくるちゃんは、あたしの言葉を聞いて、戸惑いの表情を穏やかな表情に変えて優しく微笑んだ。
「みんな大人の階段を上り始めたばかりですわ。だから、みんなでいっしょに足りないところを補い合いながら成長していく。それでいいじゃないですか」
みくるちゃんが、普段の幼さの残る彼女ではなく、毅然としたひとりの大人の女性のように見えた。
「じゃあ、さよなら、みくるちゃん。来年にはきっと、胸を張って戻ってこれると思うわ。そしたらまた、みんなでいっしょに遊びましょ」
みくるちゃんは何も言わず、ただ微笑んだまま手を振って、あたしを見送ってくれた。
改札口まで歩いてきて、ふと何か言い忘れたようなことがあるような気がして、みくるちゃんのほうを振り返る。
「ああ、そうだ、みくるちゃん……あれ?」
みくるちゃんの姿は、もうそこには無かった。あたしは不思議に思い、一瞬茫然とその場に立ち尽くしたものの、踵を返して改札口を通過し、そのまま電車へと向かった。
知ってしまうといまの関係が崩れてしまう。そんな気がしたから……


席に座りしばらくすると、ゆっくりと電車が動き出した。窓から外の景色を眺めると、さっきよりも雨が激しくなっていた。
高校時代を過ごした見慣れた景色が、あたしの目の前をゆっくりと通り過ぎて行く。そして激しく降り注ぐ雨が、この街に残るあたしの高校時代の鮮明な記憶を洗い流し、淡い思い出へと変えていくかのようであった。
あたしの心の中には、まだ愛しいキョンへの切ない想いが鮮明に残っている。
雨がこの街に残ったあたしの想いを洗い流して、懐かしい思い出に変えていくように、時があたしのキョンへの想いを、いつか淡い思い出へと変えてしまうのだろうか。
「きっと時間が解決してくれると思います」
さっきの、古泉くんの言葉があたしの頭の中に浮かんだ。
古泉くんのあたしへの想いと同じように、あたしのキョンへの想いも、いつか思い出へと変わってしまい、昔話として話せるときが来るのだろうか。
いままでずっとあたしを苦しめてきたはずのキョンへの想いが、淡い思い出へと変わってしまうことが、なぜか無性に寂しく思われた。
でも、それは仕方の無いこと。人は誰しもひとつのところに立ち止まっているわけにはいかないのだから。
誰もが、いつか大人の階段を登る日が来る。ずっと子供のままでいることは許されないのだから。
でも、せめていまだけは、辛い現実から目を背けて、楽しかった昔の思い出に浸りたい。キョンへの想いに気づくことなく、SOS団で無邪気にはしゃいだ、あの日に戻りたい。
せめて、夢の中だけでも……
そう願いながら、あたしは窓の外を通り過ぎる景色から目を逸らして、静かに目をつむった。

~終わり~

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