3.役割

 イライラするような、それでいて情けないような気持ちで1日の授業を終えた俺は、部室にハルヒの鞄を取りに行った。
どうせこれから1週間、SOS団は休業だ。団長不在だし、長門と古泉は学校自体を休んでいる。
朝比奈さんは登校するだろうが、部室によるくらいならまだハルヒの病室でメイド服を着るだろう。
あの優しいお方ならそうするさ。
受験生だと言うのに、冬のこの時期に毎日部室に通ってくださっているくらいだしな。
さすがにほとんど勉強しているけど。
朝比奈さんは今のところ、卒業後も時間駐在員としてとどまると言っていた。
朝比奈さん(小)が朝比奈さん(大)になるまでに、本人にはどれくらいの時間が過ぎているんだろうね。
そう思いながら部室の扉を開けた。

「キョンくん」
そこにいたのはまさに今俺が考えていた、かつての部室専属メイドであったお方だった。

 ちょっと予想外だった。今回の事件に、未来的な事柄は絡んでいない。
何故朝比奈さん(大)がここに?

「少し久しぶり、かな? 私にとってはそんな前じゃないんだけど」
にこやかな笑顔で朝比奈さんは挨拶した。
「お久しぶりですね、俺にとっては。何故ここに? 今のハルヒの状況はご存じなんでしょう」
そう言うと、朝比奈さん(大)は顔を曇らせた。
「ええ、もちろん。今、わたしも病院に向かっているはずですから」
そう言って顔を上げて俺を見た。
「でも、この時間のわたしにできることはないの。
 いえ、このわたしにできることもないと言っていいわ」
うつむいて目を伏せたまま、話を続ける。
「今後どうなるか、詳しく話して頂くのは、やっぱり禁則事項なんですよね」
聞くまでもない。未来的なヒントをくれたことはほとんどないのだ。
むしろヒント無しでやらされたことばかりだった。
 未来へのヒントとして暗示されたものは、あの『白雪姫』くらいなものか。
「その通り。禁則事項です。どうしても伝えたいことがあってわたしはここに来ました」
「せめてヒントだけでも……ですか」
あのときの言葉を思い出しながら言った。俺にとっては恥ずかしくも懐かしい記憶だ。
「ヒントというよりは、キョンくんにお願いです」
お願い? 意外な言葉だ。
「ええ、お願い。キョンくんは、キョンくんの気持ちに正直に。それだけです」
俺の気持ちに正直に?
「詳しく言えないのは解ってくれてると思う……だけど、これだけは伝えたかったの。
 あんまり考えすぎないで。自分に正直に、ね」
俺は自分を偽っているつもりはないが、今後、何か気持ちを無視した選択が起こりうるということか。
「これは未来人としてのお願いじゃないの。
 キョンくんと涼宮さんの友人である、朝比奈みくるとしてのお願いです」
これには驚いた。朝比奈さん(大)は規定事項を優先してばかりだと思っていた。
そんな気持ちが顔に出てしまったらしい。朝比奈さん(大)はくすりと笑って言った。
「わたしはこの時間のわたしと、ちゃんと繋がってます。
 だから、今のわたしだってSOS団を大事に思う気持ちはあるんです」
「いや、俺はそんなつもりじゃ……。」
頭を掻くしかない。
「それではもう時間だから。その鞄を届けに行くのでしょう?」
そう言いながら部室の外に向かっていった。もちろんそのつもりです。
「がんばってね」
何を、と聞こうと振り返ったときには、もう誰もいなかった。

 俺はしばらく朝比奈さん(大)の言ったことを考えていた。
俺の気持ちに正直に。
これは未来人としてではなく、朝比奈みくるとしてのお願い。
 俺の『気持ちに正直に』動かないと、朝比奈さんの未来には良くないというのは考えるまでもないだろう。
そうでないと、朝比奈さん(大)はここに来られないはずだ。
それでも、朝比奈さん(大)は未来人としての立場よりも、俺とハルヒの友人、つまりSOS団の一員としての言葉としていった。
『この時間のわたしにできることはないの』
ああ、そうか。確かに朝比奈さん(大)は朝比奈さん(小)と繋がっている。
朝比奈さん(小)は今かこれからか、俺と同じような無力感にさいなまれているのかもしれない。

「そういうことか」
つぶやいて苦笑する。俺も同じだ。さて、朝比奈さんを慰めなくてはならないときが来るのかね。

 今は考えていても仕方がない。
 ハルヒの鞄を持つと、俺も入院したことのあるあの病院に向かった。


 病院では、相変わらず長門がベッドの側の椅子にちょこんと腰掛けていた。
傍らで朝比奈さんがハルヒを見つめていたが、俺が入ると頭をぴょこんと下げてくれた。
「こんにちは。ハルヒのお袋さんはいないんですか?」
「お仕事があるから、と今日はお帰りになりました。
 目が覚めたら直ぐに連絡すると伝えてあります」
そうか。娘がこんなことになってさぞかし心配だろうな。
「長門、ハルヒの様子は?」
最大の懸案事項を聞いてみる。
「変わらない。情報生命素子は検索を中断することはない。
 現在、約9.8%終了していると考えられる」
およそにしては細かい数字だが、長門からしてみればコンマ10桁くらいの精度で予測できるのかもしれない。
「お前は休まなくていいのか」
ずっとつきそう気らしい長門に聞いてみる。
「このインターフェースは睡眠・休憩を必要としない。行動の模倣のみ」
なるほど。人間の振り、か。でも長門は人間らしいと思うがな。ところで飯は?
「本来は必要ない。わたしという個体が要求すれば、機を見て接種する」
空腹と食欲ってやつかな。まさに人間的だ。
「食べたいものがあったらおっしゃってくださいね。用意しますから」
朝比奈さんが長門に言う。長門を苦手としている朝比奈さんでも、何かがしたいのだろう。
「わかった」
長門も短く答えた。

 自分にできること、か。朝比奈さん、あなたはたぶん十分役に立っていますよ。
むしろ俺が居心地が悪い。
ここにいてもどうしようもないからだ。
ハルヒについていたいというのは単なる俺のわがままだ。

「それでも、涼宮さんはキョンくんに側にいて欲しいと思ってますよ」
朝比奈さん、モノローグを読まないでください。

 そう、確かに側にいてやるくらいしかできないよな。
例え俺の自己満足であっても、な。

 数日、そんな日が続いた。
俺と朝比奈さんは、毎日面会時間終了までハルヒの病室に行った。
機関関係だから、面会時間なんかどうでもなりそうだったが、どこかで切り上げないと離れられなくなりそうだった。
長門は朝から晩までずっとハルヒの側にいた。
本も読んでいないので、持って来るか聞いたが、わずかに首を横に振るだけだった。
長門なら、ハルヒの状態を観察しながら読書するなんて朝飯前だろう。
そんな気にならない、ということか。

 ハルヒが倒れて4日目、古泉が現れた。
心なしかやつれた気がするが、今はニヤケ面が戻っていた。
「深刻な顔をしていても事態が好転するわけでもありませんからね」
そう言ったが、平常心を保とうとするポーズなのは俺にもわかった。
かなり辛い日々だったんだろう。
「休んでなくて大丈夫なのか」
いくら俺でも、この状況なら古泉にだって労りの言葉くらいかけてやる。
「ええ、ある程度の休息は取れています。やはり涼宮さんが気になりますので」
そうか。さすがは副団長だな。
「それに、あなたと少しお話がしたかったので」
俺と? 何かわかったのか。
「ええ、少しいいですか」

 朝比奈さんと長門のいる病室じゃまずいのか、エレベータの前にある椅子に移動した。

「以前、僕が涼宮さんの精神状態がある程度わかる、とお話したと思いますが」
そりゃ、お前はハルヒの精神分析の専門家だろうが。さんざん聞かされたぞ。
「今回は特殊な例でして、さすがに僕たちにも良く解らなかったんですよ。
 ただ、凄いストレスを感じている、としか」
そうだろうな。今ハルヒが置かれている状況なんて、凡人の俺には想像もつかん。
ハルヒはどんな苦しみに耐えているのだろう。
「それでも、涼宮さんはまだ自我を失っている訳ではないので、
 やはり感情という物があります」
ああ、それで?
「ここ最近、今まで解らなかった涼宮さんのある感情がはっきりしてきているのですよ。
 僕の中でね」
「もったいぶらずに言え。それは何だ?」

「不安、です」
「不安?」
「ええ、涼宮さんは今、とても不安を感じています。無理もありませんが」
そりゃそうだよな。何か訳のわからないものに自分の精神構造を解析されているわけだ。
外界との反応を遮断されてな。いや、反応できなくなっているだけか。
不安を感じない訳がない。
「ええ、そうなんですが、もうひとつ僕に判ることがあるんです」
ハルヒの精神でか。何だ?
「閉鎖空間に入ると強く感じられるのですが……はっきり言いましょう。
 彼女はあなたを呼んでいます」

 は? 俺をか? 閉鎖空間にか??

「閉鎖空間は涼宮さんの精神活動によるものです。
 別に、彼女はそこにあなたを招待したいというわけではないでしょう。
 おそらく、彼女はあなたなら自分の不安を取り除けると思っているのでしょう」
おいおい、随分買いかぶってくれた物だな、ハルヒよ。
お前の不安の原因を取り除けるのは、SOS団の中では長門だけだ。
しかも1回限りのチャンスだぜ。長門なら大丈夫だろうけどな。

「僕以外のいわゆる超能力者たちも涼宮さんが誰かを求めていることは気づいています。
 それがあなただと判るのは、僕がSOS団の副団長だからでしょう」
古泉が続ける。しかし何故俺なんだ? 一応聞いてみた。
「今更それをおっしゃるのですか? この間のあなた達の行動を僕が知らないとでも?」
いや、お前らが覗いていたのは知ってるよ畜生。聞いてみただけだよ。
だがな。
「俺にどうしろって言うんだ」
吐き捨てるように言った。俺は無力だ。古泉のような事後処理すらできない。
「今は知っておいて欲しい、と言うのが僕の希望です。涼宮さんがあなたを求めていると」
「誤解を招くような言い方はよせ」
「失礼。でも事実ですから。では僕はこれで」
俺の反論を軽く流して、古泉はそのままエレベータに乗って行ってしまった。
 病室に戻っると、長門が何か食べていた。カレーパン?
「わたしが作ったんです」
なんと朝比奈さんお手製のカレーパンであった。
カレーが好きな長門が病室でも食べやすいようにと考えたのだろう。
本当に愛らしいお方だ。

 そんな朝比奈さんを見ながら、朝比奈さん(大)の言葉を思い出していた。
『わたしにできることはないの』
そんなことありませんよ、朝比奈さん(大)。
このカレーパンは、長門にとって嬉しい物に違いない。
朝比奈さんの存在は、ちゃんと俺たちを支えてくれている。
今度朝比奈さん(大)に会ったらそう伝えよう。

 今回の事件が終わったら、朝比奈さん(大)は現れるのかなと考えながら、俺はハルヒのそばに立った。
相変わらず眠っているだけのような顔。
しかし、その内部はかなり疲弊しているんじゃないだろうか。
疲れすら表に出せない程。
思わず俺はハルヒの手をとって握った。
「……ハルヒ」
呼びかけても答えはない。
「辛くないか?」
辛くないわけがない。その結果が閉鎖空間だ。
「俺は何ができるんだ……?」

「キョンくん……キョンくんがいることは、涼宮さんに伝わってます、きっとです!」
振り返ると、長門と朝比奈さんが俺を見つめていた。
長門は何も言わなかったが、俺を案じてくれているのはその瞳から感じられた。
俺は何も言えなかった。

 家に帰ってからも、俺は色々と考えていた。
朝比奈さん(大)の注意事項とも取れるような『お願い』。
古泉は、ハルヒが俺を呼んでいると言った。
だが、ハルヒは俺の呼びかけに答えない。
聞こえているのかどうかもわからない。

俺の気持ちに正直に。

朝比奈さんのセリフを思い出す。
正直な気持ち? そんなの分かり切ってるさ。
ハルヒのために、SOS団のために何かしたい。

長門はハルヒの容態変化を観察しつつ、根本的な原因を排除しようとしている。
古泉は今回のことで大量発生してしまう閉鎖空間で闘っている。
朝比奈さんは、主に長門を、そしてできれば俺や古泉も支えようとしている。

みんな、自分でできることをやっている。
俺はどうだ?

「情けねぇな」

俺にできることなんか何もないんだ。
ただ、長門が助けてくれるのを待っているだけだ。
格好つけてみたってあがいてみたって結局それだけ。

「すまん、ハルヒ。やっぱり俺は雑用しかできないみたいだ」

自嘲気味に言った。
みんな頑張ってるのにこんなマイナス思考で悪いな。 
 

 4.窮地へ

 

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最終更新:2020年03月14日 00:21