「はーい、おっじゃっましまーす!」
 ハルヒは二年――つまり立場上上級生のクラスにノックどころか、誰かにアポを取ろうともせず、大きな脳天気な声でずかずかと入っていった。俺も額に手を当てながら、周囲の生徒たちにすいませんすいませんと頭を下げておいた。
 ここは二年二組の教室で、今は昼休みだ。それも始まったばかりで皆お弁当に手を付けようとした瞬間の突然の乱入者に呆然としている。上級生に対してここまで堂々とできるのもハルヒならではの傍若無人ぶりがなせる技だな。
 そのままハルヒは実に偉そうな態度のまま教壇の上に立ち、高らかに指を生徒たちに向けて宣言する。
「朝比奈みくるってのはどれ? すぐにあたしの前に出頭しなさい」
 おいこら。朝比奈さんを教室の備品みたいに言うんじゃない。いやまあ、確かにあれほど素晴らしいものを
常にそばに置いておきたくなる必需品にしたくなるのは当然だと思うが。
 突然の宣言に、誰もが呆然とするばかり。ちなみに俺の朝比奈さん探知レーダーはそのお姿をキャッチ済みだが、
とりあえずご本人の意向もあるだろうからハルヒには黙っておくことにする。何せまだ入学式から一週間だからな。
この段階で朝比奈さんがハルヒと接触を望むかどうかわからないし。
 しばらく沈黙が続いたが、次第にクラス内の生徒たちがじりじりとにある一点に集中し始める。
もちろん、そこには他の生徒と同じように唖然とした朝比奈さん――そして、そのそばには見知らぬ女子生徒二人に、あの何だか凄い人、鶴屋さんの姿もある。どうやらクラスの仲良しグループでお弁当タイムに入ろうとしていたらしい。
 やがて集中する視線に耐えられなくなったのか、朝比奈さんがゆっくりと手を挙げてようとして――
「はーい! みくるはここにいるけどっ、なんかよーなのかなっ?」
 それを遮るように鶴屋さんが立ち上がり、ハルヒの前に立ちふさがった。昔から何となく感じていたが、この人は朝比奈さんの防御壁の役割を果たそうとしているような気がする。
 だが、ハルヒは鶴屋さんに構わずに、腕を組んで、
「じゃあ、とっとと教えなさいよ。朝比奈みくるってのはどこ?」
「おやおや、自分の名も名乗らない人にみくるを渡すわけにはいかないっさ。せめてキミの名前ぐらい教えてくれないかなっ? でないとみくるもおびえてちゃうからねっ」
 相変わらず歯切れの良いしゃべり方をする人だ。それでいて、きっちり朝比奈さんを守ろうとしている。
この場合、どっからどうみてもハルヒが不審者だから、そんな奴においそれと朝比奈さんを渡せないということだろう。
正体不明の人間にほいほいとついていってはいけませんというのは、子供の頃からしっかりと学ばされている重要自己防衛策だし。
「あたしは涼宮ハルヒ。一年六組所属の新入生よ」
 なぜかふんぞり返ってハルヒが言う。どうしてこいつは意味のなくこういう偉そうな態度を好むのかね。
 さすがの鶴屋さんも驚きの顔を見せていた。だって下級生という話はさておき、入学式からまだ一週間しか経っていない。
つまりハルヒと俺はこないだ北高に入学したばかりの生徒であって――いやハルヒは何回目か知らんが、俺は3回目になるが――
そんなピッカピカの新米北高一年生がいきなり二年の教室に殴り込みに来たんだから、そりゃ驚くだろう。
 しかし、やられっぱなしの鶴屋さんではあるわけもなく、ここで反撃の姿勢に転じる。
「おおっ、なるほど。今年の新入生かっ! じゃあ、せっかく二年の教室に来たんだし、あたしがあだ名をつけて上げようっ!」
「は? あ、えと、そんなことより……」
 ハルヒは予想しない展開に持ち込まれて言葉を詰まらせているが、鶴屋さんはそんなことはお構いなしに、
うーんほーうと腕を組み頭を振るというオーバーリアクションで考え始める。
 やがてぽんと手を叩き、
「ハルにゃん! うんっ、いいねっ。これで決定にょろ!」
「ハ……!? ちょ、ちょっと待ってよ!」
 ハルヒはそのあだ名が相当恥ずかしく感じたようで顔を赤くして抗議の声を上げるものの、
鶴屋さんは胸を張って、いいよいいよ、のわはっはっはと愉快そうに笑い声を上げてそれを受け入れる気全くなし。
 さすがのハルヒも困惑してきたのか、俺のネクタイを引っ張って顔を寄せ、
「ちょっと、この人何なのよ? あんたの知り合い?」
 ここで知り合いというと違うというややこしい話だが、俺の世界の話に限定すると知り合いでSOS団名誉顧問だ。
ちなみにその役職与えたのはハルヒだぞ。鶴屋さんのことを偉く気に入っているみたいだからな。
ま、確かに竹を割ったような裏表がなく、かなりの大金持ちだってのに全く嫌味のない良い先輩だよ。
 俺の返答に、ハルヒはふーんとジト目で返してくる。
 が、ここでようやく向こうのペースに巻き込まれていることにハルヒは気がついたようで、あっと声を上げると
再度鶴屋さんの方に振り返り、
「ああもう、あたしのあだ名はそれでいいから朝比奈みくるって言うのはどこにいるのよ。あたしはその人に用があって来たの」
「ハルにゃんでいいのかよ」
「うっさい、キョンは黙ってなさい」
 ぴしゃりと俺の突っ込みは排除だ。
 鶴屋さんはフフンっと鼻を鳴らし、俺とハルヒの全身を空港の安全確認用赤外線センサーのごとく見て、
「みくるはここにいるけど何の用なのかなっ? 誘拐ならお断りだよっ!」
「そんなことしないわよ。ただどんなやつなのか見に来ただけ」
「見に来ただけ?」
「そ。見に来ただけ」
 二人は顔をじりじりと近づけて威嚇しあっている。あの強力な自信に満ちた眼力をぶつけるハルヒ、それを疑いの半目視線で
応戦する鶴屋さん。うあ、なんか凄い攻防だ。いつの間にか、クラス内もしんと静まりかえって、二人のやり取りを
息を呑んで見守っている。
 数分間に上る二人の静かな攻防戦は、鶴屋さんのふうっという溜息で幕を閉じた。どうやら彼女なりに
俺たちが朝比奈さんに害をなす不審人物ではないと判断したらしい。
 いや……鶴屋さん? ハルヒはどうみても朝比奈さんに害を与えに来ているんですけど。
 そんな俺の不安な気持ちも知らずに、鶴屋さんは朝比奈さんを指差しこちらへ来るように指示する。
 朝比奈さんはしばらくおどおどしていたが、おぼつかない足取りでこっちにやって来て――
「うきゃうっ!」
 案の定、近くの机に脚を引っかけて倒れそうになる。しかし、それをまるで予知していたかのように
鶴屋さんが見事キャッチして床への落下を阻止した。ほっ、顔でもぶつけてその美しい女神の微笑みに傷ができたら、
俺も泣いて泣いて嘆きまくっただろうから、ナイスです鶴屋さん。
 朝比奈さんはおずおずと鶴屋さんに抱えられて、ハルヒの前に立つ。しばらく腕をもじもじさせて下を向いていたが、
やがてゆっくりと不安げな表情をハルヒに向け、
「あ、あの……あたしが朝比奈みくるです……何かご用でしょうか……?」
 か細く弱々しい声。しかし、久しぶりの朝比奈さんのエンジェルボイスに俺の脳の音声に認識回路は焼き切れる寸前だ。
いいなー、もうかわいくていいなー、もう!
 一方のハルヒはそんな朝比奈さんの姿にしばし呆然と口を開けたまま、硬直している。
 そして、次に短い奇声を上げた。
「か」
「……か?」
 朝比奈さんは何なのか理解できず、首をかしげてハルヒの言葉を復唱した。
 だが、すぐに悲鳴を上げることになる。なんせハルヒが飛びかかるように朝比奈さんに抱きついた。
「かわいいっ! 何これ可愛すぎ! ちょっとキョン、これどうなんてんのよ! うーあー、もう可愛くて抱きしめたりないわ!」
 ハルヒは顔を真っ赤にして、感情を爆発させた。どうやら朝比奈さんの言葉にできない可憐さに脳みそが焼き切れてしまったか。
もうめっちゃくちゃにすると言うようにもみくちゃに抱きしめている。
 一方の朝比奈さんはうひゃぁぁぁあと手を振り回して泣き叫ぶだけ。
 ハルヒはそんな状態を維持しつつ俺の方に振り返り、
「ね、キョン。この子、うちに持って帰って良い?」
 ダメに決まってんだろ。お前一人が独占して良い訳が――そうじゃなくて! 朝比奈さんをおもちゃ扱いするんじゃありません!
「じゃあ、せめてあたしのクラスに転入させましょう! 隣の席においておきたいのよ!」
 朝比奈さんを勝手に落第させるな!
 その後、ハルヒの朝比奈さんいじりはエスカレートする一方だ。胸をでかいでかいとか言ってモミ始め男子生徒の大半が
目を背けることになり、または今度は耳たぶを甘噛みして女子生徒すら顔を真っ赤にして顔を背けるはめになったりと
もう教室内はずっとハルヒのターン!って状態である。
 やれやれ。世界は違うとは言え、趣味や趣向は全く変わらんな、ハルヒってやつは。しかし、これだけ弾けたハルヒってのも
久しぶりだ。前回の古泉の時は、相手が異性って事もあるんだろうがここまではやらなかったし。
 一方鶴屋さんはうわっはっはっはと実に愉快そうに豪快な笑い声を上げているだけ。こういったことは、
鶴屋さんの考えでは虐待やいじめには含まれないようである。
 この光景に俺はしばらく懐かしさ込みで呆然とそれを眺めていただけなのだが、いい加減これで話が進まないことに
ようやく俺の思考回路の再稼働させて、
「おい、そろそろいい加減にしろ」
 そう言ってハルヒを引きずり教室外へと移動する。だが、朝比奈さんをハルヒは決して離そうとしないんで、
結果ハルヒと朝比奈さんを廊下に引きずり出すはめになってしまう。とにかく朝比奈さんには申し訳ないが、
こっちにも目的があるんだからついてきてもらわなきゃならんし、これ以上上級生の教室内を
フリーズさせたままにしておくわけにもいかんからな。
 朝比奈さんをいじくり倒すハルヒを何とか廊下まで連れ出すと――一緒に鶴屋さんもついてきている――
「おい、本来の目的を忘れているんじゃないのか? そんな事しに来たんじゃないだろうが」
「んん? おっと、そうだったそうだった」
 ハルヒはようやく萌えモードから脱したのか、口に含みっぱなしだった朝比奈さんの耳たぶを解放すると、
ばっと朝比奈さんの前に仁王立ちになり、
「ねえ、あたしと付き合ってくれない?」
「はうぅぅぅ……ええっ!?」
 ハルヒのとんでもない言葉に、朝比奈さんはいじくられたショックに立ち直るどころか、
さらなる追い打ちをかけられてしまった。
 っておいおい。それじゃ別の意味に聞こえちまうだろうが。ああ、でもそういやこいつ最初にあったとき辺りに、
変わったものだったら男だろうが女だろうが――とかいっていたっけ。ひょっとしたらバイの気が……ああ、何考えてんだ俺は。
「ようはハルヒや俺と一緒につるみませんかって言っているんです。いえ、別にどこかの部に入ろうとかでなくてですね、
朝比奈さんの噂を聞きつけてぜひ友達になりたいと、このハルヒが――」
「何よ、あんたも鼻の下伸ばしてぜひとも!と言っていたじゃない」
 人がせっかくフォローしている最中に余計な突っ込みを入れるな。
 俺はオホンと一旦咳払いをして会話を立て直すと、
「とにかくですね。俺たちはあなたと友達になりたいんです。いきなり言われて困惑してしまうでしょうが。
ご一考願えないでしょうか?」
 いきなり押しかけて友達になれなんて、頭のネジがゆるんでいるか社会的一般常識が著しく欠落しているやつの
やることだと俺自身ははっきりと認識しているんだが、善は急げというのがハルヒの主張だ。
とっとと朝比奈さんを仲間内に入れて、未来人の動向を探る。その目的のためには、確かに朝比奈さんをそばに置いておくのは
間違っているとは思わないが、いくら何でも性急すぎるんだよ、こいつのやることは。
 さてさて。こんな不躾で無礼で一方的な頼みに朝比奈さんはオロオロするばかり。保護者代わりと言わんばかりに
立ち会っている鶴屋さんも笑顔で見ているだけ。彼女の判断に任せると言うことなのだろう。
 だが、そんなもじもじした姿勢を続けていたら、脳神経回路が判断→行動→思考になっているハルヒが黙っているわけがない。
「ああっもうじれったいわね! とにかく最初が肝心なのよ、最初が! ってなわけで今から一緒に学食でお昼ご飯を食べない?」
 また唐突なことを言いだしやがった。最初のコミュニケーションとしては間違っていないと思うが。
 だが、朝比奈さんはちらちらと鶴屋さんと教室内のお弁当グループに視線を向けて、
「でもでもそのぅ……あたし一緒に食べる約束をしたお友達がいますので……」
 そりゃそうだな。朝比奈さんとしては、クラス内の関係維持のためにもクラスメイトとのお弁当の方が何かと都合が良いだろう。
 ハルヒはちょっといらだつように髪の毛をかきむしり、
「じゃあ、今日学校が終わったら一緒に帰るって言うのはどうよ?」
「あ、あたし実は書道部に入っているんで帰りは少し遅くなるんです……」
 ハルヒはその初耳だという情報に、何で教えなかったと俺を目で睨みつけてきた。
 ああ、そうだすっかり忘れていた。朝比奈さんは書道部だったんだっけ。その後ハルヒに拉致られて、結局SOS団入りしたが、
その理由が長門がいたからだったはずだ。そうなると、SOS団もなく長門もいない状況で朝比奈さんに書道部を辞めてもらうのは
かなり難しいだろう。元々ハルヒに直接接触するつもりじゃなかったようだからな、朝比奈さんは。
 さーて、面倒になってきたぞ。どうする?
 ここで鶴屋さんが朝比奈さんの肩を叩き、
「あたしとみくるは一緒に書道部に入っているんだよ。一年生の時からの付き合いさっ。現在も部員絶賛募集中!」
 ほほう、確かに朝比奈さんに――失礼ながら、ちょっと書道というものは路線が違うんじゃないかと思っていたが、
鶴屋さんとのつながりがあったのか。確かに彼女が和服姿で筆と墨を持って正座で達筆な字を書いているのは容易に想像しやすい。
 と、ここでハルヒがぽんと手を叩き、
「わかったわ。じゃあ、あたしとキョンも書道部に入部させてもらう。それなら文句ないでしょ?」
 ……本気か? しかも俺まで巻き込まれているし。正座して字なんて書きたくないんだが。
 だが、この提案に鶴屋さんが同意した。
「おおっ、それなら話は早いさっ。これでみくるともお付き合いできるし、うちも書道部も新入部員をゲットできて
両者ともに目的が果たせるよっ。でも入部するからにはきちっと部活動に参加してもらうからねっ」
 あーあ、話が勝手に進んでいる。
 俺はぐっとハルヒを引き寄せ、
「おい、いいのかよ。お前字なんて書けるのか?」
「大丈夫よ。あんなの墨と筆があれば何とかなるわ」
 根拠もないのに自信満々に語るな、書道をなめるんじゃないと説教してやりたい。
が、字の汚さで有名な俺の俺が言えるはずもなく。
 やれやれ。今回は書道部入部決定か。こんな調子じゃSOS団への道のりはアメリカフロンティアの進んだ距離より長いぜ。
 と、ここでハルヒは腹をなで下ろしたかと思うと、
「あ、何かお腹空いて来ちゃった。じゃ、あたし学食に行ってご飯食べてくるから。じゃあまた放課後!
入部届を持って行くから待っててね!」
 そう言ってばたばたと学食に向けて走っていってしまった。なんつー自己中ぶりだよ。まるでスコール大襲来だな。
 俺はとりあえず朝比奈さんと鶴屋さんに頭を下げつつ、
「いきなりとんでもない頼みをしてすみません。あいつ、一旦思いついたら誰も止められなくなるんですよ」
「良いって良いって! みくると友達になりたいって言うなら大歓迎だよっ、それに書道部も新入部員を会得しないと
いけなかったからねっ!」
「あ、はい。あまり人気のない部活なので、人が増えるのはちょっと嬉しいです。涼宮……さんが入ると
にぎやかになりそうですし」
「そう言ってもらえると助かります」
 全く寛大な心を持った人たちで助かったよ。一般常識が厳しめの人ならどんな文句を言われていた事やら。
「じゃあ、朝比奈さん、鶴屋さん。すいませんが、また放課後よろしくお願いします」
「はいわかりました、キョンくん」
「じゃあまた放課後にっ。じゃあねキョンくん!」
 俺たちはそう言葉を交わすと、それぞれの教室に向かって歩き出した。しかし、一つ重要な問題が起きてしまっている。
 ……やれやれ。自分で名乗る前に、あだ名で呼ばれるようになっちまったよ。
 
 さて、何でこんな展開になっているのかまるっきり説明していなかったから、とりあえず俺が昼飯を食っている間に
回想モードでどうやってここまで来たのか振り返ってみることにしようかね。
 ………
 ……
 …
 
◇◇◇◇
 
「未来人?」
「そうだ、未来人。お前が俺を見つけたときに一緒にいただろ? 茶色っぽい長い髪の小柄な女の人が」
「ああ、あのちっこくて可愛い子のこと。ふーん、あの子が未来人ねぇ……全然そういう風には見えなかったけど」
 お前にとっての未来人ってのはどんな姿をしているんだ。やっぱりリトルグレイか謎のコスチュームに身を包んでいるのか。まあ、俺としても何で朝比奈さんが未来から送り込まれてきたエージェントなのかさっぱりわからん。失礼ながら言わせてもらうと、どう見てもそういった危険の伴う任務には不釣り合いだろ。俺がどうこう言っても仕方がないが。
 機関の反乱により崩壊した世界をリセット後、俺とハルヒは時間平面の狭間で次についての打ち合わせを進めていた。幸いなことにリセットは無事成功し、情報統合思念体もハルヒの力の自覚を悟られていない状態に戻っているとのこと。
 だが、ふと思う。
 あんな地獄絵図の世界が確定したらたまらなかったから良かったと言える。しかし、考え方を変えれば、機関は人類滅亡を
阻止したとも言える。それは成功例と言えないか? 少数を切り捨てたとは言え、大多数は生存できたんだから……
 いや、あんなことが平然と行われる世界なんて許されて良いわけがない。一体機関の攻撃で何千人が
死ぬことになると思っているんだ。
「ちょっとキョン。ちゃんと聞いているの?」
 ハルヒの一声で俺はようやく目を覚ます。今更どうこう考えたって無駄だろうが。リセットしちまった以上は、
次の世界をどうするのかに集中すべきだろ?
 俺は自問自答を終えると、ハルヒとの話に戻る。
「えーとどこまで話したっけ?」
「あんたの世界には未来人がいたって事だけよ。しっかりしてよね」
 ハルヒはあきれ顔を見せるが、俺は無視して、
「とにかくだ。前回の機関を作った世界には未来人――正確には朝比奈みくるという人物はいなかった。
これも機関の超能力者と同じように、何かお前が手を加える必要があるって事になる」
「それがなんなのかわからないと話にならないわよ?」
 ハルヒは団長席(仮)に座り、口をとがらせる。
 確かにその通りだ。機関の超能力者はハルヒの情報爆発と同時に発生したと言うことを古泉から耳にたこができるぐらい
聞かされていたからわかりやすかったが、未来人が誕生したきっかけは何だ? 何度か朝比奈さん(大)の既定事項とやらを
こなすためにいろいろ手伝わされたが、あれはハルヒとは直接関係のない話ばかりだった。ならそれ以外で何か……
 ――俺ははっと思い出した。学年末にSOS団VS生徒会を古泉にでっち上げられて作った文芸部の会誌。
あの最後にハルヒが書いていた難解極まりない意味不明な論文が載っていたが、朝比奈さん曰くあれが時間移動の基礎理論に
なったと言っていた。そして、朝比奈さん(大)の既定事項を考えると、やるべき事は一つだ。
「なあハルヒ、お前の近所に頭の良い年下の男子はいなかったか? たまに勉強とか教えていたり」
「んん? ああ、ハカセみたいな頭の良い男の子はいたわよ。家庭教師ってほどの事もないけど、確かにたまに勉強を
教えてあげていたわね。それがなんかあるわけ?」
 よし、ならいけるはずだ。
「そのハカセくんに時間移動の理念を示した――なんだ論文みたいなのを書いて渡してくれ。それで未来人は生まれるはず」
「ちょ! ちょっと待ってよ! あたしだって情報操作とか情報統合思念体について理解している訳じゃないのよ!?
ただ何となく使えるってだけで、それを字にして表せなんて無理よ、絶対無理無理!」
 ここまで仰天するハルヒも珍しい。良いものが見れたと思っておこう。だが、それをやってもらわないと
あの秀才少年に時間移動の理論が届かず、朝比奈さん(大)の未来も生まれない。亀やら悪戯缶、メモリーについては
朝比奈さん(大)の方から動きが出るだろうよ。あっちも既定事項とやらをこなすのに必死みたいだしな。
大元さえきっちりしておけば、後は勝手に広がる。機関と同じだ。
「そんなこといわれてもなぁ……どうしよ」
 いつの間にやら紙とペンを用意したハルヒは、ネームに困った漫画家のように頭を抱えている。
なあに深く考える必要はないんだよ。俺の世界のハルヒだって、どう見ても思いついたまま書き殴っていたし、
俺が呼んでも耳から煙が立ち上るだけで全く理解不能な代物だったし。
「そりゃ、あんたがアホなだけじゃないの?」
「うるせぇ。さっさと書け」
 そんなちょこざいな突っ込みをしている間に、がんばって書いてくれ。それがなきゃ始まらん。
 ハルヒはうーんうーんと本気で唸りながら、得体の知れない図形や文字を落書きのように紙に書き始める。
だが、すぐにわからんと叫びくしゃくしゃに丸めては書き直し。
 この調子だと当分かかりそうだな。やれやれ……
 
 どのくらいたっただろうか。暇をもてあましたため、いつの間にやら椅子の上で眠っていた俺の脳天に一発の強い衝撃が走った。
完全な不意打ちだったため、俺の目から火花が飛び散ったかと思うほどに視覚回路に光の粒が発生し、
思わず頭を抱えてしまう。
「何しやがる……ん?」
 抗議の声を上げるのを中断して見上げると、そこには仏頂面のハルヒの姿があった。その手には数十ページの紙の束が
握られていた。
「全く……人が頭を抱えているのにぐーすか眠っているとは良いご身分ね。ほら、あんたのご注文通り作ったわよ。
人が読めて理解できる代物かどうか保証はできないけど」
 相当疲れがたまっているのか、半分ドスのきいた声になっている。俺はハルヒの書いた時間移動の論文をざっと見てみたが、
 …………
 …………
 ……こ、これは確かこんな感じだったような憶えがあるが、今読んでもさっぱり意味不明だ。謎の象形文字と
ナスカの地上絵もどきが大量に並びまくる宇宙からの電波をキャッチしてそのまま文字化したような得体の知れない
カオスさである。あの少年は本当にこんなものから一瞬のひらめきを見つけられるのか? 全く天才ってのは
得体の知れない生き物だ。
 ハルヒは達成感に身を任せうーんと一伸びしてから、
「何か疲れちゃったわ。それを使うのは一眠りしてからにするわね」
 そう一方的に言い放つと、そのまま団長席(仮)に突っ伏してしまった。ほどなくしてかすかな寝息が聞こえ始める。
 全く何だかんだで努力は惜しまないやつだ。どんなことでも全力投球、中途半端は大嫌い。わかりやすいったらありゃしない。
 俺はとりあえず制服の上着をハルヒに掛けてやると、暇つぶしにハルヒの意味不明カオス論文の解析をやり始めた。
 
◇◇◇◇
 
 …
 ……
 ………
 以上回想終わり。そんなこんなでハルヒがあの少年にこっそりと論文を渡した結果、うまい具合に北高二年生に
朝比奈さんがいましたってわけだ。
 ただし、それを少年の手に渡したのは、俺の世界では学年末ぐらいだったがハルヒが善は急げ!とか言って
とっとと渡してしまった。ハルヒ曰く、高校一年のその時期まで情報統合思念体の魔の手から逃れて無事に過ごせる可能性は
かなり低い――というか一度もなかったそうな。中学時代を乗り切るのはもう完全に可能になったものの、
高校になってからの情報統合思念体やその他の勢力――俺の知らないいろいろな勢力がいたりしたらしい――がちょっかいを出して
それで結果ご破算になってしまうということ。朝倉の暴走もその一つに含まれているらしい。
 結果予定を繰り上げて、入学前にあの少年に論文を渡すことになったわけだ。まあうまくいったから良いんだが。
 
「よっし、じゃあ乗り込むわよ!」
「そんなに気合いを入れて、殴り込みにでも行くつもりか?」
 元気満々のハルヒに続いて、俺は嘆息しながらそれに続く。ドアの向こうは書道部の部室だ。
放課後、俺たちは約束通りここに入部するためにやってきたってわけさ。
「こんにちわ~! 入部しに来ましたー!」
 でかい声でハルヒが部室に入ると、数名の書道部部員たちの注目の視線がこちらに集中した。
その中にはすでに朝比奈さんと鶴屋さんの姿もある。二人とも手を振っていた。
 中には朝比奈さんたち二人を含めると、あと三人しかいない。まあ書道部っていう地味な活動を考えると
最近の若いモンには不人気な部活かも知れないから無理もないか。活字離れどころか、ワープロやパソコンの普及で
手書き文字すらなくなっている時代である。かく言う俺も相当な悪筆だけどな。
 しかし、見れば全員女子部員ではないか。しかも容姿のレベルも中々高い。まるでハーレム気分だっぜ。
 事前に朝比奈さんたちから話を聞いていたのか、部長らしい三年生が俺たちに仮入部の紙を手渡してくる。
さすがにいきなり入部って訳にはいかないらしい。大体、先週入学式があったばかりだしな。一年の大半もまだ部活を
探している生徒は大半だが、いきなり本入部っていう人間はスポーツ推薦でやって来た奴ぐらいで、大抵は仮入部だろう。
 俺たちはさっさと仮入部の用紙にサインを入れると、とりあえず部室内を一回りしてどんな活動なのか紹介を受ける。
やっていることは単純で、普段は習字の練習を行い、たまに校内の掲示板に作品発表を行ったり、市で開催されている
展覧会っぽいものにできの良い作品を送ってみたりと、まあごく普通の地味な活動内容だ。ああ、そういえば、
今日北高の入り口におかれていたでっかい看板の文字もこの部で制作したものとのこと。書いたのは鶴屋さん。
すごい美しく見栄えのある文字だったことを良く憶えている。
「いやーっ、そんなにほめられるとテレるっさっ! でも、あのくらいでもまだまだにょろよ」
 鶴屋さんは照れ笑いを続けている。一方のハルヒは部長の説明も聞かずに朝比奈さんをいじくりまわしている始末だ。
 さすがに見かねた書道部部長(女子)が俺の耳元で、彼女は大丈夫なの?と聞いてくるが、
「あー、あいつはああいう奴なんて放っておいて良いですよ。むしろ関わるとやけどするタイプですから」
 俺があきらめ顔でそう答えると、書道部部長は不安げな表情をさらに強くした。こりゃ結構心配性のタイプだな。
ハルヒには余り心労をかけるなよとこっそり言っておこう。
 ついでにそろそろ止めておくか。
「おいハルヒ。朝比奈さんを弄って部活動の妨害はそれくらいにしておけ。余り酷いと退部にされるぞ」
「えー、でも凄いのよ。フニフニなのよ! あんたも触ってみればわかるわ」
 何がフニフニなんだ。いやそんなことはどうでも良いからとにかくやめろ。
 俺は無理やりハルヒの襟首をつかんで、朝比奈さんから引き離す。ハルヒはえさを止められた猫のようにシャーと
威嚇の声を俺にあげているが、
「まあいいわ。別に今日一日だけって訳じゃないしね」
「ふええぇ、毎日これやるんですかぁ?」
 いたいけな朝比奈さんのお姿に俺も涙が止まらないよ。とにかく、仮入部とは言え入部したんだからきっちり部活動に
専念するんだぞ。朝比奈さんいじりは決して部活動の内容に入っていないんだから。いいな? 
「部活動ねぇ……ようは墨で字を書けばいいんでしょ?」
 子供の頃に中々うまくいかず、オフクロと一緒に泣きながら夏休みの課題の習字をやっていた俺から言わせると、
習字をなめるなと一喝してやりたい余裕ぶりだ。
 ハルヒは手近な部員から習字一式を借りると、さっさと軽い手つきで書き始める。
 そして、できあがったものを俺の方に掲げてきた。
「これでどうよ?」
 まあなんだ。素直に言えば旨いな。しかし、書いてある文字が『バカ野郎』なのは俺に対する当てつけのつもりか?
もう少しマシな書く内容があるだろう?
 ハルヒは俺の反応を受けて再度別の文字を書き始める。
 そして、得意げな笑みを浮かべて掲げた作品『みくるちゃんラブ』――だからそうじゃねえだろっ!
「あのな、もうちょっとふさわしい文字があるだろ? 例えば、『祝入学』とか『春一番』とか」
「なによ、そんな普通の書いてもおもしろくないわ」
 真性の変りもんだこいつ。普通の人と同じ事をやるのは自分のプライドでも許さないのか?
 ただし、その字は確かにうまい。俺の捻り曲がった不気味な字に比べれば雲泥の差だ。
俺はてっきり字の内容はさておきその技術には他の部員も感心していると思いきや……
「うんっ、なかなかのないようだと思うよ。もうちょっと練習すればかなりうまくなるんじゃないかなっ」
 鶴屋さんの言葉。決して絶賛ではない。どちらかというと、もうちょっと努力しましょうという意味である。
朝比奈さんや書道部部長(女子)も同意するように頷いていた。
 ……つまりハルヒのレベルは実は大したことない?
 そこにちょうど顧問らしき教師がやってきた。部員の様子を見に来たらしい。
 仮入部の俺たちの紹介を書道部部長(女子)が説明すると、ふむといってハルヒの書いたものをまじまじと見始めた。
 そして、こう論評する。
 
 まだ慣れていない部分が大きいね。そのために全体的に荒く自己流の悪いところが出ている。
 
 さあこれを聞いたハルヒがどうなるかは、こいつの性格を知っていればすぐにわかるだろう。
世界一の負けず嫌い、相手に自分を認めさせる、あるいは勝つためにはどれだけの努力も惜しまない。
それが涼宮ハルヒという人間の性格である。
 即座に習字に必要な一式をそろえるために専門店の場所を聞き出し、何を買えばいいのか、どこのメーカがお勧めか
顧問・部員に聞き出した後、俺もほっぽって学校から出て行ってしまった。店が開いているうちに、道具を買いそろえに
行ったんだろう。全く発射された弾丸みたいな奴だ。本来の目的忘れていないだろうな?
 一同唖然とする中、さすがに居心地の悪くなってきた俺も帰宅の途につかせてもらうことにした。
その前に一応朝比奈さんに挨拶しておくことにする。
「今日はいろいろお騒がせして済みませんでした。しばらくご厄介になりそうですけど」
「ううん、大丈夫。きっとこれがこの時間――あ、えっと、そのとにかく大丈夫です」
 危うくやばい話を暴露してしまいそうになってもじもじする朝比奈さんのもう可愛いこと可愛いこと。
ハルヒ、一度で良いからお前の身体を貸してくれ。そうすりゃ朝比奈さんを本気で抱きしめて差し上げられるからな。
 あと朝比奈さんはすっと俺の耳に口を寄せて、
「それからどうぞあたしのことはみくるちゃんとお呼び下さい」
 以前にも聞いたその言葉に、俺はめまいすら憶えるほどの快楽におぼれてしまった。
 
◇◇◇◇
 
 さて翌日の朝。俺は駐輪場前でハルヒと合流して、北高への強制ハイキングを開始する。しかし、この上り坂も
入学した当時は本気でうんざりさせられたものだが、今では慣れっこになっている自分の適応能力もなかなかのものだ。
 ハルヒの片手には昨日買い込んできたと思われる書道部必需品セットが詰まった紙袋が握られていた。
本気でやる気になっているらしい。
「あったり前よ。あんな低評価のままじゃあたしのプライドが許さないわ! それこそ世界ランキング堂々一位に輝くほどの
ものを書いてやるんだから!」
 おいおい。熱中するのは構わんが、本来の目的を忘れるんじゃないぞ。
「何言ってんのよ。あたしは情報統合思念体がちょっかい出してこないように平穏無事に暮らせればそれで良いのよ。
だから書道部で世界一位を取ったって別に何の不都合もないわ。あたしから何かやるつもりはさらさらないんだからね」
 その言葉に俺ははっと我を取り戻す。確かにそうだ。ハルヒの目的はそれであって、別にSOS団結成とか
宇宙人・未来人・超能力者を集めて楽しく遊ぶことではない。むしろそっちにこだわっているの俺の方じゃないか。
いかん。すっかり目的と手段が入れ替わっていることに気がつかなかった。
 とは言っても俺の目的にはそいつらと一緒に仲良くすることは可能だと証明する事もあるんだから、なおややこしい。やれやれ。
 と、ハルヒは思い出したように、あっと声を上げると俺に顔を近づけ、
「前回のことを考慮して、あんたに予防措置をやってもらうことにしたから」
「……嫌な予感がするが、その予防措置ってのが何なのか教えてもらおうか」
「簡単にわかりやすく言ってあげるから、一度で頭の中にきっちり入れなさい。まず、あんたの意識を2分先の未来と
常に同期しておくようにするわ。つまりあんたの意識は常に2分先の未来を見ていて、あんたが望めば元の時間に戻れるってこと」
 うーあー、全然わからん。もうちょっとわかりやすく教えてくれ。歴史的などうでも良い雑学は昔にはまった関係で
そこそこあるがSF科学についてはさっぱりなんだ。
 ハルヒは心底呆れたツラを見せて、
「厳密には違うけど、あんた予知能力を与えたって事。それならわかるでしょ?」
 おお、それなら俺でもわかったぞ。ってちょっと待て。
「何で俺がそんな役目を担わなきゃならんのだ? お前がやった方がいいだろ」
「あたしが予知能力なんて堂々と発揮していたら、即座に情報統合思念体に感づかれるわよ。だからあんたなら、
偶然、あるいは本当に未知の能力を持っているとして片づけられるはずよ。ただし、無制限って訳にもいかないから」
「なんかの条件とかあるのか?」
「予知能力が使えるのは二回まで。仮にも時間平面の操作を行うに等しい行為なんだから、余り連発すると
情報統合思念体も不審に思い始めるだろうから。二回予知したら、自動的にあんたからその能力は削除されるわ。
だからこの予知能力は切り札よ。安易には使わないで。宝くじとか競馬とかなんてもってのほか、論外よ! 
二回目を使ったときはリセットを実行するときだと思っていなさい。わかったわね」
「使い方がわからんぞ」
「簡単よ。戻れって強く念じればいいだけだから」
 ついに俺までハルヒ的能力者の仲間入りかよ。限定的だから情報統合思念体に抹殺されるって事はないだろうが、
どんどん一般人から離れていくことに自分に対して哀愁を禁じ得ない。さらば凡人の俺、フォーエバー♪
 俺たちはどんどん坂道を歩いて北高に向かっている。考えてみれば、意識はもう北高間近まで迫っているところにあるが、
俺の身体自体はまだ数十メートル後ろを歩いているって事になるのか。なんつーか、幽体離脱でもしている気分だ。
 ところで、予知ってのはどういうときに使えば良いんだ? 前回の機関強硬派反乱みたいな自体だったら即座に
阻止するべき行動を取るが、今回の世界は機関はいないし時間という概念が俺たちとは異なる情報統合思念体に通じるのか
わかったものじゃない。せいぜい、目の前で事故が発生したらのを阻止するぐらいしか……
 ――唐突だった。俺の前方百メートルぐらいを歩いている一人の男子生徒が突然北高側から走ってきた乗用車に
はねとばされたのは。しかも、その男子生徒はただ歩道を歩いていただけなのに、その乗用車がねらい澄ましてきたように
歩道に割り込んできたのだ。
 しばし一帯が沈黙に包まれる。あまりに突然のことだったので、誰も何が起きたのか理解できなかったのだろう。
 やがて、はねた自動車は止まることなく車道に戻ると、猛スピードで俺のそばを通り抜けていった。
同時にようやく事態を飲み込めた北高生徒たちの悲鳴が辺り一面にわき起こる。
 はねられた男子生徒はその衝撃で車道まで転がり、中央分離線辺りで間接が崩壊した人形のようにありえない形で
倒れ込んでいる。辺り一面にはじわりと多量の血がアスファルトの上に広がって言っていた。
 俺はしばらく呆然としていたが、とっさに戻れ!と叫んだ。思考よりもさきに感覚的反射でそう言った。
 
 ――唐突に起こるめまい。そして、次の瞬間、俺の視界には二分前俺が見ていた光景が広がっている。
まだ事故も発生せず、北高生徒たちが和気藹々と坂を上って行っている。
 俺は自然と足が動いた。さっき――いや、もうすぐはねられる予定の男子生徒まで百メートル。俺はそいつに向かって一目散に
走り出す。
「――あっ、ちょっとキョン! どうしたのよっ!」
 突然の俺の行動に、ハルヒは声を上げて追いかけてきた。事情なんて説明している暇はねえ。目の前で起きる予定の事故を
阻止するだけで俺の頭は精一杯だった。
 俺は事故を目撃してから数十秒――多分一分ぐらい思考が停止していたに違いない。そうなると、事故発生からは
一分ぐらい前までしか戻れない。あの男子生徒とは百メートル離れている。自慢じゃないが、帰宅部を続けてろくに運動していない
俺の足だと何秒かかる? 
 ようやく半分の距離まで詰めた辺りで、北高側から一台の乗用車が走ってきているのが見えた。あのひき逃げをやった乗用車だ。
いかん、思ったよりも俺の呆然としていた時間は長かったのか?
「キョン! あんた一体なにやってんのよ!」
 俺が全力で突っ走って息も絶え絶えになっているのに、俺の隣にはあっさり追いついてきたハルヒが大した疲労も見せずに
併走していた。だが、説明している暇も余裕もない。
 ハルヒは必死に走る俺の姿に勘づいたらしい、
「あんたまさか……!」
「その通りだ!」
 俺はそう言い返すと、震え始めている足をさらに加速させた。乗用車はすでに歩道へと割り込みを始めている。
 もう少し。もう少しで……!
 ぎりぎりだった。本当にぎりぎりのタイミングで俺はその男子生徒の身体をつかむ。目の前に迫る乗用車に呆然としていた
男子生徒はあっさりと俺の腕に全く抵抗することなく身体を預けた。
 俺は悲鳴を上げる足首を完全に無視して、車道側へと大きく飛び跳ねる。
 その刹那、乗用車が俺と抱えている男子生徒の数センチ横を通り過ぎていった。
 回避した。間一髪のところでこの男子生徒のひき逃げを阻止することに成功した――
 だが、甘かった。歩道は車道の反対側は壁になっていたため、とっさに車道側に飛び跳ねてしまったが、
狙ったかのように俺たちの前に後続車である大型の引っ越し屋のトラックが迫っていた。
 嘘だろ。せっかく避けたってのに、なんてタイミングが悪いんだよ――
 
 俺は観念して次に来るであろう全身への強烈な衝撃に備えて目を瞑った。
 痛みはすぐに来た。しかし、全身ではなく俺の背中に誰かが思いっきり蹴りを入れたようなものだった。
その衝撃で思わず男子生徒が腕から抜けてしまっていることに気がつく。あわてて目を開いて状況を確認しようとするが、
その前に路面に身体が落ちたらしく勢いそのままに身体が転がり続け、固い何かが俺の背中にぶつかってようやく回転が止まる。
 痛みと衝撃に耐えながら目を開けて振り返ると、俺はさっきまで歩いていた歩道の反対側のそれの上にいた。
背後には電柱がある。こいつのおかげで止まったのか。
 だが、助けた男子生徒はどこに行った? それを確認すべくあたりを見回すと、俺のすぐ目の前を滑るように
ハルヒが着地するのが目に止まる。勢いを減速するかのように、両足でしばらく路面を滑っていたが程なく摩擦力により
その動きも停止した。見れば、ハルヒの脇には轢かれる予定だった男子生徒の姿もある。
 つまり最初の轢き逃げを避けた俺たちだったが、さらに今度はトラックにはねられそうになったのを、
ハルヒが俺を蹴飛ばして逃がし男子生徒をつかんでかわしたってことか。あの一瞬でそれをやってのける――しかも、神的パワーを
使った形跡もなくできるなんて心底化け物じみているぞ、こいつは。
 ハルヒはすぐに俺の元に駆けつけ、
「大丈夫、キョン!? 無事!?」
「あ、ああお前に蹴られたのが一番いたかったぐらいだ」
 俺は別に抗議したつもりじゃなかったが、ハルヒは顔をしかめて脇に抱えた男子生徒――どうやら気絶しているらしい――を
さすりながら、
「仕方ないじゃない。あんたとこいつ、二人を抱えるのは無理だったんだから。助けてもらった以上、礼ぐらいは欲しいわね」
「ああ、すまん。そしてありがとな、ハルヒ」
 ハルヒはアヒル口でわかればいいのよと、男子生徒を歩道の上に寝かせる。やがてこの一瞬の大アクション劇に、
一方からは惨劇寸前だったための悲鳴と、見事な救出劇に対する拍手喝采が起きていた。
やれやれ、これでしばらくは注目の的だな。
 だが、ハルヒはぐっと俺に顔を近づけ、
「あんだけ慎重に使えって言ったのに……使ったわね? 予知能力」
 あっさりと見破ってくる。
 仕方ないだろ。目の前で事故が起きようとしているのを阻止するのは、一般常識を持った人間なら当然の行為だ。
 だが、ハルヒは納得していないのか、何かを問いつめるように言おうとしたがすぐに口をつぐんだ。代わりに、背後を振り返り
北高生徒たちが並んでいる歩道の方へ視線だけを向けた。そして言う。
「とにかく! この件の続きは後で話す。今は一切余計なことをしゃべらないで。事後処理に努めなさい。多分もうすぐ
警察や救急車も到着するだろうから」
 ハルヒの言葉には強い警戒心が込められていた。それもそのはずで、俺たちを見ている北高生徒たちの中に、
あの朝倉涼子と長門有希――情報統合思念体のインターフェースの姿があったからである。やばいな、救出劇を切り取って
今の俺の行動を見てみれば、明らかに俺は不審な行動を取ったと誰でもわかることだろう。ハルヒはこれ以上のボロを出すなと
言っているんだ。
「それから、恐らく朝倉あたりはあんたに接触してくるはずよ。やんわりと予知したんじゃないかみたいなって事を言ってね。
学校についてそれを言われるまでにきっちり納得できる説明をでっち上げて起きなさい。いいわね」
 ハルヒは俺の耳元にさらに口を寄せて話した。
 
 程なくして誰かが通報したのだろう、救急車のサイレンがけたたましくこちらに近づいてくるのが聞こえてきた――
 
◇◇◇◇
 
 俺とハルヒは警察とかの事情聴取――逃走中の乗用車の特徴・ナンバーは見ていないかとか――をようやく終え、昼休みに
自分のクラスの席に座ることができた。助けた辺りの状況についてはハルヒがうまい具合にごまかしてくれたおかげで、
予知能力についてボロを出さずに乗り切ることもできた。
 ハルヒは程なくしてどっかに出て行ってしまうが、俺は机の上に弁当を取り出してとっとと昼食を取ってしまおうとする。
そこにここ一週間ぐらいでぼちぼち話す頻度も増えてきた谷口が国木田を伴ってやって来て、
「おいキョン、何か今朝は大変だったみたいだな」
「ああ、事故に巻き込まれて散々だった。ま、けが人もなくてよかったけどな」
 しかし、谷口はどっちかというと事故よりも別のことについて興味津々らしい。突然にやついた表情に
フェイスチェンジしたかと思えば、
「ところでよー。お前涼宮と一緒に朝登校しているらしいんだってなー。まさかお前らつきあってんのか?
いや、そうでないと説明がつかねーよなぁ?」
「何でそんな話になるんだ。別にあいつと付き合っている訳じゃねぇよ。ただ一方的に振り回されているだけだ」
 だが、俺の反論を完全に無視して今度は国木田まで、
「キョンは昔から変な女が好きだからね。そう言えば、彼女はどうしたんだい? てっきりあのまま続くと
ばっかり思っていたんだけど」
「なにぃ!? お前二股してんのかよ!? 許せねえ奴だ。今すぐ俺が成敗してやる」
「違うって言っているだろうが。国木田も誤解を招くようなことを言うんじゃない」
 勝手な妄想を並べて推測のループに突入する二人を諫める俺だが、こいつら全く俺の話に耳を傾けるつもりがねえ。
 しかし、この世界でもあいつはいるんだな……一応、連絡ぐらい取っておくか? 俺の世界の時のように正月まで
放置っていうのもなんつーか後ろ髪を引かれる思いだからな。
 さて、ここで真打ちの登場だ。俺と谷口、国木田の馬鹿話の間に、あの朝倉涼子が割って入ってくる。
あいつもあの現場にいたから確実に何か聞いてくるだろう。
「あら、あたしもてっきりあなたと涼宮さんが付き合っているものばかりだと思っていたけどな。
毎朝一緒に登校してくるぐらいだし」
 それに対する反論はさっきしたばっかりだからもういわんぞ。
 朝倉はお構いなしに続ける。
「でも、実はあたしもあの現場にいたのよね。突然あなたが背後から走ってきたかと思ったら、突然すぐ目の前の男子生徒を
つかんで大ジャンプするんだもん。さらに、飛び跳ねた方に今度はトラックが突っ込んできたときはもうダメかと思ったけど、
涼宮さんが凄いファインプレーで二人を救出。まるで映画でも見ているようだったわ」
 いつもの柔らかな笑みを浮かべる朝倉。さてさて、そろそろ言ってくるかな。いいか俺。慎重にだぞ、慎重に……
 そして、朝倉は核心について話し始める。
「でも、どうしてあの男子生徒が事故に巻き込まれるってわかったの? あなたが走ってきたときには
はねようとした車に不審な動きはなかったわ。まるであなたは事故が発生するのをわかっていたみたい」
「へー、キョンって予知能力があったんだ。中学時代から付き合いがあったけど、知らなかったよ」
 国木田が言ってきたことは冗談めいているから相手にする必要なし。問題は朝倉の方だ。そのために、ハルヒの知恵も借りて
それなりの理由を事前に準備してある。
「最初に言っておくが、俺があの男子生徒を助けられたのは完全な偶然だぞ。俺は朝ハルヒに言われて宿題をするのを忘れていた
事に気がつかされて、あわてて学校に向かっていただけだ。一時限目のものだったからな。早く言って適当に
少しでもやっておかないとどやされるし。それで途中で突然自動車が突っ込んできたら、とっさに近くにいた生徒を抱えて
逃げようとしたんだよ。だから走っていたのは別に事故を回避するためじゃない。まあ幸い――けが人がなかったからと言って
仮にも事故が起きかけたことを幸いって言うのもアレだが、警察の事情聴取とかで一時限目は出れなかったから、
宿題の問題は回避されたけどな」
「ふーん、ただの偶然だったって訳なんだ。だったらますますファインプレーよね。予測もしていないのに、あんな行動が取れる
あなたに脱帽しちゃう」
 これは嫌味なんだろうか。それとも正直な感想? 朝倉の変わらぬ笑みからは真意を読み取ることはできなかった。
ただこれ以上その件で追求するつもりはないらしく、それだけ聞き終えるとまた女子グループの中に戻っていった。
やれやれ、一応バレ回避はできたようだな。
 と、ここで谷口が俺の前に割り込み、
「そうだキョンよ、お前部活どうしたんだ?」
「ん、書道部にすることに決めた。いい加減オフクロからも汚い字を何とかしろって言われていたからな。ちょうど良いと思って」
 だが、谷口はお前が?と疑惑の視線を向けると、すぐに懐から一つのメモ帳をパラパラとめくり始めた。
そして、あるページを見てにやりといやらしい笑みを浮かべると、
「……なるほどな。キョン、お前の真意は読めたぜ」
 何がだ。
 国木田も不思議そうな顔で、
「何か良いことでもあるのかい、書道部にはいると」
「俺がチェックしたこのマル秘ノートに寄れば、書道部には女しかいない。しかも全員俺的ランクAA以上で、
その中には上級生では最高峰に位置する朝比奈みくるさんの存在もある」
「ああなるほど、キョンは部活と言いつつ可愛い女子目当てに入部したって訳か」
 おい待て。勝手に人の目的を捏造するんじゃない。俺はただ単にこの煮えたぎる文字という魅力に――
「んなことはいいから」
 あっさり人の抗議を無視しやがった。
 谷口はうんうんと頷き、
「確かにキョン、お前の見る目は間違っていない。あの書道部は美人揃いのパラダイスだ! ってなわけで俺も入部したいから
是非とも紹介してくれ」
「あ、それいいね。僕も混ぜてよ」
 おまえら。女目的で入部する気かよ。ハルヒとは違う意味で習字をなめるなと言ってやりたい。
 
 しかし、結局二人の熱意に押されまくり仮入部の紹介をしてやることを強制された辺りで、
「ちょっとキョン。話があるからこっち来なさい」
 そう教室の入り口から俺を睨んでいるハルヒに、話を中断された。
 
◇◇◇◇
 
 俺がハルヒに連れて行かれたのは、あの古泉と昼飯を食べていた非常階段の踊り場だった。
何のようかと聞くまでもない。今朝のことについてだろう。
「あんたね、あれほど言っていたのにあっさり切り札を使うなんて何考えてんのよ。残り一回は同じ事があっても
絶対に使わないこと。いいわね!」
 ハルヒはそう説教するように睨みつけてくるが、正直なところ今後も同じ事があった場合自重できるかどうか
はっきり言って自信がない。大体、目の前で人が死のうとしているのに、それを放置するなんていうのは
俺のポリシー――いや人としてのポリシーに反していると思うぞ。
 だが、俺の思いにハルヒは呆れの篭もった嘆息で返し、
「あんたね、ちょっとは考えてみなさい。確かに本当に目の前で息絶えそうな人がいたら助けるのは当然のことよ。
でもあんたは通常知り得ない情報を元にそれを実行しようとしている。それは一種の反則技だわ」
「命がかかってんだぞ。守るためなら反則だろうが何だろうがすべきじゃないのか?」
「じゃあ、その行為で確かに目の前で死ぬはずだった人は生き延びたとして、その結果別の人が事故に巻き込まれたらどうする気?
最初に死ぬはずだった人は、その死因を作った人間の責任になるけど、その人を助かったばっかりに死んでしまった別の人の死の
責任はあんたが背負うことになるのよ? その覚悟はあるわけ?」
 俺はその言葉にうっとうなるだけで反論できない。確かにその場合は、俺が責任を負うべきだろう。
助けたばっかりに別の人が不幸になる。十分にあり得る話なんだから。それはあまりに本末転倒な話と言える。
 しかし……しかしだ。
「だったら使いどころがわからねぇよ。どうすりゃいいんだ?」
「あと一回だけにしているから、使いどころは簡単よ。リセットを実行する必要が明らかに発生した場合のみ。
前回で言うと、町ごと核でドカンっていう事態が発生した場合ね。言っておくけど、前回は古泉くんが口を割ってくれたおかげで
助かったようなものよ。一歩間違えれば、あたしとキョンも巻き込まれて死んでいたんだから。
あくまでもそんな事態を回避する――その一点に絞りなさい」
 ハルヒの指示は明確でわかりやすかった。取り返しのつかない事態、そしてそれは個人の事情とかそんなのではなく、
ハルヒがリセットを実行するための助けとなる場合のみか。
 わかる。それはわかる。だけどな、
「でも、自信ねぇぞ。もう一度同じ事が起きた場合にそれを見て見ぬふりなんて」
「わかっているわよ。だけど――あんたしか頼れる人がいないの。悪いとは思っている……」
 ハルヒの言葉に、俺はどういう訳だか心臓が跳ね上がった。
 目線こそ合わせないが、ハルヒが俺に対して明確な謝罪を意思を示すのを目撃する日が来るとは思ってもみなかった。
それもこれも自分の能力のおかげで世界の危機に招いてしまっていることへの罪悪感――あるいは世界を救わなければならいという
使命感がなせる技か。
 これが力を自覚したハルヒ、ということなのだろう。全く俺の世界の脳天気唯我独尊傍若無人SOS団団長様が懐かしいよ。
 
◇◇◇◇
 
 翌日の放課後。
 俺とハルヒ+谷口・国木田コンビを連れて俺たちは書道部部室やとやって来た。すでに朝比奈さんや鶴屋さん、
その他部員たちは勢揃いしている。
 ハルヒは谷口たちがいることに最初は不平を漏らしていたが、やがてそんなこともどうでもよくなったのか、
昨日買ってきたばかりの書道部必須アイテムを使って、とっとと習字の練習を始めた。やれやれ、やる気全開だな。
 一方の谷口と国木田は朝比奈さんのお美しい姿にしばし鼻を伸ばしていたが、俺がとっとと仮入部の手続きをしやがれと
背中を叩いて促しておいた。全く、これから毎日こいつら――得に谷口の視線が朝比奈さんに向けられるかと思うと
気が気でならないね。
 ちなみに俺も一応入部したわけだから、この機会に字の練習をしておこうと道具を借りて練習していたわけだが、
 ――君の字には覇気がないな。まるで老人のようにくたびれていないか?
 そんな顧問からの痛烈な評価をいただいてしまった。まあ俺の悪筆は自分でもしっかり自覚しているから、
別にどうこう思ったりはしないんだが、こっそりと朝比奈さんにまで同意されてしまったのは、ショックだったのは言うまでもない
 そんな俺に谷口が腹を抱えて笑いやがるもんだから、ならお前が書いてみろとやらせてみたところ、
 ――君の字は煩悩でゆがんでいる。
 まさに的確な指摘に、部室内が大爆笑に包まれてしまった。当の谷口は口をへの字にして顔をしかめていたが。
だが、鶴屋さんの豪快なのわっはっは!という笑いに加え、朝比奈さんも可愛らしくクスクスと笑みを浮かべていたのを
見れたことに関しては谷口に大きく感謝しておこう。口には出さないがね。
 
◇◇◇◇
 
 そんな日々が一週間続いたある日のこと。
 俺とハルヒ、それに朝比奈さんは部活動を終えて下校の途に付いていた。すっかり日も傾き、周囲がオレンジ色に包まれている。
3人は和気藹々と談笑しながら――まあ、ハルヒは相変わらず朝比奈さんにことあるごと抱きつく・いじくりまわすなどの
破廉恥行為を加えながら――歩いていた。
「でも涼宮さんは凄いです。入ったばっかりなのに、もう他の部員の人たちと同じレベルになっているんですから。
顧問の先生もあと今のペースで旨くなっていけば、あと一ヶ月もかからないうちに完璧な作品が描けるようになるって
言っているぐらいですから」
「当然よトーゼン! あたしは一番でないときが済まないの。それがあんな墨で字を書くだけの地味なものであっても
妥協は一切なし! 絶対にコンクールだろうが何だろうが一番を取ってみせるわ!」
 やれやれ。こいつのスーパーユーティリティプレイヤーぶりを発揮すれば、本気で書道家級に達しかねないから
なおさらたちが悪い。ま、こういう才能のある人物というのはどこかしら人格に欠点があったりするものだから、
ハルヒにぴったりと言えるかもな。いや、ハルヒは最低限の常識はきっちりわきまえているから、真の意味での芸術家には
なれなかったりするのか? よくわからん。
「それに比べてキョンや谷口の成長しないことったらもう。あんたたちやる気あるわけ? 国木田を見習いなさいよ。
あたしには及ばなくても着実に腕を伸ばしているわよ。あいつ、何だかんだできっちりやるタイプだから」
「お前と一緒にするな。ついでに部活動の目的を完全にはき違えている谷口とも一緒にしないでくれ、マジで」
 俺とハルヒも朝比奈さんに近づくという点では、谷口と大差ないように見えるかも知れないが、あいつは煩悩100%で
入部したんだから根本が完全に違う。大体、一応まじめに練習している俺とは違って、ぼーっと女子部員の姿を
鼻の下伸ばして追いかけている時点であいつは論外と言っていい。
 ……まあ、朝比奈さんに関してはそのお姿をフォーエバーな視点で見つめていたいという気持ちは、大きく同意しておくが。
「そう言えばみくるちゃん。今日は部活に遅れてきたけどなんかあったの?」
「ふえ? え、ええっと大したことじゃないんですけど、クラスで用事があったので……」
「ふーん」
 聞いてみたものの、どうでも良さそうな返事を返すハルヒ。
 そういや、珍しく朝比奈さんが部活に遅れて顔を出していたな。まあ、ここの書道部は体育会系みたいに
時間厳守だとかそんなのはないからとがめられるような話ではないが。
 そんな話をしながら、俺たちは長い下り坂も中盤にさしかかった辺りで気が付く。この下り坂の終着地点には
自動車通りの多い交差点があるんだが、そこの歩道で一人の北高男子生徒が中年ぐらいのおっさんと言い争いをしている。
なんだトラブルか? 若いから血の気が多いのは結構だが、マスコミ沙汰にするのは止めろよ。学校の評判――ひいては
生徒たちの迷惑になるからな。
「ん? アレってこないだ助けた男子じゃないの?」
「なに?」
 ハルヒの何気ない一言に俺は目を細めてそいつの姿を追う。しかし、俺には北高生徒ぐらいしか判別できないぞ。
一体どんな視力をしてんだ、お前は。
「これでも視力には結構自信があるのよね」
 フフンと得意げに胸を反らすハルヒ。まあ、ここでハルヒが嘘を言う意味なんて無いし、そういう事はしない奴だから、
あれはこないだ助けた男子生徒なんだろう。何をやっているんだ?
 しばらくするとケンカ別れするようにその男子生徒は悪態を付きながら、横断歩道を渡ろうとする――いやまて!
今、その横断歩道の信号は赤だぞ。しかもでかいトラックが接近中だ。
 しかし、男子生徒も危うくそれに気が付いたようで、飛び跳ねるように歩道まで戻った。あぶねーな。
一歩間違えれば俺が何で助けたのかわからなくなったところだった。
 だが、まだ終わりではなかった。驚いたのに合わせて、さっきの言い争いによるイライラ感が増幅したのか、
近くにあった時速制限の標識――数メートルの高さに丸い奴がくっついているアレだ――を思いっきりけっ飛ばした。
なんだあいつ、実は素行の悪い野郎だったのか?
 それが仇となった。蹴ったことにより少しイライラが解消されたのか、そいつはまた横断歩道の前に立ち、
信号が青になるのを待ち始めた。そこでそいつは気が付いていなかったが、俺の場所からはあることが見えた。
けっ飛ばした時速制限の標識が不自然に揺れ動き、めりめりと音を立てて男子生徒の方に倒れ込んできたのだ。
しかも、ギロチンか斧のように標識が盾となった状態で襲いかかる。そういや、犬のションベンで標識やミラーの根元が
腐食して勝手に折れたという事故を聞いた憶えがある。
 その音に気が付いたのか、男子生徒がちょうど振り返ったのと同じタイミングで、そいつの真正面を標識が通過した。
豪快な音を立てて、標識が歩道の上をバウンドする音が耳をつんざく。
 俺は息を呑んだ。あの重さのものが頭や身体に接触すればただでは済まない。最悪命を落とす可能性も……
 ふとそいつがあまりのことに驚いたのかふらふらとおぼつかない足で動き始めた。一瞬こちら側を振り返った姿を見ると
本当に数ミリ程度の誤差で身体には触れず、制服の腹の部分が避けているのが見えた。どうやら無傷らしい。
なんて運の良い奴だ。
 だが、相当驚いたようで錯乱状態になって千鳥足で事もあろうか車道に侵入して、そこに通りかかったトラックに
ぶつかってしまう――とは言っても、正面からではなく走っているトラックの側面に男子生徒の方から接触したと言った方がいい。
そのため致命傷にはならず勢いでくるくると回転して車道に倒れ込んでしまった。
 そこに今度は普通の乗用車が突っ込んでくる。
「きゃあ!」
 誰かの悲鳴が聞こえてくる。恐らく近くを歩いていた通行人のものだろう。このままでは自動車にはねられる――
 キキーッとタイヤの鳴く音が一面に広がった。運転手が必死にハンドルを切りブレーキをかけたため、あと数十センチの
というところで男子生徒を轢かずに停止した。
 まさにぎりぎり。危機一髪。もうどんな言葉を並べても表現しがたい状況だろう。死の危機の連鎖をあの男子生徒は
全て乗り切ったのだ。
「……よかった」
 ハルヒの声。俺たち3人とも気が付かないうちに立ち止まり、それを見つめていた。
 男子生徒はようやく正気に戻ったのか自力で立ち上がり、ふらふらと歩道の方へ戻っていく。やれやれ。
自分のことでもないのに寿命が何年分も縮まったぞ。勘弁してくれよ。
 ――がちゃん!
 突如不自然な金属音が辺り一面に広がった……
 俺もハルヒも唖然として固まる。
 男子生徒がふらふらと立った歩道。突然、そこに鉄の板が降ってきたのだ。見れば、男子生徒の正面にあったビルの屋上に
あった看板がなくなっている。
 ……つまり突然看板が落下して、男子生徒を押しつぶした。これが今目の前で起きたのだ。
 そこら中から悲鳴が巻き起こった。度胸のある数人の通行人が男子生徒の無事の確認、あるいは救出のために
落下した看板の周りに集まってくる。中にはすでに携帯電話で救急車の手配をしている人もいた。
 だが、もう無理だろう……看板の周囲には漏れだした男子生徒のおびただしい血液が広がり始めていたんだから。
 俺はこの結果を見ても、決してハルヒにもらった予知能力を使おうとは思わなかった。昼間に受けた説教のためじゃない。
次々と襲ってきた危機からとどめの一発まで完全に二分を超えていたからだ。つまり今二分前に戻っても、
もう惨劇の序章は開始されている。しかも、場所が離れているためどうやってもまにあいっこない。
 ここで俺ははっと気が付いた。呆然としているハルヒはさておき朝比奈さんがこんな過激なスプラッタ劇を見たら、
卒倒すること相違ない……
 だが。
 朝比奈さんは何も反応していなかった。
 うつろな目でその惨劇の現場をただじっと見つめているだけで。
 
 
 ~~涼宮ハルヒの軌跡 未来人たちの執着(中編)へ~~
 

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最終更新:2015年11月14日 18:42