※このお話は『江美里の一番黒い夏』の後日談です※


 秋というのは、いい季節だ。暑すぎもせず寒すぎもしない。それは春も同様だが、俺には陽気に夏へと向かう春より、穏やかに暮れていく秋の方がどうやら性分に合っている。
 そんな益体もない事を考えつつ、両手をポケットに突っ込んで壁にもたれ、街並みに遠く沈んでいく夕日を眺めながらタバコを燻らせていると。横合いからギギッと金属製の扉の軋む音がした。


「おや、いつになくアンニュイな面立ちで。落日に詩心でも動かされましたか?」


 何気ない風で、そのくせやたら鼻につくセリフだ。確か去年の文化祭ではクラスで演劇の出し物なんぞをやっていたと思ったが、普段からして演技じみているんだよなこいつの言動は。


「風流を愛でるのは結構ですけれど。学校での喫煙行為は感心しませんね。誰かに見咎められでもしたらどうするつもりです?」
「ふん。施錠されている屋上に、わざわざ合鍵を調達して上ってくるなんざ、どうせまともな人間じゃない。腹に一物持っているような奴に決まっている」


 開いた携帯灰皿に白んだタバコの先をトントンと落としつつ、俺はこの場に現れた優男をねめつけた。


「違うか、古泉?」


 問われて、古泉は微笑のまま大きく肩をすくめ、俺の左隣の壁に背を預ける。携帯灰皿をポケットにしまい、無言のままタバコの箱を奴に向かって突き出すと、古泉は一瞬迷う表情を見せたものの、結局その内の1本を抜き取った。


「ほう、今日はやけに素直じゃないか」
「ええまあ。あなたとこうしてのんびり語らう機会も、もしかするともうあまり巡ってこないかもしれませんからね」


 放ってやったライターを片手で受け取りながら、古泉はそんな事を言う。俺はぷかりとタバコを吹かして、また夕暮れの赤に向き直った。


「そうだな。生徒会長としての任期が切れれば、俺はひとまずお役御免だからな」


 何気なく呟いて、俺は前を向いたまま、ひゅっと左の裏拳を古泉の顔面目掛けて振り抜いた。片手で風除けを作りながらタバコに火を付けていた古泉にしてみれば、それは完全に不意打ちだったはずだ。だが。
 パシンという乾いた音。右手で難なく俺の手首を掴み止め、拳骨をすぐ目前に見ながら、くわえタバコの古泉は先程までと変わらぬ微笑を浮かべていた。


「なんです? 根性焼きでもしたいんですか、いまさら?」
「ああ、いまさらながらに思い返していたのさ。ちょうど1年ほど前か、この屋上でこうして今みたいに、涼しい顔をしたお前にコテンパンに叩きのめされてから――
 俺の忌々しい会長生活が始まったんだ、とな」

 


 

「てめえッ…どういうつもりだ!」


 いかにも不良が吐きそうなセリフをまんま吐く、俺の視線の先で。クソ生意気な一年坊主は困ったような笑顔で、肩をすくめていた。


「申し訳ありません。僕としても、こういう荒っぽい手段は取りたくないのですが。しかしながら、これも上司の指示でして」
「上司だあ?」
「ええ。生徒会長となれば内申点などの進学面で非常に有利なはずですし、金銭面でも好条件を出しているにも関わらず、あなたはどうしてもウンと言って下さらない。そう報告した所、森さんは………ああ、この人が僕の直属の上司なのですけれどね、僕にこう言ったのです」


『はん。なーにを手間取ってんのよ。
 そんなの世間知らずなガキんちょが突っ張らかってるだけじゃない。やたらと意地を張るくらいしか、世間にアピールする術が無いんだから。そーゆー子には現実ってモノをとっくり思い知らせてやればいーのよ。
 って事で古泉、その坊やに身体で教えてやんなさい。わたしたちが本気の大マジメで、世界平和の維持のためにこの作戦を展開してるって事をね。骨の1本2本までは許すわ。あ、でも顔はダメよ。会長選に間に合う程度に取っちめてやる事ね』


「…とまあ、そんな次第でして」


 眉間の辺りに指先を当てつつ、古泉はハァと重く嘆息した。どうやら奴にとって、その森とかいう上司の指令は絶対らしい。オカルト教団まがいの組織に属しているようだから、それも道理かもしれないが。
 だがまあ、そんなのはどうでもいい事だ。俺にとって肝心なのは、


「つまり何か、てめえは力ずくでこの俺を屈服させようってのか!?」

「ああ、平たく言えばそういう事です。話が早くて助かります」


 本当にありがたそうな顔で、こいつが頷いた事だった。まるで、気は進まないけれどその気になればそんなのは造作も無い、とでも言うように。
 当然俺のこめかみの血管は、もう破裂寸前だ。っの野郎、いちいち人の神経逆撫でするようなセリフをべらべら並べ立てやがって!


 ぶっちゃけこいつの何もかもがムカつくが、何よりムカつくのは、この古泉とかいう一年坊主の余裕っぷりが全然フカシじゃねえって事だ。ついさっき、俺はこいつに右腕を後ろにねじ上げられ、完全に肘関節を極められていた。それはもう、全く身動きが取れないほどに。だが、こいつはそこで自分から技を解いたんだ。
 今もまだ、右腕には痺れるような痛みが走っている。あと1センチでも捻られれば、俺の腕はおシャカになっていたかもしれない。そんな状況に俺を追いやっておきながら、まるっきりそんな事は忘れたみたいに爽やかな笑顔を浮かべてやがるんだこいつは!


「クソがッ! あんまり人を舐めてンじゃねえぞ!」

 



「あの後、俺が何回このコンクリートの床を舐めさせられた事か」
「確か、5回でしたかと。故事でいう七縦七擒に比べれば、物分りがよろしい方ですよね」
「俺はどこぞの南蛮王かよ。
 ったく、こっちもケンカにはそこそこ自信があったってのに、てめえは汗ひとつかかずこの俺を一方的にぶちのめしてくれやがって。おかげであれから数日は、悔しさで夜も眠れなかったぜ」


 あからさまに語調に棘を含ませてみても、隣のこいつはやはり微笑のままだった。

 

「ふふ、あなたも一高校生としては、なかなかの度胸と腕前をお持ちだと思いますよ?
 しかしながら、僕たちは日常的に“当たると死ぬパンチ”を掻い潜っているものでして。“当たると痛いパンチ”相手なら、割と冷静に対処できてしまうのですよね」
「ちっ。常在戦場のお前らから見れば、俺など所詮シロウトか」
「そんな所です。でも本音を言えば、こういう荒事に慣れていくのは個人として、少々悲しく思うのですけれど」
「さっきも俺の不意打ちを難なく止めといて、何をほざきやがる。
 だが、まあいい。あの時、俺の鼻っ柱をへし折ってくれた事を、今はむしろ感謝しているくらいだからな」


 はー、と長く白い煙を吐く俺の横顔を、古泉はまじまじと見つめた。


「そんなにも面白かったですか、生徒会での活動は」
「ああ。そうだ、面白かった。
 森さんの指摘は、口惜しいがまったく的を射ていたんだろうよ。それまでの俺は斜に構えて世の中をひねた目で眺めているだけの、ただのガキだった。お前らの要請を受けて生徒会長になってから推し進めた改革やら何やらも、所詮は涼宮ハルヒの敵役としての存在感を得るための人気取り、パフォーマンスさ。
 ――そのつもり、だったんだがな」


 新しいタバコに火を点ける。安物のライターの炎が風にはためき揺れる。


「思いがけない感謝と賛辞。俺の指図に従って動く部下たち。寄せられる信頼と期待の声。
 わずらわしく、重苦しいと決め付けていたそれらが、しかし次第次第に俺の心に充足となって積み重なっていった。今ではあの生徒会室、そして会長の席が、この俺の居場所だとさえ思える程にな」

 

 俺の独白に古泉も、ふーっと口から白煙をたなびかせた。


「分からないでもありません。『政治こそは男子の至上の楽しみ』という言葉もありますしね。自分の改善提案によって、皆の生活がより過ごしやすく変わっていく様を眺めるのは、それこそ痛快の極みというものでしょう。
 …しかしながらこちらが思っていた以上に、どっぷりとハマってしまわれたようですね。この春のいつぞやの日には、ミイラ取りがミイラにならないようにと、わざわざ念を押しておきましたのに」
「嘲うか?」
「いえいえ、僕にその資格はありません。実を言えばこの僕も、今では『機関』よりSOS団の副団長の座の方が居心地が良いかも、なんて思ったりしてますから」
「ふっ、お互いミイラに取り込まれたクチか」


 一瞬、俺たちは視線を交わし、それからむせぶようにクックッと笑った。そうしてひとしきり笑った後、俺は改めて古泉に話の口火を切った。


「だからこそ、だ。いいか古泉、最後の大一番、俺は手を抜いてやるつもりはさらさら無いぞ」

「はて、何の事です?」


 相変わらずの微笑を湛える古泉を、俺はあからさまに睨みつけてやった。


「とぼけるな。あれだけ手間暇かけて俺を生徒会長に据えておきながら、それを易々と退陣させるか? 俺がお前なら、最後に勝負のコマとして大いに利用するぞ」
「勝負、ですか」
「いかにも涼宮が張り切りそうな響きだろう? そう、奴の退屈を紛らわすには打ってつけのイベントのはずだ。“次期生徒会長選”というのはな」


 にやりと口の端を吊り上げながら、俺は言葉を続ける。


「こっちは、俺の子飼いの部下を候補として擁立する。事実上、現生徒会とSOS団の一騎討ちになるだろうよ」
「なるほど、涼宮さんを次の生徒会長に? それはなかなか興味深いアイデアですが…」
「だから、すっとぼけるなって言ってんだろうが、古泉」


 ふん、と俺はひとつ鼻を鳴らしてみせた。


「俺だってこの一年、ぼーっと会長やってた訳じゃないんだぜ? お前の目論見くらいお見通しだ。
 最初っから、お前はあのキョンとかいう小僧を生徒会長に祭り上げる魂胆だろうが。ああ?」

「おやおや。なぜそう思われるのです?」


 わざとらしく訊ねてくる古泉に、俺もわざとらしく人差し指を1本突き立てながら、これに応じてやる。


「まず第一に、生徒会ってのは地道で継続的な仕事だ。拘束を嫌う涼宮にとっては会長就任のメリットより、押し付けられる責任の方を重荷に感じるだろうよ」
「それは同感ですね、生徒会というのは学校を代表する組織ですから。
 SOS団ならば多目に見られても、生徒会長となると立場上許されない。そんな事柄も多くなるでしょうし」
「だが、これまでSOS団を目の仇にしてきたこの俺を相手に公然と決着を付けられるとなれば、おとなしく引っ込んでいる涼宮じゃあ無い。
 となれば、自分の部下を神輿として担ぎ上げるに決まっている。あのヘッポコ映画で主演じゃなく監督を務めたようにな」
「ふふ、涼宮さんは団員の栄達をも広く考慮されるお人ですからね。それで彼が候補に上がりますか。なるほど、これは一考の余地がありそうだ」
「一考? 馬鹿を言え、必須だろう」


 あご先に手を当てて考え込む素振りの古泉の隣で、俺はひらひらと手を振ってみせた。


「あの小僧を、涼宮と同じ大学へ進学させるためにはな」
「…………」

「忘れたとは言わさんぞ、古泉。なにしろこれは、俺を前回の会長選に立候補させるために、お前がその口から喋った事だ。
 こと大学受験において、学力自体は勉強法次第でなんとかなるかもしれん。だが問題は内申点だ。こればかりは1年やそこらではどうにもならん。
 そう、真面目に授業を受けていた訳でもなく、部活動で目ざましい成績を挙げた訳でもなく、皆勤賞を狙える訳でもない。そんな人間にまともな内申点など望めようはずがないんだ。小ズルく立ち回って補導歴の無いのだけが取り柄の、俺みたいな奴にはな」
「おおよそ、そうでしょうね。でも大逆転の裏技がひとつあります。それは」
「生徒会長の職を、1年間勤め上げること」


 言い捨てて、俺はまた肺にタバコの渋味を吸い込んだ。


「なにしろ生徒会長は、一年で一校につきただ一人だけだからな。
 なんだかんだで、日本はまだまだ信用社会だ。大学進学、ひいては就職活動においても、生徒会長を務めていたというだけで実績に箔が付く。
 …ぶっちゃけ、あのキョンという小僧の成績は良くないんだろう?」
「今の所、芳しくはありませんね」
「対して涼宮の成績は全国クラス。となれば、普通は同レベルの大学への進学など全く考える余地も無い。そのはずだ、普通はな。だが、もしも奴の内申点を大きく底上げする事が出来たなら…」
「可能性は飛躍的に高まるでしょうね。むしろ涼宮さんはあなたに勝つ事より、そちらのメリットに主眼を置くかもしれません。彼にとってまさしくそれは、起死回生の大チャンスと言えるでしょうから」


 わずかに苦笑の混じった笑顔でそう応じる古泉に、俺は胸のすく思いで告げた。


「涼宮の思惑など、どっちでもいいさ。重要なのは、あの女にとっての立派な大義名分があるかどうかだろう?」

「フフッ、そうですね。
 『将来のために生徒会長になりなさい! あたしも協力してあげるから!』とは、彼女もなかなか言えないでしょうが…。
 『あの会長が卒業する前に、一発ギャフンと言わせてやるのよ! あんたも団員として協力しなさい!』 という事なら、涼宮さんとしても面目が立つでしょう」
「そういうこった。あの脳内花畑女の自己顕示欲と実益とが、一度に満たされる。こんな美味しいイベントを、古泉、お前が見逃すはずがあるか」


 俺の問い詰める眼差しに、しかし古泉は、まだ曖昧な笑顔を浮かべていた。


「それで? あなたとしては次期会長選を舞台に、我々に真剣勝負を挑まれると?」
「さっきからそう言っている。俺は執念深いんでな、いつかお前には一泡吹かせてやろうと考えてたのさ。
 腕っぷしじゃやはり敵わないってのは、さっき確認させて貰った。だが、政治的な駆け引きならこっちの方が経験値は上だ。生徒会長に就任するに当たって、森さん新川さんからも散々マキャベリズムを叩き込まれたしな」
「なるほど、今度は自分の土俵で勝負しようという訳ですか。賢い選択ですね」
「そういうキャラに仕立て上げたのは、お前らだろうが」


 なじるような口調で言い放つ。すると古泉の奴はその鉾先を逸らすように、笑顔で両腕を広げてみせた。


「ふふっ、これは1本取られてしまいました。
 でも会長選本番では、そうは行きませんよ。あなたが今の生徒会に愛着を持っておられるように、僕たちもSOS団の結束には絶対の自信を持っておりますので。
 真剣勝負、望む所です。涼宮さんは勘の鋭いお方ですから、手抜きなどされては敏感に読み取ってしまわれかねませんし。むしろ万全の生徒会を蹴散らしてこそ、我々が勝利する意味があると言えましょう」

「ほう、言うじゃないか」
「あくまで涼宮さんと、それから彼がその気になったら、の話ですけれどね」


 けっ、この期に及んでまだ腹を割らないかよ。つくづく喰えない野郎だ。


「それは慎重にもなりますよ。あなたは打算と勝算のバランスを見極めるのが、非常に上手なお方です。
 加えて、今はカリスマ性もある。本心から申し上げて、まったく油断なりません。あなたと喜緑さんのコンビは、それだけでかなりの脅威と言えるでしょう」
「お前の世辞は聞き飽きてる。まんま受け取るつもりは無いぞ。
 それから一応言っとくが、情報操作だの何だので喜緑くんを頼るつもりも無い。あくまで俺の育て上げた現生徒会の力をもってお前らを一敗地にまみれさせなければ、俺の気が済まないからな」


 宣戦布告のつもりの俺の一言に、しかし何を思ったか古泉は目をしばたたかせ、そしてぷふっと吹き出すように笑い始めた。なんだこの野郎、人を馬鹿にしてんのか?

 ああ、ちなみに古泉の奴は俺と江美里が既に男女の仲だという事まで知っているが、とりあえずこいつの前では「江美里」という呼称は使わないようにしている。『機関』と情報統合思念体とやらはいまだ微妙な提携関係のようだし、その辺りの線引きはきちんとしておくに越した事はないだろうよ。


「これは失敬。いや、しかし安心しました」
「何がだ」
「『機関』の中には、あなたと喜緑さんの結託を危険視する考えもあるのです。まかり間違って宇宙人的パワーを悪用されでもしたら困りもの。その前に何らかの対処を検討しておくべきでは、とね。
 でも、どうやらそれは要らぬ心配のようです。大事になさっているんですね、喜緑さんの事を」
「………ふん」


 当然だろう。大事にしてやらなければ、それこそ俺の身がどうなる事やら知れたものじゃないからな。


「何を仰いますやら。そんな不安要素も承知の上で、彼女を口説かれたのでしょうに」
「知るか。成り行き上、そういう関係になっちまっただけだ」
「またそんな心にも無い事を。喜緑さんが聞いたら悲しまれますよ?」
「事実だから仕方がない。
 つか古泉、何を他人事みたいに話してやがる。彼女に注意しろと俺に警告してきたのはお前自身だろうが。超常の存在があなたのすぐ傍に近付いてきているようですから、どうぞお気を付けください、とか何とかぬかしてな」
「おや、そうでしたっけ?」
「都合のいい時だけ記憶を失くすんじゃねえよ。あの頃の俺は表面上こそ平静を装ってたが、内心じゃ戦々恐々としてたんだぜ?
 なにしろ相手は宇宙人だ。事実、人知れぬ間に生徒会の内部に入り込むという芸当を見せている。このままじゃいつ自分の記憶がいじくられるか分かったもんじゃないと、俺は生徒会のある放課後のたび、この仕事を引き受けた事を常々後悔していたくらいだ」


 薄煙を流すタバコを片手に、伊達メガネ越しに茜雲を見据えながら、俺は記憶の中に潜るように言葉を続けていた。


「だがある日、会議のお茶受けに桜餅の差し入れがあってな。その折に、俺はふと気が付いたんだよ。両手で持った桜餅を小さくかじっている喜緑くんが、こう目尻を下げて、ふわっとした笑みを浮かべている事に。
 普段は理知的すぎてどこか近寄りがたい向きさえあった喜緑くんの、しかしそれはどう見ても幸せそうな笑顔で――。
 何が宇宙人だ。美味い物を食べれば、自然と顔がほころぶんじゃないか。そう思うとやたら身構えて、保身に汲々としている自分が、急にバカバカしく思えたのさ」
「ははあ、その笑顔にクラッと来てしまいましたか」
「馬鹿を言え。それですぐに警戒を解くほど、俺も甘ちゃんじゃない。
 甘ちゃんじゃないがしかし、一度偏見を取り払ってみると、あれはあれで見ていてなかなか面白いんだ。時折さらっととんでもない失敗をしでかしてみたり、その事を後でからかってやると、妙にムキになって反論してみたり。そうしてなんだかんだと相手をしている内に、こう、いつの間にかだな」
「愛してしまっていた、と」
「ニヤニヤ笑ってんじゃねえよ気色悪い」


 ブン!と拳を振り上げてはみるものの、古泉はこの展開を察していたように、余裕で一歩身を引いていた。ええい、つくづく忌々しい。


「…だが、結局はそういう事なんだろうな。
 生徒会の会議中にちらりと横を見れば、そこでは喜緑くんが議事録を取っている。セーラー服の袖から伸びる白い腕、細い指から流れるように紡ぎ出される繊細な文字。わずかにあごを引いて目を細め、真摯にノートと向かい合うその姿勢、凛として清澄なたたずまいは、ちょっと同級生などには見当たらない代物でな。思わず会議を忘れて見とれてしまいそうになるほどだ。
 仕事に勤しんでいる女の姿には、どこか神々しい美しさがあるよな…。その辺が楽しみで生徒会に顔を出していた面も、まあ否めなくはないが」
「否めないも何も、ベタ惚れじゃないですか。お話を伺っているだけで僕は胸焼けしそうですよ。
 まったく、そちらの方面でもミイラ取りがミイラになってしまったようですね」


 呆れたと言わんばかりの口調で大きく肩をすくめてみせる古泉の仕草に、俺は今が夕刻で、何もかもが赤く染まっている事に安堵せざるを得なかった。


「うるさい、文句でもあるのか!?」
「とんでもない、照れ隠しに怒鳴らないでくださいよ」
「誰も照れとらんわ!」
「いやあ真面目な話、あなたのお陰で喜緑さんが良好な精神状態であるのは非常に喜ばしいのです。仲良き事は美しい哉。羨ましい限りですね。
 ああ、ご結婚の際にはぜひお声を掛けてください。『機関』関連のホテルやら何やらでよろしければ、格安でご用意させて頂きますよ?」
「胡散くせえ。どうせそれも涼宮がらみのイベントに仕立て上げる腹づもりだろうが」
「おや、バレましたか。ハハハ」
「ハハハじゃねえよ! だいたい何が『羨ましい』だ。お前だってその気になりゃ、女の一人や二人すぐにたらしこめるだろうに」


 何の気なしの俺の糾弾に、しかし古泉の奴は予想外に真剣な表情で、視線を床に落とした。
 
「それが、そうも行かないのです。詰まる所、僕にとって一番重要な存在は涼宮さんな訳でして」
「なんだ? お前、涼宮に惚れてたのか?」

「いいえ、そういう意味ではないのですけれど。さて、どこから説明しましょうか…。
 そうですね、これは仮想の話ですが。僕に彼女が出来たとしましょう。そして休日に二人してデートに出掛けたとします」


 はーん、仮想の話ね? どうも俺には実際の過去バナみたいに聞こえるが。


「しかし、そこで閉鎖空間が発生しました。『機関』の要請を受けた僕は仕方なく、彼女に詫びながらこの場を去ろうとします。ところがどれほど完璧な演技で、一分の隙も無い理由を告げようとも、彼女は何故か僕をこう問い詰めるのです。
 『ウソ! 本当は他の女の所へ行くんでしょ!? わたしよりそっちの彼女の方が大事なんだわ!』とね。あながち、その指摘は間違っていません。間違っていないから困るのです」
「…そういう事か」
「ええ。いずれにしても僕が超能力者である限り、どこかで彼女を騙さなければならないでしょう。そんな事を気に病むくらいなら、いっそ恋人など作らない方が気楽でいい――などと、そんな風に考えてしまう次第でして」


 こいつにしては本音っぽい呟きに。俺は半分ほどの長さになった2本目のタバコを深く吸い、ふーっと白煙を吹き出した後、古泉にこう言ってやった。


「くだらん。なんだそのアホみたいな理由は」

「はあ。くだらない、ですか?」
「実にくだらんな。俺に言わせれば、お前は最初の女につまづいたせいで臆病になっちまってるだけだ。なまじっか頭が切れる分、計算づくで恋愛をしようとするから自縄自縛に陥るんだよ、お前は」


 紫煙のくゆるタバコの先を古泉に向かってかざしながら、俺はしたり顔で、さらに畳み掛ける。


「どうせお前の事だ。超能力者である自分の苦悩なんて、きっとこの娘には分かって貰えないんだろうなとか、自分で自分の心につまらん垣根でも作ってたんだろうが。馬鹿め、そうして一歩引いているから些細な事で女に問い詰められたりするんだ。
 本気で惚れてたなら、『今は話せないけど自分を信じてくれ』くらいの事は言ってみせれば良かったものを」
「あの…ですからさっきのは、仮想の話で…」
「ま、おおよそ想像はつくがな。
 古泉。お前、女の方から告白されたろ? で、断る理由が特に無いんで付き合い始めた。自分としてはデート本なんかも読んで彼女を楽しませようと努力したつもりだったが、結局向こうから別れを切り出された」
「…………」


 ふん、この沈黙は図星だな。


「自分はそれなりに彼女を大事にしていたつもりなのに、どうしてだろうってか?
 タコが。いいか、恋愛ってのはタバコや酒と同じ嗜好品、酔わせてナンボなんだよ。その女も、自分のドキドキする感覚に一緒に酔ってほしいと、お前に願っていたはずだ。だが、お前は心のどこかで冷静なままだった。
 酒盛りの最中に一人だけシラフの奴がいれば、座は白けるに決まってんだろ。その女が『この人は自分と一緒に居ても楽しくないんだ』と思って身を引くのも、至極当然というものだ」

 

 すっかり押し黙ってしまった古泉の隣で、俺は前を向いたまま、ハーッと長ったらしくタバコの煙を吐いていた。けっ、こんな時にもこいつは顔に微笑を張り付けたままかよ。


「ったく、『機関』構成員の時は有ること無いこと平気で並べ立てるくせに、一個人の古泉一樹となると、気の利いたウソひとつ吐けやしないんだからな。そんなだから将棋でもチェスでも勝てないんだよ、お前は」
「ふふ、ここまで図星を指されると、むしろ気分が良いものですね。
 慧眼おそれいりました。しかし、これではあなたの方がよほど超能力者のようだ。いつの間にそんな読心術を身に付けられたのです?」
「…そんな大層な物じゃない。お前と似たような奴を、少しばかり口説いた覚えがあるだけだ。
 『自分は普通の人間じゃない』と、心にそんな垣根を作って恋に臆病になっていた、意固地な女をな」
「なるほど、経験則に基づくお言葉でしたか。道理で含蓄がある訳だ。さすがに彼女持ちの方は仰る事が一味違う」


 乾いた笑みを浮かべながら、巧言令色を並べ立てる古泉に、俺はフンと不機嫌そうに鼻を鳴らしてみせた。


「ああ、そうだ。この一年で俺はずいぶん変わった。自分の居場所を見い出し、自慢の彼女も出来た。さっきのセリフも、だからこそ言えた事だ」
「…………」
「お前もこの一年で変わったんだろう? 『機関の古泉一樹』から『SOS団の古泉一樹』に。だったら今は別のアプローチの仕方もあるはずだと、俺は思うがな」


 俺が吐き捨てるようにそう言うと、古泉はきょとんと目を丸くし、そしてクックッと愉快そうに笑い始めやがった。おいコラ古泉てめえ、その笑い方は絶対人を馬鹿にしてんだろ!?


「あーいえいえ、滅相もありません。ただ、ちょっとビックリしてしまったというか、よもやあなたに励まされるとは考えてもみませんでしたので、つい…。ふふっ、恐縮です」
「だ、誰が貴様なんざ励ますか!」
「いやあ、あなたの金言、胸に染みましたよ? 確かにこの一年で、あなたはずいぶんと良い方向へ変わられたようで。友人として嬉しく思います」
「勝手に友人ヅラすんなッ! お前なんぞはただの腐れ縁だ!」
「おやおや、連れませんね。いっちゃん寂しいです」
「それ以上ほざくと張っ倒すぞ!?」


 言うより先に俺の左足は奴に向かって蹴りを放っていたが、古泉は当然のように笑顔でこれもかわしてみせる。ちっ、まったく胸クソ悪い野郎だ!


「つか、寂しいとかぬかすんならマジで彼女でも見繕え。でもって、これ以上俺に付きまとうな!
 そもそも、最初から自分が超能力者だと話せる連中から相手を選べばいい話だろうが。涼宮がパスなのはまぁ分かるとして、他にも朝比奈とか長門とか、いっそ森さんでも口説き落としてみたらどうだ、ああん?」
「いやあ、確かにそのお歴々は女性としてそれぞれに魅力的なのですが、やはり関係者がらみとなると、いろいろしがらみなどもありまして」
「つくづく面倒くさい奴だな。たまにはその場の勢いで突っ走ってみやがれ、むしろその方が良い目が出る事もある」
「おや、それもひょっとして経験談ですか?」


 身を屈めて、俺の顔を下から覗き込むように訊ねてくる古泉に、今度は俺が大きく肩をすくめる番だった。


「どうだかな。端的な事実を言えば、耳元で『息を荒くしている会長は、ちょっと恐いです…。でも、わたしの身体がそうさせているんですよね…?』などと震える声でささやかれれば、理性も頭のネジもどこかへすっ飛んじまうというだけの事だ。
 そうして真っ白になるような感覚も、たまには悪くない。大体メシでも何でも、他人に奪われたくない物はさっさと自分で喰ってしまうべきだろうが。とりあえずツバを付けちまえば、後で何とでも――」
「あら。とりあえず、何ですって?」


 唐突だが、心臓というのが筋肉の塊であり、電気信号によって規則的に脈動しているという事を、諸君はご存知だろうか。普段、我々はそういった事をあまり意識したりはしないものだが、しかしこの時、俺はその事実を猛烈に意識せざるを得なかった。
 なにしろあまりのショックに俺の神経系統も混乱したのか、胸の奥で心臓がギクギクリとおかしな音を立てたからな。


「き、き、喜緑くん!? いつからそこに!」


 そう、いつの間にか古泉の向こうの物陰からひょっこり顔を出し、ごく自然に俺たちの会話に混ざっていたのは。セーラー服のスカートの前にちょこんと両手で学生鞄を下げた、喜緑江美里だったのだ。
 っておい、嘘だろう!? 確かに俺は古泉との無駄話に気を取られてはいたが、しかし扉の軋む音も何も無く…。いや、そんな事は問うだけ無駄か…。


「生徒会のお勤めの方は片付いたようですね、喜緑さん。いつもご苦労様です」
「いえいえ。もうそろそろ引き継ぎの準備をしておかないと、次期生徒会の皆さんが困ってしまわれますもの。これくらいは当然の事です」


 そんな俺の狼狽をよそに、口元に片手を添えた喜緑くんと、気が付けばちゃっかりタバコを揉み消していた古泉は、会釈なんぞを交わしつつ朗らかに談笑していた。


「そうですか。喜緑さんのテキパキとしたお仕事ぶりは、会長からもよく伺っていますよ」
「うふふ、でも資料を揃えるだけならともかく、後輩相手に指導要項を伝達するとなると、わたしもまだ慣れてなくって。
 その上わたしに面倒事を押し付けて、すぐに屋上で一服したがる誰かさんのせいで、ちょ~~~っとだけ余計に苦労はしていますけれど」


 凍りついている俺を放っぽって、なごやかに歓談を続ける二人。だが、目が笑っていない。おっとりした笑顔の喜緑くんの背中には、むしろ不動明王か何かが見えるようだ。

 まずい、これはどう考えてもまずいぞ!? あの古泉に対して先輩風を吹かせられる小気味よさに、ついつい口を滑らせてしまった! 『とりあえずツバを付けちまえ』は、明らかな失言だよな…。いや、まさかとは思うが『成り行き上、そういう関係になっちまっただけ』までも聞かれていたとしたら…?
 あー。や っ ち ま い ま し た か 、 俺 ?


「いやいや、実は会長からは涼宮さんの退屈を慰めるための、貴重な提言を受けていたのですよ。
 その上、僕の一身上の相談にまで乗ってくださって。非常にためになるお話を聞かせて頂きました。さすがは北高の頂点に立つお人ですよね。会長、お忙しい中をわざわざどうもありがとうございます」
「あー、いやその、うむ。この程度、別に大した事ではな…うあちゃっ!?」


 それでもどうにかこの場を切り抜けようと、平静を装いつつ古泉の美辞麗句に答えようとした、その矢先。燃えつきかけのタバコの熱が指に伝わり、俺は実に情けない声を上げてしまったのだった。くそ、厄日だな今日は!

 しかし、これぞまさしくケガの功名か。俺の失態に、喜緑くんは逆に怒る気が失せてしまったようで。


「まあ、大変! 会長ったら、高校生なのにタバコなんて吸っているから罰が当たったんですよ? ほら、見せてください。ヤケドになっていませんか」


 そう言って、今度は本物の柔らかな笑みを浮かべながら俺の手を取ったのだった。


「あ、ああ、大丈夫だ。そう大げさに騒ぐほどの事では…」
「でも、少し赤くなってますね。念のため保健室で手当てしておきましょう。さあ」


 言うなり喜緑くんは俺の手を引いて、屋上の扉に向かおうとする。むう、こいつも以前はもう少し控えめな性分だったような気がするが。この一年で、喜緑くんもやはり何かしら変わったという事なのか――。
 などと、感慨に耽っている場合では無い! 俺の腕を抱えるように掴んだ小柄な喜緑くんが、ずるずると当たり前のように俺の身体を引きずっていくではないか!?


「き、喜緑くん!?」

「はい、会長。何でしょうか」
「何というかその、この時刻ではもう保健教諭も居ないかもしれないしだな、つまり…」
「あら、それはむしろ都合がよろしいですね。うふふ」


 な、何だその笑みは? いったい何に都合が良いというんだ!?
 こここ、このままでは後でどんな目に遭わされるやら分かったものではない! おい古泉! 黙って見てないで俺を助けろ!


 ………視線であいつに懇願しようとした、俺が馬鹿だった。古泉のクソ野郎はいつの間にか脇に置いてあった俺の鞄を両手に取り、にこやかな笑顔でうやうやしくそれを差し出してきたのだ。ええい、ブルータス、お前もか!


「フフッ、あなたの宣戦布告は確かに承りましたよ。この件はいずれ、涼宮さんにご奏上する事といたしましょう。
 では、本日の協議はこんな所で。屋上の施錠は僕が責任を持ってやっておきますので、あなたは喜緑さんとどうぞごゆっくり☆」
「お、憶えてろよ古泉! 今日の借りも何もかも全部引っくるめて、会長選では必ずお前に吠え面かかせてやるからな! いいか、必ずだッ!」
「ほら会長、ジタバタしないでください」


 燃える夕日の中、ニヤケ面で手を振る古泉に向かって、腕を振り上げ口から泡を飛ばしながら。
 喜緑くんにもう片方の腕を引っ掴まれた俺は、ずるずるずるりと上履きとコンクリートの床との間に摩擦熱を生じさせつつ、放課後の屋上を後にしたのだった。




放課後屋上放談   おわり


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