第二十ニ章 ハルヒ
 
ビジネスジェット「Tsuruya」号は、滑走路に滑り込んだ。
機体が制止すると共に、お馴染みの黒塗りハイヤーが側にやってきた。
「とうちゃ~~く!さあ、客室の皆さんは、とっとと降りるにょろよ!」
通常の旅客機ならば1時間半は優に掛かる行程を、僅か50分でかっとんで来た「Tsuruya」号の搭乗口に立ちながら、客室乗務員姿の鶴屋さんは俺たちを促す。俺たちはぞろぞろと昇降口から滑走路に降り立ち、黒塗りハイヤーに向かった。だが、その前に。
俺は、昇降口に立ちこちらを見送っている鶴屋さんのところに駆け寄った。
「鶴屋さん?」
「何かなっ?」
「今回はご協力ありがとうございました。このご恩は一生忘れませんから」
「……良いってことさ。こんな事しか、あたしは出来ないからねっ!そんな事改めて言われると照れるっさ!キョン君もこれから頑張ってねっ!あ、それから」
鶴屋さんは、とびっきりの悪戯を思いついた子供のような笑顔でウィンクしながら、こう言った。
「ハルにゃんをよろしくねっ!もう離しちゃだめだぞっ!」
 
黒塗りハイヤーは俺と古泉、長門を乗せたまま高速道路を滑るように走っていく。運転手は新川さんだ。
以前俺が3日間入院していた『機関』御用達の病院が目的地だ。そこに、ハルヒはいる。あの時、駅で倒れ昏睡状態になったハルヒは、一旦ホテルに運び込まれたものの意識が戻らず、現在は件の病院に入院しているのだという。ハルヒの両親も、入院した当初は昼夜通して看病していたとの事だが、全く覚醒の兆しがない事から、最近では日中のみ、母親のみの付き添いになったと、古泉が説明してくれた。
「ということは、今行くとハルヒのお母さんに会う事にならないか?」
「そうですね。ではこうしましょう。緊急検査のためということで、涼宮さんを別の病棟に移し、そこであなたと涼宮さんを引き合わせる様に手配します」
「そっか。だが、俺がハルヒに出来る事なんて限られてるぞ。しかもアイツは意識がないんだろ?」
「大丈夫です。涼宮さんはあなたをずっと待っているのですから、必ず何らかの反応があります」
いつものスマイルで俺にそう断言した後、古泉はぽつりと呟いた。
「……悔しいですがね」
その言葉を忘れようとするように携帯を取りだし、いずこかへ電話する。多分、病院への手配だろうな。
高速から見える風景が、段々と馴染み深いものに変わってきたとき、ハイヤーは高速を降り一般道に入った。窓から見える風景が、懐かしい。あの引っ越しからもう1年経ったのか。ぱっと見は全く変化がないようにも見えるこの町だが、自分の記憶と違う部分もあちこちにある。僅か一年とはいえ、変わっていることを実感した。そんな俺の個人的な感慨を無視したように、ハイヤーは病院の裏口に滑り込んだ。
「こちらです」
先導する古泉の後を歩く俺と長門。既にハルヒは特別病棟の個室から検査室に移動しているとの事だった。
俺たちは一般入院患者や見舞客の目を避けるように、検査室とやらのある病棟に向かった。
「現在、涼宮さんの状態に変化はありません。身体、脳波共に異常ありません。ただ、未だに目を覚まされておりません。『閉鎖空間』も現状維持のままのようです」
「……現在、涼宮ハルヒに特別な異常は認められない。肉体的には全く正常。精神的な乱れも特に無い」
古泉の報告を長門が補強してくれた。分かった。あとは俺が何とかするしかないんだな。
「……そう」
「期待してます……ああ、こちらですね」
 
古泉が『第3検査室』と書かれたプレートが下がったドアを開けると、そこにはベッドに横たわるハルヒが居た。若干痩せた感じはするが、まるで眠っているかのようなハルヒの顔。しかし、その腕には点滴用のチューブが刺さり、長期間意識が戻らないという古泉の話を裏付けていた。
 
「……ハルヒ」
思わず俺は、目の前に横たわっている少女の名前を呼んだ。反応は、無い。
「ハルヒ、俺だ」
ベッドの脇の簡易なパイプイスに座り、ハルヒの手を取る。その手は冷たかった。
「戻ってきたぞ」
ハルヒの手が、以前よりも小さく細く感じる。
「そろそろ起きろ」
トレードマークのカチューシャは付けておらず、ベッドの脇に掛けられている。
「遅刻するぞ」
綺麗な寝顔。あの時見たロングヘアは短く切りそろえられ、見慣れたショートカットになっていた。
「今回の罰金はお前だからな」
 
そんな俺の行動を見ていた古泉と長門だったが、しばらくすると俺とハルヒから視線を外した。
「僕たちは、席を外します。後はあなたにお任せします」
「……頑張って」
そう言って退室する古泉と長門に、俺は目線で感謝の合図を送った。
 
まるで眠り姫のように微動だにしないベッドの上の少女。一年前にコイツに告白したときも、寝顔を見ながら色々考えていたっけ。少女の寝顔は、その時と同じで綺麗だ。ただ、目を覚まさないことを除けば。
いつの間にか、そんな少女に俺は語りかけていた。
 
なあ、ハルヒ。お前、いつまで寝てるんだよ?腕からチューブ生やしてさ……
しかも医者が異常なしって言ってるんだぞ?端から見てればギャグだぜ、これ。
そろそろ目を覚ましてくれないか?俺、お前に謝らなければいけない事が一杯あるんだよ。
古泉とお前のことを誤解してたこと。お前と同じ大学行けなかったこと。パーティをすっぽかしたこと。
それから、それから……
俺の言葉にも全く反応を示さないハルヒの手を握り、いつの間にか俺は泣いていた。
 
何が『神の鍵』だ。俺は、今こうやって目の前に横たわっているハルヒに、何にも出来ないじゃないか。
ちくしょう、ちくしょう……
 
どのくらい経ったのか。泣き疲れた俺は、涙を拭きながら改めてハルヒを見た。ハルヒは俺が入ってきた時と全く変わらない。華奢なその身を俺の前に横たえている。
 
ただ、一つだけ違いがあった。ハルヒが……泣いている?閉じられた両目から、涙が流れていたのだ。
 
反応してくれた!
 
俺はハルヒの頬に手をやり、耳元で呟いた。
「ハルヒ。俺はここだ。お前の側にいるから、早く起きろ。起きて、いつもの笑顔を見せてくれよ」
ぴくり、とハルヒの体が反応した。
未だ瞑ったままのハルヒの両目からは止めどなく涙が溢れ、その端正な口から譫言のような言葉が漏れた。
「……キョ……カキョン……んと…に……」
ハルヒ!気付いたのか??ハルヒ??俺は必死になってハルヒの耳元でハルヒを呼び続けた。だがハルヒは譫言を繰り返すだけで、一向に目を開けようとはしない。
「ハルヒ!ハルヒ!」
いくら耳元で叫んでも、目を覚まさない。ハルヒの口からは、意味の成さない譫言が流れるばかり。
 
「どうかしましたか?」
「……」
おそらく部屋の外で待機していたであろう古泉と長門が慌てた様子で入ってきた。ぶつぶつと譫言を繰り返し涙を流し続けるハルヒを見て、古泉は「担当医を呼んできます!」と廊下に走り出ていった。
「……涼宮ハルヒの体内反応の活性化を確認。体温上昇中」
まるで計測機器のように、正確に現状を報告する長門。
だが俺は、そんな彼らの行動など気にも留めず、ひたすらハルヒの耳元でハルヒを呼び続けていた。
 
『白雪姫って、知ってます?』
『Sleeping Beauty』
 
突然、頭の中にこの言葉がひらめいた。もう2年半以上前、初めてコイツの作った『閉鎖空間』に二人きりで閉じこめられたときに、脱出のヒントとなった言葉。朝比奈さん(大)と長門のヒント。
これか。これしかないか。
 
「……宮さん…反応を……っちです……」
開け放たれたドアから、古泉が医者を伴って近づいてくるのが分かる。俺のすぐ脇には長門がいる。
だが、かまうものか。
俺は、譫言を繰り返すハルヒの口を強引に自分の口で塞いだ。
ハルヒ、戻ってきてくれ……その想いと共に。
 
 


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