第二十四章 約束
 
「お疲れ様でした」
検査室脇の長いすに座って先ほどの事を思い出していると、古泉が缶コーヒーを持ってやってきた。
 
「どうぞ」
「おう、サンキュ」
今日2本目の缶コーヒーだが、旨かった。この時期は、やっぱり温かい飲み物に限るね。
 
「流石ですね、あなたという人は」
「……何のこった」
「いえ、我々……いやこれは『機関』だけではありません。長門さんですら為し得なかったことを、あなたはあっさりとやってのけたのですから。地球を代表して、お礼を申し上げます」
「……私は宇宙の代表として、あなたに礼を述べたい」
古泉は俺の前に立って深々と一礼した。俺が驚いたのは、長門もそれに合わせてお辞儀をしたことだ。
古泉の大げさな身振りと芝居がかった台詞回しには慣れていたが、長門がそれに付き合うとはな。

……待て、宇宙の代表?何のことだ?俺はただ、ハルヒを閉鎖空間から連れ戻しに行っただけだが?
「あなたには説明していませんでしたが、実は今回のことは宇宙的な危機だったんです」
「……そう」
 
ぶほ
 
……こら、そんな重要なことをさらっと言うな、さらっと。コーヒー吹いちまったじゃねーか。
驚いて固まっている俺をそっちのけで、古泉が喋りだした。
 
「涼宮さんの心が閉鎖空間に閉じこもってしまったこのひと月の間、涼宮さんの体の方は次第に衰弱してきていたんです。一応、まだ正常範囲内には収まっていたようですが、徐々に生命力が失われていったのは間違いありません。このままでは涼宮さんの肉体は、一年持たずに生命活動を停止してしまう可能性が高いと、長門さんに指摘されました。この世界は徐々に滅んでしまう、とね」」
 
「……我々情報統合思念体はもともと『肉体』という器を持たない。そのためこの概念を理解するのに時間が掛かった。有機生命体は『肉体』という器と『心』という精神情報の一対を持って成立する。従ってどちらか一方が消滅すれば、もう一方も消滅する。今回の場合、涼宮ハルヒの『心』が肉体から離れ『閉鎖空間』に閉じこもってしまったことが原因」
長門まで説明合戦に参加してきた。こいつら、実は妙なライバル意識を持ってないか?
 
「もしあなたが涼宮さんの説得に失敗すれば、完全にお手上げだったんです。それこそ『神の死』とでも言うべきでしょうか」
「……涼宮ハルヒの『肉体』が消滅した場合『心』が消滅するまでそれほどの時間は掛からない。その場合今までとは真逆の『情報爆縮』が起こる可能性が最も高い。その可能性は88.9899%」
あー、分かった分かった。まあ、とりあえず最悪の事態は免れたんだな?それさえ分かればいい。
 
手を振って、二人の説明合戦を中止させる。こっちは朝から難解な話ばかり聞いてきたんだ。ちょっと頭を休ませたい。てか、今日のところはもう勘弁してくれ。
「そうですか、分かりました。お疲れのようですし、何よりこの世を救ったヒーローにこれ以上負担をおかけするのも忍びないですしね」
「……そう。分かった」
残念そうに、長いすに腰を下ろす古泉と長門。
俺は、それとは入れ替わりに腰を上げ、廊下の窓から病院の中庭を眺めた。
 
中庭の、満開の桜の木が目を引く。ああ、そう言えばこっちはもう桜が咲いているんだな。桜の木の下に設置されているベンチの周りでは、面会に来た人と入院患者らが楽しげに談笑している。既に日が西の空に傾いてはいるものの、昼前までいた向こうあっちよりも遙かに暖かい。良い季節だな……
 
「って、ちょっと待て!」
「どうしました?何か重大なことでも?」
思わず声を上げた俺に驚いた古泉が、何事かと腰を浮かした。
 
「俺、どうやって帰れば良いんだ?」
「……今日はこちらにお泊まりください。宿も既に用意してありますし」
なんだそんなことですかと言わんばかりの顔で、古泉は答えた。
 
「今からではチャーター便の手配も間に合いませんし、後日ご自宅までお送りしますよ」
「後日??」
「ええ、涼宮さんの検査の結果が出て状態が安定するまでは、こちらでお過ごし下さい。久しぶりにこちらのご友人と会われるのも宜しいかと」
脳裏に谷口や国木田の顔が浮かんだが、慌ててそれを振り払った。
 
「いや、待て待て。来週俺は試験があるんだ。その……地元大学の2次募集の」
「ああ、そう言えばそうでしたね。では、明日にでもご自宅へお送りするよう、手配しましょう」
懐から携帯電話を取り出しながら、古泉は何処かへ姿を消した。
 
しばらくすると、いつものスマイルでこちらに戻ってきた古泉はこう言った。
「お待たせしました。明日の昼には、あなたをあちらへお送りする事になりました」
「……そうか。感謝するぜ」
ほっと胸をなで下ろした俺は、家族に連絡していないのに気付いた。ヤバイ!
 
急いで検査室の前から携帯電話通話OKの場所まで移動し家に連絡を取ったが、帰ってきた返事は予想通りだった。
お袋からは「来週試験なのに、遊び回っているとは良い度胸ね!」というおしかりの言葉。
親父からは「今回落ちたら、学費は自分で稼げ」という有り難い言葉。
そして妹からは「キョンくんずる~~い、自分だけ~~あたしも連れて行ってくれるって言ったでしょ~」という叱責の言葉。まあ、どれも予想範囲内ではあったがな。
とりあえず、明日には帰るからと答え、携帯を切った。
 
携帯を仕舞い込みながら、俺は先ほどの検査室まで戻る。ちょうど検査が終わったようで、医者と看護師が部屋から出てくるところだった。何やら古泉と話し込んでいる医者、あらぬ方向を向いて何かを呟いている長門を尻目に、俺は部屋に入った。
 
「キョン!ちょっと来なさい!」
ベッドの上に上半身を起こしたハルヒが俺を呼ぶ。既に点滴用のチューブも外され、頭の上にはいつものカチューシャが乗っていた。爛々と輝く瞳。面白そうなことを見つけたときの、あの目だ。
へいへい、何ですか団長様?
 
「あのさ、夢の中の約束、覚えてるわよね?」
……コイツあの夢の中のこと覚えてやがる。困ったな。さて、どうはぐらかそうか。
「は?何のことだ?夢の中の約束?普通それは約束とは言わんだろう?」
「何言ってるのよ。ごまかしてもダメなんだからね!」
「あー、悪い、お前の言っていることが理解できんのだが?」
「あたしの夢の中に出てきたアンタよ!あのアンタはあたしの夢の中の登場人物じゃないって言ってたわ!こっちに戻ったら、説明してやるとも言ってた。だから、早くアンタが説明しなさい!」
「あのなハルヒ。お前の夢の中の俺が何を言ったのか知らんが、そこまでは俺も責任取れん」
「……ふ~~ん、そう。ところでキョン、今日は何月何日?」
は?いきなり何言い出すんだコイツ?エイプリルフールにはまだ早いぜ?
何が何だか判らず、俺は今日の日付を答えた。
 
「そっか。じゃあ、あたしが倒れてからひと月以上経ってるのね?」
「もう、そのくらい経つかな」
あれ?頭の中で警報が鳴ってる?しかもデフコン1だ。え、何故?
「あたしと古泉君と有希と……佐々木さんは大学に合格して、アンタは落ちたんだっけ?」
「そうだな」と答えて、おれは悟った。しまった!嵌められた!夢の中でこいつに話したんだっけ。やばい。
愕然とする俺をにやにや笑いで睨め付けながら、ハルヒは止めの言葉を口にした。
「ひと月以上寝ていたのに、何故あたしはみんなの合否を知っているのでしょうか?答えなさい、キョン!」
『それはお前の夢だ。たまたま、現実もそうだったて事さ』……ハルヒを、こんな言い訳で納得させることが出来るわけもないわな。だからと言って『そりゃ、俺が夢の中でお前に教えたからだろ』なんて事は口が裂けても言えない。俺の動揺は最高潮に達した。
「え~~と、そ、それはだな……」
 
「睡眠学習」
「は?」
「え?」
いきなり俺の隣から声がした。何時の間にそこにいたのか、長門が俺とハルヒを漆黒の瞳で見ていた。
 
「ちょっと有希!もう少しで謎が解けるところなんだから、変な冗談言わないで!」
「冗談は言っていない。私があなたに施していた睡眠学習の成果と思われる。彼は何も関知していない」
「……どういう事?」
「あなたが眠っている間、治療方法の一環として私はあなたに北高卒業式の模様やSOS団メンバーの大学の合否のことなどを音声によって伝えている。おそらくそれがあなたの記憶に残っているためと考えられる。意識が戻った後に、その記憶を思い出す事例は多い。特に珍しいことではない」
「……そ、そうなの?キョン?」
こら、納得できないからって俺に振るな。俺は知らん。ただ長門がそう言うなら、そうなんじゃないか?

「北高の卒業式の模様?アタシはそんなことは全然覚えてないわよ?」
「人間の記憶は、自分に対して影響があるものを種々選択して記憶する。北高の卒業式は、貴方の心に記憶されるほどの影響がなかった。従って、覚えていないのも無理はないと思われる」
……あのー、長門さん?無理有ると思いますよ、今の説明は。
 
「そうなの有希??そっか。そうなんだ……」
……納得してますねハルヒさん?
 
むう~~、とハルヒはアヒル口のまま窓の外に目を向けた。何かぶつぶつと呟いているようだったが、ここまでは聞こえてこない。俺はほっと胸をなで下ろし、長門に視線で感謝の念を送った。長門は俺の方を見て、数ミリ首をかしげただけだった。俺の気持ちを長門が理解できたかどうか、自信はないが。
 
「お話の途中、申し訳ありません」
先ほどの医者と看護師を連れて、古泉が入ってきた。
「涼宮さん、ご両親にご連絡したところ、今こちらにいらっしゃるそうです。この後また検査がありますので我々はここで失礼させていただきたいのですが……」
「え……あ、ああ。そ、そうよね。あたし入院してるんだもんね。わかったわ」
何かを考えているところを中断されたためか、ハルヒは少しぎくしゃくしながら答えた。
 
「それでは、これで失礼します」
「……また、明日」
「じゃあな」
古泉、長門が席を立ち、俺もその後に続く。
 
「ちょっと待って!」
ハルヒの声で、俺たちは振り向いた。
 
「キョン、アンタこれからどうするの?……その、大学……」
来週、地元大学の2次募集を受けるつもりだ。願書も出してあるしな。
「……そっか。アンタは向こうで大学生になるつもりって事ね。分かったわ、頑張りなさいよ?今度落ちたらSOS団を除名してあげるから!」
ああ、そうだな。頑張るよ。まあ、明日帰る予定だから、帰る前にもう一度ここに顔出すよ。お前の顔を見てから帰るつもりだからな。
 
「いらない。アンタは真っ直ぐ帰って、試験に備えなさい!いいわね!団長命令!」
え……そ、そうなのか?一応、顔を見てから帰ろうかと思ったんだが……
「何度も言わせない!」
へいへい、分かりましたよ団長様。とっとと帰って、試験問題の復習でもやりますよ。

渋々頷く俺のことはもう視界に入っていないようで、ハルヒは残りの二人に声を掛けた。
「古泉君、有希」
「了解しました。既に準備は整っております、閣下」
「……いつでも良い」
「流石ね!それでこそSOS団だわ!」
は?例の件?何のこった?こいつら一体何を……
 
「いいの!アンタには関係……無くもないけど……今は関係ないから!いいから、とっとと帰れ!アタシはこれから検査なんだからね!」
……全く、傍若無人ってのはコイツのためにある言葉だね。済むこと済んだら、とっとと帰れってか。くそ。
ハルヒの言葉に流石にカチンと来た俺は、コイツに一つ謎かけをしてから今夜の宿とやらに行くことにした。
古泉と長門を先に廊下に押し出し、俺は振り返った。
 
「ああ、そうだ。ハルヒ」
「何よ!何かまだあるの?」
「白いコートにポニーテールのお前、最高だったぞ」
「……な」
「じゃあ、またな」
「……えっ……あっ!ちょっとキョン、なんで……こら、待ちなさい!」
 
困惑したハルヒの声を後ろに聞きながら、俺は検査室を飛び出した。
 
 


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