第二十五章 未来
 
病院を出た俺たちは近くのレストランで早めの夕食を取った。古泉と長門は、今回の件についてまだ何か俺に伝えたそうだった。だが俺は、スマイル3割り増しで話し始めようとした古泉を手を挙げて制した。
 
もう良いじゃないか。ハルヒも無事目を覚ましたことだし、世界滅亡の危機とやらも回避された。ただでさえ俺は、来週の試験のことで頭がいっぱいなんだ、もうこれ以上、俺の頭に常識外の突飛な解説を押し込むのは止めてくれ。
 
そう言って彼らを黙らせた。
「そうですか、それなら仕方有りません」と残念そうに呟く古泉。
「……」と、何時にも増して残念そうな意志を瞳の奥に宿らせる長門。
……まあ、後で聞いてやるよ。別に今じゃなくてもいいだろ?これで縁が切れる訳じゃないんだしさ。いつかまた会ったときにでも、ゆっくりと時間を取って聞いてやるから、その時に全ての種明かしを頼むぜ。
「分かりました」
「……分かった」
 
明日の朝迎えに来ますよと、二人は黒塗りハイヤーに乗ってホテルの前から走り去った。
古泉が用意してくれた宿は、病院からそれほど離れていないビジネスホテルだった。う~ん、せめてもう少し駅に近けりゃ、国木田や谷口を呼び出すことも出来たんだがな。この辺じゃ、暇つぶしすることも叶わんし。
自転車でも有れば話は別だったんだが。
しょうがない、部屋で適当に暇つぶしをしてとっとと寝よう。フロントから鍵を受け取り、割り当てられた部屋に向かう。オートロック式の安っぽいドアを開けると、そこに人影があった。
 
「お疲れ様でした」
 
予想はしていたさ。なんとなく、だがな。
「お久しぶりです、朝比奈さん」
 
朝比奈さん(大)だった。
 
「朝比奈さんがここにいるって事は、俺は【既定事項】とやらを無事クリアしたんですね?」
「ええ」
俺は今、部屋備え付けの椅子に座り、朝比奈さんはベッドの脇に腰掛けている。いつもの白ブラウスに黒のタイトスカート。初めて会ったときと同じ格好だ。この格好しか俺は知らないがな。
 
「今回の事件の発端が、佐々木さんにあるというのは長門さんから聞いていると思います」
「はい。アイツが望んだことで、時空の『揺らぎ』とやらが発生したとか何とか。でもそれは、佐々木からハルヒに力を戻したことで一応解決したと聞きましたが」
「そうですね。そのおかげで、わたしが今ここに居るんです。本来の時間軸に戻り始めている証拠です」
「じゃあこっちの朝比奈さんが居ないのもそのせいなんですね?」
「ええ、比較的大きな時空の『揺らぎ』が有るとTPDDが使用できなくなるんです。もちろん未来との定期通信も出来なくなりますから……小さいわたしがパニック状態になる前に、元時間平面に召還しました」
かつての七夕の時、TPDDとやらを無くしてしまった時の朝比奈さんのパニックぶりを思い返すと、その判断は正しい判断だと思った。1万回も夏休みを繰り返したあの時だって、事情を知らない朝比奈さんのうろたえぶりは尋常ではなかったしな。
 
「涼宮さんに力が戻ったことで、殆どの事象はそれで解決、または解決に向かっています。他の時空平面への影響も、最小限に抑えられました。全部あなたのおかげ。ありがとう、キョン君」
いえ、別に俺は自分の思うとおりに行動しただけですよ。お礼なんか言われる事じゃありません。
 
朝比奈さんは、ベッドの上から俺を慈しむような視線を俺に投げかけながら微笑んだ。
「ふふっ、そうでしたね。キョン君はそう言う人でした。無意識のうちに世界を守ってくれている、そんな人でしたっけ」
はあ。別に俺はそんなたいしたことやっているつもりはないんですがねぇ。特に自分で意識してやった訳じゃないですし。
「それがあなたの凄いところなんです。誰も知らないところで世界を護る。まるで正義のヒーローみたいですね」
いやあ、そんなこと無いですよ?と言いかけて、俺は別のことに気付いた。
……朝比奈さん(小)ならともかく、朝比奈さん(大)がここまで俺を持ち上げているのは何か不自然だ。
もしかして、また何かあるんじゃないか?
 
「冗談はこれくらいにして、本題に入りましょうか」
……今までのは冗談ですか。はあ。この人には叶わないな。
 
朝比奈さんは、ブラウスの内側から一通の封筒を取り出した……ブラウスの内側にポケットなんかあるのか?
俺はまだ朝比奈さんの暖かさが残る封筒を受け取る。ほんのりと甘い香りがするのを、あえて自分の嗅覚から追い出した。艶めかしいな、くそ……そんな標準的男子高校生の心情をごまかすように、俺は差出人を見た。
 
俺は目を疑った。何度見直してもそこには、俺が受験した大学の事務局の名前が書かれていたからだ。
え?なんで朝比奈さんがこんなもの持ってるんだ?
 
「中を見ても良いですか?」
「はい」
震える手で封書を開ける。そこには何枚かの紙と返信用封筒。そして今の今まで全く予想もしなかったものが入っていた。
 
「追加合格通知書」
 
俺が手にした一枚の紙には、確かにそう書かれていた。慌てて、封筒の中に入っていた連絡書を読んでみる。
「……入学希望者が定員を満たさなかったため、貴方が追加合格該当者となりました。以下に記載された期日まで同封の『入学誓約書』を事務局まで提出してください、か……朝比奈さん、これを何故貴方が?」
「……それは本来なら1週間前にキョン君のところへ届いているものなんです。申し訳ないのですが、途中で細工させていただきました」
「えっ……」
 
1週間前に届いていた?この合格通知がか?
それを何故、朝比奈さんが邪魔をするんだ?意味分かんないぞ、それ。
「……理由を教えてくれますか?」
「補欠合格の貴方に追加合格の通知が来ると言うことは、どういう事か分かりますか?」
「入学辞退者が多くて、定員を満たせなかったからでしょう?さっきの連絡書にもそう書いてありましたし」
「そうですね。では、入学を辞退する人は何故、辞退したんでしょうか?」
「それは……そうですね、例えば別のもっと良い私立に受かったとかじゃないですか?」
「それだけですか?」
「う~~ん、あとは家庭の事情とか、病気だとか……そう言えば、合格通知が届いてから指定期間内に『入学誓約書』を提出しなければ、入学辞退と見なされると聞いたことがありますが」
合格通知が届いた翌日、佐々木が近くの郵便局にその『入学誓約書』を出しに行ったのを、俺は覚えている。
 
「そうですね。誓約書を出さないと入学できません」
良くできました、と言わんばかりの顔で朝比奈さんはこちらを見て微笑んだ。すいません、朝比奈さん。俺は貴方が何を言っているのか、よく分からないんですけど?
ん?もしかして佐々木がやったのか?1週間前といえば、まだアイツはトンデモパワーを持っていた。もしかして、アイツの願望とやらで何人かの入学辞退者を出したとか?
そう言えば、俺が補欠合格だと聞いて、残念そうな、複雑そうな顔をしてたっけ。
 
「この件に関しては、佐々木さんは関与していません。関与しているのは、涼宮さんの方です。もっとも涼宮さんご本人の意志とは別ですし、彼女の持つ力とも直接は関係ないのですが……」
ハルヒが?しかも本人の意志とは別?ますます意味分からんぞ?だって1週間前と言えば、まだハルヒは昏睡状態だったはず……
 
「あ」
 
分かった。そう言うことか。
おそらく、ハルヒの両親は『入学誓約書』を提出していない。娘が目が覚める兆候もなく、昏々と眠り続けているんだ。大学入学がどうのという状態ではなかった。提出しなかったのではない。できなかったんだ。
そしてハルヒは入学辞退者扱いとなり、補欠合格だった俺の元へ追加合格通知が届いた、ということか。
 
 
「もしも、一週間前にこの封筒があなたの元に届いていたら、あなたはどうしてました?」
もしこの封筒が予定通り1週間前に届いていたら……多分俺はハルヒのことなど何も知らず、嬉々としてこの『入学誓約書』を提出していただろう。佐々木と一緒の大学生活を夢見ながら。
俺の『合格』が、元々はハルヒのものだったとは知らずに。
 
「キョン君」
思考の海を全速力のバタフライで泳いでいた俺は、朝比奈さんの一声で我に返った。
 
「追加合格通知書の提出期限は昨日だったんです。だから……申し訳ないけどしばらくこちらで預からせて貰いました。本当に申し訳ないと思ってます。あなたの未来をこちらの都合で決めてしまうのは……」
 
「朝比奈さん、大丈夫ですよ」
 
「へ?」
俺の知っている朝比奈さんと全く同じ表情をしたこの朝比奈さんは、まじまじと俺を見た。
「でも……あなたの未来を勝手に決めてしまったんですよ?キョン君はそれで納得できるんですか?」
 
「ん~~~、他人の都合で勝手に自分の未来を決められてしまうのは、正直面白くありません。でも、他人の人生を踏み台にしてその未来には行きたくないってのが本音です。例えそれが誰であっても……まあ、実際は今回の種明かしが全部終わって、事情が分かっているから言えることかもしれないんですがね」
こんなに照れた台詞を言うのは初めてだぜ。相手が朝比奈さん(大)だから言えたことなのかもしれんがな。
だが、それは俺の正直な気持ちだった。
 
「ありがとう。本当はキョン君に怒られるんじゃないかって、覚悟して来たんです。でも、そう言ってくれるなら安心しました」
「俺は、ハルヒと妹以外の女性を怒る趣味はないですよ、朝比奈さん」
 
驚いたような、それでいて残念そうな朝比奈さんの顔。そんなお顔もお美しいですね、あなたは。
「……羨ましいですね、涼宮さんと妹さん。わたしもキョン君に怒られてみたかったな……」
「は?」
「何でもないです。忘れてください」
くすりと微笑んだ朝比奈さんは、腰掛けていたベッドからすっと立ち上がりドアの方に向かった。
「……もう行きます。小さな私には、もうこの時間平面への回帰命令が出ているはずですから、すぐに会えるはずです。安心してください」
 
がちゃり、とドアを開けて振り向いた朝比奈さんの顔には、いつの日か見た『見たものを、全て恋に落としそうな笑顔』があった。
「さよなら、キョン君」
そう言ってドアが閉まり……朝比奈さんは姿を消した。
 
朝比奈さんが居なくなったホテルの一室で、俺はさっき朝比奈さんが座っていたベッドに仰向けになり、テレビも付けずに思考の海の中をたゆたっていた。
 
朝比奈さん(大)が現れてこの一年間のドタバタを締め括ったと言うことは、本当にこれで終わりなんだろう。
 
長かったこの一年。終わってみれば、北高時代と遜色のない密度だったな。佐々木と朝倉との受験勉強や、GWや夏期休暇中のドタバタ。勉強漬けの灰色の一年だと思っていたが、今思い返すと結構楽しいことも有ったな。俺の高校生活は、波瀾万丈で幕を閉じるって訳だ。
 
やれや……
いやまて、俺の受験はまだ終わって無いじゃないか?地元に帰ってもう一度受験をしなきゃいけない。
そのことを改めて認識した俺は、天井を見上げたままため息をついた。ああ。
 
神様仏様ハルヒ様佐々木様。どうかこの俺に『神』のご加護を……
 

 

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最終更新:2020年03月09日 02:19