高低入乱れた音が、一つの歌を丹念に唄いあげる。
ハッピーバースデイトューユー、ポピュラーでシンプルながら、想い響き合う、長門に捧げられた祝詞の歌。
文芸部室は閉め切られ、暗がりにぼんやりと浮かぶのは不安定だが暖かい蝋燭の火だ。
曲が終わったらそれを区切りにケーキの上の蝋燭の火を吹き消すように言われていた長門有希は、いつもの面子が円陣となり見守る中、微弱な吐息を送り込んだ。カラフルな四本の柱に揺れていた小さな火がふっと消えると、控えていたクラッカーが出番とばかりに大きく弾け、花火のような色とりどりの紙吹雪を撒き散らした。
頃合を見計らってタイミング良く押された電灯のスイッチに部室の様相は明るく早変わりし、光浴びた全員の表情が露になる。
例外なく、皆、零れんばかりの笑顔が輝いていた。彼等の大きな大きな、深呼吸の後の大合唱。
「「―――誕生日おめでとうっ!」」
高らかな歓待の声が響き、室内に盛大な、それぞれの喝采と拍手、口笛が満ちた。一斉に引かれたカーテンの向こうには、まるで真冬の如く降り積もる、静謐な雪景色。
改変前の歴史上では翌日には溶けて余韻を残さなかった雪が、誕生日にはらはらと今も降り続いている理由のところ――古泉一樹ならば笑って講釈を垂れ、付け加えてウインクひとつでもしてみせたことだろう。「『彼女』か、はたまた親馬鹿などなたかがそれを望んだのでしょう。長門さんに祝福の意味をこめて、ね」
情報統合思念体に詳細を請求した長門は、「黙秘権」という返答を受け、心中に言葉にしない感謝を捧げた。
彼女が生まれた日と同じく、雪が舞う優しい一日。
――そう。ここから先は、彼女にとって忘れられない、後日談になる。
玄人はだしのデコレーションケーキが切り分けられ、配膳される。フライドチキンに各種ドリンク、招待に預かった名誉顧問の鶴屋は手製のタルトパイを持って訪れ、目にも楽しいフルーツの盛り合わせは無骨なテーブルを飾り立てた。御馳走の数々を腹に着実に収めてゆく健啖家長門は、ハルヒとみくるの共同制作のケーキを栗鼠のように口に含み、控えめな、楽しげとも取れそうな雰囲気を湛えてケーキの出来を褒めた。
「……とても美味しい」
「当然よ!なんたって、あたしとみくるちゃんが腕によりをかけたんだから!」
胸を反り返らせる団長に、賞賛を聞き届け照れたみくるが「よかったぁ」と笑み崩れる。呼ばれないうちから参入してきた谷口、国木田を始め男性陣は料理に舌鼓を打って、「うまい!」「美味しいです」と口々に長門の意見に同調し、料理の一切を請け負っていた益々女性陣の鼻を高くさせた。
映画協力者及び、阪中とENOZのメンバーも顔を出し、長門の希望で呼ばれた喜緑も、顰めっ面の会長を伴って途中参加。カードゲームから恒例のSOS団すごろくなどあらゆるボードゲームに興じ、いつもは振り回される側の少年ですら率先してサイコロを振っていた。皆が皆、馬鹿騒ぎの例を挙げろと言われたらこれ以上はないくらい――正しく、騒ぎに騒いだ。教師が駆け込んで来なかったのが不思議なくらいの盛り上がりであったが、其処はTFEIが気を利かせたのかも知れないとしておこう。
テンションが天頂に達した涼宮ハルヒが、勢いのまま夕暮れに差し掛かった時刻に腕を振り上げ、「雪合戦いくわよー!」と雄叫びを上げても、反対意見の一つもなかったことがその楽しくて楽しくて仕方がない、皆々の精神の高揚状態を示唆していたと言っていい。わらわらと部室を後にする彼等の中、腕捲りをしつつ何故かやる気を出している谷口に呆れつつ、な国木田のすぐ隣接位置に雪合戦も満更でもなさそうな彼が珍しくもハルヒと並び、後方で鶴屋に腕を引っ張られたみくるが小さく悲鳴を上げながら駆け出していく。喜緑は温厚な笑みを湛えて会長と腕を組み、……古泉は紳士然とした佇まいにて、返した掌を長門に差し出す。
「行きましょう」
頷いて取る、握り合う手。
離さない事を、抱き締められた其の日に願った。
「楽しいですか?長門さん」
「楽しい。それに」
贈られた言葉を指折り数え、長門は己に募る倖の在り方を、掛け替えのない今の幸運を愛する。
「今までで、一番、……嬉しいと感じている」
「それは良かった」
雪だるまを作りましょうか、と古泉はゆったりと微笑んだ。これだけの面々で二分して戦うからには、さぞや混戦になるだろう雪合戦で身も心も遊び倒したら、疲れ果てて動けなくなるまで走り廻って、雪原をベッドに空を望んでみてもいい。古泉が聞き取りやすい声質にて語る、小さな思い付きの一つ一つを、相槌を交えながら長門は聞く。
寄り掛かり合う、大きな雪球二つに、バケツを被せて葉っぱを貼り付けるんです。童心に還るのも、きっと悪くないと思いますよ。綺麗な球体を作るのは骨が折れますが、ずんぐりした様も愛嬌があって、捨て難いですね。
――何時かに捲った絵本の頁にあった、スノーマンの物語を脳裏に描きながら、長門は古泉を見上げた。二人で雪を掻き集めてこぶりな影が並び、溶けてしまうまで傍らに在る。……悪くない、思い出。
「あなたが作り方を教えてくれるなら」
「ふふ、了解しました。手取り足取り――というのは冗談ですが」
「……ユニーク」
古泉が可笑しそうに吹き出し、長門も心なしか弾んだ心境を晒した。
重ねたのと反対の、右手に収めたスノードームの硬質さが、冷たさが優しい。古泉も知らぬささやかな秘密を、長門は其の手に閉じ込めている。
総てのからくりの正体が垣間見えたのは、パーティ開始前の一幕のことだった。
『―――それ……!』
ハルヒと古泉が家庭室にケーキを取り出しに突撃し、団員のみの文芸部室。みくるが絶句し、口を掌で覆って真ん丸の瞳を大きく見開いた。長門が抱え込んでいたそのスノードームを、古泉のプレゼントと察した彼が訊ね、そして、みくるがはっきりと感付いた。
『ど、どうして、それを長門さんが……?』
『朝比奈さん?あのスノードームがどうかしたんですか』
事情が不明なのは通称キョンの彼だ。事態を把握していたのはみくると、長門だけだった。スノードームに入力されていた朝倉を撃墜し空間の捩れを修復するプログラム、それは現代に製造が出来るものではない。長門のような情報端末か、あるいは更に上位の能力者が、予め組み込んでおかなければ発動し得ないものだった。