第十四章 前日1
 
2月と言えばかなり冷え込む季節だというのは、日本という島国に住んでいる人間であれば誰でも認識は同じだろう。それが寒風吹きすさぶ北の地域だったり、海水浴をするには少々肌寒い南の地域であっても、一年のうちで一番寒いと言うことには代わりはないと思う。
ところで、なんで俺が二次試験の前日に、くそ寒い早朝の古都の駅前でぼーっとしているのか。
 
理由は二つある。一つは、試験日と移動日の関係だ。
せめて試験開始の時には席に着いていたいので、夜行列車で早めに現地に乗り込んだわけだ。当初は飛行機を使うつもりだったが、冬場は欠航になる事があると聞き、除外した。万が一、落ちでもしたら受験生としても縁起が悪い……そう言う事じゃないか。飛行機が落ちたら、普通死ぬしな。
結局、夜行列車を利用する事になったのだが、例年この時期は天候により運行遅れが頻発するのでその遅れを見越して前々日夜~前日朝の移動となったわけだ。
 
ところが、予定通り早朝に着いちまった。
こんな時だけ予定通りかよ。運命に弄ばれる自分がイヤになってくるね。
久しぶりの口癖が出そうになったとき、息を切らせて佐々木が掛けてきた。
 
「ゴメン、キョン。待たせてしまった」
「おう、終わったか?ちと寒かったぜ」
 
もう一つの理由は、一緒に来た佐々木を待っていたからだ。
夜行列車を降りると、佐々木は俺に自分の荷物を押しつけ、一目散に洗面所に駆けていったっけ。
そんなに我慢してたのか?そんなもん、電車の中で済ましてしまっておけば良かったのに。結局それで俺は、こんなところでぼーっとして居なければならなかったんだからな。
 
ジト目で俺を一瞥した佐々木は呆れたように呟いた。
「……キョン、キミってやつはデリカシーってものが……まあ、いい。とりあえず、ホテルに荷物を置きに行こうかと思うんだが、どうだろう?」
う~~ん、それは賛成だが、俺は腹が減った。その前に、どこかでメシでも食おうぜ。
「そうだね。と言っても、こんな早朝にやっているお店は……」
がさごそと、自分の荷物の中から観光雑誌を取り出す佐々木。
ファーストフードでも何でもいいさ。腹に何か入れないと、餓死してしまいそうだぜ。
「くくっ、分かったよ」
俺は、自分の分と佐々木の分、二人分の荷物を持って立ち上がった。
 
駅前のハンバーガーショップの二階席に陣取った俺たちは、いつもよりもかなり早い朝食を腹の中に放り込みながら。それぞれのホテルの場所と今日明日の予定を確認し合った。一通りスケジュールの確認を終え、ふと外を見ると、通勤通学時間帯に入ったのか先ほどとは比べものにならない位に人が増えていた。改めて店内を見回すと、通勤のサラリーマンや通学の学生などで次第に混雑し始めたようだ。
「キョン、そろそろ出ようか。一旦ここで解散して、ホテルにチェックインした後、10時に大学正門前で落ち合おう」
そうだな。俺はよっこらせ、と二人分の荷物を抱えて店を出た。こらそこ、爺臭いとか言うな。
 
駅前は人の波で蠢いていた。早朝の閑散とした雰囲気とは大違いだね。しかもしばらく田舎暮らしをしていたおかげで、久しぶりの光景に気後れする。向こうじゃ通勤ラッシュなんてのは基本的に車の大渋滞だからな。
駅前で人の波ってのは久々だ。
 
「じゃあ、キョン。また後で」
佐々木は自分の分のバッグを肩に掛けると、スタスタと歩いていった。
しかしコイツも飄々としているね。明日、二次試験だってのに緊張感がないというか。俺はもうまな板の上の鯉状態だが、アイツの場合は確固たる自信がそうさせるんだろうな。
既に人並みの中に紛れてしまった佐々木の後ろ姿を見送ると、俺は宿泊予定のホテル方面に向かう発車待ちのバスに乗り込んだ。幸いにも一番前の座席に滑り込んだ俺は、今年一年のことを思い出していた。
 
 
佐々木と朝倉の家庭教師を受けたせいで、俺の成績は徐々に上昇し始めた。夏休み直前の前期中間試験では、何とかSクラスの真ん中あたりの成績まで昇進していた。この頃になると、既に1年2年の復習も終わり、3年の科目に手を付け始めていた。もちろん、センター試験対策のための復習も欠かさなかったが。
しかしアレだね。
佐々木と朝倉が「基礎が大事」って言っていたのがよく分かった。基礎って言うのは、公式暗記とかそんなものではなく、その意味や考え方のことだ。例えばその公式の意味を理解していなければ、ちょっと問題を捻られると分からなくなってしまう。きちんと理解してさえいれば、応用が出来るってことだ。そんな単純なことにやっと気付いた俺は、勉強することが段々苦にならなくなってきていた。
これは俺がもっとも驚いたことだが、あれほど苦手だった数学や物理など理数系の科目が楽しくてしょうがないのだ。答えは一つ、というかたった一つの答えを導き出す作業がパズルにも似て非常に楽しい。言い方は悪いが「ゲーム感覚」だな。
 
「キョンは、もともと頭は悪くないんだ。ただ、やり方を知らないだけでね」
佐々木はそう言って笑っていたが、それに気付かせてくれたお前には感謝してもしきれない。もちろん、朝倉にもな。
 
11月に行われた全国模試の結果を見て、俺は腰を抜かした。
なんと、上位200名の中に自分の名前を見つけたのだ。
これにはクラス担任も驚いたらしく、結果発表が行われた当日の放課後職員室に呼ばれ。俺がどのような勉強方法をとっているのかを根掘り葉掘り聞かれたほどだ。佐々木と朝倉も驚きそして喜んでくれた。もっとも、あいつらは上位100名の中にいたのだが。
そして、ハルヒ、長門、古泉の名前も上位100名の中に当然のように記載されていたのは嬉しかった。
 
「受験生に正月はない!」という塾講師のかけ声で、年末年始はひたすら過去の出題問題と格闘し、いよいよ迎えたセンター試験。
 
自己採点では、志望大学へはA判定。リスニングのあそこが間違っていればB判定という、以前では考えられないような成績だった。……マークシート、塗り間違いはなかったよな?
 
俺と佐々木は予定通り志望学部を決めた。俺は工学部、佐々木は医学部だ。朝倉はというと、海外の大学だそうだ。高校卒業と同時にカナダへ行くらしい。もちろんそれは対外的なものだと言うことを俺は知っていたから、本当はどうするのかを聞いてみたことがあった。朝倉は少し悲しそうな顔をして「また待機、かな」とぽつりと言った。
 
ハルヒとは11月の模試成績発表の時以来、時々メールのやりとりがあるくらいで直接会話はしていない。
実は何度かこちらから掛けてみたのだが、必ず留守電になってしまう。11月模試成績発表の時は「キョン!凄いじゃない!さすがは支部長ね!」などと有り難い言葉を頂いたが、ハルヒとの直接会話はそれが最後だ。
センター試験後、俺の志望学部を連絡するのもメールだったし、ハルヒの返事も「アタシも工学部だから。アンタも頑張りなさい」というそっけないものだった。アイツも追い込みで忙しいのだろうな。
 
古泉とは電話でちょくちょく話していたせいで、今のSOS団の事はある程度把握している。
全員が同じクラスになったため、古泉とハルヒはあまり文芸部室には行かなくなったとも聞いた。もっとも、長門は放課後毎日行っているとのことだが、アイツは唯一の文芸部員であり、かつ文芸部の備品みたいなものだからな。結局この3年間は文芸部員は一人も入らず、今年長門が卒業すると部員がゼロになることになる。来年、新入生が入部しない限り休部、もしくは廃部になるそうだ。
流石に最近は不思議探索などは行わず、図書館や長門の家での勉強会、というのが定番になったとのことで、あのハルヒですら遊んでられない状況になったんだろう。
 
もっとも、あいつらが受験に失敗するなんて考えられないから、俺が頑張って受かればSOS団再結成だな。
そうだ、佐々木も入団させてやろう。確かにかつては色々あったが、俺からハルヒに懇願すれば無理じゃないだろう。第一、今の俺があるのは佐々木と朝倉のおかげと言っても過言じゃない。
 
まあ、でも。
北高にいたときとは別の意味で、激動の一年だったな。
ただ、もう二度とこんな一年は過ごしたくないぜ。
 
そんなことをつらつら考えていたら、バスのフロントガラスの向こうに見覚えのある人物が飛び込んできた。
 
見慣れた黄色いカチューシャとリボン。白いコートを羽織り、大きいショルダーを下げている女性。腰まで届きそうなロングヘアが揺れている。その後ろには、ベージュのダブルコートに大きめのボストンバッグを下げた男性。その顔には見慣れた0円スマイルが鎮座していた。
ハルヒと古泉だ。
 
ハルヒ。やっと、会えた。そうか、あいつ髪伸ばしたのか……
嬉しさのあまりバスを降りてしまいそうになったが、ふと二人の様子がおかしいことに気付いた。
ハルヒは、まるで北高入学時の不機嫌そのものの顔をしている。古泉が何度も頭を下げているが、ハルヒは古泉の鼻先に指先を突きつけ、何か文句を言っているようだ。流石にここからはその内容までは聞こえないが何か古泉がミスをしたんだろう。
文句を言うのに飽きたのか、ハルヒはずんずんと音を立てそうな勢いでタクシー乗り場に歩いていった。
 
まるで新婚さんが喧嘩しているようだな。
 
そんなことを思いながら見ていると、古泉が携帯を掛けながらハルヒを追いかけて行ったが、そこにちょうどお馴染みの黒塗りハイヤーが滑り込んできた。
ああ、あの運転の巧みさは新川さんだな。あの人まで借り出してるのか、古泉は。
 
一直線にタクシー乗り場に向かっていたハルヒは、古泉に促されてくるりと向きを変えハイヤーに向かって歩き始めた。古泉もハルヒをエスコートするように隣を歩いている。
 
……なにやってるんだか、あいつら。こんなところで目立ってどうするかね?通勤ラッシュのど真ん中で、痴話喧嘩……じゃないな、喧嘩するなんて、普通の神経じゃない。
バスに乗っている他の客も、くすくす笑いながら見ているぞ。ああ、恥ずかしい。
 
 
ところが、ハルヒが黒塗りハイヤーに乗り込む寸前、俺は信じられないものを見た。
ドアを開けたハイヤーの前で一旦立ち止まったハルヒは、恭しくドアの前で乗車を促す古泉に抱きついた。
一瞬固まった古泉は、ハルヒをゆっくりと抱きしめる。
 
俺は今何を見た?何を見ている?夢?
俺の見間違いでなければ、ハルヒは満面の笑顔だったし、古泉はまるでそれを慈しむような、穏やかな笑顔だった。
 
いや、夢じゃない。現実だ。その証拠に、バスに乗っている他の客が騒ぎ出した。
「何アレ?」「喧嘩して仲直りした新婚さんかな?」「妬けますねぇ」……バスの中だけではなく、周りの人たちも一瞬硬直した後そそくさとその場を離れだした。真っ赤になった通学途中の女子高生やニヤニヤ笑いのサラリーマン……等々。
そんな周りの騒ぎなどついぞ知らぬようにハルヒと古泉が乗り込むと、黒塗りハイヤーは車の流れの中に消えていった。
 
 
バスがいつ発車して、どこの停留所で降りたのか、俺には記憶がない。気付くと俺は、宿泊予定のホテルに着いていた。さっき見た光景がエンドレスでリフレインされている頭の中に微かに残っている理性を働かせてチェックインの手続きをする。午後2時以降でなければ部屋に案内できないとのことだったので、とりあえず荷物を預かって貰い、ホテルを出た。
ああ、そうだ。佐々木と約束してたんだっけ。10時に大学正門前だったか。
霞がかっていた頭の中が段々と晴れてきた。そうだ、こんな所でボーッとしている暇はない。
入試会場に行かなきゃ。
 
事前に調べていたバスに乗り、大学正門前へ。
 
佐々木はまだ来ていなかったが、おそらく試験会場の下見とおぼしき高校生の姿がちらほら見受けられる。
学ラン、セーラー服、ブレザー。さすがは一流大学、日本全国から受験生が来てるって訳か。よく見ると、見慣れた制服も混じっているのに気がついた。光陽園女子の制服や以前佐々木が来ていた有名進学校の制服。
そして、懐かしい北高のセーラー……って、あれ?
 
「阪中か?」
「……キョンくん?」
なんと、大学正門前でうろうろしていた北高セーラーの女子は、北高で同じクラスだった阪中だった。
 
「久しぶりなのね」
ぱたぱたと駆け寄ってきた阪中は、一年前とそれほど変わった印象は受けなかった。
 
「久しぶりだな。お前もここ受けるのか?」
「うん、そうなのね。キョンくんもここ受けるんだよね?」
「ああ。でなきゃわざわざこんな所までこねえよ。って、なんで知ってる?」
「涼宮さんと古泉君がね、話してくれたのね」
ぐさり、と何かが心に突き刺さった感じがした。
 
「そ、そうか。涼宮たちが」
あれ?俺今、ハルヒのこと『涼宮』って言ったな?あれ?なんで?
ちょっと訝しげな表情をした阪中だったがすぐにまた笑顔に戻った。聞けば待ち合わせをしているとのこと。
正門前のベンチに腰掛け、お互い相手が来るまでしばらく話すことにした。
阪中は、特進クラスのこと、受験勉強のこと。
俺は、向こうの高校のこと。朝倉や佐々木のこと。
ただ、久しぶりにあった元級友との楽しげな会話の中に時々混じる憐憫のニュアンスを、俺はその時感じ取れなかった。
 
「キョン、お待たせ」
「やあ、キョン。久しぶりだね」
佐々木と国木田が連れ立ってやってきた。
 
「彼女は中学の同級生でね。バスの中で一緒になって、中学3年以来だから積もる話が一杯あってさ。ついつい乗り過ごしちゃったんだ。ゴメンね、阪中」
「ううん、キョンくんと話してたからそれほどじゃなかったのね」
俺そっちのけで国木田は阪中に謝り、阪中はそれに応えていた。
そうか、阪中の待ち合わせの相手は国木田だったのか。いや、それよりこの甘甘の雰囲気は何だ?
お前らもしかして付き合ってるのか?
 
「……うん」
「……そうなのね」
そっか、おめでとう。祝福してやるぜ。結婚式には呼んでくれな。
みるみる赤くなる国木田と阪中を見ながら、さてどんな風にからかってやろうかと思っていたら、脇から水を差された。
 
「キョン。他人を羨むのはいいが、僕たちは今、受験会場を下見に来ていることを忘れては居ないだろうね?もしキミがエスコートしてくれないなら、僕は適当にその辺の学生にエスコートを頼みたいのだが」
佐々木、冗談だって。俺もそんなに底意地は悪くないぞ。
 
「ふう……全く、キミって奴は。ところで、そちらの方の紹介をしてくれないか?」
我に返った俺と国木田は、慌てて阪中を佐々木に紹介した。
 
「阪中さんね。キョンや国木田の友人だったら、私の友人でもあるわ。今後もお付き合い頂くことになると思うけど、宜しくね」
手を差し出した佐々木の突然の女言葉に面食らったような顔をした阪中だったが、たおやかな笑みを浮かべてその手を握り返した。
「こちらこそ、よろしくなのね」
 
 


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