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「涼宮さん!気が付かれたんですね!?あのまま意識が戻らないときにはどうしようかと……」


 僕が席を立つのと扉の影から長門さんが現れるのと、どちらが早かっただろう。その繊細な表情の変化を読み取ることはできなかった。構うことはない。僕は涼宮さんの元へと向かう歩みを早める。
 涼宮さんの目からはいつもの輝きが感じられなかったが、いまの僕には関係ない。涼宮さんが意識を取り戻した。それだけで十分だった。
 そのとき長門さんの影に隠れていた朝比奈さんが発した宣告を、誰が予期しえただろう。

 「……涼宮さんに、記憶障害が起きました」



   古泉一樹の消失:急(another story


 昏睡状態から目覚めた涼宮さんは、数時間前の彼女とはまるで別人のように発狂したらしい。粉々に割られた窓ガラス、乱雑に散らばった本、そして二人の顔や手足の傷を見れば、当時の状況は想像に難くなかった。ちなみにここは北高文芸部室だ。
 二人がかりで押さえつけると、今度は急に無気力になり、廃人のようになってしまったのだという。
 長門さんによると、原因は先ほどの情報爆発らしい。
「古泉……い…つき?誰?それ……」

 僕は笑った。彼が自分の世界を取り戻した代償が、世界の中心である涼宮さんの記憶だなんて。滑稽じゃないか。
 神がいるとするならば、なんと残酷なのだろう。そういえば彼は、あちらの僕は涼宮さんを神扱いしていると言っていた。

 何があなたをそこまでさせるのですか……?

 いまの涼宮さんから返事が返ってくるはずもなく、無音の部屋の中、長門さんと朝比奈さんは沈黙を保っていた。

 ピポ

 突然、部屋に漂う静寂の空気を破るように機械音が鳴り響く。彼が時間移動に使ったコンピュータだった。
 長門さんや朝比奈さんに視線を交わしても、何も分からない様子だ。僕は期待と――幾分の不安を胸に抱えて、ウィンドウを覗き込んだ。

 彼のときと酷似した文字列が躍っている。再起動しただけだろうか?……いや、彼のときのそれとは少し変わっているようだった。


 YUKI.N>これをあなたが読んでいる時、わたしはわたしではないだろう。
 YUKI.N>このメッセージが表示されたということは、そこにはあなたと涼宮ハルヒが存在しているはずである。
 YUKI.N>それが鍵。あなたは解答を見つけ出した。
 YUKI.N>これは緊急脱出プログラムである。起動させる場合はエンターキーを、そうでない場合はそれ以外のキーを選択せよ。起動させた場合、あなたは時空修正の機会を得る。ただし成功は保障できない。また帰還の保障もできない。
 YUKI.N>このプログラムが起動するのは一度きりである。実行の後、消去される。非実行が選択された場合は起動せずに消去される。Ready


 この「あなた」を僕のことだとすると、彼は別にしても、長門さんと朝比奈さんの名前が抜けているのはおかしい。

「長門さん、何か分かりませんか?」
 自分でも意外なほど冷静だった。胸の内では焦燥感と絶望感がせめぎ合っていることだろう。だがいまはそれどころではない。

「イレギュラー分子の妨害によって、このプログラムを書いた私と同期することができない。統合思念体も解析不能という結論を導き出した」
「このプログラムを起動することで、この世界の崩壊を防げる確率は?」
「ゼロではない。だが推奨はしない」

 僕の一存でこの世界を救うことができる。しかしそれは彼の世界の崩壊をも示唆していた。
 押すべきか、押さざるべきか。ミスは許されない。

「あなたの意思に任せます」
 抜け殻のようになった涼宮さんを支えながらそう告げる朝比奈さん。
 長門さんを見ると、同意を示すように少しうなずいたように見えた。
 
 彼は自分の世界を守った。何のためらいも無くこのエンターキーを押した。たったそれだけのことなのに。この選択は僕一人がどうこうできるものではなかった。


 ――いま思えば僕の人生の中で一番長いときを過ごした場所は光陽園学院だったのかもしれない。
 涼宮さんは、その性格から周囲の人々から煙たがれていた。その火の粉が僕にも降り注ぐことも少なくなく、ときには彼女を恨んだりもした。
 しかし、そんな僕の心を支えてくれていたのも、涼宮さんの「遅い!罰金!」という傍若無人な言葉であった。
 僕に必要だったのは、彼女のように自分をリードしてくれる、羅針盤のような存在だったのかもしれない。自分が彼女を好きだということに気が付いたのは最近のことだ。

 クラスメートたちにしてもそうだ。最初こそ「涼宮の連れ」ということで、敬遠されることが多かったが、その隔たりも時によって埋められ、いつのまにかあちらから話しかけてくれるようになった。
 自分の殻に閉じこもり、彼らの優しさを撥ねつけていたことは、後悔してもしきれるものではない。

 共に学び、ときにぶつかり合った級友たち、そして涼宮さん……。彼らの存在が消えることを受け入れるなんて、僕にはできない。
 世界を救うなんて大それたことは言わない。だが、こんな僕の存在でさえ認めてくれたクラスメートたち。そして、僕に本当の愛を教えてくれた涼宮さん。彼女をこんな姿で無に帰すわけにはいかない。

 そう考えたとき、僕の中にはもう迷いは無かった。

「古泉君……本当にいいんですか?」
「……はい、もし次に会うのが『僕』でないときは、あちらの『僕』によろしくお願いします」

 最後の笑顔を二人に向けると、僕は指を伸ばして、エンターキーを押し込んだ。


その直後――。

「うわっ?」
 強烈な立ちくらみに襲われ、僕は思わずテーブルに手をつこうとして、そしてぐるりと視界が回る。耳鳴り。誰かの声が遠くから聞こえる。
 目の前が暗くなる。上下の感覚も失せた。浮遊する感覚。急流に落ちた木の葉のように。くるくる回っている。僕を呼ぶ声がどんどん離れていく。

薄れ行く意識の中、朝比奈さんの声だけがやけにはっきりと聞こえた。


 「白雪姫って、知ってます?」   古泉一樹の消失:?(
another story)へつづく

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