ここが「僕」の教室……。

  古泉一樹の消失:破(another story)

「この部屋に空間閉鎖を施した。涼宮ハルヒのことはわたしたちにまかせてあなたは自分のしたいことをするといい」

 そうは言われてもやはり、涼宮さんの容態が気がかりではあったが、「大丈夫」と念を押す長門さんに甘えた僕は、北高学生棟の一角で夕日を浴びていた。
 彼によると、あちらの世界の僕の教室はこの場所にあったらしい。当然ながらそこは生徒の使う教室ではなかったが、移動教室で使うのだろうか、授業を行うのに不便がない程度の机が並べられていた。

「さて、どうしたものですかね」

 窓から外の校庭を見下ろすと、寒い中練習する運動部やら、帰路につく生徒やらたくさんの北高生が青春を満喫していた。あなたたち、明日にはもういないんですよ?
 教室の後ろから聞こえてくる女子高生たちの声で、扉を開けっ放しだったことに気づく。
 この時期に半袖、短パンの超クールビズで、ニヤニヤしながら運動部の活動を眺める僕は、彼女たちの瞳にはどう移っているのだろう?しかももう一年の大半が過ぎたこの時期にして、初見ときている。
 試しにいつもの笑顔を向けると、彼女たちは顔を引きつらせて苦笑いを浮かべながら、我先にと立ち去っていった。

「おや、誤解を与えてしまいましたかね?」

 教室全体を見渡せる教壇の上から降り、彼女たちが覗いていた扉を閉めると、あちらの世界の僕が座っていたという席へと腰掛けてみた。
 当然といえば当然かもしれないが、僕が光陽園学院席で座っている席と一致している。こんなところまで同じとは。

「さて、どうしたものですかね」

 もう一度同じ言葉を呟く。不思議と恐怖はない。あちら側の世界の僕は、毎日どんな生活をおくっているのだろう。彼からもっといろいろ聞いておけばよかった。
 まあ、たとえ聞いたとしても、この僕の記憶はあと数時間もすれば跡形もなく消滅してしまうわけで……。

  短い人生だったな……。

 プッ、ハハハ
 僕は突然性に合わないことを考えている自分に気づき、思わず吹き出してしまった。
 以前は自分がこんな風に笑える日が来るなんて考えられなかったな……。こうしている間にも、太陽は地平線の下へとその姿を沈めようとしている。差し込んでくる夕日が眩しい。
 無性に過去を懐かしく思った僕は、もうすぐ終わってしまう自分の人生について振り返ってみることにした。


 ――思い起こしてみれば、いつも一人だった。
 幼い頃から自分のことは自分で、というのが我が家の家訓であり、唯一の肉親である両親は仕事が忙しいという理由で、家に帰ってくることはめったになかった。
 小学生のころ、興味本位でどんな仕事をしているのか聞いてみたことがあったが、真剣に答えてくれたのは何かの「機関」に所属しているということだけで、それ以上詮索しても核心的な答えは返ってこなかった。
 家事全般を一人でこなすため、一家の財布の紐は僕が握っていた。通帳を渡されたときは、見たこともない0の羅列に驚いたものだ。
 はじめは友人たちに自慢して回ったり、嗜好品を手当たり次第に大人買いしたりして優越感に浸ることもあったが、絶えることのない預金履歴の更新を不気味に感じるようになってからは、節度をわきまえるようになっていった。
 いまでも家族については気になる点がいくつかあるが、たまにしか帰ってこない両親にそんなことを聞くのも野暮なので、たまの家族の再会には素直に喜ぶことにしている。

 そんな両親の仕事の都合もあって、物心ついたころには引越しと転校の日々を送っていた僕は、当然ながら友人と呼べる人間がいなかった。笑顔の仮面を被り愛嬌を振りまいていても、所詮付け焼刃に過ぎなかった。
 世間一般から見れば、巧みに人間関係を築いているように見えたかもしれない。しかしその社交性さえ、裏を返せば繰り返される環境の変化から自分を守るために自然と生み出された副産物に過ぎなかった。

 「友達以上恋人未満」という言葉がある。概していい意味にとられがちだが、「友達以上」の部分を除けばどうだろう。ある程度規定付けられていた関係が、途端にはっきりしないものになってしまう。僕にとっての周りの人間は、まさに「友達以下」だった。
 あと数ヶ月もすれば、いま周りにいる人々も僕のことなど忘れてしまう。そのときそのときの社会との繋がりを受け入れることを善しとしなかった僕にとって、彼らの存在はあってないようなものだった。そう、それはちょうど今の僕のように。
 孤独は感じなかった。それほどまでに、僕にとっての孤独はありふれたものになっていたのだろう。何事もなく繰り返される毎日に、僕はただただ憂鬱だった。

 光陽園学院も例外ではなかった。見覚えのない風景、見知らぬ人々、何もかもが真新しい街。僕にとっての日常そのものだ。
 転校する前の高校は、長い受験戦争(といってもその間も転校を繰り返していたのだが)の末に合格した名門進学校だったが、僕にとってはいつものことだ。また転校かとうんざりすることはあっても、事務的に引越しの準備を進める僕の心境はいつもとなんら変わらなかった。
 転校初日の朝、一人で光陽園学院へと向かう僕に気を止める人間などいるはずもなく、人々は忙しい朝の時間を慌ただしく過ごしていた。
 仮に彼らのうち何人かが突然いなくなったとしても僕の人生には何の支障もないし、地球は誕生からずっとそうしているように回り続ける。周りの人間は悲しむかもしれないが、1万年と2000年もすれば彼のことを覚えている人間などどこにもいないだろう。
 自分もその中の一人なのだという、なんとも言えない消失感に苛まれていると、気がつけば僕は光陽園学院の院門の前に立っていた。

 職員用の入り口から入り事務室を探していると、突然教員のような男性に声を掛けられ学院長室へと通された。
 なぜ日本人はこれほどまでに人間関係にこだわるのだろう。長い人生の中でたった3年間、ましてやそれにも満たないであろうこの僕と親交を深めてどうしようというのか。
特にこれといった面白みもない学院長の話の後、担任だという男性に連れ立たれ、これから短い期間を過ごすクラスへと向かう。
 僕が教室に入ると、先ほどまでの静寂が嘘のように歓声が沸き起こり、スタンディングオベーションと共に拍手喝采……などということがあるはずもなく、僕は儀礼的な自己紹介をすませると指示された席へと座った。
 隣の女子から2、3質問をされたが、またすぐに転校してしまうだろうと言うと、僕に気をつかってか他の女子の会話の輪の中へと入っていった。
 
5月ともなるともうすでにグループ的なものはできあがったいるわけで、休み時間に触り程度の会話を交わしたクラスメートたちは自分の仲間の元へと散っていく。僕は一人、自分の席で昼食をとっていた。
 これもいつものことだ。そのうちどこかのグループの新参として迎え入れられ、いつのまにかいなくなる。これまでだってそうしてきた。
 僕は周りの世界に身を委ねるだけでいい。それが古泉一樹という存在のあるべき姿。それが僕という存在のあるべき姿。

 そんなことを考えていたそのときだ。

 「古泉君!」

 突然、僕の思考を妨げるように教室全体に鳴り響く声。――ちなみにこの声は僕の回想の中の声ではない。
 声に促されるように後ろを振り返ると、先ほど閉めたはずの扉の前には彼女、そう

 涼宮ハルヒが立っていた。   古泉一樹の消失:急(another story)へつづく

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