※このSSは古泉一樹の消失で、キョンが時間移動をしてから病室での会話までのanother storyです。

 

が一番不幸だった。

この迷路に出口がないことを知っていたから。

次にが不幸だった。

この迷路に出口がないことを知らなかったから。

その大勢は不幸ではなかった。

自分たちが迷路の中にいることすら知らなかったから。


 暗闇の中、彼に「朝比奈さん」と呼ばれていた女性の声が聞こえる。

「………や…ん……ずみ…さん」

 そういえば彼はどうなったのだろう。うまく元の世界へ帰ることができただろうか。
 考えてみれば久しぶりのちゃんとした夢だ。いましばらくこの状況に浸っていたい。

「すずみ…さ……涼宮さん!」

 突然周りの世界を埋め尽くしていたブラックアウトが晴れ、僕は自分がさっきまでと同じ部屋にいることに気付いた。
 いつの間にか壁に寄りかかっていた体を起こして声のする方へ目をやると、いまにも泣き出しそうな顔をした朝比奈さんが、床に横たわっている涼宮さんの体を揺すりながらその名前を叫んでいる。

 その横で魔法を唱えるように何かを口ずさんでいる長門さん。


 うまく状況を飲み込めない僕は、一通り部屋を見渡してみる。
 部屋の中の様子は、つい先ほど(で合っているだろうか?)と全く変わっていなかった。

 
  ただ一つ、彼がいないということを除いて。


 彼がいないということは、何者か――おそらくあちらの世界の長門さんの力が働いたとみてまちがいないだろう。

 しかし同時に、彼だけがいないという事実は、彼がここからいなくなるうえで、何らかの不都合が起きてしまったのではないかという悪い予感を感じさせた。

 

 

「……『彼の世界』のわたしとの同期に成功した」


 突然、薄幸の文学少女が呟く。

 いや、その雰囲気はさきほどまでのそれとは異なっている。口調にしてもまるで別人だ。
 彼から受け取ったくしゃくしゃの紙を、割れ物を扱うようにそっと机の上に置くと、おもむろに眼鏡を外して両の手の平の上に置く。

 すると、彼女のその繊細な指先が離れた瞬間、手のひらの中のそれは光の粒のようになって消えてしまった。


 僕は彼女の一連の動作に釘付けになっている自分に気づく。

 いまの状況を差し引きしても十分すぎるほど、彼女の振る舞いは可憐で、魅力的だった。


「ドウキとはどういうことでしょう?それにあなた、いま眼鏡が……」


 いまだに現状を把握しきれていない僕の質問に答えたのは長門さんではなく、いつの間にか泣き止んでいた朝比奈さんだった。


「長門さんも記憶が戻ったんですね」


 その顔からは、書道部から拉致してきたときとはまた違った動揺と、どうして微かな決意のようなものが見て取れた。


「そういえば涼宮さん……涼宮さんはどうされたんですか!?」
「大丈夫、気を失っているだけです。とりあえずそこの椅子にでも座って。」 

 

 

 どうやら二人には、あちらの世界での自分の記憶が戻ったようだ。

 しかしいまのところ、僕の思考回路が致命的なイレギュラー分子を観測したという報告はなく、静かに目を閉じている涼宮さんからも、おおよそそのような変化を感じることはできなかった。


「今回の責任は全てわたしにある。すまない」
「ちょ、ちょっと待ってください、いまのこの状況について詳しく教えてもらえませんか?」


 その淡々とした口調とは裏腹に、長門さんはむしろ僕の記憶が彼の消失する以前のまま変化していないことに驚いているようだった。


「あなたたちは彼から元の世界のSOS団について聞いたはず」
「おっしゃるとおりです」
「今回、世界が改変されたのは、私が涼宮ハルヒの力を彼女から奪ったせい。そして、あなたたちはこの世界が元の世界を変化させたものだと考えていたが、実際はそうではない」


 なぜ長門さんが世界を改変したのかはこの際置いておこう。


「つまり、この世界はパラレルワールドであり、『彼の世界』とは別の次元としてこれからも存続していくということですか?」 

 

 

「未来との連絡が取れないの……」


 何かに集中するように目を閉じていた朝比奈さんが、再び口を開いた。心なしか、顔色が思わしくない。


「どういうことですか?」
「彼は先ほどの局地的な情報爆発によって、世界を改変しようとするわたしを止めるために過去へ行った。統合思念体の計算によると、彼があちら側の私と接触するのにあと数時間もかからない」
「そしてもし改変が起こらなければ、この世界が創造されることはない。つまり、少なくとも地球時間で今夜12時までに――」



 「この世界は消失する」 



「何ですって!?もしそれが本当なら僕たちはどうなってしまうんですか?光陽園学院の仲間たちや、やっと記憶の戻ったあなた方、それに涼宮さんは?」
「わたしたちの心配はいらない。たとえこの世界が消失するとしても、あちらの世界に存続し続けられるわたしたちは死の恐怖を感じない。それはあなたの知人についても同じ。彼らにとって絶対的なこの世界の消失によって、彼らが感じることは何もない」
「問題はあなたたち。あなたと涼宮ハルヒはこの世界が終わっても、あちらの世界で存続し続ける。しかし、わたしや朝比奈みくると違って、『彼の世界』のあなたたちは、いまここにいるあなたたちとは全く違う存在」
「いまからあなたたちはこの時間軸であと数時間、自分自身の自己同一性の欠如に苦しめられる」
「……つまり、自分の存在理由を見出せない状況の中で、その存在の終わりという恐怖と闘い続けなければいけない、というわけですか」

 

「今後の行動についてはあなたの判断に任せる」   古泉一樹の消失:破(another story)へつづく


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