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―――ひとひら春の日に舞い降りる、それは、雪のように。
奇蹟はありふれて此の世に降り立つ。




綺麗に晴れた水色の空が、世界に被さる様に続いている。吹き寄せる優しい風には、寒さを抜け切れない冷たさをも和らげる、柔和な春の光が溢れている。
見知らぬ僻地、見知らぬ定刻。
向き合う少女と少女が、出遭った。一人はまだ彼女自身の名を獲得する以前、一人は幽霊を自称していた為に、名を明かしはしなかったのだけれど。

「どこへでも行くことはできます。あなたの行きたい場所はどこですか?」
天使と見紛う、清純で愛らしい笑顔を、幽霊の少女は表情を作る機能のない少女に与えた。少女は生み出されて間もなくであり、人との直接的な接触は初めてのことだった。無機物の如く、彫像のように立ち尽くす彼女を諭すように幽霊の少女は告げる。何もかもを終えて遣り切った事に対する誇らしげな瞳が、長らく共闘し触れ合い、歩んで来た者に対しての友愛がそこにあった。

「彼女と彼が揃う――再会の場所へ、行こうと思っていたのではないのですか?」

幽霊の少女がそっと翳した硝子製の球体のなかに、小さな、不安定な、水の結晶は降り積もる。エメラルドグリーンの輝きのなか、少女の観測したことのない事象が現出した。知識のみなら生れ落ちる時既に植え付けられていたけれども、情報のみでは処理し切れない得難い不可思議な感覚。不明のエラー、一掴みの戸惑い、
――『彼ら』の仲間となる旅の、始まりより前にあった知られざる一瞬。

幽霊の少女の掌の上に据えられたスノードームが、少女の目撃した初めての奇蹟。

「綺麗ですね。あなたの、ゆき」
「……雪」
「私にとっても、あなたにとっても、きっと大切な言葉です」

水色の空の狭間から、白く、粒子の様に零れ落ちてくるものがある。脆く弱く、呆気なく還るのだろう、薄命であるからこそ美しく賛嘆されるひとときの幻。
此の地球外では眼にすることの叶わない、澄んだ情景。

「――行く場所、思い出しましたか?」
幽霊の少女は幸せそうに微笑み、両手を広げて宙に舞った。彼女が元居た場所へ戻って行くのだ、それを知った少女は、彼女に狂おしいほどの深い憧憬を覚えた。
けれど、少女には遭うべき人々が、果たさねばならぬ役割がある。

「また、会えますよ」
無言の少女の嘆きを聞き取ったように、幽霊の少女はウインクを一つして、砂糖菓子のように綺麗な人差し指を唇の傍に立てた。庇護欲を掻き立てる愛らしい仕草が、よく様になった少女の微笑み。
「これから沢山、迷惑をかけちゃうかもしれませんけど、……『私』をよろしくお願いしますね。―――さん」

少女が其の時「己の名」と定めた言葉を見透かしたように、幽霊の少女は其の名を、口にした。 
















白熱灯が、眼球を突き刺すように、ただ眩しかった。

闇の中で急にスポットライトを浴びせ掛けられたようだと、光源に眼を慣らすに数刻を要する。古泉一樹はじりじりと視界を絞って、やっとのことでまともに瞳を開く段階を踏むことができた。
ベッドの上から電球、アイボリーの壁と視線を彷徨わせ、そうして長門有希の垂直な双眸を見つけて落ち着かない気分にさせられる。
長門はパイプ椅子に腰掛け、古泉に向けて顎の角度まで固定をして、氷像のように身動ぎをしなかった。古泉は意識を途切れさせる寸前のことを思い出し、仰向けの体勢のまま手で腹回りを擦る。包帯どころか傷跡もないことを確認して、生き残った実感がじわりと沸き、漸く安堵の息を漏らした。

撃たれたときの記憶は痛みに紛れてしまい曖昧だったものの、今寝かされているベッドや室内の様子から考えて十中八九此処は機関所有の病院。運び込まれた後、入院手続きが取られたようだ。尚且つ隣に長門有希が待機となれば、彼女の情報制御能力により治療を受けたと考えるのが妥当だろう、と古泉は推測を進める。

長門は約束を守ったのだ。必ず古泉を救うという、あの一言を。 


「おはよう、ございます」
古泉は自分でも惚けたことを言ったと思った。照明が煌々と室を灯していようと、窓外を見れば現在が夜であることは一目瞭然だった。
「おはよう」
――突っ込みや訂正が来るかと思いきや、淡々と応じる長門に古泉は益々項垂れる。情けなさが割増だ。
「また、御迷惑をおかけしてしまったようで、――不甲斐ない限りです」
「……いい。到着が遅れて、結局あなたを危険に晒したのはわたしのミス」
長門は己の不手際を恥じるように、常の平坦さより更にトーンを落としていた。長門の応答が、まるで落ち込んでいる為にうわのそらな回答をしたように聞こえて、古泉は純粋に驚きを露にした。これ程までに彼女の心境が、分かり易く表に出たことが今までにあったろうか。

長門の状況説明によるところ、古泉の憶測は九割方正しく、過激派は長門と思念体の協力によって派遣された情報端末によって制圧が完了した。古泉が病院に搬送される頃には既に、決着がついていたという。元を辿れば今回の事件の発端は、情報統合思念体が急進派を滅することを――それは長門と涼宮ハルヒ、SOS団の未来の存続の為であったとはいえ――目的として仕組まれたものであり、『機関』はその計画の煽りを食ったに過ぎない。事後フォローは当然のことである、と長門は締めくくった。
他の負傷者も手当てを終えて、同胞の犠牲が一人もないことを伝えられ、古泉は息を吐く。

事情は何であれ、総てが彼女の手によって救い上げられたことは確かだった。

「ありがとうございます、何もかもあなたのおかげです。『機関』はもう、長門さんには頭が上がらないでしょうね」
「――あなたには、わたしを責める権利がある。急進派を追い遣る為とはいえ、機関の人間まで危機に追い込んだのは我々」
「それもSOS団のためでしょう?急進派を放置しておいたら、未来彼らが涼宮さんや『彼』に害を及ぼす可能性があった。それ故に早急な対処を施したという話なら、僕に異論はありませんよ。同志にも被害がなかったなら、怒る理由もありません」
何より、命の恩人ですからね。心から笑う、古泉の微笑につられたように、長門は僅かに頬の表情筋を動かした。ぎこちないけれど微かに、それは確かな彼女の「感情」の出力に違いなかった。
長門の掌が古泉の掌にひたりと重なり、やんわりと指が押し付けられる。熱が冷たさに中和されるのが心地良い。 

古泉は、胸中に染み透ってゆく感慨に、長門の手を離しがたく思った。心なしか、無表情がデフォルトの少女が上機嫌であるらしいことを感じるのだ。
「長門さん、何だか嬉しそうですね」
「そう」
読み取ることのできるレベルでの、長門の瞳の深奥に、これまでにはなかった安穏さがあった。自己の意義を問い掛けてきた経過から吹っ切れ、迷いも葛藤もすべからく潜り抜けて、今在る自分をそのまま受け入れ誇りさえ抱いた者の顔つきを、彼女はしていた。
「思い出した」
「――長門さんが、忘れていたこと、ですか?」
「…忘れていた、という語意では適当ではない。でも、広義ではそうとも言える」
古泉はそこで、長門が膝に抱え大事そうに包んでいたものに気付いた。古泉がつい先刻に贈った誕生日プレゼント、アンティーク物のスノードームだ。古泉はまだそのスノードームが今回の事件にどのような役割を振られ活躍し、これからどのように時を重ねていくのかを報されてはいなかったのだが。

「彼だけではなかった」
長門は、古泉を望んでいた。
「あなたも、……それに、朝比奈みくる、涼宮ハルヒも。わたしにわたしの誕生日をくれていた」

涼宮ハルヒが居なければ長門は情報統合思念体に生み出されず、この地球に生誕する事すらなかった。
朝比奈みくるが、あの幽霊の少女が居なければ、長門は雪を体感し愛することにはならなかった。
「彼」が居なければ、長門は誕生日という概念も不必要なものと切り捨て欲することもなかっただろう。名を獲得した日を誕生日にすればいいと助言してくれたのは「彼」だったのだから。

そして、古泉一樹が居なければ、長門はあのスノードームに奇蹟を見ることはなかった。幽霊の少女との邂逅の記憶を、揺さぶり起こされることもなかった―――



発言の意味が汲み取れず、困惑するように「それはどういうことですか?」と首を傾いでみせる少年に、長門は沈黙を守りつつすっと目線を窓際に遣った。簡素な病室のアルミサッシの窓、深夜の漆黒が覗くそこに、ちらついて舞う幻想的な白い粒。 

答えをはぐらかされた形になった古泉だったが、その光景に目を奪われ、問答は自然と終わった。慨嘆を滲ませた古泉が、眼を細めて感心したように喉を鳴らす。
見事な雪景色だった。見惚れるほどに、輝かしい銀世界が形成されてゆく。しんしんと、クリスマスの夜であったならさぞ喜ばれただろう降雪。春季に差し掛かっているためか、その美しい白は桜の花弁にも似た、暖かな淡さを宿していた。

「先程は止んでいたように思いましたが……また、降り出していたんですね」
古泉は今日の下校時に、長門に冗談めかして口にしてみせていたことを思った。空が一足先に、長門さんを祝福しているのかもしれませんね。
古泉は無意識の内に時計の在り処を捜していた。脇の台に置かれたデジタル表示の時計にて確かめると、日付は疾うに変わっている。
一日のやり直しが、始まるのだ。

「……雪、止まないといいですね」
口をついて出たのは些細な願望だ。願ってみても罰は当たらないだろうと、古泉は訳もなく敬虔に祈りを捧げてみたくなった。彼女の誕生日だ、それくらいの我侭を聞いてくれたっていいだろうと、無理な相談であることなど承知の上で。夢のような、子供のような、安っぽい願い事を真摯に古泉は望む。

古泉の囁くような台詞に、長門もゆっくりと首肯を返した。翌日の朝の内に雪は止み、積雪の残滓も残さぬことを、翌日から時間移動している長門は当然知っていたのだけれど。

「――長門さん」
「なに」
「生還祝いということで改めてもう一度。……いいでしょうか」 

貴女に祝福の言葉と、それから。
言い終わる前に、寄せられた長門の唇が、古泉のそれにふわりと重なった。 

「許可はいらない」
長門の声に古泉は微笑み、ひとたび顔を近付ける。
彼等が交わす、初めてのキスだった。














闇。一面の。
ひたりと沈ませた脚の先に、蜿蜒と伸びる道。振り返るも同じだった。進む先も、同じ。
永劫に終わらないのかもしれないと、思いながらわたしは行く果てを目指している。
上がり下がり、曲折し、歪曲し、相乗する。記憶が霞むほど永い旅路だった。
やがて小さな一室に辿り着いたとき、わたしは途方もない刻を経ていた。混迷に導かれた様に、意識が覚束なくなっている。四角に切り取られた暗黒が入室を促して、ぽっかりと口を開けていた。

かつり。
踏み込んだ先に、目に入ったものはそう多くなかった。室そのものは、全体的に薄暗く判然としない。
中央に据え置かれた黒塗りの光沢ある棺桶、腰掛けた男。其処に在ったのはそれがすべてだった。
長い足を交差させ、腕を組んでいたその男は、此方に気付き笑ったようだった。
「こんにちは」
「――こんにちは」
「お待ちしていました」
手を広げ、歓迎の合図を示し、楽しげな男。けれど重厚な棺の上からは、退こうとする気がまるで感じられな
かった。 

「遅れてしまいました」
ふわり、と淡い白い光が舞った。布を被った少女の声。鈴の鳴るような、とでも呼べそうな、可憐な声色だった。二人はわたしに、柔らかく諭す。優しい瞳が言い知れぬ暖かさを帯びている。
「発表会はまだ始まっていません」
男は言う。
「時間はまだあるのです」
「待ちましょう、あなたが思い出すまで」
少女が告げる。

わたしが立ち尽くすその前で、少女が踊り、男が唄う。




Happy Birthday to you,

Happy Birthday to you,


Happy Birthday dear ――――




わたしは、思い出した。棺の中に還らなければならない、けれどその前にわたしが発表すべきもの。
わたしの答えだ。どうして忘れていたのだろう。彼等と出遭い交わり、得た幾つものいとおしい想いの数々。総ての解答は胸の内に在ったのに。


……わたしは、静かに名乗りをあげた。
愛しい人々から授かった、大切なわたしの心を明かす。大丈夫、これから、還る日が訪れたとしても、彼等と生きた分だけわたしはわたしのまま生きてゆける。


「――ええ、それでいいんですよ」


男のくれた赦しに、わたしは、笑った。泣きたくなるくらいに、それは、幸せなことだった。
漆黒の天井が何時の間にか開け、其処からは水色の空が覗く。
棺の上空からは、雪が降り始めていた。 




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