踏み出した足が踏むはずだった次の地面。それがなかった。
ガラッという音と共にあたしは崩れ落ちる。
「ハルヒっ…!?」
キョンに抱えられてあたしは分かった。崖から落ちてる、そんな実感が沸いた。
深い地面に打ち付けられた時、キョンはあたしの下敷きになってかばってくれた。それと同時に全部真っ暗になって、意識が遠のいた。
「…さん…みやさん…!」
誰の声…?言うならもうちょっとはっきり言いなさいよ…
「涼宮さん…!」
「…みくるちゃん?」
「よ、よかったぁ~」
泣きじゃくっているみくるちゃんが抱きついてくる。あたしは…ベッドで寝てたの?ここは何処?
「病院です…涼宮さん、意識がなかったんですよぅ…?」
「意識が…?それにこのお花…」
枯れてない、まだ新しい花。誰かが替えててくれたの?
「ああ、それは古泉くんが…」
噂をすれば影とはこの事で、見舞いの花を持った古泉くんが入ってきた。
「涼宮さん…!良かった、意識が戻ったんですね…!」
「古泉くん…ありがと、お花替えててくれたんでしょ?」
「いいえ、これは…長門さんから預ったものですよ。」
「有希が?」
「すぐ替えてと言うのですよ。相当心配していたようですね。」
「そう…有希が…。それで、有希は何処なの?」
「…彼の病室ですよ。」
「え?」
彼の病室?誰のこと?
「あら、そういえばキョンが居ないじゃない。団長の見舞いにも来ないなんて、礼儀ってものがなってないわね!」
「す、涼宮さん…」
「どうしたの、みくるちゃん。」
「キョンくんは今も…昏睡状態なんです。」
みくるちゃんの言葉であたしは何もかも思い出した。あの日のこと。
「涼宮さんとキョンくんはあの崖から落ちて…キョンくんは強く頭を打ったようで、もしかしたらキョンくんはぁ…」
みくるちゃんは更に泣きそうな顔になって、あたしもなんだが心配になってくる。
「古泉くん…キョンは、大丈夫なの?」
「崖から落ちた日からもう一週間も経っています。涼宮さんが目覚めたことでさえ、奇跡に近いと思われます。彼のことはまだ分かりません…申し訳ないです。」
「いいのよ、古泉くん。じゃあ病室を教えて。」
「まだ動ける体ではありませんよ。ここは安静にして」
「あたしは元気ビンビンよ!今ならどんな剛速球でも簡単にホームランにできそうだわ!」
あたしは起き上がって古泉くんに元気な姿を見せた。
「ふふ、分かりました。では、行きましょうか。」
キョンの病室を開けたら、真っ先に有希が振り向いてくれた。
「………!」
少し眉が動いて、すごく微妙だけど嬉しそうな顔をしてくれた。
「お花、ありがとね有希!」
「別に。」
有希は不器用な照れ方をした。これなら男たちは放って置かないわね。
「…彼はまだ起きない。」
有希の目線の先には、管がいっぱい付いたキョンがベッドで寝ている光景があった。
「何よこれ、まるで管男じゃない…」
それにこのマヌケ面。いつまで寝てるのよ、本当に寝ぼ助ね。
「ねぇ…早く起きてよ、キョン。」
「…長門さん、一人にさせてあげましょう。」
「…分かった。」
いい加減起きてよ…
「ねぇぇ…キョン…!!」
どうしてだろう。どうして涙が出てくるの?ただ寝てるだけじゃない。まだ…キョンは暖かいじゃない。
この涙はどこから出てくるの?
あたしが目覚めてからもう一週間が過ぎた。夏休みも残り三分の一もなくなってしまった。
まだ何処にも行ってないのに…これも全部キョンのせいよ。
次の学校登校日まであと三日と迫った日。朝、突然携帯が鳴った。
『涼宮さん!彼が目覚めたようですよ!僕も向かいますが、病院へ!』
あたしは服なんてすぐ適当に選んで病院へ向かった。キョンの病室へ。
病院の前にはみんなが揃って待っていてくれた。先に病室へ行っててもいいのに…
「最初は涼宮さんが声をかけてあげてください。」
「ねっ、涼宮さん!」
「…そうしてあげて。」
「な、なんかありがとね!」
「お礼なんか要りませんよ。さあ、行きましょうか。」
病室の扉を開ける前に確認する。あたし、元気な顔してるわよね。泣きそうになんかなってないわよね。
よし、大丈夫。今開けるからね、キョン。
扉を開けた先には、平気な顔できょとんとベッドから起き上がってるキョンが居た。
「…キョン!!」
真っ先に飛びつく…のはちょっとマズいと思って、駆け寄る程度にしてあげたわ。
「キョンくん…よかったぁ!」
「本当に、心配しましたよ。」
「………」
みんなも喜んでる。でも…有希が不安そうな顔で見てるのはなんで?
まぁいいわ。これから三日しかないけど、色んな所へ行っていっぱい遊んで…
「あの…悪いんですが、どちら様…ですか?」
「………は?あんた今なんて言ったの?」
「俺にはあんたのような美人さんが見舞いに来るような知り合いは居なかったはずなんだが…んーと…」
あたしは状況を掴めなかった。何こいつ、ドラマの見すぎなんでしょ?
古泉くんが心配そうな顔ですぐに寄って来た。
「分かりますか?僕たちのこと。」
「…悪い、どうやら俺は何だか知らんが入院してたらしくてな。俺の知り合い…なのか?」
「あんた大丈夫?頭でも打ったわけ?下手な冗談言うなっ!」
「あんたのような口が悪い美人さんも、そこのイケ面さんも美少女お二人さんも、俺は知らないね。」
「キョンくん?ハルにゃんたちだよー?」
妹ちゃんがキョンに駆け寄った。
「ハルにゃん?お前の知り合いか?」
「違うよー、覚えてないの?」
なあんだ、やっぱり演技だったんじゃない。
「…長門さん、これは一体…」
「彼の記憶が断片的に欠けている。有機生命体が起こす記憶喪失と同じものと思われる。」
「やはり、ですか…。」
有希、今なんて言ったの?
「恐らく幼い頃の記憶はある。欠けた記憶は高校入学以降のものだと推測できる。」
「なるほど、だから妹さんの記憶はあったのですね。」
「そう。けれど…わたしたちの記憶は、ない。」
キオクソウシツ?
そんなの、ドラマとかでしか見たことないわよ。現実世界に本当にあるのか、怪しんでたところだったのに…
違う。あたしが思ってるのはそんなことじゃない。
「キョン…あの日のことも覚えてないの?あの時のことも…」
「名前すら覚えてないんだ、すまん。」
「あ、あたし?あたしは涼宮ハルヒ」
「涼宮さんだな。覚えとくよ。そこの人達も俺の知り合いだったんだろ?」
涼宮さん…?なんて呼び方してるのよ…古泉くんやみくるちゃんみたいじゃない…
「僕は古泉一樹です。あなたと同じ高校一学年です。涼宮さんと長門さんも同様です。」
「キョンくん…あ、その…わたしは朝比奈みくるです。わたしはみんなより一つ年上なんですよ。」
「長門有希。」
「長門さんに朝比奈さんに…古泉か。朝比奈さんが一個年上なんて、見えませんね。」
有希以外は普通の呼び名じゃない…なんでデレデレしてるのよ、キョン…!
「まぁみんな、これからよろしく…」
「ふざけないで!」
あたしは耐えられない。
「どうしてあんたが記憶なんて失くすのよ…い、いい加減にしてよ!!」
「涼宮さん…?」
あんたとの思い出、あたしだけが覚えてるなんて…
「キョンなんて、大っ嫌い!!」
嫌だ。こんなの…嫌。
「待てよ涼宮!!」
「嫌ぁっ!!」
もう一度…あたしの名前を呼んでよぉ…
あたしは病室で飛び出てとにかく走った。そして上へ上へ階段を上り続けた。
そして、晴天の下の屋上へ着いた。
「せっかく好きって…好きって言ってくれたのに…なんで、なんでよぉ!!」
これから色々楽しみにしてたのに、これから…キョンと…!!
「こんなの嫌ぁっ…」
だめ…最近涙脆くて…涙なんて涸れてしまえばいいのに…!
それから三日間。あたしはずっと家にこもりっぱなしだった。
始業式当日。その日はちゃんと登校した。
前にはキョンが座ってる。声かけようかな…でも、あんなこと言った後だし…
だけど、結局話しかけられなかった。式が終わった後も、ずっと。仕方なくあたしは部室へと足を運んだ。
「おや、涼宮さん。おはようございます。」
「古泉くん…おはよう。」
みくるちゃんがお茶をいれてくれて、有希が机の隅で本を呼んでる。あたしは団長席に座っていて…いつも古泉くんとオセロをしてるキョンは…居ない。
あたしは不満と悲しみで潰れてしまいそうだった。そんな時、部室のドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ。」
みくるちゃんが対応する。ドアを開けて出てきたのは…
「あ、あれ…そういえば俺なんでこんな所に…?」
「キョンくん!」
「朝比奈さん…でしたっけ。俺は気付いたらここに足を運んでいて…」
「体の記憶が…覚えているのかもしれませんね。ここに訪れるという習慣を。」
「習慣?」
「僕らSOS団は放課後になると、毎日文芸部室に集合しているのです。そしてここを拠点として活動しているというわけです。」
「SOS団?なんだそれは。」
「ええと確か…世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団…です。あなたも入っているのですよ。」
「俺も?」
「いいえ!記憶を失くしたあんたに、この団に入る資格はないわ!」
「なんだと?」
「早く出てけ!」
「涼宮さん!」
あたしは部室の外へとキョンを蹴っ飛ばした。
「もう来るな!」
そして、あたしはドアを閉めてしまった。キョンはどんな顔をしてた?怒ってたかな…悲しんでた…?それすら確認できない程、あたしは動転していた。
ゆっくりと団長席に戻ると、有希が突然立ち上がって部室から出て行いこうとした。
「ちょ、ちょっと有希?何処行くの?」
無言で有希は早歩きで立ち去った。まるでキョンを追ったかのように。