それは満月の夜の出来事だ。
 その日の夕刻、俺は書記である喜緑くんの姿がないことに嫌な感じを憶えていたが、
帰り際に下駄箱に入れられた殴り書きの脅迫文を読んで、その予感が的中してしまった。
 
「お前の書記は預かった。○○川××橋の河原まで来い。警察には連絡するな」
 
 実は数日前に校内を荒らしている不良グループをいろいろな手を使って
退学に追い込んだという経緯がある。通常なら更生させるという手段が真っ当かも知れないが、
奴らはもはやそれを望めず、生徒への害を振りまくしかないと判断した。
ま、お飾りの生徒会長な俺でも、さすがに奴らの行動には目に余ったからな。
個人的にも目障りだったから追放してやったというわけだ。
 
 しかし、その脅迫文のサインを見るとどうやらその不良グループのリーダが喜緑くんを誘拐――拉致したようだな。
この定番で稚拙な脅迫文の書き方からして、後先を考えない行動をする知的レベルの低い存在であることは疑いようがないが。
 さて。
「行くか」
 俺はその脅迫文を破り捨てると、指定の場所へと向かった……
 
 
「へえ、逃げずに来るとは泣かせるじゃねえか」
 雲一つないきれいな満月の夜空にふさわしくない下劣な笑い声。指定された場所に来てみれば、
十数人の武装――とはいってもバットや鉄パイプ程度だが――したいかにもな連中が待ち受けていた。
その中心では跪かされた喜緑くんの姿もある。彼女の力を考えればなぜこんな囚われの身になっているのか
正直理解しかねるのが本音だが……
 それについては、俺を呼び出したリーダ格の男が勝手にしゃべってくれた。
「この女も健気でいいねぇ。適当にお前の学校の生徒を拉致ってヤルっていったら、自ら進んで俺たちについてきたよ。
自己犠牲心って奴かぁ? ならこっちも遠慮なくってわけだ」
 正直、この野郎と同じ空気を吸っていることすら嫌悪感を憶えるぜ。
 そいつは未成年であることも全く気にせず、近くに置いてあったビールを瓶ごとラッパ飲みしている。
軽く酔っぱらっているのだろう。少し顔も紅潮してテンションも無駄に上がっているようだ。
 これ以上、このバカに付き合う義理もないか。
「随分と虚勢を張っているようだが、ようは実力では俺に対抗できないから、人質を取ったと言うわけだな?
あまつさえ、それでも一人ではダメだと思って仲間まで集める用心ぶり。慎重と言えば君の神経を逆なですることはないだろうが、
逢えて言わせてもらおう。それはただの臆病だ、とな」
「なんだと……!」
 俺の挑発にあっさりと激高したそいつは、持っていたビール瓶をたたき割り、その割れてとがった刃先を喜緑くんの顔に近づける。
ちっ、彼女なら顔を傷つけられたとしてもあっさりと修復できるだけの力はあるだろうが、
はっきり言おう。彼女の顔が一瞬でも傷つけられている瞬間など見たくはない。
 だが、この人数差――さて、どうしたものか。
「へへっ、この女が無事でいて欲しければ、動くんじゃねえぞ。おら、やっちまいな」
 リーダ格の男の一声で周りにいた仲間どもが一斉に俺に襲いかかった……
 
「ぐうっ!」
 俺は圧倒的な人数差と人質という不利な条件で全く反撃もできず、ひたすら嬲られ続け、
最後は二人がかりで地面に押しつけられた。屈辱的な仕打ちだが、彼女が傷つくことを考えれば、痛みも柔らぐってもんだ。
「ざまあねえなぁ。偉そうな口をきいておきながらよぉ、その程度かよ」
 圧倒的有利な奴が吐く定番台詞だな、全く。こういう事のは伝統的に誰か伝えてでもしているのか?
 しかし、俺の意志が全く挫かれていないことに気がつくと、またカルシウム不足にもほどがあると言いたい怒りを浮かべ、
「何だよ、その目は。まだやれるって言いたげだな。なら、今度はこの女をいたぶってやろうかぁ?
ほれ、満月にふさわしい月見酒だ。テメエの女が杯代わりにな」
 また下劣な笑みを浮かべ、新しいビール瓶を持ち出すと、ふたを開け喜緑くんの頭上からそれを注ぎ始める。
「貴様……!」
 思わず自重し続けた俺の怒りが口から飛び出してしまった。ちっ、何とか今まで堪えてきたってのに。
 俺の反応がさぞかし満足だったのか、ますます調子に乗り始め、
「どうやら、テメエが傷つくよりこの女を痛めつけた方が効果があるようだなぁ。
だったら、今からお前の目の前で俺たちオールスターによる球技大会をみせてやるよ。もちろん種目競技は玉転がしだ」
 ポロリもアルよ!と取り巻きから下らなすぎる捕捉が入る。
 ちっ、それだけは何としてでも避けたいが、どうすることもできない状況だ。あとは喜緑くんが自力で何とかするのを待つしかないが、
なぜここまでされてもまだ跪かされたまま身動き一つしない。何を考えている?
 取り巻きの男たちは、もはやケダモノ精神丸出しで彼女への包囲網を狭めていった。
気の早いことにすでにズボンに手をかけているものまでいる。
 ――だが、リーダ格が何気なく放った次の一言で全てが変わった。
「にしてもこいつの髪の毛おもしれえな。ビールをかけるとふやけてアレみたくなる。おっと、これが本当のわかめ酒――うぎゃあ!」
 突如としてリーダ格の男が絶叫した。見れば、喜緑くんの手がそいつの手首をつかんでいる。
それも、まるで握りつぶされるソーセージのようになっていた。あれは痛いどころの話ではない。
中の骨も完全に粉砕されているんじゃないだろうか。
「最重要警戒禁止ワードを確認……インターフェース上の感情制御回路にエラーによる暴走を確認も、これを許容……」
 ゆらり、と喜緑くんは立ち上がった。リーダ格の手首はまだ握ったままだ。そいつは絶叫するだけで精一杯で
彼女に対して抵抗すらしていない。
 彼女の顔はややうつむき加減のため、その視線まで見ることができなかった。
しかし、俺には別のモノがはっきりと見える。恐らく周りの連中にも見えているだろう、彼女を覆う『ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……』という見えない擬音が。
 唐突に、クギャと悲鳴なのか人体の軋むものなのか判別不能な音が俺の両耳を貫く。同時に、俺を押さえつけていた二人の男が
数十メートル先まですっ飛ばされ、最後には川の中心部分に着水した。どこか身体の一部でも機能不全に陥ったのか、
まともに泳ぐこともできずばしゃばしゃと下流の方へ流されていく。
 俺はようやく自由の身となったものの、身体の隅々に激しいダメージを受けていたため、立ち上がるだけで困難だった。
しかし、不良どもの注目はすでに喜緑くんになっているらしく、俺には目もくれず一斉に彼女の眼前に集結している。
 ここに来て、彼女はようやくリーダ格の男の手を離した。代わりにその空いた手でまるで顔の仮面をはぐような動作を見せる。
ただ、ちょうど彼女は俺から背を向けているためその様子を見ることはできないが。
「ふざけやがって! 今すぐぶっ殺して――」
 リーダ格の男が涙目で喜緑くんを怒鳴りながら、その彼女を睨みつけ――
 
 
 
 それから数十秒間、周りの取り巻きを含めた絶叫のオーケストラが開始された。みな彼女の顔を見たとたんに、つばを飛ばし、
泡を吹き、ある者はまるで絞首でもされているかのように舌を大きく吐きだして呻いている……
 
 
 耳をつんざく地獄の発狂が終わったとき、俺と喜緑くん以外は全員白目をむいて気を失っていた。
まあ、ピクピク反応しているところを見ると死んではいないだろうが、心に重大な傷を負ったのは間違いなさそうだな。
 ふと、すっと彼女は俺の元に立ち手をさしのべてきた。その顔はいつものようににこやかで穏やかなものだ。
 だが、俺はその手は受け取らず、自力で立ち上がる。酷い奴なんて言うなよ。彼女を助けに来ておきながら何もできなかったんだから、
その程度のプライドぐらいにはすがらせてくれ。
 俺は自分の服に付いた土を払いながら、
「怪我はないか?」
「そうですね。自宅に戻った後にお洗濯をする必要の手間が一つ増えたぐらいです」
 そう彼女はいつもの笑顔のまま、ビールまみれになったセーラ服に触れる。
 俺はぼりぼりと後頭部をかきながら、
「今回の件については謝罪しておこう。こいつらがここまで性根が腐っているとは判断できなかったのはわたしの失策だった。
結果として喜緑くんを巻き込んですまなかったと思っている」
「構いません。これも生徒会の役目。会長のお役に立てるなら、光栄です」
 月明かりに照らされた彼女の笑みは、どこまでも柔らかく見えた……
 
 俺と彼女のそんな満月の夜の出来事だった。

 

~おわり~

 

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最終更新:2007年09月22日 23:51