関連:お姉さんシリーズ教科書文通シリーズ

 

 

 

 効果音をつけるなら、まさしくしとしとと言うほどの雨が、文芸部部室の窓ガラスを伝っていく。 文芸部部室には、今現在、1人チェスボードに向う僕と沈黙を保ったまま活字の海に身を投じる長門さんしか居ない。 それは、ある一つの事件をきっかけに発生した、奇跡の様な機会。 彼女が待てといった雨の日に彼女と2人きり。

 いつもの様に例え試験を明後日に控えようが槍が降ろうが参加を余儀なくされるSOS団の活動。 しかし、流石に受験の迫った3年生の朝比奈さんを試験前に拘束することは涼宮さんにも出来ないらしく、「試験が終わったら、絶対戻ってくるのよ!!」とまるで今生の別れの様に半泣きになりながら、朝比奈さんの長期(実際は1週間)のSOS団活動休止を許した。 朝比奈さんが居ないSOS団アジトは、なんと言うか、何かが違っていた。 強いて言うなら、お姉さんがお出かけしてしまい、残された弟や妹達だけで過ごして居るような妙な感覚だ。

 そんな最中、ゆっくりと雨は降り始めたのである。 始めはポツリポツリと振っていたのにも拘らず、今では絶え間なく、激しくはないが粘り強くしとと降る雨だ。
 それに一番最初に気がついたのは〝彼〟で、「くそ、よしずみめ。」と悪態をつきながら窓ガラスの向こうを睨んでいたのが半刻前だ。 その〝彼〟が 折り畳み傘の有無を鞄から探ろうとした際に事件が起きた。 ポロリと〝彼〟の鞄から転げ落ちたくしゃくしゃに丸められた一枚の紙が全ての元凶である。 

 音声のみでお伝えするとこうだ。 

「キョン、何か落ちたわよ。 全く、紙を丸めるなんてやめなさいよね。」

「んあ? すまんな、確かそれは……。 あーッ!! 見るな、ハルヒ!」

「何よ? 何だって言うのよ。 あら? これ、今日返してもらった数学の小テストじゃないって、

キョ――――――――――――――――ン!!!!? なにコレ!?」

「何って数学の小テストだ。」

「しらばっくれるんじゃないわよ! 何、この点数! 10の位と1の位間違ってんじゃないでしょうね!?」

「いや、正真正銘その点数だ。 そしてお前も知っての通り、50点満点の試験でもない。」

「何余裕ぶっこいてんのよ! あんた明後日から試験なの解かってる?」

「解かってるも何も、この団活のせいで疲れて勉強してないんだからしょうがねーだろ。」

「毎日団活に参加してる有希と古泉くんは、ちゃんと毎定期試験後の成績優秀者一覧に名を連ねてるじゃない!」

「あいつらと一緒の土俵で俺を考えるな! 大体、お前だって毎回名前書かれてんじゃねぇか。」

「当たり前でしょ!? 学校の試験なんてね、教科書見て解かんないトコだけ授業聞いてりゃ大体はいけるのよ。 あんたは教科書読んでも解かんないくせに、授業ちゃんと訊いてないからこうなるの!……行くわよ。」

「どこに!?」

「あんたん家! SOS団のメンバーから補修組なんて許さないんだから! 数学以外の教科も見てあげるわ!」 


と、まぁ、こんな感じだった。 

 〝彼〟の名を絶叫した際の涼宮さんの髪の毛一本一本が蛇のように見えたのは気のせいだろう。  『機関』の地獄の勉強会での森さんを思い出してしまったのは秘密だ。 ああ、耳元で鞭が唸る幻聴が聞こえる。

 上記の会話の後、涼宮さんは〝彼〟を〝彼〟の鞄ともども引きずるように文芸部部室を出て行った。 呆然と一部始終を見ていた僕と、その時もまた沈黙を保ったまま活字の海をイルカの様に突き進む長門さんを置いて。 こうして、長門さんが待てと言った雨の中、締め切られた文芸部部室で僕の長門さんが2人きりという状況が出来上がったのである。

「……………。」

 無音だ。 激しく無音である。 極稀に聞こえるのは長門さんが活字の海をめくる息継ぎのぺらりという音と、無意味に僕に弄ばれるルークの悲鳴だけだ。
何か、言わなくては。 ……でも、何を?

「な、長門さ……」

ぱたん。

意を決して何を話せばいいかと思案しながら口を開いた僕の台詞に被るように、長門さんは活字の海を閉じた。 そして、その真っ直ぐで不純物のない氷のような瞳を僕の方に向けてこう言い放ったのだ。

「古泉一樹。 あなた、傘は持っている?」 

 

☆★☆

 

 


「いやはや、よもや長門さんが傘を忘れるとは。 珍しいこともあるものですね。」
「そんなことはない。 いつもは忘れても傘を情報操作しているだけ。 今回は、情報操作の必要はないと判断した。」

「ほう。 それはどうしてですか?」

「「良好な関係」であるあなたと一緒にいるから。」

「ははっ。 嬉しいことを仰ってくださいますねぇ。 そんなことを言われると例え長門さんの御宅の前まで到着しても、傘の中からあなたを出したくなくなってしまいます。」

 誰か、この本人の意思とは無関係に饒舌で気障な口どうにかして!

 今現在、僕と長門さんは北高から下る長い長い心臓やぶりの坂をゆっくりと降下中だ。 たった1つの僕の傘を共有して。 所謂「相合傘」である。 いつぞやの教科書に書き込まれたものとは異なり、「リアル相合傘」である。 違う意味で心臓破りだ。 下ってるのに。 ああ、頭くらくらする。 長門さんの歩幅に合わせていつもよりゆっくり歩いていると言うのに。

「………。」

「どうかしました?」

 ふいに、僕の左斜め下から視線を感じた。 その方向には傘を共有している長門さんしか居ない。 僕は、できるだけ長門さんに目を合わせるように姿勢を落す。 人と話す際は必ず目を見て話す。 小さい頃散々言われた台詞だが、最近はそのせいで色々誤解をされているらしい。 彼女へ視線を合わす際、彼女が雨に濡れない様に、身長差から必然的に僕が持つことになった傘を傾ける。
そうしてやっと見えた彼女の顔が、ほんの少しだけ不安そうなのを僕は見逃さなかった。 


「あの、本当にどうかされました? あ、さっきの冗談ならお気になさらないで下さい。 ちゃんとおうちまでお送りししましたら、僕はおいとまさせていただきますよ。」

「そうじゃない。」

「では、どうし……」

「見慣れない顔。」

「はい?」

「あなたはいつも笑っている。 なのに、今は笑っていない。 わたしとの相合傘は嫌だった?」

 不安そうな表情、不安そうな声音。 僕の無意識の表情一つが彼女を不安になせてしまったらしい。 そういえば、彼女との相合傘にてしてから、僕は自分の緊張を紛らわせるために表情にまで気が回らなかった。 普段ニヤニヤしている人間が急に無表情になれば誰だって怖いだろう、不安になるだろう。 何やってんだ、僕は。

 嫌なわけがない。 自分の好きな相手と傘を共有できて嬉しくない人間など居るわけもない。 だけど、嬉しいのにどんな顔をすればいいのかがわからない。 ここ4年、笑顔以外の表情を封印してしまっていたから。 

 あ、そこ、最近までお前授業中まで百面相してただろとか言わない! 


「すみません。 不安に、させてしまいましたか……? 嫌なわけがありません。 むしろ、嬉しいくらいなんです。 でも、ごめんなさい。 こんな時、どんな表情をしたら良いか、判らなくて……」

 これが、僕の正直な気持ち。 どう説明していいかわからない。 嫌なわけがない。 嬉しいんだ。 なのに……

「笑えばいい。」

「はい?」

「嬉しいのなら、笑えばいい。」

「………!」

 目からうろこだった。 嬉しいなら、笑えばいい。 そうですね、笑顔は本来、嬉しさや楽しさを表現する表情なのですから。

「だから、笑って。」

 いつものように、でも、いつもの作り笑いの時よりもすんなりと口角が上がっていく。 僕は今、上手く笑えているだろうか。 長門さんが満足してくれるような、笑みを浮かべられているだろうか。 答えは、彼女のそれを見れば明らかだった。 先ほどの不安そうな表情とは全く違う、笑顔。 

初めて見た、長門さんの笑顔。


「「相合傘」と言うまじないは、紙面上で互いの名に一つの傘を共有することで「良好な関係」を約束してくれるもの。 紙に名を書くだけでそれほどの効果があるなら、実際に本人同士が傘を共有し会えば、その効果はさらに向上するはず。 ……わたしという固体は、古泉一樹と、より「良好な関係」になりたいと望む。 あなたは?」

 僕は思わず、立ち止まる。 長門さんもそれにならって立ち止まる。 試験期間中故に放課後の通学路の人影はもとよりまばらなのに加え、この雨のせいで人影は皆無と言える。 

Please wait for some day in the rain. <雨の日を待て> 

僕と長門さんを分かつのは共有した傘の銀色の柄だけある。

 より、「良好な関係」。 それは、友情以上の関係だろうか。
それとも、彼女は更なる友情を僕に求めているのだろうか。

でも、今は、そんなことは関係ない。 言わなくちゃいけないことがある。 例えそれが、前者でも、後者でも。

 雨がアスファルトを叩く音がする。 僕は体ごと長門さんの方を向き、彼女もそれに倣う。

「長門さん。 その件で、お話があります。 聞いて、くださいますか。」

「了解した。」

 今まで、こんなにも真っ直ぐ、長門さんの目を見たことがあっただろうか。 心臓が痛くて、逃げ出したくなるほど、澄んだ瞳。 でも、ここで逃げたら、この先はない。 逃げちゃだめだ。 今までずっと、自分に嘘を付いてまで逃げてきたのだから。

 ――大切なのは、お前の気持ちと、長門の気持ちだよ。
    お前が、長門が好きかどうか、長門がお前を好きかどうか。

    これが一番重要だろ?

 ――相手が誰だって恋愛は恋愛だし、

    振られたなら振られたでいいじゃない。 立派な経験値よ。

 いつかの山田くんの台詞と、昨日の森さんの台詞が頭をよぎる。 「でも、僕の気持ちなんて、やっぱりどうでもいいんじゃ……」そう言って逃げようとする僕の背中を押してくれる。

 ――なーに言ってんだ。 一番大切だろ、それが。

 ――あんたは、どうしたいの。

僕は、長門さんに伝えたい。 
付き合うなんてことがどんなことかなんて解からないし、それが終点だとも思わない。 でも、少なくとも、僕が、ただの古泉一樹が、ただの長門有希を好きだということ伝えたい。

 僕は、長門さんから目をそらさずに、大きく、大きく、ゆっくり、息を吸い込んだ。

<END>

 


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