古泉一樹だった。

長門の前に立つ――世の男子生徒からすれば嫌味な程にすらりと伸びた体躯、やや日本人離れした整った目鼻立ち。古泉を古泉足らしめる優美な微笑みは、馴染みのブレザーの制服姿で、夕火を背景に溶け込ませても一枚絵のように様になる。どれ一つとして変わりなく其処に、生きて、其処にあった。
古泉は長門の微細な表情の転換を見守り、確信を得たように、その笑みに儚さを付加していた。己が幽霊であることにひっそりと、得心が入ったというように。

「正直半信半疑だったのですが……あなたのその様子を見る限り、やはり、僕は今この時には既に生きてはいないようですね」
「――あなたは」
長門は、呟いた。今は単体としての力しかないとはいえ、長門の能力を以ってすれば察知は容易だった。
空間転移による、通常の人間なら感知できない身体の変質。
「昨日の、あなた」

「はい。――流石、長門さんですね」
古泉は笑みを深めた。
「僕は、昨日貴女と別れた後でタイムトリップしてきた古泉一樹本人です。僕からすると、つい一時間程前に貴女と別れたばかりなのですが――長門さんからしたら一日ぶりくらいになるのでしょうか」
昨日からの訪問。そんな芸当が可能なのは、未来人と括られて呼称される者たち、そして彼らの知人に限定すれば朝比奈みくるだけだ。長門の想定を予期していない古泉ではなく、問いを投げ掛けられる前にあっさりと種明かしをする。
「彼からお話だけはかねがね伺っていた、未来の朝比奈さんに連れて来て貰いました。最後の慈悲という訳でもないでしょうし、何故彼女が僕に時間をくれたのか。理由の方は、教えては頂けませんでしたが……」 

禁則事項に抵触するのかもしれませんね。何しろ未来の変動に関わることですから、と他人事の如く解説する少年から、悲観した様子を見て取ることは難しい。それは現実味の薄さに、自分がこれから死ぬ実感を持たぬ故、というようにも受け取れるのだが。
長門には、彼の深層心理に立ち入り、前者後者を区分する精神分析はできなかった。彼が死への道筋を歩むこと、一時しかこの場には滞在しないであろうこと。理解しているのに、理解したくない、――そんな矛盾は、機械が孕む筈のない衝動的な望みに基づく、苦しみとなる。擦過傷が増して、最後には痛みに耐え切れなくなるように、エラーが急増して追い付かなくなるのだ。

「あなたは『機関』の内部抗争に巻き込まれることになっている。昨日に帰還した後、回避行動を取れば、助かる採算は高い」
「それはできません。残念ですが」
長門の提案に、古泉の返答は素気無いものだった。古泉からは、既に己の生の終焉に対して、諦めが透けて見えた。
「何故?」
「クーデター自体については僕の耳にも入っているんです。僕が成長した朝比奈さんに、今日に連れて来られたのは、その救護に駆け付ける途中でのことでした。機関の同士が命懸けで戦っているのに、僕一人が黙って見過ごす訳にはいかないんです」
「死ぬことが分かっていて戦地に向かうのは、愚かな行為」
断定する、長門の糾弾を古泉は微笑んで往なした。
「すみません。――でも、機関は僕に初めて居場所をくれた処ですから、恩は抱えきれないくらいあります。僕が参戦しなかったことで、誰か別の人が死ぬ未来になっては困るんですよ。
ちなみに、この時間に逃げ込むというのも却下です。そういう条件付でしたからね」 

だからって自分の命をふいにしてもいいのか、馬鹿野郎。
唯一友人関係としてSOS団に居た少年ならそう、熱く声を荒げて一発殴るくらいはしたのだろうが。長門は古泉の決意を、翻させるだけの言質を持たず、……否、発そうにも「言語化」そのものができなかった。
戸惑いの渦中にあって、長門は、気付かなかったことに気付いてしまった。

「ふふ、御心配なさらず。まだ、どうなるかは分かりません。僕が知っているのは僕が死ぬかもしれない未来ですが、知っている分の用心ができますからね。生存の確率は知らずにいた時点よりは上昇している筈です。もしかしたら未来人の思惑さえも外して、生きて戻れるかもしれません。そうあれるように努力は――」
「……もういい」
長門が古泉の腕を引き、古泉は、滑らかに流し出していた声を半ばで呑み込んだ。女性形として生み出された長門のそれと比較すれば、大きく意外に肌理細やかな掌を取って、小さな手で包み込む。
小刻みに震えている、その僅かな振動を、長門は手の中に感じた。――いかに非日常の毎日に己を捧げてきた古泉一樹であろうとも、百戦錬磨の戦士ではない。もうじき死ぬという宣告を受けて、怖れがないわけがなかったのだ。

古泉は、寂しげに微笑んだ。
「すみません。……昨日から謝ってばかりですね、僕は」
伸ばした手を長門の背に回し、古泉は長門を抱き寄せた。接触すればより伝わる、少年の全身の震えと温もり。生きているからこそのあたたかさを、長門は作り物の皮膚に浸透させる。
夕日の光が色味の強度を上げて、やがて毒々しいまでの赤が充満した密室。世界の終わりの光景に立つように、搾り出された声と、愛しいものに請うように縋った抱擁。

「……もし『今日』まで僕が生きられないなら、――これだけは、言っておきたかったんです」
回された腕に力が篭り、古泉の囁きが、長門の耳朶に口付けるように触れた。
「ハッピーバースデー、長門さん」

Happy Birthday.


陶然とするような、甘い言葉だった。古泉の一件で気が気でなかった皆は「おめでとう」の一言をまだ長門にはかけておらず、また誕生パーティーが自動的に御破算となった今は、その言葉も先送りになるだろうことは確定していた。――実情を踏まえつつの、少年のせめてもの長門に贈る祝福だった。

「僕の所為でパーティーを台無しにしてしまったこと、謝罪させて下さい。それからこれは、――」
手を離し、一歩身を引いた古泉が懐を探り出して差し出したのは、親指大ほどの硝子玉。
薄いエメラルドグリーンの球体に閉じ込められたシルバーの雪が舞い、埋もれるように小粒のような赤い煉瓦屋根の家。作りこみが細かく、窓枠から煙突の中まで丁寧に細工されている。
長門は眼を見開いた。
「スノードームです。時間が余り無くて大した物は用意できなかったんですが、昨日の帰りに、アンティークショップで見つけたんです。クーデター発覚前に購入しておいて正解でした」
小球を長門の手に落とし込む。長門は表情を硬くしたまま、スノードームを見、古泉を見上げた。さらさらと零れていく、雪の日を模した石を握り締め、す、と息を吸って。

「ありがとう」
――声色に含有していた微かな真意に、気付くことなく。か細く聞こえる感謝に、古泉は、凪のように穏やかな眼を伏せた。 

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最終更新:2020年03月11日 23:18