関連:お姉さんシリーズ教科書文通シリーズ

 

 

 

「おはよう。 待たせた?」

「おはようございます。 いいえ、今来たところですよ。」

 デートと言えばこの台詞! と言う代名詞的な台詞を自分の口が吐く日など、一生ないと思っていた。  いやいや、これはデートではなく、「良好な関係」の友人との美術鑑賞会である。  浮き足立ってはいけない。 下心しかない期待など、もっての他である。 もっての他なのだけれど。

 僕と長門さんが待ち合わせをしたのは、いつもの場所、いつもの時間。 しかし、いつもの違うのは2人きりだということ。 そのいつもとの違いが、これは普段とは違う異質な集まりであることを強調し、僕の心臓を休ませてはくれなかった。

 待てど暮らせど、涼宮さんも朝比奈さんも、〝彼〟も来ない。

 いつも制服しか着用しない長門さんの、白い白いレースやフリルが上品に飾るシンプルなワンピース姿がそれを助長している。 なんということだ。 いつぞやの僕の妄想そのままじゃないか。 でも、妄想の中の彼女よりも、今目の前にいる彼女の方が何倍も綺麗だ。

 夢、だったのだ。 仲のよい、できればお付き合いしている女の子と、駅の出口で2人きり待ち合わせて、

「待った?」

「ううん、今来たとこ。」

なんて、一昔前のドラマのような台詞を交わすことが。 かれこれ、中学時代からのだ。 ありえないと思い込んでいたから。 

ところが今、付き合っている訳ではないが自称「良好な関係」の異性の友人と2人、駅の出口に2人きりで待ち合わせ、件の会話を交わしている。 本当に僕は、古泉一樹だろうか? もしかしたら、涼宮さんの力あたりで誰か他の人と入れ替わったりしていないだろうか。 それとも、それこそ夢、じゃなかろうか。 今なら、羽根すら生やせそうな気がする。 ああ、だめだ。 充分浮き足立っているじゃないか。

「嘘。」

「…はい?」

「あなたが、今来たところと言うのは嘘。 あなたは、約束の時間一時間前にはここにいた。 嘘はいけない。 何故嘘をつくの?」

 あはは、お見通し……ですか。 長門さんですもの、仕方ありませんよね。 まぁ、つまり、それほど僕が浮き足立っいるってことです。 仕方ないんです。 僕だって健全な男子高校生なんです。 解かっててもそわそわしてしまうんです。

「いや、なんと言いますか……。 ついいつもの癖で。 ほら、不思議探索の癖…でしょうか?」

「涼宮ハルヒや朝比奈みくる、〝彼〟は、来ないのに?」

返す言葉もありません。 一体どう説明すれば、長門さんを失望させずにこの状況を打破できるのでしょうか。 誰か教えてください。

「……それに、さっきからあなたの体温や心拍数が急激に上昇している。 ……体調不良? なら、今日は中止……」

「いえ! 行きましょう! 氷の彫刻の展示は今日限りですし、僕の体調に問題は無いです!」

 僕は慌てて、長門さんの手を取った。 ここまで来て、中止になんかしたくない。
なぜ? と訊かれたら、絶対に答えられないけれど。 とっさに掴んだ手を、なかなか離せない理由も。 

「美術館の開館時間まで少しあります。 いつもの喫茶店でお茶でもいたしませんか? もちろん奢らせてもらいますよ。」

 しかし、このそこだけ別固体なんじゃないかと疑ってしまいそうな無駄に饒舌で気障な口がぼろを出さないかが心配だ。

「ありがとう。」

 今彼女の目を見たら、今一時の感情に押し流されて彼女にあらぬ事を言いかねない。 こちらを見上げた長門さんの顔が真っ直ぐ見れない。 僕は、必死でいつもどおりの笑顔を作った。 それは、僕にとっても、何より彼女にとっても、あまりよくないことに違いないから。

そんな僕の心を知ってか知らずか、長門さんは僕に今まで聞いたことが無いような柔らかい声で礼を言った。

何故だろう、心臓が潰れるかと思った。

いつもの喫茶店での軽い朝食とも昼食とも言えない軽食を取った僕らは、のんびりと今回の目的地である市立美術館へ向かっていた。 長門さんは、いつもとは違う白い白いワンピースのすそを揺らし、ストローバッグを僕が居る車道側ではなく歩道側の手に持ち、どこか楽しそうに見える。 きっと、これから向かう先に広がっているだろう未知のものに好奇心が疼いているのだろう。 彼女はこう見えて子供っぽい人だから。

 僕はといえば、先ほどの喫茶店で長門さんが店で注文を受けてから絞っているというオレンジジュースを口にした瞬間の記憶を反芻していた。 そのときも確かに僕の目には、長門さんの周りをキラキラとした何かが舞っていたように感じたのだ。 その中心でほんの少し緊張感が抜けたような彼女の表情は、何故か僕の脳裏から出て行こうとしない。 思い出すたびに、肺が締め付けられるような、もどかしい痛みに襲われるのだ。 それだけじゃない。 何かしらの一言を添えた日本史の教科書を手渡す際の小さな感謝の音も、 何かしら頼みごとのあとに、小さく小さく傾げられる表情も、僕の何かを掴んで話さない。 

 こんなに近くに、長門さんが居るのに僕は長門さんを真っ直ぐ見れなくて、それなのに目をそらしても長門さんを見つめている。 そんな感情を僕が示すメリットも、そんな感情を向けられることにより長門さんが得られるメリットも何もない。 むしろ、僕の感情は長門さんを困らせてしまうものでしかないはずだ。 涼宮さんを観察して、その情報を情報統合思念体に報告するという長門さんの使命の邪魔にしかならない感情だ。 それなのに、僕は長門さんの隣にいたいと望んでいる。 僕は、なんて我侭なのだろう。

 こうやって、彼女が興味を示したからというもっともらしい理由をつけて、彼女の隣を占領している。 この集まりに涼宮さんや朝比奈さん、そして〝彼〟を誘えば、僕としても、長門さんとしても自然な形で涼宮さんの行動を、心理状態を観察できるだろう。
少し珍しい小さな町の美術館のもようしものも、涼宮さんの退屈しのぎにはもってこいなのだ。 それなのに、僕はあの3人を数えず長門さんと2人で、まるで逢引のような一日を過ごさんとこうやって、 待ち合わせの時間を決め、二人きりで喫茶店で向かい合い、まるで彼女を守るように車道側を歩いて、彼氏面をしているのだ。

 そんな事実、どこにもないというのに。 なんと滑稽な話だろうか。 きっと彼女は僕のこの行動が、ただ純粋なる厚意から来ていると思っているだろう。 いや、そう思っていて欲しい。 もし、この行動原基がただ、彼女の隣にいたい、彼女にとっての一番であるように周りの人間に思われたいという下心からだと知られたら、 僕は、どうなってしまうだろう。 やはり、長門さんに嫌われてしまうだろうか。 そういえば、最近の僕はそればかり恐れている。 

 毎日毎日、一人の異性に心を支配されて、相手の一挙一動に一喜一憂して、 彼女に嫌われたくない、失望されたくないと躍起になって、彼女にいつも幸せでいて欲しいと思う感情。 誰にも彼女の隣を明け渡したくないという感情。 自分が感じた楽しいこと、綺麗なもの、美味しいもの、みんな教えてあげたいと思える感情。

 開き直ってしまえば、なんということのない話である。 神のごとき力を有する涼宮さんが、〝彼〟に想いを寄せるただの女子高生であると同時に、その涼宮さんに不可思議な能力を与えられた僕も、ただの男子高校生だったのだ。

 僕は、長門さんが好きなんだろう。 この感情は、彼女にとって迷惑な感情でしかないかもしれない。 それでも、僕は長門さんが好きだ。  1人想うだけなら、神様も許してくれるかもしれない。 でも、それは、長門さんにも周りの誰にも気づかれてはいけない感情だ。

だから、僕はいつもの笑みを続ける。 僕の感情など、どうでもいい。

「長門さん。 ほら、あそこですよ。 見えますか? あの白い建物です。」

「見える。」

「氷の彫刻は、ちょうど正午からの展示らしいですから、少し急ぎましょう。」

「了解した。」

言葉は事務的なのにどこか期待に満ちて聞こえる長門さんの声に安堵して、 僕は、ほんの少しいつもより歩幅を狭め、長門さんに合わせるように一歩を踏み出した。

電気自動にしてはゆっくり開いた美術館の扉の向こうは、氷をすぐに溶かしてしまわないためにだろう、かなりひんやりとしていた。 視覚で涼を取ろうという企画なのに、本末転倒じゃないかと思わないことはないが、より多くの人に芸術を感じてもらおうという心意気なのだろう。 美術館の入り口すぐにあるセントラルホールの中心には、今まさに海面から飛び上がったような躍動感溢れるイルカの氷像が鎮座していた。 水しぶきももちろん氷を整形されたもので、今にも水の小さな雫が降ってきそうなリアリティがある。

 長門さんが今回のこの美術館へ行くことに対し、最も重要視していたのがこのイルカの氷像だ。 甘味屋の壁に貼られていたポスターの中心に居た彼は、長門さんのハートをがっちり掴んだのである。 羨ましい。 嫉妬してしまいそうだ。

 ホールに一歩足を踏み入れたその瞬間、長門さんはふらふらと取り憑かれる様に彼の前へ歩みを進めていく。 その瞳は、彼自体がホール全体から浴びる照明を反射しているが故もあるだろうが、キラキラと 光っているように見えた。

 かなりの重さがある彼が倒れない様にある程度の位置に設置された立ち入り禁止区域のギリギリまで近づき、彼を見上げる長門さん。 今まで見たどの長門さんよりも、綺麗に見える。 イルカ、好きなのだろうか。 ならば、今度は水族館にお連れしたい。 もちろん、彼女が望めばだが。

「以前、読んでいた本の挿絵としてこのイルカと呼ばれる哺乳類が描かれているのを見たことがある。  彼等は哺乳類であり、えら呼吸などの液体からの酸素補給術を持たないのにも関らず、その命の大半を海中で過ごす。 不可解。  でも、その泳ぐ姿は流れる様に美しく、この氷像の様に海面に跳躍した際の美しさは圧巻。 とても……綺麗。」

 ぽつぽつと語り始める長門さんの瞳は完全に彼に奪われてしまった。 その表情はいつもより興味深そうにきらめいている様に見える。
少々悔しい気もするが、彼女が喜んでくれたなら嬉しい限りだ。 また、心臓が痛い。 肺が小さくなる。

 しかし、それ以上に僕の胸に悲鳴を上げさせる台詞が、先ほどまで表層の彼に釘付けだった目線を僕に向けた彼女の口から流れ出た。

「あなたにも、見せたかった。」

 息が止まるかと思った。 多分おそらく、今日初めて彼女の目を真っ直ぐ見たのではないだろうか。 時が止まったかと思った。 つい今しがた、自分の感情を自分に白状した僕である。 こんなにも、真っ直ぐに目を見られてしまうと、もうどうにも出来ない。 僕は、まるで蛇に睨まれた蛙の如く、ピシリと固まった。

「おそらくこの氷像のモデルになったイルカは、スナメリ。 背びれが殆どないのが特徴。 分布としては……」

長門さんは、僕の様子に気がついていないのか、また氷像の方を向き、淡々と氷像の彼についてを語る。 いや、ホント、僕の独りよがりだ。 妙な期待をして、妙な気を回して、本当に馬鹿みたいだ。 彼女がこうして気にしていないのだから、僕がいくら悶々と悩んでいたってしょうがない。 

 開き直った僕は、彼女の説明に相槌を打ちながら、自身が書籍などで聞きかじった薀蓄を披露する。 そのまま、極自然な流れで長門さんを他の展示品が置いてある別フロアまでエスコートし、そこでもやはり今日のために溜め込んだ薀蓄を語る。 時々、驚いたように頷いたり、小さく首を傾げる長門さんを見ながら、やっぱり来てよかったと思う。 

 それから、僕たちは小さな美術館の中の作品を全てゆっくりと堪能し、日が少し傾いた頃にまたいつもの喫茶店でお茶をして、いつもの駅で別れた。 

 長門さんが嬉しそうにしているのを見るのは、とても楽しい。 それは、とても自己満足な感情で、彼女にとっては迷惑でしかない感情だろうけれど。 長門さんが普通の女の子の様に振舞えば振舞うほど、僕の言いようのない期待はつのる。 もしかしたら、いつか、ただの古泉一樹とただの長門有希として向かい合えるかもしれない、と。
そんなことは、涼宮さんの能力が無くならない限りありえないし、なくなればなくなったで色々な問題が出てきそうで、 今現在の僕の、いや、『機関』の意思としては現状維持以外ない。 それなのに僕はここ最近何時も言いようのないせん無い期待におろおろさせられっ放しである。 

 そんなことではいけない。 僕の感情などどうでもいいのだ。 そうは思っていても、長門さんの一挙一動を見るたび、僕の心臓は締め付けられるのだ。
 
気がつかなければよかった。 こんな感情。 

<続く>

 


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