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鬱グロ注意

 

[朝比奈みくる編]

 

   最近キョン君の様子がおかしいです。何か変です。もうかれこれ1ヶ月も休んでます。どうしたのでしょう?
   もう一つ変な点があります。それは涼宮さんです。何故かキョン君が休んでいるにも関わらず特に心配している様
子もなくお見舞いにも行きません。これはおかしいです。絶対に何かあります。そう思ってわたしは長門さんと古泉く
んに相談してみました。
「実はここ一ヶ月の間、彼はずっと自宅から出ていません。窓にはカーテンがかけられていて中の様子を確認できま
せんでした。家族の方々にも伺ったのですが、ずっと閉じこもったままでいるんだそうです。そしてこれが最も気に
なることなのですが、どうやら一ヶ月前の閉じこもる前日から毎晩うなるような悲鳴が聞こえてくるんだそうです。
恐らくこれは大変危険な状況でしょう。何とか手を打たねばもしかすると彼の命が……」
「そんな……」わたしは絶句しました。
「それと最近は涼宮さんもおかしいですね。あれほど気に入っていた彼が学校を1ヶ月も休んでいるというのにいつも
通りにしています。まるで、彼が何故休んでいるのかを知っているように。もう一つおかしいことをあげると、彼が閉じ
こもった日の前日から毎晩小規模ながらも閉鎖空間が発生しています。しかもこの閉鎖空間は悪いことにあのとき
のように我々の誰もが介入できないほど強力に遮断されてます。以前に長門さんにも試みてもらったのですが、前
回以上に完璧に隔離されていて駄目だったようです」
   そこまで話して古泉くんの目は明らかに絶望色へと染まっていきました。長門さんも諦めたかのように俯いていま
す。そしてわたしの心にも真っ黒な絶望感が胸の中にどんどん満ちていきました。それは仕方ありませんでした。な
ぜなら、今の古泉くんの話からさすがのわたしでもその最悪の状況を推察できてしまったからです。いったい涼宮さ
んとキョン君の間には何が……。


   わたしは翌日、学校を休んでキョン君の家へお見舞いに行きました。慰めになるようにとできるだけ綺麗な花を買っ
てきました。お花の名前は(聞いたはずなのに)もう忘れてしまったのですが、赤くて小さな花です。それを4本買って
綺麗にラッピングしてもらいました。わたしはインターホンを鳴らし、出てきたキョン君のお母さんに案内されてキョン
君の部屋の前まで来ました。キョン君のお母さんは酷く疲れている様子で、頬が少しこけていました。キョン君のお
母さんが部屋に声をかけても何も返事が来ず、わたしが来たことを伝えても無反応です。キョン君……。キョン君の
お母さんにその場から去ってもらい、わたしはドア越しにキョン君へと話しかけました。どうしてここ最近ずっと学校を
休んでいるんですか?   どうして部屋から出ないんですか?   みんな心配してますよ?
   返事は一つも帰ってこず、わたしは覚悟を決めなければならなくなりました。覚悟を決めて、震える声を振り絞って
言いました。涼宮さんと何かあったんですか……?   わたしがそれを言い終わった瞬間ドアが勢いよく開き、中から

伸びてきた手に右手を掴まれて部屋の中へ素早く引きずり込まれました。吃驚して悲鳴をあげたわたしの口へ汗ば

んだ掌が覆われ、口を閉ざすことを強いられました。ドアをバタンと閉めてすぐに鍵をかけられました。わたしは反射

的に抵抗しましたが、朝比奈さん、朝比奈さんと呼びかける懐かしい声で我に帰りました。それは痩せた男の人で

した。


   それはよく見るとキョン君だったように見えましたが、とても前と同じ面影があるとは思えませんでした。肌が青白く
て頬はこけ、唇は乾いてて目がギョロりとしていました。肌色のTシャツは襟首がべろんと垂れ伸び、あちこち染みが
ついていてくしゃくしゃでした。下は紺の短パン姿で、やはりどこか汚い印象を与えました。寝癖だらけの髪は少し伸
びているようで、以前会ったときと比べると目元が少し見えにくくなっていましたが、間に見える瞳は真っ赤に充血し
ていました。とても以前のキョン君と同一人物だとは言えそうにありませんでしたが、状況から言ってこの人しかキョ
ン君と言える人はいませんでした。キョン君は落ち着いてきたわたしの口から手を離して、すみませんと呟いてから
虚ろな目でわたしをぼうと見つめました。
   わたしは本とCDと衣服などがごちゃごちゃになった部屋の中を見渡しました。家具という家具は皆々哀れにもボロ
ボロに壊されており、飛び散った木片や突き出した木の板などもそのままでした。足元には服や本やCDケースなど
が無秩序に散らばっており、ここは本当に人が住んでいる部屋なのだろうかと疑ってしまう有様でした。壁や天井に
はあちらこちらに穴が開いており、そこへ服を詰め込んで塞いでいる場所もありました。わたしはしばらくそうして周り
を観察した後、ずっとこちらを見ていたキョン君と目を合わせました。まるで人の目ではないかのようにこちらを直視
している瞳に話しかけました。キョン君、いったい何があったんですか?   涼宮さんと何かあったんですか?
   キョン君の瞳から一筋の涙がこぼれ、次いでどんどん涙が流れていきついには号泣をしながらキョン君はわたし
を強く抱きしめました。いきなりの行動に完全に困惑してしまったわたしは、わっわっわっと慌てるしかありませんで
した。わたしはついにどうすることもできずにそのまま抱き締められていると、しばらくした後に彼はやっと力を緩め
てくれました。でもまだ離してくれません。わたしは再度、なにがあったのかと聞きました。彼は嗚咽を交えながらも
自分を落ち着かせようとしながら話しはじめました。

   キョン君の話を聞いたわたしは愕然としました。そして予想していた最悪の事態が訪れていたことを。キョン君は一
ヶ月前の日の夜、またあの日と同じく閉鎖空間へと涼宮さんと閉じ込められました。古泉くんから聞いていなかった
その閉鎖空間の場所は学校のキョン君と涼宮さんの教室だったようです。最初は涼宮さんもどうにか脱出する方法
を一緒に模索したようですが、次第に様子がおかしくなっていき、ついには気が狂ってしまったそうなのです。乱心し
た涼宮さんは何を思ったのでしょうか、動けなくしたキョン君を思い切り蹴り飛ばしそのままずっと殴る蹴るを繰り返し
た後に手と足の指を一本ずつ丁寧に折り、更に脚と肋骨と鎖骨を折った後に首の骨を折られたそうです。言い表せ
ぬ痛みと共に意識が遠のくと、次の瞬間は自分の元の部屋で朝に目覚めるのだそうです。
   その日はあまりのショックで学校を休んだのですが、その日から毎晩涼宮さんに夢の中での究極のサディスティッ
クバイオレンスを受けていたのだそうです。目覚めると全くの無傷なのにも関わらず、傷つけられた記憶が痛みを体
へと思い出させるようです。あるときには歯を全部抜かれて出血多量でショック死し、またあるときには生きながら目
の前で取り出された心臓を食べられたとも。あまりの凄惨さに吐き気を覚えたわたしは、たまらず部屋の隅に吐いて
しまいましたがキョン君は一向に気にしないでまだまだわたしに語りました。そして最後に、今までで一番涼宮さんが
恐ろしい化け物であるということをわからせるのに十分すぎる力について話しました。
   それは、必ず眠ってしまうこと。キョン君は眠れば夢で涼宮さんに殺されるので、絶対に眠らないようにいくら対策
を施しても必ず深夜の12時までには眠らされてしまうそうです。涼宮さんに呼ばれたキョン君はどうしても逆らえな
いのです。キョン君はついに眠ったら自分が死んでしまうように、力を入れ続けないとナイフが首に突き刺さるように
自分に罠を仕掛けたのにも関わらず、やはり12時に眠ってしまったそうです。そして朝目覚めると、首には刺された
様子はなく、ナイフはキョン君とは反対側の壁に突き刺さっていたのだそうです。さらに手首を切り落としたり首や心
臓を突いて自殺もしたそうです。しかし自殺をして意識がなくなった後は必ず目覚めてしまい、傷は必ず完治してしま
っているんだそうです。キョン君はもう死ねずに生き殺され続ける運命へと涼宮さんによって決められてしまったので

す。


   全ての謎を語ったキョン君は少しの間俯いたまま、ぶつぶつと何かを喋り始めました。そして顔をぐいと上げ大きく
開かれた浮き出た両目でわたしを見つめました。
「朝比奈さん……助けて、ください。あなたしか、俺を助けてくれる人がいません。お願いします。ハルヒを……涼宮ハ

ルヒを殺してください。お願いします。殺してください。お願いします。殺してください」
   恐らくキョン君はそう望むだろうと予期していました。同時に絶対に言わないで欲しいと願っていたのですが。わたし
はしばらく俯いたまま黙っていました。みるみると恐怖がわたしを追い立てます。何も言えずに立ちすくんでいるわたし
を見て、キョン君は跪きスカートにしがみついてきました。僅かな光が差した瞳からは先ほどとは違う涙がにじみ出てい
て、ひきつった笑顔でした。
「お願いです。お願いです。お願いです。お願いです。お願い……」
   わたしは吃驚して、ひっと思わず叫びそうになりました。寒気が背中から全身を循環して、鳥肌をぷつぷつと立たせて
いきます。自分の体がどんどん震えていくのを感じながら、何とか言葉を吐き出しました。
「こ、古泉くんと長門さんに、相談してみます……」
   直後に必死にしがみついていたキョン君の両手はずるずると力なく崩れ、だらんとキョン君の肩に垂れました。力なく
座り込んだキョン君は頭を傾いだままわたしを仰ぎ見ました。窓から入ってくる日の光が部屋の中央でピクリとも動かな
いキョン君全体を鮮明に見せていました。ただただ見据え続ける両目に耐えられず、それでは今日はこれで、と誰にかけ
るでもない言葉のように言いながらわたしはドアへと身を翻しました。震える脚で何とか数歩歩いて鍵を開けます。部屋
を出てドアを閉める瞬間まで、キョン君はそのままずっとこちらを見ていました。ドアが閉まる直前、数センチ開いた隙
間へわたしはつい漏らしてしまいました。
「ごめんなさい……」
   バタン、カチャン。ドアが閉まった直後すぐにかけられた鍵の音で、キョン君との絆が完全に断ち切られました。急激
に登りつめてきた感情に顔を俯かされると、綺麗にラッピングされた小さな赤い花が4本ほど、根元からべっこり折れ曲
がったまま右手からぶらりと垂れ下がっているのが見えました。それはすぐに霞んで見えなくなり、溢れ出る涙を袖で拭
い取りながら、嗚咽で呼吸を苦しめながらわたしはキョン君の家から去ろうとしましたが、涙で前が見えなくて全く歩け
ません。わたしはドアの前でひたすらわぁわぁと泣き、まもなくキョン君のお母さんと妹さんに慰められながら居間まで
連れて行ってくれました。居間の白いふかふかのソファに座ってやっとまた泣き出し、しばらくしてやっと涙が枯れてき
ました。妹さんからタオルをもらって涙と鼻水だらけの顔を拭うと少し落ち着きました。上ずった呼吸を抑えながら膝の
上に置いていた赤い花を見つめていると、ふと一つの違和感が生まれました。何かおかしい点があるような気がしてなら
ないのですが、それが何であるのかは全く思いつきません。心の中をそのおかしな感覚に埋め尽くされたことによってや
っと落ち着いたわたしはキョン君の家を後にし、古泉くんと長門さんに合流することにしました。

[古泉一樹編]


   ツーッツーッと鳴る携帯をパタンと閉じ、しばらくの間目を閉じて考えました。三日前から学校を休んでいる彼、その
彼の反応、同じ三日前から発生している侵入できない閉鎖空間、涼宮さんの不可思議な態度……。そして、それらから
予測された事態に対する予想通りの機関からの指示。僕は一つの結論に達し、目を開けました。水色のタイルが敷かれた
男子トイレから出て、ゆっくりと文芸部室へと歩きだします。扉をノックするとはぁいという舌足らずな声を確認して扉
を開きます。朝比奈さんがメイド服でいつも通りにお茶の用意をし、長門さんがいつも通り本を読み、涼宮さんがいつも
通り団長席にてパソコンのマウスを動かしていました。指定席へと座りながら何気なく聞いてみます。
「おや、もしや今日もお休みのようですか」
   視界の端に長門さんを捉えながら涼宮さんへ問います。頬杖をつきパソコンのディスプレイを見ながら、そうみたいよ
と涼宮さんは関心なく答えました。そうですか、と僕も関心なさ気に返しながら長門さんを見ました。長門さんは開いた
本へ視線を落としたままです。朝比奈さんだけが僕にお茶を渡しながら
「キョン君今日もお休みなんですねぇ。どうしたんでしょう?   心配です」
   と言い少し寂しそうな表情をしました。その後は朝比奈さんのお茶を啜りながら朝比奈さんとオセロをし、全戦全敗し
てその日の活動は終わりました。それぞれが分かれ道で解散した数分後に長門さんへ電話し、長門さんのアパートを訪ね
ました。入って、と短く言われて入った長門さんの部屋はコタツテーブルが真ん中にあるだけの実にシンプルな部屋です。
   長門さんが煎れたお茶を啜りながら、話を切り出しました。
「今日で彼が休んだのは三日目です」
   長門さんは正座のまま僕を見ました。
「その三日間の毎夜、特殊な閉鎖空間が発生しました。我々が介入できなかったあのときのものより強力な空間です。我
々機関が全力を出したにも関わらず、その空間への侵入は不可能でした。完璧に遮蔽されています。恐らく今夜も発生
するでしょう」
   長門さんはまるで全てもう解っているかのように微動だにしません。
「長門さんは侵入を試みましたか?」
「最初の発生時に試みた。結果はあなたたちと同じ」
   即答を終えた長門さんはまたそのまま動かなくなりました。
「そうですか」
   僕も長門さんの目を見続けました。しばらく無音の時間が過ぎ、それ以上話すことがないことを確認して僕は立ち上が
りました。
「そろそろ失礼させてもらいます」
「何故」
   背を向けた僕に長門さんの小さな声が響きました。振り返って長門さんを見ると、さっきの姿勢のまま首も動かさず次
の言葉を放ちました。
「あなたたちにとって今の状況は悪いものではないはず。今の状況を涼宮ハルヒが自然死するまで様子を見続けるのが最
も適当。なのに何故、私の助力を仰ぐ。閉鎖空間への侵入が成功し、涼宮ハルヒの凶行を阻止したならばほぼ100%の
確立で世界は改竄される」
   首だけをこちらに向け、再度聞きました。
「何故」
   僕が少し悩みながら言葉を選んでいると
「大丈夫。あなたに仕掛けられている盗聴器は現在一時的に遮断した。漏れる心配はない」
   僕は肩をすくめながらも、長門さんに敬服の意を込めて微笑みながら答えました。
「僕は彼と一つの約束をしました。最初に雪山で遭難して館であなたが寝込んだときです。僕は一度だけ機関を裏切り彼
らを助ける、と。その裏切りが今なのです」
「助ける……?」
   長門さんはよく見なければわからないほど薄い疑問符を顔に打ち出していました。
「そうです。確かに今の状況が永久的に続くのならば世界は無事平穏のまま何事もなく済むでしょう。ですが、それは僕
が望む形での平穏ではありません。一人の親友の犠牲によって成り立つ平和など僕には要りません。今現在の涼宮さん
も恐らく自分が望んであのようなことをしているとは思えません。だから涼宮さんにも助けが必要でしょう。そして、
恐らくあなたにも」
「私……?」
「ええ。今ならまだ間に合います。涼宮さんと彼を助け出すためにも協力して頂けませんか。そうなれば非常に心強いの
ですが」
「…………」
   数センチも俯いて沈黙した長門さんに再度背を向けて長門さんのアパートを去りました。
   しかし僕としても今としては現状の様子見しかできず、歯がゆい思いをしながらとうとう一ヶ月も過ぎてしまいました。
アパートでの会話の報告を誤魔化したため、機関の監視が厳重になってしまい下手な動きができなくなったからです。長
門さんからの返答はその後も来ず、今頼りとなったのは朝比奈さんだけでした。朝比奈さんだけが今この状況に於いて自
由に行動できる存在だからです。そして今、やっと朝比奈さんは我々に相談してくれました。

   翌日の昼休みに朝比奈さんから連絡がありました。すぐに学校を出て近くの公園へ行くと朝比奈さんと既に長門さんが
も来ていました。僕は朝比奈さんに彼について聞くと朝比奈さんは急に号泣してしまい、隣にいた長門さんが代わりに話
してくれました。状況はかなりよくありませんね……。
   ふいに長門さんが顔を上げ何もない宙を注視し出しました。どうしましたか、と聞くと長門さんが素早く唇を動かしま
した。
「涼宮ハルヒが数分前にこの世界から消えたことが判明した」
   一秒後さらに長門さんは続けました。
「さらに今から0.03秒前に涼宮ハルヒを彼の部屋に出現したことも判明した。どちらとも方法は不明」
   その言葉を聞いて一瞬心臓が喉まで上がってきたような気がしました。一体何が起こっている?
   とにかくこのままでは危険です。早急に対処しなければ……長門さん、我々を今すぐ彼の部屋へ連れて行くことができま
すか?
   数秒の間お互いの目を見つめ合い、長門さんは徐に僕と朝比奈さんの腕を掴みました。どうやら連れて行ってくれるよ
うです。長門さんが素早く呪文を唱える直前、朝比奈さんはえっ?   えっ?   という表情で僕達を見ているのが見えました。
   長門さんが急に強く光り出し、眩しさに目を瞑られると、次に目を開いたときには暗くて薄ぼんやりとした視界が映り
ました。外から急に室内へ移動したからです。視界の全てが暗すぎて何も特定できませんでしたが、しばらくすると徐々
にモザイクが解けていきました。そして部屋の中央で彼の上に被さっている涼宮さんがいるのが見えました。その背中から

は貫通した鋭利な刃物がその先端を覗かせていました。制服がみるみる赤く染まっていく涼宮さんの両手は彼の首へと回

っていて、彼の両手は涼宮さんの胸から生えた柄を掴んでいました。

 

[涼宮ハルヒ編]

   風呂上りで爽快になっていたあたしは明日の学校の準備を終え、就寝しようとしていたときだった。とつぜん
誰かに胸中を弄られた錯覚がした。心臓を直に握られたようなその感覚に悪寒が走り、次いで眩暈がするほどの
吐き気に催され、動悸が加速した。突如の混乱に耐え切れなくなったあたしは自分の部屋の家具を手当たり次第
に殴った。机、椅子、テレビ、壁、床……。擦り切れた拳から飛び散る鈍色の鮮血がよりあたしを加速させてい
く。どこから出自しているのかも解せないこの怒りに酷似した興奮は当分止まなかった。
   腕がもう上がらなくなり膝を折ってベッドへと横臥したとき、ようやく理性がもどってきた。激しく起伏する
胸が落ち着くにつれ、汗だらけのパジャマと時計が指し示している現在時刻から、いま自分は就寝しようとして
いるところだったことにぼんやりと気付く。両拳から徐々に登ってくる熱い刺激に顔を顰め、脱力した両腕の先
を見遣ると皮膚は千切れて剥がれ落ちてしまい、その中からまるで血の海に浮かぶ島嶼のように拳骨が浮き出し
ていた。
   だがあたしはこの痛々しい傷を手当てしようという気にはならなかった。代わりに沸いて出てきたのは全身が
鳥肌を立てるほどの満足感だった。自然に微笑んでしまうほどの幸福感は先ほどの狂人的奇行を顧みさせること
などさせず、間もなく訪れた疲労感と睡眠欲によってあたしはそのまま眠ってしまった。

   夢を見た。

   翌日、いつも起きる時刻の一時間も前に目覚めた。実に清々しい朝で、後ろ髪を引くような眠気がこれほど感
じなかったことなど今までにあったかしらというほどだった。身体中からエネルギーが漲るようで、あたしは飛
び跳ねるように学校へと向かった。
   キョンは学校に来なかった。ホームルームが始まっても現れないのに訝しんだとき、今朝の夢を思い出した。
まさかあれが関係してるわけじゃ……。いやな不安が心をかすめたと同時に、別の感情も密かにもやもやとして
漂い始めた。
「涼宮のやつ、キョンが休んだってのに随分と嬉しそうな顔をしてやがんな」
   谷口がこちらを見ながら、小さな声で国木田に耳打ちしているのが聞こえた。

 

   キョンのことが心配だったけど、それより先に確認しなくちゃいけないことがあった。もしそれが本当だった
ら、今朝の夢は現実だということになる。問題は、どうやってそれを確認するか。あたしはキョンのいない部室
でうんうん唸って考え込んでいた。有希はいつも通り窓辺に腰掛けていて、みくるちゃんはいつも通りお茶を煎
れてくれて、古泉くんのボードゲームの相手をしてる。古泉くんは少し眠たげのようだった。
   いくら悩んでもその方法がまったく思いつかず、今日はそのまま部活を終えた。キョンの欠席の話はみくるちゃ
んがちょっと心配した程度にしか上げられなかった。その日の夜も、昨日と似たような夢を見た。
   それから毎晩見る同じような夢に連動してか、キョンの欠席も続いてそろそろ一ヶ月が経つ頃にまでなった。
確認する方法など必要なかった。この関連性が総てを物語っていたから。だけど、あまりその実感は沸かなかっ
た。世界を崩壊したり創造したりすることには、もう興味は持てなかった。キョンの夢を見れるかどうか、そこ
が重要だった。
   ある日の午前中、ぼーっと胡乱な気持ちで授業を眺めていると、脳裡にどこかの映像が浮かび上がった。矢鱈
に汚い部屋の真ん中に女が一人立っていて、その下に男が一人跪いていた。よく見るとそれはみくるちゃんとキョ
ンだった。キョンがみくるちゃんに助けを求めていた。泣いて懇願してた。でもそれを受けたみくるちゃんの表
情は、滑稽なほどの恐怖が刻まれてる。あたしは笑いを堪えた。
   みくるちゃんが青ざめた顔でキョンから離れ、キョンは信じられないという顔をしていた。みくるちゃんが扉
を閉めきる瞬間、ごめんなさいと呟いた。どこまでも可笑しいみくるちゃんを一笑に付しながら、閉まった扉に
すぐに鍵をかけた。バタン、カチャン。
   そういえば、いつの間にあたしはキョンの部屋にいるのかしら。どうやって侵入したのかしら。でもそんな事
は、畏怖と絶望に泣いて震えだしたキョンを見てすぐに霧散した。あたしが一歩踏み出すと、ひっと呻いてキョ
ンは部屋の一角へと這い蹲り、自らを隅へと追い込んだ。先ほどみくるちゃんが嘔吐した反吐が饐えた臭いと共
に溜まっているのにも構わず、キョンはそこに膝を抱えて震撼した。
   身体中にショックが走った。息が止まるほど胸を締め付けられ、キョンがいとおしすぎて、愛しすぎて、思わ
ず泣いてしまった。

 

[キョン編]

   頼む、止めてくれ。いきなり何をしだすんだ。冷静になれ。俺は敵じゃない。なんだって急に俺を蹴とばし
たりするんだ?   痛い。止めてくれ。踵がめりこむ。痛い。助けてくれ、ハルヒ……
「キョン……キョン……」
   泣きじゃくって零れる涙を両手で拭い上げるハルヒはキレのいい角度から蹴りを放った。腕の隙間から
侵入したつま先に喉下を蹴り上げられ、息を壊された……
   ひたすら続く暴力。股間を圧し潰され、手を下げて喘いだ間一髪、綺麗な流線形の太腿が眼前に──

   絶叫とともに飛び起きた。すぐに胃内が蹴り上げられ、ゴミ箱に吐いた。赤色の吐瀉物が血のようにぬ
めり光り、次いで身体中が軋み痛みだす。
   姿見の中の男の身体にはどこにも異常はない。赤黒い内出血も、青く腫れた瞳も、圧し潰されて内臓が
露出した巨大な芋虫のような陰部も。しかし、記憶の中の男はひどく痛めつけられた衝撃を持ち帰ってい
た。眩暈で跪く。
   ショックが大きすぎる。学校に行けるはずがない、あいつにどんな顔で会えばいいのか検討もつかん。
駄目だ、今日は休もう……

「キョン……キョンの心臓、食べていい……?」

   また絶叫でここに戻ってきた。動悸の速くなった心臓の音に気付いて、心底ホッとする。吐き気がする
ほどの汗と喉の渇きで狂いそうだ。震えが止まらない膝を抱えて、思わずすすり泣く。瞼の裏にはハルヒ
のうっとりと恍惚に満ちた顔が焼きついている。寒気が止まらない。二日連続か、どうなってやがる……
「どうも、古泉です。お見舞いにきましたよ」
   午後のことだった。ひたすら窓の外を眺めて、死について頭を逡巡させているときだった。
「三日も欠席をしているようですが、大丈夫ですか?   何かありましたら、僕が是非とも相談にのりますよ」
   古泉は知っている風な話し方をした。こいつが知っているということは、やはり閉鎖空間が発生していた
んだろう。ということは、あれは紛れもなくハルヒであるのか……
「頼む、帰ってくれ」
   死が言った。「ですが」と言う古泉に「帰れ!」と怒鳴った。古泉が去った後、膝を抱えて泣いた。まるで

何もかもが信じれなかった。部屋の隅の闇の中に孤独がチラついた。

 

   ハルヒの夢は殺戮を繰り返した。被害者は常に俺のみだ。もう何人の俺が殺されたのかもわからない。
記憶だけが残る現実で、そのすべてが綯い交ぜに蘇り、さらに俺を痛めつける。ひたすら蹴られて、肋骨
を糸鋸で除去され、心膜を喰い破られ、陰部を潰され、腸を身体中に巻きつけられ、四肢を掘削機にかけ
られ、骨を刺され、歯を抜かれ、眼を喰わせられ、叩きつけられ、切り刻まれ、脾臓を喰われ……
   どんどん俺が亡くなる。目を覚ますたびの絶望。五体満足で生まれる五体不満足。小便を舐められ糞
も喰われ、血も精液も心膜液も涎も鼻水も膿も汗も、涙すらも吸われたとき、俺はハルヒに何もかもを奪
われていっていることがわかった。
   だが、心までは渡さない。断じて渡してはならない。これだけはいくら俺を解体して食いつぶしても見つ
かりっこはしないものだ。これだけは俺のものだ、俺だけのものだ。
   恍惚を得た神の笑顔。慈悲と愛で満たした純粋の真心。一切の下心のない、嘘も真もない愛撫。それ
らが心の隅に朦朧と、しかし確実に染み渡り始めているのを感覚した。理性が急いで堡塁をたてる。違う、
心は俺のものなのだ。あれは間違っている、あれは狂っているんだ。俺は狂っていない。そうだろう?   俺
が狂っているはずがないんだ。痛いものは嫌だ。だから、狂ってない。
   嘘をつけ。お前は徐々に、だがしっかりとこれを楽しんでいる。違う、そんなはずはない。蹴られたとき、
興奮しただろう?   していない。皮膚に刃が捻じ込んだとき、快感が走っただろう?   馬鹿な。狂ってる。糞
を喰われたとき、射精しただろう?   気持ち悪い、やめてくれ。心臓を取り出されたとき、笑っただろう?
違う、泣いていた。死んでいた。そのときのハルヒの顔を見て、嬉しかったろう?   ……

   朝比奈さん……助けて、ください。あなたしか、俺を助けてくれる人がいません。お願いします。
   ハルヒを……涼宮ハルヒを殺してください。お願いします。殺してください。お願いします。殺してください。
   あなたまで俺を裏切るんですか?   最も行動力の早い長門も助けてくれず、古泉は一度のお見舞いの
みで見捨てた。残る最後の希望はあなただけなんです。あなたにまで見捨てられたら、もう俺は俺を抑え
ることができなくなってしまいます。唯一あなただけに支えられた俺が、ハルヒの真心に魅入られた俺に
飲み込まれてしまうんです。お願いだから、行かないでください。

   バタン。カチャン。

   閉じたドアに誰かが即座に鍵をした。ハルヒだった。ああ、そうか。夢の中だったのか。だから朝比奈さん
が逃げて、ハルヒがいるのか。朝比奈さんがいる限り、俺はまだ俺でいられる。心を守らねば。
   震える体で這い蹲り、部屋の隅まで逃げた。ゆっくりと近づくハルヒがすぐにぼやけ始め、歯がガチガチ
と鳴った。饐えた臭いが鼻をつき、連鎖反応で記憶の排泄物を口に詰め込まれる。また始まる。俺を解体
して、狂った俺を組み立てる作業が。枯れない涙が止め処なく溢れる。
   泣き声が聞こえた。ハルヒの声だ。いつも事を始める前にあいつは泣く。何故だ。何故泣くんだ。悲しい
からか、嬉しいからか、さもなくば両方か。ハルヒは本当はこんなことをしたくないのではないだろうか、と
考えたことがよくあった。だが、その可能性は極めて低かった。泣いた後に見せるハルヒの笑顔は百万ワ
ットだからだ。
   しばらくの間、二つの嗚咽だけが響いた。午後の陽光が窓から差込み、俺とハルヒを影に追いやる。状
況がいつもと違うことに気付いた。
   もうそろそろハルヒが俺に手を加えていいころだった。だが、泣き止んだ俺はただハルヒを見つめ、ハル
ヒもまた泣き止んで俺をキョトンとした双眸で眺めるだけだった。何かいつもと雰囲気が違った。
   ハルヒの顔色を窺いながら落ち着いた身体をゆっくり起こすと、ハルヒの肩がビクッと震えた。CDと衣服
の瓦礫に一歩踏み出すと、さらに震えて後退りした。腕を抱えて身を屈めて震えている。いつものあいつ
じゃない……?
「今日は……何をするの?   また、刺すの?   それとも、調理?   もしかして……眼窩姦?」
   ハルヒは俺を畏怖しているようだった。いや、これは畏怖なのか?   身体はひどく怯え、前屈みで不安気
でいるが、表情がまったく矛盾していた──頬を朱色に染め、微笑んでいた。
   何を言ってるんだ。いつもはお前が俺を痛めつけてたんじゃないか。理不尽な暴力を振りかざして、俺を
跪かせて、俺を殺してたんじゃないか。
「何を言ってるの?   もうあたしを愛してくれないの?   いつものようにあたしを殴ったり、刺したり、抉ったり、
吊るしたり、縛ったり、焼いたり、剥いたり、犯したり、喰べたりしてくれないの? 心からの愛撫をあたしに
教えてくれたのはあんたじゃない……」

   求めるようにハルヒは言った。
   ふざけるな。何を言ってやがるんだ。いつもお前が俺を殺してたじゃないか。俺を愛してくれたじゃないか。
今更止めるだなんて、冗談じゃない。いつものように俺を痛めつけてくれよ。容赦のない愛情をくれよ。首
を捻じ切ったり、熱した鉄棒をさしこんだり、股を裂いたり。俺だけに執着してくれ。俺に狂ってくれ。俺を愛
してくれ……
「そんな……それじゃあ……あれは……」
   部屋の中央を照らす陽光の中にハルヒは退った。光り輝いたハルヒの顔は絶望していた。
   あいつはハルヒじゃない。おそらく天蓋領域か何かの刺客だろう。ハルヒの化けの皮を被った偽者だ。ふ
ざけやがって。ハルヒはあんなんじゃねぇ。ハルヒはひたすら俺を愛撫してくれるのだ。殺してやる。人間
の愛を弄ぶ糞野郎め、制裁してやる。
   床に広がる光の中にナイフが煌いた。さんざん自殺に使ったナイフ。それを取りに、ふらつく足を引きず
りながら俺も陽光の中に入った。拾おうと屈んだ瞬間、ふいに首を掴まれて倒された。
   ハルヒの偽者だった。両手を伸ばして俺を握り絞るその顔は、憎しみの皺で埋まっている。吹いた泡が
俺の顔に滴った。
   確信した。あいつは俺を殺すとき、俺を愛でながら殺してくれる。こいつははっきりと違う。殺してやる。
   手を伸ばしてナイフを掴み、右手に左手を添えて全力で突いた。糞野郎の双眸は限界まで開かれ、首
への力が緩んだ。ナイフは三分の一ほどしか挿入されていなかったがなお食い込むように、俺は糞野郎
の上体をナイフで浮かせた。収縮した胸筋がナイフを止めて、かはっと喘いだ振動が伝わる。だらりと垂
れた手が頬に触れた。
   ナイフを圧し留めていた筋肉がふぅと緩むのを感じた。次いで、ナイフが深々と刺しこまれ、熱い鮮血が
頬に滴った。あいつは自分から体重をかけてきたのだ。そのときの顔は、ハルヒの顔は、いつも以上の愛
と慈悲を携えた微笑みだった。偽者じゃなくて、本物だったのかもしれないという疑問が今更ながら頭を掠
めた。
   視界の端が鋭く光り、ハルヒを虚ろに彩った。気になったが、それ以上にただこの美しい笑顔に釘付け
になっていた。

 

つづく

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