@@@キョンとムスメの4日間 ―キョン(大)の陰謀― (2日目)@@@



「アホキョーン!!とっとと起きろー!!!」
「うぉわ!ど、どうしたハルヒ!」
ハルヒのハスキーボイスに慌てふためき、飛び上がる。
「どうしたもこうしたもないわ!!登山の時間でしょ!早く起きて準備しなさい!!」
俺は自分の腕時計を見た。午前二時である。……マジかよ。早過ぎないか……?
「いえ、そうでもありませんよ」とハルヒの横に侍る古泉。
「今から準備してこのペンションを出るまで30分。バスでの移動及び荷物の搬送、現地での身支度整えに30分。そこから山頂まで歩くと一時間半程かかります。この時期の日の出は5時頃ですから、あまり悠長にしてられません」
「そう言うことよ。あんたが足を引っ張ってんの!反応速度論で言ったらあんたは律速段階よ!ぐずぐずしない!!」

――というわけで、俺は眠い目を擦りつつ、古泉から渡されたスウェットのシャツにウィンドブレーカー、カーゴパンツ、トレッキングシューズを身に付けた。
この服は勿論機関による提供品である。用意周到にも程があるぜ。もしかしたら機関は四次元ポケットと所有しているのかもしれない。
あ、あの空間が四次元とかかもな。そうに違いない。今度行く羽目になったらタケコプターやどこでもドアを探すことにしよう。



pipipipipipi…………
俺が着替え終わり、必要な荷物を整理していたところ、携帯電話が着信を知らせた。
誰だ?こんな時間に。……可能性として考えられるのは、ハルヒからの『早く来い!』っていう電話なんだろう。やれやれだ。
携帯電話を確認する。よく見ると音声着信ではなく、メール着信だった。って事は、迷惑メールか?
だが気になった俺は念のため確認することにした。

「…………まじかよ。勘弁してくれよ……」
俺はブラックタイガー並に背を曲げ、スタックした車がはまった窪みの如く位凹んでその場に呆然と佇んでいた。



「やっと来たわね!さあ出発するわよ!……って、まさかその子も連れて行くの!?」
ハルヒが突き刺すような目線で俺をつい詰めた。そう、俺は登山に必要な荷物のほかに、熟睡中のハルミを抱えていた。
「この子の親からメールがあってな、山へ上るんなら御来光と一緒にハルミのスナップショットを撮ってくれって頼まれたんだよ」
「いくらなんでも危ないでしょ!遊びに行くんじゃないのよ!夜の一件で森さんたちにもなついたんだし、置いていきなさいよ!!」
ハルヒの言うことはもっともである。俺だって置いていきたいさ。が、それができたら苦労はしない。
――そう、先ほどのメールは俺(大)からのメールだった。内容はさっき話したとおり。
しかしまあ未来人ってのはどうして過去の人間を敬おうとはせず、意味不明な仕事を押し付けるのかね。朝比奈さん(大)といい、俺(大)といい。あんまり酷いとストライキ起こすからな。
必死になってハルヒを説得し、何とかバスに連れ込む許可を得た。許可っていうより『そんなことを言い争っている時間はないんじゃないか』と言って無理やり連れ込んだんだけどな。
ただハルヒはそれが気に入らなかったらしく、バスに乗り込むや否や矢継ぎ早にまくし立てた。『ハルミちゃんが高山病にでもかかったらどうするの!』とか、『山は寒いから肺炎にでもなったらどうするの!』とか。他にもあったかも知れないが、とにかくさまざまな病名と症状を事細かに伝え、最後に『もしそうなったら全部あんたの責任よ!』と冷たく言い放った。
全く、もしそうなったら俺の責任だな。正確には俺というより長門曰く異時間同位体とやらの責任になるんだけどな。
俺はハルヒががなりたてる中、未来の俺にちゃんと責任をとってくれよと心の中でつぶやいた。

バスの中で少しでも寝ようと試みたのだが、ハルヒの説教のおかげで寝る間もなく山に到着した。バスの乗車口が開き、俺はハルミを抱えて外に下りた。
「うわっ……寒いな……」
真夏とはいえ、標高の高い山の夜はかなり寒い。少なくとも長袖を着てないと、ものの数十分で風邪を引くこと請け合いである。
「だから言ったでしょ!こんな寒いところに連れてきてハルミちゃんが風邪引くことになったらどうするのよ!この子の親にも申し訳が立たないでしょ!」
さっきからずっとこんな調子のハルヒには少しうんざり気味である。まあ気持ちはわからなくもないが。
ただハルヒよ、風邪云々に関して言えば朝比奈さんを池に落としたお前が言う資格はないと思うぞ。
「悪いなハルヒ、この子の親との約束なんだ。風邪は引かせないように注意する。だから一緒に連れて行くのを許可してくれ」
「………………」
ハルヒは納得した様子もなく、目線で俺をメッタ刺しにしている。この串刺しから抜けられるのはプリンセス天功のイリュージョンくらいだ。
それでも俺は必死に説得し、さまざまな条件を提案したがハルヒは憮然として許してくれなかった。
しかし、『この子は朝日が好きなんだ。高い山からの朝日を見せてやりたいんだ』といった瞬間、眉毛がピクリと動いたのを俺は見逃さなかった。
「――あんたがそんなに言うんだったら、まあいいけど……でも、片時も目を放すんじゃないわよ!もし変な病気がうつったら殺菌のためあんたを湖に沈めるわよ!いいわね!」
ハルヒの中の何かにヒットしたようだ。今までダメの一点張りだった態度が一転した。
俺はこうやってしぶしぶ納得させることに成功した。が、よく考えたら自分で面倒ごとを引き受けるなんて間抜けだよな。



だが、どうやらこの辺で俺はフラグを立てたらしい。俺の人生の機転だったかもしれない。全然気づかなかったんだけどな。



俺がここまで必死になって自分から面倒ごとを引き受けるのには理由がある。それは以前朝比奈さん(みちる)と一緒に行った一件が頭の片隅に残っているからである。あの一件は少々説明不足な感はあったものの、未来人やその他の人の助力のおかげで様々な事件を未然に防ぐことはできた。そして今回は俺自身の未来にかかわっていることだという。それならば俺が頑張らないといけないだろう。俺(大)まで出てきているということは、とりもなおさず、そういうことになる。

全員がバスを降り、それぞれ登山の準備をし始めた。多丸さん兄弟は、何やら本格的な道具と非常用の食料を抱え、俺たちに注意事項を説明してくれた。なお、バスで新川さんが、ペンションでは森さんがそれぞれ待機している。
ところでバスを降りた場所だが、頂上まで高さにして約300m、歩く距離は大体3kmといったところらしい。平均傾斜をアークタンジェントで計算するとおよそ5.7°だ(計算は長門がしてくれた)。
距離はそれ程でもないが、坂を延々と登ることになるため、そこそこきつい。頂上付近はロッククライミングもあるそうだ。

――前言撤回。さっきはあんな事を言ったが、やっぱりハルミは置いて来るべきだったかもしれない。いくらなんでもきついだろ。それは。

「キョーン!みくるちゃーん!ペースが落ちてるわよ!!」
毎日ハイキングコースを励んでいる俺は、山登りに関して多少なりとも普通の人間よりは卓越していると高を括っていたのだが、どうやら甘かった。
石が転がっているだけの道は足に負担が掛かり、空気が薄いせいか息も切れてきた。何より最大の要因はハルミという余計なお荷物を抱えていることだ。
どうしても遅れがちになってしまうのは仕方ないだろう。……朝比奈さんが遅れているのは、推して知るべし。
「だからあたしは置いてこいって言ったのよ!もし御来光が見られなかったらご先祖様と一緒にあの世へ送ってもらうからね!」
遠回しの死刑宣告を受けた俺は、ひぃひぃ言いながらも何とか他の人のペースに合わせる。そうしないと崖から蹴落とされそうだったからな。
なお、朝比奈さんは古泉に手を引かれている。…………どさくさにまぎれて何をやっているんだ古泉。許さんぞ。後で覚えておけよ。



始めがあれば、終わりもやってくるとは誰が考えたか知らないが、なかなか的確な表現だ。そう、俺たちは頂上までもう少しのところまでたどり着いた。距離にしておよそ5m。普通に歩いたんなら数秒で着く位の距離だ。
ただしそれは道が水平な場合の時だ。道が絶壁をなしている場合は何分、いや何十分位かかるんだろうな。俺には経験がないから誰か分かる奴が居たら教えてほしい。
「さて、もう少しです。あなたも頑張って下さい」
俺は古泉に手を引かれながら、絶壁の前に立ち尽くしていた。
先ずはロッククライミングの経験がある多丸さん兄弟のうち圭一さんが上り、山頂の適当な岩にロープを括り付ける。続いて裕さんが既に意識がない朝比奈さんを括り付け登る。朝比奈さんが気絶しているうちに山頂まで上りきってしまう作戦だ。朝比奈さんはもしかしたら自力で上りたかったかもしれないが、意識があったところで自力でこの絶壁を登れるとは思えないし、意識のある朝比奈さんを括り付けて登らせても悲鳴が響き渡って背負って登る裕さんの集中力を欠くだろう。

「………………」
長門は息切れ一つせず、何のためらいもなく岩肌を登っていく。命綱すらつけず上っていく姿には多丸さん兄弟も驚きを隠せないでいる。上りきった後、何事もなくその辺の岩と同化していた。
鶴屋さんは「うひょー!高いねー!!下見たら足が竦んじゃうよー!!」と言いながら全くそんな素振りも見せず、山肌を駆け上がっていた。そして到着。一人で先にヤッポーやらひょろりーんなどと訳の分からないかけ声が響き渡る。
「キョン、あんた先登んなさい。荷物が多くて大変そうだから」
ハルヒの宣言により、俺はハルミを背中におんぶしつつ、ロッククライミングを始めた。上で裕さんが命綱を抱えてくれているものの、俺の恐怖心を掻き立てていることには何も依存はない。
何より素人の俺が、ハルミをおんぶしたまま登るっていうのは登山家に喧嘩を売っているのとあまり変わりないと思う。
「…………ふう………………ふう…………」
俺は寝不足と疲れと恐怖心との境目で、例えではなく本当に往左往していた。
「ちょっとキョン!ラマーズ法なんて実践している暇はないわ、早く上りなさい!後がつかえてるわよ!!」
子供を抱えてはいるが俺はラマーズ法の経験はないぞ。ハルヒ。第一俺は男だ。
「んなことはどうでもいいのよ!軽口をたたけるんなら早く登んなさい!空が白み始めてるわ!!」
全く、自分から振っといてどうでも良いとは……ええいツッコミは後だ、時間がないことは確かだ。頑張って上ることにしよう。

それから数分後、皆の必死のサポートにより、俺は何とか登ることに成功した。空は大分明るくなっている。
「大変!急がなきゃ!早くロープ頂戴!!」
ハルヒは落とされたロープを腰にまわし、素早く括りつけ、気合を一発入魂し登り始めた。
登り切った時間は長門とあまり変わらないかもしれない。『猪突猛進』という言葉を擬人化したらハルヒになるのだろう。しかし、こいつの辞書に恐怖という言葉はないのだろうか?そして殿に古泉。こいつに関しても特に問題なく、ひょいひょいと登った。
「……ふう、何とか間に合いましたか……」
「ギリギリだね。日の出まであと数分というところかな?こちらのお嬢さんを目覚めさせなければ」
圭一さんは朝比奈さんを起こし、それ以外の皆は山の頂上で太陽が何時出てくるのかを今か今かと待ちわびている。
その中で一番待ちわびているのは、俺の隣で息を切らせつつも黒い瞳を輝かせているハルヒであろう。太陽の出現と同時に一気に花を咲かせる気でいるようだ。何故か俺のほうをチラチラ見ながら、ハルヒはブツブツ呟き始めた。
「……はぁ、はぁ、キョンが遅いせいで余計な体力使ったじゃない……」
悪かったな。
「……もう、汗かいちゃったじゃない。気温が低いのに汗をかかせるような運動させて、あたしに風邪を引かせたいの?」
悪かったって。
「首筋なんてベトベトよ…………もう、しょうがないわね……」
だから何度も誤って……え……?

俺は思わずハルヒを凝視していた。

ハルヒは顔をしかめながらズボンのポケットから黄色いリボンを取り出し、後頭部の髪の毛を括り付ける。
括り付けられた一房の髪が、頭の後ろでぴょこぴょこ揺れている。
……この髪型を最後に目撃したのは、何時だっただろう?ふと俺はそんな事を考えていた。


――そう、ハルヒはポニーテールにしていたのだ。


「……どこ見てんのよ?」
視線を逸らしたハルヒの、どこぞのお笑い芸人の決り文句のような一言で我に返る。
「い、いや……その……」
「……何よ。はっきり言いなさいよ」
ぶっきらぼうに語りだすハルヒ。まだ日の出前ということもあり、その表情は読み取れない。少なくとも、怒ってはないと思うが……

俺が返答に困っていた、その時。
「……あー……まー……まー……」
ハルミが喋りだした。ハルヒを見て、手を伸ばしている。
「え……?ハルミちゃん、あたしのところに来たいの……?」
「あーうー」
「よし、抱っこしてみろよ。ハルヒ」
俺は話のすり替えを試みるためハルミを渡すことにし、そしてハルヒはハルミを受け取った。
「…………………………」
ハルミはハルヒに抱きつき、黙ったままハルヒの顔を睨み続けている。
『…………………………』
この沈黙はいつの間にか全員に感染していた。全員が思わず自分の事と勘違いしてしまうかのような、そんな緊張感が漂ってくる。


そして――


「あはははは…………」


ハルミは、初めてハルヒに笑顔を見せてくれた。
その笑顔は、赤ちゃん特有の純潔かつ無垢で、偽りのない笑みだった。

「わ、笑ったわ!!ほらキョン!ハルミちゃんが笑ってるわ!!!」
その笑顔を見たハルヒもまた、ハルミに負けないくらい純粋な笑顔を見せていた。

遥か彼方から見える山々と雲の切れ間から、橙色に輝く光が二人の顔を照らし出す。
今日という一日の始まりを告げるため、太陽がご出勤なされたようだ。 



――朝日に映えるハルヒの笑顔は、部室専用の元気な笑顔とは違い、慈母溢れる優しい笑顔だった。



御来光を前に俺たちは全員が写っている記念写真や、遠近法を使って太陽を手のひらに持つ仕草をし、『元気玉』やら『重破斬』等というギャグ記念写真を撮った後、山頂で休憩していた。汗で冷えた体に朝比奈さんが用意してくれた即席茶の味は格別だった。

暫く休憩した後、ハルヒは俺の横に座り、ポツポツと語ってくれた。
「――ある人が教えてくれたの。この子……っていうか、赤ちゃんがどうやったらなついてくれるか」
それが、その髪型だったってわけか。
「理由はわかんないわ。『とりあえずやってみろ』って言われて。半信半疑でやってみたけど、本当になつくなんて……」
「なかなか変なことを知っている奴がいたもんだな。で、誰なんだ?ひよこクラブを愛読しているような奴は?」
「……そうねえ、あたしが、ずーーーーっと気になっている人。一般的な言い方をすると、好きな人かな」
ゴフッ!!!
俺は朝比奈さんが淹れてくれたお茶を盛大に噴き出した
「ゲフッ、ゴホッ……だ、誰だって!?」
「だから、好きな人。あたしの理解者でもあるしね」
「お……お前……そんな人がいたのか……?」
「あたしだって、気になる人の一人や二人くらいいるわよ。一応誤解しないように言っておくけど、好きな人イコール恋愛感情を抱いている人ってわけじゃないわ。ま、恋愛感情に発展する可能性はあるかもしれないけどね」
「いや……一体、誰なんだ?……そいつは……?」
「あら?気になる?――わかった!妬いているんでしょ!?」
「――!な、何故俺が妬かないといけないんだ……!?」
「ふっふーん、まあ、あたしくらい美貌も才能もある人間に憧れるというのはよーーーっくわかるけど、あんたとじゃ見分不相応だわ。出直してらっしゃい。SOS団内で、今より35000倍ほど活躍したら考えてあげても良いわよ?」
ハルヒは不敵な笑みにカップ1杯くらいの満面の笑みを加えた表情で俺に不法労働を請求してきた。無賃金でそんなに働いたら過労死してしまう。労働組合に訴えてやるからな。
「そんなものの存在は認めないわ。あたしの言うことが絶対だからね!だからキョン!あたしを振り向かせるまでせいぜい頑張りなさい!!」
不敵な笑みが180%満面の笑みに変わったハルヒが辺りに木霊するほどの大声で宣告した。皆こっちを向いている。そんな恥ずかしいセリフを皆に聞こえるような声で言わないでくれ。古泉の顔がいやらしい。朝比奈さんの顔が火照っている。それより何より俺が一番困っている。



そういえば、こいつの言う『気になる人』っていうのは誰なんだ?こんなことをこんな言うと誤解を受けるかもしれないが、俺や古泉以外に、俺が知っている範囲でハルヒの眼鏡に叶う奴がいるとは思えない。
まあ俺たちも恋愛対象とはみてないとは思うがな。これは俺の予想だが、ハルヒの気になる人というのは、恐らく俺の知らない人なのだろう。
中学生時代には色んな男と付き合っていたというし、そいつらの中に未だ気になる奴がいるのかもしれない。
――しかし、恋愛関係に発展する可能性がある人がいたと言うのか、こいつに。何だかすごく気になってしまうではないか。
どうして気になるか。それはちょっと言えない。今はまだ。



――だが、そんな思いすら打ち破ってしまうほど俺は大きな間違いをこの時既に起こしてしまったのだ。今考えるとこの時のこの行動が全ての事件の引き金になっていたんだろう。全くもってハルヒの人知を超えたパワーには驚かされるよ。全く。



太陽が完全に嶺から抜け出し、空がピンク色から青色に変わった頃。俺たちは下山を開始し、辺りの生き物や、高山植物の鑑賞を行うことにした。
岩剥き出しの地肌に生える高山植物に、朝比奈さんが華やかな笑みを見せている。
「うわぁー、綺麗ですー。なんていう名前の花ですか?」
「これはコマクサだよ。向こうに見えるのはクロユリ。あっちに見えるのがキバナシャクナゲ、チングルマ、ミヤマキンバイだね」
朝比奈さんは裕さんの説明を一心に聞いて、目を丸くしていた。
「凄く可愛いし、珍しい植物ばっかりです。採っていって育てたいな」
「残念だけど、それはできないよ。高山植物はこの様な場所だからこそ育つものなんだ。家で育てようにも気温や気圧が違いすぎて育たない。それに、高山植物の採取は条例で禁止されているから、採っただけで逮捕されますよ」
「えーっ、そうなんですか……残念です……」
心底残念そうな顔で高山植物たちを見ている朝比奈さん。正直、俺は高山植物を見るよりも朝比奈さんの顔の表情変化を鑑賞した方がいいね。そちらの方が花よりも鑑賞のしがいがある。
俺の視線に気づいた朝比奈さんが顔を紅くし、まさしく俺が言ったことが正しかったと証明できた場面である。
その後ハルヒに『何エロい目でみてんのよ!このバカキョン!!』と叱責されたが。

長門と古泉は遠めに見えるライチョウを観察していた。古泉はオペラグラスで、長門は裸眼でとい違いはあるが。
「……ライチョウは夏になると羽の色が茶色くなり、冬になると白くなるんです。これは天敵から身を守るための保護色で、その様に進化していったのでしょう。鳥類にもこの様な個体がいたとは、まだまだ僕も勉強不足でしたね」
「……ライチョウ……保護色……種に囚われない進化…………」
瞬き一つせず見つめつづける長門はやっぱり岩と同化しているんじゃないのか?お前は瞬きしたってレーザーや分子カッターは出るわけないだろうし、少しくらい人間の素振りをした方が良いぞ。長門。

ハルヒと鶴屋さんは何故かヨーデルを歌いながら下山していた。ポニーテール姿のハルヒは、ハルミが笑ってくれたことがうれしかったのか、あれから俺に預けることなく抱っこしたまま下山していた。
ハルヒはハルミがなついてから始終笑顔を振り撒いている。そんなハルヒを見て、ハルミもつられて笑い出す。今この光景を見ると、ハルミになつかれなかったのが嘘のようである。
見てのとおり、ハルヒの機嫌は昨日と比べると格段に良い。これは古泉じゃなくても分かる。よっぽどハルミがなついてくれたのがうれしかったんだろうな。
「さてさて、本当にそれだけですかね?」
うわ!古泉!何の脈絡もなく俺の斜め後ろに立つな!!寒気がする!!
「失礼しました」
全然自覚のないスマイルを送る古泉。いつの間にか長門と離れ俺の傍まできていたようだ。ちなみに長門は相変わらず一点に焦点を当てている。あいつのことだから収差もないだろうな。
「涼宮さんの機嫌がいいのはそれだけではないです。その理由は……」
人差し指を目頭に当てて、ふふふっと笑いつつ俺を見る古泉。夏なのに鳥肌が立つような仕草は止めてくれ。
「これはとんだご無礼を」とは言っていたが、絶対反省はしていないだろう。まあいい、それより古泉。あいつが『気になる奴』がいるそうなんだが、誰か心当たりはいるか?多分異性だと思うんだが。
「本命はあなた。対抗・大穴はなしですね。倍率一倍、ダントツの一番人気です」
何だその予想は。俺しかいないじゃねーか。予想を立てるならもっとまじめに立てやがれ。しかし残念ながら、その俺じゃないらしいんだ。他の奴に心当たりはないのか?
「いえ、存じ上げませんが。もしかして気になりますか?涼宮さんの意中の相手が」
ニヤニヤするんじゃない。気持ち悪いだろうが。そんなんじゃない。あいつがそんなことを考え出したってことは、あいつの考えも通常の人間に戻ってきたんじゃないかと思ってな。もし普通の思考を取り戻すことができたら、俺はSOS団に入った甲斐があったよくやったと心の底から喜びたいんだ。
「くくくっ、そういうことにしておきましょう」
古泉は本日最大級の不快な笑みをみせた。ぐおおお気持ち悪い!頼むからその変な――
「キョーン!、古泉区くーん!、そろそろ降りるわよー!」
ハルヒの命令により、古泉への懇願はかき消されてしまった。



更に山を下ること約一時間。木はハイマツから針葉樹林に変化し、疎らにだが広葉樹林も見られ始めた。
「よーし、この辺なら色んな山菜も取れそうね。今から山菜取りを始めるわよ!各自じゃんじゃん採るのよ!それからキョン!古泉君!山の獲物がいたら何でもいいから捕まえて!今日のバーベキューの具材にするわよ!」
まだ朝方だというのに、照りつけるような笑みを見せ、ハルヒは言い放った。
おいおい、山の獲物って何だよ。もしかして熊でも捕まえろというのか?
「熊っておいしそうね!それでもいいわ!」
それ『でも』っていえるレベルじゃないぞ。勘弁してくれ。素人にそんなの捕まえることできるわけがない。鹿とか、頑張って猪とかで勘弁してくれ。
「まああんたならそれくらいが限度かもね。しょうがないわねキョン。言ったからには猪か鹿を捕まえてきなさい!できなきゃ罰金!!」
――げ。

とある山の斜面。木々が日光を遮り、涼やかな風と緑の匂いが気分を安らげてくれる。俺たちは散会し、個々で山菜採り兼獲物狩りを行っていた。
「すまん、口が滑った…………」
「全く、どうするんですか。本当に鹿や猪が我々の前に現れたらどうするおつもりですか?野生の生物たちを甘く見てはいけません。自分たちがわれていると分かれば、牙を向けてくる可能性だってあるのですから」
「すまん…………」
隣でススタケを掘っている古泉に重ね重ね謝罪していた。古泉はいつもの笑顔に若干嘲りの表情をブレンドしている。
「ただ幸いなのは、本気で捕まえてほしいとは願っていないか、はたまた単に体調がよろしくないのでしょうか、未だ鹿や猪たちがその姿を見せないことです。もし本気で願っていたら、あたり一面に山の獣たちが徒党を組んで我々の前に馳せ参じることになるでしょうから」
そう。ハルヒが「鹿か猪を捕まえて来い」といって数十分。未だ鹿も猪も姿をあらわさなかった。もし本気でハルヒが願っていれば古泉の言うとおりになるはずだ。しかし…………
「しかし、それ以外の改変は起きているようです」
ああ、とつぶやき、俺は辺りにあるコゴミやゼンマイを摘み、竹篭の中に入れた。
――俺たちの行動におかしいところがあるとお気づきになっただろうか?分からない方は今しばらくお待ちいただきたい。もう少ししたら古泉が嬉々として説明してくれるだろうからな。多分。
「この時期に、今あなたが手にしたような山菜がこれほど多く取れるのは異常です。高冷地と雖も、この辺りで山菜が収穫可能なのは6月初旬あたりまでです。真夏には成長しきって食用には適さなくなってしまいます。それなのにここいら一帯には、今が食べごろの山菜があたり一面に生えています。涼宮さんの能力は日増しに弱くなっていると思い込んでいましたが訂正します。能力はご健在のようです」
ほら予想通り。
「何か仰いましたか?」
いや、別に……。
「とにかく、鹿や猪については、本当に現れる前にこちらで用意することにしましょう」
古泉はそう言って小型の無線機を取り出し、小声で何やら通信をしていた。
「――それではお願い致します。……ちょうどいいタイミングで、屠殺した猪が手に入ったようです。近くの猟師さんが捕まえたことにして、涼宮さんの期待に添うことにしましょう」
用意周到なことである。いや、もしかしたら予定通りなのかも知れないな。機関の連中は、ハルヒがこの合宿で思いつきそうなことを予め考えており、能力が発揮する前にその事柄を提供しているのかもしれない。よくよく考えたら、最初、第一回目の合宿を提唱したのは古泉であり、その時の目的も『ハルヒが変なことを思いつく前にこちらから話題を提供する』ということが主目的だったからな。
機関の仕事ってのは大変だな。もし俺が就職することになったら、機関以外の職業に就きたいものだ。生涯ハルヒの機嫌をとるのはよほどの事情がない限りする気にはなれない。

「……やはり、あれが原因の様ですね」
無線通信が終わった後、山菜取りの手を休め、一頻り何かを考えていた古泉は突然立ち上がり俺に向かって喋りだした。
あれだと?ハルミがなついたことか?確かにハルミがなついてからポジティブさが一段と……いや、二十段くらい増した気がするが……
「確かに、それも原因の一つでしょう。しかし、主要因はそちらではありません。根本的な原因はあなたの行動にあります」
「俺が……?いやしかし、俺は特に何もしてないぞ!?」
「そう。あなたにとっては些末なことで、すぐにでも忘却の彼方へと葬り去られるがごとき事柄だったのかもしれませんが、涼宮さんはそうは考えなかったようです。むしろあなたの何気ない行動が涼宮さんの能力を助長させたのではないかと考えます」
「で、一体何なんだ?俺が原因とされる問題行為とは?」
ここで古泉はとんでもないことを口走った。

――涼宮さんは、あなたが嫉妬しているとお考えのようです――

――――はい?
「申し訳ありませんが、あの時の会話は一部始終聞かせていただきました。涼宮さんは『自分には気になる人、好きな人がいる』と仰いました。あなたはそれを聞いて戸惑い、問い返しましたね?それを涼宮さんは自分に嫉妬してくれている――気にかけてくれているんだと思い込んだわけです」
ははあ、わかったぞ。あいつは調子に乗って人間超常現象発生器にメタモルフォーゼしたってわけだ。
――ホンマモンのアホだあいつは。そんなことで山菜をあたり一面に発生させてくれるとは何がしたいんだ?
「地球の人口増加による食糧危機を回避しようとお考えなのかもしれませんね……さて、話を元に戻しまします。それ以降でしょう、彼女のパワーが桁違いに膨れ上がったのは。思い出してください。あなたが文化祭の撮影時にしたことを。あなたと涼宮さんが喧嘩をなさり、そして仲直りした後のことを。どのような言葉をかけたかは僕は存じませんが、あの日の放課後から、涼宮さんの改変パワーはフル稼働していましたね。……実は以前からお聞きしたかったのですが、何と言って仲直りしされたのですか?」
聞くな。あの時のことはヘンテコ空間を戻ってきた方法の次に話したくない。
「くくく、そうでしたか――つまりその後、涼宮さんは何としても映画を成功させようと思ったのでしょう。そのために映画撮影で必要な、あるいは都合の良い事を羨望されておられました。秋に桜を咲かせ、喋る猫を捕まえたのも、それが心底にあったと言う事はご存知のとおりです。あらゆる事象を実現させる、神とも言うべき涼宮さんの能力ですが、いつでも即時に発揮されるわけではありません。願いの大きさによって異なるようです。おや?これも依然話しましたかね?」
さあ始まった古泉の十八番、どうでもいい理論ととんでもない推論をごっちゃにした自論。聞きたい人は聞いてくれ。俺は要点以外聞かないことにしているから。
「今回の涼宮さんの調子もあの時と同様、もしかしたらそれ以上かも知れません、まだ予測の段階ですが。そのため我々機関に所属する人間、ここにいる多丸さん兄弟は、この時期に山菜が採れる事に関してノーコメントを貫いています。異常状態であることを涼宮さんに伝えると、また何かしら世界の法則を変えてしまうことを考えかねません。この時期に山菜が採れる事に関して、涼宮さんや朝比奈さんは疑問にすら思わないようですし、長門さんや鶴屋さんは疑問に思っても口にすることは無いようです。ですからあなたも、今後何かしら情報改変が合ったとしてもノーコメント、気づかぬ振りをしていただきたいのです」
この発言に俺はん?と思い、聞き流しを止め、質問する事にした。
「内容にもよるぞ?例えばあたりの山の木が全て無くなって山菜に変わったとしたら、さすがに無視できるレベルじゃないだろ?それにお前は昔、異常状態が普通に起きてしまうことをあいつに実感させてはいけない、と言ってたよな?お前の今の意見は以前と矛盾しているぞ?本来この時期に山菜は採れないと教えたほうが身のためじゃないのか?」
「その点に関しては心配ご無用かと。今回は以前朝比奈さんの身に特殊能力を身に付けた時とは異なります。我々は現在、映画――つまり、非常識なことが起こるフィクションを創造しようとはしていません。涼宮さんは、この合宿中においてはあくまで現実世界にのみ起こりえる、常識として考えられることしか頭にないようです。またこれも以前申し上げましたが、涼宮さんは至って常識的な思考を持っています。不思議なことを期待しつつも、そんなことは起こりえないと自認しています。その上現在の涼宮さんは、日を追う毎に不思議な事に対する興味よりも別の興味を抱き始めています。以上三点より、涼宮さんが非常識なことを考えるのはほぼ皆無といっても良いでしょう。むしろ現実として起こりえそうな事を切望していた場合の方が困りますね。鹿や猪、そして熊が実際に出てこられても僕達がどう対処していいか分かりかねますから。これは僕の感ですが、恐らくテンションが高いのはこの合宿中だけと思います。それまでの間、平穏にしていただけたら何とか乗り切れると考えています」
だといいが。事がうまく運ぶように頑張ってくれ。応援はしてやる。ただそれ以上の事はしないぞ。
「他人事のように仰いますが、あなたが今回の騒動の根本なのですよ?どうかその辺はご理解していただきたいのですが。涼宮さんが勘違いした理由を汲取ってあげて下さい」
何だ?勘違いとは?
「おや?あなたが嫉妬しているというのは涼宮さんの勘違いでは無く、本当だったということでよろしいのでしょうか?いつものあなたなら即座に否定すると思いまして、配慮したのですが……」
何がいいたいかよく分からん。要点だけ喋ろ。
「分かりました。つまり、涼宮さんは、あなたが気にかけてくれているのが何より嬉しいのです。逆に考えれば、あなたに嫌われたり、怒られたりするのを何より恐れていると思われます。どちらも度が過ぎると、世界がどのように改変されるか予想だにつきません。どうかバランスを取りつつ、接していただきたいのです」
言いたい事は分かった。ただ……
「ただ?」
それを言うために、回りくどく喋り過ぎだ。
――俺がそう言うと、古泉はあきれるほど軽快に喉を鳴らした。



竹篭にこんもり盛られた山菜を担いでみんなのところに戻ってくると、これまたモリモリの山菜ときのこ(多丸さん兄弟が食べられるきのこを選別してくれたそうだ)が小高い山を形成していた。どう考えても採り過ぎである。俺たちだけでとても食いきれる量ではない。――お土産として、家族や知り合いにあげることにしよう。
ハルヒは予想以上の収穫に、いつもより2オクターブ高い声とテンションで賞賛を上げていた。俺たちの手柄ではないが、猪の肉が手に入ることも上機嫌の一端に入るかもしれない。
「おっほほほ!ベリーヒュージな量だね!これはめがっさたくさんの山菜おこわがつくれるよ!煮付けや天ぷらも美味しいっさ!」
「すごいわ!これだけの量があるならギネスに挑戦できるかも!『世界一の山菜おこわ』を作った人の名前にSOS団と愉快な仲間たちの名が載るわ!ついにSOS団は世界デビューね!!」
止めてくれ。世界中に醜態は晒したくない。第一それだけの米を用意してないし、何よりそれだけのおこわを炊く釜がないじゃないか。ギネスはまた今度の機会にでも挑戦してくれ。
「それもそうね。今日は練習ということで普通の量だけ炊きましょう。猪の肉もあることだし」
髪の毛でできた尻尾をふわふわ揺らしながらしゃべるハルヒ。笑顔と相まって、俺の中ではいつもより3割増になっている。何が3割増なのかは聞かないでくれ。
「そうそう、本当はキョン達に取ってきてもらいたかったんだけど、ふと気づいたのよね。野生の獣って危ないじゃない。万が一獣を仕留め損ねて襲われたりしたら合宿どころじゃないものね。だから誰か他の人が仕留めたのが偶然あたしたちにおすそ分けしてくれたらいいな、なんて思ってたんだけど本当にその通りになるなんて今日は本当に運がいいわ!!」
俺は古泉の方をチラ見する。奴は目を細めて苦笑している。ハルヒのパワーが目覚める前にしたことが、実はハルヒが望んでいたことそのものになるとは、いやはや皮肉な話だ。
「さっ、山菜を担いで帰りましょ!因みに一番収穫量が少なかった人が持って帰るのよ!」
それは大変なこった。いくら下り道とはいえ、一人で担ぐに骨が折れるぜ。で、誰なんだその貧乏くじを引いたのは?
「何言ってんのよ。あんたに決まってるじゃない!」

まあそんなやり取りがあり、俺は両手と背中にパワードスーツ並の重さを誇るであろう山菜を装着させられ、ふらふらしながらも何とかバスまで戻った。朝比奈さんに加え鶴屋さんも手伝いを申し出たが、『下っぱの仕事だから』とスッパリ切り捨てられた。誰が言っ……以下略。
多丸さん兄弟なら手伝ってくれると思ったんだが、この二人も古泉同様イエスマンらしく、手伝おうとする気はさらさらないらしい。ハルヒ関連に関しては機関の連中が全く役に立ってくれないことを再認識した瞬間である。
山菜を荷席につみ、ペンションまで戻る最中、ハルヒが山菜を取り出してはポキポキ折ったり皮をむいたりしていたので、バスの中は相当青臭くなったのではないかと思う。結局採った山菜は、今から調理する分を除いてはハルヒが全て引き取るといいだした。何かイベントを考えているのかもしれない。『朝比奈みくる謹製 山菜おこわ争奪戦』とか言ってな。また参加料を取って資金源にするつもりなのか?あいつは。唯で山菜を取っておいて金を取るとは図々しいにも程があるぜ。せめて資金を稼ぐならバイトか何か……いや、やめた。カエルの着ぐるみを15498回も着たくはない。いや、6011回だったか?



バスに乗ってゴトゴト揺られていると、その周期的運動が俺を眠りへと誘ってくれる。まあ当然だろ?朝……っていうか夜に起きて山登りと山菜採りをしたんだ。おまけに重い荷物を抱えてな。俺は最後部座席で横になって瞳を閉じ、ウトウトし始めていた。
「ハルにゃーん!さっきから赤ちゃんにベッタリだねー!!いつからそんなに仲良くなったんだい!?」
「本当です。今じゃキョンくん並みになついています。仲良くなる方法を教えてください」
上級生二人の声が意外と近くから聞こえてきた。眠いので目は開けない。ハルヒの席のそばまで来ているのだろう。眠りにつくまでハルヒに対してツッコミを入れてみるか。心の中で。
「うーん、やっぱり、今日は二人の運勢がいいのよ!」
お前は占いを信じるタマじゃないだろ。
「でも、あの時太陽さんがお見えになってから仲が良くなった気がします」
「そうだね!もしかして、この子は太陽が好きなのかも知れないっさ!!」
「そうね!特に日の出が好きなのよ!卵から孵化したばかりの雛鳥と同じで、太陽が出たときに、一番身近に居た人が好きになってくれるのよ!!」
人間にもインプリンティング効果があったとはな。今度そんな機会があったら朝比奈さんの前でやってみよう。
「ねえねえハルにゃん、その髪型にしてからなついているような気がするんだけど、それは見当違いかな!?」
「あ、そう言えばそうですね……わたしたちもポニーテールにしたら赤ちゃんがなつくかも知れませんね。鶴屋さん、やってみましょうよ」
「あはははは、それはグッダイディアだね!みくる!」
「……………」
そして沈黙。二人のポニーテールか……見てみたいものだ。その魅惑に勝てず、目を開けて見るとたまたまこちらを見ていたハルヒと目が合ってしまった。すぐさまそっぽを向くハルヒ。アヒル口になっていた気がするが、気のせいかもしれない。
「……止めた方が良いわよ。二人とも。あん時は、汗を沢山かいたから早く乾かすために髪の毛を縛っただけよ。ポニーテールってなんだかおばさんくさいか子供っぽいだけだし、二人とも今の髪型の方が似合うわ。あたしだって外したいんだけど、ハルミちゃんの世話をしていると汗かくから、仕方なくやってるだけだから。そうそう、こんな髪型が好きな奴ってどうせうなじ萌えとかの危ない奴ばっかりよ。みくるちゃんがポニーテールにしたら変質者に襲われちゃうかもよ?しない方がいいわ」
悪かったな、危ない奴で。俺はポニーテール萌えだが、決してうなじ萌えではない。まあ嫌いではないけどな。
その後「はわわわ」とかいう朝比奈さんの悲鳴やら、調子にのったハルヒと鶴屋さんによる朝比奈さんいびりが始まったようだが、俺の脳は思考が停止していたためそれ以降の会話は全く記憶に残っていないことをお知らせしておく。



「さあ、じゃんじゃん焼くわよー!!みんなもガンガン食べなさい!!ウエストが10cmくらい増えたって気にしちゃいけないわ!みくるちゃん!!!」
ハルヒの開会宣言(?)の後、バーベキューが慎ましく…いや、厳かに…それも違う、けたたましく行われた。事前に準備していた牛肉に加え、猪の肉が網の上でジュージュー音を立て、自身から滲み出る脂によって燻される。
猪の肉は初めてだったが、何となく豚の肉に近い味がした。もう少し詳しく言うと、こってりとしていてそれでいてふわりと軽く、舌の上で弾ける様な趣溢れる芳香と芳醇な味わいが味蕾を刺激し、恍惚な気分に浸る…みたいな感じか?圭一さんにちゃんと教わることにしよう。
いい具合に焼けた食材を皆がパクつく。とはいっても、全体消費量の7割はハルヒと長門と鶴屋さんだ。あとの3割の内訳は、2割が朝比奈さんと俺と古泉と多丸さん兄弟、残り1割は未だ料理の準備をしてくれている森さんと新川さんのためにとってある。
こら長門。焼けた肉を冷ましも味付けもせずテンポ60で口に入れているが、よく噛んで食べないとのどに詰まるぞ。
「猪の肉って美味しいわね!もっと硬くて臭いものだと思ったんだけど、見た目とは違うのね!次はカモシカとかオオサンショウウオとか食べてみたいわね!そうそう!さっきライチョウも捕まえてくればよかったわね!」
捕まえて食べるのは勝手だが、俺は遠慮しておこう。さすがに天然記念物を捕って食べたら逮捕されるだろう。今後の履歴書に前科1犯とは書きたくない。この年で。
「お待たせいたしました。山菜料理が出来上がりました」
森さんと新川さんが移動式のテーブルに所狭しと並べられた山菜料理を持ってきてくれた。山菜おこわ、天ぷら、煮つけ、お浸し、きのこ汁……肉料理のほうに興味がある年頃の俺だが、この山菜料理には目を奪われるものがあったね。それ程うまそうだってことだ。皆の努力に感謝しつつ、山菜料理を頂戴することにした。

「ハルミちゃんも食べまちょうね~」
相変わらずハルミにベッタリのハルヒは、離乳食をすくったスプーンをハルミの口に運ばせ、食べさせていた。ご無沙汰だった腕章の文字が『Ultra Nanny』になっていた。直訳すると『極乳母』。何だか怖そうな乳母である。
「おいちいでちゅか~」
「あー……ま……ま……」
「そうでちゅか~よかったでちゅね~」
全くの子煩悩振りを見せつけてくれている。実は先ほどから一人でハルミの世話をしていた。おしめを替えたり、お風呂に入れたり、そしてご飯を食べさせたりと、育児放棄している母親に見せてやりたいくらいの働きっぷりである。正直、ひとしきり遊んで、飽きたら朝比奈さんや森さんあたりに丸投げすると思っていたのだが、これについては以外といえば以外である。森さんが言っていたように、『母性本能が強い』のかもしれない。
「キョン!ちょっとお手洗い行って来るからハルミちゃんを見てなさい!」
ハルヒは俺にハルミを預け、汚れた涎掛けを片手に速攻ドリブルするがごとく手洗い場まで向かった。

「いっやぁ~キョン君!見せつけてくれるねぇ!お姉さん1本取られたよ!」
何の話です?
「あははっ!わかってるくせに!!ハルにゃんに子供がいたなんてね~。いつ生まれたんだい?」
だから何の話です??
「今1歳くらいだから、一年前の今頃生まれで…て事は、中学生の時にできた子なのかい!?そりゃたまげた!!」
何だか変な想像をし始めたぞ?鶴屋さん。古泉、ヘラヘラせずなんか言ってくれ。
「あなた達は高校で知り合ったと思っていましたが、中学生時代からそんな親密な関係にあったとは……流石『団員その1』殿で御座います。副団長など足元にも及びません」
こいつも何か変なことを語りだした。
「時期的に考えて、冬……そうですね、クリスマスがお二人の……これはこれは。聖なる夜に大事なものを授かるとは。あなた達は非常に運がいい」
おいおい。
「そういえば、あの頃はあなたのまわりに他の女性がいたような……そちらは使用済みだったのでしょうか?あの方ならそうなってもしょうがない事を……」
「いいかげん黙らんとその顔潰すぞ」
「……申し訳御座いません。少々戯言が過ぎたようでした」
俺が珍しく気を立てていたのを見てか、古泉は一応の謝罪はしていた。佐々木の一件は確かに色々腹立たしいこともあったし、俺も苦労させられた。一番苦労したのは長門だがな。だが佐々木を悪く言うことは俺が許さん。あいつは今でも俺の『親友』だ。
「その話はよしてくれ。それより、なんでそんな話に発展していったんだ?」
「お二人を見てますと、仲のよい親子にしか見えませんもの」
古泉に代わって話し始めたのはなんと朝比奈さんだった。
「子供と一緒に遊んでいるお母さんと、二人の面倒を見ているお父さんって感じかな?すごくほのぼのしていて安らいだ気分になれます」
あの、朝比奈さん?高い山へ行って酸素不足で脳がやられたんじゃ?どうやったらそんな姿に……
「そうそう!!お風呂入れている時も『キョン!着替え持ってきて!!』って言ってたけど、正しく日常生活の一コマって感じだね!!」
鶴屋さん再暴走開始。
「やっぱりそういう関係だったのかい?若いのに偉いね」
「うらやましいよ。でも家族計画はちゃんとしないと経済的にも精神的にも大変なことになるから、気をつけたほうがいい」
多丸さん達までなんだかおかしくなってきた!わかった!閉鎖空間だな、ここは。何となく古泉が紅く見えるし!
「くくっ、冗談ですよ。いやいや、あなたがそれほど戸惑うお姿、そして先ほどの憤怒のお姿をご拝見できて光栄に思います」
本当に殴ってやろうか、古泉。
「それはご勘弁願いたいものです。しかし、それほど仲良く見えるって事ですよ。別によろしいではないですか。お二人……いや、お三方はこの合宿中、ご家族ということで構わないのでは?そうですね、皆さん彼の家族の血縁を演じるというのはどうでしょうか?」
「お!!それいいね!!じゃああたしはハルにゃんのお姉さん役をやるよ!!」
「ご賛同いただき有難う御座います。では僕は彼のお兄さんの役で」
「あの……わたしは、お姉さん……赤ちゃんの、お姉さんの役がいいな……」
「みくるにピッタリの役だね!有希ちゃんも、二人の子供の役がいいと思うね!!」
「承認。…………パパ、アイスが食べたい」
「ひょえ~!!有希ちゃん可愛さ炸裂メガトンパンチ級だよ!!ほら、みくるも!!」
「わ、わたしもですか!!キョ……じゃなかった、パッ!パパパ、パパッ!!!おも、ちゃ!……買って……下さい」
「みくるぅ~。だめだよ~最後までかわいこぶりっこしないと!!そんなんじゃキョン君は落ちないよ!!」
「ななな何をいい言ってるんですか!!!つ、鶴屋しゃん!!!」
…………ああもう勝手にしてくれ。何だかよくわからない展開を無視して、俺はすやすや眠るハルミを自分の部屋のゆりかごに入れるため席を立った。



「ねえ森さん!お酒ない!?」
「はい、念のため種類は一通り揃えております」
俺が自分の部屋から戻って来るや否や、ハルヒが酒を希望する声が聞こえてきた。
おいおい、酒はもう金輪際飲まないことにしたんじゃないのか?
「何だかとってもいい気分だから本日限定で解禁よ!お酒を飲んで更にハイになってみたいのよ!!」
いつもナチュラルハイの状態のお前がよりハイになったら俺たちなんかついていけない。止めといたほうがいい。
「いいじゃない。夏休みなんだし」
夏休みだろうが正月だろうがサンクスギビングだろうが未成年はお酒を飲んじゃいけません。
「うー。いいでしょ。別に!」
怒っても無駄だ。どうせなら可愛く上目遣いで懇願してくれ。
「…………キョン。お願い。……ダメ?」
っ!こら!!冗談だ!!本当にするな!!そんな顔したってダメなもんはダメだ!!
「いいでしょ?後からサービスするからぁ……」
な、何のサービスだ!!逆に怖いぞ!!
「……好きなことさせてあ・げ・る。……ね?」
『ね?』でポニーテールが揺れ動いた。登山依頼ずっとこの髪型だったハルヒに俺はかなり毒されていた。すみません。我慢の限界です。
わかったわかった!!だからそんな目で見るな!!
「よっしゃー!!飲むわよー!!!全くキョンったら相変わらず単純ね!!!からかい甲斐があって面白いわ!!!あんた本気にした!?バッカじゃないの!!?」
ハルヒは更にテンションを上げて俺を弄っていた。恥ずかしくてこの場にはいられません。お母さん助けてください。



「キョーン!!酒のペースが止まっでるわよー!!もっとぢゃんぢゃん飲みなざーい!!!」
――俺の予想通りだった。ハルヒは最初こそおしとやかに飲んではいたが、次第にペースが速くなり、そのうち森さんが持ってきてくれた赤白ワインが入った各デカンターを両方ひったくってラッパのみし始めていた。確か圭一さんが言うには赤はロマネなんとか、白はコルトンどーたらとかいう高価な酒って言っていたような……値段は苦笑いして教えてくれなかったけどな。
俺は地元で作られたという地酒をチビチビ飲んでいる。山菜には日本酒が合いそうだからな。この酒も結構高いそうだ。純米……大吟醸とか何とか言ってたっけ?
長門は同じ醸造元で造られたどぶろく、古泉はなんとかウォーカーのブルーラベル、鶴屋さんは沖縄の何とかって言う酒のクースーっていうのを飲んでいた。朝比奈さんは、乾杯用のシェリー酒で見事撃沈。
「ほらほらぁ、あたじが注いであげるわ!!団長自ら注いでもらうなんて、あんだ幸運にも程があるわ!!!」
「これは有難き幸せに御座います」
掠れ気味の声でハルヒはポーカーフェイスの新川さんにワインを注いでいた。てかこぼれている。いいかげん飲みすぎだ。そろそろ寝かしつけた方がいいんじゃないのか?
「まあまあ、涼宮さんは今の状態を非常に喜んでおられるようですし、いいのではないですか?」
よくないだろ。あいつ、森さんにまで絡み始めたぞ?本当にいいのか?
「少なくとも、機関の人間は涼宮さんの行動に手出しはしませんから。よほどのことがない限り、神の意に反対することなどありません」
危ない思想家のようなことを言い出す古泉。こういうやつがテロとかを助長するんだよな。
「確かに我々は少数精鋭のゲリラ部隊ですからね。失職しましたら考えてみましょう」
おいおい本気か?森さんが迷彩服を着て、ライフル片手に『こちらコードネームフォレスト。前線にMI-101亜種を4個発見。3個は無害化に成功。残り一つは爆発させターゲットを誘導した。引き続きミッションを遂行する』とか言うと、ハマリ役過ぎて怖い。
「冗談ですよ。我々だってあの能力を除いては普通の人間です。ただ、新たな事象や法則が創りかえられるよりはい「こっいずみくーん!!!」」
弁論中にハルヒが古泉にボディプレスを敢行し、椅子ごと倒れこんだ。そして古泉はハルヒにホールドされもがいていた。
「す、、涼宮さん…ちょっと…苦し……」
「こいずみくーん、あんだはやっぱり大したもんね!!あたじが抱きついてきても失神せず持ちこたえるなんて!!」
あたりをよく見渡したら、長門以外の皆様は失神していた。皆床に寝そべっておねんねしている。さっきから『ドカッ』やら『バキッ』やら聞こえたのはそのせいだったのか……
「あ、あの……!!密着……し過ぎ……で……当たっ……!!むぐぅ!!」
ハルヒは自分の胸に古泉の顔を埋めてスリーパーホールドをしていた。
「うーん可愛いわ!!みくるちゃんの代わりにあたじのオモチャにしようかしら!!!」
ああそれはいい。朝比奈さんだったら怒るが、古泉なら好きに使ってくれても構わないぜ?古泉はイエスマンで反対する気はないらしいし、丁度いいんじゃないか?
「助け……くだ…………」
「まあまあ、涼宮さんは今の状態を非常に喜んでおられるようですし、いいのではないですか?」
俺は先ほどの古泉の口調を真似してみた。古泉の目が若干涙目になっている。こりゃ傑作だ。ハルヒ。もっと抱きついてやってくれ。
「んあ??キョン??」
俺が声援を送った瞬間、ハルヒはホールドしていた古泉を解き放ち(倒れこんだが生きているのか?)、思い立ったかのように俺の方を見ていた。慌てて目を逸らすと今度は未だに山菜の天ぷらをパクついている長門と目が合った。長門は冷淡な口調で『頚動脈を縛られたため一時的に血流が弱まり、大脳の働きが低下……失神している』と述べ、俺は現状を把握した。

次は俺が襲われる。

ハルヒの目は完全に据わっていた。ポニーテールは何時の間にか解けている。着ているノースリーブのブラウスのボタンは上下とも二つ目まで外れており、へそと右肩は露出している。動きやすくするためか、ミニタイトの横ジッパーも殆ど全開である。なるほど。今日は上下ともオレンジ色か……いや、そんなんことはどうでもいい。早く逃走しないと……
「パパ~!!!」
「パパ?……!うげ!!」
普通の酔っぱらいとは対照的にウサギのような俊敏さでハルヒは回り込み、俺は後ろからホールドされた。古泉と違って窒息することはなさそうだが、背中から伝わってくる暖かいものの存在を考えると情緒不安定になってくる。
「パパ!あったかーい!!」
パパと呼ばれた俺は抱擁……もとい、拘束されていた。ていうかパパって何だ!?
「さっぎみんな言ってたじゃない!あたじたち家族なんでしょ!?」
もしかしてさっきの話を立ち聞きしてたのか!?あれは冗談だってば!!
「いいじゃない。別に。合宿中はあんだたがパパであたじがママの役をやるごどにするわ!!」
冗談を本気にし始めた。どうすればいいんだこんな時!よく考えろ!俺!
うむ、朝比奈さんと長門が娘っていう設定はありかもしれないな……って違う!そんなことじゃな「うりゃ!!ほれほれ!!」ぐおっ!!
ハルヒは自分の頬を俺の頬に擦り付けてきた。ちょっと!!それはやばいからやめろって!!
「だーめ!!あたじが満足するまで放さないから!!」
ななな何をしたら満足するんだ!!止めろ止めてくれ!!
とはいっても俺以上の馬鹿力が酒によって解放されたハルヒに適うべくもなく、異様なスキンシップを迫られていた。こいつはバッカスの生まれ変わりに違いない。
ハルヒ!あまり刺激を与えると取り返しがつかないことになるからや……
「ねえ……キョン…………」
パパからキョンへと変わったその声は、先ほどの奇声とは違いしおらしくもおとなしいものに変わっていた。
――ハルヒ?どうした?
「あたし…………赤ちゃん…………欲しい…………」
!!!!!!
い、いきなり何を言い出すんだハルヒ!!!
俺はあまりといえばあまりの告白にハルヒの方を振り向いた。

……すう……すう……すう……

俺に抱きつきながらも寝息を立てていた。……全く、人騒がせも度が過ぎると起こる気にもなれないな。
俺は深呼吸をして高ぶっていた気持ちを収め、ハルヒの部屋まで行って寝かしつけることにした。



ハルヒは俺に抱きついたまま寝てしまったので、そのままおんぶをして部屋まで連れて行くのにはそれほど苦労はしなかった。ショベルカーなみの力と、原子炉並のパワー。そして変な力を有しているというのに、こいつの体はいたって普通の女の子である。妹よりは重いが、かといってそれほど重くはなく、年相応の体重であろう。朝比奈さんとどっこいどっこいか。
部屋まで送っていく際、吐息が耳にかかって少し取り乱しもしたが、無事ハルヒの部屋に送り届け、俺は寝かせつけようとした。
――が、それには非常に苦労させられた。ハルヒが組んだ手を外そうとはしないのだ。俺が外そうとするといきなりうなり出し、余計に締め付けられる。いい加減離れようと、無理やりにでも外そうと試みたが、今度はすごく悲しそうで、今にでも泣き出しそうな顔をして小さい声で『ヤダ』なんて寝言をいうから、俺は心苦しくなってしまい、ついにその場に留まる事を決意した。
離れなくなって暫くすると、今度は『キョン…………そこ…………ダメ…………エロキョン…………ふふふ………………』って可愛い顔して寝言をのたまっていた。もの凄く精神的ダメージを受けるその言葉に、正直俺はクラクラきていた。頭の中では妄想が蔓延っている。
そんなことではいかんと、様々な本能的思考から逸し、現実世界へ戻ろうと四苦八苦していたその瞬間、

「よ、調子はどうだ?」
なんて声が聞こえてきたんだ。俺(大)が参上つかまったようである。



さてさて、聞きたいことは山ほどある。ハルミをこの合宿に参加させた理由。ハルヒが『気になる人』の正体、そして本日のハルヒのパワー特売大放出の理由――などなど。まずは……
「お、若かりし頃のハルヒじゃないか。可愛い顔して寝てやがる。だがまだまだ幼さが残っているようだな」
質問を色々考えている内に先を越された。
「そういえばこの時間、ハルヒが酒を飲んで暴走していた時だったな。ハルヒの腕が外れなくて困ってたんだよな」
ああ、と俺は今の状況を思い出した。ハルヒはまだ俺に手を組んだまま離れようとはしない。どうやって外したか教えて欲しいものだ。
「うーん、たしか朝まで一緒に添い寝をしてたような……」
ぶへっ!!
俺は盛大に吹き出した。あ、朝までこの部屋で……二人っきりで寝てろってことか!?
「ああ、思い出した。ハルヒはどう頑張っても俺を離してくれなかったしな。しょうがないからそのままの体勢で一緒に寝てたんだ。そしたら突然ハルヒが怖い夢を見た』って言って泣き出してな。その表情があまりにも可愛くて庇護欲を誘って、つい俺は抱きついてしまったんだ。あわててハルヒを放そうとしたけど、ハルヒが『放さないで』っていうからそのまま……」
そ、そのまま……!な、何を……
「冗談だ」
へにゃぁぁぁぁぁぁぁぁ……
俺は奇声と共に脱力した。嘘かよ……ビックリしたぜ……あまり変なことは言わないでくれ……
「それじゃあ外し方を教えよう。これを使うんだ」
といって俺(大)はベッドの下から長細い、枕のようなものを取り出した。これは?

「だーきーまーくーらー」

……………………。
「おい、どうした?やっぱり寒かったか?」
某ネコ型ロボットの声色で説明をしてくれた。寒い。そして全く似ていない。俺は立ちくらみするのを必死に抑えて俺(大)に問いかけてみた。
で、それをどうするんだ?
「ちょっと失礼するぜ」
俺(大)は俺とハルヒの間に枕を押し込んだ。無理やり押し込んだため、ハルヒが俺を抱えきれなくなり、手が緩んできた。
「今だ。早く抜けるんだ」
俺は俺(大)の命令に従い、ハルヒが手で作っている輪っかからすり抜けた。すり抜けた瞬間、ハルヒが抱きしめにかかった。俺の代わりに抱き枕を抱え、満足げな顔でハルヒはすやすや寝息を立てていた。

「助かったな。すまない」
「ああ、俺もこうやって助けてもらったからな。ハルヒは寝ている時に抱き癖があってな、何かしら抱いてないと寝ている時不安になるらしいんだ。特に酒を飲んだときは顕著にその傾向が出るらしい」
「なるほどな、だから外そうとしたとき、あんな不安そうな顔をしたのか。だが、何でハルヒの寝る時の癖なんて知ってんだ?お前は?」
「あ、いや……ハルヒに教えてもらったんだよ。この一件が終わってからな」
そうかい。俺も色々苦労しているんだな。すまなかった。じゃあ俺は寝るぜ。
「まあ待ってくれ。俺の用事は終わってないぜ」
俺をハルヒの束縛から解放してくれるのが仕事じゃないのか?
「それも一つだが、他にも伝えなければいけないことがあるんだ。俺からの頼み事が二つばかりある」
またか……勘弁してくれ。未来人はそんなにヒントを出してくれないから行動に困るんだよな。
「ああその通りだ。俺も昔の朝比奈さんと同じくらい規制がかかっていてな。喋られることと喋られないことがあるんだ。だからうまくは伝えられないかも知れないが、なるべく分かり易く伝えるつもりだから聞いてくれ」
不承不承ながらも「ああ」と頷く俺。
「まず一つだが、お前は今の生活が楽しいか?」
またしても「ああ」と尋ねる俺。
「では将来も同じように楽しくなってくれたらいいと思うか?」
当然だろ?
「ならそれでいい。その気持ちを忘れないでくれ」
なんだそれは。えらく単純なことじゃないか。また白雪姫がどうとか言い出すと思って構えちまったぜ。
「だがその思いを片時も忘れずいることは大変なんだ。たとえばお前が合宿中にケガをしたとしよう。それでもお前は生活が楽しいと思えるか?」
…………そう言う訳か。俺がこの合宿中、ケガをする運命にあるってことか。
「いや、そうはいってない。既定事項に関することを過去の人間に言うことは禁則事項に該当するからな。特に未来に重要な変化を与えることに関しては回りくどく、一見何も関連が無いことを言わざるを得ないんだ。朝比奈さんが『白雪姫』と言ったのもそれが原因だからな」
まあ、道理だ。わかったよ。今の生活と今後の生活を楽しみにしているってことを忘れなければいいんだな。
「そうだ。頼んだぞ。それとあと一つだが、こっちの方が重要だからよく来て欲しい。こっちは真面目な話だ」
なんだ?早く言ってくれ。


「お前はハルヒのことをどう思っているんだ?」


ど……どうって……
「自分の一クラスメイトで、SOS団というわけのわからない同好会以下の溜まり場を作り上げた、頭のネジが2、3本普通の人と違う場所に締め付けられている奇妙奇天烈不倶戴天な女……って考えているってことでいいか?」
あ……ああ。さすがは俺自身だ。考えていることは同じらしい。
「違うな。それは」
!!
「お前は本当は分かっているはずだぜ?お前がハルヒにどんな感情を抱いているか」
「…………」と三点リーダを紡ぎ続ける俺。
「俺はお前自身だったからな。今のお前の気持ちはわからんでもない。だが、守りに入ってはゴールは奪えないぜ?どうして攻めていかないんだ?」
あ……いや……
「お前は今の生活が楽しいと言った。その今の生活、そして未来の生活が壊れるのを憂慮し、行動に踏み切れないでいる。そうだろ?」
俺はまたしても何も言えない。俺の深層心理をズバズバと突いてくるからだ。俺自身が言っているから無理もない。
俺が何も喋らないとみると、俺(大)は信じられないことを口にした。

・・・・・・・・・・・・・・

俺(大)の衝撃発言に、俺は絶叫していた。俺は思わずハルヒをみてしまう。
俺はこれだけ騒いでも全く目を覚まささず安らかに眠っているハルヒを見て、やるせない気持ちになってきた。まさかこのまま目を覚まさないなんて事は……
「……ふっ、まさしくsleeping beautyだな。全く目を覚まそうとはしない」
俺(大)も俺同様の哀愁の目でハルヒを見ていた。
「……昔は、こうやって夢を見ているお姫様を起目覚めさせたんだったな……」
俺(大)はハルヒに近づき、ハルヒの寝顔を見つめていた。
ま、まさか…………アレをする気じゃ!?


そう、まさしくアレ――ハルヒにキスをしていた。


「……は……の……に……」
何だ?ハルヒに何を言ってる?小声過ぎて何を言っているか分からない。もっと大きな声で喋ってくれ!
「世界を大いに盛り上げるためのジョン・スミスをよろしく……」
この決め台詞だけは俺に聞こえる声で、そして甘い囁き声でハルヒに語りかけた。
「じゃあな。良い記念になったぜ。俺の言ったことを忘れるなよ」
ま、待ってくれ!聞きたいことは山ほどあるんだ!!



俺(大)が通り過ぎたと思われるドアをくぐり抜けると、既に俺(大)の姿は無かった…………。



「……キョン君、お疲れ様です」
「朝比奈さんこそお疲れ様です」
「申し訳ありません。わたしが不甲斐ないばかりにキョン君に損な役回りばかりさせることになって……」
「いいんですよ。俺は全て規定事項のとおりに動いています。……あいつに嫌われるのも」
「……キョン君、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。あいつが思った通りに行動してくれます。俺はあいつを信じていますから」
「……キョン君はやはり素晴らしいですね。自分の身を犠牲にしてでも過去の人間を導いてくれるなんて」
「俺がそうでしたから、そうせざるを得ないでしょう。そうしないと俺の望むような未来になりません」
「ええ、本当に……。有り難うございます」
「お礼は全て終わってから受け付けますよ。それより、そろそろ時空震が確認されるんじゃないんですか?」
「あ、そうだった!早く時間移動しなきゃわたしたちも巻き込まれちゃう!!キョン君、捕まってください」
「それより朝比奈さん、毎回毎回思うんですが少しは加減してくださいね。朝比奈さんは飛ばしすぎです。いつまで経っても朝比奈さんのTPDDは時間酔いするんですから」
「ごめんなさい……気をつけます」



「キョン……?」
俺が廊下を見渡していると部屋の中からハルヒの声が聞こえてきた。これ以上探しても意味はなさそうだ。ハルヒの部屋に戻ることにしよう。
「キョン……どうしたの?何してるの?」
ハルヒは時分の部屋に侵入してきたことを怒るでもなく、俺に声をかけてきた。先程まであれほど騒いでいたのに、俺(大)が消えると同時にハルヒは目を覚ましたようだった。その態は、奇しくも王子様のキスで長い夢から覚めた白雪姫のようだった。
何かしら不安げな顔で俺を見つめいているその表情は俺の不安を加速させた。ハルヒ、どうかしたのか?
「……え?いや……ちょっと……変な夢を見てて……」
怖い夢か?
「……うーん、そう言う訳じゃないけど、昔見たことあるような、変な夢……ある人から『そして世界を大いに盛り上げてくれ』って言われて……」
その人の名は、『ジョン・スミス』じゃないのか?
「え……!?何で知っているの?もしかしてジョンと会ったの!?あたしのこと何か言ってた!?元気そうだった!?」
慌てて一気にまくし立てるハルヒ。俺(大)のしたことと命令に反感を覚え、俺はこの名前を出してみることにしたのだが、やはりハルヒにとって『ジョン・スミス』はかなり重要な位置づけらしい。これ以上話すのは止めておこう。俺=ジョン・スミスという事実は最終手段の中の最終手段としてとっておきたい。
「いや、お前が寝言で『ジョン・スミス』ってのを連呼していたからな。関係あるかと思ってな」
「そう……」
ハルヒはションボリとしてしまった。それ以降会話がない。何かしら続けないと間が持たん。
「なあハルヒ。『ジョン・スミス』って人はお前が言った好きな人とかじゃないのか?夢にも出てくるくらいだからな」
ハルヒを元気つけるため少しからかってみる。
「……うん。そうなの」
な、なにぃぃぃぃ!!!
俺はお茶を飲んでいたらまたしても盛大に吹き出していたと思われるような絶叫を心の中で上げていた。
「……一回しか会ったこと無いんだけど、あたしを唯一受け入れてくれた人。あの頃、あたしのやることに理解を示してくれる人なんていなかった。両親も。先生も。それまで友達だったクラスメイトも。あたしが世界を変えようと頑張ってみても、誰もが『また涼宮が奇行に走っているよ』と言って相手にしてくれなかったわ。でもあいつは違った。あたしのやろうとしていることに何一つ疑問も持たず、手伝ってくれたの。それに宇宙人や未来人がいると信じていたの」
なるほどな。あの時の俺の台詞や行動は、ハルヒの頭の中で厳重に保管されているらしい。
「あたしもそれまで宇宙人や未来人がいるってのは半信半疑だったけど、ジョンが言うなら信じてもいいな、って思い始めたの。第一ジョン自身が一番不思議な存在なのよ。あたしが会った時は北高の制服を着ていたんだけど、その当時北高の全生徒を調べてもジョンはいなかった。あ、ジョンってのは多分偽名よ。暗くて顔はちゃんと見えなかったんだけど顔つきは日本人だったからね。それにジョン自身が言ってたんだけど、あたしと同じような考えをもつ人間がいるんだって!その人も北高の関係者だと思うじゃない!だからあたし、ジョンやその知り合いの正体を突き止めようと思って北高に進むことにしたの」
ハルヒの目が水を得た魚のように生き生きとしてきた。こいつはそんな理由で北高に進学したのか。
「もう少しまともな理由で進学したと思ったんだが……」
「何よ。摩訶不思議な超常人間『ジョン・スミス』を探すっていう立派な目的があるじゃない!あんたみたいに学校の難易度で選ぶような姑息なことはしてないわ!」
お前は有名進学校でも上位に入るくらい頭がいいから高校を選ぶにしてもよりどりみどりだろうが、俺はそんなわけにはいかないんだよ。

「それで、その一回以来全く会ったことはないんだけど、昨日、数年ぶりに会ったのよ。ジョンに」
何?誰だそれは?本物の『ジョン・スミス』は俺であるわけだし、その俺が覚えてないというかやってないのだからそれは『ジョン・スミス』であるわけがない。一体どこで見たんだ?
「姿は見えなかったけど、アレはジョン・スミスに間違いないわ。あの当時会ったときよりも老けていたような印象だったけど、あれから数年経っているし仕方ないわね。で、そのジョンがハルミちゃんをなつかせる方法を教えてくれたってわけ。北高の自縛霊って可能性もあったんだけど、そうじゃなかったわね。こんな山奥にも現れるくらいだし。そうだわ!あしたはジョンを捜すことにしましょう!!まだこの辺にいるに違いないわ!!」
探さなくともお前の目の前にいる。本物がな。
そして俺は『偽ジョン・スミス』の正体も分かり始めていた。いや、偽っていうか本物なんだが、ハルミ云々のことを語りだすのはあいつしかいない。つまりは俺の異時間同位体――俺(大)がハルヒにアドバイスをしたのだろう。先ほど寝ているハルヒに言った言葉からも考えてまず間違いない。妙に忙しいやつである。朝比奈さん(大)の仕事を取って代わってやるつもりなのだろうか?確かに朝比奈さんにせがまれたら自分が夜勤で帰ってきてもそのまま朝の出勤をしてしまうだろう。その気持ちは分からんでもないが……
「それにもう一つの捜し物もあるし、明日の不思議探索が楽しみ……イタタタ……」
どうしたハルヒ?
「叫んだら頭が痛くて……」
だから飲み過ぎだ。少しは学習しろ。もう少し飲むペース配分を考えたらどうだ。
「何よ……いいじゃない……そういう気分だったんだから……」
水を持ってきてやるからもう寝ろ。明日も頭痛のままだとジョンに笑われるぞ?
「分かったわよ……水、お願いね……」
はいはい、じゃあ持ってくるから少し待ってろよ。



「ねえ、キョン」
ハルヒは俺が持ってきた水を飲み、横になって目を瞑った。それを確認して椅子から立ち上がった際、呼び止められた。
「あたし……変なこと、口走らなかった?」
……いいや、何も。
「そう……ならいいわ……」
そしてハルヒは質問を変えてきた。
「キョン……この生活……この高校生活は……楽しい?」
「……ああ。どちらかって言うと楽しいぞ。そうだな、こんな生活がずっと続いた方がいいかな、なんて思う時もある」
「ふふ……偶然ね。キョン……」
「何がだ?」
「……あたしも……この生活……この時間が……ずっと……続いたら……いいなって…………」
「ああ。俺もな」
俺がそう言うと、ハルヒはいつもの満面の笑みとは違う微笑で俺を見つめ、やがて寝息を立てた。



俺はハルヒのあの微笑を見て決めた。俺はこの生活が気に入っている。好きだといってもいい。朝比奈さんも、長門も、古泉も。そしてハルヒも。この生活を守るためにも、俺自身のためにも俺は自分が信じる行動を取ることにする。
さっきの俺(大)との約束だが、一つ目はともかく、二つ目の方は御破算にさせてもらうぜ。

未来人の既定事項なんてくそくらえだ。



――しかしこの時、そんな考えを吹き飛ばすような事件が起きていたのだ。せっかい俺がハイになっているのに、無粋な奴だよ。あいつは。しかも俺にあんな事をさせるなんて。この仕返しは必ずしてもらうからな。



ハルヒがまた眠り姫へとなってから直ぐのこと。俺は食堂に向かってみんなの様子を伺いに行った。どうやらみんな起きているらしい。だが表情は芳しくない。
「やっぽー!!ハルにゃんはもう寝たかーい!!]
一人周りのフィールソーバッドを感じさせない鶴屋さんがジョイフルなオーラを発散させながら語りかけた。
「ハルにゃんのボディプレスと4の字固めは堪えたよ!!お姉さん思わず天国のひいおじいちゃんが見えたよ!!」
それはかなりやばいのではなかったと思います。他の皆様は誰を見えたのだろうか?皆様の忌憚の無い意見を伺いたい。
「で、起きたらみくるが泣いてるの!!理由を話しても教えてくれないし、キョン君ならわかってくれると思って待ってたんだ!!じゃ、あたしは自分の部屋に戻るね!!そうそう!後片付けは粗方やっといたからキョン君は特に何もしなくていいよ!!みくるの相談を聞いてあげてよ!!」
そう言って鶴屋さんはオーシャンズサーティーンのメインテーマを口ずさみながら自分の部屋へと戻っていった。残るは団長不在のSOS段の正団員のみ。

「さすがは鶴屋さんですね。我々の身に起きていることをいち早く察知し、解決法を得るために自分ができないと判断したらでしゃばらずに身を引く。適材適所を心得ています。……ワンマン経営者ではできないことです。鶴屋家が発展していくのも分かる気がします」
ああ確かにそう思う。しかし今は本題の朝比奈さんが泣いている理由を聞こうではないか。
「それがですね……」
古泉は薄笑いの中に困惑を混ぜ込んだ表情をしていた。

「キョン君……ひぐ……あの……うえ……時空震が…………また……ううっ……未来との連絡が……えぐっ……取れなくなりましたぁ……」

やれやれ。またか。正直、こんな感想しかない。同じような事が以前にも起きているので耐性がついていたのかもしれない。
で、今度は何回目の夏休みなんだ?
「今回が最初。一回目」
前回も地道に終わりがない8月のカウンター役を務めてくれた長門が、やる気の無いウグイス嬢の如く抑揚の無い口調で語った。
「何だ、まだ一回目か。それじゃあそんなに慌てる事はないんじゃないか」
「うえええ…………でもでも……前回より…………ひく……更に悪化しているみたいなんです…………うぐ……」
……?どういう意味ですか?朝比奈さん。しかし禁則にでも引っかかっているのか、ひぐひぐとしか聞こえない。
ここはピンチヒッター、長門選手の出番である。長門。どういう意味だ?
「前回は14日間をくり返していたが、今回は違う。先程・・・21時14分01秒39から時間が全く進んでいない。時間が停止している」
時間が停止している?どういうことだ?
「全世界のあらゆる法則を維持しつつも時間軸のみ停止している。物理法則に最低限必要な時間関数は媒介変数を用いて代用されている状態」
やっぱりわからん。もっと分かりやすい事例を挙げてくれ。
長門は首をコンマゼロ2くらい傾け、そして機械音のような冷徹な口調で言った。

「このままでは太陽は永遠に出没しない」

OK。非常に分かりやすいです。大変よく分かりましたのハナマルを進呈しよう。……冗談を言っている場合ではないな。
「もう少し正確に言うのであれば、日本の逆側…ブラジルのあたりでは何時までたっても太陽が沈まないことになります。日本では温度が低下し続け、エチルアルコールですら凝固してしまうほど冷え切った世界になってしまいます。逆にブラジルでは地表で卵が焼けるまで熱量が上昇するでしょう。困ったものです」
そんな困ってないような顔で言わないでくれ。マジでやばいんじゃないのか!?
「ええ、そのとおりです。そして、この事象を発生させたのは……」
ハルヒってわけか。全く、勘弁して欲しいぜ。
「あなたにお聞きしたいことがあります。今から時間が止まった時間の少し前……そうですね、15分ほど前に涼宮さんに何かしら異常はみられなかったでしょうか?」
15分程前というと、俺が未来の俺と邂逅を果たしたあと、ハルヒが起きて取り留めの無い会話をしてた時だな。
「思い出してください。あなたの他愛無い一言が世界をかえてしまう可能性だってあるんですから。今回は時が止まってしまいましたから、時事関連だと思われます。涼宮さんと何か時間に関係する話題に触れなかったでしょうか?」
時間に関する話題か…そういえば、ハルヒが『今の生活が楽しい?』って言って、俺は満足してるって答えたんだっけな。そしてハルヒは…………
……おい。まさか。
「何か思い出しましたか?」
ああ、ハルヒが寝る前に言ってたんだ。『この時がずっと』みたいなことを。そして俺も同意したんだ。
「なるほど。おそらくそれがビンゴでしょう。あの時は夏休みを終わらせたくなかったが故の事でしたが、今回は今まさにその時、その瞬間に思い入れがあり、時間が止まってくれればと願ったのではないでしょうか?」
8月は時間操作開放月間なのだろうか?毎年毎年勘弁して欲しいものである。
だが今回は原因も早期発見できたことだし、解決法も分かったんじゃないのか?
「ええ、簡単なことです。今この時よりもより良い未来があることを涼宮さんに教えてあげればよいのでしょう。それではお願いいたします」
待て。何で俺がやらなければいかんのだ?
「原因はあなたの答弁にありますからね。登山の時と同様に。今回こそ自分の蒔いた種は自分で刈り取るべきだと思うのですが?それに、去年のループから脱出できたのもあなたが喫茶店で奇異な事を叫んでくれたおかげですから」
くそ、わかったよ。やればいいんだろ?で、具体的には何をしたらいいんだ?
「そうですね……今よりも未来に希望が持てる、未来に楽しみが待っていることを伝えてあげればいいのではないかと思います。例えば、卒業したら必ず迎えに行くよと言ってみては……冗談です」
笑えない冗談を笑いながら話す古泉。他の人にアドバイスを貰おうにも、朝比奈さんは相変わらず泣きじゃくっているし、長門は漬物石状態だ。「まあ大体の意図はわかった。やってみるさ」と告げ、俺はハルヒの部屋に向かうことにした。



そしてハルヒの部屋である。ハルヒは相変わらずこんこんと眠っている。さて、寝ているこやつにどうやって伝えればいいんだろうか?それに何を言えばいいか全く分からん。
先ずは伝える言葉を考えてみるか。『このままだと地球が滅亡してしまう』とか、『俺たち氷漬けになってしまうぞ』とかはむしろハルヒが望んでる可能性があるから言わない方がいい。やっぱり未来に起こりうる楽しい事象をこいつに伝えなけりゃな。
しかし何だ?こいつが望む未来とは?さすがに宇宙人や異世界人と遊ぶことを吹き込んだら、明日にはその辺に溢れ返っていましたってのはやだからな。もう少し現実的な望みがいいだろう。
俺はハルヒがここ最近、未来に関する希望があったか思い出す。うーん、思いつかない。
ハルヒの未来に関しては何も思いつかないのだが、俺の未来に関してなぜかすぐに思い浮かんできた。姿かたちはともかく、未来人どもの傀儡になっているとはなんだが暗澹な気分ではある。
ただ、俺がハルミと呼ぶ、自分の子供は可愛いなとは思っているんだけどな。一つ一つの動作が稚拙で愛らしさを感じる。赤ちゃんは育てるのは苦労しそうだが、その苦労も吹き飛ばすくらいの不思議な力を持っているからな。ハルヒじゃなくても赤ちゃんが……

おや……もしかして、これか?まさか、俺はそんなこと言えというのか?幾らなんでも恥ずかしすぎるぞそれは!

しかし、あの発言の前後を思い出すと、うーむむ、どうもこれくらいしか見つからない。世界の運命がかかっているため言わざるをえないのはわかっているが、内容が内容だけに他の人には絶対聞こえて欲しくない。ハルヒに言うにしたって、面と向かって言う自信はミジンコの爪先以上にない。
頭の中でNoを突きつける。幾らなんでも恥ずかしすぎる。他に方法が無いか脳内シナプスを駆け巡る。

だめだ、どうもこれくらいしか見つからない。こうなったら開き直って言うしかない。

さて、不本意ながらも言葉は見つかった。次にどう伝えるかだが、起こして言うのは絶対ヤダ。かといって寝ているハルヒにそのまま伝えても聞いてくれてない可能性もある。
ハルヒが夢の中で俺の願いを聞いてくれる方法としては、アレを思い出すんだが、やっぱりそれも躊躇するものがある。そういえばさっきの俺(大)は何の躊躇もせずハルヒにカマしていったな。その辺は大人の強みだ。その後ハルヒは夢から覚めて、ジョンのことを話し出したんだっけな。夢から覚ますのはアレが一番って訳だ。

……なんだこの展開。つまり、俺も同じ事してハルヒの夢を目覚めさせろってか?先程の俺(大)の行為はもしかしてそれを誘発するためのヒントだったのか?
ええい忌々しい。そんな方法で夢から覚ますなんてベタにも程があるぜ。一度あることは二度あるってことか?勘弁願いたい。もっとかっこいい方法はないのかね。

俺はその場で更に10分くらい悩んだが、これといった方法は見つからなかった。
あまり時間を長引かせるのも良くないし、こうなったら俺の中で出た結論を実行するしかないだろう。なに、間違ってたら他の方法を試せばいいだけのことだし、あまり遅くなって心配してきた誰かが見に来るというのはもっとヤだからな。
周りに誰もいないことを確認して、盗聴器が無いことも確認して、布団で俺の発言が聞こえにくいようガードし、準備万全整った。俺は覚悟を決めてハルヒに接近した。どうか起きませんように……


――そして俺は、人生二回目のキスをまたも同じ相手としてしまった。いや、もしかしたらそんな運命、未来人に言わせれば『既定事項』だったのかもしれない。


何秒、何十秒くらいそうしていたのかは覚えていない。キスの味がどうたらとか言うやつの気が知れないね。緊張しすぎて味覚なんて無いに等しいからな。
ハルヒは目覚める気配は無い。取り合えず第一段階は成功のようだ。そしてもう一つの課題をクリアするため、続けてハルヒに囁いた。


「俺も、お前の赤ちゃんが見てみたいな」


……言ってしまった。
俺は言い終わって直ぐに布団を外し、辺りを見渡した。誰もいなさそうに見えるがどうだろう。長門辺りが情報操作してこの会話をペンションのレクチャールームで大音量で流している可能性も否定できない。
俺はまたしても人生最大級の黒歴史を刻むことになってしまった。よくよく思い返せば先程古泉が冗談で言ったこととそんなに変わらない。これでは古泉を非難する資格がない。キスはともかく、あの発言だけは二度といいたくない。どうかこれが正解でありますようにと願うばかりだ。
ハルヒの方を見てみる。起きる気配はこれっぽちもなく、ひたすら眠り姫を演じ続けているようだ。



――ただ、ハルヒの寝顔は先程よりも若干希望に満ちたものになっていた気がする。俺の見間違いでなければ。



「キョン君~、ありがとう……」
目を真っ赤に腫らせながらも、朝比奈さんはにこやかな表情で俺にしがみ付いてきた。どうやら時間は正常に進み始めたらしい。
やれやれ、助かったぜ。他の方法を試せといってもできないくらい動揺してるからな。心の中では。
だが、止まっていた時間――30分くらいか?――はどうするつもりなんだ?
「その辺は大丈夫ですよ。長門さんが凍結してくださったみたいですから」と古泉。続けて長門が喋りだす。
「太陽系全体の時間以外の物理量を31分38秒程凍結し、時間との整合性を確保。誤差は2.302-E21以下に留めることに成功。地球上の生物が異を唱えるような現象に関しては全て処理した」
太陽系全体とは……それはまた大掛かりな……
「わたしの力だけでは不足していたため、情報統合思念体に助力要請を行い、許可された」
…………。
俺は三点リーダを紡ぎ続けていた。改めて長門の親玉の存在の恐ろしさを知ることになろうとは。だが、その情報統合思念体ですら一目を置く涼宮ハルヒの存在の大きさも改めて知ることとなった。
また、こんなやつについていこうとする俺も正真正銘、怖いもの知らずかもしれないな。



こうして2日目の合宿は幕を閉じた。俺はこれでこの騒動は終わりだと思っていた。
誰だってそう思うだろ?この2日間を見ても波乱に富んだ2日間であるってことは。
しかし、この2日間はせいぜいオードブルが良いところだった。3日目にメインディッシュが待ちかまえていたのを知るよしもなかった。

 

 

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